自己紹介


「鉄路のおもい」

■名前:山梨幸夫
■生まれ:静岡県静岡市、1950年(昭和25年)生まれ
■住所:静岡県駿東郡清水町

デジタル一眼レフを購入し慣らし撮りに出かけた岳南鉄道
2009.4.27


 2010年3月末で、東海旅客鉄道会社を60歳定年退職となりました。
 父も二人の兄も国鉄職員で国鉄一家の末っ子として、静岡市の中田の国鉄官舎で生まれました。
 その後、親の転勤に伴い2年か3年で、静岡、遠江二俣、藤枝、草薙と引越しをしました。



試運転を開始した直後の「こだま」をバックにした記念写真、藤枝国鉄官舎の皆さん
後列左が山梨孝夫、前から二列め右から二人目が山梨幸夫
昭和33年10月1日のダイヤ改正から営業運転の筋で試運転、慎重を期して営業運転は11月1日からとなった。
1958.10

二人の兄も、国鉄が好きで鉄道模型を作ったり、鉄道写真を撮ッたりしていた影響を受け、小学生から、兄に連れられ
鉄道写真を撮りに出歩いていました。
藤枝の官舎のころは、ブルートレーン、こだまの新車回送の時間を父におしえてもらい、線路際まで見に行った記憶があります。
また藤枝、金谷間に高速試験の為の第3線を新設し、鉄道技術研究所のテントが張られ、学校から帰り毎日見にいったことを思い出します。

 父藤枝駅長:山梨敏郎      藤枝の国鉄官舎前で
1959.7.21

あさかぜが20系になり、こだまが運転され、客車特急のつばめが151系に置き換わる時期、
兄が父のカメラを借りて撮った20系に置き換わる前のあさかぜの写真が最も古いものです。
その後、草薙に引越し、鉄道友の会に入れてもらい、静岡支部の皆様にお世話になりながら静岡機関区の廃止、静岡運転所の開業、こだまの試乗
静岡鉄道駿遠線、遠州鉄道奥山線、静岡市内線の廃止など忙しく飛び回っていました。
兄が国鉄に就職してからは、カメラも増え、私も自由に撮らせてもらうようになり、日曜日には、沼津機関区や御殿場線に行くことが、多くなりました。
冬休み、春休みには北海道や、九州などへも行き始めました。

 
兄と二人で北海道の炭鉱専用線や「ていね」の撮影旅行          新幹線の開業日、静岡駅でのこだま1番列車
  1967.3.25                           1964.10.10

私も、希望する国鉄沼津機関区へ就職することができました。
これから、二年程の間、九州から北海道までガムシャラに鉄道写真を撮り歩いていました。

 
     沼津駅東方で撮影中の山梨幸夫高校2年生                      念願の沼津機関区に就職して3ヶ月
             1967                                        1968.6.7
 
亀山駅ホーム洗面台の鏡にうつったC57と山梨幸夫、中部鉄道学園機関車科の同期生と稲沢第一機関区での実習、右端が山梨幸夫
1969.8.

中部鉄道学園を終了して、電気機関車の検修職場に配属されたころから、組合運動に参画し、
以降退職するまで国鉄労働組合の役員を務めてきました。
組合運動が忙しくなり長い間、鉄道写真から遠のいていました。

   
1047人の不採用問題の解決を求める北海道集会へ参加
2007.11.18

組合活動での集会やストライキ、職場活動、軍事基地などの写真を撮ったものを「おまけ」として掲載しました。
国鉄分割民営化や、沼津機関区の廃止が決まった1986年夏、
沼津機関区100年祭 「ロコモティブフェアーイン 沼津」 を企画、立案、
沼津機関区百年史を編集、作成しました。

2008年の暮れ、東海道本線のブルートレーンがなくなると聞き、デジタル一眼レフを買い、40年ぶりに鉄道ファンに復活しました。
2009年夏、国労役員を退任し、近くの御殿場線、東海道本線黄瀬川橋などで写真を撮っています。
定年退職を機に、保存方法が悪く劣化し始めている、ネガ、録音テープ、8ミリ映像などをデジタル化し、
あわせて、「鉄路のおもい」のホームページを立ち上げました。
写真も、パソコンを素人で、みにくいものとは思いますが、一人でも多くの人に見てもらえれば幸いです。
年寄りの新参者ですが、よろしくお願いいたします。

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このケーキは、息子夫妻が私の誕生日に買ってきてくれたものです。ケーキ屋さんに頼んで特別に作ってもらったそうです。
C58のほうは58歳の時、113のほうは、東海道本線から湘南色の電車が無くなるとと騒がれていた年のものです。




お世話になった機材たちの紹介