車両保険未加入によって生じてくる本質的不都合さ




谷 州展



車両保険に入らない人は、たいてい次のように言いますね。
「車両保険に入ると保険料が高くなるから」「車が古いのでそんなに価値がないから」。

このような認識の下で、車両事故が発生したとしても、これは、いたし方のないところです。 
自らの明確な意思で車両保険に入らなかったわけですから…。

まずは、車両保険の基本的なおさらいですが、
車両保険とは、「偶然の事故によって契約自動車が被った車自体の損害を補償する保険」。
これは、まあ、あたりまえのところでしょうか。


つぎに、車両保険には、実務的には二つのタイプがあります。
下記のような原因によって生じた車両損害に対して車両保険が使えるかどうかによって、

(Aタイプ)使える⇒一般の車両保険 
●(Bタイプ)使えない⇒エコノミ-車両保険(車対車+A)

@車以外との衝突・接触による損害    
A当て逃げされたことによる損害 
B転落・転覆による損害
C自転車との衝突による損害
D他の車を避けようとした自損事故による損害



当然のことながら、車両保険を使える範囲が広いAタイプのほうが、保険料は高くなります。
意外と、契約者側が誤解しているのが、「窓ガラスの破損・落書き・いたずら」による車両損害は、Aタイプでなければ保険が使えないのではないか、と思っている点です。Bのエコノミ-(節約・倹約)タイプでも保険が使えるんです。
例えば、
単独事故で契約車が損傷した場合、車自体の修理費は、Bのエコノミ-(節約・倹約)タイプで加入していると保険の補償はありませんが、窓ガラスが破損していれば、その破損補償だけはエコノミ-タイプでも補償されるのです。

ここまで、述べてきたことは、まず何の問題もないところだと思います。

さて、問題はここからです。
最初に契約者側が、車両保険に入らない理由を述べましたが、これは当たり前の話で、何の不都合もないところです。
問題なのは、この契約者側の未加入理由をそのまま受け入れて、入る入らないは契約者側の自由意思だから、と決め込んで車両保険不加入による不利益情報を積極的に提示しない保険会社側(その中心は代理店)の姿勢そのものです。
もっとも、事の本質がよく理解されていないのだから無理もないところだとは思いますが…。

ところで、私たち一人ひとりが、他人様と共同生活をしながら生きていくうえにおいて、もっとも基本的なことは何だと思いますか。それは、他人との「話し合い」です。
互いの話し合いによって、生活するために必要なものを手に入れたり、いろいろな権利を獲得したりして(あるいは、その反面としての義務を負いながら)、日々の生活を営んでいるわけですね。

このように、社会共同生活の基本にあるのは「話し合い」なのです。しかもそれは、「自由な話し合い」であるということなのです。
そして、自由な話し合いの前提にあるものは、互いが対等(平等)でなければならないということです。対等でなければ、自由な話し合いなどというものはありえないわけですからね。

資本家と労働者。この両者は、対等な関係にないわけで、したがって、この両者には自由な話し合いというものはありえないわけです。労働者側に国家が加担して(労働組合法・労働基準法・労働関係調整法、いわゆる社会法と呼ばれる労働三法の制定)、初めて対等な関係になるというわけです。

この対等な者同士の話し合いには、絶対的な決まり・約束事というものがあります。

まず、両者の対等な話し合いの世界に、国家権力はあれこれと介入してはならない。これが第一の原則です。国家は、対等な国民同士が話し合いの結果合意に達した内容を最大限尊重し実現する義務を負うのみで、その合意内容にとやかく口出ししてはいけないということです。
このように、物事を判断しそれに基づいて行動することのできる能力(意思能力)のある国民一人ひとりは、自らの自由な意思にもとづいて他人との間において約束事を自由に決定することができるが、その代わり、その決定した内容には自らが責任を負うことになるという原則を「私的自治の原則」と呼んでいます。

第二の原則は、自由な話し合いの結果として、話がまとまらなければ、なんらのペナルティ-も課せられることなく、互いに「物別れの自由」(決裂の自由)が保障されているということです。そうでないと、めったやたらに人と話し合いなどできなくなりますからね。

よく、テレビなどのシ-ンに出てくるものにこういうのがあります。高利貸しなどの事務所に金を借りにいき、思い直して借金を断ったときに、こわいお兄さんが吐くせりふです。「なに、断る…。俺はあんたが金を借りにくるというから、わざわざ忙しい時間を割いてこうして待ってたんだよ。この待ってた時間はどう始末してくれるんだい。」。
ここには、自由な物別れというものは存在しないんですね。

そして、第三の原則として、ひとたび自由な話し合いによって決められた合意内容(=契約)には、互いが拘束され、もしどちらかが守らなければ、一方の当事者は、国家権力の助けを借りて、合意した内容を強制的にでも実現することができるということです。

ちょっと、えらそうなことを言ってしまいましたが、このような原則をもつものが「自由な話し合い」なのです。

唐突のようですが、この自由な話し合いの大前提である対等性・平等性が、車両保険事故における車両保険加入者と未加入者との間においてはくずれるということです。
この点が、押さえておかなければならない最重要論点なんですね。

具体的な例で説明してみましょう。
もし、車両保険未加入のあなたが、停車中に前方からバックしてきた相手車両に衝突されたとします。よくあるケ-スで、クラクションを鳴らしたにもかかわらず、相手が気づかなかったという事故です。

通常のまともな神経の持ち主なら、全面的に非を認めて全額賠償。これで片がつくはずですね。しかし、世の中には、いろいろな人間がいます。始末の悪いのが、居直り型人間です。
例外なく、こう言ってきます。
「俺が後方を確認してバックし始めたときには、車はなかった(だから、俺は悪くない)。途中で俺の車の後に来たあんたの不注意によっておきた衝突事故だ。」。

だれも、後ろには目はありません。よく確認せずにバックしたほうが全面的に悪いのはあたりまえのことです。しかし、こう居直るんですね。そして、不幸にも、相手が、車両保険に入っていたら…。

これが、最悪のパタ-ンです。
相手は、さっさと車両保険を使って自分の車は修理してしまい、示談の必要性がなくなったときです。
「7(あんた)対3(自分)なら、示談に応じてもいいよ。ただし、それ以外は、一切示談に応じるつもりはない。」
こう言われたらどうしますか…。

自らの過失で車両損害が発生した。それであれば、修理費の自己払いは納得するでしょう。
しかし、上のようなケ-スでは、どうでしょうか。
残るのは、屈辱感です。不完全商品を買ったがための行き場のない憤りです。対等な自由な話し合いができないという屈辱感を身にしみて味わうことになるわけです。

車両保険付帯価額が10万円の評価しかない車。
それでも、A代理店は、契約者に、この悔しさを味わってもらいたくないがために、少なくとも、
「車対車+A」での車両保険加入の必要性に、こだわりつづけている数少ない代理店の一人なのです。(平成17年5月10日)

                                

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