学生時代、劇団に所属していた。
劇団といっても学内サークルで、やっていることは走ったり飛び跳ねたりで、体育会系と変わりなかった。
芝居をやりたいと思ったきっかけはとても単純だった。
受験時代に聞いていた、第三舞台の鴻上尚史がやっていたオールナイトニッポンの2部がとても面白かったからだ。
確か金曜(土曜の明け方)の3時から5時までやっていた。
あの当時は、土曜も学校があったので、土曜の学校はどのように過ごしていたのだろう?
(保健室で寝ていたのか、記憶に無い)
正直、マイナーな印象しかなかった演劇の世界について、映像なしのラジオをとおした語りだけでわたしのイメージを変えてしまった鴻上尚史は、ある種の才能の持ち主だと思う。
受験生だったわたしは、大学に入ったらお芝居をやってみたいと漠然とした夢を持つようになった。
あと、金曜の夜はゆっくりと鴻上のオールナイトを聞ける(一応勉強しながら聞いていたので)と思っていた。
すると、同じようなことを書いた投書がラジオの中で取り上げられていた。
その時、鴻上は「大学生になってまで、深夜放送を聞くような暗い生活をするな」というようなことを言っていた。
鴻上が、言ったとおり、深夜放送を聞くなどということは大学4年間で一度もなかった。
当然、そんなことよりも楽しいことがたくさんあったからだ。
深夜放送を聞くことはなかったが、入学してすぐに脚本を書きたくて劇団に入った。
なので、体の鍛錬や発声練習など全く興味が無かった。
しかし、一介の新入部員が、とてもそのようなことをいえる雰囲気ではなかった。
なんだかダルイな、と思いながらも練習に参加していたが、そのうち芝居の面白さにとりつかれ、脚本書きのことは頭の隅に置きながらも、だるい練習に汗を流すようになっていた。
芝居の練習だけでなく、舞台の設営も非常に体力が要求される作業だった。
つらいことが嫌なわたしは、こうした設営作業も練習前の走り込みと同じく大嫌いだった。
なんとか理由をつけてサボりたいと思っていたが、結局いつも先輩につかまってこき使われていた。
ダルイと思いながらの現場で、設営作業をする先輩や照明会社のスタッフたちが、みんなウエストポーチをしているのが妙にかっこよく見えた。
両手が使えるという機能性からみんな使っていたのだが、形から入るのが大好きなわたしにはそんなことは関係なかった。
すぐに影響を受け、ウエストポーチを買いに行った。
帆布製のシンプルな形のものだったが、学生時代の前半はこのウエストポーチが大活躍だった。
社会人になって、ウエストポーチをすることはなくなったが、最近、家族と公園に出かけたりするときに便利かなと思い、色々と吟味していた。
でも、わたしの吟味は儀式みたいなもので、やっぱり吉田カバンになった。
ヘッドポータでタンカーネイビーのヒップバッグをGET。
ちょうど良いサイズがあってよかった。
(なんか、前フリがとても長くなってしまった。)
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