1回アラスカオーロラ100キロウルトラマラソン完走記


【チェナホットスプリングスへ】

アラスカはアメリカ合衆国49番目の州、日本の国土の4倍、人口は61万人余り、そして第2の都市フェアバンクスはアラスカの中央部に位置し、人口8万1千人、そのフェアバンクスから東へ約100kmのチェナホットスプリングスが今回の大会のスタート地点です。

シアトル経由でフェアバンクスに着いたのが2000年9月13日の23時過ぎ、早速バスで近くの24時間営業のスーパーマーケットでビール(但し、酒類は州の条例で0時までの販売です。)、カップヌードル、果物等食料を買い込みチェナに着いたのが翌朝の1時近くになっていました。

このチェナはホテルの従業員以外の居住者と言えば、ムースやグリズリー等の動物だけだそうで、周辺は小高い山が連なり、黄葉した白樺林で埋め尽くされ、遠方には白雪をいただいた山々が見えています。

ホテルの施設は岩風呂、プール、ジャグジー、オーロラ観測所の他はレストランと小さな売店があるだけです。

【オーロラが出たよ!】

今回のもう一つの大きな目的は、オーロラを見ることでした。

運が良ければ初日から拝めるかなと思い、7〜8人の仲間と酒を飲みながら、時々窓越しに空を仰いで出現を待っていましたが、途中で海宝さんが「岩風呂には入っていたらムースの親子が来たよ。」と言いながら出現、明け方の4時半まで歓談しながら待ちましたが結局この日は不発でした。

翌日からはホテル周辺のトレイルランやセスナで観光にとそれぞれ自由行動を楽しみ、午後の8時ころまでは白夜のため戸外で本が読めるほど明るいので、オーロラ観測は暗くなるのを心待ちにして上空を仰ぎ見るも2日目も天候にも災いされその片鱗も見ることはできませんでした。

そしてチェナ最後の夜、あきらめ気分で翌日のレースに備えてベッドに入ったところ、11時過ぎに《オーロラが出たよ!》の声、全員が一斉にそれっと飛び起き戸外に出ますと歓声の中、空から陽炎のようにゆれながらオーロラが降り注いで来ました。

 

【いよいよスタート】

結局ほとんど睡眠をとらずに午前2時起床、朝食は用意してくれたおにぎりと味噌汁とバナナをしっかりと胃袋に詰め、ホテルの入口のスタート地点に集合しました。

アラスカということで全員が手袋、ロングシャツ、ロングパンツにウィンドブレカーと寒さ対策は万全、中にはホカロンを腰に入れている人もいました。

この時の気温は零下4度、水溜りには氷、無風、晴天と絶好のコンディション、北斗七星等きらめく無数の星と月、オーロラを頭上に戴きながら9月16日午前4時フェアバンクスに向かって一斉にスタートしました。

月が出ているといっても暗く、時折行き交う車から身を守るため、体の前後に赤い点滅灯をチカチカさせながら早朝の集団ランニングはどうみても異常とういうか異様というか近くの民家から犬ゾリの犬たちが一斉に激しく吠え立ててきます。

【冷たい水の中へ】

最初のエイドステーションは10km地点に設置されており、若い女性のボランティアが2人、早朝のボランティアのため、前夜はほとんど眠らず車を飛ばしてかけつけヘッドライトを点けて待ってくれていました。ここで、ボトルに水を補給し感謝の言葉を述べ、暗闇の中、赤いチカチカの点滅を追って先を急ぎます。

30kmを過ぎ、空もようやく明るくなってきた午前7時ころ、前方の道路が20m程冠水しており水が川のように流れています。靴と靴下を脱ぎ、足を1歩入れると針で刺すような冷たさにヒイヒイ泣きながら、また濡れている所は氷結しており滑って転倒しそうになるやらでやっとの思いで渡り終えました。しかし、中には猛者もいて靴のまま渡ったものも2〜3人いたようですが、後々までランに影響したそうです。

この冠水は前から分かっていたのですが、私のようなひょッ子と違ってあるベテラン氏はビニール袋で足下を包み難なく渡河したそうです。ここで先行するグループに追いついたのですが、足を拭いたり5本指ソックスをはき直したりしているうちにまたまた差をつけられてしまいました。

【どこまでも白樺林】

今、アラスカは秋真っ盛り、両側に延々と続く黄葉した白樺林、その白樺の黄色い葉が時々目の前をひらひらと落ちて行きます。午前8時30分、後方から太陽が昇り始めると前方の白樺林が黄金色にまぶしく輝きます。

また、走路の右や左に流れるチェナ川のせせらぎの音が聞こえ、また、数多くの湖沼を横に見ながら、その沼ではビーバーが気持ち良さそうに泳いだり、魚の勢いよく跳ねる音が時折驚かせてくれます。

道路上にはリスやキツネが現れて何やってんだろうと不思議そうに眺めたりしていました。

ムースに出会った者もいたそうですが、グリズリー(熊)には幸いなことにお目にはかかれませんでした。グリズリーに遭遇したときはにっこり笑って「ハーイ!ベア!」と挨拶してゆっくりと後すざりをするのがいいということです。決して顔を引きつらせてはいけません。

【坂坂坂...またまた坂】 

チェナにバスで向かった時は真夜中だったいうこともあり、感覚的にコースのほとんどが平坦という印象を持っていました。ところがところが、55kmからアップダウンの連続で、あの丘を越えればもう終わりだろうと峠に着くと、また次の丘が見え、よたよたとようやく峠の頂上に来ると、また次の丘が見えるという具合で、この坂は結局市内入口の90kmまでの35kmの間延々と続いていました。

先行しているランナーは35km過ぎからは全く視界に入らず、また後ろを振り返っても後続は全く見えなかったのですが、63km地点の峠から前方にポツッと人影が、こうなると一気に元気が出るもので66km地点で追いつくとそのまま引き離しました。

またまた一人旅で前も後ろも誰も見えず、側道を犬ゾリの犬たちが訓練を受けているのを横目で見たり、車のクラクションに手を上げて応えたりしながらこのままゴールまで一人かなあと思い85km地点でふっと振り返ると500m後方の峠に別のランナーが突然現れました。

90km地点のエイドでこの坂も終わり、一休みしてしていると後続のランナーが入ってきました。昨日ジャグジーで一緒だった29才の青年でウルトラは3回目だそうですが今年のサロマを10時間ちょいで完走した実力者、91kmで私を置いてそのまま走り去って行きましたが、彼もまだ若いのにこれからウルトラ地獄にますますはまっていくのでしょう。

【ついに100km...ところが】

スタートから市内入口の90kmまでは一本道で道路も広く車も少なかったのですが、ここからは車も多く、また道路も歩道がないところがあり、でこぼこした路肩に足をとられたり、また道路を横切ったり、信号待ちをしたりしながら95km地点も通過、ゴールも近いぞと足元を見るとスプレーで100kmと大きく表示しているだけでゴールは影も形も見えません。

100kmからゴールまでの僅か3kmのいやに遠いこと、急に足が重くなり、平坦にもかかわらず急坂を登るがごとくよたよたふらふらと走っているのか歩いているのか分からない有様でしたが、振りかえると後方にランナーらしい影を感知し、残る気力を奮い起こし一気にゴールへ、ゴール前では写真うつりがいいように身だしなみを整えてテープをきりました。

主催者に少し長いのではと質問しますと「実際の距離は103kmですが四捨五入したら100kmですよ。」との回答がありました。3km得したのかなあ...?

【レース後】

ボランティアは地元の女子子供サッカーチームが家族ぐるみの支援態勢を組んでおり、10kmごとにエイドステーションを設置してあり、鶏の温かいスープやコーヒー等の提供や「グッドジョブ!」の声援に大いに励まされ、完走パーティではボランティアの方々を交え和気あいあいと楽しむことができました。

また、主催者海宝さんのゴールまで走る気持ちのある人は時間に関係なく待つという姿勢に、31人中27人のランナーが完走し、最終ランナーは75歳の男性と90km地点のエイドで地元ボランティアからウィンドブレーカーを借りた女性が20時間35分かけてテープを切りました。

この日は晴天で最高のランニング日和といえましたが、後半歩くと寒くなるほどで最後までウィンドブレーカーをはずすことはできませんでした。今回はスタート地点がホテル、ゴール地点もホテルということで移動の手間隙がなく、疲れた体をそのまま自分の部屋で温かい風呂に入れるのは本当に嬉しい事でした。

翌日は冷たい雨が降っていましたし、オーロラも見ることができたしと幸運の女神がついていたのでしょう。(了)