親鸞さんのあしあと 

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常陸の国
2005年 NHKの大河ドラマ『義経』 義経と同時代に生きた親鸞を思い、親鸞さんのあしあと『常陸の国』のページをつくりました。


唯信寺の桜
唯信寺の桜
唯信寺の桜
唯信寺の桜
唯信寺の桜
唯信寺の桜
報佛寺
報佛寺
 
「歎異抄」の著者として有名な唯円大徳は、1240(仁治1)年、常陸・河和田の地に道場を開いた。のち、この道場は少し離れた竹ノ内という所に移転して泉渓寺と称するようになり、1690(元禄3)年、旧河和田城跡の一角に移されて現在に至っている。聖人真筆の十字名号などを寺宝として蔵する他、近在には当初の道場があったといわれる「唯円の道場池」がある。
●所在地/茨城県水戸市河和田町887
報佛寺
報佛寺
信願寺
信願寺
二十四輩 第23番 唯信房
水戸偕楽園、県立歴史館が近くにある。
訪問当日、檀家の法事が営まれていて、本堂からお経の声が聞こえた。
信願寺
信願寺
当寺の開基・唯信房は、唯信寺を開いた唯信房とは別人であり、俗名を幡谷次郎信勝といった。橘村幡谷城の主であった彼は、ある夜のこと、稲田から鹿島まで教化に赴く聖人に会うよう夢告を受け、城外に出てみると、念仏を称える僧の一団に出会った。これが聖人の一行で、信勝は夜を徹して語り合い、聖人の弟子となって唯信という法名をいただいたと伝えられる。信勝が自領に建立したのが当寺であり、以後数度の移転を経て現在地に寺基を定めた。境内には恵信尼公と子息・信蓮房を連れた聖人の等身銅像がある。
●所在地/茨城県水戸市緑町1-2-
信願寺の銅像
信願寺の銅像
恵信尼公と子息・信蓮房をつれた親鸞聖人の等身像があった。
善重寺
善重寺
二十四輩 第12番 善念房
 
相模の武士・三浦義重が、鹿島神宮に出かけた帰り、常陸・桜川の地で親鸞聖人に出会い、教えをいただいて帰依した。義重は善念という法名を与えられ、善信(親鸞)と義重の名から二字を取って「善重寺」という一宇を建立した。はじめ常陸・笠間にあり、後に寺基を転々として、徳川光圀が水戸藩主の頃に現在地に移転した。境内には太子堂があり、安置される光圀寄進の聖徳太子像(鎌倉時代の作)は国の重文に指定されている。
●所在地/茨城県水戸市酒門町2096-2
善重寺の太子堂
善重寺の太子堂
光圀寄贈の聖徳太子像は国の重要文化財に指定されている。 聖徳太子のご命日の2月22日 御開帳

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解説文は一部、東本願寺「しんらんさんめぐり」から引用しています。