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久喜市議会議員 いのまた和雄
市政報告『声と眼』309号
2006年 3月 6日
『声と眼』
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幸手総合病院の移転でJAに財政支援
久喜市は「40億円を負担」と回答

 幸手総合病院の移転問題で、JA埼玉県厚生連からの「50億円の財政支援」の要請に対して、2月28日、回答書を提出しました。
 27日には市議会全員協議会が開かれ、回答内容について、市長から説明がありました。

@JA厚生連から財政支援要請のあった1月以降、8回の協議をしてきた。
A病床数は192床(現在の幸手総合病院と同じ)
 診療科目は12科ー内科、小児科、外科、整形外科、脳神経外科、胃腸科、産婦人科、眼科、耳鼻科、泌尿器科、リハビリテーション科、麻酔科
 財政支援要請の時に予定していた、神経内科と皮膚科はなし。胃腸科と麻酔科が加わった。
B幸手総合病院の移転、新病院の建設費用の総事業費は、120億円。ー内訳は、用地費8億(4万u)、道路や下水道の周辺整備費5億、建物建設費60億(延べ床面積14000u)、医療機器47億円とされている。
C病院開設後の運営費や、将来の増床のための費用については支援を行わない。
D久喜市としては、この内、40億円を支援する。
 10年間の均等割で負担し、支援開始時期は、用地買収や開発行為の手続きが終了して着工が確実になった後、着工年度からとする。

 なお、市議会全員協議会で、市長が説明した後で、「この話は、28日の正式回答までは、この場だけにとどめて、公表を控えていただきたい」という「お願い」がありました。“明日までは外部に出さないでほしい”ということです。
−−私自身は、別にあえて宣伝して歩こうなどとも思ってはいませんでしたが、この「お願い」については違和感を感じました。
お願いに対して、私たち議員が「了解した」とかいうことにはなりませんが、市長がこのようなお願いをすること自体、きわめて奇異なことです。
なぜ秘密にしておかなければならないのか、外に漏らしたからといって支障が出てくることはないはずです。

「秘密」「箝口令」ではない!

 28日午前中の一般質問で、松村議員が総合病院移転問題について質問した際、部長が答弁の中で「10年間で40億円を支援したい」とこの中身の一部に触れたところ、新政議員団や公明党の議員から、「今の発言は取り消した方がいい」というヤジが飛びました。ーこの人たちは「箝口令」でもしかれていたと勘違いしていたのでしょうか。
 傍聴の市民も聞いていたのに、いったんしゃべった事実を取り消すことなどできません。支援内容について「市民には秘密」というような態度は、議員自身がみずからの活動をしばるものです。しかも、市民の重大関心事を「市長から頼まれたら、他に漏らさない」という姿勢は、はたして市民の方を向いて議員活動をしているのか、当局の方を向いているのか、議員の資質が問われます。
 民主主義に「箝口令」は似合いません。

★幸手総合病院の「久喜市への移転」は、幸手市民にとっては大問題。市長を先頭に「移転阻止対策委員会」も設置し、反対運動を進めている。話し合いは必要ないのか。★


2月定例市議会   いのまた和雄の一般質問

財政支援の範囲を確認

 私は3月1日の一般質問で、「財政支援」の内容についてただしました。
◆「開院後の運営費や増床の際の財政支援はしない。協定書などで確認していく」、
◆200床で病院経営が成り立つのかについては、「JA厚生連の自己責任で経営していただく」、
◆また、他の医療機関(病院)との均衡については、「地域医療体制を整備していくために久喜市が誘致するので、できる限りの負担はしていく」という答弁でした。

住民基本台帳の営利目的閲覧

 営利目的による住民基本台帳の大量閲覧が、全国で問題になっています。営利目的で住民のプライバシーを書き写し、ダイレクトメールや営業活動に使ったり、名簿自体が売買されたりしています。−久喜では、営利目的の大量閲覧は今年度は1月までに15件がありました。
 国は法改正で、公益目的以外は住民基本台帳の閲覧を原則禁止とする方向ですが、名簿自体が高く売れるため、今後、駆け込み的な大量閲覧が増えてくると危惧されます。
 すでに各地の自治体では、独自の条例や要綱で営利目的の大量閲覧を規制してます。
そこで久喜市としても、住民の個人情報を守るために、営利目的の大量閲覧を規制するよう求めました。
当局も、早急に要綱を改正して、「営利目的の閲覧」を禁止していく方針が明らかにされました。

 なお、選挙管理委員会で選挙人名簿を閲覧できますが、有権者自信の確認、候補者や政党・政治団体による選挙人の確認、報道機関や学術機関による調査などだけ認めています。

小学生の防犯ブザーの作動点検を

 教育委員会が市内の全小学生に防犯ブザーを貸与していますが、電池切れや故障などで作動しない例が出ています。そうした事例の実態をどう把握しているかを質問しました。教育委員会は、「学校ごとに定期的に点検しているが、実態は把握していない」、「今後は学校での定期的な作動点検をするよう指導していく」と答弁しました。
 なお、各小学校では12〜24個の防犯ブザーを備えていて、故障などの際に交換してくれます。  今年度からは貸与でなく、児童に交付することとし、電池切れの際は保護者の負担、故障や紛失の場合はこれまで通り学校で交換します。



ヤスクニ探検 その3

写真付き解説はこちらをご覧ください

日本軍の戦争レリーフと「母の像」

  拝殿に至るまでの3つの鳥居。第2の鳥居の手前の両側に、花崗岩の石灯籠が2つ、並んで置かれている。
高さ13m、「日本一」の大きさ」だという。
左は陸軍、右は海軍のものだ。戦前は靖国神社は陸軍省と海軍省の管轄であった。
さて、その石灯籠には戦闘場面の戦争絵画のレリーフがそれぞれ7枚ずつはめ込まれている。

 それらのレリーフはとにかく勇ましい。
たとえば海軍の方では、1894年の日清戦争、黄海海戦で日本の連合艦隊が勇ましく突き進んでいる場面、1904年の日露戦争、旅順港閉鎖作戦で軍神・広瀬中佐(『杉野はいずこ』の名場面)、1905年の日露戦争、日本海海戦で戦艦三笠の艦橋に立って指揮を執る東郷元帥。1937年の満州事変で蘇州爆撃の空中戦の場面もある。
 陸軍の方には、1905年の日露戦争で奉天の闘いに勝利して入城する場面、1932年の上海事変の「爆弾三勇士」…これは点火した爆薬筒を抱いて鉄条網に突入した3人の兵隊の自爆攻撃である。戦場で砲煙の中をかいくぐって負傷兵を助け出す従軍看護婦の活躍の場面もある。
 境内にある「特攻勇士の像」は宙を見据える少年兵である。
また、3人の幼子を連れた「母の像」はまさに“軍国の母”以外ではあるまい。
−−夫を奪われた妻が『この子らは立派な日本人に育てます。あなたと同じに国のために死なせますから見守っていてください』と祈る、−−それがヤスクニの教えだ。

 靖国神社はこれらのすべてを通して、戦争を讃える。
死者を顕彰し、「国=天皇のために死ぬことが忠義である」「勇敢に戦って潔く死ぬことが尊く美しい」と扇動する。
−−教育勅語は『一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以って天壌 無窮の皇運を扶翼すべし(万一危急の事態が起これば大義に基づいて一身を捧げて天皇と国家のためにつくせ)』と教えている。
ヤスクニはまさにその精神を体現したものに他ならない。
★靖国神社に行ったのは、今年の1月8日で4回目。今度は4月頃にまた行ってみたいと思っている。まだまだ確かめてみたいことがある。★

久喜市議会議員 いのまた和雄
市政報告『声と眼』308号
2006年2月20日
『声と眼』
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14日から2月定例市議会が開会

2006年度一般会計予算案と前年比
2006年度 2005年度 増減比(%)
総 額 185億6700万 182億2400万 + 1.9
収入 市税 106億3581万 101億4177万 + 4.9
地方譲与税 7億2364万 4億6500万 +55.6
地方消費税交付金 5億8000万 5億6000万 + 0.0
自動車取得税交付金 1億8500万 1億8000万 + 2.8
地方特例交付金 2億7400万 3億7460万 ▲ 26.9
地方交付税 9億0000万 9億5000万 ▲5.3
分担金・負担金 2億0819万 1億8894万 + 10.2
使用料・手数料 1億5230万 2億3313万 ▲ 34.7
国庫支出金 12億3612万 14億3422万 ▲ 13.8
県支出金 6億2485万 5億8011万 + 7.7
繰入金 8億1440万 5億3971万 + 50.9
繰越金 2億5000万 4億0000万 ▲37.5
諸収入 6億9318万 8億4426万 ▲17.9
市債 11億5930万 11億4860万 + 0.9
合計 185億6700万 182億2400万 + 1.9
  
支出 議会費 2億5175万 2億5117万 + 0.2
総務費 24億8435万 27億8512万 ▲ 1.0
民生費 53億4832万 53億4894万 ▲0.0
衛生費 16億9028万 16億1764万 + 4.5
農林水産業費 4億4192万 4億5946万 ▲3.8
商工費 9295万 1億1789万 ▲21.2
土木費 25億5114万 26億0223万 ▲2.0
消防費 9億0937万 8億9889万 + 1.2
教育費 23億7159万 19億9819万 + 18.7
公債費 23億1350万 22億9964万 + 0.6
合計 185億6700万 182億2400万 + 1.9
(約1億円以上の費目のみ、掲載しました。)

 新年度の主な新規事業は、
▲子ども医療費支給事業の拡大(1億2000万円。支給対象を、入院は従来の小学生から中学生まで、通院も4歳から就学前までに拡大。自己負担を廃止)、
▲久喜小、青毛小、中央幼稚園のアスベスト除去(7000万円)、
▲総合文化会館の空調設備補修(8700万円)…7月から9月まで休館、
▲青葉公園の公衆トイレ改修(2200万円)、
▲バリアフリーマップの作成、
▲市民参加条例、市民活動支援条例の策定など。

◆南中学校の校舎は耐力度調査で危険校舎と判定され、06〜07年度の2か年で改築します。全体事業費は約9億円。市では財政節約のために仮校舎を作らずに、現在の校舎の南側に新築する方針です。しかし南中PTAなどからは、『生徒の安全を優先し、まず仮校舎を作って、危険校舎から移動させるべき。市の計画では校庭が分割されることになって好ましくない』などと「現在の校舎位置に新校舎を建設してほしい」という陳情署名(7493名)が提出されています。
◆市長選挙で公約していた「小学校の警備員配置」は、警察官OBなどの「監視員」を非常勤の嘱託で委嘱し巡回してもらう方式になりました。
◆久喜宮代衛生組合の焼却炉は、毎年2億近くの補修費がかかっています。2年間で大改修し、特に2号炉はほとんどの装置を新設・更新・補修することになりました。(久喜市負担分11億6860万円)

行財政改革の取り組み

▲収入役を廃止(給与月額70万円。現在は10%カット)、
▲諸手数料の値上げ(印鑑証明、住民票
・戸籍の附票の写し交付、市税証明など、現在の150円→300円に。増収額1500万円)などを実施。
 なお、久喜市の貯金である「財政調整基金」について、昨年3月には、「05年度末で2億円を切り、ほとんどなくなる」と言っていたのに、結果的には年度末現在の基金残額は10置1814万円と逆に大きく増えていることがわかりました。−市は今度は、「06年度末には5億円くらいしか残らない」と言っていますが、『財政危機』というのは当局の常套文句のようです。


★格言好きの田中市長が施政方針演説で「志ある者は事竟に成る」と。これは「後漢書」。昨年9月の「急げ 静かに」の出典はいまだに不明だ。間違ったという説もある。★


「ヤスクニ」探検 その2

写真付き解説はこちらをご覧ください

大村益次郎の銅像は何を睨むか


 神社の入口には高さ25mの鳥居がそびえている。
1921(大8)年に建てられた頃は「日本一の大鳥居」だったが、今は日本一ではないらしい。

 大鳥居をくぐると、正面に大村益次郎の銅像(高さ12m)が立っている。
明治政府が「皇運の挽回」のために斃れた志士達を「国事殉難者」として祀るために、1869(明治2)年に「東京招魂社」を創建した。
その際に大村がこの場所を選定したといわれ、その功績を顕彰するためにこの銅像が立てられたという。
なお大村は同年、旧士族に襲われ死んでいる。
−−「靖国神社」と改称するのは1879(明12)年になってからである。

 大村益次郎は長州出身で、明治維新の官軍と幕府軍の戦い=戊辰戦争で、新政府軍を指揮して上野の山に陣取った彰義隊をアームストロング砲を撃ち込んで壊滅させた。
新政府で、「農兵論」つまり徴兵制を主張し、近代的軍隊の基礎を作った「日本陸軍の父」とされている。
−−今、大村の銅像は高い台座の上で、左手に双眼鏡を握って、北東の方向を睨んで立っている。
靖国神社から北東には何があるか。上野の山である。
つまり大村は頑強に抵抗する彰義隊を睨みつけているわけだ。
(一節には、維新後に明治政府に反乱を起こした西郷隆盛の銅像を睨んでいるのだともいう)。

実際、当初は、足元にアームストロング砲8門が置かれていたが、1943(昭18)年に取り外され、陸軍省に献納されたという。
おそらく鋳つぶして戦闘機か何かの材料とされたのだろう。

 この銅像が造られたのは1893(明26)年であるが、今に至るも、この靖国神社が祀るのは「天皇に忠義を尽くして斃れた人々の霊」であり、天皇に敵対した者は国家の敵として許さない、そうした確固としたヤスクニの思想を体現しているのが、この銅像なのである。

 明治維新で一方の主役であった西郷隆盛は、西南戦争で明治政府に敵対し、天皇に反逆した。
したがって、西郷は靖国に合祀されていない。
−−後に許されたものの、靖国の神々からは厳格に区別されて、本殿の北側にひっそりとある「鎮霊社」という小さな社に入れてもらっている。
鎮霊社は、神社の裏手に回ると高い鉄柵の外側から垣間見ることができるが、ほとんど人は来ない。
脇を通ってもほとんど気付く人はいない。

「慰霊の泉」の意味するもの

 大鳥居の右には「慰霊の泉」がある。
“戦場で水がなくて苦しんだ神様に豊かで清らかな水を捧げる”と書かれている。
これは、アジア各地の戦場で死んでいった兵士たちがどのように死んでいったかを、はからずも示してくれる。

 靖国神社が祀っている神々の内、「大東亜戦争」の死者は213万人という。
この内、アジア各地の戦場での、200万人余の兵士たちの「死」はどうだったか。
−−実はこれらの兵士たちの大部分は、直接の「戦闘」によって死んだのではない。
日本軍は食糧については基本的に現地調達だった。
勝っている内はよかっただろうが、開戦後わずか半年、1942年6月にはミッドウェー海戦の敗北で帝国連合艦隊が半壊滅状態となる。補給線も寸断された。
43年にはガダルカナル撤退。そして日本軍は各地の戦闘で敗北、玉砕、壊滅へ突き進む。
ジャングルの中を敗走していく兵士たちは食糧も水もなく、病気や負傷しても薬もない状態に追い込まれていった。
兵士たちは戦闘でよりも、飢餓と病気で多く死んでいった。
−−遊就館の「靖国の神々」の死者たちの写真に付された死因を見るがいい。
「戦死」と並んで「戦病死」「戦傷死」がいかに多いことか。
飢え死に、病気や負傷して置き去りにされて死んだ人々、あるいはその結果、自決した人々であっただろう。

そうした兵士たちに「豊かで清らかな水を捧げる」というこの泉のモニュメントは、まさに「慰霊」にふさわしい。
 靖国神社は、天皇の命令に従って死んだ人々を“英霊”として顕彰し、彼らを“国家のために犠牲になった者”ではなく、天皇のために命を捧げた英雄として誉め讃える機関である。
だから境内には“あの戦争は正しかった”“兵士たちは勇敢に戦った”というモニュメントや碑ばかりがたくさん置かれている。
−−その中でこの「泉」だけが、兵士たちを「慰霊」している唯一のモニュメントと言えるかもしれない。


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