親鸞さんのあしあと
 

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高田山 専修寺
吉川英治の小説『親鸞』の最終章に出てくる高田山専修寺が近くにあります。少しでも親鸞聖人の歩かれたところを回ってみようかと思い錦鯉とは関係ないのですがページ増やしました。
 
親鸞聖人は、42歳ごろから約20年間、常陸の国を中心に関東各地を行脚して専修念仏を広められました。ここ下野の国(栃木県)高田の地に来られたのは聖人53歳のときであったと伝えられています。そしてこの地で多くの門弟が生まれ、それらの人々の懇望によって、一堂を建立し、長野の善光寺から一光三尊仏をお迎えして、本尊とせられました。これが専修寺の草創です。


鐘楼
鐘楼
鐘楼 嘉永2年(1849)伊勢四日市 願誓寺の住職が3年間で建立し、梵鐘はそれよりも古く延宝8年(1680)田中丹波守 藤原重正の作で何れも 江戸の門徒の寄進である。 当地方では大きな秀作とされている。 鐘楼掲示板写
宝蔵
宝蔵
釈迦如来涅槃像
釈迦如来涅槃像
仏前生花として 実生の若松1本が供えてあった。これが『高田の一本松』といわれるものだろう。
 
釈迦如来は凡そ3千年前印度の国で80歳にして成仏 頭を北にして西に向いてお亡くなりになった。 その御影で元禄年間の名作である。
     釈迦如来涅槃像 掲示板写
 
 
鼓楼
鼓楼
物見を思わせるような高い袴腰つけた建物は鼓楼です。 弘化3年(1846)の建立で、太鼓は天保13年(1842)名古屋市の来迎寺門徒 平野小市朗の寄進である。掲示板写
 
御影堂
御影堂
重要文化財 建造物 御影堂
今から凡そ250年昔の建造物で中央の大きな御厨子に御開山の親鸞聖人を祀る木像は聖人自刻の等身の御影といわれる。右奥に真仏上人、左奥に顕智上人を安置する。三像何れも県指定の重要文化財である。屋根は茅葺・胴板葺と変わっている。間口十三間 奥行十一間半 当地方では珍しく大きな建造物である。 掲示板写
親鸞聖人 御手植の欅
親鸞聖人 御手植の欅
この大欅の古木は750年前親鸞聖人御手植と伝えられ長屋門の前にありましたが昭和42年8月枯死倒壊したので 記念樹として永く保存し、参詣の皆様に聖人時代を偲んで頂くと共に国の指定史跡にふさわしい霊木として伝えます。  霊木の掲示板より
 
御廟
御廟
親鸞は専修寺建立後貞永年間(1232年頃)京都に帰り弘長2年(1262)90歳をもって亡くなられた。葬儀は三代顕智によって営まれたがその際遺歯9粒を携行して専修寺に帰りここに埋葬されたもので鎌倉時代中期の面影を残す廟所である。 廟所前掲示板より
御影堂前 冬の菩提樹
御影堂前 冬の菩提樹
残雪の専修寺
残雪の専修寺
鐘楼 裏の池
鐘楼 裏の池

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帰命無量寿如来 南無不可思議光 法蔵菩薩因位時 在世自在王佛所 
都見諸佛浄土因 国土人天之善悪 建立無上殊勝願 超発希有大弘誓