中高年のための英語リスニング・スピーキングのポイント

金哲顕

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「中国語学習のポイント」はここをご覧ください。



団塊世代のための英語リスニング・スピーキング入門について書きたいと思ったのは、自分の体験が同じ世代の人々に役に立つのではないかと思われたからだ。とくに団塊世代で英語が読める人たちを対象にしている。

そもそも江戸時代の長い鎖国政策の結果、江戸後期のあの緒方洪庵の適塾以来、日本人は外国語一般を、会話の言語としてでなく翻訳の言語として学ぶことになった。あの蘭学も、オランダ語会話の学問でなく、オランダ語翻訳の学問に終わってしまっている。

元来島国で外国人との交渉経験がほとんどないので、外国人の生きた言語・生活・風貌・慣習にどうしても違和感を覚え、外国にあっては強い疎外感を、本国にあっては本能的な異人感を感じてしまう。それが長い鎖国政策からの遺習によって助長されて、外国語学習が一般に会話力を度外視した読解力の学習を意味するものになった。

英語学習は読解とそのための文法・構文・解釈・英作の学習に堕し、会話力に自信がないぶん、いたずらに不必要なまでに膨大な文法・構文・解釈・英作の学習を中学生や高校生に強いることになった。



本当は中学・高校で教えられていることの半分だけでも十分である。文法だけは全部ちゃんと抑える必要があるが、その他は半分の単語数、慣用句数・熟語数、構文数だけでいい。そのあとは大学に入ってから必要に応じてその数を増やしていけばいいのである。私の考えでは、中学・高校では基本的な文法を一通り教えつつ、各学年に応じて日常生活の各場面で使われる代表的な会話を(ネイティブの発音で)丸暗記させるのがいい。

この「基本文法学習」と「生活会話丸暗記」の授業だけで十分である。英語の試験もそれらの実力を促進し、その力の程度を測る手段として実施する。それによっておのずと簡単な英日記も書けるようになるし、辞書を片手にほとんどの英書も読めるようになる。つまり基本文法学習と生活会話丸暗記は、そのまま構文力・英作力・解釈力の自然な培養になっているのである。

日本人は英米人と英語を話すとき、「完全な英語になっていないのではないか?」という心配が先に走り、萎縮してなかなか言葉が出ない。これもまた会話抜きの、つまり会話を無視した翻訳のためだけの書き言葉英語を、必要以上に文法的・構文的な完全完璧さ、つまり受験合格を目指して学習させられたためだ。会話しようとする矢先に、文法や構文や単語でどこか問題はないか?と思わず心配してしまうのである。



さて私(在日韓国人)の場合、英米に留学できず国内に留まりながら、齢50をずいぶん過ぎて英会話をマスターすることになったが、団塊世代の多くは私と同様、英米への海外留学を果たせなかった筈である。なにしろあの頃は月給二万円そこそこ、一ドル360円の時代だった。よほどの資産家の子弟以外は、フルブライトの奨学生にでもならないかぎり、英米留学は難しかった。それで英会話に魅力を感じながらも、ついに諦めてしまった人々も多くいた筈である。

インターネット時代のいま、英米旅行や英米留学もずいぶん簡単になり、英会話のための便利な手立てがいろいろ数多く簡単に手に入るようになったが、いまさら英米留学もない。したがって日本にいてどうそれをマスターできるかという問題だ。

それにしても、中学生以来約50年間、これまで英語学習や英書購読につぎ込んだ総時間(約3万時間・約1250日・1日24時間換算でおよそ丸々3.5年)を考えてみると、英会話ができないでは無駄に大変な努力をしたようで、なんとしても空しいし、悔しい。「投資した時間ぶんはなんとか取り返したい」。私の場合、これが大いなるインセンティブになった。


ともかく英会話は実践しなくては実力が伸びていかない。英会話ができるには、それだけの時間と努力がどうしても必要だ。英米にいけば三歳の幼児だって英語を話せる。言語というのはいわゆる「知識」でなく、習慣なのだ。習慣なら慣れるほかはない。慣れるには時間がかかる。肝心なのは、より少ない努力でより多くの成果をどのように獲得できるか、その最も効率的な方法を知ることだろう。

むろん「駅前留学」という手もある。しかしそのための時間も資金もないという人々も多い。そういう人たちに対して非常に効率的な英会話学習のためのポイントを、私の経験からお伝えしたいと思うのが、このページの目的である。

まず第一に心がけなくてはならないのは、(どの言語もそうだが)、英語もまたもともと「会話のための言語」であるということである。このことが団塊世代にはなかなか分かりづらい。意識のどこかに「英語は読むための言語だ」という錯覚がこびりついているからである。そのために正しい態度で英会話の学習ができない。

たとえば中学・高校で先生たちから学んだ受験用英語の発音を正しいものだとどこかで思い込んでいる。大学で学んだ発音も同様だ。むろんそれらが本場英米のものとかけ離れているというのは、知識としてはちゃんと分かっているのだが、どうしても先生、とくに中学・高校の先生の発音が基準になってしまっているのである。

英語に触れたそもそもの初めにすっかり誤った発音を学び、それをその後もずっと学び続けてきたわけだから、これはどうしようもない。いわば誤った発音が準生得的な支配力を持つに至っている。


これをまず完全に払拭しなくてはならないが、もうすっかり血肉化してしまっているので拭い去る作業自体が血のにじむ作業になる。「先生たちから学んだ発音は全て完全に誤っている」とまずしっかり覚悟しなくてはならない。そしてひたすらネイティブに染まることである。

これまでの自分をすっぱり捨てて、ネイティブにすっかり染まる

これをスローガンにすることがまず第一だ。これが英会話学習の再出発点だといっていい。目の前にこのスローガンを貼り付けておいて、ときおりそれを見ながらリスニングすると、大きな成果が得られる。まず英語(英米)に対する違和感や敵意を克服するのだ。



英語が読解のための言語でなく会話のための言語であると認識することがとても大事なのは、言語がそもそも音の流れだからである。何十万年も前から人類は言葉を話したが、それを文字に表現したのはほんの数千年前なのだ。文字が言語なのではなく、人の話す音の流れが言語なのである。文字なるものは話される音の流れに対して、後で人為的に区分してそれぞれに当て付けた記号にすぎない。


ところで、私たち団塊世代は英会話用の生きた英文を読んでいても、まるで漢文を読んでいるかのように思ってしまい、これで英会話ができるというようには、なかなか思えてこない。これもまた「英語は読むための言語だ」とどこかで錯覚した結果である。

また私たち団塊世代は英語をネイティブのように話すのを恥ずかしいと思う傾向が強い。上がったり下がったりする英語的な抑揚はむろんのこと、舌を丸めて の発音をするのも気恥ずかしく思う。これはこれまでの文字一辺倒・翻訳一辺倒の誤った英語教育がもたらした大きな大きな心の病気である。

もともとネイティブの話す音の流れこそが英語なのだ。だからまず「ネイティブにすっかり染まる」ということが必要不可欠なのである。

そうすると、こびり付いていたこれまでの学校英語の偏向がだんだん消えて行き、素直な心で英語の音の流れに向かい合うことができ、それがいずれ英語を聞き取るのに大きな役割を果たすことになる。これからは積極的に英語的な抑揚をどんどん真似て、必要以上に舌を丸めて R の発音をすることが大事だ。






基本的な考え方と心構えは上のとおりだが、リスニングを効率的に習得するためのポイントはなんだろうか?

むろん英会話はリスニングとスピーキングを相互補完的に学習してゆく必要がある。とはいえ、英語が読める人なら、相手の言っていることがともかく理解できれば、手取り足取り拙い英語ながらも、こちらの意図をなんとか相手に伝えることはできる。しかし相手が何を言っているのか理解できなければ、何をどう返答すれば良いかも分からず、英会話がそもそも成り立たない。

聞く能力はほぼ100パーセントでなければならないが、話す能力はそこそこでも良いわけである。やさしい単語と簡単な構文でほぼ正確に自分の意図を相手に伝えることができれば、それで十分だ。相手の話の内容(聞く内容)は自分の自由にはならないが、自分の話の内容(何をどう話すか)は自分の自由である。

たとえば中学英語の基本動詞を使った単純構造の例文を数多く習得すればいい。 中学英語が話せれば、自分の意図するところはほぼ話せる。

話す場合はやさしい単語と単純な構文で十分なのだ。だから英会話で重要なのはリスニング能力なのである。リスニングがほぼ100パーセントできる段階に来れば、やさしい単語と単純な構文によるスピーキングは、すでにほとんど獲得できているだろう。

まずはそれで十分である。あとは英会話の経験の量がおのずとスピーキング能力を伸ばしてくれる。難解な単語と複雑な構文で、複雑微妙な表現をすることも時間の問題である。

したがってリスニング(音を聴き取ってその意味を把握すること)こそが英会話学習の中核だが、その効果的な習得のためのポイントは何だろう? それをひとことで言ってしまえば、

シャドーイングができるようになる

ということである。「シャドーイング」とは相手が話すすぐ後に(たとえば一秒以内に)その音をそっくりなぞりながら、あとに続くことだ。

たとえば日本語会話をシャドーイングするのは日本人なら誰でも出来る。そしてそれは音としては(むろん意味把握の面でも)相手の日本語をそっくり聞き取れたことを意味している。シャドーイングできる程度がリスニングの程度なのである。だからリスニングのポイントはシャドーイングの能力である。この能力を効率的に最大限伸ばすにはどうすれば良いか? これが本当の問題の核心なのだ。

シャドーイングには無音・有音・両者の中間の三つがある。有音のシャドーイング、すなわち自分も相手のすぐあとに軽く発音しながらシャドーイングするのは、自分の音が邪魔になって少し難しい。しかし無音のシャドーイング、つまり自分の頭の中でシャドーイングするのは、それと比べれば比較的簡単である。

まず無音のシャドーイングを完成する。次に無音のままで口だけを動かすシャドーイングを目指し、それができれば、ほんの少し声を出してみる。慣れるに従って声をだんだん大きくしてゆき、ついに有音のシャドーイングに至る。これがリスニング習得の筋道だ。

したがって「リスニングが完全に出来た」ということは「有音のシャドーイングができた」ということであり、そのことは日本語の場合を例にとって自分でやってみれば誰にも理解できよう。

このシャドーイングの練習過程で、ついには全ての単語をなぞることができ、話される音の流れの中の一瞬の無音の部分も一つの音、一つの単語であることが生生と体験できる。また瞬間の雑音のように聞こえていた音がちゃんとした音節や単語であることも分かるようになる。



だからまず「無音のシャドーイング」が目標になる。相手の話す音の流れの全発音を、逐次的に単語単位で、シャドーイングしようと努力を重ねてゆくわけだ。この場合、向こうに意味把握を目指しているが、意識の重点は音の把握・音の聴き取り(ヒアリング)にある。

無音シャドーイングするのは頭の中なので、音を頭の中で「観念」としてなぞることになる。頭の中で観念の音を響かせるわけだ。これを「観念音」と名づけよう。つまり観念音としてたんに聴いてなぞるのでなく、頭の中で観念音としてみずから発して響かせる。

観念は音よりずっと速いから、相手の発音をほとんど同時に追尾してなぞることができる。それはあたかも観念音で相手の全発音を同時的に模写するかのような感覚である。これを「同時追尾模写式観念音シャドーイング」と呼ぼう。

この「同時追尾模写式観念音シャドーイング」が完成すれば、あとは「実音」へ向けて、まず「無音の口動かし」をマスターし、そのあと「同時追尾模写式実音シャドーイング」に挑戦する。そしてそれが実現するとき、流暢な英語が話せる段階に近くなっていることだろう。


以上を整理すると、リスニング練習はまずは(意味の把握を意識した)音の把握(ヒアリング)の訓練であり、その核心は「同時追尾模写式シャドーイング」で、それには、

(1)観念音
(2)無音の口動かし
(3)実音(ごく小さな音から普通の音へ)

という三つの段階がある。

三つの段階とはいえ、実は観念音が完全にできれば、残り二つはそれほど難しくはない。そして無音の口動かしから実音へ向かうシャドーイングの練習は、そのままスピーキングの練習になっているのである。この過程を「意識的に」スピーキングの練習としてやれば、それである程度まではスピーキングの練習にもなる。

言葉で「同時追尾模写式シャドーイング」と言うのは簡単だが、これをいかに効率よくできるようにするか、その最善の方法が何なのかが本当の問題と言える。むしろ全問題はこの問題に帰着すると言って良い。

実際に英語ニュースを聞いてそれを同時追尾模写式にシャドーイングしようとしても、はじめのうちはとてもできない。それが簡単にできればそもそもリスニングの練習など必要ないわけである。


なぜシャドーイングができないのか? それはまず第一に英語のリズムに同調できないからである。話される英語は日本語とは違って高低の起伏が激しく、それがリズムを造っている。そこが音の流れとしての英語の最大の特徴である。

実はリスニングの勉強をはじめて最初に驚いたのは、英語が「リズムの言語」だということである。リズムの中で単語がどんどんリエゾンされ、縮音・変音されてゆく。まるでダンス音楽のリズム部分を聴いているかのようだった。



話される英語は激しく上下する波だと考えることが肝心である。そこには波の山と谷の周期的な連続がある。はじめはよく目立つ山の部分(単語ならアクセント部分、句なら盛り上がり部分)しか聞き取れず、そのため谷の部分が可聴域から離れて音の空白域になる。意識を集中して何度聞いても谷の部分は一向に聞こえてこない。そこはあたかも氷山の水面下の部分のように音としては見えてこない。

これは次のように言えば納得がゆくだろう。いま物理の教科書にあるような横波の曲線が一本の横軸に沿って上下に揺れながら走っているとする。そういう図をなんども見られたことがある筈である。波はその横軸の上の波部分と下の波部分とでできている。

ところが意識はそのままではアクセントや盛り上がり部分のある波のハイライト(上部分)にしか向かないので、下の波部分がすべて抜け落ちて聞こえてしまう。すると単語や句が正しく聞き取れない。一つの単語や句の音は波の上の部分から下の部分にかけて分布しているからである。これを克服するにはどうしたら良いか? それが最大の核心問題だ。



私たちは目の前をさっと飛びすぎるツバメの姿をちゃんと捉えられない。ところが目をツバメとともに動かすと、ツバメの飛んでいる姿をしっかり捉えることができる。これと同じように、波の動きを捉えるには、波とともにそのリズム(周期)に合わせて自分が上下に揺れる必要があるのだ。

ツバメの姿を捉える場合には目をツバメと一緒に動かせばいいが、波の動きを捉えるために何を上下に揺らしてそのリズムに合わせればいいのだろう? 耳を上下に揺らすのだろうか?

耳だけを上下に揺らすことなど誰にもできない。またそんなことなどあまり意味がない。むしろはじめは頭全体を英語のリズムに合わせて前後に揺らしながらそのリズムに同調させるのがいい。つまり前後の首振りでリズムに合わせるわけである。慣れてくれば今度は机や膝の上に指を軽く打ちつけながらリズムをとる。それができれば、最後には心の中で「架空のリズム」を踏みながらシャドーイングできるようになる。

そこまでできれば今まで聞き取れなかった谷の部分がずいぶん聞こえてくることが分かる。氷山の沈んだ部分がだんだん見えてくるわけである。また音として発音されていない部分もちゃんと意味ある「音」として聞こえてくる。

たとえば「t」の発音はよく促音便的に処理されて無音化する。その無音は実は「t」として促音便的に発音されているわけである。例を挙げると、latelyの「t」は速く発音されると促音便化して「レイッリー」となる。そういう無音の音も聞こえてくるようになる。

少し先のことになると思われるが、頭の中の「架空のリズム」にさらに「音」を加えることができれば、いずれ「観念音」を頭の中で自由に響かせることができるようになる。そうなればずいぶん進んだことになるだろう。



ところで英語のリズムは話す人によって特徴があるので、一律に聞いていては聞き取れない。各人のリズムに合わせる必要があるのだ。また同じ人でも話している最中にリズムが変わることがあるが、その場合、すぐさまその新しいリズムに同調させねばならない。たまたまリズムにぴったり合うと、意外に思われるほど聞き取れるようになり、少しずつ自信が生れてくる。

ここで言われているリズムについて、同じ人のある短い期間中は定常波のようにずっと同じ周期・同じ振幅だと考えると、それは大きな誤りである。機械的な波はそうだろうが、人間は機械でなく感情の動物であり、周期はいつも微妙に変わり、振幅も一定でない。

それでもその個人の癖によって周期や振幅の変わり方が大まかには決まっていて、その微妙に変動する特徴的なリズムをすばやく把握し、それを予想して相手より先に行き、相手の波を待ち構えることも可能になる。

そうなれば相当心に余裕をもってシャドーイング出来るようになる。もしその個人に特徴的にそのつど微妙に変わる周期や振幅に合わせて、一緒に揺れることができれば、シャドーイングは相当な水準に到達できたといえるだろう。

こうした練習では、「相手の波より先に行く」という「音の先読み」の気持ち・感覚が必要である。それを「波の先乗り気分」と呼ぼう。

ところで、相手の波と一緒に揺れようとするときに、相手がこれから音の谷へ向かおうとする下り坂の瞬間に合わせて先乗り的に同期しようとするのが良い。

こうすると隠れている波の谷部分がより見えやすくなり、聴き取りやすい。それができると上り坂も一緒に登ってゆける。つまり一緒に揺れやすくなる。これはちょうどサーフィンで、波の動きを予想しつつ、崩れゆく波の先方に乗りながら進んでゆく気分に似ていると言える。



ちなみに、相手の話す速さに打ち負かされないコツとしては、上に述べたように、「音の先読み」や、相手の波を待ち構えるようにすることの他に、さらに、自分の心の中のテンポを相手の話すテンポより速くしたり、あるいは少なくとも自分の心をそのような素早い気持ちにすることである。自分のタイムクロックが速いと、相対的に相手がノロノロに感じられるわけである。

感覚としては、相手の音声と並んで自分の心を走らせ、相手の音声を、そのつどそのつど、「こいつは遅いな、遅い、遅い」と思いながら、すいすい追い越すのである。自分の心のテンポが、事実上、相手より速くなれるまでは、少なくとも想像上で相手より速い積もりになることである。またどこでもいい、指先で自分の体の一部を叩く速度を速めるのも良い。すると意識も集中できて相手の速さにも合わせやすい。

音の速さは観念や意識の速さに比べればかなりノロノロである。「音の先読み」も、相手の波を待ち構えるのも、自分の心の中のテンポを相手より速くするのも、(観念音シャドーイングと同様に)、すべて無限の観念・意識速度を利用して、相手の音の物理的な速さを心理的にのろくする方法である。






さて実は、相手の音はつかめても、意味がつかめない、という大問題が残っている。音と意味が直結していないからだ。日本語なら音を聞けば、即、意味を聞いたかのように反応できるが、外国語である英語の場合はそうはいかない。音と意味の直結には慣れが必要だし、慣れるには時間がかかる。

これを克服するにはどうすれば良いか? それには以上に述べたように下り坂の瞬間に先乗り気分で相手の波と同期しながら、

まず第一に、最初は少なくとも主文だけでも述語動詞の確定をすることである。そうすればどれが主語か判断でき、主語と述語動詞がはっきりすれば、さらに目的語や補語もある程度予想できて構文がよりはっきりし、文章の意味が構築しやすくなる。

主文・副文を含む全ての主語と述語を次々と残りなくたどるだけでも相当な理解が可能になる。しかし実際のところ、この方法はある程度までのもので、動詞確定→構文確定していては、多くの場合、遅れてしまうことになる。

したがって、には、「話されていること」のリアルタイムの「意味取り」(意味把握)を目指す。意味が取れなければ単語も熟語も構文も十分には確定してゆけない。意味が取れればそれだけ容易にそれらを十分に確定して完璧なリスニングをしてゆける。



リアルタイムに意味を把握していくのは難しい。だが実は「音の先読み」で心の余裕ができるので、「意味の先読み」もできるようになってくる。つまり相手が言おうとすることもいくぶん先に予想し、外れれば瞬時に修正しながら、意味を取りつつ、リスニングすることもできるのである。

言語はそもそも定形表現の集合体なので、同じ表現に際限もなく出会うことになり、そのうちに慣れてきて意味の先読みも進み、意識を集中すればそれだけ慣れも先読みも捗って、どんどん意味が取れるようになってくる。


意味がある程度取れれば、それを手がかりにして、自分の生きた意識を直近未来の上に絶えずかざしながら、相手が次の瞬間に文章上、口に出す筈の内容を、大まかに予想して聞くことも出来る。それが大きな助けになる。

その際、知らない単語が出てきても音は掴めているので、前後の脈絡からその意味を推量できるし、推量できなくても全体の文意は聞き取れる。

知らない単語の音が聴こえてきても、決してあわてたり、それにずっととらわれていたりしないことが大事だ。音の流れは続いている。次々と聞こえてくる新しい音の流れに意識を同調させ、それに素早く対応してゆかなければならない。

そうすると、聴き続けているうちにずっとあとからでも「あっ、あの単語だったか」と分かることもあるし、全くの新語でもあとでその意味が推量できる場合もあるし、推量できないときでもなんとか全体の文意の方は分かることもあるからである。むろん分からない単語が多すぎると全体の文意もさっぱり掴めないようになるから、単語力の増強は必要不可欠だ。



リアルタイムの意味取りには過去・現在・未来に対する次の三つの能力による意味取り力の増大が必要だ。

(1)過去に対する構想力 ─ これはすぐ上に述べた知らない単語の意味に対する推量力も含むもので、一区切りあるいは全文化するまで待って全体の意味を構築する能力である。記憶のなかの過去の残響を整理する能力だと言って良い。

(2)現在に対する即応力 ─ これは話される英語の語順のままリアルタイムで音と意味とを直結する通常のリアルタイムの反応能力である。

(3)未来に対する予想力 ─ これはすぐ上に述べた「意味の先読み」を中心とする能力である。

リアルタイムのリスニングの時、この三つの能力・機能を同時に作動させるわけだ。つまり、現在の即応力の不足を、過去への構想力と未来への予想力意識的にカバーしてゆくのである。



たとえば She heard her name called という一区切りあるいは全文があるとする。時系列のなかでは最初のSheから最後のcalledへという順序で波のように聞こえてくる。

即応力では(She   her   called)しか単語・順序・意味取りができないとする。そこで、予想力であらかじめ heard (あるいはそれに近いもの)の単語・位置(主語・述語動詞・補語・目的語、形容詞・副詞などなどの文法的役割や性質)を直前予想しておき、なんとか( She heard her    called )という姿に持ってくる。

そして最後に、構想力の段階で、残響として残っている name を捉え、全体の単語・順序を確定して( She heard her name called )という姿にし、このように一区切りあるいは文章全体の確定をして、瞬時にその意味を読み取るのである。このとき瞬時に読み取れるのも、それまでの段階である程度の理解が進んでいるからだ。



むろん、一区切りや全文化するまで待つ過程においても、同時に、話される英語の語順のまま、文の頭から(前から)意味取りしてゆこうという(2)の即応力の姿勢と努力は強く堅持していく。

さらに同時に、長文聴き取りの場合、その「前から意味取りする(2)の即応力」と「後ろから意味取りする(1)の構想力」を総合した方法として、

たとえば一区切りの単位が長句・短文・節ほどの長さのものだと、この三つの能力・機能を同時に作動させながら、その「一区切りの(後ろからの)単位」を、話される英語の(前からの)語順のまま次々にリアルタイムで継ぎ足してゆくことで、自然に文の頭から意味取りしてゆく姿に近づけることができる。

そしてついに「一区切りの(後ろからの)単位」に対しても前から意味取りできるようになれば、話される英語の全体が、前から、英語の語順のまま、リアルタイムで意味取りできるようになる。



このとき意識の中で、長句・短文・節に分けたそれぞれの一区切りを横に繋いでゆくのではなく、一つ一つ行を変え改行して下に次々と並べてゆく。横に繋ぐと区別が曖昧になり意味の整理に苦労するが、行を変えると意味の整理がしやすい。

このとき人差し指で、一行一行、目の前の空間を横になぞりながら改行するのが良い。慣れてくれば心の中で改行する。これで集中力も確保できる。

また各行で少なくとも一語は頭の中で日本語にしっかり和訳する。すると日本語の意味のリアル感が助けとなり、その行と前後の行との区切りや相互の関係も位置づけでき、リアルな意味取りに近づける。

この一語が数語となりさらに一句となって、いずれその行全体に明確な意味のイメージ(日本語だけでは追いつけないので英語によるイメージも含むが、その場合、はじめは聞こえてくる英語の単語や句を、その同じ単語や句の姿のまま、英語で英訳するような気持ちで、みずから捉え返した「自分の」英語の語や句にしてみる)が及べば、前から次々に各行の意味処理ができ、遠からず前からリアルタイムで聞き取れるわけである。

さらに、この改行法を使うと、ある行で聴き取れなかった単語や知らない単語があっても影響はその行だけに収まる傾向があり、全体の文意の把握に比較的悪影響が及びにくい。こうした方法を「一区切り・行変え・数語句しっかり和訳法」(改行法)と呼ぼう。



始めはなにもかも一語余さず聴き取ろうとしてはならない。そのようなことは不可能であり、パニックになり、挫折するだけである。最初は、即応力で捉えた大事な単語や句を結びつけて大意を取ることに焦点を絞り、足りないところは予想力構想力で推測する。

そして推測(単語や句間の結びつけ)が勝手なものにならないように、文法構造と文章構造をしっかり抑えておくのである。

またたとえば一例として put 〜 on ・・・ などのように特定の前置詞を従える傾向のある動詞が聞こえると、その前置詞があとに出てくることを予想して聴いてみるのも、文章の構造を掴む有効な方法だ。

また as 〜 so ・・・や not only 〜 but (also) ・・・などなど無数にある熟語や慣用語の定型表現を利用した予想も大いに活用しなくてはならない。こうしたことに習熟してくると、いずれ一語余さず聴き取れるようになる。



ところで、当然のことながら過ぎ去った相手の音にかかりっきりになると、必然的に意味処理が遅れてしまう。過ぎ去った相手の音を処理しつつ、これから聞こえてくる筈の内容を(文章構造的に、意味構築的に)予想し、あらかじめある程度、前処理しておくと、それが過ぎ去った音になった時に、より少ない時間と努力で意味処理ができ、比較的楽に聞き取りできるようになる。語る相手よりいつも一歩先を進んでゆく感覚が必要だ

また、話されている内容が複雑あるいは大量でついていけない場合は、うまく要点だけを捉えてたどっていくこと、言い換えれば、重要でない部分をうまく無視することも必要である。すると情報量が減り、話の骨格だけが浮かび上がってくることになる。とりあえずはそれで十分であり、それができるといずれ無視した部分も次第に見えてくることになる。

また、私たちはともすると聞き取りの困難さから、語られている内容がなにか非常に深遠で難解なものであるかのように思ってしまう。しかし訳してみると、私たちが日常、日本語で語っているのと同じ、なんのことはない内容なのだ。聞き取りの困難さを内容の難解さと混同してはならない。混同するとリスニングの心理的な障害になる。「分かってみればほとんどが単純な内容なのだ」と思いながらリスニングすると効率が上がる。



上の She heard her name called の場合は単純なケースの一例として一語一語に各機能を宛がったが、本当は三つの機能は、ダイナミックに変動する相互の領域において、効率を求めてお互いに協力し合ったり、せめぎあったりしている。

ここで注意すべきは、ネイティブはほとんどの場合、一語一語切り離しては話さないということである。だから通常は上の例のように一語一語に各機能を宛がうのでなく、句などの「音のひとまとまり」単位で各機能を宛がわねばならない。したがって、一番短い句が単語だと考えて、上例で単語として示したところを、句などの単位として、再度、柔軟にフレキシブルに捉え直して欲しい。

ネイティブは上のような短文や比較的長い句などでも、短いひと波でさっと話してしまうし、ときには長い波の上りや下りや頂点などでさっと済ましてしまう。だからこそ英語特有のリズムが生まれるのだが、このことに留意せず単語単位に捉われてしまうと、リスニングがなかなか捗らない。

一語一語切り離さない

このことはスピーキングするときにも、必ず守らなくてはならない事柄である。でないと一語一語ブロックを積み上げるように話すのでは、波としての英語の命であるリズムが消えて、ネイティブの相手にはなんのことやらさっぱり通じないことになる。

スピーキングのとき、句と句の間に多少の時間的空白があっても、俳優の笠智衆のように、句単位(音のひとまとまり単位)で、訥々(とつとつ)と繋げていく方が、一語一語ブロックを積み上げるように話すよりは、よほど優れている。こちらの方なら(波の性質が残っていて)ネイティブの相手に通じるのである。

したがって、いつもなるべく句単位(音のひとまとまり単位)で、リスニングやスピーキングをしようと努力しなくてはならない






ついでに、ここでスピーキングのための練習法として一つの方法を提案したい。それは自分の他にもう一人の人物を仮想し、自分とその仮想人物との間で英会話をやるのである。

一人二役のスピーキング練習法で、相手は自分の中の仮想人物だから、いつでも、どこでも、相手に気兼ねなく練習できる。暇な時にそうした練習をやるのである。会話の発展方向は任意で、気の向くままにする。これを「一人二役練習法」と呼ぼう。

この場合、むろん会話本に印刷されている一連の会話の丸暗記などは論外で、時間をかけてでも、自分でそのときそのときに作る英文でやるわけである。それが効率的だ。むろん、知らない、あるいはどうしても思いつかない単語・熟語・構文などは、和英辞書や関連本から得ながら、行う。

ただし辞書や関連本を参照するのは最後の最後でなくてはならない。できるだけ思い浮かぶ手持ちのものでなんとか表現しようと努力することが重要だ。そうすればどんな場合でもなんとか表現できる応用力がつく。



当然、最初に日本語の文章が頭に浮かぶが、たいていの場合、それを英語に直訳するのは難しい。だからコツとしては、英語の文章に変換するのに好都合な別の日本語の文章に置き換えて、それを英文にする。

別の日本語の文章に置き換える場合、むろん幾通りもありうるが、自分にとって英文に翻訳しやすい日本語の置き換え文(自分の得意の英文体に対応)を利用するのが近道。そのためには日々の練習によって「得意の英文体」をできるだけ多く自分のものとして積み上げておく必要がある。つまり使いこなせる構文や熟語文をどんどん増やしていくわけだ。

発話の際、単語や句についても、もとの日本語の単語や句にとらわれず、英文にした場合結局はほぼ同じ意味になる日本語の単語や句を探して使用する。たとえば「良いものはこれしかない」を、「これ以上良い物はない」「これが一番良い」「これが一番好きだ」「これに一番興味がある」「これが一番面白い」などなどと言い換えて、この中から自分が英文化しやすいもので、英文にするのである。



置き換えられた別の日本語の文章がもとの日本語の文章と完全には同じでなくても、つまり全要素が含まれていなくても、会話の流れの中でほぼ同じ内容であれば、それで良い。一文で言い尽くせなかった場合は、もう一文付け足せばよいのである。

こうした練習・習熟を通して一人二役のスピーキングが素早くできるようにする。英文化するのにどれほど好都合な日本文にどれだけ素早く意訳して置き換えられるかがポイントだ。いうまでもなく手持ちの「得意な英文体」が多いほど英文化すなわち英語表現の効率が上がる。

この場合、ギクシャク文でも良いから、とにかく文法的に見て相手に意味が通じる文章になれば、それで良い。作文力がつけばそのうちに自然な慣用表現も豊かに駆使できるようになる。

この方法で、トピックをあれこれ変えながら、ひとこと会話から長文会話まで、また単純な単語・構造の文章から複雑微妙な文章まで、少しずつレベルを上げていって、ついにはなんでもスラスラとスピーキングできるように努力するわけだ。言語など所詮は定型表現の集まりだから、慣れてくれば「置き換え翻訳」なしで心の思いを、直接、英語化できるようになる。

ところで、ときには一つの主文に、名詞句・形容詞句・副詞句や名詞節・形容詞節・副詞節を、(むろん文法に合う姿で)、いたずらに・可能な限り、どんどん付加してゆく練習をするのも良い。

すると意味もなくべらべらしゃべりまくるような、とんでもない無様な長文になっていくが、なんでもいい、ともかく長文化の能力が増すと、スピーキング力も増し、またその「長さ」が自信にもつながる。以上に述べた「一人二役練習法」をぜひ試して欲しい。



それからスピーキングの大事なポイントについて。

日本人は(在日も)、英語のしゃべり出しにいつもつまずく。その結果、外国人と話すようになるのを恐れ、そのような状況からなるべく離れようとする。

しゃべり出しに躓(つまず)くのは、文尾に述語がある日本語とは違って、英語では主語(S)のすぐあとに述語(V)が続くからである。これが日本人にはなかなか慣れづらく、それが理由となって、しゃべり出しで言葉に迷い、口ごもってしまうのである。つまり主語で言葉を始めたとたんに述語の文尾が来て強制終了するようなもので、当惑→惑乱するほかはない。ここを何とか突破しなくてはならない。「S+V」で終わる壁を突破して「S+V」をその後ろへつなげる訓練が必要だ。

後述するが、英語は「主語(S)+述語(V)」の後に中身が延々とぶら下がる「主語+述語+中身」の「干し柿構造」であり、日本語は文頭の主語と文尾の述語の間に中身を入れる「主語+中身+述語」の「風呂敷構造」なのだ。

しかし英語なるものをあまり複雑に考える必要はない。英語にはたったの五文型しかないのである。英語の全文章はこの五文型のどれかに属している。五文型と修飾部(形容詞と副詞の語・句・節)。これで英語は尽くされているのである。

たとえば、She is as tall as he. という as〜as の熟語構文も、She is as tall (彼女は・何かと同じほどに・背が高い)が文型の部分(S+V+C)で、as he (彼ほどに)の部分が付け足しの修飾部( is tall が省略された副詞節)である。as〜asのかたちで呼応する熟語だから文型部分と修飾部があたかも不可分のように一体化して見えているだけなのだ。



よくご存知のように、五文型は、S+V / S+V+C / S+V+O / S+V+IO+DO / S+V+O+C である。(Sは主語、Vは述語、Cは補語、Oは目的語、IOは間接目的語、DOは直接目的語)。

スピーキングのときはじめはこの五文型を強く意識し、そのうちのどれかを選んで、自分の言いたいことを表現しようと努力しなくてはならない。つまり
まず構文選択するわけだ。そのとき五文型の代表的な文章をそれぞれ5種類ずつ(都合25種類の文章を)自然に口に出るほどにまで完全に習得しておくのが良い。それを基盤に(単語を入れ替えたり、修飾語句を加えたりして)言いたいことを構成する。ただし完璧は要らない。完璧は結果なのだ。

スピーキング練習には実践がもっとも大事だから、はじめは文法も熟語も単語もどんどん間違っていいのである。間違うことで、それを正すことも効率的に進む。

そもそも英語を話す外国人の相手は、こちらの英語の完成度にあまり興味はなく、英語で話し合えるということこそが喜びなのである。私たちも外国に行けば、外国人の相手と日本語で話し合えるだけで嬉しく、相手の日本語が上手か下手かにあまり興味はないはずである。完璧さや完成度にこだわるのは読解主義に陥った誤った(失点を過度に恐れる)受験英語の後遺症なのだ。
心構えとしては「滅茶苦茶な英語でも無理やり外国人に食らわしてやる!」ぐらいの図々しさがあった方がいい。



五文型を見ると、英語は全て例外なく S+V で始まる。これは日本語では「〜が・・・する」「〜は・・・である」という部分を最初に言うことを意味する。

だからスピーキングのとき、しゃべり出しに躓かないためには、心構えとして、最初は(慣れる前は)、まず S・V (たとえば I love ) と最初に言ってしまうことである。すると選択した V の性質によって構文が選択され、五文型の中の一つが自動的に選ばれてくる。こうした訓練で「S+V」で終わる壁を突破して「S+V」を後ろへつなげる作業に慣れようというわけである。

つまり何も付け加えないか、+Cにするか、+Oにするか、+IO+DOにするか、+O+Cにするかが決まるので、それらを付け足す。そのあとで、あれこれの修飾語・句・節を付け加えるのである。このとき習熟しておいた五文型の15種類の文章が大いに助けてくれる。

むろん可能な限り全体をあくまでリズムの中で、句単位・音のひとまとまり単位で話そうとしなくてはならないから、「S・V を最初に言ってしまう」とはいっても、それでいつまでも S・V のところでリズムが止まってしまうのではいけない。

慣れてくれば S+V に続く部分の選択(五文型の選択)も、V を選択した瞬間に一続きのものとして(容易に・自動的に・無意識に)行えるようになり、文章全体がリズムのなかで話せるようになる。



たとえば授与動詞として give や lend を選んだ瞬間、自動的に、「〜を・・・に」という姿の第四文型( S+V+IO+DO )になるし、seeや hear などの感覚動詞を選んだ瞬間、第三文型( S+V+O )か第五文型( S+V+O+C )のどちらかになるし、使役動詞として let や get や make や have を選んだ瞬間、第五文型( S+V+O+C )になるからである。

むろん love や hate などを完全他動詞として選んだ場合は第三文型(S+V+O)に、不完全自動詞として be動詞 / become / remain / seem / appear/ feel / lookなどを選んだ場合は第二文型(S+V+C)に、go とかcome などを完全自動詞として選んだ場合は、第一文型(S+V)になるわけである。

ちなみに goやcome は wild や true などの主格補語を取って go wild や come true のように不完全自動詞にもなるし、love や hate もたとえば I hate you to behave like that. などのように目的格補語をとって不完全他動詞にもなる。

一般に同一の動詞でも用法によって完全・不完全の自動詞や他動詞になるので、固定的に考えてはならない。同じ動詞が自動詞にも他動詞にもなるわけだから、それを使ってなんとでも表現できる道がある。



とりあえず「 S+V を最初に言ってしまう」ということを強調したかったので上記のように書いたが、本当は最初の S+V を言う前に五文型のどれかを決めておくのが良い。それは V を決めることでもある。 V を選択すれば文型も選択される。

こうしたスピーキングのとき決して相手の速度に合わせる必要はない。ゆっくりでも良い。句単位・音のひとまとまり単位で話せれば必ず相手に通じる。相手の話が分かり、ゆっくりでも自分の話が相手に通じれば、それで立派な英会話なのだ。

むろんすらすらと話すことができればそれに越したことはないが、それは必ずしも「必要だ」というほどのものではない。そんなことは英会話の経験の量がいずれ解決してくれる問題だ。



とにかく、心構えとしては、いずれかの文型を完成することで「S+V」の壁を突破して文章(言葉)をその後ろへつなげることを意識しながら、しゃべりはじめにまず S・V と言ってしまわなくてはいけない。日本語的にはちょっと違和感があっても、、まず最初に( I love )と言ってしまうわけである。

この( I love )が意味をなすためには、当然、V である love の目的語が必要になるから、そのあとに、たとえば「その女性」( the woman )を置く。すると第三文型(S+V+O)の、

I love the woman.

となる。その女性が美しければ、形容詞の beautiful を名詞 woman の直前に置いて、I love the beautiful woman. となるわけである。

むろん私たちとしては日本語と同じく、「私は・その美しい女性を・愛している」という順序で、I the beautiful woman love. というように言えれば、こんな嬉しいことはないが、それでは英文にならない。英語は S+V に基づく五文型の順序が命なのである。

というのも、英語では名詞に格変化がなく、しかも日本語の「は」「が」「を」「に」のような助詞もないので、五文型とそこでの順序でしか主格や目的格を示せないからである。



文型の部分が済めばあとは修飾部しかないが、英語では数語を越えざるを得ない説明的な形容詞的修飾部は(基本的には)それが掛かる名詞のすぐあと句や節で付け加えることになっているから、

その女性がどういう女性かを修飾するために、たとえば「その人は花屋を経営している」( who runs a flower shop )という関係代名詞( who )を使った形容詞節を、そのあとに付け加える。すると、

I love the beautiful woman who runs a flower shop.

という文章が簡単に口から出るようになる。


ところで、私たちとしては日本語的に、「花屋を経営している女性」という順序で、「女性」の直前に「花屋を経営している」を置いて修飾したいのはやまやまだが、とくに「を・・・する」というように目的語(上の例では「花屋」)を伴う他動詞(上の例では「経営している」)を形容詞的修飾部に使う場合、英語では普通基本的にはそれができない。 

だから、たとえ語りたいのは「女性」という部分でも「美しい」という部分でもなく「花屋を経営している」という部分ではあっても、 love の目的語として、 I love の直後にポンと何の修飾語もない the woman をまず置き、必要なら woman の直前に簡単に beautiful や charming 程度の形容詞を一つ引っ掛けておく。これがコツである。

そして本当に語りたい部分である「花屋を経営している」という説明的な長い形容部分は、(我慢に我慢を重ねて後回しにし)、句や節として、その woman の直後に置く。感覚としては本体(the woman)をまず一語で提示しておいて、次にそれを後ろから who runs a flower shop などと説明的に修飾するわけである。



五文型以外は全て修飾部だから、それらは上と同じように、選んだ文型のあとに、どんどん継ぎ足して、繋いでいけば良いだけである。

もし花屋が「公園の前にある」( in front of the park )のなら、それをさらにあとに加えて、

I love the beautiful woman who runs a flower shop in front of the park.

とし、

さらにその公園で多くの少年たちが毎日遊んでいるのなら、「そこで多くの少年たちが毎日遊んでいる」( where many boys play every day )という関係副詞(where)を使った形容詞節をさらにそのあとに付け加えて、

I love the beautiful woman who runs a flower shop in front of the park where many boys play every day.

とし、その遊びが「野球」なら、play のあとに baseball を付け加えて、

I love the beautiful woman who runs a flower shop in front of the park where many boys play baseball every day.

とする。

このようにして形容詞句・節や副詞句・節をどんどん付け加えていくのである。英語はそれができる構造であり、またそれしかできない構造なのだ。



英語のことがよく分かるためには日本語との本質的な相違点をよく把握することが大事である。その最大の相違点がこの五文型であり、とりわけ S+V なのだ。英語の全性質はこの S+V によって決定されていると言っても過言ではない。

これはいわば英語の「干し柿構造」を作っている。英語では S+V に、五文型の全て、言い換えれば( +  / +C / +O / +IO+DO / +O+C )がぶら下がっているだけでなく、すでに見たように、全ての修飾部も干し柿のように S+V を含むこの五文型のそれぞれに、継ぎ足し継ぎ足しで、順々にぶら下がっている。

ちなみに英語が「干し柿構造」なら、最初に主語があり、そのあとにあれこれの内容があって、最後に述語で締めくくる日本語は、最初の主語と最後の述語で文章の中身を包む「風呂敷構造」だと言える。

だから S・V とまず最初に口に出そうとする心構えは、「中身を入れずに風呂敷を結んでしまって、そのあとにどうにか中身をその風呂敷に順々にぶらさげて持って行こうとすること」を意味する。すると英語の干し柿構造にしかならないわけである。

むろん上で、「ときには一つの主文に、名詞句・形容詞句・副詞句や名詞節・形容詞節・副詞節を、(むろん文法に合う姿で)、いたずらに・可能な限り、どんどん付加してゆく練習をするのも良い」と述べたのは、英語のこの根本性質を踏まえてのことである。



ところで、ついでにいえば、そのときそのときの思い・感覚・感情を言語として表したものがスピーキングだと言える。それゆえスピーキングにはなによりもまず語ろうとする内容の根底にある感じ方(feeling)=(思い・感覚・感情)が大事である。その感じ方が英語の場合すぐさま顔の表情やジェスチュアーとなる。ネイティブの真似・成り切りができれば、スピーキング習得にとって非常に有効だ。

たとえば「できる」という思い・感覚・感情があるとき、ネイティブはそれを can で表現し、「かもしれない」という思い・感覚・感情があれば、それを may で表現するが、 can という語を口に出すときネイティブと同様私たちの心の中は「できる」という思い・感情・感覚で充満していなくてはならない。同じく may の場合は「かもしれない」という思い・感情・感覚が心に満ちている筈のものである。そういう思い・感覚・感情が can や may などなどになる。

これは助動詞だけでなく、あらゆる単語についても言える。たとえば同じような意味の単語でも話者がAを選んでBを選ばないのは、AとBに対する話者の feeling (思い・感情・感覚)が異なるからに他ならない。


こうしたことは時制についても言える。たとえば過去形は「話者」と「話される事柄あるいは相手」との間の「距離」が feeling されている。

過去形はまずは「話者の現在とは無関係な完了事実」を表すものであり、「話者」と「話される事柄」との間の「距離」が feeling されている。したがって話者は済んでしまったいわば(化石化して変更不能な)死んだ過去の事柄について、単に客観的に、あるいはよそよそしく語る。だから過去の事実や事柄について話者がこうした客観性やよそよそしさに心を支配されている場合、それがネイティブによって過去形として表現される。

過去形には「推量」や「仮定」や「願望」などを示す機能もあるが、これは「事実性からの距離」を意味している。また過去形には「丁寧」や「婉曲」を示す機能もあるが、これは「相手との距離」を意味している。

こうして過去形には話者からの「距離」が中心感情・中心感覚としてある


今度は現在完了を見てみよう。(「現在と無関係な完了事実」を表す過去形とは異なり)、現在完了」は「現在と関係のある完了事実」を表す。だからこそ現在完了形は現在形の have( has ) と過去分詞とでできている。have( has ) + p.p. の have( has ) は現在と関係していることをその現在形で示し、過去分詞 (p.p.) は完了事実と関係していることをその過去分詞形で示している。

たとえばよく知られているように現在完了には「完了」「結果」「継続」「経験」の四機能があるが、「完了」は「ある事柄が完了して現在こうなっている」という感覚・感情が込められていて同時に(現在の)「結果」と通じているし、「継続」も「以前から現在までずっと続いている」という感覚・感情が込められている。「経験」には「かつての経験がこのように現在話題や関心事になっている」という感覚・感情が含まれている。

「現在完了」はこのように「現在」と関わっているので、よそよそしい感覚・感情でなく、話者の現在の生々しい感覚・感情と直結している。つまり過去について語りながらそれが今の状況に関連していて心が触発される場合、話者は現在完了形を使わざるを得ないわけである。それが「完了」「結果」「継続」「経験」の四機能となって現れている。


したがってまず自分の心の中をそれぞれの feeling で満たし、その feelingを言葉にする姿勢がスピーキング習得にとって肝要であり、その近道はネイティブの真似や成り切りであって、それには顔の表情やジェスチュアーから入るのが良い。

ほんの一例として、

I can と言う場合、まず心の中に「わたしはできる」という思い feeling を充満させる。
次に、I can sing (「わたしは歌える」)、I can sing Amazing Grace (「わたしはアメイジング・グレイスを歌える」)、I can sing Amazing Grace in this hall (「わたしはアメイジング・グレイスをこのホールで歌える」と段階を重ねて進み、それぞれの思い feeling を充満させる。

このとき頭の中に先に言葉があってはならない。まず思い feeling があり、それを言葉として同時に表出させる。思い feeling が言葉となってあふれ出るようにすると言った方が良いのかもしれない。

最初の I can は「できる」という思い feeling の表出訓練で、「できる」という思い feeling が生じたら自然に口から「 I can 」が出てくるようにする練習だ。 I can の次は sing や Amazing Grace など次々に単語を継ぎ足して、同様に表出訓練する。すると前段部分の習熟が進んでゆく。

ここでは can のケースで述べたが、いろいろな助動詞や時制や態や法などでも訓練する。複雑な文章など要らないし、英文法の全てをカバーする必要もない。ある程度進むと慣れてきて、だんだん思い feeling がそのまま言葉として表出できるようになってゆく。

一見原始的で遠回りのように見えるこの feeling 充満表出法こそが、言葉というものの本質に適った最善最短のスピーキング習得法といえよう。むろんネイティブの成り切りもお勧めだ。小中学校の授業でもこれを実践してほしいと思う。



この feeling 充満表出法とはほとんど無関係であるが、大人にとって手っ取り早いのが日常よく使われる定型表現を40〜50ほど丸暗記して、その骨格部分を使いこなせるようになるまで訓練すること。非常に効果的で、これで日常英語のスピーキングの多くをカバーできる。これにはそれほど時間はかからない。ようするに「やるか、やらないか」である。何をどう話すかは話者の自由なので、これらの定型表現などを駆使して自由にスピーキングする。


ちなみに日本語の住所表記と英語の住所表記を比べてみると、たとえば東京スカイツリーの住所、

  東京都 墨田区 押上 1−1−2 は、

   1- 1- 2, Oshiage, Sumida, Tokyo

となる。両者は全く逆の順序。日本語では大域から小域へと進むが、英語では小域から大域へと進む。つまり英語は小状況である中心から大状況である周辺へと広がってゆくように順序が構築されているわけだ。同心円の中心から外側へどんどん広がってゆくようになっている。

これは五文型でも全く同じで、中心の主語→主語の動態→動態の状況や対象→程度や場所や時や理由などなど、という順序となり、構文は核心となる中心から周辺へとだんだん広がってゆく。これが英語意識の神髄なので、聴くときも話すときも(むろん読む時も書く時もそうだが)いつもこれを意識して、(最初は両手を広げながらでもよいが)中心から周辺へ、核心となる小状況から周辺の大状況へ、意識を広げてゆきながら実行することが上達のコツになる。






さてここで元のリスニングの話に戻すと、私たちが日本語を聞くとき、無意識に、気づかずにやっているこのような(あるいはこれに似た)過去への構想力と未来への予想力によるカバーを、英語のリスニングの時には、非常に意識的に、やらねばならない。

日本語を聞く場合は構想力予想力が無意識に働くから、あたかも現在に対する即応力、つまり(2)のリアルタイムの反応能力だけで聞いているように意識されてしまうのだが、これは英語のリスニングにおいて、いずれ構想力と予想力の機能が無意識に働く水準にまで至らねばならないことを意味している。

そのためにも意識を集中した日々の練習によって、この三つの能力をそれぞれ高めていかなくてはならない。それとともに、それら三つの能力を同時に総合的にリアルタイムで機能させる意識的な練習も必要である。



この場合、

●最初は先に述べた(述語動詞の確定)→(主語 - 述語動詞の確定)→(構文確定)の方法から始め、

●次に上の She heard her name called (S+V+O+Cの方法や

●「前から意味取りする(2)の即応力」と「後ろから意味取りする(1)の構想力」を総合した「一区切り・行変え・数語句しっかり和訳法」で訓練し、

●さらに英語の語順や構文に慣れるために、スピーキング的な練習法も応用すると良い。頭の中に自分の作った文章のイメージがあれば、リスニングの際にそれに合わせて素早く意味取りが出来る。作り慣れ、使い慣れ、話し慣れた文章のタイプが頭の中に多くあるほど効率が良い。

●その応用の一つだが、相手の英語を単に聞くのでなく、頭の中で、相手の英文を、相手と同時に、相手と一緒に、英語の文章として構築してゆくという姿勢が必要だ。むろんそれには相手の言う意味をある程度予想していなくてはならないが、しかしそうした意味上の予想よりも、むしろ英語の文章としての完成、つまり文法構造的な予想・完成への姿勢の方に重点がある。

(ちなみに、予想能力が向上してくると、「予想」は、より自信に裏打ちされた能動的な「期待」となってくる。「期待」は一種の「待ち構え」で、待ち構えできるほどなら大したもの。日本人が日本語を聞く時にはむろん無意識にいつも待ち構えが行われている)

これを「同時文章構築式意味取り法」と名づけよう。これは心をノート(帳面)にした観念による dictation (書き取り)とも言えよう。リスニングにおけるdictation (書き取り)の役割は大きい。

ともかく相手と同時に、相手の英文を、相手と一緒に、文法的に構築・完成してゆく姿勢が効率的である。そうすると、相手の文章がよく見えてき、その言わんとする意味もはっきりしてくる。この姿勢を「意味の先読み」と平行して鍛錬するのが良い。

●また英語ニュースにヘッドラインから始まる特有の順序があるように、ニュースを含め、英語の各トピックに特有の「起承転結」の順序にも慣れる必要がある。この起承転結の枠にすっぽりはまると、(意味の先読みが出来て)、驚くほどすいすい理解できるようになる。

●日本語で「ナンテンデー!」と聞いても、これが「何言ってやんでイ!」とちゃんと聞こえるように、英語でもこのようなケースにしょっちゅう遭遇する。また片岡知恵蔵の多羅尾伴内そっくりに、何か英語でブツブツ言っているように聞こえるだけなのに、アクセントや抑揚に注目するだけで一語一語はっきり聞こえるケースもある。こうしたケースは相手のリズムと合うだけで聞こえてくることがある。

その他にもあれこれ方法はあるだろうが、そうした練習を通してリアルタイムのトータルな意味取り力を増大させていけば、いずれ構想力と予想力の働きについてはあまり意識せずに、ほとんどリアルタイムの即応力だけでやっているかのように、なんの苦もなく、相手の話す英語の「音」と「意味」が、全部、聞き取れるようになる。



これまで述べたことを要約的に表現すると、@に最大の重点、Aに次の重点が置かれるという意味で、意識の重点移動が@→A→Bになるとすれば、リスニング(音を聴き取ってその意味を把握すること)の完成のためには、

第一段階・・・@音の聴き取り、A文法構造的予想完成、B意味取り
第二段階・・・@文法構造的予想完成、A音の聴き取り、B意味取り
第三段階・・・@文法構造的予想完成、A意味取り、B音の聴き取り、へと移動していき、最後には、
第四段階・・・@意味取り、A文法構造的予想完成、B音の聴き取り、に向かう必要がある。

むろん音の聴き取り(ヒヤリング)の基本は「同時追尾模写式観念音シャドーイング」であり、文法構造的予想完成の基本は「同時文章構築式意味取り法」であり、意味取りの基本は「一区切り・行変え・数語句しっかり和訳法」である。

音の聴き取りが第一段階から第四段階に移るにつれて@→A→B→Bになってだんだん意識の重点から外れていくのは、それがすでに他の二つと比べて習得が進んでいるからだ。むろん意味取りがB→B→A→@となるのは、それが獲得されねばならない最終目標だからである。



そういうわけで、最後の第四段階の場合、意味の予測・追求・構築(意味取り・意味把握)に最大の重点を置き、同時に文法構造的予想完成に二次的な重点を置きつつ、そういう立場から、音の聴き取り力の強化・完成までカバーしようということになる。結局これは意味取り・意味把握の努力(意味の予測・追求・構築)によって音の聴き取りや文法構造的予想完成を補完・強化・完成しようとする姿勢でもある。

いうまでもなく(文法構造的予想完成能力や音の聴き取り能力が高まり)相手の話の意味がある程度把握できるようになると、逆にまた文法構造的予想完成能力も音の聴き取り能力もさらに高まっていく。

たとえば話の展開(話者の文章の意味)がある程度見えると、文章の構造や単語の意味も見えてくるし、そのことによって文法構造的予想完成能力や音の聴き取り能力も成長してゆくのである。そしてそれがまた意味取り能力を増大させていく。

だから第四段階では、極力、「一区切り・行変え・数語句しっかり和訳法」を利用しつつ前から各一区切り(各行)の意味処理を次々に済ませて前進し、こうした意味の予測・追求・構築(意味取り・意味把握)の努力によって話の展開(話者の文章の意味)を読み取ろうとする努力が必要だ。意味を読み取ろうとしながら、同時に文法構造的予想完成や音の聴き取りなどをしようということである。それがさらに(よりはっきりと)意味を読み取らせてくれる。



ちなみに(蛇足かもしれないが)、

第一段階では音の聴き取りに最大の重点を置いて主にそれを鍛錬しつつ、同時に文法構造的予想完成能力や意味取り能力の潜在的な底上げを行い、

第二段階では文法構造的予想完成に最大の重点を置いて、第一段階である程度獲得できた音の聴き取り能力をさらに高め、そのことによって意味取り能力の底上げをし、

第三段階では、同じく文法構造的予想完成に最大の重点を置きながら、第二段階でその能力が底上げされた意味取りに二次的重点を移しつつ、同時に音の聴き取り能力をさらに高め、意味取り能力を一層発展させる。



ここでついでに言及すると、もし音の聴き取りが完成し、同時に相手の文章の文法構造が完全に予想完成できれば、「同時追尾模写式観念音シャドーイング」と「同時文章構築式意味取り法」の二つだけでもリスニングはほぼ完成できる。

また、同じくもし音の聴き取りが完成し、同時に「一区切り・行変え・数語句しっかり和訳法」が数語句を越えて一区切りあるいは行全体に及ぶほどに完全なものであれば、「同時追尾模写式観念音シャドーイング」と「一区切り・行変え・数語句しっかり和訳法」の二つだけでもリスニングはほぼ完成する。

しかしリスニングの訓練途上ではこれら三つはすべて未熟状態なので、「同時追尾模写式観念音シャドーイング」と「一区切り・行変え・数語句しっかり和訳法」と「同時文章構築式意味取り法」とが、(音・意味・両者を結びつける文法構造それぞれに対する把握方法として)、おのおの未熟なまま相互依存的に必要になるわけである。



ところで、意味取りするとき頭の中でどのようにイメージ表現してそれを掴み取ろうとすれば良いのか? それについては(各人の水準によって例外はいくらでもあるだろうが)一応、基本姿勢としては、第一段階では日本語化(翻訳)して、第二段階では日本語化を主、英語化を副とするハイブリッドT法で、第三段階では英語化を主、日本語化を副とするハイブリッドU法で、第四段階では最終的には英語化(英語のまま)で、という大まかな姿で良いだろう。

むろん私たちはいつも心の中のイメージを言葉として表現している。イメージは「感覚のイメージ」だけでなく因果関係のようなより抽象的な「事柄のイメージ」もある。視覚イメージについては、たとえば食卓の上にリンゴ一つが見えれば、それを言葉で「 an apple on the table 」と表現する。

これは「イメージ→言葉」という方向だ。どのイメージも言葉となって話されると必然的に一語一語の時系列になり、リスニングする者は相手のこの時系列に従わざるを得ないが、相手の心の中にまだイメージとしてあるときには明瞭な一つの同時的な塊りになっている。

相手のこの同時的な一塊のイメージを、相手の時系列的な言葉を通して、自分の心の中に自分なりに再構築して把握することこそリスニングの核心だから、リスニングは(先とは逆の)「言葉→イメージ」という方向になる。

「分かった!」という感覚は部分化された全体が一つに繋がった瞬間の感覚であり、それは話者によって時系列的に線状に部分化された意味(言葉)が、聞く者の頭の中で元の立体的全体(イメージ)としての「意味の塊」に繋がった場合にも生じる。そういうわけで日本語化とか英語化といってもそこにとどまるものでなく、そうした言語化以前の、自分なりの「イメージの塊り」に至るものでなくてはならない。

そうしたイメージ化を長句・短文・節など改行法における各行単位でやってゆく。時系列的な言葉だけに頼っていると必然的に意味処理が遅れてしまうので、どうしてもイメージ化して同時処理的に意味取りしなくてはならない。

いずれはすでに積み上げられた言葉の集積(意味の塊/イメージ)に、次々と立ち現れる言葉(意味)が、(それが聴こえた瞬間に)、あたかも文章構造的に・意味構築的にそう予想していたかのように、(すなわちあたかも待ち構えていたかのように)、うまく文章としてつながってゆく。同時文章構築式の集中した意識によって音の最前線で次々と文章がうまく構成でき、はっきりした英語の文章が成立する。それは意味のイメージがうまく次々と具体的に形成されてゆくかのような感覚だ。

たとえば上記のように、第一段階は日本語化、第二段階は日本語化が主、英語化が副、第三段階は英語化が主、日本語化が副、第四段階は英語化(英語のまま)という場合、日本語化はそのまま意味化あるいはイメージ化でもある。日本語にできれば意味が分かる。

ただし全部日本語化していては遅れてしまうので、そこに第二段階で英語化が副として付く。この第二段階の英語は始めはまだまだ意味やイメージに繋がらない単なる言葉(音の響き)に近い。これを私たちが日本語の音を聞いたときに湧きあがるイメージのようにしなくてはならない。

第三段階では英語化が主、日本語化が副だが、このときの英語は半ばは意味化し、半ばは単なる言葉(音の響き)のままであり、副の日本語化(意味化)と併せれば、全体として相当イメージ化してくる。最後の英語のみの第四段階では最終的には英語が全て意味化できて、イメージ化が完成する。むろんこれらの四段階をたどるとき相手の文章を正しく再構成できる程度も同時に進化する。



以上に述べたやり方を、「先乗り気分の・下り坂・同期・意味取り方式」と呼ぶことにしよう。したがって英語のリスニングの基本は、「同時追尾模写式観念音シャドーイング」と「同時文章構築式意味取り法」と「一区切り・行変え・数語句しっかり和訳法」を踏まえた「先乗り気分の下り坂同期意味取り方式」である。四つの段階に共通するその基本指針をチャート化すると以下のようになる。



観念音シャドーイングしながら、

相手とともに相手と同時に文法的に文章構築しつつ、

長句・短文・節ごとに改行して、指で行をなぞり、行ごとに意味処理して、各行をこなしてゆく

 






あとは数百ある縮音や変音の細目のうちの代表的な百ほどをマスターできれば、ほとんどの英語放送も聞き取れるようになる。

たとえば速く話される場合、語尾の子音と語頭の母音とが結合すること、

子音どうしについても、前後の単語で同じ子音系が続くとき、そのうちの一つが脱落して大抵の場合そこにその分の一瞬の音の空白が入ること、また、前後の単語で異なる子音系音が続くとき前方の子音の音が脱落するが、この場合も大抵はその分の一瞬の音の空白が入ること、

さらに、語尾の b ・ p / d ・ t / g ・ k が省略されるケースがあるが、その場合も多くの場合その分の一瞬の音の空白が入ること、

( of は a と発音されることが普通だが、稀にその分だけ一瞬の音の空白になって完全に発音されないというようなこともある)

「t」系音(d ・t)がたびたび省略されてしまうこと、とくに母音に挟まれた nt のt。(international は「イナーナショノー」、 environmental は「エンヴァイアロメノー」、percentage 「パーセニジ」、percent of 「パーセノヴ」)、

また母音間にある場合には「ラ」行系の発音になること(例えば宣伝文句の get it at Shop Japan は「ゲリラッ ショップジャパン」、but I は「バライ」、that I は「ザライ」、『アナと雪の女王』のlet it go は「レリゴー」)、

また、 I got to を「アイガラ」、I want to を「アイウォナ」、I don't want to を「アイロンウォナ」、I'm going to を「アイムゴナ」、 I'm not going to を「アイムナッカナ」と発音すること、(これらは「 to +動詞」の形)

さらにまた、 to のあとに子音ではじまる動詞が来る場合、have to は「ハフタ」、 has to は「ハスタ」、 had to は「ハッタ」と発音し、母音ではじまる動詞が来る場合、 to部分は「タ」でなく「トゥ」(tu)と発音すること、 

それに(マクドナルドじゃないけれど) I'm loving it の場合、g を鼻から抜いた瞬間に n を it に続けて「アイムラヴィニトゥ」と発音すること、



また、「n」音のあとの (will や was や were などなど)語頭の w は「m」音のように聞こえること、(たとえば spiderman will は「スパイダーマンムィル/スパイダーマンモル」、and were は「アンモア」、Why don't we は「ワイロンムィ」/「ワルミ」などなど)、

語頭語中のl(エル) が「w」音や「v」音や「m」音や「n」音や「g」音になる場合があること、(たとえば It sounds like ridiculous,などの sounds like は「サウンズイク」となり、He treated me like a child. の like は「イク」になる)

文頭の and や I などの前に(語り手の調子を含ませた)「m 」音が付いて「マンド」や「マイ」などという発音に、また after や I などの前に「n」音が付いて「ナフター」や「ナイ」などという発音になる場合もあること、

また、in this(イニス)case/ in that(イナッ)case/in their(イネア)case /and then(アネン) などのように「n」音の次のこうした場合のthは半ば透明化して「n」音になること、また in the(イナ)futureなどのような場合に the は「ナ」となること(したがってin the と in a とは区別がつかない)、

また、たとえば county が(tは省略)「キャウニー」、community が「キョミューナリィ」と発音されるように、co が「キャ」や「キョ」の発音になる場合があること、

「s」音の次に語頭の y が来ると (たとえば this year が「ディシュイヤー」となるように) s は「シュ」となること、that she は「ザッチー」、wanted to は「ウォニド トゥ」、語尾のt, d, th のあとのthanは促音便化の影響を受けて「ツァン」(つぁん)、What should we は「ウアッチュウィ」となること、

can は kin 、and は n (ン)、 or は er 、to は母音の後で da 、「going to +名詞」の場合の to は ta 、for は fer になること、

また、he  his  him  her  them の語頭の h あるいは th が省略されて、それぞれ e  is  im  er  em になること、

(たとえば tell him → tell'im テリィム / tell her → tell'er テラー / tell them → tell'em →テレム / get them → get'em ゲレム / want them → want'em ウォム。

他方、 want he → want'e ウォンティ / want him → want'im ウォンティム / want her → want'er ウォンター となって、このケースではたいてい直前の nt の t は省略されない)

などなどである。



また一般に注意すべきは、速く話す話者のリズムの中でアクセントの位置が辞書にある本来の位置とは違ったところに移ることがままあることである。こうした場合、多くは全く別の未知の単語のように聴こえてしまう。アクセントを除いたいわば中和した音はよく似ていて、聴いたままのアクセントでは意味が通じない場合は、そのケースではないかと推量することも必要だ。

また話の流れの中で自然にどの単語か分かる場合、ときおりその単語の音の特徴だけを口に出して済ますこともある。一例として、I can remember hearing that...の remember が「ウエンワー」と発音されても、前後の単語がしっかり発音されていれば、ネイティブの相手に通じてしまう。

縮音・変音・アクセント移動・抑揚変異・特徴(簡略)化などなどによる変則発音に惑わされないためには、意味から判断することも要求される。全体の意味から判断すれば選択肢が限られてきて、それだけ惑わされることが少なくなる。



縮音・変音でリスニングに躓き、英会話をやめてしまうケースが多い。私もはじめのうち、「英語の発音はドイツ語・スペイン語・イタリヤ語などと違ってなんと無節操で滅茶苦茶なのだろう!」といたく腹が立ったものである。しかし縮音・変音の決まりをマスターしさえすれば、これはなんでもないことなのだ。是非、代表的な百ほどは整理してマスターしていただきたい。

本当のところほとんどの縮音・変音を網羅する「数十の文章」を、ネイティブの発音でネイティブの速さで、発話できるようにひたすら訓練するのが最も望ましい。その際、文章の内容に沿った情景に自分を置いて、感情を込めて、成りきって、発話する。これを日ごろのシャドーイング練習と合わせて実践する。自分がネイティブ通り発話できるので、ネイティブの相手が何を話しているか一語一語はっきり聴き取れるようになる。

そもそも英語が聞き取れないのは自分の発音とネイティブの発音が違っていてネイティブの発音が分からないから。自分の発音とネイティブの発音が似てくればくるだけ、そのぶん聴き取れるようになる。この縮音・変音の方法はリスニングとスピーキングの両方の習熟にもなっている。

この「数十の文章」が、五文型の代表的な文章をそれぞれ5種類ずつ(都合25種類の文章を)自然に口に出るほどにまで完全に習得しておくとして、以前、発話関連で述べたた25個の文章(具体例はない)であれば、五文型の発話習熟とリスニングとスピーキングが一気に総合的に習熟していくことになる。

この25個の文章を整理して本サイトに表示し、一文一文構造分解して(同じ文章の発音が通常速・高速・超高速の三段階でそれぞれどう変化するか)ネイティブ発音で聴けるようボタンなどを設置し、それを皆さんがひたすら訓練することができれば、と願っているが、残念ながら当方の技術的な未熟のゆえに実現できないでいる。読者には可能な限りシャドーイングと合わせて縮音・変音のこの方法をご自分で実現し、実践していただければと願っている。

リスニングは遅々と進んであまり捗らないように思えるが、「ある量をこなすと、突然、一段進歩する」ということが起きるので、ともかく日々練習することである。ある日、突然、「今まで聞き取れなかったのが聞き取れた!」という嬉しい体験を何段階もすることになるだろう。

さて、むろん日本語を聞いているとき私たちが決してシャドーイングなどしていないように、最後の最後はシャドーイングなしに聞き取れるようにならなければならない。先に「リスニングが完全にできたということは有音のシャドーイングができたということである」と述べたが、実はリスニングの完成はシャドーイングの無用化にある。つまりシャドーイングはいわば「橋」であり、向こうに渡ってしまえば、もう「橋」は要らないわけである。




ところで、リスニングの完成とは即応力によって「前から聞けること」であるが、そもそもスピーキングは前からしか話せず、したがって「話せれば、前から聞ける」から、ここで(前からしか話せない)スピーキングの能力が重要になる。話せる文章は当然のことながら聞くことも出来る。

さらにスピーキング能力にとっては「(日常の単純なことを)英語で考えることができる能力」が大事だ。英語で考えることができるなら(前から)話せるし、(前から)話せれば前から聞けるわけである。

とどのつまり「英会話は中学英語が自由自在に素早く話せればほぼ完成だ」と言って良い。ネイティブの会話も、たいていの場合、この程度のことが非常に素早くやり取りされているだけなのだ。誤解を恐れず極論すれば「高校英語は英論文用で、中学英語が英会話用だ」と言っても良いくらいだ。

したがって、リスニングのためにもスピーキングのためにも英語で(中学英語で)ものを考える習慣と努力が最重要だ。

童話・児童小説など、翻訳せずに英語のまま読める中学英語レベルのやさしい文章を(繰り返しも含めて)たくさん読むということも、英語でものを考えるのに慣れるための良い方法である。翻訳が必要な高校英語レベル以上の文章では、いくら読んでも(翻訳が介在してしまい)英語でものを考える能力は身につかない。

テキストとしては Drippy やHarry Potter シリーズや The Lord of the Rings シリーズや The Chronicles of Narnia シリーズも良いし、たとえば一例として Yahoo!Japanサイト左欄にある「Yahoo!サービス」の「一覧」→『世界のYahoo!』→「アメリカ」をクリックしてアメリカのYahoo!サイトに移り、 ” fairy tale ” と入力して検索しても無料のものが数多く見つかる。

そして、さらに、常日頃、一人二役練習法でスピーキングの練習をしながら、英語で(中学英語で)ものを考える習慣を培い、その能力をどんどん高めていくことである。





シャドーイングの練習は、まずはネイティブの話す比較的短い文章からはじめるのが良い。それにはNHKの各種ラジオ英語教育放送を利用すれば良いだろう。

自分の水準に合うNHKのラジオ番組からスタートすればいい。そして次第に少しずつ長い文章のシャドーイングに進み、最後には英語放送、できればインターネットで利用できる英米のラジオ放送(たとえばアメリカのVOANPRなど)でシャドーイングを完成する。

VOAは海外向けの Voice of America (http://www1.voanews.com/english/news/)のことで、都合の良いことにスクリプト付きのナレーションが聞ける。そのTOPページの(Learning English)をクリックすると、学習用のゆっくりしたナレーションとそのスクリプトも手に入る。スクリプトの中のインタビュー部分はナチュラルスピードなので、初級者だけでなく中級者にも利用できる非常に有用なサイト。全体として相当高度なリスニングの学習も望める。非常に有効なので初級段階からも大いに活用してほしい。なによりも教材費無料のリスニングの勉強ができるのがうれしい。

NPRはアメリカのNHKに当るラジオ局 (http://www.npr.org/)で、National Public Radio のこと。NPRではイギリスのBBCニュースも頻繁に放送されていて、VOA同様、アメリカ英語だけでなく、イギリス英語にも触れることができる。NPRには残念ながらVOAのような(教材を意識した)完全なスクリプトはない。しかし外国向けでない本場の生の英語が経験できる。リスニングの完成を目指すサイトの一つとして利用できる。

これらを順を追って確実に登ってゆき、およそ半年でVOAやNPRの多くのプログラムがほぼ90〜100パーセント聞き取れるようになるには、毎日少なくとも一〜二時間の、精神を集中したシャドーイングの練習が必要だろう。そして単語単位でしっかり聞き取れるようになるまで、「先乗り気分の下り坂同期意味取り方式」のもとで「同時追尾模写式シャドーイング」のあの三段階を登ってゆくことである。

さらにまた、語彙や熟語を豊かにし、かつ英語的な表現法に慣れることでシャドーイングの水準を高めるためにも、インターネットの「 THE NEW YORK TIMES 」などの記事を、声を出してあたかもネイティブに染まってしまったかのように、なるべくネイティブの発音を真似てできるだけ速く読むのが良い。あとは実践あるのみだ。



ところで、中級段階のシャドーイングの練習には、自分の好きな旧作のDVD映画を「7泊8日レンタル」で借りてきて、パソコンで再生する次の方法も良い。

すなわち、字幕に英文を選び、オーディオを英語にしておく。そして字幕に英文が出た瞬間に一時停止して、まず画面上の英文を(辞書も使って)読解し、それから再び動かして、今度は英文の字幕を見ながら映画の実際の音を「観念音シャドーイング」で聴くという練習をするのである。

「巻き戻し」ボタンを使って何度も同じ場面を繰り返して練習する。速すぎて到底ついていけない最も困難な場合は、一文ずつ別に録音し、スピードを スローやノーマルに切り替えて、単語分解できるまで繰り返し聴いてみる。最後はノーマルスピードで何度も聴くことで脳の中にそれに対応する神経回路を新たに作り、聴き慣れることでその回路を固定する。もしそれをちゃんと有音で復唱できるようになれば回路は固定し、そこのリスニングがしっかり身についてゆく。

むろん全ての画面の英文を一通り済ませたあとで、最後には一時停止せずに、映画全体を、あるいはチャプターごとに、または任意の長さに区切って、何度も「観念音シャドーイング」する。これは非常に効率的だ。これによって英文と実際音との比較も出来て、縮音・変音の感触までもつかめるようになる。

この場合のポイントは、俳優役の立場に立ちその心情になって、俳優の言葉を(特に動詞を同定しながら)「観念音シャドーイング」で辿っていくことだ。いわば俳優と一体化しその俳優になりきるわけである。そうすると意外なほど俳優の英文が再構成できる。

すぐ上で「7泊8日レンタル」をお勧めしたものの、最初はあれこれのDVD映画をレンタルして中途半端に渡り歩くより、一つのDVD映画を入手して、徹底的に、極めるのが良い。

ずっと先のことになるだろうが、上級段階では、英文の字幕を消して、英語の音声だけを聞いて「観念音シャドーイング」の練習をする。またできれば、こうした方法でさらに進んで、無音の口動かしや小さな実音でもシャドーイングの練習をすれば、リスニングが(またスピーキングも)ずっと捗ることになる。



ところで数あるDVD映画のなかには、話されている英語がほぼそっくりそのまま字幕に出るものもあれば、ときおり挿入句や修飾句や副詞、ときには主節さえ削除されてしまっているものもある。

たとえば”SPIDERMAN"のTとUや”TROY"や”TIMELINE"はほぼ忠実に字幕に出るし、”ALEXANDER”はほぼ完璧にそのまま出るが、”MINORITY REPORT"は多少抜けている。むろん字幕がオーディオに忠実なものが良い。

「映画の英語は難しい」と落ち込む必要はない。映画の英語は(ラジオ放送のような)ナレーション風でなく、動く画面とプラスして音のリアル感をかもし出そうとするためリスニング学習者にとって非常に不親切なものになっているだけでなく、さらに時代語・通俗語・流行語・方言・専門語などもふんだんに使うからである。

そもそもネイティブでない者には映画英語の完璧なリスニングなど不必要なのである。日本語映画でさえ聴き取りにくいシーンがあることを思い出して欲しい。

映画英語はある程度聴き取れるようになれば良い。それだけでニュース英語やビジネス英語などのリスニングがずいぶん楽に感じられるようになる。つまりDVD映画は「完璧リスニング」のための教材でなく、「リスニング力増強」のための教材と考えれば良い。

私は韓国に十四年ほどいたが、いまだに韓国語映画の聞き取りが十分でない。たとえばNHKで放映している時代劇の「宮廷女官 チャングムの誓い」などは、官職名も料理名も材料名も分からないから、さっぱりである。しかし通常の韓国語会話ではなんら問題はない。必要なら話し相手が自分で察して、意思疎通のために、速さを調節したり、単語や文章を言い換えたり、説明したりするからである。

実際の英会話の場合もこれと同じで、したがって英語映画が完全完璧には聞き取れなくても、実際にはほとんど不自由なく英語は使えるのである。以上に述べたDVD映画を使った方法も、ぜひ試して欲しい。