親鸞さんのあしあと
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2006年4月12日 住職から案内状をいただいていたので、 聖徳太子講に行ってきました。
葬儀か法事以外にめったにお経を耳にすることの無い毎日を過しているなか、ほんの数時間でしたが楽しい時を過すことができました。
10:00〜太子堂・本堂でお勤め
太子堂でのお勤めは膝と腰痛持ちで耐えられず途中退座しちゃいました。 本堂でのお勤めでは、お経が流れる中、親父、お袋、兄ののことなど思い出したり、故郷の村の入口にある、小さな聖徳太子の石仏のことなどを考えたり・・・
写真は 『聖徳太子火防の尊像』
鎌倉時代作 聖徳太子16歳の童子像です。
右手に柄香炉左手に杉の小枝を持ち1713年本堂火災の時、ひとりの少年が飛び出してきて杉の枝で火を消した、翌日、この太子像が灰、煤で汚れていたので『火防の太子』とのことです。
太子像横の掛軸 四幅 が『絹本著色聖徳太子絵伝』です。
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11:00〜絵とき法話(ご絵伝の説明・話)
国の重要文化財に指定されている『聖徳太子絵伝』の前でご住職が気さくで、人間味あふれる、絵解き話。数百年にわたり、私のように字が読めない、お経が解らない者が講に集まり、楽しい話を聞き自然に仏法を心に沈殿させていったのだろう。今回は聖徳太子20歳の頃 崇峻(すしゅん)天皇が猪の前で いつかは、蘇我馬子も猪の首を斬るごとく切り落としてやりたいと話している場面と、 仏教が伝わりお寺の建築が始まった 絵解き話でした。
絵伝をビデオカメラでテレビ画面にアップで映し出しての法話。カメラ操作 少し手伝わせていただきました。
上にぶら下がっているのが三代将軍家光から拝領したといわれている太鼓です。訪れた時ぜひ敲かせてもらってください。 表と裏では少し音が違いますよ。
この写真 ご住職にメールでお送りしたら、お寺のホームページで採用していただいています。
妙安寺のホームページ ↓
http://www.myouanji.com/
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写真は 国重文『絹本著色聖徳太子絵伝』 四天王寺?建立場面、職人達の喜びの声が聞こえてきそうですね。
12:00〜オトキ(食事)
ご馳走様でした。
来年も楽しみにしています。
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6月に本堂の解体開始と聞いていたので解体中にも訪ねたかったが時間が取れず9月になってから訪問 工事の節目節目に訪ねたいと思っています。
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すっかり整地されこれから基礎工事が始まるところです
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本堂建設中 古木の枝垂桜も嬉しそうに咲いていました。 今年も太子講の案内状が届いたけど行けるかどうか微妙
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二十四輩 第七番 西念房
当寺は元来、聖徳太子が御幸したという伝承のある寺で、極楽山聴衆院聖徳寺といっていた。後、天台宗の寺院となったが、二十四輩の一人、西念房が真宗に改めたのが始まりである。西念房の孫の代、武蔵・野田にあった西念房の道場が火災に遭ったため、当地に宝物などを移した。江戸時代初期に寺号を聖徳寺から西念寺に改めた。境内には本堂、太子堂等が建ち、親鸞聖人お手植えの松がある。
●所在地/茨城県岩井市辺田355-1
http://www.sainenji.com/
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この横に聖人お手植えの松があったというが、マツクイ虫で枯れてしまい。今は小さな松が植えられていた。
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秋の終わりごろもう一度訪ねました。 本堂横に 菊が数鉢置かれていた。 檀家の作品であろうか
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ススキが秋を演出してすがすがしいお庭です。
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