[龍の子太郎]のお話の基にになった
この地方に伝わる民話
★★★★★★★★★ 小泉小太郎 ★★★★★★★★★
(塩田平文化研究所 曲尾 勝 先生の解説文より引用しました)
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お経が終わるといつのまにか姿を消してしまいます。 真夜中に一人で山深いお寺に通ってくるのが不思議でたまらなくなった師匠の和尚さんはある晩工夫して娘の着物の裾に針を通して糸を縫いつけ糸を繰り出せるようにしておきました。 翌朝その糸は本堂の表戸の節穴から抜けていました「こんな穴から糸が抜けている」と大変不思議に思い和尚はその糸をたぐりながら下へ下へと下っていきました。着いた先は産川の上流にある「鞍ヶ淵」の岩窟の中でした。
淵を覗き込むと 自分の体が吸い込まれそうになり、あたかも竜宮城へ通じているかという、ものすごい青淵です。 しかもこの辺りは、うっそうとした樹木に覆われて昼なお暗く、奇岩と青い淵は、静寂の中にも異様な雰囲気を醸し出して降ります その岩の中で龍がお産で苦しんでいるところでした。 和尚さんは「毎晩お経を聞きに来る美女は、ここの龍であったか」と腰が抜けるほどびっくりし、わき目もふらず一目散に寺に戻りました。
お爺さんが亡くなったあとお婆さんは小太郎を連れて小泉村(上田市小泉)に移りましたので 大蛇がお産をしたので川は「産川」と言われ
小太郎が生まれた「鞍ケ淵」の東南の沢が「本木の沢」です。 |
★★★★★★★★★ 手塚の「元木の地蔵」と 中野の「末木の薬師」 ★★★★★★★★★
(塩田平文化研究所 曲尾 勝 先生の解説文より引用しました)
むかし弘法大師が巡業の折、「鞍ケ淵」の東南の沢が「本木の沢」で大きな柳の木を見つけ「これは霊木だ」として、柳の木の元の方(木の根に近い方)で自ら「地蔵菩薩」(じぞうぼさつ)を彫り、末木の方で「薬師如来」(やくしにゅらい)を彫りました。
このお堂も守る人がいなくなり明治2年に「無量寺」で預け100年が過ぎました。 一方 薬師如来は中野の「滝沢寺(りゅうたくじ)」境内にお堂が建てられそこに安置されましたが こんな民話が残っています それはお地蔵さまとお薬師さまの向かい合いの目線の邪魔をしたという天罰でした。 ●中野こどもたちはこの薬師堂の前でラジオ体操をしたり 太鼓の練習をしたり お盆の行事に参加したり、お薬師さんがいつも中野の子供たちを見守ってくれています。 |