親鸞さんのあしあと
 

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高田山 専修寺
吉川英治の小説『親鸞』の最終章に出てくる高田山専修寺が近くにあります。少しでも親鸞聖人の歩かれたところを回ってみようかと思い錦鯉とは関係ないのですがページ増やしました。
 
親鸞聖人は、42歳ごろから約20年間、常陸の国を中心に関東各地を行脚して専修念仏を広められました。ここ下野の国(栃木県)高田の地に来られたのは聖人53歳のときであったと伝えられています。そしてこの地で多くの門弟が生まれ、それらの人々の懇望によって、一堂を建立し、長野の善光寺から一光三尊仏をお迎えして、本尊とせられました。これが専修寺の草創です。


三谷草庵 庫裡修復工事完了 1期工事
三谷草庵 庫裡修復工事完了 1期工事
専修寺 三谷草庵の庫裡 保存修理完了
修理工事が始まって約一年間時々現場を見てきたがついに完了しました。
4坪ぐらいの入口の土間兼台所と、やはり4坪ぐらいの囲炉裏のある部屋に押入、全部で10坪弱の小さな庵である。
 庭の隅に建てて、時々訪ねて来る共と囲炉裏を囲んで、鮎でも焼いて酒を酌み交わすのに最適な大きさだな〜と思って眺めていたら室内の掲示板に 今回の工事概要が記載された掲示板があった。
 なんと 総事業費 4430万円 国の補助金事業とは云え、坪単価 440万円 すごい。 さすが  財団法人 文化財建造物保存技術協会 の設計管理である。
 何でそんなにかかるのよ。 親鸞が知ったら嘆くことだろう。
三谷草庵第2期整備終了 2014年
三谷草庵第2期整備終了 2014年
国指定史跡・専修寺の「三谷草庵第2期整備事業」が終了し、仏堂や廊下などが復元された。 同事業では2004年度から2年計画で行われた第1期整備で庫裏などの解体、修理を実施。 計10年に及ぶ事業で、親鸞が仮住まいしたとされる貴重な歴史遺産が往時の姿を取り戻した。同寺と行政、地域が一体となったソフト面での活用法が注目される。 草庵は、高田の専修寺の南東約2キロにある飛び地境内で、鎌倉中期の1225(嘉禄元)年、同寺如来堂を建立する際、親鸞が仮住まいとしたと伝えられる。現在の草庵は江戸後期に名主や檀家らによって建築された。1967年、同寺とともに国の史跡に指定されている。 整備事業は、これまで数度の修理によって失われた建立当時の姿を忠実に再現しようと実施。親鸞の住居部分である庫裏の再建に続き行われた今回の第2期整備では、庫裏の東側に建つ仏堂と、庫裏と仏堂とをつなぐ廊下などを、10年度から4年かけて復元した。1900(明治33)年に描かれた「下野高田山名所図会」に従い、仏堂の向拝を撤去したほか、桟瓦の屋根をかやぶきに戻した。復元へ向け調査を進めていた茶室と門塀については整備を見送った。 整備費は国、県、市が助成し、第1期が約4400万円、第2期が約6700万円の計約1億1千万円。 下野新聞記事より
 
『下野高田山名所図会』
『下野高田山名所図会』
左隅の門塀は無いがほぼこの絵に近い雰囲気になった。 ただ草庵前の道を常陸の国に向かう旅人はいない。
ご開帳
ご開帳
2014年3月28日 一光三尊仏像参拝 
 17年に一度のご開帳 実際には今の暦的には次のご開帳は16年後となる。  以下下野新聞記事 
【真岡】親鸞ゆかりの国指定史跡高田山専修寺の本尊で17年に1度公開される「一光三尊仏像」のご開帳が、3月28〜30日の3日間に決まった。同仏像は鎌倉時代、親鸞が長野の善光寺から譲り受けたとされる。秘仏のため文化財等には指定されていないが、
市文化課は「国指定重要文化財級の仏像」としている。
 
 一光三尊仏像はインド、中国、百済を経て538年に日本に渡っり、
三国伝来の仏像としては日本最古とされる。善光寺に安置されていた同仏像を、
専修寺建築中の親鸞がもらい受け、本尊として安置したと伝えられている。
同仏像は銅製で中央に阿弥陀如来(高さ39・4センチ)、
脇侍として向かって右に観音(同27・9センチ)、左に勢至(同)の2菩薩が配置されている。
背後には1枚の光背が全体を覆っている。
 
 秘仏のため如来堂(国指定重文)の金庫に厳重に保管されており、
普段は模倣仏である「お前立像」しか参拝することができない。
17年に1度のご開帳は江戸中期から行われるようになった。同寺などよると、同仏像は津市の真宗高田派本山の意向や、秘仏という性格上、文化庁などの調査を受け入れていない。「お前立像」が県指定重文に指定されていることから、隠れた国指定重文とも言われている。
 
 同仏像は同寺で3日間ご開帳した後、本山に運ばれ2年間公開される。
同寺の鈴木明信輪番は「秘仏である本尊を3日間だけ見られる貴重な機会。
ぜひ参拝していただければ」と話している。問い合わせは同寺電話0285・75・0103。
ご開帳日の山門と如来堂
ご開帳日の山門と如来堂
専修寺のパンフレットにも記載されているが如来堂は確かに真宗の本堂としては やや異様な外観 神社建築に近いかな〜
 
般舟石
般舟石
はんじゅせき
 元仁2年 1225年 聖人がこの上で野宿されて 夢告を受けられた。
    白鷺の池のみぎりは
      一夜の柳枝青し
        般舟の岩磐の南には
          仏性国の種生いぬ

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帰命無量寿如来 南無不可思議光 法蔵菩薩因位時 在世自在王佛所 
都見諸佛浄土因 国土人天之善悪 建立無上殊勝願 超発希有大弘誓