神の存在証明のための

神存在の普遍的な「三一」の印


金哲顕

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第一部 問題の整理と提起

(1)問題の整理

(A)有神論・無神論・唯物論

神の有無の問題は、「人間は死ぬ」という厳然たる事実によって、有史以来、人類最大の関心事であり続けた。この問題は人間の生存能力の限界に発するもので、自分の死後の彼岸問題を必然的に抱えたものだから、なおさら切実な関心事となっている。「死後、自分はどうなるのだろう?」という疑問は、必然的にこの世とあの世の絶対支配者の存在に対する関心を呼び起こすわけである。
さて、神学にとって神の存在は大前提で、論議の対象にはならないが、哲学では、
(1)肯定論
(2)否定論
(3)懐疑論
の三つが古代ギリシャ哲学以来、ずっと続いている。

近代科学は、経験領域を超えた神の存在については肯定する証拠も否定する証拠もないので、判断を留保している。ただし、現代科学者は近代啓蒙主義の哲学を自分の価値判断の土台に据えている者が大半で、中にはその哲学と科学とをごちゃ混ぜにし、あたかも「科学は無神論や唯物論に与している」と強く錯覚している者も少なくない。

だが、科学は、それがいかに荒唐無稽のものであっても、経験領域を超えたものに対してその有無を断定するものでないことは、少し反省すれば誰にでも分かることだろう。
だから神の有無の問題は、神学や科学の問題でなく、哲学固有の問題である。 神学が哲学を婢(はしため)としていささか哲学化した中世スコラ学が神の存在証明を試みてこの問題に関わったのは、スコラ学が神学的哲学あるいは哲学的神学として、すでに哲学だったからだといえよう。 

(1)の肯定論には、

(A)有神論─超自然的な世界創造者としての人格神(聖書的)が存在するとする。
(B)理神論─「世界創造者としての人格神は世界に介入する神でなく、創造後、世界は自然法則に従って運動する」とし、啓示や奇蹟を拒否する。
(C)汎神論─「自然すなわち神」と見る。

(2)の否定論には、

(D)無神論─キリスト教文明批判としてのニヒリズム(ニーチェ)や神義論的な由来の神否定者の説
(E)唯物論─特にキリスト教発生「後」である18世紀啓蒙期の唯物論と、その後の弁証法的唯物論

(3)の懐疑論には、

(F)不可知論的懐疑論─経験を超えた現象以前の対象については何も証明できないとする。(実証主義・現象論)
(G)経験主義・感覚主義的懐疑論─認識の素材は感覚され経験された雑多な印象だけで、それを超えたものの有無は問えないとする。
なお、経験主義でも感覚主義でもないカントは、理性と感覚的経験を総合した不可知論者だが、神の存在に関しては懐疑論に与しない。カントは、自然哲学的な「理論理性」では、全ての「神の存在証明」を不当なものとして否定したが(『純粋理性批判』)、のちに道徳哲学的な「実践理性」では、神の存在を要請し、しかも「実践理性」は「理論理性」に優越するとしている(『実践理性批判』)ので、ちゃんとした有神論者だといえる。

(B)過去の「神の存在証明」の分類的紹介

さて、デカルト・スピノザ・ライプニッツなどなど、カント以前の有神論的な近代哲学者たちの著作には、それぞれの提案する神の存在証明法が見受けられるが、カントは、「神の存在証明」法には、ただ、

(1)存在論的証明(物一般の概念から行う)
(2)宇宙論的証明(何らかの現実的存在一般の経験から行う)
(3)物理神学的証明(一定の、つまり現存する諸物に関する経験から行う)─これは一般に「目的論的証明」とも呼ばれている。

の三種類のみがあるとし、(2)と(3)は結局(1)に帰着するので、(1)のみが本来的な「神の存在証明だ」と述べている。(1)は概念のみ、(2)は概念プラス経験、(3)は経験のみ、と分類し、人間にとってこの世には概念と経験しかないから、その混合態を含めて、この三種で全ての分類としているわけである。

しかし、カント自身はそれとは別に、のちの『実践理性批判』で、いわば第4の「道徳的証明」を提案している。この第4の存在証明法は明らかに(1)(2)(3)のどれにも属さない。これを矛盾と見るかどうかは読者のご判断に任せたい。   
とはいえ、なんといっても「神の存在証明」法に対するカントのこの批判的見解にはあまりにも説得力があって、その後の全ての哲学者や科学者たち、ひいては現代知識人にも決定的な影響を及ぼし、現在も圧倒的に支持され、繰り返し神の存在に批判的な者の論拠とされている。

そういうわけで、あとで上の(1)(2)(3)の存在証明の内容の説明と、それに関するカントの見解をご紹介する。

そして、カントのそれぞれの見解に対して私見を述べ、最後に私の新しい「神の存在証明」法をご紹介したい。これはカントの第4の存在証明法と同様、厳密にいえば、ただ三種類しかない上記の存在証明法の中には入らない新機軸の証明法である。この証明法に対する読者からの賛否の反応が多いことを願ってやまない。

(C)「有神論的な神」があるかどうかの問題

さて、いわゆる伝統的な「神の存在証明」法とは別に、一般に人はどのような根拠があって「神は存在する」とするのだろうか。

しかし、この問題を追求する前に、「神は存在する」という場合、それはどのような神についてなのか、はっきりさせて、議論が混乱しないように予防措置を講じておかなくてはならない。

ここではカントの立場を紹介したこともあり、数ある諸宗教の神の中から、まずユダヤ教・キリスト教・イスラム教な、つまり広い意味で「聖書的な(超自然的で全知全能の世界創造者としての)人格神(従って自然や歴史に介入する)が存在するか否か」を論題とする。それは言いかえれば「有神論」の神の有無問題を意味している。

この問題設定はそれほど不当というわけでもないだろう。というのも、これら三宗教だけで世界人口の大多数を占めるばかりでなく、すでに近現代の欧米における聖書的な神の有無問題の追求は、他の地域の諸宗教でそれぞれの神について行われた有無問題のそれと比べて、突出した歴史的伝統を有しているからである。

それにまた、かりに「聖書的な唯一神が存在する」という結論が出れば、それが「唯一」の神であるだけに、他の神は存在しなくなり、議論の節約にもなるということもある。

反対に、もし「聖書的な神は存在しない」という結果になれば、そのときヒンズー教・仏教・その他の神仏の有無問題に移ればいいだろう。それらの神仏も否定され、神一般が存在しないとなれば、結局、無神論・唯物論が正しいわけである。

肯定論には「有神論」の他に「理神論」と「汎神論」とがあるが、「理神論」の神は、「世界はいかにして始まったか」という問題に「自己原因」なる神を持ち出して簡単に問題解決を行い、そうやって創造された世界に「神が干渉しない」という条件を課した、近代自然哲学者たちの勝手な希望仮説だから、問題にしなくてもいい。

自然と歴史に一切介入しない神など、我々人間にとっては存在しないと同じだし、「有っても無くてもいい」わけで、論議するまでもない。事実、「狭義の無神論は、理神論を含む」と定義されている。

また、「汎神論」はトータルな宇宙そのものが「生ける神」なのだとする。スピノザは「能産的自然」(無限で永久の本質)を神とし、その様態として産み出された「所産的自然」(有限な物の総体)を世界とする。どちらも自然として見られている。

ここに「絶対者との知的合一」というスピノザ風の高潔な悟りの倫理が基づけられており、その点にヒンズー教・仏教などの「凡我一如」や「大悟」にどこか通じるものがあるが、これは「有神論の神は存在するか」の問題を検討したあとで、各種の東洋宗教とともに論じても良いであろう。

(2)一般に「神は存在する」と判断する根拠

一般に人が「神は存在する」と自ら判断して信じる場合の条件を列記してみよう。この場合、むろん、「幼児期に社会や家庭環境からインプットされた」という類の、無意識的・無批判的に受容されたケースは取り上げない。

(A)奇蹟などの超自然現象や超常現象・神秘現象の体験

一般に超自然的な存在を知るには超自然的な出来事による他ない。歴史的にはユダヤ教の神が継承されて、ついにキリスト教やイスラム教の神となったが、そもそもの初めにユダヤ教の神がユダヤ人たちに信じられるようになったのも、ユダヤ民族を導くその神のこの世に対する超越的な介入への信仰による。神の超越的な介入の話は、モーセによる紅海の海割れなどさまざまな奇蹟的出来事として旧約聖書に記されている。

そうして、そのような神を自分なりにキリスト教とイスラム教が受け入れたが、その際にも、それとは別に、イエスにまつわる奇蹟とかマホメットにまつわる奇蹟の出来事が、これらの新宗教の起こりとなったわけである。

この歴史社会的脈絡のもとでは、当然、奇蹟は聖書的な神の存在の証とされる。たとえ悪魔による奇蹟だとしても、聖書的な世界での奇蹟は聖書的な神の存在の証とされる。なぜなら悪魔は神の存在を前提にしているからである。

しかし、一般的に奇蹟や超常現象なるものはどの宗教にも報告されており、本当かどうかはともかく、神霊家たちも起こし得るものと信じられているから、奇蹟の存在イコール聖書的な神の存在、とはならない。神仏や死霊・生霊の仕業だといわれても反論できないわけだ。

ましてや「奇蹟が実はトリック」という場合も大いにありうるわけである。そもそも合理主義者にとっては、奇蹟は人や自然によるトリックにすぎないから、個人的な、あるいは集団的な奇蹟体験が神の存在を証するものとはならず、いわんや聖書の神の存在を証するものとはならない。

奇蹟が聖書的な神の存在の証になるためには、それが例えばカトリックやプロテスタントの伝統的教会の枠内で起きる「聖書的な奇蹟」でなくてはならない。

だが、奇蹟がいくらこういう歴史社会的脈絡の中で起きようと、聖書的な唯一神の存在が客観的に証明されないかぎり、「聖書的な奇蹟」の絶対の客観基準などは存在しない。

(B)他者の伝える奇蹟などの体験話を真実と信じる

自分が直接奇蹟などを体験しないで神の存在を信じるには、奇蹟についての他者の証言を信じる他に道はない。この他者は一人の場合もあるし、宗教組織の場合もある。

奇蹟体験のない人間が(聖書的な)神の存在を信じるのは、人格的に信頼できる人物、あるいは自分にとってなんらかの権威のある個人、もしくは教会構成員などの、奇蹟についての証言を信じたからである。

こうしたほとんどの場合、(もしかすると例外はあるかもしれないが)、奇蹟記事を載せた聖書などの聖典をまず信じたからではない。聖典の存在はこの場合二次的である。そもそも聖典とその中の奇蹟記事が信じられるようになるためには、その前に、それを信じる他者の言葉を真実なものとして受け入れねばならない。

(C)ある程度の知的蓄積に発する

ただし、これはほとんどの場合(スコラ学がそうであるように)、既存の信仰を知的に跡付けて補強するためのものであり、これだけでは「神は存在する」と判断するに不十分である。

とはいえ、後で出てくる私のものを含めた様々な「神の存在証明」と同じく、信仰の一歩手前で逡巡している人(とくに知識と信仰の矛盾に悩む知識人)には、知識主義から信仰世界へと飛躍するのに、一役も二役も果せる能力がある

つまり、知識の誇りを捨てることなく信仰の道に入り得る門を提供してくれるわけだ。そういう類の知的蓄積には様々なものがあるが、そのうちのいくつかを挙げてみよう。

(イ)人間を生み出したこの宇宙がこのような有様で成立するには、無数の不思議な偶然が重なった。たとえば、数多くある自然定数のうちのある一つの自然定数の値がほんの百万分の一でも違っていたなら、このような宇宙は成立しなかった。

信じられないほどか細い、物理学的に「偶然」(たとえば量子力学的偶然)とはっきり判明している無数の回路を曲芸的に全てクリアーして、我々の宇宙が創成されている、などなど。

第三部で詳しくご紹介するが、我々の宇宙創成過程における不思議な「偶然の一致」の重なりの例は、『宇宙の暗黒・ダークマター』(ジョン・グリビン及びマーティン・リース共著:佐藤文隆・佐藤桂子共訳:講談社ブル−バックス)に数多く紹介されている。原題は「COSMIC COINCIDENCES」(宇宙の暗号)。

(ロ)生命細胞は驚くほど精緻で、分子生物学の専門書を見ると、細胞膜ひとつとっても無数の分子がびっくりするほどタイムリーに作用しあって、たとえば水チャネルやイオンチャネルなどを含む細胞膜の全機能を果たしている。さらにその水チャネルひとつみても、よくもこんなに見事なものがうまい具合に生成して、維持されつつ、日々あらゆる瞬間にうまく機能し、進化してきたものだと驚くほかない。

周知のように細胞膜以外にも核内・核外にさまざまな種類の機能分子が数え切れないほど存在し、それぞれうまく作用しあって生命細胞が成り立っている。たった1つの生命細胞でさえ地球上のあらゆる産業の全工場が世界経済の流れの中でそれぞれうまく適合しながら生産活動している程度の複雑精妙なありさまである。「生命細胞は結果としてこうなっているから、こうなのだ」という説明だけでは済まされない。

なるほど生命細胞は生化学で全てカバーできる。だから「RNAワールド仮説」や「GADVタンパク質ワールド仮説」などなどでいつか生命発生の経緯の説明もできるかもしれない。しかしそれで製作者なる神の存在を否定できるものでもない。豆腐もまた有機化学や生化学で全てカバーできるが、豆腐は人間が作ってそこにある。ある物の物質的説明が科学的に出来ることと、その物の製作者がいるかいないかは全く別問題なのだ。

人間は自然界に存在しない物質を薬品や繊維などなどの姿で化学的にいくらでも造り出している。神もまた自然発生的には不可能な生命細胞を化学的に造り出したとすればどうだろうか。その場合、生命細胞は完全に生化学でカバーできるが、その起原は自然発生でないわけである。

これはいつの日か人間が人工細胞を作り出せたとしても言いうる。「人間が人工細胞を作り出せたのも、それが自然発生でなく人工だからではないか」ともいえるからだ。つまり人工細胞を合成できたとき、それが自然発生でも可能かどうか検証する必要がある。それにその人工細胞が果たして本当の生命であると定義できるものかどうかという問題も残る。

2011年現在、人工細胞の実現に向けて多くの研究成果が上がってきている。人工細胞膜や人工ゲノムや人工たんぱく質生成システムや人工増殖システムなどが別々に実現し、今やそれらを総合した人工細胞の合成へと向かっている。いずれ近いうちに初歩的な人工細胞が作れるかもしれないという予想も出てきた。

しかしそれもまた人工のものであって自然のものではない。厳密に言えばいわば人工の「細胞もどき」といえるものだ。実は人工細胞膜・人工ゲノム・人工たんぱく質生成システム・人工増殖システムは全てどこかで既存の生命体(細菌類)の機能を利用していて完全には人工でない。


むろんもっと複雑なケースも考えられる。宇宙創生以来の物質構成そのもののなかに(宇宙全体としては)極めて稀な生命自然発生の可能性を神があらかじめ設定してあったということもありうるわけである。むろん与えられた諸条件さえ整って存在すれば生命がおのずと発生進化するようにセットしている。

生命細胞は複雑精妙なだけでなく発生確率も全体としては極めて低く、さらに生命そのものの持つ合目的性を考慮すれば、生命が存在するには、それを創造した人格的で目的意識的な存在を想定しなくてはならない。とくに人間は捨て子が親を探そうとするかのように、神を捜し求める本能のようなものを持っている。

科学者たちは一般に宇宙から目的論を排除しすべてを必然論や偶然論で片付けようとするが、それでは宇宙内部に目的志向的な生命が生まれ出たことが美しく説明できない。細胞に固有する目的志向性が生物の目的志向性や人類の目的意識性の根底にある。

神を求める衝動には押さえきれないところがあるが、これはどうやら人間の弱さ(老・病・死・罪意識・各種の制約などなど)を補完しようとする心理的衝動を超えたもののようである。神探求は言葉の能力がそうであるように、人間のDNAにしっかり刻み付けられたものではないか、とさえ思われる。「神は存在するか」が全歴史を通じて人間の最大関心事であり続けているのは、そのためではないか、など。

(ハ)科学技術万能の時代にあっても神を信じる者が人類の大多数を占め、史上最強の、最後の唯物論であるマルクス主義(弁証法的唯物論)の権威も失墜した現在、もはや一切、有力な歯止めが無くなって、宗教勢力があらゆる方面で著しく台頭してきている。科学が発展すればいずれ宗教はなくなると予想されたが、そうはならず、むしろ逆に宗教全盛期を迎えた感がある。

(ニ)神がなければ終わらない究極問題を終わらせてくれる。たとえば「存在の始原」や「宇宙の始まり」に関する問題。ただし、この場合、神を理屈を超えた自己原因者とする。

(ホ)人間にとって存在しないものでも、存在している場合がありうる。たとえば「我々の宇宙を構成する素粒子しか存在しない」というのはコペルニクス的発想によれば狭隘で非科学的だから、「我々の宇宙を構成する素粒子とは全く性質の異なる素粒子で出来ている宇宙もありうる」と一応想定してよい。だがちょうど完全な非磁性体が磁場と相互作用できず磁場にとって透明で存在しないように、その宇宙は我々の宇宙と相互作用できず、我々の感覚器官に対して透明となり、我々にとって存在しないことになる。当然こういう異質宇宙については人間は認識不可能なので不可知論が正しくなるが、なににしろともかく不可知論が成り立つなら神の存在を否定しきれない。

(へ)我々が何か「存在する」という場合、それを物質的に捉え、五官によって感覚されうるものとして理解している。そういう「存在」も、これまでの(我々の通常体験に属する)ニュートン力学や相対性理論の「存在」と、量子力学の「存在」とでは、ずいぶん趣が異なる。、量子力学では粒子状態に原理的な不確定性があり、粒子の状態のこうした性質のため量子力学における粒子の「存在」も「存在確率の波」として把握されていて、「存在」が「存在確率波」に転化している。いわばどこかの一点に存在するはずの粒子が宇宙全域に確率の波として広がっているわけだ。

このように我々の物理宇宙においても「存在」はずいぶんと常識外れの曖昧なものになってきている。「存在」は今や犬や猫やリンゴや机が存在するという場合の「存在」の範疇を超えたものなのだ。したがって究極の存在者である神については、通常求められている意味で、(つまり犬や猫やリンゴや机が存在するというような意味で)、存在するか存在しないか問えるものではない。

そして(我々の宇宙とは異なった素粒子で出来た宇宙の場合のように)、人間にとって存在しないものでも存在している場合がありうるなら、「人間の言葉では『存在しない』と言わざるを得ないものも存在している場合がある」ということになる。我々の宇宙とは異なった素粒子で出来た宇宙が我々の言葉では「存在しない」としか言いようがないのであれば、そうした宇宙をも創造した神については「存在する」とはさらさら言えないことになる。したがって人間の言葉では「神は存在しない」と言うしかないディメンションで実は神が存在する場合がある。

(ト)超弦理論によれば我々の時空四次元連続体宇宙の向こうに隠れた六つの次元が、最近の超膜のM理論によれば隠れた七つの次元があるとされている。我々の時空四次元連続体宇宙に神の座は存在しなくても、一般に超空間が存在すれば、そこに神の座はありうる。

(チ)人間自身が超巨大粒子加速器によってビッグバン宇宙の最初期状態を再現したり、コンピュータの巨大な計算能力を通して仮想世界・仮想宇宙を自由自在に構築できるに至って、(つまり人間自体が原始的な小型の世界創造者となることによって)、その究極の発展形として、もしかすると我々の世界そのものが神によって創造された世界なのではないかという理解ができるようになったこともある。


一般的に言って、神が存在するか存在しないかを確定するのは、人間が神次元の存在でない限り不可能である。小さいものは大きなものを見通せない。部分は自分を含むより大きな単位を包括できない。人間が全てを知り尽くしえないのは自明であるが、そういう人間が神の有無を確定判断するなど本来できない筈のものである。したがって「神が存在するか存在しないかは分からない」とするのが、科学者本来の見解であるべきである。

(3)伝統的な「神の存在証明」とカント哲学

(A)伝統的な様々な「神の存在証明」

以上の他に、さらに以下の伝統的な様々な「神の存在証明」がある。むろん、これこそスコラ学的に、信仰を知識で跡付けて支えようとする目的のものだ。

 (a)存在論的証明…「完全者なる神は人間の思考の中にあるだけでは不完全だから実在する」(アンセルムス) 
 (b)宇宙論的証明…「最初に不動の動者=第一原因=自己原因がなければならない」(トマス・アクィナス)
 (c)目的論的証明…「自然秩序の合目的性・斉一性・美・荘厳などから、その設計者を認めざるを得ない」(自然神学者)

 (d)道徳論的証明……「絶対的に通用する道徳命令や良心の存在から神が要請されて認められる」(カント)
 (e)人性論的証明…「完全無欠者は、実在しないと完全無欠者でなくなるから実在し、有限の人間でも存在するから無限者の神は実在する」(デカルト)
 (f)実存論的証明…「限界状況に直面すると、人間は包括者に出会う」(ヤスパース)

この他に、たとえばスピノザの、「より能力の劣る人間が存在するのに、より能力の優れた神が存在しないことは不可能だ」もある。しかしこれは明らかにデカルトと同様の人性論的証明だ。デカルトとスピノザの証明をよく見ると、結局、(a)の「存在論的証明」の別バージョンであることが分かる。

こうした「存在論的証明」でカントが挙げているものには、この他に、

●「神は全能だから存在する。なぜなら存在しない神は全能でないから」

●「絶対者は排除・無化されない。なぜなら絶対者だから」

というものがある。

さて、(d)のカント自身の道徳論的証明はともかく、(f)の場合、カントが先に上げた三種類の証明法のどれに属するのだろう? 
実存論的証明法は危機に臨んだ人間の一種の心理的な反応を取り上げたものに過ぎない面もあるから、まともな証明法ではなく、あまり取り立てて問題にする必要はないのかも知れない? とはいえ、むろんそれでは、「実存哲学は心理哲学ではない」と、実存哲学を信じる者たちは反論するだろう。

(B)カント哲学

  (イ)カント哲学の時代的制約性
 
 I・カント(1724-1804)
ともかく、もろもろのタイプのカント主義者には、「カントの言うことだから正しい、というわけではない」と、注意を喚起したい。偉大だとはいえ、彼もやはり彼の時代の自然科学の発展段階に制約された一哲学者にすぎない。

たとえば、現在のどの哲学者がカントの語彙をそのまま使って哲学しているだろうか? 19世紀の新カント学派だってそうはしていない。彼が正しければ現在もカントとほぼ同じ語彙で哲学が行われている筈であるが、現状は全くそうでない。カントがこの世を去るや、全面的とはいえないまでも、カント哲学はフィヒテやシェリングやヘーゲルによって批判的に継承されつつ、乗り越えられた。

カントは認識する主観の先験的枠組みとして、時間・空間と、悟性の十二のカテゴリー(215ページ)というものを人間に本属させた。

つまり人間がこの宇宙に時間や空間や因果関係などもろもろの規則性があると考えているのは、宇宙にそれらが客観的に実在するからではなく、認識する主観が人間の中に生まれつき(先験的に)存在するそれらの主観的枠組みを、対象世界に投影しているからだ、というのである。したがって人間は対象世界そのものは認識できないとする。

しかし現代のわれわれから見れば、カントのいう人間主観の先験的枠組みも、明らかに客観的環境の一部として現れた人間が、長い生物進化過程のなかで客観的環境世界から抽出して内在化させたものである。カントの時代には進化論はなく人間の認識能力はいわば進化を経ずに
もともとあったせざるを得なかった。

そのため(神によって客観的環境世界である物質世界とは
質的に異なる存在つまり「神の似姿」として創造された「創世記」のアダムのような)「出来上がりの人間」の能力として見るほかなかった。それが、カントのあの客観世界と隔絶された認識主観の先験的枠組みとなったと言えよう。「先験的」という性質もこの「出来上がりの人間」概念に由来する。

むろん、それにもかかわらず、(そのほとんどが自由主義者・主観主義者・個人主義者・利己主義者たちであるが)、感覚論者・還元論者・不可知論者など様々なパターンのもとで、現在、カント的な思惟の枠組みで哲学するものは非常に多い。

カントは17世紀から18世紀にかけて確立された機械論的な自然観(ニュートンの自然哲学)を背景にして哲学を構築した。だからカント哲学では客観世界そのものが不可知であるというだけでなく、とくに目的概念を持って記述しなければ把握できない生命は機械ではないゆえさらなる神秘の対象となり、むろん認識の対象とされなかった。

生命の目的性やその動的な有様を哲学として展開したのは、カント後のヘーゲルである。これがヘーゲルの弁証法が「有機体的」とされるゆえんだ。

生命は現在ではDNA学を土台にした生命科学の発展でほとんどすっかり解明され、もはやカント哲学でいわれているような意味での不可知な神秘ではなくなり、牛や猿のクローンでさえ作ることができるようになった。とはいっても、別の意味で生命は依然として神秘を宿していることは確かである。

(ロ)カントの「二律背反論」の誤り
ここで宗教的あるいは哲学的独断一般を完膚なきまで打ちのめしたとされている、カントの有名な二律背反テーゼを取り上げて、彼の時代的制約性をさらに追求しよう。

経験を離れた理性は二律背反に陥るとして、カントはカテゴリーの四つの部門に従って四つの二律背反を挙げている。たとえばその最初の、

(a)「世界は時間的・空間的に始まりがある⇔世界は時間的・空間的に始まりはない」

という二律背反は、ビッグバン宇宙論の出現で「二律背反でない」ことが判明した。宇宙は時間的・空間的に始まりがあることを、理性は様々な観測結果と一般相対性理論の基礎微分方程式で判断できるのである。

二律背反の第二の、

(b)「世界要素は単純だ⇔世界要素は単純なものでない」

これも、ほとんど現在の素粒子学で決着がついている。電・弱・強の「大統一理論」、さらにその後の、重力を加えた総合理論の「スーパーストリング理論」(超弦理論)でさえ、世界が単一のもの・単一の世界要素・単一の粒子でできているとは想定していない。

「スーパーストリング」は、一切の多様な粒子を「真空の亀裂」による単一の「弦」の各種の振動状態によって説明する。そういうものとしては、基本粒子へと迫るものではあるが、その「弦」もそれ自身「真空の亀裂」であるからには真空の存在を前提とし、また真空と不可分のエネルギーも前提としている。そして、亀裂を生じさせる一般相対性理論の法則や量子力学的法則なども前提しているのである。

これら複数の法則が働くということは、そもそもの始めから、すでに単一種の基本粒子だけの単純な世界でないことの証明である。したがって、この「弦」がいわゆる「世界要素」としての基本粒子であるわけがない。世界要素は単純なものでなく、もともと多様なものだ。そうでなければ多様な質を持った世界は原理的に生成不可能である。

第三の二律背反は、

(c)「(機械的な)自然界の中に自由はありうる⇔(機械的な)自然界に自由はない」

である。括弧内は私の付け足しだが、これはカント哲学の内容から見て厳密に正確な付け足しである。機械的な自然界の中では、自由が「存在する・しない」は、二律背反なのかもしれない。

だが、たとえばヘーゲル哲学や弁証法的唯物論のように、そして現代自然科学が明らかにしたように、宇宙が機械的でなければ、そういう宇宙・自然の中で、自由の有無は二律背反にならないで、ちゃんと説明可能である。

自らがエネルギーでもある物質(E=mc)は、自己進化の過程で、自ら、運動し(物体)、変質し(物質)、生き(生命)、欲し(中枢神経系動物)、思惟する(人間)。物質みずからがエネルギーでもあることによって、その進化の過程もまた主体的なものとなり、人間もその結果、主体的な自由を勝ち取ったのだ。つまり「自由は人間の本能である」といっていい。(E=mcのEはエネルギー、mは質量、cは光速)

最後の第四の二律背反は、

(d)「世界原因がある⇔世界原因はない」

で、これは神の有無に関する二律背反であるが、カントの時代の因果論はその時代の時間観であるニュートン物理学の「絶対時間」に制約されている。

つまり「絶対時間」は相対性理論で解明されたような時間の伸縮や歪みを認めない。時間が伸縮したり歪んだりするのでは、因果律が変化するのは当然だろう。

たとえば「裸のブラックホール」やK・ゲーデルの「閉じた時間の輪の宇宙」によるタイムトラベルができれば、因果律は壊れてしまう。

こういうわけで、カントは時代的な制約性を持った一哲学者であって、カントの主張だからといって「真実だ」と盲信できないことが分かる。カントに権威を与えすぎてはいけない。

しかし、どういうわけかエスタブリッシュ層に多いカント的に発想をする現代知識人(主観と客観を二元論的に分け、対象認識はいつも主観の枠組みによるどこまでも主観的なものだとする)にとっては、つまり典型的な個人主義者・主観主義者・利己主義者にとっては、カントは今でも絶大な権威を持っている。

そういう知識人たちも、これまでの陳述から、自分たちの「カント原理主義」的発想の限界に気づかれたことと思う。

つまり、カントが二律背反だとして留保した四つの命題と、「神の存在証明」への批判によって放り捨てた全ての証明法が、カントの意図通りの、いわゆる「経験を伴わない空虚なもの」ではない可能性が出てきたわけである。

なるほどカントのいうように宇宙全体をトータルに経験することなど人間には原理的にできないが、現代は先に言及した相対性理論の基礎微分方程式と観測から、その全体像を描き出せる時代なのだ。

経験を伴わない認識など全て考慮に値しないと主張するなら、ビッグバン宇宙論は単なる「空理空論」と断定しなければならないだろう。かつて宇宙論は哲学にすぎなかったが、アインシュタインの一般相対性理論以後は科学となった。

実は、経験と理論が相互に協力し、カバーし合えば、経験可能領域を超えて、外挿的に正しい結論を導き出すことができる。

(4)三種類の「神の存在証明」に対するカントの批判的見解

ここで三種類の「神の存在証明」に対するカントの批判的見解を見てみよう。

(A)「存在論的証明」

この証明はカントによれば、「あらゆる経験を捨象して、全く先天的に単なる概念から最高原因という現実存在へと推論する」ものである。アンセルムス・デカルト・スピノザの証明法などがこれに当たるとする。

カントのいう例を一つだけ挙げれば、

「神は全能である。だから存在する。存在しないと全能でないから」


(カントによる反論の要約)

──この判断が矛盾を含まないのは確かだ。しかし「判断の無条件的必然性」は「事柄の絶対的必然性」ではなく、いくら判断そのものが内的に矛盾を含まない正しいものであっても、言われている対象の客観的実在性とは無関係である。

「全能」「絶対」「完全」「最高存在」などの概念は、もともと神の概念に内在するもので、それらは経験なくして分析的に引き出されてきたものに過ぎない。経験がなくては現実的客観性を持った新しい知見が外から総合的に加わらない。

つまり現実的客観性は経験によって付加されるもので、分析的に引き出されるものではない。したがって、神の現実的客観性にかんして「存在論的証明」は空虚である──


(B)「宇宙論的証明」

この証明についてカントは、「単に漠然とした経験、すなわち何らかの現実的存在を経験的根拠にするもの」と述べている。そしてこの証明法は、実は、「経験を加味した」という言葉を使って、「存在論的証明」を仮装しただけの、詐欺的なものに過ぎないとする。

カントが描いた「宇宙論的証明」を要約すると次のようである。

「この証明法は経験される感性界の因果をたどるのだが、感性界の中では原因遡源の連鎖はいつまでたっても終わらないので、、ついに感性界の彼方に無条件的必然体としての第一原因の神を置くに至る」

(カントによる反論の要約)


──因果律はそもそも感性界にしか適用されない。にもかかわらず、その因果律を使用して感性界を乗り越え、その彼方に無条件的必然体としての第一原因を設定している。これは明らかに方法論的誤りである──
 

(C)「物理神学的証明」=(目的論的証明)

これについてカントは、「明確な経験と、経験によって認識された我々の感性界の特殊な性質とから出発して、そこから原因性の法則に従い、世界の外なる最高原因へと遡るもの」としている。

カントのいう例を要約して挙げると、
 
「世界には至るところ一定の意図と大いなる知恵によって完成された秩序の明らかな「しるし」が見られる。この美を伴う驚嘆すべき 合目的的な秩序は全く外から与えられたもので、そうでなければ、あらゆるものがかくも多種多様な結合のしかたで調和できなかっただろう。したがって、自然によるものでなく自由な叡智による賢明な原因が存在し、宇宙は一つの家のように統一されているから、統一的な唯一の原因性が認められる」

(カントによる反論の要約)

──この驚嘆に依存した証明には敬意を払わざるを得ないが、その必当然的確実性の要求は決して認められない。この証明は、人間が素材としての自然に手を加えて物質文化社会を産出したのをアナロジーとして利用しているに過ぎない。人間の物質社会の有り方を全宇宙に投影しているのだ。宇宙の秩序や合目的性や美の読み込みもそこから来る。

したがって、この論法では素材(質料)としての自然は説明不能のアプリオリな大前提とならざるを得ず、この叡智的存在者はせいぜい素材となる質料に形式を与える「世界建築者」でしかなく、素材(質料)すら創造する「世界創造者」たりえないところが問題として残る。

それに、驚嘆は人間と宇宙との相対的な大きさに依存しただけのもので、そこからは絶対性を伴った絶対者を認定できない。相対性と絶対性との間には超えられない間隙がある。

そして、結局これは「宇宙論的証明」へと後退し、「宇宙論的証明」は「存在論的証明」を仮装したものにすぎないから、ついには「存在論的証明」に帰着する──

 (5)カントの見解に対するさしあたりの批判的私見

以上に述べられた「カントによる反論」について、一応、ここでさしあたりの私見を陳述しておきたい。

(A)「存在論的証明」について

カントはようするに、言葉だけでは神の存在の客観的実在性を証明できない、と主張しているわけである。「判断の無条件的制約性」(A)は「事柄の絶対的必然性」(B)ではない、というのはそういうことだ。

しかし、もし仮に他の何らかの証明法で神の存在が証明された場合、例えば神が明らかな奇蹟的出来事を全人類の見守る前で具体的に行うというケースが生じた場合、たしかに「存在論的証明」だけでは不足であるのは否めないとしても、結局、神の存在に対するこの無矛盾の証明法は真実だったということになる。

私は、カントがいわば内包と外延の関係において、AとBを「○○」というように並置して両者に重複する部分がないようにしているのが納得できない。「◎」のように二重丸にして、内部の○をBとし、外部の○をAとしてもいいと思う。

こうすれば「判断の無条件的制約性」(A)があったからといって、いつも「事柄の絶対的必然性」が保証されるわけでないことも確保できるし、同時に「判断の無条件的制約性」が成立すれば、可能性としては「事柄の絶対的必然性」もありうることも確保できる。

そうして神の絶対的な全人類的介入(例えばメシア的な終末的出来事)が事実到来したとき、絶対者に対する「存在論的証明」の無矛盾性にはやはり意味があった、ということになるわけである。

ヘーゲルはこの「判断の無条件的制約性」(A)と「事柄の絶対的必然性」(B)の問題を、思惟と存在との一致・不一致の問題として捉え、思惟と存在とが不一致になるのは有限で特殊なものの場合だけであり、神のような普遍的で無限な絶対者には必ずしも当てはまらないというようなことを述べている[小論理学「予備概念」(51)]。

全てを含む無限の絶対的普遍者である神の場合、その概念は当然「存在」を含んでおり、神においては思惟と存在とは両立する。たとえば神があるもの・あることを思惟すれば、それがなんであれ(無矛盾なものであれば)すぐさま存在することになるのもそのためだ。(ちなみに、神でさえ2+3は6にはならず、たんぱく質を使わないでは豆腐は作れない。それ自身の定義に矛盾しているものは神にも存在せしめるのは不可能である)

したがって、「存在論的証明」に対するカントの批判は的を得ていないとするヘーゲルの主張は確かにそうだろう。だとしても、この「存在論的証明」で神の存在が客観的に証明されたわけでないことも確かである。だから結論としては、カントの「存在論的証明」に対する批判は絶対的なものでなく、単に相対的なものにすぎないということである。

(B)「宇宙論的証明」について

カントは、第一原因(最高存在体)はいわば次のような独り言をいうだろうと、以下のモノローグを挙げている。

「私は永遠から永遠へと存在する。私の意思によってのみ何物かであるもの以外には、何物も私の他にはいない。しかし、私はそもそもどこから来たのだろうか?」 

カントは「私はこのような考えを抑えることができない」と付け足している。神のモノローグを揶揄的に挙げているのはちょっとカントらしくないが、それはこの際問題ではない。むしろ、自分で因果律は感性界にしか適用できないといいながら、因果律を超えた超感性的な叡智界の神にそれを適用しているところが問題なのである。

叡智界には因果律が適用できないのだから、そこの神には因果に関わる疑問を提出できない筈である。しかるに、カントのこの神は自分の原因を尋ねているのだ。

確かに「第一原因」というか「宇宙の始まり」というか、こういう問題は取り扱いが非常に困難である。

だが、以前は単なる哲学問題にすぎなかった(しかもカントによって哲学の領域からさえも排除されていた)これらの問題も、たとえ神の存在とは直接結びつかないとしても、現在では宇宙物理学で論議されるまでになった。それほどこの問題はカントの予想を覆して、そのしっかりした経験的な内実を増してきたといえよう。

カントは『実践理性批判』で超感性界に「自由・神・魂の不死」を要請しているから、彼が超感性界として想定しているのはいわば霊的な非物理的世界である。しかし神がそういう霊的な存在であるかどうかは分からない。

因果律は「時間」を前提とする。本当の「時間」はカントが依拠したニュートン的な「絶対時間」でなく、伸縮したり歪んだりする「相対時間」であって、真の因果律の概念が、根本的に、もはやカントのそれとは違っている。

そのうえ、(我々の)時間は我々の宇宙とともに創成されたものであって、超空間には適用されない。しかも超空間は(我々の)時間以前のものではあるにしても、(つまり我々の空間と超空間との間に時間的連続性や因果律的連続性が確保されないとしても)、カントの予断とは異なり、それが我々の宇宙の物理学的原因であることは、今では宇宙物理学の常識になっている。

たとえばその正否はともかく、S・ホーキングは宇宙創成以前の「虚時間における量子力学的ゆらぎ」から宇宙が創成されたとして、虚数宇宙から我々の実数宇宙を導き出そうとしている。

つまり、ニュートンの「絶対時間」に拘束されているカントの因果律の概念では、もはや「宇宙論的証明」を完全に覆すことはできない。

(C)「物理神学的証明」について

カントは、これは自然の素材を人間が加工して物質文化社会を作った結果からの投影とみている。だから自然素材を大前提にしたこの論理では、せいぜい「世界建築者」にしか至れず、質料までも創造した「世界創造者」には至れないとした。

カントの時代はニュートン物理学の時代である。ニュートン系の力学は(むろん厳密には異なるが)古代ギリシャのデモクリトスの主張したアトムのような世界要素を「質点粒子」と呼んで、それを彼の「絶対時間・絶対空間」物理学の基礎の一つとした。

それはアトムと同様、現在我々の知るような構造性・形式性のある素材観でなく、無規定的でランダムな、一切の形式を持たない、単に被動的な、集合的に形を外部から加えられて何らかの像になるようなもの、つまり「形式や形や構造以前の素材」といった考え方である。

それをカントも踏襲したので、彼は素材と形式を、プラトンのいう感覚的個物とイデアのように、また、アリストテレスのいう質料(ヒュレー)と形相(エイドス)のように、分けてしまった。

つまり、これでは先に挙げた「カントのいう例」にある通り、宇宙における構造性は「外から与えられたもの」と見ざるを得なくなるわけだ。このような機械論的自然観はカントに批判されている当時の物理神学的証明者にはなるほど当てはまるかもしれない。

だが、「素材そのものにすでに構造性がある」とする現在の物理学的宇宙観についてはもはや成り立たないといえよう。

ここから、「なるほど」と思われた「宇宙の秩序・合目的性・美などは物質文化社会の有様の投影」というカントの考えも、現代ではある程度制約を受け、相対化されざるを得ない。

素材そのものが質量物質としてそのままエネルギーであり、それ自身のダイナミックな創発的構造性から、宇宙一般の構造性が産まれたのである。

だから、「物理神学的証明」の神は素材を創造できないで、せいぜい単に形式を素材に与えた「世界建築者」に留まる、とカントがいうのは、厳密に言って現代の状況下では正当な結論とはいいがたい。

したがって、こういう枠組み外の、すなわち質料素材まで創造した世界創造者を導出できる現代の「新しい物理神学的証明」があっても、別におかしくないわけである。

カントは、秩序宇宙への驚嘆は相対的なもので、それは絶対者を導出する方法にはなれない、とするが、それ自身としては確かにそうである。しかし、宇宙に対する人間のその神秘的驚嘆が実は根拠のないものでなかったということがいずれ分かるとすれば、宇宙論的証明もあながち的外れだったわけではなくなる。

以上はカントによる神の存在証明批判への再批判ではあるが、ちょっと難癖をつけた程度にとどまる。この段階で私が主張しているのは、「確かに神の存在証明を理論的に肯定する道はないが、また神の存在証明を理論的に否定する道もない。神の存在証明については理論的に否定するのも肯定するのも冒険だ」ということである。

第二部 無神論と唯物論の検討

(1)無神論と唯物論

(A)無神論

(イ)無神論はいわば「自然哲学のない唯物論」

ここでまず無神論を取り上げる。狭義の無神論には、超自然的な人格的唯一神を否定するものとして、多神論、理神論、汎神論も含まれるが、このホームページでは、いまだ唯物論に至らない段階としての無神論を考える。

ふつう無神論は自然哲学的究明を土台となさずに、単に社会的不条理の問題と結びついて出される場合が多い。ニーチェの西欧キリスト教文明批判としての「神は死んだ」というニヒリズムもそうだと言える。

また人類の多くが抱えている「神義論」(義と善と愛なる神が存在し、この宇宙と人間を創造したのなら、どうしてこの世に不義や悪や憎しみや不幸などが存在するのか?という問題に関する議論)からの神の存在の否定もそうだ。

むろんニーチェはショウペンハウエルの「意志と表象としての世界」の哲学を背景にしているから、かならずしも自然哲学的な、あるいは世界解釈的な究明をなさなかったわけではない。

インド系の東洋宗教から強い影響を受けたショウペンハウエルのその「意志」は、盲目的かつ非合理的で、いわばひたすら生きようとする汎神論的生命の意志のようなもので、キリスト教的人格神のそれとは全く違う。

その不合理主義の「生の哲学」の系譜に、どちらかといえば自然哲学的世界解釈者というよりは文学者的で倫理家のニーチェもいるわけである。

(ロ)無神論と神義論

無神論は多くの場合、「神義論」的な疑問に始まる。この世に戦争や迫害やその他もろもろの不幸が存在するのも、むろん問題だが、さらにそれが聖戦や魔女狩りなど、神の名によって遂行される場合がある。

これらが人間の罪性なら、神はそもそもそういう在り方しかできない「欠陥人間」を創造したことになり、そういう神は人間から見て、(もし邪悪な存在でないとすれば)、崇拝するに値しない無能者だというわけである。

これは俗に言う「神はアダムやイブの近くになぜ善悪を知る木を置き、罪の元を作ったのか?」「全知全能の神はアダムとイブの未来のそういう行動を知っていながら、どうしてそれを未然に防ごうとしなかったのか?」という楽園神話に基づいた「神義論」として始まっている。

「アダムとイブのこの原罪によって死と不幸が人類の中に入って来、それをイエスの十字架の死が贖罪した」というパウロ的な信仰がキリスト教信仰の核心だが、楽園での物語を神話として処理する近代神学や現代神学においても、「人間の罪性ゆえに、イエスが十字架に架けられて人類の罪を贖った」とする点では変わりない。

その場合、その「罪性」は人間の責任か、そういう結果を予想しての、あるいは予想できなかった人間創造者なる神の責任か、という問題は、依然として存在し続けるのだ。

この「罪性」を実存哲学の言葉で、人間存在の「非本来性」(ハイデッガー)や「限界状況」(ヤスパース)や「絶望・不安」(キルケゴール)などと言い換えても、なんら解決には至らない。

弁神論や義神論の立場では、アウグスティヌス以前の時代から、人間の自由を前提とした一種の原罪選択論が展開されてきた。「罪は自由を前提とするが、人間が人間であるためにはとりあえず自由でなければならない。原罪は自由を誤って行使した人間の責任であって、そういう自由を持つ人間を創造した神に責任などはない」という考えである。

むろん、このような説明に満足できない者は無数にいるわけで、いまだに神義論の問題は信仰へ至る最大の障害物として存在し続けている。

現代神学には「聖書神学」「組織神学」「歴史神学」「実践神学」の四部門があるが、そのうちの「組織神学」はキリスト教の教理を現代人が受け入れやすいように解釈することを目的とするもので、いわば「理論神学」と名づけてもいいものである。

「組織神学」には、

 (1)その時代と社会の言葉と論理で、キリスト教の教えを解釈して、宣教の便宜を図る
 (2)その時代と社会から提出される神義論的問題を解決する


という二つの基本的な目的がある。しかし、この二つは実は厳密には分離されえないので、一つとも言えるものである。

「組織神学」という名前は現代のものだが、そういう目的の理論神学は、2世紀中葉から3世紀前半にかけてのローマのユスティヌスおよびアレクサンドリアのクレメンスやオリゲネス以来ずっとそうだったし、トマス・アクィナスに代表される中世スコラ神学でもそうだった。

古代ローマ当時はヘレニズムの論理と言葉でキリスト教の教えを解釈し、それに必然的に伴う「神義論」の問題に対してもそれなりの解答を与え、その時代のヘレニズム世界の知識人たちにキリスト教受容のための便宜を図った。

中世のトマス・アクィナスはその『神学大全』で、無数の小項目を次々に挙げて、ヨーロッパ世界の既存の信仰者たちのために様々な理論神学的問題への解答を与えているが、その目的はやはり究極的には「神義論」なのである。

神義論の問題はむろん聖書神学における聖書解釈においても重要な課題であり、歴史神学(教会史・教理史)や実践神学(牧会学・教会音楽)でもそうで、それゆえ神学全体を覆う普遍的な問題といえる。「神学とは神義論だ」といってもいいぐらいなのだ。

だから、神学が今も存在するように、現在もまだこの問題は続いていて、信仰の道に入ろうとする者たちや、すでに信仰を受け入れた者たちに、いつも大きな不安や疑問を投げかけ、少なからぬ信徒が、主に自分や自分の家族に降りかかった不幸から来る神義論的疑問に躓いて、信仰を捨てさえしている。

とはいえ、あれもこれも神が存在するか否かが曖昧なために起こる問題であり、神が存在することが、その人あるいは誰にとっても疑問の余地のないほど明らかであれば、神の義についての問題は起きない。

旧約聖書の『ヨブ記』に見られるように、この世に人間の不義や悪や不幸がいくら満ち溢れていようと、およそ人間の義ではなく神の義(神の歴史行為)が、絶対的に優先することが分かるからである。だから、この問題も、結局、神の存在証明の問題であるといえよう。

(B)唯物論

さて、神の有無問題をテーマにする我々の現在の課題を遂行するためには、「自然哲学的に究明されたちゃんとした無神論」としての唯物論を、有神論の対極として据え、その唯物論の諸論拠を整理し、そのそれぞれについて正しく判定していかなくてはならない。

(イ)四種類の代表的唯物論

唯物論の諸論拠とはいかなるものか? そこから代表的な四つの唯物論を挙げよう。

(T)まず古代ギリシャのアテネでプラトンの対立者として活躍したアトム論者のデモクリトスを見よう。
彼は、「水」(ターレス)や「空気」(アナクシメネス)や「ヌース(理性)」(アナクサゴラス)や「無限定なもの」(アナクシマンドロス)や「火」(ヘラクレイトス)や「数」(ピュタゴラス)などは根源要素(アルケー)でない、と否定した。そして、それらの過去の自然哲学的主張に比べ、より理論的に首尾一貫した思想として、「真に存在するアルケーは『アトム』だけで、その他のものは全てその離合集散にすぎない」とした。

彼のその唯物論の目的は、神々や精霊の諸観念から来る、現世や来世に対する人間の恐怖や不安を取り除くところにあった。

(U)18世紀フランス啓蒙思潮に見られるように、中世キリスト教封建体制に対する近代ブルジョアジーたちの闘争理念として台頭してきた唯物論。

これは「封建制度と結びついた中世的教会と近代的新産業」の対立を背景としたもので、「信仰と理性」の対決を「迷信と科学」の対決と見ることを通して、理性や科学を極限まで押し広げた結果としての唯物論である。

(V)19世紀中葉から20世紀までは、人類史上最強・最高の唯物論であるマルクス主義の弁証法的唯物論が、資本家階級の観念論哲学に対する労働者階級のイデオロギーとして提唱され、支持され、相当な発展を見せた。

労働者や農民が機械や土という物質に即して生存することが、彼らを唯物論的傾向と親和的にさせたわけだが、デモクリトスのアトム論を含め、もともと唯物論はそういう階級に属する哲学なのだ、と新たに解釈された。

(W)その他にも重要な論拠として、近代以降の自然に対する科学研究成果も唯物論の大きな一因をなしている。近世以前では、説明のつかない一見不可思議な自然現象を何もかも全て神秘なものとし、そこに神の働きを見てきた。

だが、自然科学が発展するにつれて、それらの不可思議も一つひとつ解明されるに至り、宇宙や地球の自然現象を説明するのに、もはや神がいささかも必要とされない結果になった。それで、無神論的な啓蒙主義哲学の影響を受けて、唯物論が強く科学者たちの間で支持されるに至った。

いわば自然の内に「神の座」がなくなったわけだが、それを以って、神をないものと結論したのである。というのも、近代自然科学の宇宙観・自然観では、ブルーノ、デカルト、ニュートンに見られるように、宇宙=自然は空間的に「無限」と考えられていたからだ。

宇宙が無限で、科学が自然現象のほとんど全てを説明できるなら、もはや、もう一つの無限なる神の居場所はどこにも存在しないわけである。

(ロ)唯物論の哲学的側面と科学的側面

唯物論の起こりや目的については以上であるが、我々が理論的検討を加えるものとしては、(V)と(W)のみを対象にすればいいだろう。(V)は現代唯物論の哲学的側面で、(W)はその科学的側面といえる。

(V)は人類史上最強・最大の唯物論である。それは「物質そのものが同時にエネルギーとして、みずから主体的に運動・変化・進化していくもの」として捉えているので、(これは現代科学が解明した真実であることが、その後、実証された)、どこにも神の働く場所がないからである。明らかに、なんの働きもない神が存在するわけがない。

さて、18世紀の唯物論では、当時の自然科学の低い発展段階の制約を受けて、自然を機械として捉えざるを得なかったので、理論上、どうしても機械の外に、その製作者や動因を設けなければならなかった。

機械は自己生成しないし、動くためには、いわば外部にモーターが必要なのだ。それが、18世紀の唯物論が神の存在を最終的に排除できなかった主な理由である。

ちゃんとした自然科学は最初は「力学」から始まる他なかった。それは、(当時はまだ代数学が存在せず、幾何学的なものであったが)、アルキメデスの静力学(シーソーや水の比重のような「均衡の力学」)に始まる。

動力学(運動の力学)は近世のガリレオに始まるが、それはニュートン力学で集大成され、一応の完成を見た。

その頃、物質(化学)や生物(生物学)の領域のことはあまりにも複雑で全く手におえず、まだまだ錬金術や生気論の領域を超えられないでいた。

自然科学が比較的単純な「均衡や運動の力学」から始まったのは必然といえよう。その力学的・機械論的自然観を絶対化すると、ニュートン力学の自然像になるわけである。

機械論的自然像のもとでは、ちゃんとした唯物論に到底至れない。事実、ニュートンは粒子の存在する真空空間を、いわば神の手の出入りする「穴」のように考え、当時、不可思議な遠隔作用現象(物と物とが接触して作用しない現象)と見られた磁気や重力を、どこか神の手になる神秘的なものとしていたのである。

デカルトは「自然は真空を嫌う」というアリストテレス風の「充満説」の立場から、そういう真空空間の存在を否定し、それゆえ世界創造後の神の介入を認めなかったが、それでも宇宙(自然)の創造者は必要とした。

だから、我々が理論的検討を加える対象からは、どうしても「本物の唯物論としての弁証法的唯物論」を外すわけにはいかない。

次に、「果たして近代科学は神を正当な手続きで排除したのかどうか」を検討し、そのあとで、弁証法的唯物論の正当性の有無を調べてみたい。 

(2)近代科学は神を正当な手続きで排除したか?

いうまでもなく科学と哲学とは違う。哲学では、その基本となるみずからの原理によって、神の存在を肯定したり否定したりするが、その原理自体が科学なのではない。経験界を超えた神の存在については「有るとも無いともいえない」というのが科学本来の立場である。

しかし、科学者の多くが無神論や唯物論を科学的結論だと錯覚しているのは事実で、これは彼らが教師や先輩などから受け継いだ近代啓蒙主義の哲学原理によるものである。

つまりはっきりいえば、「無神論的・唯物論的な科学者たちは哲学と科学とを混同している」といえよう。彼らがどういう成り行きから両者を混同するに至ったのかはっきりさせることが、「近代科学は神を正当な手続きで排除したか?」という問題提起とその解明につながっている。

(A)神を排除した論理

神を排除するのに用いられたものには、

(1)基本的な(仮説的)原理
(2)補助的傍証

の二種類がある。

(イ) まず(1)の基本的な(仮説的)原理について述べるが、これには、(a)科学的原理と(b)哲学的原理がある。

(a)科学的原理

これは、当時は絶対的な科学的原理として信じられ、その原理のもとで諸科学が目覚しい発展を遂げるに至ったために、仮説以上の科学的信頼性を与えられた原理である。

たとえばニュートンの「絶対時間・絶対空間」の物理学がそれにあたる。17世紀のニュートンのこの絶対物理学が20世紀のアインシュタインの相対性理論で克服され止揚されたのは、誰もが知っている事実である。

ニュートン物理学は特殊相対性理論の一つの場合(光速度に比べて非常に遅い系の場合)や、一般相対性理論の一つの場合(曲率ゼロの空間における場合)に過ぎなくなった。

ニュートン物理学では電磁気現象を説明することができなかった。その他の物理学的現象については、のちに量子力学の発見につながった熱輻射の問題を除けば、重力や弾道学など通常の力学だけでなく、流体力学・弾性力学・統計力学など、ほとんど何もかもニュートン物理学の枠内で説明できたのである。

ニュートン物理学の死角であった電磁気現象からアインシュタインの特殊相対性理論が生み出され、熱輻射問題から量子力学の起こりとなったプランク定数(h)が発見されたのは、科学史を学んだ者の常識である。

さて、神の有無の問題は、物理学的宇宙の全体像を設定して初めて可能になる。この問題については、物理学的宇宙に土台を置くその他の自然科学の分野、すなわち化学や生物学や大脳生理学(および心理学)などは、今のところ全く圏外のものとしていい。

自然科学は対象の一つひとつを実証的に確定していくものである。一つひとつの対象の全てによって構成されている対象全体に対して何か実証的に言明できるためには、それら一つひとつの対象に対する実証過程が、しらみつぶし的についに全体に至り得た時である。

宇宙全体に関して、科学的な「想定」をするのでなく、科学的に確かな「実証的言明」をするには、その前に、宇宙の基本的な全構成要素が一つひとつ全て実証的に確定されていなくてはならない。

ところが、17世紀以降、全宇宙の一つひとつの基本となる対象を実証的に全て確定していくことは、宇宙が「無限」とされていたため、原理的に不可能だった。しかるに、くまなく宇宙のすみずみまで調査し検討したわけでもないのに、どうして自然科学は神を排除しうるとし、唯物論と親和的になったのであろうか?

それはまさに皮肉なことに、あろうことか逆に、クザヌスやブルーノやデカルトやニュートン以来の一種の「宇宙無限説」そのものによって可能とされたのである。

ニュートン自身は篤信なキリスト教徒だったとはいえ、ニュートンの「絶対時間・絶対空間」物理学における「空間の絶対性」の仮説的概念が、(ニュートンみずからは「絶対空間は無限」とは述べていないとしても)、結局「空間の無限性」として把握され、その無限性が神を排除するにおいて実に大きい役割を果たしたのだった。

例えば、同時代の聖職者G・バークリーは、「絶対」と形容された空間に無神論的な「無限性」を見、

「運動はいつも相対的なものである。この世には相対運動しかないとすることで、現実の(絶対)空間が神であるか、神のほかに永劫にして無限なるものがあるか、というジレンマから逃れられる」

といった意のことを述べている。

つまり結局のところ、空間無限論的なニュートン物理学の長い間の成功が、二百数十年の長期にわたって科学者集団における「科学は唯物論と親和的である」という一種の唯物論的雰囲気を背景から支えてきたわけである。

この間に化学・生物学・地学など各種の自然科学が長足の進歩を遂げ、神を自然のあらゆる現象説明から一つひとつ排除していった。この諸自然科学の激しい潮流が唯物論のための力強い傍証となったのだった。

ニュートンはバークリーの批判的見解を受けて、「神は時間そのものでも、空間そのものでもなく、(時間的に)持続し、(空間的に)遍在することによって、時間と空間を構成する」と釈明調で述べている。ニュートンのこの哲学的釈明は首尾一貫したものでなく、それほど説得的でもない。

結局、ここでは唯一の「絶対」や「無限」を、神と物質宇宙との間で取り合っていることが分かる。これがいずれ問題を解く鍵になる。

もし宇宙が無限なら、無限なる神はどこに住まうことができるか? 

宇宙が無限なら、神はデカルト的な「精神・物質二元論」によって物質宇宙とは別の精神世界に確保されるか、デカルト哲学を出発点としたスピノザの汎神論のように、神と自然を同一とし、神を「能産的自然」とし、世界を「所産的自然」とする他ないだろう。

「無限」(infinitum)という概念は、キリスト教世界では中世スコラ学以来ずっと神にだけ付与されてきた。これはクザヌスもそうで、宇宙・自然を「無限」(infinitum)とはせず「無窮」(interminatum)とし、「無限」は神のために取っておいた。

クザヌス後の無限宇宙論の後継者であるG・ブルーノはあえて「無限」を宇宙に使ったが、それでも彼は神の内包的で絶対に単一的な無限性と世界の外延的で複合的な無限性との間に天と地の開きを見、神と比較すれば世界は単なる点のような、無のごとき存在だと述べている。

ところで、デカルトやニュートンはクザヌスの立場に戻っている。しかし、これは教会への一種の遠慮、あるいは譲歩であって、その実宇宙は「無限」であった。それゆえ彼らの後継者である近代科学者たちは、教会勢力が弱くなると、宇宙を遠慮なく「無限」として自然科学を発展させてきたのである。

そして物質宇宙が「無限」であれば、「無限」が唯一である限り、論理的に、もはや神は存在しなくなるわけであり、それが科学者たちを唯物論へ導くことになった。


近代的自己はデカルト哲学に始まると言われている。そのデカルトはニュートンとは反対に真空を認めず、空間は満たされているとし、「延長」=「空間」=「物体」とした。

それゆえ彼は、「ありもしない真空を通した遠隔作用など存在しない」と主張し、遠隔作用として見える現象を、空間を埋め尽くす物体の渦流で説明しようとする。

こういう考え方は必然的に神の超越的な介入を許さない。空間はびっしり埋め尽くされていて、神の入る隙間がどこにも存在しないからである。

これはのちに各種の保存則(物質の不滅性・エネルギー恒存の法則・角運動量の保存則)と結びつき、神の介入や、ひいては神の存在の否定を強く擁護するものになった。

ところで、果たして空間は「絶対」だったのか? 空間は「無限」だったのか? また「無限」は唯一だったのか?

現在の科学的宇宙論である「ビッグバン宇宙論」では、「宇宙は無から生成され、時間と空間に始まりがあった」とされている。つまり「絶対」でも「無限」でもない。

さらに、例えば曲率ゼロのユークリッド平面では平面世界は唯一だが、もし面に曲率があれば、縦・横だけでなく第三の「高さの次元」もあることになる。そしてこの非ユークリッド曲面だけが唯一の面でなく、それにさまざまな形で交わり、あるいは平行する無数の曲面や平面がありうることになる。むろん、そのそれぞれが無限の平面や曲面であっていいわけだ。

それと同様、もし我々の三次元の立体空間が曲率を持つ場合、我々の立体空間とさまざまな角度で交わり、あるいは平行する無数の「立体空間宇宙」が事実、存在していいのである。

それらが無限な広がりを持っていても、いささかも問題はない。仮に我々の宇宙が無限だとしても、無限は唯一でなくそれこそ無制限に存在する。

これまで一般相対性理論に基づいたビッグバン宇宙論は、宇宙の曲率の程度を測定して、この宇宙が果てしなく膨張していくのか、それともいつか収縮に転じてビッグクランチに向かう時が来るのか、明らかにしようと、銀河集団間の距離を測ってきた。

それはまたTa型超新星の赤方偏移による銀河の後退速度の観測でもある。そして1990年代後半に入ってついに最遠銀河の後退速度の増大から、膨張の速度が加速していること(したがって反重力の暗黒エネルギーの存在すること)が判明した。

また、ブラックホールの実在性は今や科学の常識であり、それと思われる天体も観測されて数多く公表されている。ブラックホールは重力のために空間が極度に曲がり、光さえ外部に出て来ることのできない状態をいう。つまり我々の宇宙空間には曲率があることが今や判明しているのである。

だから少なくとも空間だけで「縦・横・高さ・X」の、4次元の超空間がある。そして現在、宇宙物理学の先端を走るスーパーストリング理論では、空間は9次元、時間は1次元という「10次元時空論」が展開されている。

それによると、我々の3次元の空間を除く残り6次元分の空間は、ビッグバン以降、そこにエネルギーが入り込めなかったため成長できずに縮こまったままでいる。だから我々の空間のあらゆる点に、その縮こまった残りの6次元空間が隠されているわけだ。さらにいえば、最新の超膜宇宙論である「M理論」は11次元時空論を展開している。

とするなら、かつて神と物質宇宙との間で一つの「無限」を取り合って、ついに神を排除した基本原理は、「無限」が無制限にありうる現在の観点では、間違いだったことになるわけだ。

それに、物質宇宙が「無限」であればこそ、無限なる神を排除できたけれども、その宇宙もビッグバン宇宙論では時間と空間において「無限でない」ことが判明した。

したがって、近代科学が神を排除したのは、超空間の存在に気づかなかった当時のユークリッド幾何学的宇宙観の時代的制約によるものだったわけで、今では全く無効の科学的手続きだったといえよう。

(b)哲学的原理

唯物論の「哲学的原理」とは近代啓蒙主義(enlightenment)の哲学的態度のことである。日本語訳の「啓蒙」の「蒙」とは中世的な迷信のことで、「啓蒙」は、信仰そのものの「蒙」を「啓」(ひら)く、という意味をも含んでいる。

モンテスキュー、ヴォルテール、カント、レッシング、ロック、ヒュームなど、18世紀啓蒙主義の旗手たちは、キリスト教信仰を否定したわけではないし、いわゆる啓蒙君主と呼ばれたフリードリッヒ二世やエカテリーナ二世などもキリスト教徒ではあるが、この啓蒙主義の流れは唯物論の陣営にとって非常に有利に働いた。と同時に、唯物論のための哲学的原理として大きく作用するに至った。

近代啓蒙主義は、迷信や神話を無数に含んだ聖書への無批判的で盲目的な信仰と、そこから来る中世的な教会の自然観・社会観・人間観におけるもろもろの非合理な教条の蒙を啓き、理性の啓発による、人間や社会や自然への合理的・科学的認識を通して人類の普遍的進歩を図ろうと、これまでの中世的な思想を徹底的に批判した。

これはルネッサンス、つまり中世的な「教会信仰」主義に対する古代的・近世的な「自然人間理性」の見地の復権運動の延長線上にある動きである。17世紀以来の自然科学のある程度の発展とその成果を土台にした第二のルネッサンスとも言えよう。

近代科学の機械論的自然像において、「一つしかない」と思われた「無限」を神と自然との間で取り合い、すでに自然の方が勝利した(と錯覚された)時代には、神は限りなく自然から遠のき、人間社会に介入することも、むろん認められず、つまり神による奇蹟も預言もありえず、神はほとんど仮死状態にあった。

これを信仰の保守主義者の一人は、「宇宙の創造主を免職することに他ならない」と非難している。

全知全能の神のこのような無能さは、その神が全知全能の神とされているだけに、即、その神の非存在を意味するようになる。これは必然的なことであった。

啓蒙主義の右派は信仰者であるが、ディドロやド・ラ・メトリなどの左派は唯物論者である。そして啓蒙主義の本質は、いずれそれが唯物論のための哲学的原理となった将来の姿から見ても、無神論的・唯物論的だったといえよう。

啓蒙主義者のカントは「理論・認識」においては神を否定したにもかかわらず、「実践・道徳」においては神を要請した。これをマルクス主義に寛大だったハイネは、信仰への理性の「妥協だ」と批判している。

近代啓蒙主義の「自然主義・人間主義・理性主義」をつきつめれば、それはいずれおのずと「神・教会・信仰」を否定する結果になるわけだ。

こうして近代啓蒙主義はその後、始めの右派的側面をほとんど失い、左派的な、無神論的・唯物論的な機能のみが働くようになり、「理性は信仰と矛盾し、超自然的な神は存在せず、奇蹟も預言もありえない」という信念として、現在では学校教育を通じて、ほとんど全ての現代人に受け継がれている。

誰もが少し反省すれば明らかなように、啓蒙主義は哲学であって科学ではない。しかし唯一の「無限」を神との間で取り合って勝利した(と錯覚した)自然や科学にとっては、超自然的な神やその手の働きとしての奇蹟および預言などが存在しないことは自明なことで、啓蒙主義は自明の科学的真理として受け取られてきた。

啓蒙主義が「科学的」というより「科学そのもの」として錯覚されるに至ったのは、唯一の「無限」を神と取り合って勝利したことの他に、次の(2)でその一部を挙げた無数の補助的傍証の力にその多くをあずかっている。

とはいえ、補助的傍証はどこまでも補助的なものにすぎない。それに、もし(a)の「宇宙は唯一で無限」という「科学的原理」が神を排除した正当な科学的手続きでないとすれば、(b)の「近代啓蒙主義の哲学」という「哲学的原理」がいくらかまびすしく喚いてみても、神の存在を否定するのになんの力もないだろう。

そして近代啓蒙主義の、「理性は信仰と矛盾し、超自然的な神は存在せず、奇蹟も預言もありえない」という信念も、その自然主義・人間主義・理性主義も、大きな誤りである可能性があるわけである。それが大きな誤りであることは第三部の「神存在の『三一』の普遍的な印」で明白になるだろう。

 (ロ) 次に(2)の補助的傍証に移る。

すでに触れたが、ニュートン的な無限宇宙を背景にして、その後、化学・生物学・地学などが発展し、それぞれの分野で神を排除していった。

(a)地理的問題の分野では、古代から中世にかけて、「宇宙の形はユダヤ教の幕屋の形をしており、大地は平たく、宇宙の中心にあり、しかも大地の中心はイエスの十字架があった聖墳墓のところだ」とする聖書的な地理観が支配的だったが、それは結局、コロンブスやマゼラン、コペルニクスやケプラーなどによって打ち破られた。

(b)天文学の分野では、天動説と地動説との闘いがある。これは、イエス・キリストのこの世(この大地)への受肉と、十字架の贖罪の教理の真理性をかけたものだった。

つまり、アダムとイブが原罪を犯したのは、この大地の「エデンの園」においてで、その贖罪のためにキリストがこの大地に受肉したからには、この大地は宇宙の中心でなければならない。そういういきさつで、ローマ・カトリック教会も必死だったわけだが、結局、敗北を余儀なくされた。

カント・ラプラースの、「ガス状星雲から冷却によって太陽系が生成した」というあの星雲説でさえはじめは、「天地創造のとき既製品として星々が創造された」とする聖書主義的解釈の立場から「無神論的なものだ」と攻撃されている。

最終的にこの問題は分光器によるスペクトル線の連続(固体)と非連続(気体)の区別がついて、やっと星雲説が勝利して解決し、それによって「自然法則に貫かれた宇宙」という科学的観念が確立された。

ラプラースは「宇宙の初期条件と境界条件が与えられれば、その後の全ては決定論的に認識できる」と主張し、よく知られているように宇宙を説明するのに「神という仮説は要らない」とナポレオンに向かって豪語した。

そこには絶対物理学としてのニュートン力学による機械論的自然像が背景にあるわけで、これがいずれ唯物論へと続く道であることは誰にでも分かる。

ちなみに、こうした決定論は、その後、量子力学における「原理的な偶然」の発見や、ポアンカレなどから始まったトポロジー幾何学や、その後の非線型幾何学およびカオス理論などによって、今日では全く通用しないものになっている。

たとえばカオス力学では「バタフライ効果」の存在が証明されている。これは「南米の一匹の蝶々の羽ばたきがアジアの台風の原因になる」という効果である。また、太陽系も一億年単位のカオス、つまり一億年の単位で見れば、惑星の位置は不確定で計算できないという。

(c)化学の分野では、中世末期、錬金術あるいは魔法使いの術だとして、火炉の設置の禁止など化学実験一般に禁令が出され、長い間、黒魔術視されてきた。

だが、R・ボイル以後、多くの化学者が輩出し、19世紀末にはメンデレーエフが化学周期表を発見するに及んで、化学はニュートン力学による天体位置予測と同様、予見的となり、ついに魔術的誤解を最終的に払拭しえた。

そして、その予見性によって自然における恣意的な力の介入(超自然的な神の介入)を着実に克服し、厳密な科学として、自然における法則の支配を一層確固ならしめた。

力学的世界だけでなく化学的世界も、「法則による科学的予見性を獲得することで、神の超越的介入を完全に排除できた」、としたわけである。それは、ニュートン的な無限宇宙論に立つ者にとっては、神の非存在を確証するものとなった。

そういう諸科学の発展する激流の中で、新たに、すでに言及した「各種の恒存則」も付け加えられ、いっそう神の介入する余地がこの自然界に存在しなくなったかのように見えるに至った。

「あらゆる自然現象をくまなく検証しなくても、どの自然現象も神とは全く無関係で、どこにも奇蹟は存在しない」という結論を導き出すのは、実証科学の立場から離れるものであるが、ほとんど誰もその結論の不当性に気づくことはなかった。

これは、「神が唯一の『無限』を宇宙もしくは自然科学との間で取り合い、それに敗北してどこかへ消えてしまったうえに、『科学的』な啓蒙主義の哲学的原理も存在しているから、そう結論しても絶対間違いない」と彼らが推論的・予断的に判断したためである。

だが、各種の恒存則を含む自然法則がたとえ普遍的であっても、もし超自然的で無限な神がこの宇宙の彼方、たとえば超空間に存在するなら、その神による偶然な、その場限りの超越的介入はありうる。むろん自然科学はそうした超越的介入が宇宙のどこかで事実起きたかどうかについて判定できない。科学の「普遍性」のザルの目を、奇蹟の「偶然性」が容易にすり抜けてしまうからである。

普遍的なものは、もし全ての自然現象を一つひとつ実証してついに全体に及ぶのでなければ、偶然的なものの全てを捉えられない。偶然的なものの全てを捉え尽くしたわけでもないのに、自然科学が、「偶然的なものであれ何であれ、奇蹟は存在しない」と勝手に断定したのは、まず(1)の(a)と(b)と、(2)から、「神そのものが存在しない」と前提したからだろう。

この前提が誤りであれば、あるいは誤りである可能性があるならば、神のその場限りの、偶然な超越的介入を断定的に否定できないことになる。

(d)地学の分野では、化石の存在が問題になり、教会はそれを、「神が世界を創造する時、あらかじめ地中の各層に加えて置いた」とか、「ノアの洪水によるものだ」とか主張したが、ビュッフォンやリンネなどによる研究がついに教会の蒙説を覆し、いずれこれはダーウィンの進化論をめぐる論争へと発展していく。

そして進化論の華々しい勝利は、『創世記』に記されているキリスト教の天地創造以来の神話をことごとく葬り去ってしまった。これは人類始祖のアダムとイブが存在しなかったこと、したがって「原罪」なるものもなく、それを贖罪するイエスの十字架も全く必要ないことを人々に確信させた。

(B)神が排除された結果としての神学とマルクス主義哲学

(イ)科学的合理主義に対する神学の敗北

他方、このような諸科学の勝利の只中で、新旧の教会も聖書の記述をそのまま認めることを憚るようになり、様々な合理化が神学内部においても遂行されるようになった。

旧約聖書、特に「モーセ五書」に対しては既に17世紀のスピノザがその先鞭をつけていたが、18世紀中葉の新約聖書学者H・S・ライマールス以来、聖書を信仰の対象として研究するのでなく、古代の一文献として文献批評学的に研究しようとする動きがプロテスタント内部で大きな動きとなって現れた。

19世紀後半には聖書学者J・ヴェルハウゼンが、「モーセ五書」はモーセの手によるものでなく、時代も地域も記者集団も思想も異なるJ・E・P・Dという四つの文書の継ぎ接ぎから成り立っていることを証明し、旧約聖書に対する神の超越的権威を失墜させた。

ライマールス以来の新約聖書学ではイエスの実像を確定しようとする「イエス伝研究」が始まった。

ある者はイエスは黙示録的メシアとして自覚していたとか、他の者は、いや、自覚はなくて、それはのちに聖書記者が作り上げた創作にすぎないとか、またイエスは道徳の教師だったとか、預言者だったとか、そうではなく政治的なユダヤ独立革命家だった、などと描写し、二百数十年に及ぶおびただしい諸研究の中には、「イエスは実在しなかった」という説を唱える者まで出てくる始末だった。

だが、結局、現在のところ、R・ブルトマンの、「史的イエスは原始キリスト教会の教理によって歪曲され、唯一の資料である福音書からは確定できない」という結果になっている。

キリスト教とはイエスという個人をメシアとして信じる宗教だ。したがって、「イエス自身が自分をどう考えていたか明白でない」という答えがあるなかでは、キリスト教徒は何をどう信じればいいのか訳が分からなくなってしまう。

またキリスト教における合理化の結果、19世紀の「近代神学」では奇蹟に対する軽視や否定が風靡し、イエスはそれに伴って、宗教家としてよりも道徳家として評価されるようになった。キリスト教の脱宗教化である。

一般に知的なキリスト教徒は「奇蹟」についてものを言わなくなった。また「イエスの再臨」や「最後の審判」や「彼岸の有無」などについて懐疑的になった。これはキリスト教の側からの科学への敗北宣言で、この敗北は神学世界の中では様々な姿を取って今も続いている。

 (ロ)マルクス主義における科学と哲学のごちゃ混ぜ

こういうキリスト教内外の動きの中で、唯一の「無限」を勝ち取った(と錯覚した)ことや、カントの「神の存在証明」の無効宣言や、啓蒙主義哲学や、諸科学の発展や、経済社会の発展による宗教勢力・宗教的価値の退潮が、科学者の唯物論的傾向をいっそう助長してきた。

そして、なかでも労働者階級のイデオロギーとして提出されたマルクス主義の弁証法的唯物論が、人類史上最大・最強の、そしておそらく最後の唯物論として現れ、科学と哲学の境界を曖昧にし、両者をごちゃ混ぜにするにあたって、実に大きな影響を与えた。

そもそもマルクス主義にとっては、史的唯物論という哲学によって予見された未来の共産主義が科学であると同じく、その弁証法的唯物論も全て科学であった。

彼らは仮説の立場を取らなかったために、また革命的実践を要求するものとして原理的に仮説の立場を取りえなかったために、マルクス主義では哲学と科学の明白な区別が存在していない。

たとえば『空想から科学への社会主義の発展』というエンゲルスの著作名がそれを雄弁に物語っている。たしかに生産力と生産関係を軸にしたマルクス主義歴史社会学も、他の歴史社会学と同様、一つの仮説的学説としては「科学」と呼べるに十分なものだったが、彼らはその仮説性を拒んだのだった。

エンゲルスはさらに『自然の弁証法』で、「弁証法こそは今日の自然科学にとって重要な思考形態である」と述べている。彼にとっては(そして彼に続く全てのマルクス主義者にとってもまた)、「唯物論」も「弁証法」もまさに科学であり、したがって「弁証法的唯物論」の哲学は、いわば科学と同じレベルのものだった。

(3)弁証法的唯物論(人類史上最後の唯物論)は今も正しいか?

                 (A)弁証法的唯物論の起こり

カール・マルクスの肖像
 K・マルクス(1818-1883)
(イ)マルクスの唯物論の起源はフォイエルバッハの唯物論

人が唯物論に至るには、(1)自然哲学、(2)歴史・社会哲学、(3)人間哲学、以上の三つのルートがある。18世紀の機械論的自然像を背景にした機械論的唯物論は(1)であり、19世紀前半のフォイエルバッハの場合は(3)である。

そしてマルクスの場合は(3)のフォイエルバッハの見地を出発点にして、それを歴史社会哲学に応用した(2)のルートだった。

もともとマルクスの学位論文のテーマは「デモクリトスとエピクロスとの自然哲学の差異」(両者のアトム論の差異)についてであったが、彼が唯物論者になったのはこうした自然哲学的ルートではなかった。

学位取得後、二十代半ばの彼は「ライン新聞」の主筆として、出版の自由や検閲の問題などに深く関わり、また貧しい者たちによる森林木材窃盗問題や離婚法案など、さまざまな現実社会の、とくにそれらの法的諸問題に触れた。そのため、フォイエルバッハの非歴史社会哲学的な人間学的唯物論を、「ヘーゲル法哲学批判」(1844)を通して、歴史社会的レベルに適用せざるを得なかったのだった。

したがって彼の唯物論の起源はフォイエルバッハのそれにある。弁証法的唯物論や史的唯物論に到達するのはその数年後のことである。

フォイエルバッハは『キリスト教の本質』で、神とは人間が己の理想(愛・正義など)を自分の外に置いて、観念論的に実体化したものであるとした。つまり人間精神の疎外態の一つの現れと見なしたわけである。

それをマルクスは歴史社会の分野にまで拡大適用し、『ヘーゲル法哲学批判序説』で、宗教は人間の社会的疎外の一つの現れ、倒錯した世界意識の所産だとし、「民衆の阿片だ」と断定したのだった。

それゆえマルクスにとっては宗教が存在しない社会こそが人間疎外のない社会として真に望まれることになる。それがプロレタリアートによる唯物論的な共産主義社会だとされたわけである。

この時マルクスはまだ生産力(人間の対自然関係の程度:)と生産関係(その程度に伴う人間の対人間関係:)の矛盾による革命的な歴史発展(量がある程度に達すれば質が変わる)という史的唯物論のアイデアには到達していない。

だから、当時、力学や化学がもたらし、あるいはもたらしつつあった自然法則による科学的予見性のようなものを、まず歴史社会の中に発見して、それで唯物論を受け入れた、というわけではない。

そういうやり方で神や宗教を排除したのは、既に完成されたマルクス主義(史的唯物論や弁証法的唯物論)に触れた、後のマルクス主義者たちである。マルクス自身はそうではなかった。

(ロ)フォイエルバッハ・マルクス・エンゲルスが唯物論を受容した際の不充分な路程

むろん本当は歴史社会的な分野で仮になんらかの法則が発見されても、それが直ちに唯物論につながるわけではない。いわんや人間学的ルートがいかに厳密に精査されてもそうである。

フォイエルバッハは、「物質がまず存在して、そのあとに観念が生まれる」「人間がまず存在して、そのあとに神の観念が生まれた」という人間学的認識順序を、唯心論や有神論を凌駕する唯物論の根拠とした。

しかし本当はこれは不充分な証明である。「物質先在・観念後在」が正しくても、これは単に人間学的認識順序に過ぎない。たしかに神の観念は物質や人間と比べて後発的に生まれたが、それは神がそういう順序を望んだからかもしれない。

歴史の中では、ちょうど乳児期には神の観念に至らず、成長するにつれて神観念を問題にするようになり、成人してやっと様々な神観念の中から自分にとって正しいもの(その中には「神は無い」もある)を信じるようになるのと似ている。

一個の人間にとって成長の歴史が必要であるように、人類にとっても発展の歴史が必要であれば、神観念の順序が後発であってもいいわけだし、後発であらざるを得ないわけである。

人間学的・社会歴史学的ルートは、いわばこの地球の表面の範囲を超え出ることができない。地球の表面で起きている人間現象や歴史社会現象から、宇宙全体・実在全体に関わる神の有無、宗教の意味・無意味が判定できるだろうか? 

だから人間学的・歴史社会学的唯物論が可能なためには、それより前に自然哲学的な唯物論が前提として存在していなければならない。

(ハ)弁証法的唯物論のとりあえずの問題点

この自然哲学的な唯物論をフォイエルバッハやマルクスはどこから得てきたのだろう? 

むろん、いうまでもなく当時の全知識人が共有し、(現代人のほとんど全ても無批判的に共有する)、(1)の「基本的な(仮説的)原理」の(a)「科学的原理」と(b)「哲学的原理」および(2)「補助的傍証」によるのである。

つまり、「神は唯一の無限宇宙のどこにも存在せず、信仰は迷妄で、それは諸科学の発展による無数の成果によって確かめられている」という立場である。

彼らにはこの立場はすでにすっかり証明されている自明の真実と受け取られていた。これは今も同じだろう。マルクスはこの自明性を当時の神学の無力な状態からも確かめている。彼は『ヘーゲル法哲学批判序説』で、「神学自身が難破した今日の状態」、と述べている。

この時代に書かれたマルクスの『ユダヤ人問題』を見ると、自身ユダヤ人であるにもかかわらず、「ユダヤ教の現世的基礎は実際的な欲望、私利であり、ユダヤ人の祭祀はきたない商売で、彼らの現世の神は貨幣である」とある。

ユダヤ教をここまで単純化することができたのも、人間の宗教精神を、単に病的な人間社会の反映(疎外態)としてしか見なかったからである。

人間が神を求め宗教を信じるのは、人間の社会的疎外のためではない。ヘーゲル哲学(疎外論)の機械的転用によるマルクスの宗教理解のこのような短絡が、宗教の独自性を見失わせ、歴史を単なる経済史と見させるに至った。

そしてその経済の中でも「生産」のみを重視して、生産力と生産関係の立場からのみ歴史を把握し、ついにはマルクス主義・共産主義のスターリン化(個人独裁と人間労働蟻化)を招き、今日の共産主義陣営の凋落を結果したといえよう。

今日では誰でも、人間が単なる経済動物ではなく様々な文化活動を楽しむものであり、生産は消費のためにあることを知っている。それは今日、先進国においては、農工業に従事する者より第三次産業であるサービス業に従事する者の方が圧倒的に多い現実からも明らかだ。

マルクスの時代にあっては、人口の大部分が「生産」に従事する農工業労働者だったので、経済において「生産」は普遍的なものだった。その普遍性が歴史原理としての「生産」の概念を正当化していた。

だが、現代では人口的見地からいって生産に従事する者は少数派になっている。したがって、もはや「生産」を絶対化した生産力・生産関係の史的唯物論は今日では通用しない。

とはいっても、一つの仮説的視点として、生産力と生産関係の矛盾から歴史を見るのは、現在でも一応参考にすべき社会科学的方法であることは間違いない。

神をひたすら求める人間の行動は、人間のコトバの能力と同様、いわば人間のDNAに組み込まれているといえるものであって、私は、「神が存在するからこそ、人間は神を求めるようになるのだ」ということを、次の第三部でしっかり証明するだろう。

むろん神みずからがこれらをDNAに組み込んだのである。私は、人間のコトバの能力は、そのコトバで神を把握するためにこそ進化してきた、と判断している。

                      (B)『自然の弁証法』

フリードリッヒ・エンゲルスの肖像
 F・エンゲルス(1820-1895)
(イ)自己完結する完全な唯物論

さて、マルクスが唯物論者になった経緯はともかく、完成されたマルクス主義には「自然哲学」としての「弁証法的自然観」が存在する。我々にとってはこちらの完成態の方が重要だ。

単にフォイエルバッハの人間学的唯物論の歴史社会学的拡大適用だけでは、十分な唯物論でないことは、マルクスもエンゲルスも熟知していた。

唯物論が自己完結する完全体であるためには、どうしてもこれまでの、外部に生成因や動因が必要な機械論的自然観では駄目だと知っていたのである。

そういうわけで、エンゲルスはその晩年に『自然の弁証法』なる著作の完成を目指した。だが、これは断片的遺作となって完成されはしなかった。

とはいえ、そこにはほぼ完全な弁証法的自然観が描出されている。我々が人類史上最大・最強・最後の唯物論と呼ぶ「弁証法的唯物論」の究極の根拠は、この『自然の弁証法』にあるので、これをこれから問題にしていきたい。

ちなみに、「最後の」というのは、これが、「物質を自己完結するものとして描いている」、という意味である。自己完結する唯物論は最後の唯物論といっていい。

もしその他にさらなる最後の唯物論(ただし体系化された)があるとすれば、それは宇宙や超宇宙などを含む実在全体がくまなく科学的に実証された後のことであろうが、それは原理的に不可能なことであろう。


さて、人間にとって存在するものと、人間にとって存在しないものとがある。人間が「何かが存在する」というのは、それを自分の感覚器官で捉え得るからである。感覚器官で捉え得るのも、対象と感覚器官がともに同一の素粒子からできていて、素粒子間の相互作用が可能であるからだ。

もし人間の感覚器官と全く異なる物質で構成されている宇宙(例えば我々のいう電荷や質量やスピンとは全く違う諸性質を持つ素粒子でできている宇宙や、時間・空間の枠組を持たない何らかの別の枠組の宇宙など)がどこかにあれば、(非磁性体が磁場にとって存在せず磁場に透明なように)、それらは人間にとって全く透明である。

人間にとっては透明で、存在しないものでも、神にとっては存在している場合がある、と一応謙虚に考えなければならないから、結局、人間は実在全体を把握できないということになる。つまり、神の有無について、実在への実証的研究を積み重ねて結論に至る道は存在しない

 (ロ)弁証法論理の三つの主法則

それでは、エンゲルスは機械論的唯物論が解決できなかった宇宙の「生成因」や「動因」を『自然の弁証法』でどのように解決したか? 

この問いに答える前に、まずエンゲルスの弁証法的自然観を知っておかなくてはならない。

マルクスとエンゲルスは「弁証法的」と「形而上学的」とを対立的に捉える。「形而上学的」とは、諸対象を相互に全く無関係なものとし、したがって対象を全体との相関関係の中で捉えようとせず、自己生成・自己運動・自己進化しない「固定的なもの」として捉える立場である。

その結果、「無機物から有機物を経て生命細胞に至り、ついに人間の大脳において自己意識に到達する」といった、自然の諸現象間の物質進化による相互移行・相互転化を認めない。

そこでは力学を含む物理学・化学・生物学・大脳生理学的精神科学など、自然科学の諸分野は互いに完全独立して全く無関係になってしまう。

「弁証法的」とは、その反対に、有機的連関全体の中で対象を動的に捉える立場で、具体的にはヘーゲルの弁証法論理学に依拠する。その中でもエンゲルスは「弁証法の三つの主法則」を、

(1)量から質への転化(例えば、温度の量の違いで水の質が氷になったり水になったり水蒸気になったりすること)
(2)対立物の相互浸透(例えば、アルカリと酸、油性と水性)
(3)否定の否定(例えば、無機物を否定して有機物、さらにそれを否定して生命細胞へ、という螺旋的な向上的発展)

とし、これらを「全体のつながりに関する科学としての弁証法」の主法則と呼んだ。

(ハ)自然の弁証法的階層構造

さて、ある質の物が他の質の物に転化するには質的飛躍が必要だ。飛躍は対象間の連続性と非連続性を同時に前提としている。したがって弁証法は「非連続の連続」の論理ともいえる。

自然の弁証法的階層のピラミッド図
心は大脳の機能である。その上の階層である魂の実在性は認められないが、一応、このような階層構造として表現してみた。詳しくは「新しいパラダイム」のUの(6)をご参照。
そしてこの「非連続の連続」が、これまで非連続と見られていた自然現象(その反映としての自然諸科学)間を、飛躍の中で連続化し、実在の全体を捉えようとするわけである。

エンゲルスは宇宙における物質の運動形態を、

(@)物理・力学的
(A)化学的
(B)生物学的
(C)心的

の四つに分類し、

「一つの運動形態が他の運動形態から発展してくるように、その映像である様々な科学もまた、一つの科学から他の科学が必然的に出てくるようになっていなければならない」

と述べている。

最も基礎となる力学的・物理学的な階層を土台にして、その上に化学的階層が乗っかっており、さらにその化学的階層を土台にして、その上に生物学的階層が乗っかっている。そして、その生物学的階層を土台にして、生物進化の頂点、すなわち大脳による自己意識的精神動物としての人間が乗っかっている。

つまりこれらの物質の自己進化した全体が、左図のような幾層かの層を持ったピラミッドの形になっている。これを「自然の弁証法的階層構造」と呼ぶ。それぞれの階層世界は相互に質的に異なっていて、下位の階層の質にはもはや還元できない特殊性を獲得し、相互に移行するには「非連続の連続」による質的飛躍が必要だ。

「上位階層は下位階層に還元できない」という例をあげれば、例えば、化学的階層の上の生物学的階層における「ガガンポモドキ」という昆虫がある特殊な性行動を取る理由を、化学反応で説明できない、などである。

ところが、全ての階層の究極の土台が力学的・物理学的階層だという事実から、(他の階層の特殊性を無視し、それらを力学・物理学的階層に還元する)力学・物理学主義が風靡し、現在でも生化学者(量子生物学者)などは生化学反応(一例としては酵素反応)を、全て巨大有機物どうしの量子力学的反応として見る動きがある。

また神経細胞の反応のメカニズムを、はやり神経軸索や樹状突起やシナプスなどにおける、そういう量子力学的反応に還元しようとする神経生理学者たちがいる。

彼らは、それが生体に固有な酵素レベルの、量子力学的メカニズムであり、神経動物に固有な神経細胞レベルの、量子力学的メカニズムであることを忘れているわけである。

彼らはこれまで「分析至上主義」を科学の哲学的原理として受け継いできたので、あるものを「要素」に向けて分析し、その「要素」に全て還元できさえすれば良しとする。そして還元先の「要素」の方を、どうしても一次的なもの、優越なものとして見てしまう習性があるのだ。

それゆえ、彼らは、それらの酵素反応や神経反応が、それらの階層の固有性において初めて起きている特殊な量子力学的反応であることを、分析哲学の悪しき習性によって理解できないでいる。

さて、実在そのものが全体としてあり、かつそれぞれの部分がその中でさまざまな質として生成・運動・進化して全体をなしているので、その反映としての諸科学を有機的全体のつながりの中で捉えるのは、今では当たり前のことである。

しかしマルクスやエンゲルスの時代には全く当たり前でなかった。これが当たり前になったのは、ひとえに唯物弁証法を掲げたマルクス主義・共産主義陣営の長い闘争の結果である。

これとは別に、20世紀後半になって遅れ馳せながら、科学の発展そのものに押されて、諸科学を統一的に捉える、いわゆるブルジョア的な学際研究がおのずと資本主義陣営にも起こった。

後者の陣営では科学の方法論としての弁証法はほとんど無視されている。とはいえ、その研究内容を見てみると、非常に弁証法的である。これは、対象そのものが本来持つ弁証法的な性質と構造が彼らの研究結果に反映し、それを弁証法的にした、ということなのである。

たとえば米国のサンタフェ研究所を足場として一種の総合科学の試みがなされているが、そこでの「複雑適応系の科学」における方法論や概念は弁証法そのものである。有機物(要素)から生命細胞(全体)へ至る、物質の「下(要素)から」の創発的自己進化による全体再構成過程の論理は、(彼ら自身は無自覚であるとしても)、弁証法そのものだといっても過言でない。

(C)弁証法的自然観で機械論的宇宙像の生成因と動因の問題をどう解決したか?

(イ)まず生成因について 

以上で「弁証法的自然観」を略述したが、それではエンゲルスが『自然の弁証法』でどのように機械論的唯物論の欠点である「生成因」と「動因」の問題を解決したか見てみよう。

エンゲルスは、

「物質が運動するのは永遠の循環の中においてである。………この循環の中では永遠に変化しながら永遠に運動しつつある物質と、この物質がそれに従って運動・変化するところの諸法則以外には、何も永久的でない」

と書いている。また、「物質は本源的に存在し、かつそれ自身では無形式なものだ」というヘーゲルの文章を引用している。これはつまりギリシャ哲学以来の根源物質(アルケー)の永久自存説である。しかもそれを無形式な、単なる素材としての混沌(カオス)と捉えているようだ。

ギリシャ哲学におけるアルケー論は、ようするに「有るはある」という言葉の同語反復に由来する。「有るは無い筈がない」という論理だ。つまり、「この物質的世界が有るのは、有るからあるのだ。有から有が出るのであって、無から有が出るわけがない」という開き直りである。

だから一旦物質宇宙が眼前に有るからには、それは永遠の昔から永遠の未来にかけて、初めなく終わりなく、永久に有り続けているものなのである。

果たしてこれが宇宙の存在する理由の説明になるだろうか? 時間と空間の始まりを認める現代のビッグバン宇宙論を省みるだけで、これが何の説明にもなっていなかったことが分かる。

むろん、内部で無限循環するエンゲルスのこの物質宇宙は、「空間と時間の無限性」という彼の言葉から判断して、ニュートン的な無限の時間と空間を持っている。

(ロ)動因について

それでは「動因」についてはどうか? 

彼は、「物質に本性上帰属している運動」と言い、また「物質は運動なしには考えられない」という表現をしている。さらに、「物質なき運動も、運動なき物質も存在しない」というヘーゲルの言葉を引用している。

これは実はデカルトが物質に与えた規定で、これだけでは全く説明にならず、デカルト説の単なる追認にすぎない。

そしてエンゲルスはこの追認を補強するために次のように語る。

「もし(宇宙が一個の体系、諸物体の一個のつながり、として一旦認識された以上)、物質なるものが何か与えられたもの、創り出すこともできず破壊することもできないもの、として我々に向かい立っているのならば、このことから運動もまた同様に、創り出すことも破壊することもできないものである」(『自然の弁証法』[X]「運動の基本形態」) 

ここからエンゲルスは運動の「不可創造性」と「不可破壊性」を導き出す。そしてそれをデカルトの発見した「運動の量の不変性」に結び付けて、運動と、それを本質的属性とする物質と、その物質宇宙との、「不可創造性」と「不可破壊性」を結論するわけだ。

デカルトの「運動の量の保存」は、ずっとのちに「物質の保存」や「運動量および角運動量の保存」や「エネルギー保存」という一層正確な表現を得たもので、つまり先に触れたあの「各種の恒存則」のことである。

すなわちエンゲルスは、「これらの保存則があるということは、宇宙が創造者なる神の被造物でないと同時に、神の超越的介入もあり得ないということを意味し、結局、神は存在しないということだ」、こういう論理を展開しているわけである。

エンゲルスは、

(@)運動を本属する永久の物質宇宙を設定し
(A)その内部を隙間のないように塗りつぶす

という方法で、神を無化したわけである。彼は次のように述べている。

「自然の無限の領域全体が科学によって征服されて、自然の中にはもはや創造主の存在する余地が全くなくなっている」

エンゲルスのこの「神の無化のための論理」を私なりにまとめれば次のようである。

<物質は運動を本質的属性とするものとして永久に有り続けており、その上、保存則が全一的な弁証法的階層構造の自然を貫徹している以上、創造者なる神の存在する理由も、介入する隙間もない>

(ハ)運動・物質・宇宙の「不可創造性と不可破壊性」の問題

さて、物質が運動を本属するという問題は、その後、20世紀初頭、アインシュタインがその特殊相対性理論の基礎方程式から「質量・エネルギー等価原理(E=mc)」を導き出したため、根本的に解決され、弁証法的自然観における動因問題は最終的に解決した。

物質の質量がエネルギーに変わり、また逆にエネルギーが質量に変わる過程は、(まさにこれ自体、物質の弁証法の三つの主法則の現れだが)、核爆弾や原子力発電や粒子加速器で実用化されている。

物質はみずからエネルギーであることによって、運動を本属させている。つまり、エンゲルスがデカルト説を追認した内容が、アインシュタインによって最終的に証明されたわけである。だから、結局、エンゲルスはこの点では正しい。

問題は物質宇宙、いいかえれば物質と運動の、「不可創造性」と「不可破壊性」についての彼の説明である。彼はその言葉によって、あたかも物質宇宙が「不可創造」「不可破壊」であることが証明されたかのごとく振舞っている。

だが、よく見ると、彼は、「もし物質なるものが何か与えられたもの、創り出すこともできないもの、として我々に向かい立っているのならば」と条件を付けて、その上で、「不可創造で不可破壊だ」としている。

これは、「もし何か与えられたものなら、(所与として)存在し」、「もし創り出すことができないなら、不可創造だ」ということを言っているにすぎず、どちらも単なる同語反復であって、何の説明でもない。

むろん、彼が、「もし与えられたもの、創り出すこともできないもの、として、うんぬん」と言う場合、それは彼が所与として大前提にしているギリシャ哲学的な「有るは永遠に有る」を意味しているのである。

つまり、「物質が始めから所与としてありさえすれば、物質と運動は神の手によらないもの、すなわち不可創造・不可破壊だし、非連続の連続によって階層的にびっしり埋め尽くされた自然における各種の保存則によって、神はどこにも手を差し込めないから、神は存在しない」というのである。

しかし、「物質が始めからの所与かどうか」が、そもそも証明すべき、神の有無に関わるこの問題の核心なのではなかったか?

それにまた、「不可創造性」も「不可破壊性」も、それらに、「もし我々に向かい立っているのならば」という条件が付いているので、これでは結局、「我々人間にとっては不可創造・不可破壊」と言っているに過ぎないわけで、どうあがいても「物質宇宙そのものが不可創造・不可破壊」という論理にはつながらない。

ところが、彼は、我々にとってだけでなく、どういうわけか絶対的な意味で「不可創造・不可破壊だ」と結論している。つまりエンゲルスは、宇宙創造者なる神を排除するために論理上のトリックをしているわけだ

エンゲルスは、運動を本属する物質によっていわば「びっしり」埋め尽くされた自存・自動・自成・自己発展・自己進化の自然界には、成因においても動因においても神は一切存在する必要がないし、存在もしない、とするわけだ。

真空を認めるか認めないかの違いはあっても、充満説のデカルトも、「空間は物質によって隙間なく埋め尽くされており、そのうえ運動の量の保存則が存在している」として、(機械論的宇宙の成因としての神の存在は認めても)、その後の神の介入を一切認めなかったのだった。つまりエンゲルスが神を排除する「びっしり論法」はデカルトとほとんど同じものといっていい。

(D)超空間と神

(イ)平面空間と立体空間と超空間

ところで、これが、唯一の無限を神との間で取り合って勝利した「無限空間の物理学」を前提にしていることは自明である。もし仮に無限空間が一つしかなく、それが物質でいわば「びっしり」埋め尽くされていれば、事実上、どこにも神は存在できず、またどこからも神は介入できない。

しかし無限空間がいくつもあれば、そういう訳にはいかないことは誰の目にも明らかだろう。

話を分かりやすくするために、仮に我々の三次元立体空間を二次元の平面空間だとしよう。机の上に広げた有限あるいは無限の紙面を想像していただければいい。紙面の上の各点はその周りを他の無数の点で囲まれていて、どこにも空隙はない。

紙面上のA点からB点へ、上へ飛び上がることを知らない二次元的な動物の蟻が移動する場合、蟻はA点からB点へ連続的に移動する他ないことになる。紙面が物質で隙間なく埋め尽くされていて、そこがさらに物理学的なもろもろの保存則でがっしり固められてあれば、(紙面しか知らない蟻の立場からすると)、どこにおいても、紙面を超えた超越者の介入は一見不可能に見える。そして蟻は言う。

「超越者は我々の世界に介入できないし、そもそも存在もしない」。

ところが紙面の外に人間がいて、A点の蟻を紙面から摘み上げてB点に移動させると、蟻はこれを「平面物理を超えた超常現象だ」というに違いない。

よく見ると紙面のあらゆる点は立体空間に接しており、紙面上のどの点にも立体空間から接触(介入)が可能で、立体空間の人間は紙面のどの点に対しても任意に作用できる。

以上の論理を1次元上げて、紙面上の蟻を立体空間内の人間とし、いま4次元超空間の知的存在を、(神が四次元体かどうか分からないから)、仮に「神」と想定するとしよう。

「神」が立体空間内の一人の人間を摘み上げて立体空間内のA点からB点へ、(空間内を連続して移動せず超空間を経由して)、一挙に移動させれば、これはいわゆる我々の(3次元の空間と1次元の時間を加えた)4次元時空宇宙の物理学を超えた「テレポート」と呼ばれる超常現象になるわけである。

人間などの物体がテレポートされるのでなく、ある種の力やエネルギーがテレポートされると、それもまた「テレキネシス」や「クレアボイアンス」などの様々な超常現象や心霊現象として経験されることだろう。

だが、超空間やそこからの作用を一切認めない科学者たちは、(彼らは通常、ヒューマニズムを信奉する人間至上主義者で、地球上の現象は、自然現象でなければ、一切、地球の人間による人間現象だと無批判に想定している)、それをエンゲルスと同様に、「トリックや錯覚や誤解などで超常現象のように見えるただの通常現象だ」と言い張ることになる。

そういう立場で、エンゲルスは『自然の弁証法』[V][神霊界における自然研究」で、奇蹟一般や心霊現象を痛烈に批判している。

しかし、もし4次元超空間が存在していれば、真の奇蹟や超常現象もあり得ることになるわけだ。一般相対性理論は我々の立体空間に重力による歪みが存在することを導き出し、空間の第4軸を認めた。それがビッグバン宇宙論やブラックホール物理学として展開されている。

4次元空間以上の超空間の存在は10次元時空論を展開する最新の「スーパーストリング理論」や11次元時空論の「M理論」のように、現在の物理学的実在ともなっているのだ。

(ロ)科学者たちが超常現象を否定する論拠とは?

すると、どうして科学者たちは現在も、奇蹟や心霊現象など超常現象一般を「原理的に非科学的だ」として否定しつづけているのだろうか? 

それは、それらが科学の必然法則で捉えて繰り返し研究室で再現し実証できる対象でない「偶然的なもの」だからである。こういうものを一旦認めると、「偶然的なもの」への際限のない譲歩が生まれ、神秘主義的デタラメの沼地に足を取られ、何が真で何が偽か容易に区別できなくなる恐れが生じる。とりわけ超越的人格による恣意(偶然の極み)が働く場合、彼らはなおさら強く「偶然的なもの」を否定することになる。

それ以外の理由では、主に、人間の能力を超えた人格的存在(神・天使・UFO搭乗員)を認めることを良しとせず、地球上の人間現象は全て人間自身によるとする彼らの人間至上主義の哲学にある。「こうした恣意的な人格的存在に介入されれば、科学はもはや成り立たない」と勘違いしている。

だが、これらの存在によって局所的に・一時的に介入されても、これまで通り自然は同じ自然としてやはり存在するし、そういう自然を科学することは依然として可能であり続けるという事実が、彼らには見えていない。

「超越者はなんとしても排除したい」という人間至上主義的感情がなければ、科学と超越者、あるいは自然の必然法則と非実験室的に「偶然的なもの」が、宇宙のどこの部分でも例外なく矛盾するかのように思いなすことはできないだろう。

これが近代啓蒙主義の遺産であることはいうまでもない。人間を超えた存在やその介入を(理屈を超えて感情的に)認めないからこそ、非実験室的な[偶然」に対して、「一切存在しない」と独断的に断定するわけだ。

もしかすると科学者たちは、「我々の空間と超空間との交通は非常な高エネルギーを要するか、あるいは通路の時空の歪みが極端なので、事実上不可能だ」と反論するかもしれない。つまり「超空間からの介入はありえない」という反論だ。

しかしそれは紙面の上の蟻の言う言葉である。先の「テレポート」が蟻の平面物理学では不可能だとしても、人間の立体物理学では可能なように、こちらからは不可能だとしても、だからといって、「あちらからも不可能だ」とはいえないのだ。

蟻が平面世界を超え出るには自身の身体を破壊する他ないとしても、それはこちら側から超空間(この場合は立体空間)への扉を無理やりこじ開けようとするからで、あちら側からは別の物理が働いて、蟻の身体を破壊せず容易に立体空間へ摘み上げることができるかも知れない。空間の扉の蝶番が、あちら側からだけ簡単に開く物理学的な仕組になっている可能性がある。

さて、超空間がいまのところ非実験室的であるのは仕方がない。超空間そのものは原理的に経験できず、実験室ではせいぜい「超常現象効果」として間接的にしか経験されないことだろう。

たとえばブラックホールを利用してA時空点からB時空点へと超空間移動しても、超空間そのものは無時間的・無空間的なので経験されず、超空間移動の結果である超常現象(テレポートやタイムトラベルなど)としてしか経験されないのと同様である。

超空間の実在性を疑う宇宙物理学者はもうどこにもいない。超空間が存在する限り非実験室的な「偶然」は原理上、あり得る。むろん報告されている超常現象のどれもこれもが真の超常現象だというわけではなく、真のそれはおそらくその1%にも満たないことだろう。

ところが、なにがなんでも超常現象を認めないのが知的・学問的なアカデミズムとされ、それを認めると「アカデミズムに背いた」とのレッテルのもとに、大学で教鞭を取ることさえ許されない近代啓蒙主義的な、狭隘な学問的伝統がある。

その結果、学問上認めていいものさえ、認めてはならないとされてしまう。科学が人間至上主義の哲学を克服すれば、もっと素直に超常現象を認めることができるだろう。

(E)マルクスとエンゲルスはプロレタリアートの階級利害から要請されて唯物論を標榜するに至った

(イ)階級利害からの唯物論

以上から、エンゲルスのいわば「びっしり論」は宇宙の創造者の有無問題について何らの説明も行っていないことが判明した。彼は、結局、最終的には、「物質は有る。有るは永久に有るである。だから有る物質は永久に有る」と、ギリシャ哲学以来の同語反復の空論を繰り返すのみだ。だが、これは論証せずに彼がアプリオリに大前提として導入したものである。

しかも、彼のこの物質宇宙の永久存在説も現代のビッグバン宇宙論で覆されてしまっているので、彼の論理だけでは「神は存在しない」とは、もはや明言できないのだ。

むろん彼が「神はいない」という結論を勝手に導き出した背景には、先の無批判的に伝習した(1)の(a)(b)と、(2)がある。すでにこれらの誤りと制約性は証明されているから、エンゲルスの唯物論は客観的に成立しない。

彼が全てのマルクス主義者と同様、「神は存在しない」とし唯物論を受容したのは、個人的な様々な思い込みと社会的な要求によるものなのだ。つまり、キリスト教という有神論と固く結びついた地主やブルジョアジーに対するその時代のプロレタリアートの階級闘争からの要請だったといえよう。

彼らの目では、有神論と闘うことはプロレタリアートの利益にとって必須であった。彼らにとって、またその時代にあっては事実、プロレタリアートは全人類の普遍的な利害を代表しており、その普遍的要請に答えることが、人類の真理であり正義であった。

そのためにマルクスとエンゲルスはフォイエルバッハの唯物論を受容し、それを歴史社会学的に発展させて史的唯物論に至り、ついには「自然の弁証法」を含む弁証法的唯物論に至ったわけである。

だがソ連・東欧社会主義が滅んだ今となっては、そして今日の第3次産業の極度に発展した資本主義の時代にあっては、第1次・第2次産業に従事するプロレタリアートは全人類の普遍的な利害を代表するものではなくなり、「生産」はいわば全人口の少数部分によって担われている。

マルクスやエンゲルスにとっては「普遍真理」であったものが、今では時代と社会によって制限される単なる「有限真理」にすぎないものであることが判明した。

(ロ)もはや唯物論は科学的支えを永久に失っている

こうして人類史上最大・最強・最後の唯物論がその絶対性を失った。もはや「神は存在しない」ということを納得させるだけの体系化された唯物論はこの世に存在しない。

21世紀に入った現在、まだ「唯物論は科学と親和的だ」として神の存在を否定する者たちがいるとすれば、それはひとえに啓蒙主義哲学を盲目的に受け継いだ彼らの「無知」のなせるわざなのだ。

マルクスとエンゲルスの「神は存在しない」という唯物論は、説得力をなくし空しくなったとはいえ、エンゲルスの発見した「自然の弁証法的な階層構造」は宇宙の真実であり、これは彼の天才的な、時代を数世代も先取りした、偉大な洞察であった。彼のこの弁証法的自然像の真実性は今後もずっと続くであろう。
 

第三部 神存在の普遍的な「三一」の印

(1) 弁証法的自然観に基づく神の存在証明の試み

(A)ビッグバン以来の宇宙の物質進化と自然の弁証法

(イ)ビッグバン以来の宇宙の物質進化
(a)宇宙の物質進化

1964年にペンジャスとウィルソンによって発見された絶対温度3度(3度K、より正確には2.7k)の宇宙黒体放射(電磁波)によって、ビッグバン宇宙論は確固とした科学的定説になった。つまり宇宙の全域がほぼ3度kの状態にあるわけである。

その後、「我々の銀河周囲の球状星団がこの宇宙論で予想された150億年の宇宙年齢よりも古い」とされて生じたビッグバン宇宙論の真否問題もほぼ片付き、もはや不動の定説となっている。現在では宇宙年齢をおよそ137億年程度と見ている。

現在、宇宙が膨張を続けていることは1920年代のE・ハッブルの銀河間距離の測定によって確かめられている。そこから、宇宙全体にわたる黒体放射温度は、過去に遡るほど高かったことが推測された。

というのも、断熱膨張(外部と熱のやり取りをしない膨張)している宇宙の現在の温度は3度kだが、宇宙が今より小さかった過去に遡れば遡るほど、宇宙温度はそれだけ高かったことになるからだ。膨張と温度低下は比例する。とするなら、宇宙半径が無限に小さい宇宙創成期には、無限に温度が高かったという結論に至る。

そこからG・ガモフが1940年代にビッグバン宇宙論を提唱した。それが、現代宇宙論によると、宇宙はほぼ137億年前に「インフレーション」と呼ばれる超光速の急激な膨張を経て、爆発的に創成されたという定説になった。

インフレーション・ビッグバン後の宇宙進化の過程は、温度低下に伴う宇宙の全般的相転移の歴史として実現されている。温度は[量」、相は「質」だから、宇宙の物質進化には弁証法的な「量から質への転化」が働いていたことが歴然としている。これは温度低下によって、水蒸気が水に、水が氷になるのと全く同じ論理である。

例えば、我々の宇宙には、(1)重力、(2)電磁力、(3)強い力、(4)弱い力、という四つの相互作用がある。「強い」「弱い」は電磁力の強さと比べてのことであり、「強い力」は原子核内のクォークの物理力、「弱い力」は原子核内のベーター崩壊(放射能)の物理力を取り扱う。

『超ひも理論と「影の世界」』(広瀬立成著)からの引用

これらの相互作用は今は別々のものになっているが、もとは一つのものだったと考えられている。(上図を参考にすれば)、宇宙創成から10-44秒より前のとき、宇宙温度は1032度k以上で、宇宙の大きさは10-33センチより小さい。このとき四つの力は一つだった。

宇宙のさらなる膨張で温度が低下して、10-44秒後、宇宙温度が1032度kのとき、宇宙の相は全般的に転移して「重力」が独立する。

10の-36秒後、温度が1028度kの時、またもや宇宙は全般的な相転移を起こし、「強い力」が独立する。10の-11秒後の温度は1015度kで、この瞬間に「弱い力」と「電磁力」とが独立する。

こうして私たちの知っている自然の基本的な諸力が生まれた。これは、非常な高温のため様々な物質が交じり合っている液体をだんだん冷やしていき、それぞれの物質の凝固点でそれらの物質を凝固・分離させていく様と全く同じことである。

こうした量(温度)と相(質)との弁証法は、その過程で生まれた物質の進化の過程でも見られる。始めはクォークとレプトン(電子やニュートリノ)は超高温の中でスープ状になっていた。

その後、宇宙の温度低下に従ってクォークどうしが結合して核子(陽子・中性子)や中間子を形成し、さらに温度が下がって、宇宙創成およそ三分後、それらの核子が結合してヘリウムやリチウムなどの原子核を形成した。

宇宙温度が三千度k以上の間は、放射(光)エネルギーが強すぎ、電子ははじき出されて、原子核はその周りに電子を捉えておくことができない。宇宙は電離したプラズマ状態で、この状態では光は乱反射して直進できず、宇宙は見通せず、いわばモヤに包まれている。

宇宙創成約30万年後に宇宙温度は三千度を下回り、プラスの原子核はマイナスの電子を捉えて、電気的に中性の原子になる。それと同時に宇宙は中性宇宙へ全般的に相転移して「晴れ渡る」。

その後、初期の銀河の中や恒星活動の中で、初期宇宙で誕生したヘリウムやリチウムを素材にして、さらに核子数の多いより重い原子が創成される。この過程の最後では恒星の核融合反応の最後の灰である鉄が超新星爆発の引き金となり、R過程を伴う場合の超新星爆発で、鉄より重い原子が一挙に作られ、宇宙にばら撒かれた。過去の恒星の残骸であるそれら全ての元素を集めて太陽系が形成され、地球も創出された。


これらの物質進化は、温度(量)と相(質)の弁証法に従いながら、後の階層が前の階層を素材や土台として新しい質の物質階層を創成しつつ、自然の弁証法的階層を、下(土台や素材)の方から、創発的自己進化をしながら形作っている。

また力学的・物理学的階層(量)から化学的階層(質)へと進化する過程も「量から質への転化」の弁証法であり、これらの量と質との「対立物の相互浸透」の中で、力学的・物理学的階層(量)を否定して化学的階層(質)へ至り、さらに化学的階層を否定して、生物学的階層(質と量の統一・総合としてのヘーゲルの『限度』das Mass)へ至る過程、これは、弁証法三主法則のうちの「否定の否定」なのだ。

自然の弁証法的階層構造はこれらの各階層の中にも入れ子式に無数に存在している。例えば生物学的階層の中の動物の階層では、脊椎動物の土台の上に哺乳類がおり、哺乳類の土台の上に霊長類がいて、その土台の上に人類がいるわけである。

以上から自然が弁証法的諸法則で貫かれていることがご理解いただけただろう。

(b)定方進化と目的論

ところで進化論学者の中には次のように考える者たちが圧倒的多数である。

「進化はあくまで偶然的なもので、例えば核戦争で人類が滅びたあと、人類より放射能に数千倍耐性のあるゴキブリが地球の支配者になることも十分に考えられる。偶然の環境変化でたまたまある種の生物がそれに適合して勝ち残ったとしても、それはその生物の優秀さとは無関係だ。したがって生存競争で勝敗が決まったとしても、それらの生物種の優劣とは関係なく、いわゆる弁証法的階層構造の上位階層が下位階層に比べて優秀だというわけではない」

さて、(ここでは「DNAそれ自身によるメカニックな定方進化」という分子生物学的学説は脇において論を進めるが)、一般に、「進化の方向はあらかじめ決まっている」という[定方進化論」は非科学的だとして受け入れられていない。

何かの進化目的があると、そこへ向けての「定方進化」、ということになるからである。もし進化目的なるものが存在すれば、それが階層構造の最上位にあるのは間違いない。とすると、地球における最上位の人間こそが、地球での進化目的なわけである。

人間至上主義者の彼らがこうした人間最上位観を否定するのはどうしてであろうか? それは進化目的の目的論が自然科学と相容れないからである。科学は「必然」でなければ、ぜいぜい「偶然」(統計学)で済まさなければならない。「偶然」を超えた「目的」なるものを自然の中に見るのは自然科学ではご法度なのだ。

一旦目的論を唱えると、「質料因」「運動因」の他に「形相因」「目的因」を置いたアリストテレスの哲学や、それに依拠した中世スコラ学に逆戻りしてしまう、と彼らは反対する。自然科学はあくまで「質料因」と「運動因」だけを取り扱うものだとするわけだ。

むろんそれは正しいが、そこから目的論一般を(哲学を含めてあらゆる分野で)敵視するに至るということが問題なのだ。もし創造者なる神が存在するならば、当然、自然の中に目的因があるわけで、たまたまそれが必然法則や偶然確率論を手法とする科学の網の目に掛からないというだけのもの、としなくてはならない。

たとえば、のちにご紹介する「自然・歴史・人間に見られる『三・一』の普遍的なさまざまな刻印」は科学の網の目には掛からないが、人間の理性には十分に訴える力がある。

その他に、彼らの論法にはコペルニクスの地動説と同じ論理によるものがある。

「『進化目的としての地球人類』というものには、どこか『地球人類は特別だ』というような、天動説的な宗教上の意味合いが伴う。進化目的は人類そのものが自分に与え得るものでないから、目的を与えた創造者の存在を想定しなくてはならない。だが、宇宙の中で地球は中心でない。地球に知的生命体としての人類がいるように、確率上、全宇宙には無数の知的生命体が存在している。そのなかに地球の人類より遥かに進んだ知的生命体もあると見なければならず、地球人類の立場はどこまでも相対的だ。そういう地球人類に、神的な進化目的などあり得よう筈もない」

また、最近の環境問題からの視点も彼らの立場に絡んでいる。「人間は自然より優れている」という発想が自然環境を破壊し、人類を滅亡させようとしている、という思想からである。

その結果、「人間と生物一般は自然の中で同列で、進化の上位・下位の優劣一般は否定しなければならない」という考えが生まれてくる。

しかし、弁証法は有機・生命体的な、そもそも目的を目指す螺旋的向上発展の思想であり、上位・下位を前提とする。土台や素材があってこその上位階層なのだ。

上位階層は下位階層より優れている。それは土台の全てを包含しつつ、その上に新しい規定を付け加えることで、さらに有力な能力を持つに至っているからである。これについては次の段落(「自然の弁証法的階層構造の論理」)で詳しく触れることになる。

さて、この段階ではまだ読者に対して神の存在が証明されているわけではないので、定方進化や目的論について触れることはできない。だが、もし神が存在するなら、(地球人類が特別か否かはともかく)、定方進化は神学的な見地から正しいと見なくてはならない。ずっとあとで、いずれこの問題にも触れることになるだろう。

(ロ)自然の弁証法的階層構造の論理
先の自然の弁証法的階層構造のピラミッド図を見て欲しい。これを見て分かるのは以下の四つである。

(a)下位のものは上位のものの素材であり、土台であって、その存在根拠である。アリストテレス風にいえば、下位のものは上位のものの可能態(デュナミス)であり質料(ヒュレー)であって、上位のものは下位のものの現実態(エネルゲイア)であり、形相(エイドス)である。

(b)上位のものは自分の論理を下位のものに対して「理念」として働かせ、下位のものはこの上位の「理念」に従って自分固有の論理で働きつつ、みずから素材となり、手段となり、土台となって、その上位のものの「理念」を実現する。つまり下位のものは上位のものの実現のために現れる。ここでは存在の目的論が許される。

例えば、酵素の働きを有機高分子の量子力学的反応として記述することができるし、そういう仕方で定量的に研究してこそ、初めて酵素反応の詳細な実態を突き止めることができる。そこから、量子生物学者などの中には「細胞活動」を力学的反応の中に解消しようとする者たちが結構多い。

彼らの目には細胞はメカニックに映っている。いわゆる18世紀の「生物機械論」や「人間機械論」の現代版である。こういう学者たちは量子力学的なメカニズムの有様に幻惑され、細胞の生命活動においてのみ行われている特殊な量子力学的現象だということをすっかり忘れているのである。

例えば、彼らは、「細胞を構成する有機超高分子間の相互作用は化学反応をしており、その化学反応は結局、電子の量子力学的反応に帰着する」として、一切を力学的・物理学的階層へ還元してしまう。これは大変な誤りだ。

というのも、(いま仮に一切を微粒子に還元すれば)、力学的・物理学的階層には原子や分子の運動しかない。力学的・物理学的階層は最下位の土台なので、化学反応や生物反応や精神反応の全ては、この原子や分子の運動の中に存在する。つまり自然の中で何かが起きていれば、それに対応する原子や分子の運動が起きている

しかし例えば生化学的反応を調べてみると、その普遍的な原子・分子の力学運動の中の、「生化学的反応系列」という特定の系列の力学運動のみが関与しているのである。そこで、この系列の独自な力学運動のあり方を、この系列独自の論理で追求することが必要不可欠になるわけだ。それが生化学の論理で、その論理が生化学を独自な学問領域として成り立たしめる。

力学・物理学の他に化学が独自の学問領域として成立し、その化学が化学反応をいちいち力学的・物理学的表現(力学方程式)に還元せず、H+OH=HO などの化学反応式で済ますことができるのも、そのためだ。

さらに、生物学的な「動機」が問題になるときは、力学的・物理学的還元の誤りがはっきり露呈する。たとえば「食欲」や「性欲」をどう化学で理解し、またそれをさらに、どう力学・物理学に還元して理解できるというのか。

また人間の道徳観、宗教感情、美意識はどうか。それらをどのように化学や、さらには力学・物理学で理解できるのか。誰が考えても不可能だということが一目瞭然だろう。

だから、上位階層はもはやその独自性のために下位階層に還元できるものではないのである

つまり、上位階層に属するものは、下位階層の特定の運動や性質を自分の都合で選定し、自分の目的(理念)に合わせて制御しているわけである。

たとえば細胞活動や細胞防御を目的とした酵素や抗体の反応がそうである。また動物の食欲・性欲・支配欲・遊戯欲もそうで、人間の生産・政治・道徳・宗教・美意識もそうだ。これらは各々自分の目的に応じて、下位階層の物質あるいは生物を、改造したり、破壊したり、食したり、所有したりしている。

人間などはあらゆる下位階層を利用して、工場・憲法・思想・教会堂・彫刻・音楽などなどを作り上げる。これらはどれもこれも力学的・物理学的運動に還元しては到底理解できないものである。還元することができるどころか、逆に、人間が自分の目的を理念として、全ての土台を支配し、動員し、働かせて、これらを生み出したのである。

還元先の下位階層が優位なのではない。それは単なる手段・材料・土台にすぎない。下位階層は上位階層の存在条件にすぎないのだ。本当は下位階層を支配し自分の目的に利用する上位階層が優位なのである。

(c)上位のものは下位のものに、もはや従属せず、自分の独自な論理と法則をもって独自な実在となっている。この場合、上位のあるものは下位のものの「ある特定の部分集合」として一つの全体となるが、この全体は部分の総和以上のものになっている。

だから、全体を部分に還元することは本質的に不可能になる。これが一切の還元論(特に力学・物理学主義的還元論)を克服する弁証法の原理である。

むろん、上位のあるものはその構成要素としての諸部分を下位階層から受け取るが、
上位階層が下位階層に勝るのは、全体がその諸部分や諸部分の総和に勝ることと同じである

数学や物理学では、こういう性質を表すのに「非線形」という言葉を使う。数学や物理学で研究対象をモデル化するときの、普通の単純化された「線形」の世界では、部分間の関係は全体の質の変化に対して特別に意味あるものでなく、単に量的な諸関係にすぎない。それはちょうどジグソーパズルの部分と全体のようなものだ。

線形性では全体を諸部分の単純な足し算とするのだが、その典型は、たとえば力学において、力をその平行四辺形の二つの辺(の方向と長さ)に分けたり、それを合わせて「合力」としたりしている操作であって、これが分析科学のやり方である。主に分析至上主義のこれまでの科学のあり方がこうだった。

さらに例を挙げれば、細胞をその要素に分解し、要素間の関係を突き止めることができれば「解った」としていた。これも「全体は部分の単純な総和である」という線形的原理によるものである。

眼前にある細胞を分析的にその要素へ還元して理解しようとするのは、生命進化の「結果」としての細胞から、生命を理解しようとする方法だ。しかし、太古の時代、有機物が最初の細胞へと進化するにあたっては、その物質進化のあらゆ分岐点で、なぜこのコースが選ばれ他のコースが選ばれなかったのかという、無限ともいえる広大な可能性の領域が、実はあった。

細胞生成史のその全貌を、下から、物質の創発的自己進化の中で再構成して、生きた全体としての細胞の真実に至るのが、本当の生命理解なのである。

「結果」としての細胞を要素に分解して「理解した」とするのは、細胞生成史を度外視し、眼前の「結果」に向けて歩んだ物質進化の一本線だけで、細胞を理解しようとすることである。「結果」から見れば、なるほど一本線しか見えない。だが、細胞進化の真の過程は、無限の分岐点を幾重にも経たものであって、このような単純な一本線ではなかった。

線形性は力学的・物理学的階層で顕著であるが、全てがそうなのではない。非線形力学としての「カオスの力学」も存在するからである。自然の階層が高まるにつれ、ますます線形性は稀な現象になり、生命細胞の理解においては、もはや線形的決定論ではなく、未来が全く予想できない「カオスの力学」が模索されている。

カオスの非線形方程式は、それに数値を代入すれば一意にある値が解として出るという意味では決定論的であるが、入れる数値が少し違うだけで、瞬く間に、解の数値の巨大な違いに膨れ上がり、時の経過とともにますます複雑・不規則・非周期・不安定な振る舞いをして、その先が全く予測できないのだ。

すでに触れたが、これを「バタフライ効果」と呼んでいる。ラプラース以来、決定論的だと思われてきた太陽系ですら、一億年単位のカオスだといわれている。

線形性は、「飛躍のない連続的必然論」「機械論的決定論」「周期性」「解の公式の存在」「全体は部分の単純な総和である」などをその特徴としている。

だから、自然の弁証法的階層が高まるにつれて飛躍による物質の理念的主体性が顕著になり、それの土台からの非連続性が際立つようになると、もはや有効性を失う。

たとえば生命細胞は「周期性」からずれる力学的な「ゆらぎ」や「ゆとり」がないと形成できない。病んだ細胞で「ゆらぎ」や「ゆとり」が減少しているのは、すでに確かめられており、死んだ細胞は「ゆらぎ」や「ゆとり」を失い、そこでは連続的必然論や機械論的決定論が支配的であることも確かめられている。

つまり機械論的決定論や連続的必然論を特徴とする周期的な線形性の枠内では、生命細胞を把握できない。

意識現象の場合はさらにそうである。意識の特徴である「飛躍性」や「偶然性」は、もはや線形性の連続的・周期的・決定論的な枠組みでは絶対に把握できない非線形性を持っている。意識は物質の運動の諸性質に囚われることなく、この瞬間にはあのことを、次の瞬間にはこのことを、というように自由に飛躍する。

どうして意識はこのように時間と空間の制約を全く受けず、物質のような連続的変化や移動を経ないで、非連続に、デタラメに飛躍しながら、あちらこちら自由自在に動き回ることができるのか? 

大脳内部の決定論的な物質過程の必然性からは、飛躍と偶然を伴うこのような意識が生み出される筈がない。物質の何かある「偶然的な性質」や「予測不可能性」が生み出す他ないわけである。それが現在、量子力学やカオス力学などで模索されているのである。

さて、非線形の世界では、部分間の関係は全体の質の変化に関わるものとなるので、全体を部分の単純な総和と見るわけにはいかなくなる。

例えば、一つの細胞はその中にあらゆる有機物、酵素、核酸、ミトコンドリア、色素体、ゴルジ体、細胞壁などなどを含むが、この全体としての細胞の働き(「生きる」ということ)は、それらの「部分」の働きや、その単なる寄せ集めの働きよりも一層「高い」優れた新しい働きの能力を獲得している。

弁証法的自然観における「全体は部分の総和以上のものである」という我々の世界の真実は、この世界の弁証法的な非線形性の証なのだ。

こういう物質の主体的優越性は、自然の階層が、無機物→有機物→生命→動物→人間と、高次になるにつれて一層強く現れる。そして自然の上に構築された人間精神の所産である文化の場合には、こうした非線形性はさらに強められて極大化する。

上位階層は、

[@]下位階層の全てを含む
[A]高次な新しい働きを付け加えている
[B]上位階層のものは下位階層から選択し提供されたもろもろの「部分」を総合してそれ自身一つの「全体」としてあるこ
とで、みずからの「部分」としての下位階層を凌駕している

などの点でも、下位階層より優れているのである。

(d)上位のものは自分の論理をみずから犯す、あるいは犯させられると、解体・消滅し、また上位のものは自分の土台である下位のものの論理を犯す、あるいは犯させられると、その一層下位のものへと解体・消滅し、排除される。

たとえば心は自分の在りかの大脳を破壊すると解体・消滅する。さらに大脳を支える身体の仕組みを心が破壊すれば、人間はただの死体になってしまう。



以上(a)から(d)に述べたこうした論理を持つ弁証法的階層構造は、なにも自然に限られているものではなく、実は人間の心や、心と心の紡ぎ出す社会や歴史や文化にも、普遍的に見られる。

(ハ)物質進化の結果としての精神性の謎
すでに見たように、宇宙はビッグバン以来、全一的なものとして、温度低下に伴うさまざまな相転移を繰り返しながら現在に至っている。そういう全一的宇宙の進化の中で、太陽系が生まれ、地球上に生命が誕生し、それが進化して、ついに精神動物である人間が生み出された。

物質進化の流れがどうして物質自身の自己否定ともいえる「精神性」へと進化していくのか、これは大きな謎だといえるだろう。

人間精神は物質宇宙全体の時間および空間の始まりと終わりを鳥瞰し、宇宙全体を自分の前に措定して、あれこれ考える。それは物質宇宙からの一種の独立である。非物質的な人間精神のこのような独立性は一体どこから来るのだろう? 

物質は、直接なにかの反応を得るためには実際にそこへ行って相互作用をしなくてはならない。それが一億光年の彼方にあるならば、少なくとも光速で一億年の時間をかけてそこへ行かなくてはならない。

だが、人間精神は観察結果と自然法則から、そこへ行かなくても、一瞬のうちにそこの反応が理解できる。太陽から地球へ光が届くには約8分かかるが、人間精神は、(意識の中ではあるが)、一瞬にして太陽表面から地球表面へ移ることができる。

つまり、意識や精神は、ある意味で物質世界の最高速度である光速度より無限に速い。だからこそ、物質世界の時空の彼方に人間の「思い」が届き、そこに存在する筈の神を考え、物質時空の制約を超えた「テレポート」や「タイムトラベル」に興味を持つのである。

また謎といえば、「すべては(区別のある)秩序から、(区別のない一様な)無秩序へ向かう」というエントロピー増大の宇宙の絶対法則(熱力学第二法則)があるにもかかわらず、ほんのちょっとした「ゆらぎ」の偏差しかない初期宇宙の無秩序・無区別から、銀河・恒星・惑星・衛星などのほか、秩序の典型で「負のエントロピー」とも呼ばれる生命や心や人間精神が宇宙に生み出されたのも大きな謎だろう。

いずれ現代宇宙物理学における『弱い人間原理』の段落で詳しく述べるが、宇宙創成初期に四つの相互作用が生み出されたあと、物質がクォークとレプトンから出発して、自然の無数の弁証法的階層を攀じ登り、ついに精神動物としての人間に至るためには、実は無数ともいえる不思議な「偶然の一致」の重なりがあった。

ただ人間を創生させるためにだけ、もろもろの自然定数値や相互作用の程度や諸元素が創り出されたとも「見える」のである。それらにほんのちょっとした「偶然の違い」があっても、人間を生み出したこの宇宙は存在できなかった。

この「偶然」は「人間には今のところ偶然として見えるが、実は必然なものだ」という未知未定の「偶然」でなく、量子力学でいう「本当の偶然」であり、そういう「絶対的な偶然による違い」なのである。そこに絶対の偶然を巧みに配剤する神の存在とその手の働きを感じても不自然ではない。

しかし広島大学の松田卓也は、

「量子力学的な偶然でそれぞれ少しずつ自然定数値の異なる宇宙が無限数、創成されており、その中にたまたま人間を生み出すにちょうど適したもろもろの自然定数値のアンサンブルを持ったこの宇宙が混じっていて、その宇宙の地球上での、物質進化におけるさらなる様々な偶然の自然選択の結果出現した人間が、『確率論的にありそうもないことが起きた』と単に不思議に感じているにすぎない」

という意のことを述べている。つまり目的論をいかなる形でも排除するために、またもや偶然論(確率論)を持ち出しているわけだ。

目的論を自分の自然哲学の中に認めても、自分の科学実験室や天文台でなんの邪魔にもならないのに、彼の人間至上主義の啓蒙主義哲学がそうさせるのだ。

しかし神が存在するならば、明らかに様々な自然定数値や相互作用の程度や諸元素などなどは単なる偶然の所産ではないだろう。

また、物質がクォークやレプトンから生命細胞を経て人間へと弁証法的階層を駆け上り、物質性をいわば自己否定しながら主体性を高め、絶えず精神性へと向かったこの上昇ベクトルの不思議も偶然ではないだろう。

なぜ物質は上昇して精神性へと向かうのか? 精神性の上方の彼方に、自分を生み出したさらなる精神的実在としての神が存在するからなのか? 神がそこにそういうものとして存在するから、人間精神はいつも時空の彼方の神を問題にし、追い求めるのであろうか?

とはいえ、神の存在はいまだ証明されていないので、今のところそれを単なる偶然と取るか、あるいは人間原理や超越的な存在の働きと取るかは、科学的には全く自由である。

(B)神の存在証明

(イ)証明
物質進化が精神性へと高まっていくのは疑えない事実である。ビッグバン宇宙の初期条件の総体が生命を生み、意識を生むようなものになっていなければ、それらが生み出されることはない。それらの初期条件が整備されたうえで、なお、物質進化の過程で起きた様々なありそうにない「偶然」が無数に重なって、生命や意識が創出されている。

そもそも可能性のないところから何かが実現するということはあり得ない。「何かが出現した」ということは、そもそもの始めにそれを生み出す可能性が全て含まれていたからである。

すり鉢と転がり落ちる玉の図
いまここに左の図のようなすり鉢状の曲面を想定し、すり鉢の右側に、下から上へ、無機・有機・生命・意識の四つの層を描くとする。そしてちょうどその反対側の左側のてっぺんから丸い玉を転がす。その玉はいったん底まで転がり落ち、その潜勢力(可能性・ポテンシャル)を利用して、無機層→有機層→生命層→意識層へと順順に上っていく。

もともと転がり落ちる玉の潜勢力の中に「意識」が含まれていたからこそ、ついに「意識」に到達できたのだ。それはつまり、そもそも玉が「意識の高み」から転がり落とされたからに他ならない。

そしてビッグバン宇宙のように創成の始まりがあり、自然の階層間に上下・優劣がある場合、意識の層へと上り得た宇宙(玉)は、それよりさらに高い超精神体が存在して、その超精神体がその所定の「意識の高み」から落として創成されたとしか結論できない。

それでも松田卓也などのように、「たまたま無数の自然定数値の宇宙が量子力学的偶然で創成されていて、その中にたまたま我々のような生命や意識を生み出すに適した一セットの自然定数値の宇宙が生じたにすぎない」と反論する者がいるかもしれない。

これは、すり鉢の左側に量子力学的に確率分布している様々な粒子(玉)の位置の中で、たまたま「意識の高み」にある粒子(玉)があって、それが転がり落ちたとする見方だ。

確かにげんに原子核の周りに雲状に確率分布する電子は、どのエネルギー準位にもそれぞれの確率で存在する。高いエネルギー準位のところで発見された電子は、それだけのエネルギーを持っているわけである。

しかし、そうした無数の宇宙の中に、たまたまこのような宇宙が一つ混じっていたとしても、生命や意識を生み出すポテンシャルから見て、そもそもの始めの可能性の中にそれらが含まれていなければ、そういうことも起きなかったわけである。その可能性は、その高みから落とされて初めて生じる。

無数の偶然の中のたった一つだったとしても、それは「その高みから落とされた」という事実の、必要で十分な条件をなしているのである。なぜなら生命は目的志向性を持ち、人間は目的意識を持つが、そもそも目的論と偶然論とは矛盾するので、生命や人間意識に見られるこうした目的性は偶然論によっては説明が難しいからである。宇宙における目的存在(生命・意識)は宇宙の非偶然的な創成や起源を示しているのである。


そもそも松田卓也などのいう量子力学的偶然論は自然に階層性がないことを前提にしている。つまり「無機層・有機層・生命層・意識層という自然の階層は一種の仮想・幻影であり、実在するのは基本となる粒子だけで、全てはそれら粒子の離合集散に過ぎない」とするわけだ。

となれば、たとえ・生命や意識を生み出したポテンシャルだとはいえ、そこには階層としての生命や意識などはなく、たまたま生命や意識を生み出すポテンシャルの位置にいただけだということになる。階層性がないのでどのポテンシャルの高みも質的区別のない偶然のものになってしまう。

しかし私たちが弁証法的自然観でみたように、明らかに自然には階層が存在する。それを私たちはすでにすぐ上の「自然の弁証法的階層構造の論理」の節で詳しくたどった。つまり自然に階層構造が存在する限り、「あれもこれも基本粒子の離合集散だ」とする思想に基づく偶然論は成り立たない。

それに、量子力学的な偶然は量子力学の支配する平面での偶然であり、そのさらなる深層では果たして偶然かどうか分からない。たとえば諸種のランダムな結果の出るゲーム機に話を置き換えると、ゲーム機(深層に類比)はむろん、偶然による一セットの結果を生み出すコンピュータソフト(深層)もまた、人間(神)が作ってそこにあるわけだ。

つまり量子力学的偶然は、神がそうした量子力学的法則のもとに宇宙を創造したとすれば、目的論を論破する偶然論の基盤にはなりえないということである。したがって偶然論だけでは目的論も神の存在も否定しえない。誰かが「量子力学的な『原理的偶然』は人間には作れない」というかもしれないが、量子力学的法則などをもとに宇宙を創造した神には作れる。


さて、物質がいわば自己否定して精神性へと絶えざる進化を遂げようとするベクトルは明らかだから、到達された人間精神の高みより一層高い超精神体が存在していることは、これで最終的に証明されたといえよう。

誰かが量子力学的な波動による「トンネル効果」を持ち出して、すり鉢の論理を否定しようとするかもしれないが、自然に階層が存在する限り、それは当たらない。それにすり鉢の例は自然の弁証法的階層構造をすり鉢式に表現し、それに落下の力学を合成した一種のアナロジーにすぎない。アナロジーのすり鉢を「トンネル効果」ですり抜けてみても、なんの意味もない。

また、量子力学は力学的・物理学的階層だけに通用するもので、それより上の生命や意識などの上位階層の諸現象を尽くすことのできるものでないことは、既に明らかになっている。

力学的・物理学的階層だけでは、その上に構築された全ての上位階層へ上るための無数の階段を創出できない。これらの階段は物質がその各々の階層ではじめて利用できる材料で作られている。


物質進化は自分で自分を高めていくが、それはあたかも自分で己の頭髪をつかんで自分自身の身体を上に上げていくようなものだ。

これは一種の不条理あるいは不思議というほかないが、それというのも、実在の最上層に人間精神を超える超精神的なアトラクター(誘引目的)があるからだろう。そのアトラクターが物質進化を上方へ引き寄せているともいえる。 

(ロ)存在神と人格神
さて、地球はもともと生命のない惑星だった。そこに生命が生まれ、生命はいまでは地球の表層全域をくまなく覆っている。それはある意味で地球全体が一つの生命体と化した状態だともいえよう。そういう生命体としての惑星を含む全一的宇宙が、宇宙的規模の生命体・精神体だと主張することが一見できるようにも見える。 

とはいえ、それは汎神・汎仏論を信じるヒンズー教や仏教が求める神秘化された存在の姿であり、超紐理論や最近のM理論にもとづく現代宇宙論から見える全一的宇宙は、どこまでも無機的な力学的宇宙にすぎない。そういう無機的で力学的な宇宙のあちこちに、ぽつぽつと生命体や意識体が散在しているというだけのことだ。このようにして汎神・汎仏論は正しくないことが分かる。

ところで汎神・汎仏論のもとでは哲学は成立しても、本来、宗教は成立しない筈である。全てが神や仏であるならば、自分自身も神や仏としてすでに完全であり、救いを求める必要も、救いを伝える必要もない。いやそれ以前に、汎神・汎仏論のもとではそもそもそこから救われるべき悪・不幸・不条理・欠陥などがこの世に存在することさえ説明がつかない。

本来は救いを祈願する対象が恣意的な人格神である場合にだけ、宗教というものが成立しうる。したがって汎神・汎仏論のもとでも、それが仏教やヒンズー教などのように宗教化している場合、多かれ少なかれ、存在の真理・宇宙真理としての神や仏も、(神像や仏像に見られるように)、人格化している。

こういうわけで、いやしくも究極的な救いを祈願する絶対者が存在するとすれば、それは宇宙なる存在そのものでも、宇宙内の何かでもなく、宇宙と人間を創造した恣意的主体なる人格的存在である。


ところでヒンズー教や仏教における汎神・汎仏論的存在である全一的宇宙としての偉大な精神的生命体を、「人格神」と区別して「存在神」と呼ぶこともできる。

仏教では「存在神」などとは決して言わないが、たとえば宇宙真理を華厳宗では「毘盧遮那仏」、真言密教では「大日如来」として表現している。それは仏像として表現されて人格的な人の形をとってはいるものの、そもそもは人格以前の「存在の真理」としての「毘盧遮那仏」であり「大日如来」である。

仏教がニルバーナ(涅槃)を求め、般若心経に示された「空」や「無」を求めるのは、そもそも生の煩悩を「四諦」で乗り越えようとするところから出ている。それは「生」のあらゆる執着からの解放を追い求めることで、ついには生の解消である「死」をも求めるに至る。ニルバーナとはそういうことだろう。

生はポテンシャルが高く、その位置を維持するためにいつも多大の緊張を要し、苦しみ、ついには疲れ果てる。それはあたかも永遠に繰り返されるギリシャ神話のシジフォスの苦しみといえよう。

生に執着しなければ生ゆえに起きるあらゆる苦しみから自由になれるし、死ねば生の緊張から永久に解放される。それで、仏教的な生は、死を恐れながらも、同時に、ニルバーナとしての死を憧憬することになる。

むろんニルバーナへの憧憬は、いやしくも生命体であれば、どれにでも、誰にでもあるだろう。ポテンシャルが最も低いところこそ、最も安寧なのだ。なにしろもうそこから下へ落ちようがない。

どのような物体も、ポテンシャルの最も低いところを目指し、そこで安定しようとする。水や玉が最も低いところへ流れ落ち、ころがり落ちようとするのはそのためだ。電子・陽子・中性子でさえ、エネルギー準位の最も低いところへ落ちようとし、そこで安定しようとする。

ニルバーナは「生」という高次で特殊な構成体を放棄して、その存在条件としての(「死」へ解消したあとの)諸要素の普遍性へと戻る動きである。それは上位階層の有機的な「自己建設」を目指すのでなく、ひたすら無機的な土台への「自己解消」を目指す。

それは「希望」を目指すのではなく「諦念」を目指し、「人格」を目指すのではなく、「存在」を目指す。東洋宗教は多かれ少なかれこれと同様の「存在神」の宗教だと言える。


さて、「存在神」と「人格神」との関係はどうか? 「存在」とは存在条件としての土台と関係しているものである。力学的物理学的階層は一切の他の上位階層のための究極の存在条件になっている。

そういう基礎的な「存在」の中から物質進化が行われ、ついに人間の「人格」に至っている。だから「存在」より「人格」が自然の弁証法的階層構造の論理では優れているということが分かる。

「人格」は「存在」に存在条件を持っているという観点からみれば、「存在」が何か「人格」に勝るもののように思えるが、それは土台だけを見ているからである。

土台の上に立っている方が、もっと物質進化において主体的・理念的に優れている。とすると、東洋宗教的な「存在神」よりキリスト教的な「人格神」の方がずっと優れていることが判明する。

ところで、「存在神」は、「存在」が神であり、真実在であるから、それは「存在」に関するこの世の知識の延長線上にあり、それゆえ仏教が哲学として、またバラモン教・ヒンズー教がウパニシャッド哲学などなどの哲学として表現されることにもなるわけだ。

だが、「存在」を超える「人格」を神とするユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの広義の聖書宗教は、「存在」から、言い換えればこの世の知識から、神の知に至る道を認めない。

宇宙が神によって創造されたがゆえに、「存在」は「人格」によって「存在せしめられたもの」でしかなく、したがって「存在」やそれに関する知識の中に神・真理はありえず、神の知は啓示によってしか与えられないのである。むろん神の救いも宇宙内的な自力でなく宇宙を越えた他力によるほかはない。

汎神・汎仏論の宗教は誤りだから、したがっていわゆる仏教的な「悟り」とは、架空の宇宙真理(存在神)との一体感を錯覚体験し、その神経回路を自力で脳内に強く固着させることであり、「悟り」への修行は自己暗示によってそうした固着化を脳内回路として実現しようと努力することであるといえる。


それではこの超越的な「人格神」はどこから来たのか?という問題が提起されるに違いない。この「人格神」もそれに応じた機能や能力を持つからには、それ自身ある種の構造を持つ必要がある。構造のない機能は存在しないからである。

その構造をなす諸要素は「人格神」より先にあるもので、それこそ「人格神」に勝る「存在そのもの」ではないか。こう反論する者がいつもいる。

これは宇宙が時間と空間とともに創造されたことを度外視した問題提起なのだ。「その先は?」と問うのは、時間と空間の中に創造された人間には避けられない宿命的な問いかもしれないが、それは時間と空間そのものを創造した存在に対しては無効なものなのである。

時間が創造される前のものに対して、果たして「その先は?」と問えるだろうか? それはあたかも輪廻転生を信じる者が、それを信じない者に、「あなたの前世は何ですか?」と問うようなものだといえよう。

我々の宇宙は時間と空間の形式のもとに創造されはしたが、他の宇宙ではこんな形式などないかもしれない。たまたま時間と空間の形式のもとで生存する我々を絶対化し、普遍化して、時間以前・時間以上の神に対して「その先は何か?」などと問うのは非論理的なのだ。 

(2)自然・歴史・人間に見られる「三・一」の普遍的刻印を帯びた「神の手」

(A)量子力学における「弱い人間原理」と「強い人間原理」

上記の「弁証法的自然観に基づく神の存在証明」は、神の存在を証する論理的な側面である。次にその神秘的な「しるし」の側面を見てみよう。こちらの方が一層明快で、衝撃的である。

だが、その前にまず、現代宇宙物理学の世界に小さからぬ影響をもたらしている「弱い人間原理」と「強い人間原理」について述べてみよう。ブラックホール物理学で著名な、現代宇宙物理学の旗手であるS・ホーキングも「弱い人間原理」を信じていることに注意を振り向けたい。
(イ)弱い人間原理=宇宙は人間のために作られている
さて、量子力学的偶然による無数の自然定数値のセットの中で、たまたまこの生命やこの人間を生み出した我々の宇宙が一つ混じっていた、という論法が存在していることから分かるように、ビッグバンのそもそもの始めは全て「本当の偶然」(量子力学的偶然─これについては次の「強い人間原理」のところでご説明する)が支配していた

だから、宇宙の基本的な四つの相互作用のうちの「重力定数の値」も、「強い力の値」も、「弱い力の値」も、さらに「電気力」(電子と陽子の電荷など)の大きさも、全て本当に全くの偶然で決まったものである。

これらの値は、一つが変われば他が変わるというように相互に連動しているので、そのために信じられないほど相互に微調整された確率の一セットとなっており、そういうありそうもないような確率と「コインシデンス」(偶然の一致)で炭素系生命や人間精神を生み出している。

(1)たとえば、もし重力定数値が現在のものより少し大きければ、宇宙の膨張速度は遅く、宇宙は小さく、その寿命も短い。宇宙内の物質も巨大な集積を余儀なくされ、星は早く燃え尽き、たとえ生命材料の諸元素が生成されたとしても、人間に至る40億年という生命進化のための時間的余裕は存在しない。

もし定数値が少し小さければ、宇宙は際限なく膨張し、全ては急速に拡散して、銀河・恒星・惑星・衛星などの構造物が形成できない。むろん惑星上の生命も人間も生み出されない。

重力定数値と我々の宇宙の平坦性(一様で等方な性質)とは関係している。この平坦性に対してその臨界密度があるが、我々の宇宙は宇宙創成1秒後、その臨界密度に対して1015の精度で平坦で、さらに遡って宇宙創成の10−43秒(既知の時空概念超えた「プランク時」)後では、1060の精度で平坦だ。

観測される宇宙における全陽子数がおよそ1081個だから、この数字はあらゆる精度を超えたものといえよう。

(2)電気力は重力とともに作用範囲が無限遠に及ぶ。電気力は重力より1036倍強い。だが、たまたま陽子のプラス電荷と電子のマイナス電荷が等しいので、原子(元素)はプラス・マイナス・イコール・ゼロで全て中性となり、電気力が宇宙の構造を決める力にはならない。

もしプラスとマイナスの電荷の間にほんの少しの違いでもあれば、物質に中性はない。全ての物質は強い電気力で破壊され、宇宙は現在のような構造を持つことができず、生命や精神を生み出すことはできなかった。

これは陽子が三つのクォーク(uud)で出来ており、それぞれのクォークの電荷の総計(uは+2/3dは-1/3なので、2/3+2/3−1/3=1)として陽子のその電荷を得ていることを考えれば、やはり不思議な偶然の一致といえよう。どうしてこれが電子の電荷と等しいのか不思議なことである。

(3)強い力」がもっと強ければ陽子と陽子の反発力に勝って、原子核はどんどん重くなり、核融合が激しく進み、星の寿命は短く、全てが鉄やそれ以上の元素になっていただろう。

もっと弱ければ、この世に一つの陽子と一つの電子からなる水素しか生成しなくなる。その水素からヘリウムなどその他の元素が合成されるには、宇宙膨張が早すぎて水素どうしの衝突の可能性がなく、永遠にその他の元素は生成されない。

(4)初期宇宙はなんの構造も持たない一様・等方な平坦な宇宙で、その一様性は全天にみられる3度kの一様な背景放射によって確かめられている。一様=無構造だけでは、その後の銀河・恒星・惑星・衛星などなどの構造が生まれた理由が分からない。

そこに構造が発生するタネが生まれなくてはならないが、そのタネが10−5の精度のムラ(ゆらぎ)として一様な背景放射の中に認められた。このムラが物質分布のムラとなり、それが重力によって強化され、ついには銀河・恒星・などなどを作るようになる。

一様で、しかもその中に適度なムラのある理由を、まだ宇宙物理学者は説明できないでいるが、この適度なムラ(ゆらぎ)が、(背後に神の選択があったかどうかはともかく)、全くの量子力学的偶然によってたまたま生み出されたことだけは確かである。この偶然がなければ我々は存在しなかった。

もしムラが10−5より少し大きければ、全てが無数のブラックホールや混沌となって秩序ある宇宙は存在し得ず、またそれより少し小さければ、ムラは構造のタネにはならず、宇宙に一切の構造物、したがって生命も人間も存在しなくなる。

ちょうどこの程度のムラだったことが不思議な偶然の一致(コインシデンス)だと、ジョン・グリビンは『宇宙の黒幕・ダークマター』の中で述べている。

(5)弱い力」にはどんな偶然の一致が見られるだろうか? 地球はあらゆる元素でできており、我々の身体は炭素・酸素・窒素だけでなく、鉄やその他の金属も含んでいる。

太陽系を構成するこれらの多様な全元素は、初期のビッグバンによって生成したものではない。ずっと後の恒星活動の中で生成されたものである。

ビッグバンの時は、水素・重水素・ヘリウムと少量のリチウムしか存在していない。ビッグバン宇宙の早すぎる膨張速度のため宇宙温度の冷却が進み過ぎたからである。

鉄までは恒星の通常の核融合によって作られ、超新星爆発によって宇宙空間に一旦拡散し、鉄より重い重元素は、(中性子星どうしの衝突及び高速自転で強力な磁場を形成する恒星の超新星爆発において生じる)R過程( rapid process )で一瞬のうちに作られて、宇宙に拡散される。こうして水素からウランまでの全ての元素が宇宙空間に一旦拡散した。太陽系はそれをかき集めて出来たわけである。

ちなみに単独の中性子の平均寿命は約15分、核外ではすぐに陽子と電子と反ニュートリノに崩壊する。したがってこの崩壊前に素早く(rapid )核融合していないと(すなわちR過程がないと)、核は陽子過多となってプラスの電気的反発力で核融合が進まず、したがって鉄より重い原子核が形成できない。

つまり我々を構成する元素は過去の恒星活動の終末的爆発(それも数度の)によってばら撒かれたものなのだ。つまり超新星爆発がなければ我々は存在しない。この超新星爆発に「弱い力」の絶妙な働きが存在する。

超新星爆発は、太陽質量の20倍以上の恒星が燃やし尽くされ、核融合の最後の灰である鉄になり、その結果、星の重力に対抗する熱膨張力が臨界量を下回り、星がみずから重力崩壊して起きる。

このとき爆発の反動である爆縮の結果、恒星の中心部に中性子星ができるが、このときの爆発エネルギーだけでは星の外へ向かう衝撃波は途中で弱まり、超新星爆発が完成しない。ちょうど衝撃波が弱まる直前に中性子星の内部から無数のニュートリノが爆発的に放出され、それに後押しされて超新星爆発が完成するのだ。

ニュートリノの爆発的放出は中性子星内部の「弱い力」の程度によって決定されている。これが強すぎると、ニュートリノは物質との相互作用力が増して中性子星の中性子に閉じ込められるし、弱すぎると衝撃波の物質と相互作用できず、したがって後押しは不可能で、そのまま衝撃波物質に対して透明なまますり抜けてしまう。

さらに、宇宙創成のビッグバンの時にも、「弱い力」が少し強ければヘリウムは生成されず、少し弱ければ全てがヘリウムになった。ヘリウムがなければそれより重い元素は生成されず、炭素も酸素も存在しない。

またヘリウムばかりでは(生命が水なしにあり得たとして)星は早く燃え尽きて、生命発生と進化のための時間の余裕が得られない。恒星は水素を燃やしてヘリウムにすることで、その寿命のほとんどの時間を稼いでいる。

(6)次いで、F・ホイルが「弱い人間原理」によって発見した炭素合成の共鳴メカニズムについて述べよう。

全ての元素は非常に安定なヘリウムの原子核であるアルファ粒子(二個の陽子と二個の中性子)を中心にして生成される。ヘリウム核に水素核(陽子)が融合されたり、ヘリウム核どうしが融合されたりして、より重い元素が作り出されるのである。

その中でもヘリウムとヘリウムとが融合して作られるヘリウムの倍数体(炭素・酸素・鉄など)は、ヘリウム自体が安定なため、、ほとんどが安定な元素だ。

ところで、炭素を合成するためにヘリウム核を三つ融合しなくてはならないが、三重衝突のケースではその確率があまりにも低く、宇宙における炭素の存在比を説明できない。

だから、まずヘリウム核二つを衝突・融合させてベリリウム核を生成し、そこに第三のヘリウム核を衝突・融合させねばならない。ところがベリリウム核は10−17秒の寿命しかなく、しかも第三のヘリウム核の衝突でほとんどのベリリウム核が破壊されてしまうことが分かった。そこで原子核の共鳴現象に解決を求めることになった。

炭素核が共鳴によって生成できるための「炭素核に固有のエネルギー準位」というものがあるが、それがどれほどなのか分からなかった。

ベリリウム核のエネルギーと第三のヘリウム核のエネルギーを加えたものが、即、炭素核の共鳴エネルギーなのではない。合計されたこの両者のエネルギーの上に、さらにその4%が運動エネルギーとして存在する場合のみ、炭素合成のための共鳴が働く。それが7.6MeV(メガ電子ボルト)の値だった。

ホイルは実験で測定される前に、「(炭素系生物の)我々が存在する故に、炭素は7.6MeVのエネルギーレベルでなければならない」と断言した。これが人間原理による唯一の物理学的予言である。人間原理にさしたる科学的評価を与えないジョン・グリビンも、「もし天才がいれば、残りの『予言』も全て観測の前になされたかもしれない」と述べている。

ところが「偶然の一致」の不思議はこれに留まらなかった。共鳴は調整できない不変の質料エネルギーを分割しては行われない。可変の運動エネルギーを調整して行われる。

だから、共鳴が起きるためには、いつも、あとで合成される新しい核は、それ以前の核の合計されたエネルギーより運動エネルギー分だけ大きい値のエネルギー準位にあらねばならない。

炭素の場合はそうなっているので、共鳴によって宇宙における存在比に応ずる炭素量が生成できた。共鳴がなければ効率がけた違いに低い三重衝突や二重衝突でまかなわなくてはならなくなる。

さて、炭素核にヘリウム核がもう一つ融合されて酸素が生成されるが、あとで合成される酸素核の共鳴エネルギーは炭素核とヘリウム核のエネルギーの合計より1%小さい。質量エネルギーは調整できないので、酸素は共鳴によって量産できないことになる。

酸素核が共鳴で生成できるように、仮に酸素核の共鳴エネルギーが炭素核とヘリウム核の合計したエネルギーより、反対に1%大きかったなら、全ての炭素は酸素になってしまい、それがさらに重い元素になっていただろう。

炭素がなければ炭素系生物の人間は当然生まれなかったわけである。ジョン・グリビンは、

「共鳴が炭素12に良くて、酸素16に悪い、というこのコインシデンス(偶然の一致)は、実に驚くべきものである。宇宙が、我々のためにデザインされたもの、つまり人間のために誂えられたものである、という議論を支持するこれ以上の証拠はない」

と述べている。

(7)宇宙が空間の三次元と時間の一次元(三と一の構造)から出来ているということには、深遠な意味がある。距離の二乗に反比例するという(重力や電気力の)周期回転系の力学は、三次元空間にしかないもので、しかも、あらゆる次元の空間における周期回転系よりも格段に安定している。

ちなみに、周期回転系の力学は、四次元空間では距離の三乗に反比例し、五次元空間では距離の四乗に反比例するというように、その空間の次元数から1を引いた逆乗数の求心力を持つ。

もし距離の三乗に反比例するなら、太陽に少し接近するだけで天体は太陽に飲み込まれ、少し離れるだけで太陽系から離れてしまう。また地球も小さな隕石の衝撃だけで軌道から外れ、太陽系からはじき出されてしまう。

ビッグバンのときの「偶然」で我々の宇宙はこのような時空次元のものになったが、もし三次元の空間と一次元の時間という構造でなければ、地球上に生命は誕生しなかった。

(8)次にご紹介するのは化学的なものであって物理学的なものではない。

は凝結すると液体の時より体積が増える。固体になって体積が増えるのは水だけだ。この特異な現象が起きるのも、一つの酸素に二つの水素が104.5度の角度で結合しているからである。そのために、他の物質の場合には起きないことが起きる。

水の場合、固体状態が液体状態より体積が大きく、比重が軽いため、氷は水に浮く。その結果、例えば、極地の水はその表層をいつも氷で覆われることになる。氷の白さのおかげで、太陽からの熱を効率よく宇宙へ反射し、地球の余分な熱を放出している。いわゆる放射冷却だ。この放射冷却がなければ地球は灼熱地獄と化すだろう。

さらに、もし他の物質と同様、水の固体状態が液体状態よりも重くなるなら、全ての氷は水の底に沈み、そこに固定化されて、地圏・水圏・気圏における水の循環ための絶対量が不足するようになる。

それにまた、極地の水が氷になって沈み、海底から順順に全て氷になって積み重なり、極地全体が巨大な氷塊となるが、これでは地球の自転軸が不安定に揺れることになるし、また海水が氷になるとき塩分が排出されるので、その分、世界の海水の塩分濃度が上がり、死海以上の塩水の海と化して、一切の生命の発生や存続を許さないようになる。

この他にも、たとえば岩石風化の際の亀裂のメカニズムなど、液体の水が固体の水より重いことで起きる無数の現象があるが、水が生命にとって最も重要な物質であるだけに、水に関わる現象の全てが生命にとって不可欠なものになる。

そして、宇宙初期の様々な物理学的偶然や、その後の化学元素の合成過程の偶然や、その偶然で得られた化学物質の諸性質や、生命発生と進化過程おける無数の偶然の積み重ねの結果として、この地球があり、その上の炭素系生命があり、人間が存在している。


以上は「弱い人間原理」(人間のために宇宙はある)の様々な例であるが、『宇宙の暗闇・ダークマター』を訳した京都大学の佐藤文隆は「あとがき」で次のように述べている。

「コインシデンス(coincidences)とは辞書で引くと『偶然の一致、暗号、符合』などと書いてある。……この暗号、符合はただ漫然と宇宙を眺めていては見えてこない。物理の法則を用いて一歩突っ込んで分析してみると初めて見えてくる暗号、符合である」

「弱い人間原理」は、宇宙は人間のために作られているとするが、人間が人間のために宇宙を設計したわけではないので、これは人間至上主義的な誤りである。

科学者たちの中には人間原理を展開しつつも、神の存在を否定しつづけている者が多い。それはあの啓蒙主義的な哲学原理のためである。

もし「弱い人間原理」にどこか正しいところがあるとすれば、それは宇宙創造の際、神が人間に向けて全てを準備したということだろう。

私は次に「強い人間原理」をご紹介するが、それが終われば、自然・歴史・人間における宇宙に普遍的な「三・一の刻印」を、新たな、そして神の存在について決定的な、ともいえる「偶然の一致、暗号、符合」として披瀝するだろう。  

(ロ)強い人間原理=人間の意識が宇宙をあらしめる
(a)量子力学とは?

「量子」というのは黒体放射の研究から「プランク定数」が発見されたことで生じた概念である。プランク定数は「h」で表記され、その値は(6.626×10ー34 ジュール×秒)である。

瞼の一瞬きがおよそ10−7ジュールのエネルギーだから、そのおよそ10ー27の小ささである。これは瞼の一瞬きの千兆の、そのまた一兆の分の一のエネルギーだ。

このプランク定数に振動数を掛けると「エネルギー量子」になる。つまり定数「h」がエネルギーを連続量ではなく粒粒にする。プランク定数は非常に小さい値なので極微の世界でしかその効果が現れない。つまり極微の世界では大きな意味を持つことになる。

ふつうエネルギーは連続量だと思われている。我々の常識ではエネルギーは無限に分割できるものであり、そのおかげで周囲のどのような物体の運動も、(陽子の一兆倍の、さらに一兆倍の質量を持つ空中に漂う小さなチリの運動でも)ギクシャクしない。

我々の生活空間である3000倍以下の光学顕微鏡で見える巨視的な世界では作用するエネルギーが巨大なのでエネルギーの粒粒感は存在しない。そのため我々の生活空間ではエネルギーは無限分割できる連続量のように見える。

しかし極微の粒子世界ではエネルギーは粒粒となる。これは通常の生活空間で坂道に見えたものが、電子顕微鏡で見ると階段になっているといった状態だ。

それではエネルギーが粒粒だとどういうことになるのだろうか。それは「極微の世界では坂道は存在せず階段だけが存在する」という意味である。したがってギクシャクと段から段へと跳び移るほかない。

たとえば原子内の電子は複数の軌道を持つが、エネルギーが粒粒で無限分割できる連続量でないため、ロケットが地上から発射されて衛星軌道に乗るような具合には、あの高さからこの高さへ連続的に移動できない。上下の軌道の間を埋めるエネルギーレベルが存在しないからだ。

それで電子は軌道から軌道へ全く突然、無空間的に無時間的に、跳び移るしかない。それを「遷移」と呼んでいる。つまり極微の世界で粒子は連続移動できず遷移する。

もし電子を人工衛星だとすると、この人工衛星は連続的に、高度100キロメートルの軌道から高度200キロメートルの軌道へ移動するのでなく、一挙に「遷移」するわけだ。巨視的世界に住む我々にとっては非常識という他ないが、しかしこれが粒子の世界の真実である。

これが通常の生活世界で起きれば「テレポーテーション」という超常現象になるだろう。つまり極微の世界では物体運動の連続軌跡は存在しないが、そのような運動は我々の生活空間に存在しない。

普通の物体は連続軌跡を描いて運動するので、それがいずれ(後述する「観察者問題」とともに)粒子の「実在性」や「客観性」にも問題を投げかけることになる。つまり物体が連続的な軌跡を描いて運動するということがその物体の「客観的実在性」の証とも言えるわけである。

「観察者問題」とは人間の観測・測定行為によって粒子の状態が本質的に・不可逆的に、全く変わってしまうという問題である。「客観的」ということは観察者なる「主観」のいかなる行為にもかかわらず不変、という意味だから、粒子の「客観的実在性」にも問題が及ぶことになる。

そしてこれはついに粒子の集合体である全宇宙の客観的実在性まで疑わせる大問題を引き起こすに到る。エネルギーが極微の世界で粒粒であることが、こうしたさまざまな不思議を引き起こす。

(b)粒子性と波動性

粒子、たとえば原子核の回りの電子の「位置」も、飛び飛びの位置しか許されなくなっただけでなく、粒粒の「h」があるために粒子の「粒子性」とは別に粒子の「波動性」まで現れることになった。

アインシュタインは質量ゼロの光(電磁波もしくは光子)が粒子でもあり、波動でもあることを定式化した。そしてその後、ド・ブロイが質量を持った電子もまた粒子でもあり、波動でもあることを示した。こうして質量の有る無しにかかわらず、どのような粒子も波動性を持つことが判明した。

粒子と波動とは物理効果が全く異なる。つまり相容れない性質のものだ。粒子とはいわば「玉」のことで物体であるが、波動とは出来事あるいは現象である。

粒子(玉)は、時速100キロメートルの車の荷台から前方に向けて時速100キロメートルの速度で放り投げられると、地上に静止している者にとって合計時速200キロメートルになる。

だが、波動たとえば音波は、時速100キロメートルの荷台から音を前方に向けて発しても、後方に向けて発しても、また荷台からでも地上からでも、速度はいつも変わらない。

ただドップラー効果によって振動数の多い高い音になったり、振動数の少ない低い音になったりするだけである。波の速度は波源の速度とは全く無関係で、波の媒質によって決まっている。

それに、粒子はどのような場合でも、数が増えればそれだけ加算されて強化されるが、波動の場合、二つの波の位相が180度ずれて、波の高いところと低いところが重なれば、波そのものが消えてしまう。

その他に、波動には粒子にない「回折」や「干渉」という現象もある。水面上の複数の波紋の「干渉」現象は、我々の見なれているところだ。また直射光線による物体の影の縁がぼやけているのは、光が物体に邪魔をされて物体の後ろへ回りこんだからで、これが「回折」である。

さらに粒子と波動との違いについていえば、粒子(玉)はその位置に一つしか存在し得ないが、波動はいくらでも無限に重ね合わせることができる。仮に(後に出てくるように)一つの可能性(確率)を一つの波動だとすれば、無限の可能性(確率)の波動を重ね合わせることができる。

フーリエ級数のように、一つの波動を無限の数の波動に分解することも、無限の数の波動を一つの波動として表現することも、ともに可能なのだ。これほど粒子(玉)と波動とは性質が異なる。

光が粒子か波動かでニュートンとホイヘンス以来、長い間論争になってきたが、ニュートンは真空の中を光の粒子が運動するとし、ホイヘンスはデカルト的な隙間のない空間媒質が振動して伝わるものとした。

デカルトのように空間がびっしり隙間なく物質で埋め尽くされているのなら、そもそも運動のための余裕がなく、運動そのものが成立しないし、デカルト自身のいう空間を埋め尽くす物質の「渦流」も実は存在し得ない。

またニュートンのように、(真空の中を粒子が飛んでいくという光の場合はともかく)、真空を通して力(たとえば重力)が伝わるとすると、何もないところをどうして力が伝わるのか分からなくなり、結局、ニュートンのように重力や電磁気力を一種の神秘力として見ざるを得なくなる。

力は物と物との接触を通して直接伝わるとしなくては理解できず、それはデカルトの充満説を支持し、反対に、接触可能とはいえ、このような充満だけでは運動そのものが不可能になるという点からみれば、物質の存在しない「真空」という余裕の空間が必要で、これはニュートン説を支持する。この自然哲学上の根本的対立はそのまま光の粒子説と波動説の対立となった。

ところが二十世紀初頭、アインシュタインは光量子説によって「光は粒子でもあり波動でもある」と証明した。振動数が多く波長の短い領域で光は粒子性を持ち(紫外線・X線などによる光電効果)、振動数の少ない波長の長い領域で波動性を持つ(可視光・赤外線・電波)ことが分かった。

真空は量子力学的に「普通の物質」とほとんど相互作用しないマイナスエネルギーの粒子でびっしり埋め尽くされている。だから普通のプラスエネルギーの物質から見れば何もない真空だ。

ところがその反面、真空は重力や電磁気力を伝えるための隙間のない「普通でない物質粒子」による媒体になっているわけだ。つまりその媒体を構成する粒子の接触によって重力や電磁気力が伝達される。

この媒質を構成する粒子をP・ディラックは「ロバの粒子」と名づけた。実は「真空は充満していた」わけである。だからニュートンもホイヘンスも正しかったと同時に間違っていた。こうした新しい真空理解によって、光は粒子でもあり波動でもあることが理解されるに至った。

むろん、質量を持つ持たないにかかわらず、全ての粒子が粒子でも波動でもあることは、今も物理学的な矛盾であり続けている。人間の言葉も想像力も、粒子のこの矛盾した性質を全く理解できないでいるのである。これはいわばある物体が固体でも気体でもあるというのと同様の矛盾なのだ。

(c)観測による対象の変容

そもそも「h」があることで位置の曖昧さが波動性として現れるのである。重い巨視的物体には位置のしっかりした静止状態があるが、軽い粒子にはそもそも静止状態というのがない。

もっとも微小な3度kの宇宙背景放射にさえ、粒子は感応して激しく揺れ動く。絶対零度でも「ゼロ点振動」という振動をしているぐらいなのだ。

だから粒子はいつも振動状態にある。それが位置の曖昧さとなり、振動の波動となる。そして粒子世界のその波動というのも、「コペンハーゲン解釈」によれば「現実の波動」ではなく、その位置に光子・電子・その他の粒子の存在する「確率分布の波動」で、シュレディンガーの波動方程式の「波束」として現れる。この波束はその粒子の取りうるあらゆる可能な状態の総体、つまり「重ね合わせ」であり、その粒子の全確率分布像を与える。

観測によって粒子の位置が決まると、この確率分布の「波束」はその決まったところに凝縮して、ただちに消滅する。つまり人間の観測がこの「波束」を凝縮させて消滅させる
水素原子内の電子の確率分布像
『量子の謎をとく』(F・A・ウルフ)中村誠太郎訳からの引用

一つの原子の中のこの「波束」は、原理的には宇宙の果てまで伸びている。原子のどこかにその電子が存在する確率は最も大きいが、存在確率としては宇宙の果てでもゼロではない。それは存在確率の波動が宇宙全体に広がっているということである。

こういうことは音や水面の波など、普通の波動(実在の波動)においては決してあり得ない。抽象的な「確率の波動」だからこそ、あり得るわけだ。

さらに奇妙なことに、例えば電子が観測によってある位置に発見されると、全宇宙に広がっていた確率の波が、無時間的・無空間的に、一瞬のうちにその一点に凝縮してしまうという不思議な振る舞いをする。

これは位置だけでなく運動量やスピン(自転)など、粒子の量子的諸性質の全てについて言える。粒子の一つの運動量が観測されると、全ての可能な運動量の確率を含んでいた「運動量の確率の波(波束)」が、(また、あるスピン状態<たとえば左スピン>が観測されると、もう一つの可能性<右スピン>をも含んでいた「スピンの確率の波(波束)」が)それぞれ無時間的・無空間的に凝縮して、消滅する。

また、人間が対象の光子や電子などを粒子検出器で粒子として観測すると粒子となり、波動検出器で波動として観測すると波動となる。これは観測によって対象がいわば犬になったり猫になったりすることと同じで、人間の観測行為によって対象がすっかり変容されてしまうわけである。観測で犬になったり猫になったりするのでは、対象の客観性がつかめない。

こういう意味でも、対象の「客観的実在性」が疑われるようになった。「客観的」とは主観のいかなる操作にも本質的影響を受けない性質を意味するからだ。

人間の観測によって対象粒子が実質的な変容を受けるということは、無数の粒子の全体によって成り立っている宇宙もまた、多かれ少なかれ人間の観測によって変容を受けるということを意味する。

不幸な猫の思考実験の図
         『量子力学入門』(並木美喜雄著)より引用
さて、存在確率として上と下の二つのエネルギー準位だけを持つある放射性元素に運命を託した有名な「シュレディンガーの猫」の思考実験の話がある。

その放射性元素は1時間のうちに上下どちらかのエネルギー準位に崩壊する確率になっている。下に崩壊すれば放射能が出て、それを検知した装置が猫の入っている箱の中の毒ガス容器を壊して猫は死ぬ。

確率としては上下ともに50%で、量子力学的にどちらも存在している。すると、(こういう奇妙な状態は我々の巨視的世界には存在しないが)、猫はその一時間の間、「死んだ状態」と「生きている状態」の「重ね合わせ」の状態にある。

量子力学的確率はシュレディンガー波動方程式の「波束」だから、波がいくらでも重ね合わせが出来るように、全ての確率が「重ね合わせ」の状態にある。

この猫の場合は上下二つの可能な確率の波束の「重ね合わせ」しかないが、それを凝縮させてどちらかに決めるのは、箱の中を観測する観測者としての人間の観測行為だ。つまり、どちらであるか観測することそれ自体が、猫の生死のどちらかを決める。

人間が観測すると確率分布の波束は凝縮して、全く偶然に「生きている猫」か「死んでいる猫」か、二つのうちのどちらかに決まる。

論理的にはこの「猫」を「宇宙」に置き換えても同じことがいえる。したがって、宇宙の運命やあり方を決めるのは観測者としての人間の観測行為ということになる。

ここからE・ウィグナーやJ・ホィーラーなどは、

「人間の観測が宇宙を存在させる」

と結論する。観測は個人としての観測者の「意識」が行うものなので、「個人としての人間の意識が宇宙をあらしめる」という壮大な観念論的独我論がここに展開される。これが「強い人間原理」の宇宙論だ

(d)「強い人間原理」に対する反論

観測者の「意識」が観測を成り立たしめるとするなら、その「意識」の特別な性質は一体どこに由来するのであろうか? 物質宇宙の進化の中から「意識」が生まれたのであれば、なぜ他の物質の装置でなく、人間の大脳という物質の装置で機能する人間の「意識」だけに、観測や測定ができるというのだろう? 

もし「ともかく、なにがなんでも人間の意識は特別だ」ということになれば、その「特別性」は結局、「人間の意識は神の意識から来る」とでも言う他ない。

仮に観測が宇宙をあらしめるとしよう。ある観測者Aをさらに外から観測する別の観測者Bが存在する場合には、そのBの観測が終わらないと真の観測結果が出ないことになる。

これはウィグナー自身が挙げた「ウィグナーの友人」の思考実験の題材でもあるが、そうすると入れ子式の無限後退が起きて、ついには最終観測者の神が登場しなくてはならなくなるだろう。

いやその前に、微視的粒子に適用できる量子論理を、無数の微視的粒子によって構成される巨視的物体(ひいては全宇宙)にも当てはまるとするのが、そもそもの誤りと言える。一つひとつの粒子の不確定性は、無数の粒子の量子統計学的結果によって消失する。だから、一つのチリといえども「遷移」はせずに連続的に移動している。

すなわち、巨視的物体としての猫の運命は、微視的な一粒子の崩壊などで決定できないものだ。だからこそ、「生きている猫」と「死んでいる猫」との「重ね合わせ」といった奇妙な状態など、実際には起きていないし、誰も体験していないわけである。いくつかの粒子の観測や測定で、なにか宇宙に大きな変化でも起きたことが一度でもあるだろうか?

仮に観測によってある粒子状態(特定の位置・運動量・スピン・粒子性もしくは波動性)が決まるとしても、一個や二個の粒子の状態が人間の観測で決まったからといって、宇宙全体の状態が決まるわけではない。それはその少数の粒子についてのことにすぎない。

人間が光子や電子など、もろもろの粒子の波動性もしくは粒子性、位置・運動量・スピンなどを測定する前に、それらがすでにそのような粒子として存在するように、宇宙もまたすでに存在して、このような宇宙を構成しているわけである。

人間の観測・測定が行われず、そのため宇宙の全粒子がそれぞれ特定の粒子状態に決まらないまま、確率分布のあれこれの場合の「重ね合わせ」の状態にあるからといって、それらが実在しないのではない。すでにその「重ね合わせ」の状態でそれが実際に機能して、宇宙はこのようなものとして存在している。

もし人間の観測が宇宙を成り立たしめているのなら、人間は宇宙の全粒子をことごとく観測して、それらの粒子状態を決めてやらなくてはならないが、一体誰がいつそれを行っているというのだろう? 

もし誰かが宇宙の全粒子を観測して粒子状態を決め、それによって宇宙をあらしめているのなら、それは人間ではなくて宇宙を創造した神自身であろう。

それに、人間の観測が対象や世界を変えるという想定は、H・エバレットの「無限分岐宇宙論」で否定されている。量子力学的確率分布の波束は、観測によってその確率のうちのどれかが決まって凝縮するのでなく、エバレットによれば、誰も何もしなくても、確率のあらゆる場合(あらゆる可能なケース)が、それぞれの宇宙で実現しているのである。

この宇宙では粒子のこの「位置」が、あの宇宙では別の「位置」が、この宇宙ではこの「運動量」が、あの宇宙では別の「運動量」が、というように、全ての可能性が別々の宇宙で実現している。観測したから何かが起きたのではない。この無限分岐宇宙論では「観測」も「意識」も「波束の収縮」も必要ないことになる。

あらゆる瞬間に全ての可能なケースがそれぞれの宇宙で実現しているということは、我々の宇宙はそれぞれの瞬間に無数の宇宙に分岐しているということだ。

別の宇宙では別の「私」あるいは「あなた」が、それぞれの過去を担いながら未来へ向けて生きている。分岐以前は全く同じ過去を持つので、誰もが無数のそっくりな平行宇宙と、そこにおける無数の別の自分を持つことになる。これは相当、非常識な仮説だが、量子力学的にはどこにも誤りはない

あらゆる可能性(確率)は量子力学的な「本当の可能性」なので、サイコロを転がす場合とは全く違う。サイコロを転がして実際にどの目が出るかは人間には分からないとしても、あれこれの初期条件や境界条件が完全に分かりさえすれば本質的には計算でき、一つの必然的結果が出るものである。

ところが粒子の場合はそうでなく、もともと量子的に絶対の偶然で、全てがそもそも確率(可能性)の「重ね合わせ」としてしか存在しない。だからサイコロの場合とは違って、当然、他のケースが実現してもいいわけだ

そういうわけで、「この宇宙でこのケースが実現したからには、他の宇宙で他のケースが実現しているのだ」としなければ、到底、合理的に理解できないことになる。

私は次に自然・歴史・人間に普遍的な「三・一の刻印」について述べ、その後、一番最後に私の体験した「個人的な超常現象体験」をいくつかご紹介するが、それらはどちらかといえばエバレットの無限分岐宇宙論を擁護するものである。

厳密にいえば、果たしてそれらが量子力学的無限分岐システムで起きたかどうかは分からないが、それでも私は二つのそっくりな「平行宇宙」を体験している。その不思議な体験が、私にこの文書を書かせるエネルギーを与えたといっても過言ではない。

(B)自然および歴史・社会・人間に見られる「三・一」の普遍的な刻印を帯びた「神の手」

(イ)自然における「三・一」の刻印
(a)様々な例

皆さんは「自然・歴史・人間に『三・一』のどのような刻印が刻まれているのか、全く見当もつかない」と思われるに違いない。「歴史や人間はむろん、自然にだって、普遍的なものとしては、そんなものは見当たらない」と主張されることだろう。
しかし自然・歴史・人間に、普遍的に「三・一」の刻印が刻み付けられているのである。これからそれをご紹介していこう。

(1)宇宙を構成する最も基本となる素粒子は「クォーク」と「レプトン」と「ゲージ・ボソン」である。クォークは核子(陽子・中性子)や中間子などハドロンのみを構成している。だから「ハドロン」と「レプトン」と「ゲージ・ボソン」というふうに言い換えてもいい。
    クォーク   レプトン
第1世代 アップ(u)
(u)、(u)、(u)

ダウン(d)
(d)、(d)、(d)

+2/3


-1/3
電子ニュートリノ


電子
 0  


 -1
第2世代 チャーム(c)
(c)、(c)、(c)

ストレンジ(s)
(s)、(s)、(s)

+2/3

-1/3
ミューニュートリノ


ミュー粒子
 0


 -1
第3世代 トップ(t)
(t)、(t)、(t)

ボトム(b)
(b)、(b)、(b)

+2/3


-1/3
タウニュートリノ


タウ粒子
 0


 -1
電荷 電荷
以下は上の表をご参考いただきたい。

●「クォーク」は陽子や中性子を構成する宇宙の基本粒子の一つで、「アップ」「ダウン」と「チャーム」「ストレンジ」と「トップ」「ボトム」の六種がある。

●「レプトン」は「電子ニュートリノ」「電子」、「ミューニュートリノ」「ミュー粒子」、「タウニュートリノ」「タウ粒子」の六種がある。ちなみに「電子ニュートリノ」をふつう「ニュートリノ」と呼んでいる。

●「ゲージ・ボソン」は、この表にはないが、重力・強い力・弱い力・電磁力という我々の宇宙を支配する四つの基本的な相互作用を媒介する交換粒子で、相互作用のそれぞれに各々の「ゲージ・ボソン」が存在する。

たとえば重力は「グラビトン」、強い力は「グルーオン」、弱い力は「ウィークボソン」、電磁力は「フォトン」(光子)である。これらは質量のない量子力学的な「仮想粒子」で、特殊な条件下でその粒子に相応しいだけのエネルギーが真空に与えられればおのずと生起する。

「不確定性原理」(刄ヤ凾吹≠)は「位置×運動量」の単位でもあるが、また「エネルギー×時間」(僞凾煤≠)の単位でもある。これはエネルギーと時間を掛けたものが「h」という定数なので、「どこから与えられるでもなく、粒子は時間が短いければそれだけ多くのエネルギーを持つことを許される」という物理法則になる。

原子核内で陽子や中性子を結びつけているのは「中間子」であるが、この「中間子」は、「不確定性原理」によってほんの短い時間の間だけなら許されるエネルギー量によって原子核内の真空から常時生み出され、陽子や中間子の間を行き来して原子核をまとめているのである。

以上から宇宙を構成する最も基本となる粒子には「クォーク」「レプトン」「ゲージ・ボソン」の三つの種類があることが分かる。つまりこの宇宙の素粒子はこの三種でできている(『現代物理学小辞典』第一章・本間三郎)。この三種類が一まとめになって宇宙を構成しているわけだ。

つまり、これは「三つ一まとめ」の「三・一」である。

読者はここを読まれて、おそらくピタゴラス教団のような、何か「言葉や数字の遊び」のように思われたかもしれないが、決してそうでないことがすぐにお分かりになる。

三つのクォークを内部に含む陽子と中性子の図
(2)上の表から分かるように、我々の宇宙を構成している最も重要な陽子と中性子はそれぞれ三つの「クォーク」から出来ている。陽子は「アップ(u)」二つと「ダウン(d)」一つの「uud」で構成されている。中性子は「udd」だ。

各々のクォークには便宜上の「赤・緑・青」の3色が存在し、「量子色力学」の基礎をなしている。ここでは「電荷」を髣髴させる「カラー荷」が力学の基になっている。

そして、原子が原子核のプラス電荷と核外電子のマイナス電荷によって「中性」になるのに似て、陽子や中性子も、クォークの赤・緑・青の「光の三原色」で「白色透明」になるような組み合わせになっている。

これは「uud」や「udd」の点でも、「3色構成」の点でも、まさしく「三つ一組」の「三・一」である。

(3)上の表にあるように、素粒子は三つの世代に分かれている。それぞれの世代は「電子族」「ミューオン族」「タウ族」とも呼ばれている。三つの世代に分かれて一まとめの素粒子群になっているのは、まさしく「三・一」である。

ここにも「三・一」がある。これでもまだ「三・一」は偶然といえるだろうか? さらにどれほど「三・一」が重なれば読者の皆さんは「偶然でない」と判断されるだろうか?

さて、「電子族」に属する「u」と「d」は、電子や電子ニュートリノと同様に第1世代に属する。この第1世代のクォークはもっとも安定した粒子である陽子・中性子を構成している。第2世代と第3世代のクォークが絡むと粒子は大抵短命になる。

人間の身体や地球や宇宙を造っているのは、第1世代のクォークとレプトンだ。「大統一理論」では寿命があるとされてはいるものの、陽子(uud)の寿命はほぼ無限大で、中性子(udd)も原子核内にある間は恒久的なものである。

この宇宙は第1世代によるこれらの安定した素粒子によってはじめて安定している。第2世代と第3世代が絡む素粒子は全て一億分の一秒から千兆分の一秒といった短時間の内に崩壊してしまう。

もし第2世代や第3世代からの素粒子によって我々の宇宙が構成されていたなら、ものの一兆分の一秒以下の短時間に全てが崩壊してしまっていたことだろう。

(4)また陽子(uud)は、太陽質量の20倍以上の大質量星が中性子星へ崩壊する過程などで起きるように、「中性子・陽電子・電子ニュートリノ」の三つに崩壊し、中性子(udd)はいわゆる放射能を出すベーター崩壊過程で、「陽子・電子・反電子ニュートリノ」の三つに崩壊する。つまり両者はそれぞれ「三・一」式の崩壊なわけである。

こうして陽子と中性子はそれ自身クォークの「三・一」であるばかりでなく、陽子から中性子へ、中性子から陽子への崩壊・生成過程それ自体も「三・一」である。

(5)さて我々の宇宙は全て中性の原子によって構成されている。原子核の内部には「陽子」と「中性子」があり、その回りには「電子」がある。原子は基本的にこれら三種の粒子で出来ている。

「陽子」「中性子」「電子」による安定した宇宙・地球・人間の肉体という構成だ。原子を構成する「陽子」「中性子」「電子」、これはまたしても「三・一」である。我々は「三・一」という謎の数字によって存在せしめられていると言っていいだろう。この謎の数字は果たしてどこから来るものなのだろう?

(6)以上、物質の最も微細な素粒子や原子の世界が「三・一」構造になっているのが分かった。それではそれ以上の世界ではどうなっているのだろう? 

原子が集まればふつうの巨視的な物体や物質の世界だ。物質世界は「固体・液体・気体」という「物質の三態」を持っている。これがまた地球の生命環境である「地圏・水圏・気圏」を構成している。これはまたしても「三・一」だ。

さらに「個体」は「結晶・準結晶・アモルファス」、「液体」は「ゲル・ゾル・液体」、「気体」は「蒸気・分子気体・プラズマ」というように、それぞれの内で「三態」になっている。

ちなみに「アモルファス」は非常に長い目で見れば液体であることが突き止められたし、「ゲル」はもっとも固体的な液体ともいえ、液滴が単位の蒸気は水蒸気のようにまだまだ液体的なので、物質の三態の「固体・液体・気体」はそれぞれの両端で互いを連続させる境界線をもって分かれている。

さて、三つ一組の場合には、要素としての三つの他に、それらを取りまとめるもう一つの要素が付け加わって「三・一」となるケースが多い。「uud」や「udd」を取りまとめているものは「グルーオン」だし、固体・液体・気体を取り結んでいるのは「熱エネルギー」である。

そして「地圏・水圏・気圏」を取りまとめて生命環境をなしているのは「地球」という水惑星だ。物質は「無機物・有機物・生物」へと三段階で自己進化してきたが、これも、共通の「進化目的」を進化圧とする「三・一」である。

細胞は「核・細胞質・細胞膜(殻)」に分かれており、また、生体は「細胞・組織・器官」によって階層的に形成され、そういう生物は一般外見上「細菌類・植物・動物」の三種類に分かれて一なる地球生態系をなしている(ただし菌糸類は植物に入れた)。現代生物学の厳密な分類では、地球上の全生物はリボゾームRNA分子の塩基配列の特徴から「真正細菌・古細菌・真核生物」の三つのドメインに分かれる。

植物細胞には「生殖細胞(花・種)・葉緑素光合成細胞(葉)・枝や幹や茎や根をなす細胞」、動物細胞には「生殖細胞・神経細胞・体細胞」の三つがあり、これらも「三・一」である。ちなみに、生殖細胞・神経細胞・体細胞の三者は相互依存のトライアングルをなし、生物論理では(永生を目指す)生殖細胞を、神学論理では(神を映す鏡である大脳を産み出す)神経細胞をそれぞれ頂点とする。

これで「三・一構造は単なる偶然だ」とは言えなくなったのではないだろうか? だが、「分類の仕方の中には任意なものもある」という方もおられるかもしれない。「豆腐は三つにも五つにも切れる」と反論する向きもあるだろう。

しかし大きな構造が「三・一構造」であることは確かである。もしそうでなければ「三・一」的に分類しようとしても出来ない相談だろう。これらは多くの場合、学問的にも一応そう分類されているものである。まだ「偶然にすぎない」という方には次の例をお見せしよう。

(7)
下図をご参考にしていただきたい。これはDNAの二重鎖構造だ。二重ラセンは、ぐるぐる回る階段の両方の手すり部分がはしご段によってつながれている。

DNAの二重ラセン図このはしご段は、アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)という4種類の塩基で出来ており、これが遺伝暗号のいわば文字の役割を果たしている。そしてこの四つの文字のうち三つが一組になって一つのアミノ酸の合成を指示している。

例えば「TTT」は「フェニルアラニン」、「GAT」は「アスパラギン酸」、「CAA」は「グルタミン」、などという具合である。この三つ一組を「トリプレット」というが、これはまさに「三・一構造」である。四文字を使って三つ一組だから、トリプレットの組み合わせは四の3乗(4)、つまり64種類あるということになる。

地球上の全生物は周知のごとくバクテリアから人類に至るまで、全てこのトリプレットに対応した20種のアミノ酸から出来ている。

トリプレットは64種類あるので、一つのトリプレットが必ず一種類のアミノ酸に対応しているわけではないことが分かる。大概のアミノ酸は2種類もしくは4種類のトリプレットによって指示されている。例えば先ほどのフェニルアラニンは「TTT」でも「TTC」でもいい。グリシンの場合は「GGT」「GGC」「GGA」「GGG]の4種類がともに対応している。

4種類の塩基を遺伝情報の4種類の文字だとすれば、トリプレットという「三・一構造」は、その文字によって書かれる文章が従う文法だといえる。したがって、地球上の全生物は、同じ文字と、同じ文法で書かれた「三・一」的に同根のものである

遺伝情報は情報系で、そこでの文字と文法は、識別し認識する遺伝子のコトバである。生命の基本設計図が「三・一」的なコトバとして存在するのは何故なのか? コトバを操るものは「人格」だから、生命創造の背後に自然超越的な人格神が潜んでいたのだろうか?

(8)さて、地球を含む太陽系は、「恒星・惑星・衛星」の3種類の天体から出来ており、この三者は「重力」によって取りまとめられて「三・一構造」になっている。

恒星は集まって銀河となり、銀河は寄り合って銀河集団をなして一なる全宇宙となる。「恒星・銀河・銀河集団としての全一的宇宙」の三つを取りまとめているのも重力であるが、これで全一なる宇宙を構成するという意味で、これは物質宇宙の極大方向での、究極の「三・一構造」だ。

また、宇宙における質量・エネルギーは、通常の素粒子・ダークマター・ダークエネルギーの三種に大別され、それぞれ宇宙の4.9%、・26.8%、・68.3%を占める。通常の素粒子は宇宙の観測可能因子、ダークマターは宇宙の構造形成因子、ダークエネルギーは宇宙の膨張因子である。

(9)「宇宙」という文字は漢代に著された『淮南子』(えなんじ)に初めて登場する。その中に「往古来今 謂之宙 四方上下 謂之宇」なる文章がある。「宙」とは「古きが往き、今が来ること」、すなわち「時間」のことで、「宇」は「四方上下」、すなわち「空間」のことだ。だから「宇宙」とは「時空」のことである。

ところで、「空間」は「縦・横・高さ」の三次元、「時間」は過去から未来への一次元の線だ。空間の「三」と時間の「一」。これはつまり、この宇宙そのものが空間と時間の「三・一構造」になっているということである。
 さらにまた、この一次元の時間も「過去・現在・未来」の三つに分かれて、一なる全時間となっている。

ずっと以前に、周期回転系の場合、空間の三次元性は、非常に安定な、距離の二乗に反比例する求心力を許し、その周期回転系にのみ生命や人間が可能だと述べたが、そのときこれを「深遠だ」と言ったのは、宇宙や自然に普遍的なこの「三・一構造」のためである。

(10)そして、なぜか地球と月によって構成される我々の地球系が特別な「三・一構造」を持っているということを最後に述べておきたい。どういうことかというと、地球系の地球は太陽系第惑星であるが、地球の衛星である月は太陽系の第番目の衛星なのだ。

なぜか内惑星の水星にも金星にも衛星がない。ほんの小さな岩片の衛星すら存在しない。そのため地球は太陽系で最初の衛星を持つに至った。これはまさしく地球系が宇宙や自然に普遍的な「三・一構造」を持っているということである。

地球の月は地球の規模からすれば大きすぎると言われている。げんに外惑星の火星の二つの月、フォボスとダイモスは差し渡し数キロメートルから十数キロメートルの小さな岩片にすぎない。

とはいえ、地球に対して大きすぎる月の引力が、地球に非常に大きな潮汐力を及ぼし、それによって地球上に水生の生命を発生させるのに決定的な作用を及ぼしたとされている。

それだけでなく、もし地球に衛星がないか火星のフォボスやダイモスのように小さなものであったりすれば、地球の自転軸が最大50度近くも倒れ、公転周期の半分(半年間)ごとに北半球や南半球が氷結したり融解したりして全地球環境の激変を繰り返し、また両方の極地から致死的な太陽風を浴びることにもなって、生命が発生・進化する余地はなかった。

そしてもし火星のようにたとえ小さな岩片にすぎないとしても、地球の月が複数であれば、地球系は宇宙に普遍的な「三・一構造」を持つことは出来なかったわけである。「ジャイアントインパクト説」によれば、地球に分不相応の巨大衛星があるのは、太陽系の完成直後の46億年ほど前に火星ぐらいの大きさの天体が、ある角度とある速度で地球中心を外したある部分に衝突したためだとされている。

これらの特定条件に従う衝突がなければこの月は得られず、地球に生命が発生し高度に進化するのは不可能だった。そのため地球がこのような月を持てたことは、ある意味、確率を越えたような不思議ということになる。

ここにもしかすると、全宇宙における神の定めた地球の特別な意味があるのかもしれない。つまり、地球は宇宙物理学的にはいささかも特別な場所ではないが、地球系に見られるこの普遍的な「三・一」の刻印から推論すれば、なにほどか特別である可能性がないとはいえない。

(b)さしあたりの結論

我々は無神論や唯物論が成り立たないことを見てきた。それらが厳密なものでも、科学的なものでも、絶対的なものでもなかったことが明らかになった。そしてその上で、自然の弁証法的階層構造の論理から「神の存在証明」が行われた。

むろんその神は宇宙創造者なる神である。だから、宇宙に普遍的に見られるこの「三・一構造」は、宇宙というスクリーンに映った「三・一の神」の影だといえるだろう。

宇宙の基本粒子から原子を経て生命の構造に至るまで、これだけたびたび重なるのでは、もはや誰もこの「三・一構造」が「偶然だ」とあえて言えないだろうし、また言わないだろう。それは「三・一の神」がその手で宇宙を創造した際の「神の手」の跡だとも言える。

近代科学精神の父とされるフランシス・ベーコンは『学問の進歩』第2巻5の2で、

どんなものにも三通りの刻印が捺されている

と不思議なことを述べている。ベーコンはこれまで紹介された自然のさまざまな「三・一構造」のほとんどを知らなかったのだが、彼のこの言葉はやはり真実だったというべきだろう。

神は物質の自己進化を促すために、宇宙に弁証法的な法則や論理に基づく主体性を与えた。物質は自動し(力学的階層)、自変し(化学的階層)、自活し(生物学的階層)、自欲し(動物学的階層)、自覚する(人間学的階層)ように進化してきた。これらはすべて物質の主体的な運動に基づくものである。

なぜ神は物質にこのような主体性を与えたのだろうか? それは創造目的である知的生命体の人間が自由で主体的な存在であることを望んだからだと言えよう。

物質がそもそも主体的な論理を持たないなら、その進化も自主的ではなくなり、進化の目的である知的生命体も「自覚する物質」とはならなかったであろう。

(ロ)歴史・社会・人間における「三・一」の刻印
(a)三位神と三位一体神

自然における「三・一」の刻印の数々は、自然の階層のどこか、たとえば素粒子の世界だけ、というように、偏在するものでなく、あらゆる階層に普遍的に見られるという意味でも、非常に神秘的だといえる。人類の眼における色の三原色(赤・緑・青─光の場合)(赤・黄・青─インクや絵の具の場合)や色の三属性(色相・彩度・明度)もそうである。「タンパク質・脂肪・炭水化物」という三大栄養素のこともある。波動は「振幅」「周波数」「位相」の三つを要素とする。

また音の三要素(大きさ・高さ・音色)もある。音は波動なので「大きさ」は「振幅」、「高さ」は「振動数」、「音色」は「波形」のことである。さらに音楽の三要素と呼ばれる「メロディー」(旋律)・「ハーモニー」(和音)・「リズム」(拍子)もある。音素については「破裂音」「摩擦音」「共鳴音」の三音素があり、それぞれ固体物理的な「衝突」「滑り」「鳴り」に対応している。音はむろん空気によって発生するものなので「肺」「喉」「口」からの空気の流れを「唇」「歯」「舌」で調節して発せられる。

これは確率母集団から確率を計算する類の「偶然の一致」(コインシデンス)ではなく、量的確率を超えた「質的な不思議」である。読者の皆さんは以上からすでに何らかの神秘な存在について確信を持たれたと想像するが、それでもまだ足りない方々のために、歴史と社会と人間における「三・一」の刻印の数々をご紹介しよう。

「三・一」は物質宇宙の大きな局面や基本となる階程で根幹をなす構造を決めている。それは宇宙創造者なる神が「三・一の神」であることを強力に指し示している。とはいえ、これはなにもキリスト教でいう「三位一体の神」を指しているわけではない。この「三・一の神」は実はさまざなな「三位神」として現れている。

たとえばエジプト神話における「オシリス(父)・イシス(母)・ホルス(子)」の三神がそうで、中世ヨーロッパのある時期には「父なる神・子なるキリスト・母なる聖母」という三位神が立てられた時もあった。なるほど聖霊の働きを聖母の慈しみで代置する方がよほど理に適っている。

そもそも新約聖書には「三位一体」というギリシャ語はどこにもない。それらしき内容がところどころにあるだけだ。エジプトのアレクサンドリアのアタナシウスの主張した「三位一体」説は、彼が生まれ住んだエジプトの「オシリス・イシス・ホルス」神話から取ってこられたとされている。彼は当時アレクサンドリアの主教アレクサンドロスの輔祭で、実はニカイア会議でアタナシウスの主張した「三位一体」説はアレクサンドロスの説だった。

むろんアレクサンドロスはエジプトの古くからの大都市アレクサンドリアにあることによって陰に陽に「オシリス・イシス・ホルス」神話の影響を受けたことだろう。ホルスがオシリス神の子であるように、人間の生物学的親子関係を神にまで当てはめて、「神の御子なるイエス・キリスト」としているところに、それが現われていると見ることもできる。

とはいうものの、「オシリス・イシス・ホルス」は「三位神」であって、三位が一つである「三位一体の神」ではない。キリスト教において三位が一体として理解されたのは、やはり新約聖書にそれに相応しい個所がいくつかあったためである。


空間は人間を中心に前後や左右や上下に分かれ、時間は現在生きる人間を中心に過去と未来に分かれる。そこからいろいろなものが三つに分かれて表現されるようになる。

たとえば一例として阿弥陀仏の左右には補助仏として普賢菩薩と勢至菩薩が据えられている。中心仏の左右の補助仏は仏教の宗派ごとに異なっているが、三つの仏像を左右に並べているのは、いわば普遍的な現象だともいえる。

また仏教における一種の実在の上下関係を表すものとして、「法身・応身・化身」という分け方もある。「法身」とは釈尊の真身、「応身」は大悟成就としてのその応現、「化身」は衆生救済のための菩薩的顕現である。

時間を軸にすると「過去仏(釈迦以前の仏)・現在仏(阿弥陀仏)・未来仏(弥勒仏)」と三つにすることもある。バラモン・ヒンズー教では「ブラフマー(宇宙創造神)・ヴィシュヌ(維持神)・シヴァ(破壊神)」という姿になっている。

朝鮮神話では「桓因・桓雄・檀君」、日本神話では宇宙の造化神として「天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神」がある。このように「三位神」はほとんどあらゆる宗教に様々な形を取って存在している。

「三・一の神」は一体どのようなわけでキリスト教以外の神にも、「三位神」という形で「三・一構造」を与えたのだろうか? それは、「三・一の神」がキリスト教に最も純粋に露にあらわれ、キリスト教の「三位一体」がこれらのなかでは最も神の真実に近いとはいえ、ある意味でキリスト教そのものさえも超える神の真理だからではないだろうか?


「三・一構造」は「三・一の神」から来るが、それはなにもキリスト教の「三位一体」の真実性を意味しているのではない。そもそも「父・子・聖霊」として表現されている「三位一体」はキリスト教神学において、いまだに人間理性の秘儀だとされている。「訳が分からなくても神の根本秘儀だから受け入れよ」というスタンスなのだ。

たしかにいくら考えても(「父と子と聖霊の三位は一体だ」という)この「三位一体論」は、「一にして三、三にして一」というような訳の分からない謎々であって、納得できない。それに、かつて若きアウグスティヌスは「神の姿に似せて人間が造られた」という創世記にある教説に哲学的知性をあざ笑うものを見、恥ずかしくて到底キリスト教を受け入れることができなかった。

それはまたいずれ「父なる神と子なるキリスト」という人間の生物学的親子関係を神にまで押し広げた「父・子・聖霊」という三位一体の教理にも向けられてしかるべきものだろう。

たとえば「聖霊」を神と並ぶもう一つの位格(ペルソナ=人格)であるとする三位一体論の矛盾を指摘することができる。もともとこれは「死すべき肉体とは別に永生・永存する霊魂がある」とする古代的な霊肉二元論に発するものだ。この霊肉二元論を、古代的な連想で神にまで押し広げて適用し、「神と神の霊(聖霊)」という姿にしてしまったのである。

しかし「人間が死んで肉体が滅んでも霊魂は永遠に生き長らえる」というこの論理を神にまで適用すると、ずいぶんおかしなことになる。そもそも霊であるとされている神には滅ぶべき肉体がないからである。とすれば、なぜ神に、自分の霊魂とでもいえる聖霊なるものが別に必要なのだろうか? これでは霊の中にさらに霊があることになる。

古代的な霊肉二元論では霊魂が肉体から抜け出せば肉体は抜け殻になるとされる。アリストテレスの哲学においてすらそうである。その論理を「神と神の霊(聖霊)」とに適用すると、聖霊とは別の、神の方は、いわば抜け殻の方になるわけである。しかし神の本体は明らかに神の方にあって、聖霊の方にはない。そういうわけで本当は神の霊としての聖霊は神と並ぶ位格(人格)などでなく、神に属する「神の力」とすべきものなのだ。それは神の霊力としていわば「天使」と同格のようなものともいえる。

御子も生物学的な親子関係のそれでなく、本来は神の本質がこの世界に具現したもの、神の外在・他在、神の疎外態とすべきものなのである。これは「神=メシア=具現の神」の場合だ。神が直接メシアとして歴史世界に現れて最後の審判を行う。

でなければ、メシアを、全人類の中から(予定論的に)神に選ばれ、神に直接教育され、(能力において・印において)誰の目にも明らかな形で神に立てられた「特別な人間」とすべきなのだ。これは「神≠メシア=人間」だ。この人間メシアは神に直接命じられて最後の審判を執行する。

こういうわけでいずれにしてもキリスト教の根本秘儀なる「三位一体」の受け入れは、やはりどこまでも無理強いなのだ。神になんの不足があって息子が必要なのか? 考えてみればおかしなことだと言える。そもそも子供が必要なのは自分が永生できないからである。子供の存在と自己の死の必然性は一対の真実なのだ。したがって永生の神に子供は不要である。それでももし神に息子が必要なら、そもそもなるべく多い方がよく、独り子である必要はない。メシアが独り子であるのは「一なる神」の具現だからであろう。

そういう意味でキリスト教の三位一体論をマホメットが批判したのは正しい。マホメットはコーラン(責任編集 藤本勝次 中央公論社)4:171で、「神は唯一なる神。神を讃えよ。神に子どもがあってよいものか」と言い、5:73で、「『まことに神は三者のうちのお一人』などと言う人々はすでに背信者である。唯一なる神のほかにいかなる神もない」と述べ、112章の「真髄の章」では、「言え、『これぞ神にして唯一者、神にして永遠なる者。生まず、生まれず、一人として並ぶ者はない」と宣言している。

マホメットはユダヤ教に対してはその民族主義的偏狭性(すなわちユダヤ人しか救われないとする民族宗教性)を正し、キリスト教に対しては上に述べたようにつじつまの合わないその三位一体論を正した。

これを筍(たけのこ)が竹に成長する過程になぞらえると、筍がユダヤ教、それを三角枠で包み、成長と共に竹の茎を(「三・一の神」の度を越えた異常な反映である)三角形にしようとしているのがキリスト教、その三角形の茎をなんとか本来の丸形の茎に戻そうとしているのがイスラム教だといえる。

「三・一の神」はこのように広義の聖書宗教ともいえる「ユダヤ教・キリスト教・イスラム教」という三つ一組のトリプレット構造で、最後の審判へと向かう神の歴史を開示し、かつ準備して、その歴史目的を完成しようとしている。

つまり「神」はユダヤ教に、「御子」(その実体は神の具現態もしくは「特別な人間」)なるメシアはキリスト教に、「聖霊」なる神の力はイスラム教に委ねて、神は人類の歴史を経綸してきた。コーランによればマホメットが最初に啓示を受けたのは霊によるが、それは聖霊でもあって、のちにガブリエル天使とされたが、それらは全て神の力なのである。

ユダヤ教は神の宗教、キリスト教はメシアの宗教、そしてイスラム教は霊・聖霊・神の力・天使の宗教なのだ。「三・一の神」は「三・一構造」に従って、ユダヤ教に「神」を、キリスト教に「メシア」を、イスラム教に聖霊なる「神の力」を代表させてきたわけである。

しかし「三・一構造」は「一なる神」の本質的構造ではない。それは「一なる神」が被造物(宇宙と歴史と人間)を創造し経綸するための神の手の印、これまで数多く見てきた神の被造物の基本構造なのだ。「一なる神」は被造物世界では「三・一構造」を伴って働く。「三・一の神」とはそういう「一なる神」のことなのである。「一」は神の本質数であり、「三」は神の機能数であるとでもいえよう。

比喩的にいえば、神はその指の中の「三本の指」で宇宙を創造し歴史を経綸するので、「三・一構造」が被造物に刻印されるのである。ただし「三」はいつも真実の「三」であるわけではない。宇宙における「三」は客観的宇宙構成に関わるため真実であるしかないが、歴史における「三」は真実ばかりではない。『マルコによる福音書の新考察』で明らかにした通り、「三」は虚偽文書の虚構構成的秘数としても使われる。

しかしたとえ虚偽や虚構に使われるとしても「三」は神の運用する根源数なのである。つまり神は真実も虚偽も利用して歴史を経綸する。虚偽文書ばかりでなく例えば自らの存在を隠すために無神論や唯物論を生み出してそれらを積極的に利用もしている。

キリスト教は新約聖書の中になにほどかそれらしく読み取れる被造物世界での神・子・御霊の「三・一構造」を、誤って本質論の「三位一体」として教義化し、それを創造者なる「一なる神」の本質構造とした。これでは被造物の論理を神の真実と同一視してしまうことになる。

しかし被造物の世界から神に至る道はない。神は恣意的人格であり、被造物の世界は神の恣意が具現する舞台にすぎない。被造物の世界から神に至れるとするのは被造物の世界の知識から神の真実に至れるということであり、それでは悟りや哲学の道になってしまう。

存在(被造物世界)から神に至る道はない。存在の論理からどうして神の恣意に至れるだろうか。神の真実は存在からでなく、神の恣意的啓示を通してのみ得られるのである。したがって、被造物の世界の「三一構造」を、神の本質論としての「三位一体」として、教義化してはならない。

「三位一体」という言葉は聖書の中には存在しない。ニカイア派(アタナシウス派)が本質と現象を混同して「一なる神」を「三位一体の神」とし、それが4世紀のニカイア公会議などでキリスト教の正統教義とされたにすぎないのである。人間理性の納得できない教義を立てたので、「三位一体」のキリスト教を守護し主張することが無理のある病的な偏執的性質を帯びることになり、それが異端や魔女の観念を生み出し異端審問や魔女狩りに利用されるに至った。

「三位一体」は超自然現象を伴って全人類にあからさまな姿で神から直接啓示されたものでなく、ニカイヤ公会議などの全地司教会議で決定されただけの教義なのだから、新たに全地司教会議あるいは全地聖職者会議を開いて、これまでの「三位一体」教義を乗り越えた真の教義を確立すればいい。そうすればユダヤ教・キリスト教・イスラム教の統一も視野に見えてくる。

(b)魂と霊について

さて、人間とその営みである歴史に目を転じてみよう。
まず(正しいかどうかはともかく)人間を「身・心・魂」というふうに三つに分ける(人間自身による)分け方がある。

ただし私は、(デカルト以前も以後もずっと考えられてきたように)、「魂」が「それ自身として存在する純粋に精神的なもの」という意味での「精神的実体」なら、そのようなものは全く認めていない。

大抵の宗教はこういう意味での「魂」や「霊」を認めているのだが、それは明らかな誤りである。人間は物質的には可変的で、いずれ死ぬほかない。そういう死すべき人間の永生願望こそが、不変・不死の「内なる存在」を要求し、それがついに非物質的な「魂」や「霊」として概念化されるに至った。

そして、こういう信仰がさらに学問的な表現を得て、「それ自身として存在する純粋な精神的実体」という思想になり、「非物質的な精神的実体なる『魂』や『霊』は不死である」という哲学思想が生まれた。

しかし「人間の魂は不死である」と一体だれが保証したのだろう? 神が何かを永遠にしなければ、何物もそれ自身として永遠であるわけがない。神が自己自身の他に、「不死で無条件的に永生するようなもの」の存在を許すはずはないだろう。

そして、その神がこうした伝統的な「魂」観の延長線上に存在するなにか「純粋精神」のような「霊」であると誰が実証したというのだろう? 

すると人々の言う人間の「霊魂」をどう理解すればいいのだろう? 私はそれを「その人物に関する神の記憶」として理解している。宇宙を創造し歴史を経綸する神の中には、あらかじめ全てを書き記したシナリオがある。宇宙と歴史の全ては神の中に記憶されていて、神さえ望めば、その記憶はいつでも物質化して現実のものとなる。

だから死者の霊魂など全く必要でなく、神の記憶の中にその人物の情報さえあれば、神はいつでもその情報をその人間として物質化できるのだ。

元来、「魂」というのは人間の死後の有様を指す言葉ではなかったか? それが拡張されて生者にも存在するとされたものであろう。しかし、それ自身で存在し、不死・永生するような「魂」など、創造された有限な人間にそもそも許されているものではないのである。



さて、「身・心・魂」の、

「身」の背後には、その延長としての自然=物質宇宙、
「魂」の背後には、その延長といえる神=霊=超自然が想定されており、
「心」はその両方に同時に属する「中間者」としての人間の基本的な立場を代表している。

「魂」と「身」はいつも、「天と地」「霊魂と物質」「永遠と変転」「本質と現象」「真理と憶測」「理性と感覚」「普遍と特殊」「必然と偶然」などの形を取って多くの哲学の中に入り込み、それらの哲学の中で、人間は「混合的中間者」として捉えられている。これらを「霊界・人間界・自然界」という「三・一構造」で表現してもいい。

この構造はこれらのそれぞれの世界の主人である「神・人間・物」としても表現可能で、また各々の対象に対する知のあり方から、「神学(宗教)・哲学・科学」として表すこともできる。

オーギュスト・コントは人間知識の発達段階として、まず「宗教」、次に「哲学」、最後に「科学」を挙げている。これはそれぞれの世界の主人に対する人間側の価値判断の移り変わりでもある。これを「信仰→推理→実証」と見てもいい。

神学(宗教)から哲学を経て科学へという知的発展は、「身・心・魂」の三つのうちのどれをこの「三・一構造」の統一原理とするかについての、変遷と発展の過程であったと言える。

言いかえれば、それは「三」を束ねる「一」をどれにするかの変転進化だ。すなわち「身・心・魂」の統一原理が神(魂)から人間(心)へ、人間(心)から物質(身)へと変遷・進化してきたということである。それを一層詳しく見てみよう。

(c)様々な例

(1)まず第一に、「魂」は神を通して宗教(あるいは諸霊を通して呪術信仰)に体現される。宗教は、

(@)「信仰の対象となる神」と
(A)「信仰する主体としての人間」が
(B)「宗教儀式」

を通して結ばれることである。つまり宗教は「神・儀式・人」の「「三・一構造」において成立している。

(2)第二に、「身」はその肉体が物質生産に支えられるものだから、主に人間の経済活動に結び付けられる。経済活動の場合も、「生産」においては、

(@)労働対象としての資源
(A)労働主体としての人間の労働
(B)それらを媒介する労働手段としての道具・生産手段

という三つの要素の統一体として、これも「三・一構造」である。しかも生産されるものは、

(@)物品
(A)サービス
(B)情報

の三種であり、これも「三・一構造」だ。「物品生産」は過去の文明のほとんどを主導し、「サービス生産」と「情報生産」はそれに付属的なものにすぎなかった。だが、二十世紀に入って「サービス生産」が「物品生産」を方向付けるようになり、IT革命が進行している情報化時代の現在では「情報生産」が「物品生産」や「サービス生産」をリードするようになった。

さらに、経済活動はそうした生産活動を含めた「生産流通消費」という統一的循環をなして「三・一構造」を構成しているが、この三つの過程のうちのどれを重視し統合の主体とするかで、経済システムの三段階が現出する。

(@)流通や消費に重きを置かない生産至上主義は、束縛された労働のあり方に対応する奴隷・農奴制社会として具現される。
(A)一切の生産が商品流通のためになされ、消費の様式もそれに従属するような流通至上主義は、封建的農奴制社会から自由になった労働者の自由な労働力が、商品として売買され、流通過程に乗る、資本制社会として具現される。
(B)消費至上主義は、生産と流通が人間存在の束縛因子ではなくなり、そうした経済活動によって人間が非人間化され疎外されることのない豊かな共産制社会として具現されるべきものである。

こうして「生産・流通・消費」という経済活動の「三・一構造」は、「奴隷(農奴)制・資本制・共産制」という三つの経済社会として展開されるが、それはまた同時に三つの人間理解としても捉えられる。たとえば「ホモ・ファーベル(工作人)」「ホモ・サピエンス(知恵人)」「ホモ・ルーデンス(遊戯人)」である。

(@)「ホモ・ファーベル(工作人)」は、人間と一般の動物とを区別する人間固有の本質的条件として道具工作を挙げる人間観だ。道具を用いて工作するというのは何も労働や生産に限ったものでなく、あらゆる文化活動に普遍的に見られるものではあるけれども、伝統的には主に生産労働と深く結びついている。この側面を至上化すると、生産至上主義を通して奴隷・農奴社会と対応する。

(A)「ホモ・サピエンス(知恵人)」は、もともと動物分類学上の述語で現世人類を指すが、哲学的には言語による理性的思考能力によって他動物から区別する人間観だ。こうした「知恵人」はどちらかといえば流通過程における商才などと結びつく。

みずからは手足を通して生産労働に従事するのではなく、もっぱら流通過程(市場)に向けて、あるいはそこにおいて、生産と流通と消費を企画し、システム化し、実現する資本家たちやそのシンクタンクの立場に最も高度に具現されている。この人間観はその典型としては資本制社会と対応している。

(B)「ホモ・ルーデンス(遊戯人)」はJ・ホイジンガが『中世の秋』において駆使した用語で、マルクス主義に見られる経済至上主義的な唯物史観に対抗する原理として用いられた。

「遊戯」は生産労働による人間の、生物としての生存活動の枠組みを超えて、人間的生活そのものに意味を与えるものであるとされた。したがって、それは人間活動の本質をなし、文化を生み出す根源である。これこそ消費至上主義的共産制社会の内容でなければならないだろう。

以上の三つの人間理解は人間のあり方の「三・一構造」を指し示している。

(3)最後に、「心」であるが、これはよく知られている人間の「」という「三・一構造」を持っている。こうした区分はアリストテレスにその最初の典型が見られる。アリストテレスは人間の精神活動を次の三つの部分に分けている。

(@)「セオーリア」(観照・考察・研究・理論)、つまり「論理学」
(A)「プラクシス」(行為・実践・政治・倫理)、すなわちポリス(都市国家)における市民としての政治実践学
(B)「ポイエーシス」(製作・芸術・詩作)、つまり「芸術的製作技術」

いわば「セオーリア」は「知」、「プラクシス」は「意」、「ポイエーシス」は「情」である。

「プラクシス」は人間社会と切り離せない。人間社会の政治制度をみれば、「首長官僚人民」という「三・一構造」によって規定されている。そしてこれらの三つのうちのどれを統一の原理とするかで、

(@)王制
(A)貴族制
(B)民主制

という三種類の政治システムが現出する。

民主制においてはさらに、近代的な「立法行政司法」という三権分立の我々の政治体制が「三・一構造」である。

アリストテレスにおける「セオーリア」「プラクシス」「ポイエーシス」の「三・一構造」は、カント哲学における『純粋理性批判』(認識論)・『実践理性批判』(道徳学)・『判断力批判』(美学)にほぼ対応している。

カントは三つに分けられたその批判哲学において、それぞれ人間の「知・意・情」の三つの精神領域、別の表現では「真・善・美」の三つの究極理念について論じている。

この三区分はアリストテレス以来、古くから哲学一般に見られる「形而上学(カントでは認識論)・倫理道徳・美学」という三つの分野にそれぞれ対応している。

カントは『純粋理性批判』の中で「四項十二目」のカテゴリーを設定した。四項とは「量・質・関係・様相」で、そのそれぞれに三つのカテゴリーが含まれており、総計十二のカテゴリーとなる。

●「量」は  「単一性数多性総体性
●「質」は  「実在性否定性制限性
●「関係」は 「実体性因果性相互作用性
●「様相」は 「可能性現実性必然性

である。

各々のカテゴリーにおける弁証法的な「正・反・合」(「否定の否定」)の論理関係は見事という他ない。つまり三つ組のカテゴリーは「三・一構造」をなしている。

カントは人間の主観的思考秩序としてのカテゴリーを、単に形式的に分類しただけで、それらの間にみられる「正・反・合」の動的な弁証法的関係を重視しなかったが、ヘーゲルはそこに全実在客観的な真理を見た。

ヘーゲル哲学では全てが弁証法の「」という「三段階・統一」構造を持ち、動的な「三・一構造」をなしている。弁証法の宇宙的な真実性は、この神秘極まりない普遍的な「三・一構造」そのものにあるといっていい。

彼の哲学体系は、「論理学・自然哲学・精神哲学」という大構造として表現されているが、この大構造自身も、「正(論理学)・反(自然哲学)・合(精神哲学)」なのである。そして「論理学・自然哲学・精神哲学」の各々の内部でも、全てが入れ子構造のように「正・反・合」の弁証法になっている。

マルクス主義ではヘーゲルの観念論的性質を捨てて弁証法だけを摂取したが、ヘーゲルの「自然哲学・精神哲学・論理学」における弁証法を、「自然・人間社会・人間の思考」の弁証法として捉え直し、「自然」については「自然の弁証法」、「人間社会」については「史的唯物論」、「論理学」については「弁証法的論理学」(@「量から質への転化」 A「対立物の相互浸透」 B「否定の否定」)として、ヘーゲルの「三・一構造」を重層的に受け継いだ。  
さて、便宜的とはいえ、人間社会の産業発展には、例えば第一次産業(農鉱業)・第二次産業(工業)・第三次産業(サービス・情報業)という分け方があり、A・トフラーの『第三の波』のような、情報化社会へ向けての三段階発展史観もある。

文明は「地上→空中→宇宙」へと進化して、全一的宇宙における人間文化の実現へ向かっているとか、エネルギー消費が「自然エネルギー(牛・馬・人力・単純燃焼・水力・風力)→内燃機関エネルギー→電子や核の素粒子エネルギー」を利用して、エネルギー利用の全一的実現を目指しているとか、あれこれの言い方や分類法がある。

(ハ)結論
以上から、自然に見られる「三・一構造」が、歴史・社会・人間にも普遍的に見られることがお分かりになったであろう。むろん「三・一構造」は科学ではない。これはいわゆる「コインシデンス」(偶然の一致・暗号・符合)にすぎない。

「三・一構造」が大構造や基本構造の視点から見て全実在に普遍的だとしても、それで自然や歴史・社会・人間の諸科学において何か新しい発見がなされるわけでもない。

「三・一構造」が実在の大構造のどこにおいても存在するとしても、それはいささかもその科学性を高めない。逆にその神秘性しか高めないのである。というのも、あの領域の「三・一」とこの領域の「三・一」とは互いに科学的に全く関連がないからだ。

関連がないところに科学は成立しない。科学は、科学的に見て相互に無関係な領域における抽象的な同種の大構造などにいささかの関心も持たない。

だから、私は、これを読んでおられる科学者の方たちの「科学者としての心」には訴えない。彼らの「人間としての心」に訴えたいと思う。この「人間としての心」は、彼らに、「ここにきっと何かがある」と思わしめるに違いない。

疑いもなく大構造・基本構造としての「三・一構造」から見れば、もはや誰も「そこに何の神秘も存在しない」とは一意に断言できないだろう。

無神論者や唯物論者も、「もしかすると宇宙の背後に何かがあるのかも?」と考え直し、懐疑論者は、「神も神秘も結局、実在したのだ」と確信するに至り、神を信じていた者は、「やはり神は存在していたのだ」と自分の信仰を不動のものにできるだろう。

それらをさらに強める効果があるかどうかは分からないが、次に私の体験した不思議な出来事をいくつかご報告して終わりにしたいと思う。 

(3)私の個人的な超常現象体験

不思議な体験を報告する者に対して、いつも、「いかさまでなければ、異常な精神状態からくる妄想にすぎない」という反論がなされる。しかしここまで読んでこられた読者の方々は、誰も私の知的良心および真・偽や現実・妄想の識別力を疑わないだろう。「三・一構造」が存在し、「三・一の神」が実在するのなら、そういう超常現象体験もあり得よう、ときっと思ってくださるに違いない。

私は二つのそっくりな宇宙を体験した。ここで話される不思議な物語は全て、H・エバレットのいう無限分岐宇宙論における「平行宇宙」と関係しているかのようではあるが、それが量子力学的な「平行宇宙体験」かどうかは、私には判断のしようがない。

むろん、これらの物語に脚色的な歪曲は一切ない。それは私の全人格が保証する。ただし他者の人権が絡む場合は、適当に事実関係が伏せられている。伏せられているが歪曲ではない。

(A)『ヨハネ黙示録』の失われた一節

これは『ヨハネ黙示録』に関わるものなので、キリスト教系の不思議な出来事である。『ヨハネ黙示録』はイエス・キリストの再臨による「世界の終末」と「最後の審判」についての預言書であり、その末尾の22章18節から19節には次のような文章がある。

「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる」

私はこの警句があるために、『ヨハネ黙示録』の失われた一節について、それを知ったときから現在までのほぼ十六年の間、一切、誰にも話さなかった。失われた一節について話すことは、『ヨハネ黙示録』にそれを「書き加えること」であり、私にあらゆる災いが及ぶ恐れがあるからである。

この不思議がキリスト教系の聖書の一文書である『ヨハネ黙示録』に関して起きているために、私はキリスト教の「三・一の神」の存在を強く感じざるを得なかった。

私が、「三・一の神」はあらゆる「三位神」のうちに現れてはいるが、「三位神」の中でもキリスト教の「三・一の神」が最も神の真理に近い優れたものだと言ったのは、『ヨハネ黙示録』に関してこういう不思議な体験をしたからである。

そういうわけで、この警句はとりわけ無視できなかった。したがって、ここでも、今もはっきりと諳んじているその一節がどんな一節だったのかは、読者の皆さんにご紹介できない。「失われた一節」のことが存在するのを私はここで明らかにしてしまったが、その一節の具体的な内容に触れない限り、あの災いについてはなにも問題はないだろうと思う。

私は1975年から1988年(ソウル・オリンピックの年)にかけて韓国の獄中で過ごしていた。皆さんの中には1975年11月22日に韓国中央情報部によって公表された、いわゆる「11・22事件」をご存知の方もおられる筈である。

当時、日本の各新聞の第1面に大きく報道されている。その事件で数多くの在日韓国人学生と在日社会人が逮捕され、同時に韓国本土の学生やキリスト教伝道師などが捕縛された。これは「在日韓国人スパイ事件」としては史上最大の事件で、この事件から在日の四人の死刑確定者が出た。私はその確定死刑囚の一人である。

公判過程を睨みながら、日本では大々的に救命運動が展開された。他の三名や私の救命のために、日本全国でカンパや署名などの活動が精力的に行われた。

私の救命嘆願のためにおよそ5万名の署名が集まった。読者の中にはそのときにカンパや署名をなさった方がおられるかも知れない。そういうわけで、「11・22事件」については今でも多くの方々がご記憶のことと思う。この「11・22事件」は当時の朴政権下で捏造されたものであって、この事件で逮捕され刑を受けた者は全て基本的には無罪である。

私は「11・22事件」の一部始終を50数万字に及ぶドキュメンタリー風の『事件の報告』に記したが、いずれ機会があれば当ホームページでご紹介したい。『事件の報告』の簡単なご紹介とその目次があるので、ご興味のある方はそこをご覧いただきたい。

さて、死刑確定後の1977年3月1日、私は「三・一節」を期して無期懲役に減刑され、一命を取りとめた。そして5月にはそれまでいた「ソウル拘置所」から全羅南道の「光州矯導所」へ移管された。

私は「光州矯導所」におよそ10年間収監され、1988年10月3日(ソウル・オリンピック最終日翌日)にそこから仮釈放されたわけだが、「平行宇宙体験」をしたのは光州矯導所にいた1986年の独房においてである。

むろん「平行宇宙」はお互いにそっくりなので、何かの「違い」がなければ気づくこともない。それが『ヨハネ黙示録』の一節だった。この一節は、私が十数年来、神学を研究する学徒だったので、いつも念頭から離れなかったものだった。

この一節は「どの辺りから再臨のキリストが現れるか」を記したもので、聖書全体の中で最も重要と思われるものだ。というのも、旧約聖書を信じるユダヤ教徒にも、旧約聖書と新約聖書を信じるキリスト教徒にも、聖書とはメシアの来臨を預言する預言書として存在するものだからだ。メシアの再臨を準備するための書物だといっていい。

「どの辺りからキリストが再臨するか」について明示した聖句は、この他に聖書のどこにも存在しない。だから聖書の中で唯一特異で、最も重要な聖句だった。

実は私は1968年ごろ、この聖句について一人の大阪大学の学生と論争したことがある。家の近くの河川敷を歩きながら、その学生と長々と論争した。だから私はこの聖句が『ヨハネ黙示録』にあったことを知っている。ところが驚いたことに、1986年の獄中で見た聖書にはこの聖句がなかった!

私は驚いた。これはミスプリントの聖書ではないかと思い、他の聖書を求めて探してみた。が、そこの『ヨハネ黙示録』にもなかった。

私は内心その可能性はゼロだと思いながらも、「もしかすると『ヨハネ黙示録』ではなかったかもしれない」と仮定し、その聖句を探して聖書を全部読み通した。

私はこのとき初めて、最初の『創世記』から最後の『ヨハネ黙示録』まで、聖書の全てを読み通したのだった。そのときまで長年、神学を研究してきたとはいえ、聖書を一通り読み通したことはなかった。専門が「組織神学」であって「聖書神学」でなかったからである。

読み通すにはおよそ一月かかった。それは大変な精力を要する仕事だった。つまりそれほどその聖句の存在しないことへの驚きが大きかったということである。

げんに『ヨハネ黙示録』にそのような聖句はないわけだから、読者の皆さんにはこれは大した問題のようには思われないかもしれない。

しかし私にとっては目の前の机が突然消えたかのような、自分の足場が急に取り払われたかのような、1秒前の出来事の生々しい記憶が、「それはおまえの妄想にすぎない」と言われたかのような、衝撃だった。

つい先ほど誰もいない部屋のテーブルの上に自分の置いた「赤いリンゴ」があったのに、それが1秒後、長い間、買ったこともない「黄色いバナナ」に変わっていたら、読者もこういう類の衝撃を受けるかもしれない。

『ヨハネ黙示録』のその聖句の紙面の段落の様子さえ生々しく記憶しているのである。大阪大学の学生と長時間にわたって論争した内容もちゃんと覚えている。彼とともに、どこからどこへ、どう歩いたかもしっかり記憶しているのだ。

その聖句を記した聖書が事実、存在していたことは疑いようがなかった。だから「その聖句の存在する宇宙」と、「その聖句の存在しない宇宙」の二つがなければならないという結論になった。

私はあれこれ推測した。二千年前に書かれた『ヨハネ黙示録』にこの聖句があるないとでは、その後の世界史がすっかり変わったことであろうと。

それはなにもその聖句が全聖書中で最も重要な聖句だから、という意味ではない。その聖句があるとないとでは、聖書解釈も微妙に異なるようになるし、聖書を読む時間の長さの違いやその聖句を読んだときの印象の差異などもあって、それらの違いのためにこの二千年の歴史がすっかり違っていなくてはならないわけである。

すでに触れたカオス力学の「バタフライ効果」を持ち出すまでもなく、たとえば二千年前のある一人のクリスチャンがその聖句を読んでほんの1秒、戸外へ出かけるのが遅れただけで、路上で出会う人々も異なるようになる。それらの出会った人々も、その後の体験が違ったものになる。

それが連鎖的に全社会に広がり、それらが積もり積もって、この二千年の間になにもかもを違ったものにしてしまう。これは余りにも明らかだった。

二千年前の『ヨハネ黙示録』はすでにその聖句の「あるなし」で違っている。二千年後の私は今「その聖句のない宇宙」に存在しているが、以前、「その聖句のある宇宙」に存在していた。

ところが、その聖句があってもなくても、この世界は全く変わらなかった! どちらにもコペルニクスやナポレオンはおり、産業革命や明治維新が起き、広島と長崎に原子爆弾が落ちている。つまりその聖句があってもなくても全く同じ歴史を結果している。

これは絶対あり得ない「結果」だろう。それで私は、その聖句の「あるなし」にかかわらず二つの宇宙で世界の歴史を全く同じにしている「歴史外部の力」を想定する他なかった。

それは「聖書の一句」が異なるところから起きている不思議なので、当然、「聖書の神」の働きであろうと想像した。私はそのときまで強固なマルクス主義の唯物論者だったが、この超常現象的な不思議のために、自分のその哲学的立場を疑問視するようになった。聖書の絡んだこのような不思議は、もはや唯物論を成り立たせないものだったからである。

とはいえ、自然が弁証法的自律性や主体性を持って自己進化し、重層的な階層構造を成していることは疑えない事実だから、神は存在しても、そういう弁証法的な自然を創造したのでなければならなかった。これが「神の存在証明のための神存在の普遍的な『三一』の印」の内容になった。

これまでずっと、「自然は自分で進化するから、神は不要で、存在しない」とされてきたが、事実はそのように単純なものではなかった。自然は神無しでも自己進化するが、それは神が物質宇宙を自律発展の弁証法的諸法則のもとに創造したからである。

だから、自然の自己進化の過程でも、人類の世界史的自己発展の過程でも、物や人のそれぞれの自律発展のあり方はむろん基本ではあるが、だからといって超越的な神がところどころで介入することまで許さないというのは、近代啓蒙主義の大きな誤りだったのである。

ビッグバン宇宙の初期条件総体によって、その後の物質進化の過程の全てが決まったかどうかは非常に疑わしい。「三・一の神」が存在するなら、むしろそのビッグバンの後に、折に触れ、神が物質進化の方向を調節していたのではないか、としなければならないだろう。

全宇宙に普遍的な「三・一構造」を自らも担った地球系に、「三・一構造」の生命が誕生し、それが多くの「三・一構造」を重層的に帯びた人類にまで自己進化したのは、果たして偶然といえるだろうか?


ここで二つの宇宙で世界の歴史を全く同じにしている「歴史外部の力」について一つ付け加えたい。

「二つの宇宙で世界の歴史を全く同じにしている」ということは、すなわち「宇宙内の何もかもがあらかじめ決まっている」ということである。それはつまり、この宇宙でのことはあたかも既存の映画フィルムを上映しているかのごときものだということだ。これは人間の自由や量子力学的偶然の存在を考えると一見矛盾するようではあるが、決してそうではない。

演劇において俳優の示すストーリー上の「自由」は、シナリオライターから見れば本当の自由でない。我々は自分が神のシナリオの中の俳優であることを知らされておらず、またこのシナリオにおいては自分の欲求と意思を通して行動させられていてほとんど被動感がなく、そういうわけでシナリオに従って演劇させられていることに全く気づくことができない。

そのぶんだけ自分は本当に自由な存在だと思い込んでいる。またそう思い込ませることを前提とした内容の神のシナリオである。だから人間の「自由」は見かけだけのものにすぎなくなる。

量子力学の諸法則と量子力学的偶然も、この世界がシナリオによって上演されているだけの世界・宇宙である場合、(むろん相対性理論などを含むもろもろの自然法則も同様であるが)、その客観性、独自性、絶対性、究極性は見かけだけのものになる。

量子力学的偶然の物理的結果(既述のシュレディンガー波束の収縮)についてはとくにそういえるだろう。というのも、神が波束の収縮に際して背後でその微視的あるいは量子統計学的な巨視的結果を決め得るからである。となればやはり量子力学的「偶然」は人間の「自由」と同様に見かけだけのものとなる。

人間の「自由」は舞台の上ではいかにも「自由」であるかのようであるが、外(シナリオ)から見れば自由なものでない。同様に、量子力学的「偶然」は宇宙の内部では絶対的・究極的であるかのようであるが、シナリオから見ればあくまで一種の細工されたもの、あるいは細工され得るものであって、絶対的・究極的なものでない。これらはともにいわばコリオリ現象などと同じ「見かけの現象」にすぎず、系(立場・視点)が変われば全く違った実態・真相が見える例である。

たとえば回転球面体上(一例として自転する地球の表面)で真っ直ぐに放射された物体は、外部から見るとやはり真っ直ぐに進んでいるが、回転球面体上でそれと一緒に回転している視点から見ると、回転速度に比例して曲進しているように見える。

このコリオリ現象はミサイル・スペースシャトル・航空機・砲弾・隕石・台風・貿易風などにおいても同じく見られる。真実は「直進」だが、系内ではどう見ても「曲進」に見えてしまう。人間の「自由」も量子力学的「偶然」もそういうものにすぎなくなるわけだ。


ちなみに、「どの辺りから再臨のキリストが現れるか」を記した黙示録のこの一節が存在しないのは、「この宇宙にはメシアが再臨するための入り口がない」という意味にもとれ、したがってこの宇宙ではメシアの再臨による人類の救済という終末論的出来事が起こらない可能性もある。その場合、神のシナリオにおいて、それが人類の全面的な破局滅亡を示すのか、それとも人類自助という別局面の到来を指すのか、むろん分からない。

(B)秋田アリバイ工作

13年後に仮釈放されて日本に戻ってみると、思いがけないことを二つ体験した。これらも「平行宇宙体験」である。そのおかげで、獄中での聖句の「あるなし」に関わる不思議な体験が孤立した体験でなくなった。つまり、それによって、これが獄中という非日常的な空間の生み出した私の妄想でなかったことが最終的に判明したのである。

「平行宇宙体験」はこの二つ以外にも小さいものが四つばかり存在するが、プライベートな問題もあるので、それらには触れない。ここでは次にまず「秋田アリバイ工作」に関わる不思議な体験をご紹介する。

私は1971年10月に大阪駅近辺で金貴雄という北朝鮮系の地下組織員に包摂され、72年12月に金元助という別の地下組織員の手に移された。翌年の73年3月1日、私は金元助の手引きで、若狭湾の小浜海岸から北朝鮮の密航船に乗って北朝鮮の清津港に到着し、平壌北郊の特別施設でいわゆる「スパイ教育」を受けた。

ここでは触れないが、むろんこれら全てが韓国中央情報部の謀略だというしっかりした証拠がある。そういう背景には全く気づかず、私は二ヶ月半におよぶ特殊工作員の教育と訓練を受け、全課程を終えて朝鮮労働党にも入党した。

ところが金元助の大きなミスで、大学院2年度のカリキュラム申請をしなくてはならない三月に北朝鮮へ密航したため、密航する前に、カリキュラムの代理申請を、当時恋人だった呉芳江氏(仮名)に頼まざるを得なかった。

真相を知らない彼女もこの要求に首をひねったことだろう。この代理申請は私が日本にいなかった証拠になるわけで、そのため北朝鮮からの帰国後、アリバイが必要になったわけである。

日本への帰国後に私の在日指導員となった自称「池田」なる者も、(不審な点が多くあって韓国中央情報部員という彼の正体は、後の獄中で明らかになった)、私の安全性には全く興味がないようだった。

それで私は、1973年6月初旬、当時、秋田の土崎港にいた大学同窓の立山秀雄氏(仮名)宅を訪れ、彼に、「ここに二ヶ月半ほど居たことにしてくれないか」と頼んだ。

ところで、彼には二つか三つ年上の姉がいる。1964年(東京オリンピックの年)に同じ神学部に入学し、同じ寮に入った立山秀雄氏とは、それ以来の付き合いだった。命を預けてもいいといえる間柄だったわけである。

入学翌年(1965年)の成人式の日、寮内でも成人式が行われ、そのとき私の写真も何枚か撮られた。その後の休暇の間、立山氏は一時、秋田の実家へ戻り、その時の写真を彼の姉に見せた。寮に戻ってきて彼が言うには、「姉は君に良い印象を持ったようだよ」ということだった。

これはこれだけで終わった話だが、「秋田美人」や「秋田おばこ」という、よく聞く言葉もあるので、「彼の姉はどれほどの美人かな」と一再ならず想像した。そういうこともあって、彼の姉のことはずっと私の頭の中に存在していた。そのおよそ八年後、秋田へアリバイ工作に出掛けるときにも、彼の姉のことが脳裏にあった。

立山氏の家族は父と母と姉と彼で全てである。1973年6月、私が訪ねたとき、某女学院の英語教師だった立山氏はまだ帰宅していなかった。彼の母親が私を彼の部屋まで案内し、そこで待つように促した。それから二、三時間すると彼が戻ってきた。

挨拶のあと彼は、彼の部屋の前の廊下に二人立ったままの状態で、こちらからは彼の姉についてなんの質問もしていないのに、

「姉はいま家にいないよ。秋田と青森の県境のあるところにいるんだ。姉は婚約が破談になったため意気消沈していて、そこで静養している」

と自分の姉が家にいないことの説明を始めた。

私は立山氏宅におよそ五日間いて、秋田市内の喫茶店のマッチ箱を可能な限り集め、それをアリバイの証拠品にしようと余念がなかった。彼の家の風呂にも入り、体格の良い彼の父親と食事もし、父親が往年のラグビー選手であり、またつい先ごろまで秋田市の助役格の収入役だったことも知った。

ある日には立山氏に乗用車で彼の家の菩提寺や夕暮れの久保田城へ案内され、また、日曜日には「彼」「母親」「私」の三人で男鹿半島へドライブに行った。

男鹿半島への途中、当時ほぼ干拓の終わった八郎潟の風景を右に見ながら、八郎潟の干拓に関する話を彼から初めて聞いた。男鹿半島の樹木一本ないとある小高い丘陵地に着くと、「あれが寒風山だよ。寒い風の山と書くんだ」と教えてくれた。

そして、その寒風山の頂きへと続くコンクリートのスロープを彼と肩を並べて登り、頂上の民芸店で、はじめて聞く「なまはげ」の仮面の説明を彼から受けた。

さらに、昼食を済ませた後、私一人、灯台に近い海辺の岩場に降りて一枚の桜貝を見つけ、それを紙に包んで彼の母親にプレゼントした。

つまり、秋田市の土崎港近くの彼の家に彼の姉はいなかった。一階建ての彼の家に女性は彼の母親しかいなかった。これが私の体験した事実である。ところが13年の獄中生活をして日本に戻ってみると、それが奇妙なことになっていた。

釈放後、日本に戻ると、私のために兄弟が準備してくれた賃貸マンションの一室に入った。そこにはそれまでの13年間、兄が保管してくれていた私の書籍に混じって、手紙類もあった。

懐かしい思いで過去の手紙類を読み返した。その中には、公判中、「秋田アリバイ証言」をしようと努力したことのある立山氏と私とのかつての往復書簡も含まれていた。

私はアリバイ工作が終わって関西の自宅に戻ると、すぐさま感謝の手紙を立山氏に送った。それで、その手紙が残っていたわけである。私はアリバイを意図して彼にこの感謝の手紙を出したわけではなかったが、韓国での公判では、日本の弁護士たちの計らいで、それが秋田でのアリバイ証言に使われようとしていた。

結局、彼のアリバイ証言はなかったが、そういういきさつがあったため、私が彼に出した感謝の手紙のコピーがいくつかその賃貸マンションの一室に残っていたわけである。

それを読み返してみて一瞬「?」と思った。何か解せないのである。はじめのうちなぜ解せないのか分からなかった。もう一度読み返してみて、その事情を知って、「なるほど!」ということになったわけである。

関係のない一部を除いてその手紙の全文をここに載せてみよう。文字の色づけは全てこのホームページ用のもので、原文にはない。これは1973年8月18日の消印になっている。
「みなさんお元気でしょうか。関西に戻ってからというものは、なにしろとても暑いので参っています。少しは涼しい秋田が恋しいこのごろです。

 修士論文の仕上げもこの夏のあいだにメドをたてなければならないのに、この暑さでは先がおもいやられます。家の上を通るうるさい飛行機もしゃくにさわります。夜は夜でスタンドをつけて本を読んでいると、気味が悪くなるほどいろんな虫がおしよせてきて、暑いさかりに窓もしめなければなりません。

 家のうらはグランドで、毎日子供たちがワイワイ野球をしています。夜になればそこでドカンと花火を打ち上げています。グランドの外はもう一面水田で、このあいだまでカエルの音に悩まされました。

 ま、こんなに暑いのであれこれ気にかかるのでしょうが、窓をあけても虫一匹こない君の家はほんとうに素晴らしい。それに奥まっているので静かにすごせるし……。ここは君のところよりもずっと郊外風なのに近くに大きな団地があってけっこううるさいのです。団地の昼下がりは女ばっかり。こころときめいたり、うんざりしたりで精神は浮ついています。

(このあとしばらく神学と哲学の話が入る)

 ところでお父さまやお母さまはお元気でしょうか。お姉さまはどうでしょうか。日本地図を見ながら、実に遠いところまででかけたものだと感嘆しながら、いま男鹿半島の楽しい一日をふりかえっています。

 入道崎の燈台を横にみながら海の上に突き出た岩のあいだで遊んだこと、短い時間のことでしたがすばらしい時間でした。岩のあいだにナマコのようなものをみつけて君のお姉さまの命令を受けて生けどろうとしたけれど、触れると赤いものを噴射するので気味悪くてとうとうあきらめてしまったあのこと、君のすばらしいお母さまとお姉さまに乾杯! 

 そして君のたくましい父上に乾杯! 僕たちの友情に、日本と我が朝鮮の将来に乾杯! 僕たちの友情を一層かためて、秋田の日々となまはげに乾杯! ほんとうにあれはナマコだったのでしょうか。ともかく赤いものを出したのだから、あの「ナマコ」にも乾杯!

 僕はあのとき「ナマコ」をあきらめて、そのかわり、小さなカニの子ときれいな貝をみつけて君のお母さまとお姉さまのところに持っていってあげました。君のお母さまはそのカニの子をハンケチにつつんでおられたけれど、僕はその時、それが僕に対する気遣いだと感じてすごく感動してしまいました。

 いろいろな御迷惑をおかけしたあげく、このような細やかな心遣いまでいただいて言葉もありません。あれからは君の御家族全部が他人のようには思われず、実に親密な様子で記憶の中によみがえってきます。実際、あのように大切にしていただいたのは僕にとって生まれてこのかた初めてで、決して忘れることはないでしょう。

 御結婚間近いお姉さまに長いたしかなしあわせがおとずれますように! 君のお母さまの心の中にあかるい平安の日々が来ますように! たくましい君の父上がいっそうたくましく万年長寿なさるようにお祈りします。

 よろしくみなさまにお伝えください。またお手紙いたします。
 希望とよろこび、自信と決意に満ちた生活万歳!」 

私が自分の出したこの手紙を見て「?」と思ったのは、立山氏の姉とは男鹿半島に行っていなかったからである。私は彼とその母親と三人で、男鹿半島へドライブに出かけた。つまり立山氏とその姉とが入れ替わっているのだ。

私はその日の朝のことをはっきり覚えている。玄関のすぐ横の扉を手前に引き、そこから彼の母親が「スバル360」をバックで引き出してきたときは、ちょっとびっくりした。「スバル360」のピンクがかった明るい灰色もはっきり覚えている。

玄関から遅れて出てきた立山氏のちょっといかした服装も、彼の履いていた黒靴も覚えている。そして彼ではなく母親が運転することを聞かされたとき、私の驚きが倍化し、少し不安になったことも。

私は将来、韓国に渡って革命を行わなくてはならない立場だったので、もし交通事故にでもなればコトであった。それで、運転する母親のすぐ後ろに席を占めた。その左横へ、後で立山氏が乗り込んできたわけである。

母親のとなりの席の助手席は当然のことながら誰もおらず、そこにはパンや果物などの昼食の上に袱紗をかけた籠がひとつ置かれてあった。「もし急ブレーキをかければ、あの昼食は吹き飛んでしまうな」と一瞬不安になったこともちゃんと覚えている。

これは非常に大事なことである。というのも、もし彼ではなく、彼の代わりに、女性である結婚間近い彼の姉が同乗していたとすれば、当然その助手席には彼女が座っていなければならないからだ。

そして、あれから23年ぶりの1996年6月8日、これらの不思議な出来事の事実関係を確かめようと秋田の立山氏宅を訪れ、彼女と会ってそのときの事情を聞いてみたところ、果たして彼女は「助手席に座っていた」というのである。

たしかに助手席には昼食用の籠が置かれていて、そこに姉はいなかった。姉の代わりに、私の左横に座っていた立山氏が私と一緒に男鹿半島に行ったのだ。

もともと立山氏の話では、姉は秋田と青森の県境のあるところにいて、そもそも家にいなかったのである。しかも立山氏の話では、「婚約が破談になったため姉は意気消沈していて、そこで静養している」ということだった。だから彼女との関係に関しては五日間の滞在内容が全て異なる。

獄中での聖句の「あるなし」から、既に二つの「平行宇宙」の存在を結論づけていた私にしてみれば、別にこの不思議はことさら驚くほどのことではなかった。「こういうものがここにもあったか!」という程度だったのである。

だが、その一方で、獄中での聖句のことは、それだけでは孤立した事柄で、「獄中という非日常的な生活が生み出した妄想だ」という他人の指摘があれば、それに打ち勝つには力が足りないと危惧していた。

だから、(「平行宇宙体験」など、ただただ人間に不幸をもたらすにすぎないものだとはいえ)、立山氏の姉のことは、それを強固に補強してくれるという意味では大きな喜びだった。

先ほど1996年6月8日に、立山氏と姉とが入れ替わっている不思議な事情を確かめるために秋田の立山氏宅を訪れたと述べたが、ここでその一部始終をお話したい。

立山氏自身は1990年代以降、秋田にはおらず、京都で、ある教会の牧師をしていた。それで、彼のところへは半年に一度ほどの割合で訪ねて旧交を暖めていた。

いうまでもなく、前々から、事実関係の異なるその奇妙な手紙の件は彼に打ち明けていた。むろん彼は、

「君は姉と男鹿半島に行ったんで、俺とではないよ」

と主張して、私の言葉を全く信じてくれない。彼としては事実そうだから、そう言う他ないだろう。しかし私としてはどうしても彼の姉に直接会って、過去の事情を確かめたかった。

それで、全てを重ね合わせて正確に再現できるようにと、1973年のときと同じ6月初旬に、立山氏と同伴で秋田を訪ねたわけである。

玄関先には彼の姉が立っていて我々を迎えてくれた。始めてみる顔であり姿である。それで私は「はじめまして」と彼女に挨拶せざるを得なかった。ところが彼女は「1973年6月にお会いしている」というのである。

もし私が彼女と一度でも会っていたなら、かつて寮にいたときの写真の件もあるから、彼女の風貌を忘れるわけがない。彼女のことを除く五日間のなにもかも一切を覚えているのに、どうして彼女のことだけを忘れてしまったのか? いや、「忘れてしまったのか?」というのは正しくない。「なぜ彼女が家にいたことになっていて、立山氏と彼女とが一部入れ替わっているのであろうか?」と問うべきだろう。

私は関西の賃貸マンションから秋田へ出かけるとき、テープレコーダーとカメラを持っていった。それはこの奇妙な出来事をしっかり記録に留めておきたかったからである。

居間で、彼と彼の母親と姉と私の四人がぐるりと座って、かつての出来事を詳しく話し合った。その録音テープはいま手元にある。そのとき初めて見た彼女の写真もそれ以来ずっと私の机の上に飾ってある。彼女が美しいからではなく、その不思議な出来事を記念するためである。

会ってみれば、大柄の彼女はそれほどの美人ではなかった。が、それはどうでもいい。問題は彼女の話す内容である。彼女の話では、当時、自分の家に婚約者の男性が来ていて、

「私とその男性は縁側のここに、あなたと弟は縁側のそこに座っておりました」

というのだった。そして、

「あなたと男鹿半島に行く車の中で、私は母のとなりの助手席にいて、途中、『風と共に去りぬ』についてあなたとお話しました。入道崎の近くであなたは小さなカニと貝殻を母と私に持って来てくれましたね」

という。これらはすべて「私」が書いたあの手紙通りの内容である。

彼女がいるだけでなく、彼女の婚約者までそこにいたとは! 彼女は結婚に敗れて意気消沈し、秋田と青森の県境のあるところで静養していたのではなかったか? これが私の記憶違いや妄想なら、私はどうしてそんな記憶違いや妄想をする必要があったのだろう? 

いや絶対に記憶違いや妄想なんかではあり得ない。すでにこのような「平行宇宙体験」は獄中でも発見しているのだから。

これは普通、「こんなことが一体この世にあっていいものだろうか?」とでも言わなくてはならない状況だろう。立山氏の母親は私の目を見ながら、「獄中での長い苦労のため、精神に異常が生じたのじゃないかしら」とでもいうような表情をしていた。

彼らには到底分かってもらえない。彼らの体験ではまさしく彼らの言う通りなのだから。しかし私にはこれで十分で、至極満足だった。事実関係はすっかり分かったのだから。 

すると一体誰があの手紙を書いて秋田にいた立山氏に送ったのだろう? 一体誰が彼の姉と男鹿半島に出かけたのか? それは平行宇宙にいる「もう一人の私」であると結論しなくてはならないだろう。そっくりな平行宇宙が存在すれば、その平行宇宙の数だけ「もう一人の私」がいても不合理ではない。量子力学の無限分岐宇宙論もそう主張している。

だとすれば、「もう一人」の私はどうなってしまったのだろう? 彼は私と入れ替わりにもう一つの宇宙へ行っているのだろうか? 私はいつあの聖句がある宇宙、すなわち立山氏と一緒に男鹿半島へ出かけた宇宙から、あの聖句のないこの宇宙、すなわち立山氏の姉と一緒に男鹿半島へ出かけたことになっているこの宇宙へ来たのだろう? 一体誰がどういう目的であの宇宙からこの宇宙へ連れ込んだのか? 

これらの問いにはどれにも明確な答えがない。私は誰か(おそらく『ヨハネ黙示録』のあの聖句の「あるなし」を気づかせた「聖書の神」)の手によって、「別のそっくり宇宙」へ連れ込まれた。私の家族も「別のそっくり家族」にすぎない。親類も知人も、祖国も人類も、みんな「そっくりさん」に過ぎないわけである。

むろん、人間にとってこんな不幸なことはない。そのために私は現在も未婚のままである。逮捕以来、この31年あまりの間、いいかえれば、仮釈放以来、この18年あまりの間、女性との性的関係も一切ない。掛け値なしにそうである。

別の宇宙の女性との間でもし子供でも生まれたなら、仮にいずれ元の宇宙へ戻ることができた場合、一体どういう不幸を体験せざるを得なくなるだろう? この宇宙でもしある女性を愛してしまい、いずれ元の宇宙へ戻るときに別れることになるのだとすれば、その不幸はいかばかりか! それを思うと、どうしても女性と性的関係を持てないのだ。これはまさしく一種の「かぐや姫」の男性版だろう。

私にとってはなにもかも不幸なことではあったが、このホームページを通して皆さんが神を再発見し、宇宙における自分の位置や意味を見出し、しっかりした人生を歩むことが出来るとすれば、そこにも私の不幸に対する神の摂理があるのかもしれない。

私は「聖書の神」と深く関わるこれらの不思議を体験したが、それでもその神を「キリスト教の神」とは断定していない。また宇宙に普遍的に見られる「三・一構造」から「三・一の神」が存在するとは言っても、それを「キリスト教の神」と同一視しなかった。それは一体どういう理由からだろうか? 聖書の神は神の真実に最も近いとはいえ、それが全てでないと思うからである。

私は、神は聖書とキリスト教を、みずから経綸し導く世界史の「最高戦略・最大方便」としているのではないかと見ている。それはつまり、聖書の他にも、(相対的にみて価値は劣るとはいえ)、神の真実を記した書物があり、キリスト教の他の、ユダヤ教・イスラム教・ヒンズー教・仏教などの諸宗教にも、それなりの神の真実が込められていると考えているからである。

私は、ギリシャ哲学以来のさまざまな無神論や唯物論でさえ、神の歴史目的にとっては必要だったのだ、と結論している。それらがなければ、このような歴史にはならなかった。そしてまさしくこの我々の世界史こそ、神が望んだ歴史であろう。でなければ、神は自分の望まなかった歴史を望んだのだろうか?

神の導く世界史の中心軸はなるほど聖書とキリスト教であるが、それらは絶対のものでも、歴史の最終目的でもない。なぜか? それは平行宇宙に「別のイエス・キリスト」がいて、平行宇宙の数ほど「別のイエス・キリスト」がいるからである。これではキリスト教でいう「三位一体」の本筋は通らない。

だからキリスト教の「三位一体説」も絶対の教説ではないわけだ。とはいっても、キリスト教の「三位一体説」には、他の宗教にないほど「三・一の神」の真実が最も純度高く含まれてはいる。 

そういうわけで、私は「どの宗教を信じたから罪になるということはない」と思っている。どの宗教でも信じてよい。無神論や唯物論もしかりである。すべては神のシナリオの中にあるから、なおさらそういえる。もし将来メシア的な終末的出来事が到来しメシアによる裁きがあるとすれば、それは信じた宗教によらない筈である。

ただ明らかにその教義が偏狭で、排他的で、非社会的な宗派は、(キリスト教圏であろうと仏教圏であろうと何圏であろうと)、その信者成員に自己破壊的な害を与えるので、これは避けるべきだろう。とはいえそうしたセクト宗派やカルト宗派も宗教的な意味で罪だというわけではない。これらは社会的に判断されて罪かどうか定められるべきものだろう。

(C)甲山山頂の石碑

甲山最後にもう一つの「平行宇宙体験」をご紹介してこのページを閉じることにする。

私の賃貸マンションのすぐ近くに、二級河川の堤防があり、そこを上れば遠くに青々とした六甲の山並みと甲山(左の写真)が見える。甲山のふもとには仁川ピクニックセンターがあって、中学生の頃から、夏になると、教会友達二人と三人でよく自転車で出かけて、そこの滝壷で泳いだものだった。

滝壷のしぶきを受けながら上へ上ると、すぐ向こうに甲山が立っている。当時は鬱蒼とした今とは違って甲山を覆う木々も少なく、そこから、山頂まで続くつづら折りの細い山道がすっかり透けて見えていた。「あそこの道からいつかはあの山頂に上ろう」とその友達たちと話し合ったものだった。

高校1年生になった1961年のある日、その計画が実り、三人で山頂に登った。そのときそのつづら折りの道に無造作に敷き詰められた自然石に足を取られまいと苦労しながら登ったことも覚えているし、そのときの風のそよぎも記憶に生々しい。

三人はそれぞれの体力のまま、中腹辺りからばらばらになって、ひーひーと登っていった。標高は309.4メートル、火口近くの火道の周囲が風化で鐘状の塊として残った輝石安山岩の死火山で、頂上は直径70メートルほどの真円に近い緩やかな円丘になっている。

そこで我々が見たのは高さ4メートルほどのオベリスク風の「黒い石碑」で、その四面に何かの文字がびっしり刻み込まれていた。石碑のすぐ横には、石碑と同じ高さほどの潅木が一本寄り添うように立っていた。我々はその黒い石碑の表面を手のひらで撫で回したり、そばの潅木の枝をたわめたりして遊んだ。円丘には他になにもなかった。

13年の獄中生活を終えて日本に戻り、マンション近くの堤防から甲山を望み見たとき、その石碑のことが思い出された。幼い日々の記憶が懐かしく、もう一度それを見たかった。それで、日本に戻ってきて半年ほど経った1989年の春、中腹の神呪寺(かんのうじ)の境内を通る、以前とは違うコースで山頂に登ってみた。

神呪寺は仁川ピクニックセンターの方からは見えない。この寺がそこにあるのが分かったのは、獄中で西宮市の地図を見たときである。上の写真に南から北に向けて撮ったその神呪寺の建物群が写っている。ちなみに「神呪寺」はもとは淳和天皇の皇太子時代の第四妃・真井御前(如意尼)のために建てられた尼寺で、空海の命名である。

「神呪寺は『神』の『呪い』の『寺』じゃないか。これは縁起の悪い名前だな」と獄中で思ったものだった。というのも、中学生のとき、我々三人はそれがキリスト教信仰の証ででもあるかのように、その近辺の地蔵の首を次々と叩き落したことがあるからである。その後、三人は例外なくおのおの不幸な道をたどった。

獄中で甲山の中腹に「神呪寺」の名を見たとき、「俺はこのように死刑囚や無期囚や懲役二十年囚にされて獄中にいる。俺たちの不幸は神呪寺の地蔵の首を叩き落したからではないか?」と何度も憂えたものであった。



ところで、私としては(付近にさきほどの地蔵の群れはあったものの)そこに寺があったという記憶がない。幼い頃たびたび仁川の滝壺で遊び、そこから甲山中腹の道をぐるりと南に向かって半周し、市街への急な坂道を下りるのが普段のコースだったのだが、釈放後に訪れてみると、なんとそのぐるりと半周して市街に下りる坂のまさに頂上に神呪寺の入り口(上の写真の建物群の右端あたり)があるのだ。

神呪寺の入り口自体は(西の北山貯水池や鷲林寺へと続く)もう一つの道に入ったところにあるが、ほとんど三叉路の角にあるので、むろん(行きも帰りも)仁川コースからその仁王門も石人像もすっかり見えている。仁川コースを往来して神呪寺を見落とすということは、ほとんどありえない。しかるに私にはそこに寺があったという記憶がない。私の記憶では、仁川コースは一本道で、三叉路はなく、そもそも西の北山貯水池や鷲林寺へと続く道そのものが存在しなかったのだ。

先ほども述べたように、神呪寺の入り口は坂の頂上になっている。仁川に行かないときには自転車を引いてそこまで上り、約二キロほどの坂道を、あまりブレーキをかけずに急速度で下るのがいつもの楽しみだったから、なおさらこの寺を見落とす筈がない。この急な坂道を上るとき正面にずっと神呪寺がそびえているから、なおさらのなおさらだ。だから私は、「もうひとつの宇宙ではそこにこの寺はなかった」と固く信じている。

しかし有ったものが無くなっていれば、「あれ、ないぞ!」と確かめやすいが、(その場所に対する関心がほとんど欠如しているため)そもそもそこに有ったか無かったか定かでないものが、果たしてそこに有ったかどうかは非常に確かめにくい。そういう最後の曖昧さのために私は神呪寺のことをもう1つの超常現象体験としては取り上げていない。

この寺がそこにあるのはこの宇宙においてだけで、たぶんもうひとつの宇宙では98パーセント以上の確率でこの寺はそこに存在しなかった。とはいえやはり「100パーセント存在しなかった」とまでは言えない。ひるがえって言えば、私がこのページで挙げた三つの超常現象体験(黙示録の聖句の有無・立山氏の姉のこと・ここで触れる甲山山頂の石碑のこと)は、私としては確かめに確かめ抜いた100パーセント確実なケース、つまり確定したケースなわけである。



白い石碑さて話を戻すと、山頂にはオベリスク風の「黒い石碑」の代わりに、直方体の「白い石碑」(左の写真)が立っていた。その回りには生垣をめぐらしてあり、そのすぐ横に、長さ28センチの銅矛出土のいきさつを記した小さな案内板があった。

私は狭い円丘を見渡してあの黒いオベリスク風の石碑がどこかにないか探してみた。どこにも見当たらないので、その建立された跡でも残っていないかと、端から端まで詳しく円丘をたどってみた。が、どこにもそういう形跡はなかった。

あの黒いオベリスク風の石碑が立っていた場所と、この白い石碑の立っている場所も、数十メートルほど離れていた。高校一年生のときには仁川ピクニックセンターから見えるコースをたどって頂上に着き、登りついたすぐのところに黒いオベリスク風の石碑が立っていたのだが、この白い石碑は神呪寺コースから登ったすぐのところにあったのである。

むろんあの潅木もなかった。これは立山氏への手紙にあったあの男鹿半島での奇妙な食い違いを発見する前のことで、獄中での「平行宇宙体験」を支えてくれた最初の体験となったものである。

私は「なるほどこんな風なものもあるのだな」と感無量だった。そして白い石碑へ近づき、その碑文を見た。西宮市連合婦人会による「平和塔」だった。そこに「昭和31年建立」とある。昭和31年は1956年だ。

私たちが以前山頂に登ったのは1961年だから、そのときすでにこの「白い石碑」があった計算になる。その場合、私たち三人はあの「黒い石碑」とは別にこの「白い石碑」も同時に目撃したことだろう。なにしろ直径70メートルほどの狭い円丘なのだから。

ところが1961年のときはこの「白い石碑」などどこにもなかったのである。つまり男鹿半島へのドライブで立山氏とその姉とが入れ替わっていたように、「黒い石碑」と「白い石碑」が入れ替わっていた。

私は甲山中腹の神呪寺へ向かい、そこの住職に、「以前、オベリスク風の黒い石碑が山頂に立っていたのではないですか?」と尋ねてみた。すると住職は、「甲山山頂は当寺の所有地だが、あの石碑以外の石碑が立っていたことはない」という返事だった。

私はそこで売っていた『甲山神呪寺史』を一部買い、石碑の由来について確かめてみた。その48ページに次のような文章があった。

「甲山の南半面は現在神呪寺の境内地にて標高三〇九メートルで容易に登れ、眺望絶佳、頂上には昭和三十一年四月、西宮市連合婦人会の手で平和塔が建てられた。これには平和の女神像が刻んである。神功皇后が再び武器を使わないとして、ここにカブトを埋めたその平和の心として、今の母親たちが平和を祈るために建てたものである。」

私はありえないこととは思いながらも、絶対に誤りのないようにと、まさかの場合に備えて、「もしかすると別の山の山頂であの黒いオベリスク風の石碑を見たのかもしれない」と仮定し、それならどの山頂にあの石碑があったのだろうと思い巡らした。

我々三人が高校1年生のときまでに頂きに登った山は他になかった。いや成人して以後も含めて、山登りはほとんどしたことがなかった。だが、甲山近くの六甲山のふもとには、たった一度だけ三人で歩いたことがあった。六甲山のとある斜面で写した写真が一枚残っている。それで、六甲山の端から端まで縦走して、あらゆる頂きの状況を確かめることにした。

「ごろごろ岳」や「東おたふく山」や「麻耶山」などなどを巡ってみて分かったことは、「六甲山系では六甲山の最高峰にしか石碑はない」ということである。その六甲最高峰の石碑も、自然石をコンクリートで固めて卒塔婆のように盛り上げた、素人作りの高さ二メートルほどのもので、大したものではなかった。

現在はそれとは別に、そのときまであった米軍のアンテナ基地の跡地に、標高だけが刻まれた平たい石碑が、地面に半分ほど埋めこまれた状態で置かれている。

こういうわけで、あの黒いオベリスク風の石碑が甲山山頂にあったことがほぼ確実になった。それでも私は、「もしかすると中学生のとき学校の遠足で出かけたことのある生駒山の山頂と勘違いしたかもしれない」と仮定し、生駒山にも出かけてみた。そこのケーブルカーの窓口や遊園地関係者などに、オベリスク風のそういう石碑が立っていたことがあるかどうか尋ねてみても、事情に詳しい誰もがそれを否定した。

ふつう山頂に石碑を立てるとき、碑の性格上、永久に存続させようとする。だから、よほどのことがない限り撤去されるということはない。したがって、あの黒いオベリスク風の石碑がかつてどこかに立っていたとするなら、それは今も立っている筈なのだ。

しかしどこの山頂にもそれはなかった。私の登った可能性のある山頂は全て登ってみた。この山登りのおかげで、以前無関心だった登山が好きになったというのは、思いがけない副産物である。

ともかく、これで獄中での、あの聖句の有無に関わる「平行宇宙体験」の強力な支えが出来た。そして、それがさらに秋田アリバイ工作関係の体験とつながったとき、「平行宇宙体験」の真実性は絶対のものになった。

こういう体験はその他にも四つばかりある。そしてその哲学的・神学的結論は第一部から第三部にかけて詳しく述べた通りである。