1976年 |
12月 当時カーヴド・エアーでドラムを叩いていたスチュアートは、 タイン川沿いのニューキャッスルでラスト・イグジットを率いているスティングに合い挨拶を交わす。 |
1977年 |
1月 ラスト・イグジットのスティング、アーヴド・エアーのスチュアート、ヘンリー・パドヴァーニの3人でポリス結成。 5月 ・スチュアートの兄マイルスのインディーズレーベル・イリーガルから ファーストシングル”フォール・アウト”を発売する。 一万枚以上のセールスを記録する。 ・スティングとスチュアートは、 マイク・ハウレット率いる一回限りの”ゴング再結成バンド”(ストロンチウム90)に参加する。 ここにアンディーも参加していた。3人が始めて一緒にプレイした記念的なバンドとなる。 8月 アンディー加入後に、ヘンリーが脱退し、ポリスはスティング、スチュアート、アンディーの3人組となる。 |
1978年 |
1月 ナイジェル・グレイのサーリー・スタジオで「アウトランドス・ダムール」の録音を開始する。 2月 現金がどうしても必要な3人は、 リグリー・チューインガムのテレビ・コマーシャルに単なる俳優として出演する機会を得る。 3人は髪の毛をブロンドに染める必要に迫られ、それが当時の彼らのトレード・マークになってしまう。 4月 ポリスのA&Mからのメジャー・デビュー・シングル”ロクサーヌ”を発売する。しかしあまりヒットせず。 8月 シングル”キャント・スタンド・ルージング・ユー”を発売する。(英42位) 11月 ・デビュー・アルバム「アウトランドス・ダムール」を発売。(英5位、翌年米23位) ・シングル”ソー・ロンリー”を発売する。 ・アルベルト・イ・ロスト・トリオズ・パラノイアズの前座としてUKツアーを行う。 |
1979年 |
5月 ポリス人気で再発されたシングル”ロクサーヌ”がヒットする。(英12位、米32位) 7月 初のUKヘッドライン・ツアーのクライマックスとして、 ポリスは毎年行われる3日間のレディング・フェスチバルで、トリを勤める。 8月 ・再発シングル第2弾”キャンド・スタンド・ルージング・ユー”がヒットする。(英2位) ・ザ・フーのアルバム(四重人格)を元に作られた映画「さらば青春の光」のプレミア公開。 スティングは”顔役”エースと呼ばれる印象的な登場人物を演じた。 9月 シングル”孤独のメッセージ”を発売する。(英1位、米74位) 10月 第2弾アルバム「白いレガッタ」を発売する。(英1位、米25位) 11月 再発シングル第3弾”フォール・アウト”が全英47位まで上昇する。 12月 シングル”ウォーキング・オン・ザ・ムーン”を発売する。(英1位) |
1980年 |
1月 前例のない19カ国ワールド・ツアーがアメリカ、バッファローより始まる。 バンドは香港、ニュージーランド、インド、エジプトも訪れた。 2月 再発シングル”ソー・ロンリー”がヒットする。(英6位) 6月 ポリスの初期のシングル6枚をヴィニール・バックに入れた”Six Pack”が発売される。(英17位) 9月 シングル”高校教師”を発売する。(英1位、翌年米10位) 10月 アルバム「ゼニヤッタ・モンダッタ」を発表する。(英1位、米5位) 12月 シングル”ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ”を発売する。(英5位、米10位) |
1981年 |
1月 ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで初めて行ったコンサートがソールド・アウトになる。 2月 「白いレガッタ」がグラミー賞でベスト・ロック・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞を受賞する。 6月 モンセラのエアー・スタジオで「ゴースト・イン・ザ・マシーン」の録音を開始する。プロデューサーはヒュー・パジャム。 9月 シングル”インビジブル・サン”を発売する。 10月 シングル”マジック”を発売する。(英1位、米3位) アルバム「ゴースト・イン・ザ・マシーン」を発表する。(英1位、米2位) 12月 シングル”マテリアル・ワールド”を発売する。(英12位、米11位) |
1982年 |
2月 英国で毎年選定される事になった第1回ブリット賞でベスト・ブリティッシュ・グループに選ばれ、 グラミーでベスト・ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞グループ部門(高校教師)と、 ベスト・ロック・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞(ビヨンド・マイ・キャメル)を受賞する。 5月 シングル”シークレット・ジャーニー”が(全米46位)(イギリスではシングル・カットされない) 12月 モンセラで、6週間以上かけて、「シンクロニシティー」を録音する。 |
1983年 |
5月 シングル”見つめていたい”を発売する。(英米1位) 6月 アルバム「シンクロニシティー」を発表する。(英米1位) 7月 シングル”アラウンド・ユア・フィンガー”を発売する。(英7位、米翌年8位) 11月 シングル”シンクロニシティーU”を発売する。(英17位、米16位) 12月 ・ シングル”キング・オブ・ペイン”を発売する。(米3位、翌年1月英17位) ・「ビルボード」誌が「見つめていたい」をトップ・シングル・オブ・ザ・イヤーに選ぶ。 |
1984年 |
2月 「見つめていたい」がグラミーのソング・オブ・ザ・イヤーと、 ベスト・ポップ・パフォーマンス賞ヴォーカル・グループ部門に選ばれる。 「シンクロニシティーU」がベスト・ロック・パフォーマンス賞ヴォーカル・グループ部門に選ばれる。 4月 「見つめてみたい」がアメリカン・ビデオ賞でベスト・グループ・ビデオに選ばれる。 |
1985年 |
2月 英国音楽に対する顕著な貢献に対して、ブリットの「キャリア」賞を授与される。 |
1986年 |
6月 アトランタで行われた、アムネスティー・インターナショナル主催オール・スター・アメリカ・ツアーのクライマックスに出演、 5曲を演奏する。ポリスが公式に聴衆の前で演奏してのは、これが最後である。 7月 6枚目のアルバムのレコーディングのためにロンドンのスタジオに入ったが、完成しなかった。 10月 ベスト盤「ポリス〜ザ・シングルス〜見つめていたい」を発売する(英1位、米7位) シングル”高校教師’86”発売(英24位、米46位) |
1987年 |
?月 「The Police Box」を発売する これは日本独自の企画でポリス結成10周年にあたる87年に、当時のA&Mの日本発売をしていた ポニーキャ二オンより限定1万セット(シリアルナンバー入り)で発売された記念盤です(シングルEP盤)。 10枚のゴールドのカラーレコードに加え、音の入っていないピクチャー盤と歌詞、 ポリス年表が付いていました。 |
1992年 |
8月 スチュアートとアンディーは、スティングとトルーディー・スタイラーの結婚式に参列した。 レセプションは、ウィルシャーにあるスティングの自宅の裏庭に張られた大テントの中で開催。 そこで、ポリスは再び集まって数曲を披露した。 9月 「ポリス・グレイテスト・ヒット」を発売する(英10位) |
1993年 |
9月 4枚組CD「Message in a Box: The Complete Recordings」を発表する |
1995年 |
6月 2枚組ライブ・アルバム「LIVE!」を発表する 10月 「Every Breath You Take - The Classics」を発表する |
1997年 |
11月 「The Very Best Of Sting & The Police」を発表する |
2002年 |
8月 「The Very Best Of Sting & The Police」を発表する(1997年にリリースされたアルバムと収録曲が異なる) |
2003年 |
3月 ポリスがロックの殿堂入りを果たす! 記念セレモニーに於いて、ポリスは公式の場の演奏としては18年ぶりに演奏をした。 「ロクサーヌ」、「孤独のメッセージ」の2曲を演奏した後、 ノー・ダウトのグウェン・ステファニー、エアロスミスのスティーブン・タイラー、 ジョン・メイヤーが加わり「見つめていたい」をプレイしました。 |
※再販やリマスター盤、SACD盤、DTS盤等などもリリースされていますがここでは割愛します。 |
チャート・データは私が確認できたモノだけを記載しております。
詳しく知っている方はメール等で御連絡を頂けると嬉しいです。