![]() スチュアート・コープランド(Drums) |
本名 スチュアート・アームストロング・コープランド 1952年7月16日生まれ。 彼の父はグレン・ミラー・オーケストラのトランペッターをやったり、 CIAの佐官の職に就いた事もある。 後に、中東のリーダーや石油王に対するフリーランスの政策アドバイザーになる。 その為、スチュアートは少年時代をカイロで過ごし、それから9年間をベイルートで過ごす。 国際的なボンボンですわね。この頃からドラムを叩き始めていた。 政治情勢の悪化で、’66年イギリスに移り住むが、 大学はバークレーのカリフォルニア大学へ進む。 そこで、音楽、公共政策、マスコミ、について学ぶ。 60年代の終わり、兄弟の、マイルスV世、イアン、が ”プログレッシブ”バンド専門のエージェント/レコード会社(イリーガル・レコード)を始める。 そこにバークレーから戻ったスチュアートが参加する事になる。 この時、後にポリスの協同マネージャーになるキム・ターナーと出会う。 その後、カーヴド・エアーに参加しドラムを叩くが、その時は既にバンドは落ち目の状態であった。 カーヴド・エアーのライブでニューキャッスルを訪れた際、 ラスト・イグジットでベースを弾くスティングと出会う(スティングのヴォーカルに興味を示す)。 そして彼を誘いポリスを結成する。初期のポリスの曲はスチュアートのペンによる物が結構ある。 彼はポリスのデビュー当時、クラーク・ケントという彼の変名ユニットを組み、 「ドント・ケア」のスマッシュ・ヒットを飛ばしている。 この時、イギリスのミュージック番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出演したが、 メンバーは全員マスクをしていた(変名ユニットだからしょうがないが・・・)。 感の良い方はお気づきと思うが、 メンバーはスチュアート、スティング、アンディー、ターナー、の4人である(笑)。 ポリス解散後のスチュアートは、 ソロ・アルバム「リズマティスト」、サウンド・トラック「ランブル・フィッシュ」、 ’89年「アニマル・ロジック」、’91年「アニマル・ロジックU」、等々の作品を発表している。 今なお、その創作意欲は衰えを知らない。 スチュアートに関心のある方はファン・サイトにお進み下さい。オフィシャル・サイトも有り。 ※ 紹介文は「メッセージ・イン・ア・ボックス」から引用しています。 |
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