親鸞さんのあしあと
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二十四輩 第24番 唯円房
武藏・楢山の城主として生まれた橋本伊予守綱宗は、平和な日々を過ごしていたが、最愛の一児を失い、世の無常をさとり、城を弟に譲って修行者となった。諸国を巡って常陸・鳥喰の地にたどりついた綱宗は、夢告を受けて稲田の草庵を訪ね、親鸞聖人の教えを受けて弟子となった。唯円と名のった彼は、有縁の地・鳥喰に本泉寺を建立し、教化に努めた。その後、1626(寛永3)年に水戸藩主徳川頼房の命で現在地に移転し、名を西光寺と改めた。「鬼人成仏」を伝える西光寺絵伝を蔵する。
●所在地/茨城県常陸太田市谷河原町73
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二十四輩 第8番 證性房
当寺の創立は古く、670(天智9)年、後の天武天皇がこの地に太子堂を建てたのが始まりである。その後、鎌倉幕府の重臣・畠山重忠の次男である重秀が出家し、常陸・稲田の親鸞聖人を訪ねて證性と名のり、当寺を真宗の道場として改めたという。寺号の「青蓮寺」は、證性房が聖人とともにこの寺を再興した際、青い蓮の夢を見たからであるという言い伝えがある。
●所在地/茨城県久慈郡水府村東連地200
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二十四輩 第20番 慈善房
当寺の開基・慈善房は、俗名を壷井大学守重義といった。讒言に遭って関東に下り、常陸の玉川辺村村田郷という所にある太子堂を参詣したところ、夢告があり、稲田の草庵に赴いて親鸞聖人の弟子となった。慈善と名のった重義は、この地にとどまり、念仏の教えを弘めた。以来750年、当寺は移転することなく、この地にある。太子堂以来の由緒をもつ等身大の聖徳太子像は、県の文化財に指定されている。
●所在地/茨城県那珂郡大宮町石沢1467
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