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新春初夢30年後の日本経済 アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します     If you are not a liberal at age 20, you have no heart. If you are not a conservative at age 40, you have no brain――Winston Churchill     30歳前に社会主義者でない者は、ハートがない。30歳過ぎても社会主義者である者は、頭がない      日曜エコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します    アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します    好奇心と遊び心いっぱいのアマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します    アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が30年後の日本経済を考えます
新春初夢、30年後の日本経済
新春初夢、30年後の日本経済 消費税10%、物価高、産業空洞化、それでも明るく活気のある社会 ( 2001年12月31日 )
新春初夢、30年後の日本経済 江戸時代の先覚者に学び、封建制を捨てる農業 ( 2002年1月7日 )

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2%インフレ目標政策失敗への途 量的緩和政策はひびの入った骨董品
(2013年5月8日)

FX、お客が損すりゃ業者は儲かる 仕組みの解明と適切な後始末を (2011年11月1日)

新春初夢、30年後の日本経済(前)
消費税10%、物価高、産業空洞化、それでも明るく活気のある社会
  税制が大きく変わった。消費税は10%。相続税が最高20%。法人税も20%。所得税の累進制がフラットに近づいた。 補助金や各種控除が少なくなり、全体に単純になった。20世紀は「きめの細かい税制」を目指していたが、21世紀は「単純な税制」を目指すようになった。 各種の補助金や控除があると、それを十分に利用する賢い人が得をするのだが、時には「賢い人」だけではなく「ずる賢い人」が得をする場合もあった。 「賢い人」も「そうでない人」も同じように、「損得なしに、納税するのがいい」となった。
消費税10%の内 9%は今まで通りの税収とし、残りの 1%は国連に贈与することになった。 発展途上国の開発援助に使われる。「日本は世界でも有数な豊かな国なので、物を買ったら、その中の 1%は国連に寄付しましょう」との趣旨だ。 「こうしたことを踏まえて、ノブレス・オブリージュを意識しましょう」との趣旨も説明された。 はじめ、これが提案されたときは多くの反対意見が出されたが、趣旨が十分説明されると、反対意見は少なくなった。ごく一部が強硬に反対したが、有権者の多くは好感をもってこの案を支持した。
ODA(Official Development Assistance 政府開発援助) 国連への贈与額が今までのODAの額とほぼ同じことから、ODAとして話題になることはなくなった。 各省庁の発展途上国への投資は、経済成長のためであったり、難民救助のためであったり、教育・医療整備のためであったり、それぞれが独自に計画されるようになった。 しかし国連への贈与が中心になり、政府からの援助は減少し、替わって民間投資が増大した。
累進課税所得税の累進制がフラットに近くなった。 一律20%とか30%にしたらいい、との主張もあったが、累進制は残された。これは累進制を残すことにより、景気の変動を和らげる効果があるだろう、との意見が採用されたためだ。
 これはこういうとだ。景気が良くなって収入が増えると、それに伴って税率が高くなる。このため収入増の割には可処分所得は増えない。逆に不景気になったとき、所得税の税率が下がるので、収入が下がった割には可処分所得は下がらない。 こうしたことから、累進制を残すことにより、景気の変動の幅を小さくするだろうと考えられた。なおコミュニティー・チャージは依然として継続審議となっている。
<新しい所得税法> 間接税の比重が大きくなったが、所得税にも工夫がされた。累進課税とは別の方法で低所得者への配慮がなされた。
所得税がもらえる「何人家族か?」によって違ってくるのだが、最低課税基準が定められ、それを超すと課税される。これは昔と同じ。 基準以下だと違ってくる。例えば基準が年収 400万円だとしよう。そうすると年収が 350万円だと、(400-350)X0.5=25 この式は基準から年収を引き、その差額の半分がマイナスの所得税としてもらえる、という制度だ。収入によってどう違ってくるか?いくつか例を挙げてみよう。
 年収 300万の場合 (400-300)X0.5=50  50万円がもらえる 総合年収 350万円
 年収 250万の場合 (400-250)X0.5=75  75万円がもらえる 総合年収 325万円
 年収 200万の場合 (400-200)X0.5=100 100万円がもらえる 総合年収 300万円
 年収 100万の場合 (400-100)X0.5=150 150万円がもらえる 総合年収 250万円
 年収  0万の場合 (400- 0)X0.5=200 200万円がもらえる 総合年収 200万円
 これにより各種の生活補助は打ち切られた。
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<東京が世界1物価高都市の座を守る> 20世紀の後半、東京の物価高が話題になった。 東京の物価をニューヨーク、ロンドン、パリなどと比較し、「東京は世界で最も物価が高い、住みにくい都市だ」「これは政府の怠慢だ」といった非難をマスコミが報道というスタイルで主張していた。それに対して識者が解説をする。 「購買力平価の法則により、貿易財は各国同じになるが,非貿易財は人件費の高さに影響され、日本では高くなる」「しかし為替が変動するので、いつも一番高い訳ではない」等々。
 「価格はどのようにして決まるのか?」答え「需要と供給の関係で決まる」
 供給に対して需要が少なければ、価格は下がる。供給側は価格を下げてでも売ろうとする。21世紀初頭の日本経済がこうだった。
 供給に対して需要が多ければ、価格は上がる。消費者は高くても買う。
 ところで物価が高いということを、別の見方をすれば、「高くても買う人がいる」ということだ。 食料でも、日用雑貨でもいい、日本人が買う値段ではとても買えない人が、世界には沢山いる。そういう社会では、質を落してで価格を下げなければ売れない。 物価が高いということは、消費水準が高いということ、つまり、豊かな社会なのだ。(ここで言う「物価」とは、物価水準のことであって、特定の品目の価格は問題にしない。)
 しかしこの考えは、必ずしも日本国民全てに受け入れられた訳ではない。東京の物価高を知って、「私たちの市は東京と違って、物価の安い、住み良い市にします。」の公約で市長が当選した所が出た。 先ず土地の高いのを押さえようと、市長直属の委員会を作り、価格が高すぎると判断すると、その取引を許可しないことにした。 また最高家賃規制条例を制定し不動産価格の高騰を防ごうとした。さらに生活必需品に関してはNGOの協力を得て、物価監視委員会を設立し、異常に高いと思われる商品や贅沢品に目を光らせ、委員会の助言を得て、市長が販売自粛の勧告ができるようにした。 街角に「贅沢は敵だ」のポスターが目立つようになった。そして確かに物価は安くなった。しかし不動産の取引件数は減り、借地・借家・貸しマンションの物件数は減少した。
 最近この市では人口が減少している。新たな産業が参入することもないので、雇用環境がタイトになり、人口流出が起こりつつある。それでも「公害を出す工場が出ていった」「環境破壊が止まった」と評価する人たちが市政を動かすようになった。 かつて「東京都民はコメを自給すべきだ」との公約で都知事が当選した時のようになった。新井白石や松平定信が再評価された。
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<産業空洞化が進む> 日本の生産業では技術移転が進んでいる。 アセアン諸国や中国が中心だ。アセアン諸国や中国では日本からの進んだ技術を受け入れ、その技術より少し前の技術をアフリカや中南米諸国に移転し始めた。フライング・ギース・モデルが現実の世界経済のモデルとして理解されるようになった。
 産業空洞化によって日本の産業・製造業はどうなったのだろう?実は驚いたことに、ハイテク技術とは違った、昔からの職人技が生き延びている。金型・研磨などで機械では計測できないほどの微妙な差を、職人技が感じ、細工していく。 世界技能コンクールでの優秀な成績が注目されている。大量生産工場は海外へ移転したのだが、新製品の試作は日本への注文が殺到している。
 試作品を作る産業は別の面からも盛んになっている。 日本に世界各国の企業がアンテナショップを開き始めた。新しい製品は日本で作り、日本で売ってみる。 これが流行となっている。何しろ日本の消費者は賢いし、お金持ちが多い。世界で最も物価の高い都市なので、新商品も、高くてもいい物なら買ってもらえる。 「世界市場を征するには、先ず日本の消費者の心を捉えよ」が合い言葉になっている。
<先に豊かになれる者から、ドンドン豊かになり、他の人は後からゆっくりついていく> 税制の改正により、先に豊かになれる者は、ドンドン豊かになる。 ベンチャー企業から広まったストック・オプションが多くの企業に採用された。この結果普通のサラリーマンではとても望めないような収入を得る者が出始めた。 衣食足りて、礼節を知った人のなかでも、特に十分足りている人は、社会への還元を考えるようになった。稼ぎ出した財産の一部をいろんな形で社会に役立てようとの動きが出ている。 学校・美術館・図書館・公会堂建設などへの寄付や、スポーツや音楽などのイベントへの資金援助などが盛んだ。「松方コレクションや大原美術館に負けない物を作る」と豪語する人も出てきた。
 これは個人レベルのことだが、企業はどうかと言うと、メセナとかフィランスロピーは低迷している。ある企業で社長がこういう発言をした「我が社は毎年メセナ費用として10億円を使っている。今後これをやめて株式配当と従業員のボーナスに充てます。そこでお願いです。 これを手にした方は、今まで使っていた趣旨を理解して、個人の価値判断で社会に還元してください。 と言ってもこれは強制ではありませんので、念のため。」これによってイベント主催者は、今まで企業に寄付を頼みに行っていたが、それからは一般市民の支持を得られる企画を考えるようになった。 レントシーキングに力を注いでいた企業が消費者重視に変わったのとそっくりな傾向に思えた。
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<教育予算の内容が変わり、学生・生徒獲得競争が始まった> 小さい政府を目指し、国の仕事を減らしていっても、なくすことのできない仕事の一つ=教育。しかし予算の立て方が大きく変わった。 学校のために税金を使うのではなく、学生・生徒のために使うよう予算が組まれた。まだ新しい制度に移行中なのだが、私学振興の予算ではなく、私学生のために税金を使う。つまり学校に資金を渡すのではなく、学生に教育費を使う。 高校三年生に国家試験を実施し、ある一定レベル以上の生徒には大学授業料上乗せのクーポン券を渡す。かつての地域振興県のようになもので、譲渡・売買はできない。大学は通常どおりの授業料を徴収するが、それにプラスクーポン券をも学生からもらう。クーポン券をもらえる学生を集めようと、大学間の競争が起きた。 その競争とは、なるべく成績のいい学生を集めようとの競争だ。20世紀にも競争がなかったわけではない。ただその競争とは文部省によく見られよう、との競争だ。そしてそれは時にはレントシーキングとよばれる競争でもあった。 今学生は授業を払ってくれるお客様=神様だ。一般の企業が消費者=神様を大切にするように、大学はお金を出してくれる学生=神様を大切にする。 この競争に拍車をかけたのが、授業料のクーポン券だけでなく、受験料のクーポン券ができたことだ。
 いずれこうした民営化の波は高校・中学・小学校へと進んで行くだろう。 教育がサービス産業として自立していくきっかけになりそうだ。そしてもう「デモしか教師」などという言葉は使われない。ごく一部の不人気教師が昔を懐かしんでいた。「遅れず、休まず、働かず、で済ませられる昔は良かった」と。
( 2001年12月31日 TANAKA1942b )
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新春初夢、30年後の日本経済(後)
江戸時代の先覚者に学び、封建制を捨てる農業
<教育の民営化が進む> 授業の内容も変わった。「学生は勉強すべきだし、授業についてこられない学生は中退してもらって結構」という理論は通らない。 先生の給料を出してくれる学生に向かって、そんなことは言えない。メーカーが「我が社の製品が気に入らないなら、買ってくれなくても結構」等とは言わない。自社製品を買ってくれたお客様は大切にして、これからもお得意さまであるように、知恵を絞る。神様はどの大学がいいか?どの先生が分かりやすく教えてくれるか?当然評価する。評価する神様は学生だけではない。 卒業生を受け入れる企業も採点評価する。その評価を報道するメディアも幾種類かでき、それぞれが売り上げを競っている。
 英会話教室は懇切丁寧に教え、力をつけさす。教え方の悪い教室は不人気になり、生徒が減り、先生の給料が出せなくなる。大学も金を払ってくれる学生を大切にする。授業についていけない学生がいる、ということは教え方が悪いからであり、大学の恥だ、となってきた。
 そうした傾向の現れの一つが、英会話教室の短大化だ。 通訳・同時通訳・翻訳の養成、それも政治・経済・文学・物理・科学など専門用語に堪能な卒業生を送り出している。また、大学受験予備校の中からも、新しい大学ができた。こちらは教え方が抜群にいい。 学生の評判が良くなれば教授の給料はドンドン上がる。名物教授を集め受験生の人気を集めようとする。大学の学生獲得競争が激しくなっているようだ。
 入試とは成績のいい生徒を選ぶことだ、となっている。この常識に挑戦した大学が出た。成績の悪い、どこの大学にも入れないような生徒を受け入れる、と表明している。 教育を特殊なサービスと考えていると理解しにくい。「年若い未熟者を矯正して半人前、または一人前に治療する」と考えると医療と同じになる。日本ではできない治療も、アメリカでは高い費用を払えばできるものがある。 それと同じように「小・中・高と勉強をさぼっていた生徒をとことん面倒見て、大学卒として社会に出してそれほど恥ずかしくない人間に育てます。そのかわり費用はいっぱいかかります。」こんな大学も出てきた。
 その兆候は20世紀後半からあった。いわゆる不登校生の面倒を見る学校だ。授業の進行についていけない生徒のための学校は昔からあったし、いじめなどで学校へ行きたがらない生徒のための教室もあった。 小・中・高生だけでなく、大学生用のがなかったのが不思議なくらいだ。高い入学金と授業料を取って「この大学はお金持ちのための大学です」というのもできた。 ただしこれには、嫉妬心とやっかみからいろいろ理由を付けて非難するグループもいる。 多くの常識人はそのグループを軽蔑の眼差しで見ながら、関わり合いになるのは面倒と、無視している。
 大学受験には高校卒でなくても検定に合格すればいい。これは20世紀からそうだった。その検定を受けるのに年齢制限がなくなった。これが少し前のこと。これで年若い大学生がいっぱい出てきた。その検定試験が民営化されることになった。予備校がいくつか名乗りをあげている。 いずれこうした民営化の波は高等学校・中学・小学校と進んでいき、教育がサービス産業として多様化していく、そのきっかけになるだろう。 学級破壊・不登校・登校拒否・いじめ・授業についていけない、などは社会の責任ではなく学校・教師の責任だ、との当たり前のことが「当たり前」として通用するようになった。 それを社会のせいに責任逃れする学校・教師は生徒・父兄・上級学校から見放され、いずれ淘汰されて行くだろう。
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<先進国型産業へ変身する農業> きっかけは農地の売買自由化だった。農地の売買が自由化されて、農家・農村・農業が変わり始めた。 農家の中には農地を売り、都会に出て行く人、観光地の近くに土地を買いペンションのオーナーになったり、職業選択の自由が広まった。農地を買った中に、農業学校を出たばかりの若者が中心になって、株式会社を作り、十分衣食足りた人がエンジェルとして、出資者になった例もある。 大手食品会社が買った土地もある。近所の農家が協同で株式会社を設立し、大手食品会社の関連会社として発足した例もある。
 ハウス栽培で年間通して定価格での安定供給を目指す農業会社や、都市部近くで新鮮さを売り物にする農家など。あるいは低農薬をウリにしたり、消費者に「顔の見える生産者」として売り込んだりと、商売の仕方も多様化してきた。
<農地売買制限は豊臣秀吉的発想> 農地の売買が自由化されたのは、ある農村の若者が「農地の売買を制限するのは、豊臣秀吉的発想だ」と言い出したことによる。
 豊臣秀吉は1591(天正19)年「身分統制令」をだして、近世身分制社会の基礎を築きあげた。この「身分統制令」というのは天正19年8月21日付でだされた法令で、全3ヶ条からなっている。 第1条では、奉公人・侍・中間・小者・あらし子など武家および武家奉公人が、百姓・町人になることを禁じ、第2条では農村にいる百姓が田畑を捨てて商人になることを禁じている。第3条は侍・小者をはじめとする奉公人が、その主人の許可なしに他の主人に仕えることを禁じたもので、主人の奉公人にたいする支配の絶対性を保障したものだ。
 この若者の主張は「農地の売買に規制を多くして売りにくくするのは、農家をその土地から離れにくくすることになる。農民をその土地に縛り付けておくのは、豊臣秀吉や徳川家康の発想だ」とのことだった。さらに若者の主張は続く「江戸時代金を貸すのに3つのパターンがあった。(1)担保なしの大名貸し。 (2)担保をとっての町人貸し。(3)農地を担保に農民貸し。しかし(3)は農地を自由に売れないから、つまり担保価値が少ないので利子が高くなる。 これと同じことが21世紀の現代に起きている。農地が自由に売れないから、金融機関から担保価値として高く評価してもらえない。現代でも農民は土地に釘付けされている。秀吉・家康を喜ばす必要は全くない」と。
<松平定信の「出稼奉公制限令」と現代> 若者の主張に刺激されてある村の古老が似たことを言い出した。 「天明8年(1788)に老中松平定信が「出稼奉公制限令」を出した。これは農民は勝手に農村を離れるな、農民は農村で農業をやるべきだ。との考えだ」 「こういう考えが今でも残っている」「高度成長期、若者が都会へ働きに出たのは、産業資本が人件費の安い若者を農村部から引っ張って行ったからで、このため日本の農業がダメになったように言う」 「本当はわしらが若者の気持ちを理解して、魅力的な産業を育てられなかったからだ。」「わしら農村に骨を埋める者が、封建的な考えを捨てなきゃならんのだ。」
 20世紀末、言論の自由は保障されていた。にもかかわらず政策担当者が「コメ自由化すべし」とは言えなかった。もしかしたら「田沼意次の時代」よりも不自由であったかも知れない。
<封建時代から一気に21世紀へ> 戦後日本経済は飛躍的な成長を遂げた。 これは目標を定め、「追いつき、追い越せ」を合い言葉に突き進んでいったからだ。つまり遅れていたからこそ、成長率が高かったのだ。農業が今その段階にある。他の産業に比べ近代化が遅れていた。 秀吉・家康・松平定信の発想が生きていたのだから。それだけにこれから解き放されると成長が早い。人材・知識・資本が都市部から投入される。 農村部に来る人・出ていく人、動きが激しくなる。生き生きしてきた。何か新しい可能性が生まれそうだ。多くの人がそう感じ始めた。その「期待」が人々の心を動かしている。
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<それでも現代に生かせる江戸先覚者の知恵> 農業の近代化が図られているのだが、その過程で江戸時代の知恵者の考えが見直されている。それは海保清陵・山片蟠桃・本多利明だ。
海保清陵1755-1817(宝暦5-文化14)主著「稽古談」「天王談」「万屋談」「論民談」「升小談」「海保青陵平書並或問」。旅学者。 「東海道を往来にては十ぺん通れり。木曽を二へん、北陸道を一ぺん通れり。滞りてあそべるところは三、四十ヶ所。山に登りて見たること大小数百なり」という旅学者。
 青陵の経済観はこうだ。「一国(藩)が収入以上に消費すれば借金が多くなる。といって津留め(藩外貿易禁止)をすれば、大きな藩は一応はやっていけるが、いかに働いても買う物が限定されるから、民は働かずに怠惰になる。 では出津(輸出)するが入津(輸入)を禁ずれば、物価が高くなるから民はみな他国へ出て金を使うようになる。」だから自由貿易(出津・入津の自由)をせよ、と言う。
 また「士大夫は江戸にては、やはり民を勧むる仕方にて、働く者は多く金を取り、働かぬものは少のう金を取る。理に合わせる仕方なり。民は手足を働かせ、士大夫は智を働かする違いはありても、働きて金を多く取るは同じことなり」つまり「同一労働、同一賃金」との考えではない。
 青陵は1805-1806(文化2-文化3)、加賀藩に滞在し、講演・執筆などで精力的に活動した。その青陵が加賀藩での経験を元に藩の財政改革について言っていることを見てみよう。 青陵が言うには「藩内の高く売れるコメを大阪堂島で売り(大阪登米)、安いコメを他藩から買う(入津)」豊作のとき大阪で白米一石が銀52-53匁、悪米で銀40匁。加賀藩での白米を堂島で売り、悪米を買ってくれば、藩の財政再建になる。 凶作になると 230匁にもなるので、いち早く豊作の地から40匁ぐらいで仕入れ、大阪へ 230匁で売ればいい、と言う。それには輸出入(出津・入津)を禁止する藩内自給自足意識が災いしている、と見る。青陵はコメを商品、コメ作りを産業と考えていた。
 コメ作りを産業と考えると、コメよりも高く売れるなら、それを売り物にしてもいい、となる。他藩の例として、多葉粉(煙草)・菜種・松茸・青物などをあげている。農本主義の誤りを指摘し、重商主義を主張している。
山片蟠桃1748-1821(寛延1-文化4)主著「夢の代」。升屋の番頭で、コメの仲買商から大名貸へ発展させた。 大阪堂島の米会所(帳合取引所)を高く評価し、全国的に会所をつくり、日本をおおう流通網を作るべきだと考えた。これさえ整備されていれば「どこどこが飢饉らしい」という情報だけでそこへコメが集まる。 堂島の米会所が情報でどう動くかを記している。さらに蟠桃は「浮き米」がそのまま備蓄になると説いた。 単なる備蓄は「財の死蔵」であり、民の負担になる。しかし会所で米切手の売買が行われると、資金の必要な者は米切手を現金化する。余裕ある者はこれを購入する。 現物のコメを動かさず売買できるから資金かが可能である。それが「浮き米」でいざというときの「備蓄」になると同時に「米切手」という形で資金として活用できる。全国的に会所をつくれば、天明の大飢饉のときの南部・津軽両藩のような小判を持ちながら餓死するといった状態は起こらないと言っている。 大阪堂島の米会所の機能を通して論じた「市場経済論」はアダム・スミスを思わすアジアの先駆的な発想である。(山本七平)
本多利明1743-1820(寛保3-文化3)主著「経世秘策」「西域物語」「経済方言」。江戸の数学塾の塾長。天明の大飢饉は「人災」と見た。「日本は南西の隅から北東の隅へ,凡十度余り、里程五、六百里の細長い国なので、ひでりがあっても国中ということはない。 豊作の国から凶作の国へ渡海・運送・交易すれば、万民の飢えと寒さを救える」利明は流通経路確保のため火薬を使って、道路を開き港を作れと言っている。それには各藩の自己防衛的・自給自足的な戦国の遺制が邪魔している、と主張する。
 利明が活躍したのは田沼意次の時代で、意次のブレーンであったらしい。平賀源内と田沼屋敷で蝦夷開発・西洋文化・鎖国から開国へ、などを論じ楽しんでいたのだろう。しかし意次失脚・定信の登場以後は、「市中の隠」として沈黙し専ら弟子の養成につとめた。
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<熟年が盛り場を闊歩する> あれから30年。年代構成が変わり、熟年層が多くなった。しかしいつまでも現役である熟年が多くなった。インターネットの普及で、自宅でできる仕事が多くなった。熟年・主婦がマイペースで活用している。 リタイアして自然豊かな地方へ引っ越す人もいるが、むしろ「都会の喧噪のなかで常に新鮮な刺激が欲しい」と言う熟年が多くなった。渋谷・銀座・六本木などを90才の熟年夫婦が闊歩している。 かつて「いずれ日本は年寄り社会になり、衰退していく」との悲観的な見方もあったが、あれは取り越し苦労であった。今日本は若者も・中年も・年寄りも、それぞれのペースで働いている。老・中・青のバランスが取れている。 日本の社会、これを経済学すれば、30年前に人々が予想していたより健全な社会のようだ。20世紀末から痛みを伴いながら進めた、「構造改革」の成果が出始めた。これからもときに応じて、構造改革は進められるだろう。 日本の社会が変化に強い「柔構造」になりつつあるのは確かなようだ。こうした国民の自信に支えられて、日本の社会は今明るく輝いている。
( 2002年1月7日 TANAKA1942b )
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