親鸞さんのあしあと
 

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高田山 専修寺
吉川英治の小説『親鸞』の最終章に出てくる高田山専修寺が近くにあります。少しでも親鸞聖人の歩かれたところを回ってみようかと思い錦鯉とは関係ないのですがページ増やしました。
 
親鸞聖人は、42歳ごろから約20年間、常陸の国を中心に関東各地を行脚して専修念仏を広められました。ここ下野の国(栃木県)高田の地に来られたのは聖人53歳のときであったと伝えられています。そしてこの地で多くの門弟が生まれ、それらの人々の懇望によって、一堂を建立し、長野の善光寺から一光三尊仏をお迎えして、本尊とせられました。これが専修寺の草創です。


三谷(みや)草庵
三谷(みや)草庵
改修工事が始まっていました。調査などを含め今年いっぱいかかるそうです。 2005/1/22  
 
常陸国 稲田におちつかれた親鸞が布教のためこの地にこられたとき、真岡城主、大内氏一族が草庵として提供されたところである。 親鸞はここを拠点として、柳島(今の高田)を往復し専修寺建立の偉業をなしとげられたが、その間、教行信証その他の著述もされたと伝えらる由緒あるところです。 三谷草案掲示板 写
 
ご飲用の泉
ご飲用の泉
三谷草庵 親鸞聖人 ご飲用の泉  
水は溜まってはいたが濁っていました。 泉の隣にお経塚の碑などもありました。
桜 4月8日
桜 4月8日
4月8日は釈迦の誕生日とされている。ちょうど桜満開。 昼休みを利用して、訪問。
 特別な 催しは無かったようである。残念
『花祭りの日』
『花祭りの日』
灌仏会
クリスマスに比べ、何と寂しいことか。
子供達が幼稚園に通っていたころ、誕生仏の像に甘茶を掛けて祝う。「花祭り」があり、水筒に甘茶をもらってきて、飲んだことなどを思い出しながらのほんのひと時でした。
 あの幼稚園もお寺の経営だけど『クリスマス会』もやっていたと記憶する。
   『 灌仏会の日 』 『 花祭りの日 』 国民の祝日になることは無いだろうな〜
高田まち
高田まち
8月1日は『高田まち』 専修寺の夏の法要、お寺の夏祭り、初盆を迎える人々が、お線香。ロウソクを買い求めに集まって、夜店が出てにぎやかでした。 中学生の和太鼓、力強く鳴り響いていました。
如来堂の御前立の三尊仏
如来堂の御前立の三尊仏
8月1日の『高田まち』で撮影。この日は如来堂の中で、お盆に使うお線香を求め、 ロウソク1本買って、三尊仏に一度そなえてから火を消して持ち帰り、お盆に仏前に供えます。
11月 再訪
11月 再訪
11月19日 小春日和に誘われて 再度訪問したら 総門の茅葺屋根の葺き替えが始まっていた。 三谷草庵の屋根工事が終了して、屋根職人がこちらに移動したのだろう。
境内を一回りして三谷草庵に向かった。
11月三谷草庵
11月三谷草庵
専修寺を一巡りしたあと 三谷草庵に行って来ました。 屋根の葺き替えも終わり綺麗なカヤの切り口を見せている。 少し綺麗過ぎて趣きに欠けるような気もしたけど仕方ない。
 大工さんが内部の修理をしていて、電気工具の音が鳴り響いていました。
三谷草庵 内部
三谷草庵 内部
大工仕事も終盤を迎えていました。 
 隠居してこんな草庵に住んで、畑仕事をしながら時々遊びに来る孫を待っている爺様生活をしてみたいものである。
11月三谷草庵
11月三谷草庵
まわりは木々ばかりで、何もない。 
 聖人が住まわれ、専修寺の完成を心待ちにされていた頃がしのばれる。

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帰命無量寿如来 南無不可思議光 法蔵菩薩因位時 在世自在王佛所 
都見諸佛浄土因 国土人天之善悪 建立無上殊勝願 超発希有大弘誓