書評;「 関東大震災」 18,02,02 明後日は立春だというのに、雪が降り、風は冷たく、気温は例年よりも低くて、いわば 厳冬の真っ最中である。”猫がこたつで丸くなる”こんな季節には、暖房を温かくして昼 寝をするか、日がな一日テレビを見るか、読書をするかしかやることはない。 読みかけの大佛次郎の「天皇の世紀」はなかなか読み進まないので、息抜きに吉村 昭の「関東大震災」(文春文庫)を読んだ。 吉村昭は、妻で作家の津村節子とのおしどり夫婦としても知られている。 津村節子は「玩具」で芥川賞を取ったが、それまでに吉村は4回も芥川賞候補になりな がら落選している。津村は傷心の夫を支え続け、吉村のガン発症後、死に至るまで献 身的な看病をしてその経過を作品に残している。 吉村昭の作品には、明治・大正・昭和に三陸地方を襲った大地震と大津波の被害を 丹念に描いた「三陸海岸大津波」という代表作があるが、「関東大震災」もこれに匹敵 する労作である。(書評;「三陸海岸大津波」参照) 黒部ダム建設を記録した「高熱墜道」もそうだが、現場を丹念に歩き、証言と史料を 周到に取材し、緻密に構成した記録文学であることが彼の作品の特色である。 死者20万人を出した関東大地震は、大正12年9月1日、午前11時58分に起きた。震 度7,9の激震が関東地方を襲った。建物の倒壊、多数の圧死者、直後に発生した大 火災は東京、横浜を包囲し、20万人というおびただしい死者を出した。 通信網が破壊され、一切の情報網が遮断されたことにより、様々な流言が飛び交い、 不安におののく民衆の暴動を呼び起こした。あげく朝鮮人の大量虐殺、官憲による社 会主義者大杉栄の殺害、報道機関の報道禁止などの社会不安が続いた。 吉村はこの小説で、地震、火災、人心の錯乱、復興、という4つのテーマについて、 他の作品同様に、丹念な調査・分析を行ない、生々しく描写している。 私の家内の父は東京の目白で育ったが、幼少のころこの震災を経験したので時々 体験談を聞かされたが、なかなか実感がわかなかったが、この小説を読んで初めて その聞きしに勝る凄まじさを知った。 吉村はこの小説で地震の周期説についても触れている。 東京帝国大学地震学主任教授の大森博士と同今村助教授の相異なる周期説を紹 介しているが、結局今村助教授が予測した通り、予兆となる微震の後に震度7,9の本 格的な激震が起き、さらに予言したように大火災が各地で発生した。最悪のシナリオ が起きてしまった。 現在でも地震の周期説には色々な学説があるようである。南関東では周期的に発生 する地震が2種類あって、70~80年に1回発生するM7クラスの直下型地震と、約200 年に1回発生するM8クラスの海溝型地震があるようだ。 現在の南関東の地震活動は後者の約200年間隔に合わせて変化しているとの説が 有力で、前回の活動期は関東大地震前の数十年間で、その後の現在までの数十年 間は静穏期ではないかとされている。 一方で、現在すでに活動期に入りつつあるとする考え方もある。南関東における地 震の周期的変化の特徴として、静穏期から活動期へと地震活動が増えるとともに、 発生する地震の規模が次第に大きくなることが挙げられるとしている。 南関東を襲った大地震の歴史を追うと、 ①1,615年の慶長地震M6,4、→1649年慶安地震M7,1 34年間 ②→1703年元禄大地震M8,2 54年間 ③→1855年安政地震M6,9 152年間 ④→1894年明治東京地震M7,0 39年間 ➄→1923年(大正12年)関東大震災M7,9 29年間 という推移になる。 最近の政府の地震調査委員会の推定では南関東の直下型地震の発生確率(M7 前後)は2007年~2036年の30年間で70%と非常に高い。関東大震災から今年まです でに95年も経過している。 地震も津波も噴火もいつ来るかの予測は極めて困難だ。最近の草津・本白根山の 水蒸気噴火も予兆が全くなく、気象庁が予測不能とお手上げの噴火だったが、3000 年ぶりの噴火だそうだ。もっとも宇宙規模の時間感覚でいえば3000年などは一瞬の 瞬きなのだが・・・。 日本は地震も噴火も多発する火の国、火山国だからいつ何時、M7クラスの地震が 襲ってきても不思議ではない。直近では関東大震災から平成23年(2011年)の震度 7,0の東日本大震災まで88年も経っている。 次に懸念されるのは南関東か東海地震か、いずれにせよ備えに万全の策などは ないが、せめて被害は最小限にとどめたいものだ。予測によれば想像もできないほ どの大きな被害が起きるようだ。国民はみなその時を想像するのが恐ろしくて、聞い て聞こえぬふりをしているだけだ。 なにせ地震が多発する地盤の脆い日本の国土の上に、次々と原発を建設し再稼 働させる能天気な日本なのだから、それも国民性なのだろう。 |