2002年(第9回)私のさくら道

          

【2度目のさくら道へ】

初参加であった2001年は44時間15分で完走したものの若干不完全燃焼であったという思いがあり、2002年度の要綱が届くなり、翌朝、“ちっち”の申込書も一緒に海宝さんの自宅の郵便受箱に走って行って届けました。何せ先着順にですからぐずぐずしていたら参加できなくなりますから。しかし、“ちっち“は昨年11月足首靭帯損傷のため結局はキャンセルせざるを得ませんでしたが。

【さくら道までの半年間】

昨年と同じように参加するには、まずは楽しく、そして苦しまずに時間内にゴールしたいと思い、判年前から準備を始めました。練習走行距離は11月501km、12月470km、1月521km、2月484km、3月602km、4月はさくら道直前で288kmでした。

11月はトランスエゾトライアルである2泊3日東京湾1周186kmに参加し、3月は同じく東京湾1周(房総編)3泊4日267kmに参加しました。このときは4日間視覚障害者の伴走をさせて頂ましたが何か自信がついた気がしました。

4月中旬に小田原〜箱根〜足柄60kmマラニックに参加し最終調整を行った後はゆっくりジョグで調整に努めるとともに疲れを抜いていきました。

所持品も昨年の経験とメモから、余り悩まずにすみました。ただ、ウインドベレーカーだけは寒がりなのでゴアテックスの最軽量なものを新たに買ってしまいました。

【前日そしてスタート】

前日の4月27日、新横浜駅で13:53のひかりに乗り込みますと、さくら道初挑戦のカニ氏が東京駅から席を取って待っていてくれました。早速持ち込んだビールで前祝の乾杯、名古屋駅につくころにはいい気分になっていました。インターネットで検索し、税込み4,100円という格安の部屋(チサンホテル)に泊りましたが、深夜まで廊下の話し声やドアの明け閉めがうるさく、羊さんがいっぱい出てきて遊んでいましたが、気がつけばいつの間にか気象に時間になっていました。カニ氏も「一睡もできなかったよ。」とぼやきながら部屋から出てきました。

スタート地点ではN野、氏H氏、巨人軍団のS親分、大阪のO津氏、O村さん、まっちゃん&Wanda、京都のT村氏、福光のO浦氏、千葉のワニさん、サメさん夫婦、G峰氏をはじめとする陸蒸の面々等と挨拶をしたり、話をしたり、写真を撮ったり、また、韓国からの6人の参加者が気勢を上げていました。そうこうしているうちにスタートになってしまいました。

【一宮裁判所まで:N野氏との併走が失敗?】

最前列に陣取っていたものですからJRバス東海営業所をスタートするときは前には誰もいません。ホンの20〜30mトップをとりました。スタート時からN野氏と併走、彼は今年2度目のギリシアのスパルタスロンに出場予定で昨年の雪辱を期し「レースモードで行くから。」と言っていました。

5分30秒から5分45秒のペースで少し速いかなと思いましたが、昨年の蒸し暑さと違い大変走り易かったのでそのままついていきました。富山福光町のO浦さんが調子が今ひとつといいながらも追い抜いていきました。後方から勧告の二人連れが大声で道行く人に「グッドモーニング」とか「アンニョン×△×?」とか挨拶を送っていましたが、あの元気がどこまで持つだろうかねと話しながら我々も快調でした。

一宮裁判所には2時間33分でつきましたから、1km5分36秒平均ですから堂考えても速過ぎますので、ここが思案のしどころと思いながら水を飲んでいますと、N野氏は既に道の向こう側を走り去っていました。ばらく、一人旅になりましたが、50kmのH中エイドでH中さんと1年ぶりの対面です。彼女は昨年2度目のアラスカを楽しみにしていましたが、9月13日出発の予定がその直前の9月11日のニューヨークにおける同時多発テロの影響で飛行機が前面ストップになりツアーそのものが消滅してしまいました。

美並あたりのエイドでしたか、名古屋のA井氏の奥さんにお会いしました。「旦那さん、ランアクロスアメリカ大変ですよね。」と話しかけますと、横から同じくランアクロスを走る名古屋のK氏が「旦那は走るだけで大変なのは奥さんの方だよ。」といいました。確かにおっしゃるとおりです。

【郡上八幡駅前〜N野氏倒れる ひるがの分水嶺へ〜S田氏崖下へ転落】

美濃市役所を少し過ぎたあたりから大阪のO坂氏と一緒になりました。彼は昨年のしまなみ海道を8時間30分台でゴールしたつわもの、どうのこうのと雑談しながら走っていますと、ウルトラの女王k村さんが追い越して行きました。彼はオッと声を発し愚かにも彼女の後を追いかけて行きました。

郡上八幡駅には17時55分に着きました。昨年は沖縄のM城氏に駅を通るなら旧道を通らないといけないのですよと教えられ、その時はすでに暗くなっていましたが、今年は明るいうちに通過することができました。郡上八幡のエイドでG氏、E川さんに出会えるのを楽しみにしていましたが今年はまだ来ていないようでした。

暫く走っていると薄暗くなってきました。道路の右側に誰か横たわっており、スタッフの方が2名ほど立っていました。「大丈夫ですか。」と声をかけますと、そのスタッフの方が「大丈夫ですよ。」と応えますので、そのまま20〜30m走っていきましたが、横たわっている人のユニフォームにどうも見覚えがあるではないですか。もしやと思い引き返すとナントあのN野氏。「どうしたの?」と呼びかけますと「郡上八幡までは調子が良かったんだけど...。少し休んだら時間内完走を目指すよ。」と、案外元気そうな声でしたので、「じゃあ先に行くね。」とその場を去りました。

100km地点で11時間30分、やはり少し速いなあ、これでは後で付けがまわってくるかもしれないぞと思いましたが、まあいいや行けるところまで行くかと自分に言い聞かせました。

そのうち、S田氏と一緒になり、佐藤さんの顕彰碑から公民館のエイドを過ぎ、とりめもなおいことを話しながらひるがの分水嶺を目指しました。

「親分今度はサロマンブルー大丈夫でしょう?聞くところによるとコソッと行きたいらしいですね。」「いやあ実は二人で緑館に泊るんですよ。一緒に行ってくれっつて頼まれてね。」「三度目の正直って言いますからね。」「カイホーさんが親分を見つけたら大声で応援するって言ってましたよ。」「あのパラソルを被っていたら誤魔化しようがないですよね。」「ウヒャウヒャ」とかなんとか...。

上りがきつくなるとお互いに自然に無口になり、黙々と歩いていますと、突然後方で「ウワア〜ッ!」と叫び声がしました。振り向くといる筈のS田氏が忽然と消え失せています。すると地の底から「イテエ〜」と悲鳴が聞こえてきました。

彼はついうとうとして崖下に転落したのでした。幸いたいしたこともなかったのですが、少し先に急な谷がありましたので、底でしたら大変なことになっていました。

【荘川桜〜御母衣ダム〜白川郷分岐 まだまだ元気】

 分水嶺には日にちが変わり29日午前1時23分、ここで温かいうどん2杯をご馳走になり荘川桜まで一気に行きました。荘川桜には午前3時34分に着きました。昨年に比べて2時間も早い到着です。今年の荘川桜は満開だということでしたが暗くてよく分かりませんでした。

 ここでS田氏がリタイア宣言、周りから「こんなに早くついて何がリタイアだ。早く行かんかい!オイ!コラッ!」と責められて。この後9回連続を目指す名古屋のk澤氏にも攻められたそうでついに陥落、結局k澤氏と一緒にゴールに入っています。

御母衣ダムを過ぎ、電発のエイドでk本氏が追いついてきました。彼は昨年時間外でゴールにようやく辿り着きましたが、今年は練習も積み元来の実力を遺憾なく発揮し37時間23分総合5位でゴールしました。

 24時間経過した時点では白川郷分岐3.5km手前の野谷橋176kmでしたのでほぼ予定通りです。白川郷の分岐には午前7時28分に着きました。昨年は観光客を多く見かけましたが、今年はまだ時間的に早いので人も少なく、ゆっくりと合掌造りの家々を見学しながらここを通りました。

【〜下梨〜福光橋 だんだん疲れが出てきましたね】

 地図を見てふらふら歩いていると宇都宮のH氏が「福井さん!こっちだよ。」と呼んでくれました。私は、「道の駅に寄っていきますから。」と応えて白川の道の駅に入りましたが、まだ開店準備中でした。時間の観念がおかしくなり、腹が減ったのでお昼と勘違いをしてしまいました。

白川郷からの飯島トンネル(1,873m)、新内戸トンネル(1,322m)を抜け、橋が変わる毎に県が入れ替わる飛越七橋から道の駅【ささら館】までが結構きつかったですね。【ささら館】の中華食堂でラーメンを食べましたが、栃餅のサービスがつき300円でした。確か600円じゃなかったなあと思いましたが、疲れているからだと勝手に納得しました。後で豆腐定食を食べた人からランナーは半額サービスであったことを知り豆腐定食にすればよかったと思いました。

 ここから下梨のエイドまで暑くてきつかったのですが、下梨でM内さんから食べ物と水をもらい元気を頂きました。

下梨のエイドから梨谷トンネルの上りがまたきつく、よろよろとようやく歩いていますとノーテンキのG藤さんがスタコラ走っていきます。彼はどうも不思議な人でいつも前を走っているはずなのにいつの間にか後ろからやってくるのです。

五箇山トンネル(3,072m)に入り、少し眠くなりとぼとぼ歩道を歩いていますと、H倉氏たちが追いにいて行きますので、その後ろにつきトンネルを抜けました。

福光の松華堂では京都のT村氏と名古屋のk松さんが迎えてくれ、K松さんの飲みかけのビールが特に美味でした。よし!また元気が出てきたぞ。

【石川県境〜兼六園・佐藤桜〜ゴール 最後の踏ん張りだ!ガンバ!】

 石川県境までしばらく上りが続きますが、また後ろからG藤氏が快調に走り去って行きます。県境には午後6時49分、少し薄暗くなってきました。

 森本の交差点手前約2km地点でゴールまで15km余り、40時間を切るには残り2時間20分ほど。私にとって決して余裕のある時間ではありませんでしたので、前を走っていたH倉氏を追い越し一気に森本の交差点まで行きました。交差点お少し先で酒井さんの妹さんがエイドを出されており、温かいお茶と笹寿司を頂きました。

私が「40時間を切るには余り余裕がないですね。」と言いますと、H倉氏「が十分ですよ。0時までだから。」と応えますので、「7時間門ですから午後11時までですよ。」と言いますと「本当だ。ストレッチしてからいきますか。」と。

 ここで正座して太腿の筋肉を伸ばしていますと、H倉氏が「 若い人は柔らかいから。私はできないですよ。」と言いますので、私が「そんなに差はないでしょう。」と応えましたが、後で名簿を見て確認しますと私がお兄さんじゃないですか。H倉さん!

兼六園の入口まで6km、H倉氏が先導し、点滅する信号もなんのその、一度も歩かず休まずまさに一気に。時計で確認しましたらなんと30分でこの距離をこなしました。250Kッも走ってまだこんなに力が残っていたのかと我ながら感心し驚きました。しかし、この間は長かったですね。去年はすべて歩きましたが、こんなに長い感覚じゃなかったですね。

兼六園からは時間が十分ありましたので、チンタラチンタラ走り二口の交差点にくると、S家氏が通過ランナーノチェックをしていました。彼に「秋になったら大島に遊びに行こうね。」とか「ビールはないの?」と話をしているうちにH倉氏ははるか彼方去っていきました。S家氏は携帯のメールで逐一情報を門氏のホームページに流していましたので、私が帰宅したら“ちっち”の方が全体の情報をインターネットで良く掴んでいました。

この二口の交差点からゴールまでがまた長かったですね。一本道の筈ですがもしかしたら間違えているんじゃないかと不安になりましたが午後10時48分、スタートして39時間48分でゴールに着き、目標にしていた【40時間切り】を達成することができました。

  最後になりましたが、スタッフ、ボランティアの方々、そして参加者の皆様本当にありがとうございました。皆々様のお陰で楽しく走ることができました。
 心からお礼申し上げます。

私のチェック表

チェックポイント

累計距離

到着時間

累計時間

ポイント間距離

ポイント間時間

平均距離/H

JR東海バス

0km

28日7:00

0km

0km

一宮裁判所前

27.3km

9:33

2:33

27.3km

2:33

10.706km

美濃市役所前

66.4km

14:00

7:00

39.1km

4:27

8.787km

郡上八幡駅前

95.5km

17:55

10:55

29.1km

3:55

7.430km

佐藤さん顕彰碑

116.2Km

21:04

14:04

20.7km

3:09

6.571km

ひるがの分水嶺

139.6km

29日1:23

18:23

23.4kn

4:19

5.420km

荘 川 桜

154.7km

3:34

20:34

15.1km

2:11

6.916km

御母衣ダム

163.0km

4:50

21:50

8.3km

1:16

6.552km

白川郷分岐

179.7km

7:28

24:28

16.7km

2:38

6.371km

下梨

209.7km

13:05

30:05

30.0km

5:47

5.181km

福光橋

231.7km

16:49

33:49

22.0km

3:44

5.892km

石川県境

241.7km

18:49

35:49

10.0km

2:00

5.000km

兼六園・佐藤桜

259.3km

21:21

38:21

17.6km

2:32

6.947km

ルネス金沢

266.0km

22:48

39:48

6.7km

1:27

4.620km

合    計

266.0km

39:48

6.683km