親鸞さんのあしあと 

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常陸の国
2005年 NHKの大河ドラマ『義経』 義経と同時代に生きた親鸞を思い、親鸞さんのあしあと『常陸の国』のページをつくりました。


大覚寺回遊式庭園
大覚寺回遊式庭園
どの角度から見ても裏がない『裏見無しの庭』といわれているそうです。
大覚寺説法石
大覚寺説法石
樹齢500年のヤブツバキの下に説法石があった。
   『落ちざまに水こぼしけり花椿』 芭蕉
大覚寺回遊式庭園
大覚寺回遊式庭園
秋の夜や祖師もかやうな石枕  一茶
   写真は 春 05年4月28日
如来寺
如来寺
二十四輩 第四番 乗然房 
寺伝によれば、建保3年(1215)に親鸞聖人の弟子となった、乗然房領海が、聖人の形見として太子像を賜り、「帰命山無量壽院如来寺」と号し、霞ヶ浦岸辺の木原に有ったが、明応7年(1498)にこの地に移された。
『霞ヶ浦御草庵』の碑が立っている。
また隣に芭蕉の句碑があった。
   『能く見れば薺(なずな)花咲く垣根かな』
 
 
 
如来寺
如来寺
霞ヶ浦の湖底に光る、阿弥陀如来の像を、親鸞聖人が拾い上げた伝説が残っている。
 
『毎夜あらわれる三又沖の怪しい光りに網をおろすと,金泥の仏像が引き上げられた。仏像を奉った漁師は親鸞上人の教えを受け,阿弥陀仁左衛門と呼ばれた。』
 
如来寺
如来寺
『聖徳太子浮足の像』と言われる木彫りの太子像がある。 浮足の像とは、太子像の足が、台上から半紙1枚が通るほどの空間を保ち、身体が浮上していたことにより『浮足の像』と呼ばれている。
 
妙安寺 (一の谷) 冬
妙安寺 (一の谷) 冬
二十四輩 第六番 成然房
前橋、三村の妙安寺とおなじく、成然房を開基とする。成然房は配流になった当初、下総・猿島郡の境という地の豪族・長五郎の館に身を寄せ、そこから稲田の親鸞聖人を訪ねたという。成然房は長五郎方に3年住み、その後この一ノ谷に庵を結び、一ノ谷大法院妙安寺と号した。境内からほど近い地に、成然房の墓所がある。
●所在地/茨城県猿島郡境町一ノ谷498
 
 一の谷妙安寺 秋
一の谷妙安寺 秋
一の谷妙安寺 (3)
一の谷妙安寺 (3)
一の谷妙安寺
一の谷妙安寺
ツワブキが咲いていました。

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解説文は一部、東本願寺「しんらんさんめぐり」から引用しています。