2001年(第8回)初めての私のさくら道
                               

【どうしてさくら道に?】

さくら道の存在はテレビ等で知っていましたが、レースの存在そのものは3年前のさくら道呼掛け人である海宝さんの宮が瀬の合宿の頃からではないかと思います。その後、合宿に続けて参加させて頂いていますが、その都度必ず自己紹介の時に出席者の大半から【さくら道】の話しが出てきて、その話しに出席者から感嘆の声や、笑い声、同感の声があがっていました。そのうち、出たことあるのでしょうとか、今度は出ませんかと誘われるようになりました。

ウルトラマラソンを始める時もそうでしたが、私には関係のない事であると思っていました。たまたま昨年の甲州夢街道の試走会に参加し、上の原駅でリタイアを余儀なくされ、自分の力のなさを痛感しました。しかし、甲州は甲州で今年の第1回の大会でお返しをしなくてはならないと考え、その前に【さくら道】を走ってみようかなと思ったわけです。

【さくら道までの半年間】

出場するには、先ずは楽しく、そして苦しまずに時間内にゴールしたいと思い半年前から準備を始めました。練習走行距離は11月459km、12月455km、1月200km、2月404km、3月508km、4月310kmでした。

12月31日から元旦にかけては茨城県鶴沼の世紀越えランで162km走りましたが、箱根駅伝の応援に行き、寒風の中にいたのが災いしてか風邪を引き1月は走行距離が伸びませんでした。そして、1月中旬の宮古島100km遠足は完走するのがやっとの状態でした。3月からは本格的な花粉症の時期でしたが、サングラスにマスク、それにウィンドブレーカーという怪しげな姿で練習に励み、3月中旬のお台場のチャリティランには6時間走、31日から4月1日は東京学芸大学の24時間実験ランに参加し、雨からみぞれ、雪に変わる中を走りきり、ゴアテックスの威力を知るとともに自信も芽生えてきました。

4月中旬に小田原〜箱根路〜足柄路60kmマラニックに参加した後は、疲れを抜いていくことと、ゆっくりジョグで調整に努めるとともに、鉄分やマルチビタミンを服用し体のバランスを計るようにしました。

【さくら道に対する私の思い】

さくら道だからといってもいつもより距離が長いだけですから、普段の生活の延長と考え気負わず、参加者やボランティアの皆様と交歓しながら、そして全てのエイドに立ち寄りそこで力を頂きながら感謝の気持ちを持って走ろうと思っていました。

また、沿道の景色や鳥や花々を愛でながら楽しく走ろう。蛭が野の分水嶺とはどういうところだろう。世界遺産の白川郷の合掌造りも見てみたいものだといろいろ興味や好奇心が涌き出てきて、事務局から頂いた地図を見るのも大変楽しく、いつのまにか初参加とか距離の不安は薄れていきました。


【さくら道:私の戦術】

出場するからには無理なく時間内完走をしたい。そのためにはどうすればいいかを考え、次のような大まかな戦術を立てました。

1.前半は抑える。自分のペースは断固守る。(他人の走りに惑わされない。)

2.100km地点には13時間を目安とする。

3.24時間で荘川桜の地点を越える。可能なら170km地点には達したい。

4.残り100kmは故障さえなければ、24時間以内で十分可能だろう。

5.行けるところまで行く。もし、睡魔に襲われ身の安全上危険と思ったらそこで休むことにする。


【さくら道:服装とバッグの中身】

ボランティアの方々のご協力はあるものの、初参加ということでエイドがどの辺りに設置されているのか、何が置かれているのか、また距離的な感覚もわからないので、N田さん、N江さん、N野さん、O浦さん等々の経験者に尋ねたり、Gさんから頂いたビデオテープを見たり、昨年の文集からヒントを頂いたりしました。

服装

上着:(ポリエステル製、長袖、胸から首までジッパーがあり、寒い時はタートル

    ネックになります。)

下着:(ロングスパッツ、その下にナイロン・ポリウレタン素材のボクサータイプのパンツ:

    ショートスパッツのようなものですが股ずれが防止できます。)

  靴下:(5本指ソックス)

 手袋:(指部分を切ったもの)

 帽子:(ナイロン製、帽子飛散防止クリップ、帽子の後ろに着脱日除け用布)

 靴 :(サッカニー3Dグリッド、普段より0.5cm大きめにしました。

     この靴は踵をしっかり支え、超長距離向きと思います。)

その他:(反射板付き安全対策用メッシュのベスト、安全対策用点滅器2ケ、

    日本手拭)

バッグの中身

ゴアテックス上下(ノースフェイス)、5本指靴下予備1、手袋予備1、

ビニールの薄い手袋1(雨対策)、事務局支給の地図、チェック表、バス時刻表、鉛筆(ゴ

ルフ用)(これらはチャック式ビニール袋に)、、小銭と札数千円はチャック式のビニール小袋に、免

許証・クレジットカード札数万円は別のチャック式のビニール小袋に、胃薬、塗り薬、バンドエ

イド、チタンテープ、インスタントカメラ、老眼鏡、ヘッドランプ(パナソニック)、予備電

池1、水(ペットボトル200cc)、マスク(トンネル排気ガス対策)、食料少々、ポ

ケットティッシュ  以上バッグを含めて重量2kgでした。

【さくら道 その前日 そしてスタート】

“ちっち”と新横浜駅につくとk田さんと出会い挨拶をしていますと、A尾さんらしき人がブースの中にいました。妻にA尾さん少し痩せたみたいだねと話しかけますが、妻は違うんじゃないという顔している。k角田さんとその人は13時55分の<ひかり>指定席へ、私達は自由席へ向かいました。

名古屋駅では京都のT村さん、アラスカでご一緒したT原さん、それに大阪のA倉さん、k原さん等と夕食を共にしました。

翌日、JRハイウェイバスの乗場にA尾さんの姿が見えました。すると昨日の人はと思っていますと、その人が「昨日はどうもT池です。」と挨拶されました。私も思わず「やあH切さんでしたね」とトンチンカンな挨拶をしてしまいました。「違います。Tイケです。でもT内、H池、H切、H、何故か良く間違えられるんですよ。」とあきれながら応えてくれました。

スタート地点ではS家さん、名古屋のT藤さん夫婦が応援にこられ、1週間前電話でいろいろ助言を頂いた福光のO浦さん、T田さん達と挨拶をしました。同じ町内の飲み仲間でもあるN野さんやH野さん、S藤親分の顔等見知った人も大勢見えました。S井さんの甲高い声がどこからか聞こえてきます。最近ではGさん、S井さん、N野さんが三大ボイス(ボーイズではありません。皆さんオジさんですから。)といわれるそうですが...。M岡S子さんと鯖街道の宿の話をしているうちにスタートになってしまいました。

【一宮裁判所から美濃市役所】

小雨降る中、ゆっくりとスタートしましたが、“ちっち”の姿は既にはるかかなたになっています。いつもの彼女の走りで後でばててくるだろう。温度は15〜6度くらいだろうか30分も走ればすっかり暖かくなり、雨もほとんど上がったみたいなので、信号待ちの間にゴアテックスを脱ぎ軽快な姿になりました。

N崎さん夫婦はこの辺りでは一緒に走っていました。大阪のM利さんと話していると昨年の鯖街道でO村さんと一緒に写真を撮ってあげた人だと分かりました。M田さんが横を走っていくので「凄いね。ネイチュア走ったばかりだのに。」と言いますとあの人懐っこい笑顔を返してきました。そういえばO村さんもネイチュアを走り、さくら道が終わると萩往還だから怪物のような人がいるものだと感心したというより呆れてしまいました。

一宮裁判所前には10時10分に着きました。ここで“ちっち”に追いつき私を真中にして”ちっち”とボランティアをされているG藤N美さんを両脇に記念写真を撮りました。

コンビニで昼食を摂っているT永さんや、エイドでお喋りしているT南さんに追いつき、エイドをされているN島さんご夫婦、S本さんにはビールを頂き、H中さんにはうどんをご馳走になり肩を抱き合って記念写真を撮りました。

S本さんとは6年前の野辺山でのウルトラマラソンセミナーでご一緒(それも私の隣の席だった。)し、昨年の甲州夢街道でもエイドを出されお世話になっているのに、つい最近まで気がつきませんでした。

H中さんとは昨年アラスカでオーロラを見た翌日100kmを走り、彼女は女性でトップであったにもかかわらず2位だと思っていました。それは私がオレンジのベストを着て、かわいいポニーテイルをして彼女の前を走っていたからでした。

美濃市役所前には15時11分に到着し、先行していたO川さんと写真を撮りました。

【郡上八幡駅前〜佐藤良二さん顕彰碑〜ひるがの分水嶺】

途中、長良川の空中を泳いでいる鯉のぼりを撮り、T葉さんに追いつき、T内さんとソフトクリームを食べたりしながら、美並村へ。道路脇の温度計が午後5時22分で太陽が山に隠れているというのに23度を表示していました。

この辺りで快調に走っているランナーがいるので、後ろにつかしてもらい話しかけると、沖縄のM城さんという方で昨年完走しているだけあって、「郡上八幡の駅は旧道を通るのですよ。」と親切に教えてくれました。郡上八幡の駅には19時12分と予定通りのペースでした。

駅から2km先のエイドにはGさんがビデオを構えて待っていました。Gさんには昨年のビデオを送っていただき、妻と何度も見て予習をさせて頂き大いに参考になりました。Gさんありがとうございました。

この時点で、T代さん、O浦さんがまだ見えてなく、「おかしいなあ、チェックミスじゃないの」と言う声が聞こえてきました。

この後、高松のN村さんとも前後しながら走り、佐藤良二さんの顕彰碑には22時47分に着き、顕彰碑に敬礼をし、呼掛け人の一人である酒井さんと一緒に写真を撮らして頂きました。

佐藤さんの民宿ではしし鍋を大変美味しく頂き、力がみなぎってきました。ここでゴアテックスに着替えM城さん、N村さんと一緒に出たのですが、途中トイレに入っているうちにすっかり離されてしまいました。

その内休憩しているN村さんに追いつき、地図で指定された旧道を走っていますと、別のランナーが昨年はこちらを走ったと全く別のコースに入りましたが、しばらくして間違いに気付き正規のルートに戻りました。海宝さんなら「モウケマシタネ!」と言われることでしょうね。

いよいよ蛭が野の上りに入りますが、ここはすべて歩きと決めていましたので、もくもくと歩いていますと、A倉さんが元気良く走っていきます。駒が滝を過ぎると霧で覆われた分水嶺のエイドですが、ここには日にちが変わり5月1日3時15分に着きました。温度は例年より暖かく5〜6度あったそうです。

膝の調子が悪く、ボランティアに回られたO川さんが温かいうどんを作ってくれました。O川さんとも野辺山のセミナー仲間ですが、第2回野辺山で馬越峠を汗をたらし下を向いて上っていますと「福井さんじゃないの?」と優しく声を掛けてくれましたが、峠を下りてから軽快に去って行った後姿をよく覚えています。

【荘川桜〜御母衣ダム〜白川郷分岐】

分水嶺から下っている内に、段々と明るくなりまた中村さんと走っていました。荘川桜には5時25分に着き予定通りのペースです。海宝さん、T山さん、Mミさん、T口さん母娘達が待っていてくれました。

N野さん、G藤さんも一足先にきて、腹ごしらえをしていました。カレーライスが美味しく、それをツマミにビールを飲んでいますと、奥の方からN村さんが「俺にもよこせ!」と騒いでいます。海宝さん手作りの肉の味噌漬けも美味しかったなあ。

御母衣ダムには6時43分、24時間経った7時の段階で165km到達していますから当初の予定通りのペースといえるでしょう。残り100kmを24時間でいけばいいわけですから荘川桜に着いた時、故障さえなければ時間内完走を確信していました。

電発のエイドで餅をご馳走になり、しばらく走り、夜も明けたのでゴアテックスを脱いでいると、M城さんが追いついてきました。

白川郷の分岐には9時16分に着き、合掌造りの前で写真を撮りましたが、テレビや雑誌等で見る人里離れた奥深い合掌造りの家々の印象は土産物屋と観光客の姿に無残にも壊されて行きました。でもこれらを維持したり生活をしていくには仕方のないことでしょうね。

【下梨〜福光橋】

白川郷からの飯島トンネル(1,873m)、新内戸トンネル(1,322m)は実に怖いトンネルでした。車は轟音をあげて突っ走りますし、排気ガスもひどく、狭い歩道もぬかるんでおり外の光りが見えた時にはホッとしました。トンネルを出てしばらくすると農家のおばさんに水を頂きました。後ろを振り返ると仙台のMさんが走ってきて汚れたシューズをここで洗いました。

これから先は橋を渡るごとに県が入れ替わります。ある橋のふもとでA尾さんが休憩していました。声を掛けて橋を渡っていますと向こう側にエイドが見えるじゃないですか。「A尾さ〜ん。エイドがありますよ。」と叫ぶと、スックと立ち上がり走ってきました。

エイドで水と食べ物をいただきますと「1km先に半額で食事が出来るところがあるよ。」と言われましたが、M城さん、Mさんの3人で蕎麦屋に入り月見うどんを注文しました。

下梨のエイドが近づいた頃、上の方から大きな誰かを呼ぶ声が聞こえましたが、なんだろうねと言いながら下梨エイドに14時40分に着きました。後で分かったのですがあの大きな声はN野さんが下を走る私を見つけ呼んだ声だったのです。

下梨エイドの豆腐とトマトがとても美味しかった。

ここからの上りは全て歩き、梨谷トンネル(812m)を通過し、いよいよ五箇山トンネル(3,072m)へ。しかし、予想していたよりはるかに綺麗で歩道もそれほど狭くなく、交通量も少なく走り易かったと思います。トンネルを出たところでMミさんがまたまた待っていてくれました。1kmほど走って行くと地元の青年3人のエイドがあり、ここでも水を頂きました。

城端を経て福光町の走友会ランナーズフェニックスのエイドがありました。ここでM城さんが「股ズレを治療するので先に行ってください。」というので「じゃあゆっくり先に行ってます。」と先に行かせてもらい福光橋の坂上松華堂には17時57分に着きました。ところが驚くことにT村さんがここで出迎えてくれたのです。彼は途中でお腹をこわし、さくら道を何度か走っているうちに松華堂のお母さんと親しくなり、ここへ直行したそうです。

O浦さんはもう行きましたかと尋ねると、まだとの返事、体調でもおかしくなったのかなと気にはなるものの、どうしょうもないので先に行こうとするとお母さんが「2つ目の信号の先を右に行ってください。」と言ってくれました。

ここで再びMさんと一緒になり、先に進みますが都会と違って2つ目の信号まで6〜700mもありました。Mさんは一昨年出場されましたが途中リタイアなので地理が良く分からないといいます。私も初参加ですから「のんびり行きましょう。」と話をしながら歩いていると突然車が止まり女性が駆け寄ってくるではありませんか。

それはなんと“ちっち”ではないですか。白川郷まで行ったが時間内は難しそうなので、リタイアしたランナーと一緒にヒッチハイクで福光町のフェニックスのエイドに来ますと17時20分に私が到着しているので追いかけてきたと言います。

「のんびり行くので0時を過ぎるかも知れないよ。」と応えると彼女は車に乗ってルネスに行ってしまいましたが、後日、「あの時降りて一緒に行けば良かった。」と何度もこぼしました。そうすれば、この直後に起こる私に対する不愉快な事も別の展開になっていたのではないかと言うのです。

【謂れのない批判を受ける】

ちっち”と別れ、500m程歩いた所で2人のランナーが休憩しているように見えました。通り過ぎようとしますと、その内の1人が「M城さんを置いてきたの?彼は道が分からないよ。」と言いますので、何を言っているのだと思いましたが「彼は股ズレの治療をするので先に行ってくれ。と言うことですし、それに彼は昨年完走していますよ。」と応えますと、そのランナーは「完走しているといっても、人の後について行っただけで道は分からないよ。」と言います。私が「私は初参加なんですよ。でもこの地図がありますから1人でゴールまで行けますよ。それに自己責任が原則ですよ。」と言っても、納得した様子でもないので、ここで議論をしても仕方ないので「私が待ちますから、こちらのMさんと一緒に先に行って下さい。」とここでの話にケリをつけました。

彼らは私を残し赤い点滅灯をチカチカさせながら去って行きやがて見えなくなりました。待っている間に汗が冷め急に体中がガタガタとし始め、震える手でゴアテックスを取りだし30分ほど足踏みをしていました。

すると暗がりから見覚えのある長身のN村さんの姿が見え、もう1人彼の体に隠れるように見える者がいますので「M城さんはいる?」と呼びかけますと、「は〜い」と返事がきました。私のこの時は「遅かりしや」の心境でした。

2人とも股ズレに悩まされ、N村さんは足の裏一面にマメができひどい状態になっているそうで薬局に入り治療をしてきたそうです。

【石川県境〜兼六園・佐藤桜〜ゴール】

そうこうしているうちに石川県境には21時21分に着きました。福光橋から県境までの10kmに3時間24分もかかり、1時間に3kmも進んでいないのは先ほどの事情があったわけです。しかし、県境から森本までの約10kmほど、N村さんは足裏にマメができ痛い筈なのに愚痴もこぼさずこちらが小走りしないと間に合わないほど速歩で歩き続けました。

森本の手前で酒井さんの妹さんや地元の方々10数人が出迎えてくれました。さあ次は兼六園ですが速歩はきつかったようです。N村さんからは「先に行ってください。」と何度も言われましたが、ここまできたら一緒にゴールしましょうと、M城さんも力を十分余していましたが一緒に歩いて行くことにしました。

兼六園へは5月2日1時6分と3日目になってしまいました。

兼六園の手前で、これまた足裏にマメができ苦しんでいたT池さんと合流しましたが、特にニ口町の交差点からゴールのルネス金沢までは亀の歩みになってしまい、二口から本部に「もうすぐゴールしますよ。」と連絡が入っても全く姿が見えず、“ちっち”も途中まで出迎えに来たものの諦めて引き返したそうです。

しかし、私、M城さん、N村さん、T池さんの4人揃って手をつないで5月2日午前3時15分(44時間15分)ゴールテープを切り時間内完走を果たしました。

【ゴール時の心境と反省】

初参加で感激のゴールの筈でしたが、感動よりも先ほどの不愉快な事が頭から離れずモヤッとしたものが残ったままでした。十分に余力を残してのゴールであったこともあり不完全燃焼で終わったという思いもあります。

また、ゴールまで一緒に行きましょうと言ったのは私ですが、この事が足の痛いN村さんにプレッシャーをかけたのではないかと思います。また、M城さんは余力が十分あり、ゴールまでのタイムも3時間ほどは短縮できた筈だと思います。これも、彼が走れるのに「ここまで来たら一緒にゴールしましょう。」と言った事が、彼にブレーキをかけさせ彼もまた不完全燃焼ではなかったかと思っています。

私のチェック表

チェックポイント

累計距離

到着時間

累計時間

ポイント間距離

ポイント間時間

平均距離/H

JR東海バス

0km

30日 7:00

0

0km

0

0km

一宮裁判所前

27.3km

10:10

3:10

27.3km

3:10

8.621km

美濃市役所前

66.4km

15:11

8:11

39.1km

5:01

7.794km

郡上八幡駅前

95.5km  

19:12

12:12

29.1km

4:01

7.244km

佐藤さん顕彰碑

116.2km

22:47

15:47

20.7km

3:35

5.776km

ひるがの分水嶺

139.6km

1  3:15

20:15

23.4km

4:28

5.238km

荘川桜

154.7km

5:25

22:15

15.1km

2:00

7.550km

御母衣ダム

163.0km

6:43

23:43

8.3km

1:28

5.659km

白川郷分岐

179.7km

9:16

26:16

16.7km

2:33

6.549km

下梨

209.7km

14:40

31:40

30.0km

5:24

5.555km

福光橋

231.7km

17:57

34:57

22.0km

3:17

6.700km

石川県

241.7km

21:21

38:21

10.0km

3:24

2.941km

兼六園・佐藤桜

259.3km

2  1:06

42:06

17.6km

3:45

4.693km

ルネス金沢

266.0km

3:15

44:15

6.7km

2:09

3.116km

合   計

266.0km

44:15

6.011km

【さくら道 帰路の車中で】

金沢で1〜2泊と思っていましたが、N野T枝さんが越後湯沢経由で帰るというので、ご一緒することにしました。T田さんご夫妻、K本さん、U山さんと同じ席を取り、早速ビールで乾杯です。ウルトラマラソンについて和気藹々と楽しく語らいながらも酔っ払ってしまい、皆さんとは越後湯沢で乗り換えの時はぐれてしまいました。

しかし、こういう時間がまた楽しからずやですね。(了)