親鸞さんのあしあと
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この高田山専修寺は 三重県津市一身田にある、真宗高田派の本山専修寺の旧地である。
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嘉禄元年(1225)阿弥陀如来の『親鸞よ、善光寺に来られよ』のお告げにより、善光寺に赴き一光三尊の金像を迎えた。
阿弥陀如来を真ん中にして、右に観音菩薩、左に勢至菩薩が一つの光背にくるまれているのが 一光三尊仏である
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親鸞は承元元年(1207)法難にあって越後国に配流されたが5年の後に罪を許されて関東に入り常陸国 稲田に滞在 布教のためこの地に巡錫されたとき大内氏一族の懇請によって一寺を作られたのが、専修寺の始まりと伝えられている。 信州善光寺感得の一光三尊仏を本尊としのち真仏(二代)さらに顕智(三代)にうけつがれ東国における初期真宗教団の根本道場として、隆盛をみるに至った。
寛正6年(1685)真慧(10代)は伊勢一身田に専修寺をつくり本山としたので以来この地は下野国旧本山と称されるようになった。 御影堂、釈迦堂等その大半は、江戸時代の再建にかかるものである。 後堀河天皇(第86代)勅願所としても世に知られている。
史跡専修寺境内 表示板 写
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総門と如来堂との軸線上に建っているこの楼門は、元禄年間(1688-1703)の建築である。
『高田山』の扁額は前天台座主一品公献親王の筆である。
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後堀河天皇(在位:1221-1232年 鎌倉時代、第86代天皇)から『専修阿弥陀寺』の勅号をいただき、屋根に菊の紋章が付いている
親鸞聖人の建立から2回建て替えられ、現在この御堂は元禄14年(1701)に再建されたものである。
屋上には菊の紋章が揚げられており、向拝の上に大きな千鳥破風があり、周囲に縁高欄を回すなど精巧をきわめ、元禄時代の特徴が良く現れている。
また礎石には巨大な自然石が用いられ、親鸞建立時のものと伝えられている。
この堂奥の金庫には善光寺伝来の一光三尊仏が秘仏として安置されており、17年に一回開扉されるが平素は御前立の三尊仏のみが拝される。 如来堂掲示板写
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この お堂は当地より300メートル南にありましたのを江戸時代に移築したお堂です。 南無太子2才像(県指定)を安置していましたが現在木像は本寺の御殿に安置されています。
太子堂掲示板写
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