ストック経済という考え方
バブル崩壊後も利用価値はあるのか?
2008年6月9日更新
Yahoo ! のカテゴリー 経済理論・経済思想▲
及び 政治理論・政治思想▲ に登録されました (2004.07.21)
Fresh eye、Livedoor のカテゴリー 経済評論▲▲ に登録されました (2004.10.17)
Google のディレクトリー 経済学▲ に登録されました (2004.10.17)
ストック経済という考え方
バブル崩壊後も利用価値はあるのか?
▲ (1)フローとストックという経済概念
経済学者の説明を聞いてみよう
( 2008年3月3日 )
▲ (2)『経済白書』の説明を読む資産価値の上昇を肯定的に捉えている
( 2008年3月10日 )
▲ (3)地価上昇による資産増加をみる実体を伴わないバブルだったのか
( 2008年3月17日 )
▲ (4)一般人も巻き込んだ株式投機
株に合理的な価格はあるのだろうか
( 2008年3月24日 )
▲ (5)『経済白書』のお墨付きで学者が普及
楽観論から懐疑的見方まで
( 2008年3月31日 )
▲ (6)株価の大幅上昇はバブルではない
合理的なバブルと呼ぶべき現象
( 2008年4月7日 )
▲ (7)バブルを意識した見方が登場する
実物要因なのか、バブルなのか
( 2008年4月14日 )
▲ (8)ストックインフレはバブルであった
自己実現的期待がそれを支えた
( 2008年4月21日 )
▲ (9)ストック経済という平成バブル
これからのバブル後遺症を予測する
( 2008年4月28日 )
▲(10)ストック化した不安大国日本
市場経済の果てしなき格差拡大は続く
( 2008年5月5日 )
▲(11)経済格差が広まったストック化
日本の所得分配は平等とは言えない
( 2008年5月12日 )
▲(12)格差解消を追求した実験国家
夢と理想を追う、平等社会への試みは
( 2008年5月19日 )
▲(13)格差拡大はよくないことなのか?
先に豊かになれる者から豊かになる
( 2008年5月26日 )
▲(14)安定成長時代のストック経済学
格差を判断する経済指標は何なのか?
( 2008年6月2日 )
▲(15)バブル崩壊後にこそストック経済学
経済学の部外者にやさしく説明を
( 2008年6月9日 )
*
趣味の経済学
アマチュアエコノミストのすすめ
Index
%
2%インフレ目標政策失敗への途
量的緩和政策はひびの入った骨董品
(2013年5月8日)
$
FX、お客が損すりゃ業者は儲かる
仕組みの解明と適切な後始末を
(2011年11月1日)
(1)フローとストックという経済概念
経済学者の説明を聞いてみよう
<ゆたかな社会になって登場した概念>
今週から「ストック経済」を扱う。あまり耳にしない「ストック経済」とはどのようなことなのか?
「ストック経済」と題された文献から、「ストック経済」とはどういうことか、参考になる文章を引用することにした。
このホーム・ページでTANAKAが扱う「ストック経済」という言葉、必ずしもこれらの文献で言う「ストック経済」とは同じでないかも知れない。
1980年代後半から、1990年にかけて「ストック経済」という言葉が多く使われ、将来も「ストック経済」が日本経済を分析する手法として多用されるかのように言われた。しかし、現在「ストック経済」という言葉は聞かれなくなった。そのような「ストック経済」とはどのような概念なのであろうか?
まずは、経済学者の文献から「ストック経済」の意味を理解して頂きましょう。
* * *
宮尾尊弘『「ストック経済」の時代』から
今、日本経済は大きく変わっている。これは私たちのだれもが持つ実感ではないだろうか。実際、1980年代を通じて日本経済が急速な構造転換を遂げたことは否定できない事実である。
特に1980年代中半以降の動向は、これなでにまったく経験したことのない、新しい時代の始まりと言えるほどのものである。
具体的には、80年代後半から盛り上がった大型景気が、それまで日本経済の最大の課題と言われていた内需拡大の目標を、急速に達成しつつある。
相当の期間を必要とすると思われていた経済の構造転換が、これほど容易に実現に向かうとは、誰が予想しただろうか。
実は、この新しい動向の背景にあるのが、経済の「ストック化」という現象である。毎期のフローである所得を中心に動いてきた日本経済が、1989年代を通じて、蓄積された資産、たとえば株式、債券、土地、住宅といった素ロックによって、より大きく左右されるようになった。
とりわけ1985年以降、ストックの増価が急ピッチで進み、前代未聞の急増ぶりを示している。事実、日本の国民資産額は1987年末にアメリカを追い抜き、世界1になった。
まさに新しい「ストック経済の次代」が始まったと言えよう。
しかし、このような日本経済の新しい動向、特に内需の急速な拡大と、その背景にある経済の急激なストック化という動きは、ある程度だれもが実感しているが、まだそれは明確に体系化したかたちで意識されてはいない。
現在起こっていることの意味を十分理解できていないのではないだろうか。
実際、まだ日本が所得や生産の面では大国であるが、ストックの蓄積は遅れており。内需が不足しているために、輸出に依存する体質が続いているという見方が、依然として国内でも海外でも支配的なようにみえる。
その見方によれば、1985年以降の動向は一時的な現象に過ぎず、基本的には日本経済の構造は以前と変わっていないとされる。
しかも、この立場によると、経済のストック化に伴う株式や土地などの資産価値の上昇は、資産格差を拡大し、内需拡大を阻むため、望ましくないものとされる傾向がある。
そして、この見方が海外に広まることによって、日本経済が実態よりもはるかに特殊で望ましくない構造を持っており、それが近年さらにゆがみの程度を増してきているという誤解を持たれる恐れが大きい。
日米経済摩擦に関連して最近アメリカの一部で必要以上に対日強硬論が台頭しているのも、そのような誤解がもとになっている可能性がある。
したがって、今必要なことは、日本経済の新しい動向を正しく理解するパラダイム、つまり思考の枠組み、あるいは物の捉え方を確立することである。
日本がフロー経済の次代からストック経済の次代に入ったことを、だれの目にも明らかになるように、説得的に示すことであろう。
日本に住む私たちが、まずその経済構造の変化を理解し、それを明確に説明できずに、外国の人々にそのことを理解してもらおうとするには、やや無理がある。
そのためには、まず自己の思考方法を転換することから始める必要があるだろう。
そして、現状を正しく認識した後に、望ましい動向をさらに促進し、望ましくない動向を是正するために、どのような策が取られるべきかが検討されなければならない。
旧来のパラダイムのもとで、現状を誤って理解した場合には、しばしば経済のストック化を押しとどめるための後ろ向きで規制的は政策が必要であるような錯覚のとらわれやすい。
しかし、新しいパラダイムによって正しく現状を認識した場合には、国際的に共通の、前向きでオープンな政策が適切であることがわかるであろう。
以上のような問題意識で書かれたのが本書である。筆者が最初に新しいパラダイムの必要性を感じたのは、東京を中心とした地価の上昇が一服した1987年の初めごろであった。
マスコミなどによって、地価高騰が諸悪の根源のように言われていたその頃、まさに日本経済の大型景気の口火が切って落とされ、構造転換の第1歩が踏み出されていたのである。
それから2年以上が経過し、ようやく本書が完成する運びとなったが、その間日本経済のストック化の動きは筆者の予想を上回る速度で進んだというのが実感である。
実際には、本書の第1部は1988年の1月から1年間アメリカに滞在している間に、また第2部は1989年の春と夏の休暇中にやはりアメリカに滞在している間に執筆したものである。
本書の政策提言が、アメリカ経済のあり方からヒントを得て書かれたことは決して偶然ではない。アメリカに生活し、そのストック経済のあり方がいかに合理的で開かれたものであるかを実感するとともに、日本経済も基本的には同じ方向に向かいつつあることを理解できた点は大きな収穫であった。(以下略)
1989年8月 カリフォルニアにて 宮尾尊弘
(『「ストック経済」の時代』から)
新しいパラダイムへの転換
いまや、従来までのフロー経済と違った、新しいストック経済が確立しつつあることは明らかである。
実際に、ストック化の影響はミクロ的な日常生活の分野から、マクロ的な日本経済全体の動きにまで、幅広く及んでいる。
その結果、これまでの常識では考えられない事態や、これまで経験したことのないような状況が、次々に起こってきた。
たとえば、1980年代中頃から東京で起こり、全国に波及した土地ブームと住宅ブームは、誰の予想をもはるかに超えた激しさと持続性を示した。
その後、これが首都圏を中心とした消費ブームや、その周辺地域での不動産ブームとなって現れ、さらに住宅や消費といった内需要因の急成長によって民間設備投資が刺激され、その投資がまた消費を誘発するという好循環が生み出された。
このような動きは、どれをとっても過去には想像もできなかったほどの力強さで急速に拡大している。かくして、日本経済は内需主導型に大転換を遂げつつあると言えるであろう。
これらの現象を、従来の思考の枠内で十分に理解することは難しい。慣れ親しんだフロー経済の「パラダイム(思考の枠組み、ものんもとらえ方)では、毎期ごとのフローである所得が消費や投資を決めるとともに、消費と投資によって所得が決定される。
そこでは、ストックとしての土地や住宅が入り込む余地は少ない。特に、地価高騰は実質所得を引き下げ、投資を阻害することによって内需と所得の成長を抑制すると言われ、マスコミによってもこの点が強調されている。
このような発想によってでは、現実のストックを中心とした力強いブームが次々と起こったことも、内需主導型の経済が予想以上のスピードで実現しつつあることも、うまく説明することはできない。
したがって、当然のことながら1980年代を通じて、古いフロー経済の発想は徐々に力を失っていった。それとそもに、新しい思考の枠組みを模索する動きも強まっていったのである。
そしてついに、パラダイムの転換が起こり始めている。それは、新しい「ストック経済」のパラダイムが誕生しつつあることを意味する。
ストック経済のパラダイムとは、いわば水道の蛇口から出ている水の流れ(フロー)から出発するのではなく、そのもとにある貯水池全体の水の貯水量(ストック)から議論を始める。
所得や投資といったフローにのみ注目するのではなく、土地や住宅、また株式や債券というストックを中心に、現実の経済の動きを見ていこうとする。
前者のフロー変数は、後者のストックを変化させる限りで、経済に影響を与えるといってよい。このような視点からすれば。土地ブームや住宅ブームが、グローバルなストック経済化の過程で必然的に起こった現象であり、それが爆発的な内需拡大による大型景気の出発点になったことも容易に理解できるのである。
私たちは現在、まさにパラダイムの転換期にいる。新しい発想は「コロンブスの卵」のようなものである。古い思考様式に従うかぎり、変化のプロセスはよくわからないが、思考を転換すれば、それが当たり前になってしまう。
新しいパラダイムの意味は、まず現実をよりよく説明したり、予測したりすることを可能にするということである。さらに、それだけでなく、現状を冷静に眺め、何が「正常」で、何が「異常」かを正しく理解することを助ける。
はたして、土地ブームや住宅ブームという現象は正常であったのか、異常であったのか。これに対する答えは、発想の転換を行ったかどうかで正反対なものになるだろう。
個人や企業は、新しいストック経済において成功するために、また政府は、このような経済を正しい方向に導くために、発想の転換を行わなければならない。
そして、新しい発想のもとに、「正常」な状態と「異常」な状態とを正しく識別する力を養っていくべきである。(『「ストック経済」の時代』から)
* * *
野口悠紀夫『ストック経済を考える』から
日本経済の構造変化を特徴づけるキーワードとして、「経済のストック化」とか「ストック経済」ということばが、新聞や雑誌でしばしば使われている。
1989年の『経済白書』も、「高度化」「グローバル化」と並んで、「ストック化」を主要な概念として取り上げ論じた。
「ストックか」とな、金融資産、土地、住宅、資本設備などの蓄積(ストック)の重要性が増すことである。
これが関心を集めた契機は、1980年代後半の株価や地価の高騰であった。ただ、この現象は、どちらかというと短期的なものであり、投機的なバブルによる部分が大きかったという意味で、あだ花的な性格を多分にもつものであった。
しかし、ストックかのないようとしては、こうした資産価値の一時的上昇だけでなく、長期的な経済構造の変化もある。
本書でとくに強調したいのは、後者である。
長期的な構造変化としてのストック化が進行すると、毎年生産され支出される「フロー」に対して、過去から蓄積してきた「ストック」の相対的重要性が増す。
これは、企業活動や家計にさまざまの変化をもたらすだろう。それらに対応して、経済制度や政策の見直しが必要となる。
さらに、個人、企業、地域社会、国家など、経済のあらゆる段階で、良質のストックを形成し、これを適切に管理、運用することが重要な課題となる。また、世界経済の中でも、「ストック大国」としての積極的な役割が日本に求められる。
こうした意味では、日本経済は、すでにストック経済になったというよりも、それに向かう過程にある、といったほうが適切だろう。
しかし、この変化は確実なものだから、「ストック経済」という性格づけが未来の日本社会を適切に捉えていることは、疑いない。
キーワードとして提唱されるものがどれほど有用かは、それらが単なる現象の言い替えとなるかによる。
「ストック化」という概念は、明らかに後者に属する。「フローからストックへ」という観点から経済現象をとらえ、従来の制度や政策を再点検してみると、それまで漠然としか意識されていなかった変化や新しい現象の意味が明確に理解され、
また、制度改革の必要性や方向づけが明らかになるからである。(『ストック経済を考える』から)
ロビンソン・クルーソーはなぜ暦をつけたか
ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』は、最も単純化された状況下での人間の経済行動を描いているので、経済学の書物でよく引用される。
本書で取り上げようとする問題に関しても、いくつかの面白い事例が見られる。
その一つは、漂着後10日目から暦を作り、記録をつけていることである。孤島での極限状態を考えると、これは一見して、迂遠な行為に思われる。
クルーソーはなぜ暦をつけたのか。
彼自身は、「安息日を忘れないため」と説明している。確かにそれもあったろう。しかし、彼にはもっと差し迫った理由があった。
それは、船から持ち出した食料や弾薬がどのくらいの速さで消費されてゆくかを把握することである。それらがある時点でどのくらい残っているかは、調べればすぐ分かる。
しかし、一定期間内の消費量は、暦がないと分からない。だから暦をつけたのだ、というのだ、私の解釈である。
経済学者は、このことを「ストック」と「フロー」という概念で捉える。ある時点での食料や弾薬の存在量は、「ストック量」である。
これに対してそれらの消費量は、「フロー量」である。
クルーソーは後に食料の生産を始めるが、生産量もフロー量である。このように、「ストック量」とは、ある一時点での存在量なり蓄えであり、「フロー量」とは、一定期間における流れなり変化量である。
ストックを定義するには時点を規定する必要があるし、フローを測定するには機関を定める必要がある。
クルーソーは、ストックとフローの区別をはっきり意識し、これらのバランスをとるために細心の注意を払っている。
これは、穀物の栽培を始めてからの行動にも現れている。彼は、当初、収穫物を一粒も食べないで、次の季節に蒔く種として貯蔵した。
食べ始めるのは3年目からで、それは「大麦と米の貯蔵が1年間の消費量を上回ったことを確認したから」だ。
クルーソーはすでにフロー量を正確に把握しており、それとの関連で最適なストックを維持しようとしたわけである。
さて、われわれが住む現代の経済をみよう。ここでのフローは、生産量、所得、消費、投資などである。
具体的な例をあげれば、毎年の鉄鋼生産量、国民総生産、国民所得、輸出、輸入、予算額、国債発行額などがある。
これに対して、ストックは、資本や資産などである。具体的な例をあげれば、機械設備存在量、住宅戸数、土地の価値、株式の時価総額、
国債残高、金融機関の貸出残高、鉄鉱石の埋蔵量などがある。(『ストック経済を考える』から)
* * *
岩田規久男『ストック経済の構造』から
読者は、「ストック経済の構造」というタイトルの本書に対してどのようなイメージを描かれるであろうか。
読者のイメージはさまざまであると思われるが、本書の課題は、「豊かで後世な社会」を築くためには、ストックの価値はどのように形成され、土地などのストックはどうように利用されるべきであり、
そのためには何をなすべきか、といった点を明らかにすることにある。
ところで、「ストック経済」とか「ストック化」という言葉が、人々の口に上るようになったのは、何よりも1980年代の終わりに、地価と株価の未曾有の高騰が起きたからである。
とくに、東京圏の地価の高騰はとうてい信じられないほどのものであった。すなわち、東京都の住宅地の価格は、1986年に51%も上昇したが、その騰勢は87年に入っても止まず、前年を上回る67%もの上昇となった。
東京都区部の一部地域や川崎市、横浜市、市川市などの住宅地では、地価は86年あるいは87年の1年間で80%から100%も上昇した。
つまり、1年間で地価は2倍以上にもはね上がったのである。こうした前代未聞の地価の高騰を反映して、東京圏のマンション価格の平均的勤労者世帯(京浜地区)の収入に対する倍率は、86年には4倍程度であったが、89年には8.9倍にもなった。
かくて、東京圏や大阪圏などの地価の高い大都市に、相続できる土地を持っていない第1次土地取得者にとっては、マイホームの取得は絶望的となった。
1990年代に入って、地価は沈静化ないし低下したが、事情は基本的に変わっていない。1992年3月現在においても、東京圏や大阪圏の住宅地価は、地価高騰が始まる前に比べて約2.2倍の水準である。
しかし、地価の高騰に対する人々の反応は一様ではない。すなわち、土地を持っていない人々は、土地が安くなって手に入りやすくなることを望んでいる。
それに対して、土地を持っている人々の心境はもとお複雑である。彼らの中には、地価が高騰して自分の資産保有額が増大したことを心ひそかに喜んでいる人もいるであろう。
いくつかのアンケート調査の結果から判断すると、土地を持っている人にとって困るのは、地価の上昇に伴って固定資産税と都市計画税及び相続税の負担が大きくなることであって、地価が上がることそれ自体ではないようである。
したがって、地価が上昇しても固定資産税・年計画税・相続税の課税評価額があまり上がらなければ、彼らにとって、土地問題は深刻な問題ではない。
むしりマイホーム・ローンを抱えている人にとっては、地価が下がってマイホーム・ローンの実質価値が上がることの方が心配の種である。
たとえば、1992年には、金融引締と不動産融資総量規制の効果が浸透し、不動産不況が始まったが、マンションや持ち家を買い換えようとする人々は、売るに売れないという状況に直面した。
彼らにとっては、地価の低下は必ずしも望ましいことではない。このように、人々が「地価高騰は困る」といっても、土地を持っている人と持っていない人ではその意味が異なり、人々の利害は一致していない。
このような利害対立を正確に認識することが、土地改革の出発点である。土地問題とはもっぱら政府の無策のせいにすればすむ問題ではないのである。
たとえば、土地税制改革の1つをとってみても次のような利害対立がある。すなわち、固定資産税を上げれば、東京都区部の土地利用は、税負担に耐えるような形で転換され、その際、都市計画をうまく連動させれば、良好な住宅地の供給を増やすことも可能になるであろう。
しかし、固定資産税の増税に対しては、「零細な住宅地の居住者を追い出す増税だ」という反対が強く、世論もその反対を支持する傾向がある。
永年住み慣れた街に、現状のままで住み続けたいと思う人は少なくない。
しかし、狭い日本で、現状の土地利用の状況を全く変えずに、全ての人々に快適な居住を保障することは不可能である。
言い換えれば希少な土地というストックを有効に利用せずに、全ての人々に豊かな生活を保障することはできない。
このように主張すると、土地の有効利用は居住環境を破壊するものだという反論が返ってくるのが常である。しかし、本書のいう土地の有効利用とは、高いビルや住宅を建てるという高度利用と同意語ではない。
住宅地のついていえば、快適な居住環境が保障される土地利用が、ここにいう土地の有効利用である。しかし、土地を高度に利用した中高層共同住宅は、常に快適ではなく、環境を破壊するものだと決め付けるのも硬直的にすぎる。
確かに、既存の多くの中高層共同住宅は快適ではないかも知れない。しかし、それは、快適な中高層共同住宅の建設を妨げている要素があるからかも知れない。
その点を明らかにする前に、「中高層共同住宅は快適ではなく、居住環境を破壊するものだ」という図式に固執すべきではないであろう。
そでに述べたように、国民の間に存在する地価の高騰やその低下に関する利害は一様ではない。土地を持っていない人々にとって望ましい土地改革は、土地を持っている人々にとっては痛みを伴う場合も少なくない。
この痛みを和らげながら、できるだけ多くの国民の豊かさを増進するにはどうしたら良いであろうか。また、短期的には土地を持っている人々にとっては痛みを伴う政策であっても、長い目で見れば彼らにとってもまた望ましい土地政策はあり得ないのであろうか。
もしあるとしたら、それはどのようなものであろうか。
さらに、私たちの生活の質は、社会資本や自然資本というストックの存在量とその質によっても大きな影響を受ける。
多くの社会資本の建設には土地が必要であり、土地利用のあり方は自然資本の質に大きな影響を及ぼす。望ましい土地政策は当然これらの問題も視野に入れておかなければならない。
これらの諸問題に対して1つの光を当てることが、本阿処の課題の1つである。
もう1つのストックの価格である株価は、1990年代に入って一転急落し、1992年3月現在も低迷したまま、脱出できずにいる。
いわゆる、この「バブルの崩壊」の過程で、日本の金融・資本市場が抱えているあらゆる問題が露呈された観がある。
しかし、金融・証券問題がスキャンダルという形で表出したため、世論のこの問題に対するアプローチは、どちらかというと感情的に過ぎるように思われる。
たとえば、株式市場はもともとだまし合いの場であるかのようであり、人々の健全な財産形成の場として育てるためにはどうすべきか、といった点に関しては、必ずしも議論が煮詰められていない。
しかし私たちが不確実な世界に生きている限り、株式資本の供給は不可欠の条件である。このような観点に立って、何が金融・証券市場の真の問題であるかえお明らかにし、どのように改革すべきかという問題に対して、熱を加えるだけではなく、光を与えることが本書のもう1つの課題である。
(『ストック経済の構造』から)
* * *
伊藤隆敏・野口悠紀夫編『分析・日本経済のストック化』から
日本経済は、1980年代の後半から90年代にかけて、これまで経験したことのない異常な経済現象を経験した。
それは、資産価格の大変動という現象である。80年代の後半には、株価や地価が異常な上昇を示した。そして現在、日本経済は、じれらの下落過程に直面している。
90年の株価の大幅な下落に続いて、91年には地価の下落が始まった。
第2次大戦後の日本では、1975年を唯一の例外として、地価は毎年上昇を続けていた。今回の顕著な地価下落は、日本経済が初めて経験するものである。
また、地価も92年になって再び下落し、関係者に大きな混乱とショックを与えている。
資産価格の下落は、投機的土地の処分の行き詰まり、不動産業者の倒産、金融機関における不良債権の発生や含み資産の減少等々の問題を発生させる。
これから糖分の間、日本経済にとって最大の課題は、こうした問題の克服にあると言えよう。これへの対処は、まだ始まったばかりである。
そして、日本経済が初めて経験する問題だけに、将来に対する不安も大きい。
ところで、こうした事態に対して、経済学がこれまで適切な分析を、なにがしかしてきたであろうか。それは、大いに疑問であると言わざるを得ない。
それは、従来の経済分析が、フローを中心としたものであり、ストックに対する関心が必ずしも強くなかったからである。
もちろん、貨幣ストックや資本ストックなどは、経済分析の重要な概念である。しかし、経済分析の中心が所得、消費、投資などのフロー量であったことは否定できない。
このため、経済分析は、上記の過程を必ずしも的確に捉えたとはいえない。特に重要な点として、次の3点をあげることができよう。
第1は、資産価格の変動に関する分析である。経済理論で説明されるストック価格は、いわゆる「ファンダメンタルズ価格」、すなわち、ストックの収益と利子率によって説明される価格である。
今回の資産価格上昇期にも、こうした立場から地価や株価を説明しようとする考えが強かった。地価について、経済学者の間で一般的だったのは、「東京への一極集中や利子率の低下で地価上昇を説明できる」との見解であった。
つまり、地価上昇は、経済構造の変化や金融緩和というファンダメンタルズの変化によるものと考えられていた。
実際、1980年代の後半には、金融の国際化や産業の情報化を反映して経済活動の東京への再集中がおこり、東京のビル賃貸料が高騰した。
また、80年代の後半は、未曾有の金融緩和期であった。プラザ合意後の急激な円高の進行を抑制するため、86年1月から公定歩合の引き下げが始まり、87年2月には2.5%という史上最低の水準になった。
このように、ファンダメンタルズの要因が地価を押し上げたことは事実である。また、株価についても、日本経済の将来の成長を先取りした上昇であるとの見方が強かった。
しかし、問題は、こうした要因だけで実際の資産価格上昇を説明し尽くせるか、ということである。実際には、化買う上昇のかなりの部分は、ファンダメンタルズの変化では説明できない部分、すまわちバブルの膨張によるものだった。
バブルの存在を多くの人々が認識するのは、それが崩壊し始めてからである。最近では金利が低下する中で資産価格が下落しているため、
資産価格のなかにバブルが含まれていたことが誰の目にも明らかになった(資産価値がファンダメンタルズで決まっているなら、金利低下で上昇するはずである)。
第2は、資産価値の変動が実体経済に与える影響である。これに関して、経済理論では、次のような可能性が指摘されている。
一つは個人消費に対する資産効果、すなわち、株式や土地などの資産価値が上昇すると、消費性向が高まり、下落すれば低まるという効果である。
今ひとつは、設備投資への影響である。すなわち、株価や地価が高いと株式市場からのエクイティ・ファイナンスや土地担保借入が容易になるが、バブルが崩壊するとそれができなくなる、というものである。
ところで、これらの効果が実際にどの程度強く働いたかについては、経済学者の間で意見が分かれている。1980年代後半の好況が資産価値上昇によるものだとする立場からすれば、逆に資産価値が下落すると、実体経済に深刻な影響が及ぶよいうことになろう。
こうした観点から、今回の景気後退は単なる循環的なものでなく、より基本的な構造変化を伴うものであり、大恐慌に匹敵するようなものになるという指摘さえ、一部にはある。
これに対して、資産価値変動が実体経済に与える影響について否定的な見方もある。この観点からすると、景気後退は高すぎた山からの調整過程であり、通常の循環的な現象であるとされる。
このように、史観勝ちの影響についての見解は分かれているが、この問題に対して正確な分析を行うことも、経済分析に課された責務であろう。
第3は、短期的現象と長期的現象の区別である。上に述べたように、1980年代後半の資産価値上昇のかなりの部分は、短期的なバブルによるものだった。
この意味で、「ストックの比重の増大」のかなりの部分は短期的な現象であった。しかし、長期的な経済の構造変化としてフローに対するストックの比重の増大があったことも事実である。
このような変化は、経済政策に対して、」さまざまな影響を与える。たとえば、再分配政策は、従来はフローの所得の再分配が中心であったが、今後は、住宅資産の保有状況などのストックの保有をも考慮することが必要となろう。
また、税制に関しても、ストックの観点からの考慮が必要となる。したがって、こうした観点からからヶ諫問題を分析し、適切な政策を構想することが必要である。
本書は以上のような問題意識から編纂されたものである。もちろん、本書に収められた論文が、以上で述べた問題に対して完全で直接的な解答を与えているとは限らない。
しかし、個々の論文は、各々の分野において、日本経済の構造変化に対して経済学の新しい領域を探ろうとしている。この問題に関する今後の議論の1つの出発点になることを期待したい。
(以下略) (『分析・日本経済のストック化』から)
ストック化とは何か 伊藤隆敏・野口悠紀夫
日本経済の長期的な構造変化を表すキーワードの1つとして、「ストック化」ということがしばしば指摘される。
本章においては、「ストック化」をめぐる基礎的な諸点について議論する。
まず、「ストック」の概念から論じよう。通常、「ストック」といわれる場合に含まれるのは、実物資産と金融資産である。
ところで、当然のことながら、金融資産は他人に対する請求権にすぎず、それ自体が結うような財やサービスを生み出すものではない。
勿論、金融資産を別の財に交換することは容易であるから、金融資産を保有する個別主体の立場から見れば、金融資産と実物的な資産との間に経済な差はない。
しかし、すべての金融資産は誰かの負債になっているから、対外資産を除けば、国全体としては打ち消し合ってしまう。したがって、本来の意味での「ストック」とは、生産的な実物資産だけをとるべきだろう。
なお、金融資産と類似の性格を持つ資産として、公的年金の受給期待額がある。これは、国民経済計算では資産と見なされていないが、膨大な額にのぼると推計される。
高山(1990)によると、1984年における公的年金資産(年金保険料控除前)は、総額で840兆円、1世帯平均で約3,100万円となっている。
ところで、日本では、金融資産を除いた有形資産の中で、土地資産の比率が著しく高い。これは、いうまでもなく、都市部を中心として、地価がきわめて高いためである。
土地は、金融資産と違って、それ自体が勝ちのある資産ではある。しかし、問題は、その評価にある。まず、大部分の土地は、実際には取引されていない。
全体の土地ストックからみるとごく一部分に過ぎない取引で成立した価格で、全体の土地を評価しているに過ぎない。なぜならば、現在の地代・賃貸収入から推測される将来の地代・賃貸料からだけでは、現在の価格はとても説明できないからである。
未来永劫値上がりが続かない限り、現在の地価は課題評価されていると言えよう。これらを考慮すると、本来の意味でのストックを見るには、住宅、建物、機械などの「純固定資産」に注目すべきだろう。
純固定資産には、私的なものと公的なものがある。前者は、住宅、耐久消費財、工場、機械設備など、個人や企業などの民間セクターが所有するストックである。
これに対して、後者は、人々が共通に仕様する資本であり、「社会的ストック」あるいは、「社会資本」と呼ばれる。
具体的には、道路・街路、都市公園、港湾、鉄道、下水道など国民や地域住民が共通に使用する生産活動や生活のための資本、国公立学校、国公立病院・保健所、防衛関係施設、官庁施設、および、治山、治水、海岸整備などの国土保全施設を指す。
日本は、私的ストックの面では豊かになったが、社会的ストック、特に都市における生活環境の面では、まだ不満足な状態にある。
このため、都市生活環境施設を中心とした社会資本の整備が重要な政策課題と考えられている。この面でいかなるストック形成を行えるかが、今後日本の大きな課題と言えるだろう。
(『分析・日本経済のストック化』から)
* * *
<バブルが弾けても「ストック化」と言えるのか?>
ここで取り上げた文献は1992年9月までに出版されたものだ。株価が下落し、不動産価格も下落し、デフレ・スパイラルが始まったと言われ始めたのは、これらの書物が出版されてからしばらくしてからのこと。
詰まり、これらの筆者は不況が深刻で長期化するとは予想していなかった。資産価値の上昇は基本的に構造変化によるもので、これからもフローよりもストックを重視すべきだとの立場にたっている。
けれどもその後「ストック化」はあまり叫ばれていない。むしろ「インフレ・ターゲット」が強く主張されている。「ストック化」については言及されず、「インフレ・ターゲット」が主張され、さらに、最近ではその「インフレ・ターゲット」も叫ばれなくなった。
諸物価の値上げが続き、インフレと言えるかどうかは諸説あろうが、少なくとも「デフレ・スパイラル」から脱出したのは間違いないだろう。
しかし、インフレ・ターゲットを主張したエコノミストは、この諸物価値上げについて言及しない。マイルドなインフレを主張したのだから、「昨今の諸物価値上げはマイルドなインフレで日本の経済に取って大変好ましい現象である」と解説すべき人たちが黙っている。
ストック化は地価や株価の上昇によるものだから、これだけ地価や株価が下落したのだから、「ストック化」はピント外れの議論とも言えそうだ。
とは言え、これだけ強く主張された理論なので無視するわけにはいかないし、もう少し「ストック経済」について考えて見ようと思う。
とりあえず、今週は「ストック化」について、その言葉を普及させようとした人々の意見を引用してみた。
(^o^) (^o^) (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
『「ストック経済」の時代』 豊かさ獲得への処方箋 宮尾尊弘 日本経済新聞社 1989. 9.21
『ストック経済を考える』 豊な社会へのシナリオ 野口悠紀雄 中公新書 1991. 1.25
『ストック経済の構造』 岩田規久男 岩波書店 1992. 4.28
『分析・日本経済のストック化』 伊藤隆敏・野口悠紀夫他 日本経済新聞社 1992. 9.22
( 2008年3月3日 TANAKA1942b )
▲top
(2)『経済白書』の説明を読む
資産価値の上昇を肯定的に捉えている
<「ストック経済」という言葉を流行らせた『経済白書』の説明を読んでみよう>
バブルが膨らんでいた頃、流行に敏感なエコノミストが「ストック経済」とか「ストック化」という言葉を使った。
「ストック化」という言葉が市民権を得たのは『経済白書』が使ったからだろう。『経済白書』の権威が「ストック化」を普及させた、と言って良いと思う。
そこで今週は『経済白書』からの引用をし、「ストック経済」という言葉の意味と、この言葉が使われた経済情勢を思い出して頂きましょう。
本来は『経済白書』からの引用を第1週に扱うのが本筋であるかも知れないが、そこはアマチュアゆえ、扱う順序の乱れについてはご容赦願いましょう。
以下は、平成元年度『経済白書』からの引用です。
* * *
<平成元年版『経済白書』から>
平成元年度年次経済報告(経済白書)公表に当たって
本年度の経済白書は、昭和22年の第1回白書依頼43回目に当たり、同時に平成時代に入って最初の白書ということになります。
61年秋に始まった今回の景気上昇過程は、今や32か月を超え、高度成長末期の「いざなぎ景気」以来、久々の大型景気となっております。
本年度版では、日本経済が円高への適応という形で構造変化を遂げ、新しい歴史的段階に入ったという基本的認識にたって、主として昭和63年度及び平成元年度初めのわが国経済について分析しております。
本文では、こうした変化の潮流を、「高度化」、「グローバル化」、「ストック化」という3つの視点から多面的に部bb席するとともに、新段階の日本経済の姿と問題点を明らかにしております。
こうした観点から、副題は「平成経済の門出と日本経済の新しい潮流」と致しました。
新しい段階としての平成経済が目指すべきものは、対外的には地球的環境問題等を含めた世界経済への積極的貢献であり、また対内的には生産力と豊かさのギャップの解消であります。
わが国の繁栄とともに、世界の平和と経済発展のため、わが国の経済力を最大限に活用していかなければならないと考えます。
そのためには、制度・慣行の徹底した見直しと内需主導型成長の持続が必要です。経済が順調に拡大している今こそ、これらに朝鮮する好機ということができるでしょう。
このようなわが国経済の課題を解決する上で、本年度の経済白書がいささかでも貢献することができれば幸いであります。
平成元年8月8日 経済企画庁長官 越智通雄
はじめに
(昭和経済から平成経済へ)
昭和の日本経済は、幾多の苦難があったとはいえ、それを乗り越え、総じてみれば、順調な発展をとげた。
昭和の前半においては、世界恐慌などの厳しい国際環境の中で、困難な状況に直面し、結局、第2次世界大戦に突入したが、国民経済に大きな犠牲を残して終戦を迎えた。
第2次世界大戦後においては、国際環境にも恵まれ、国民の叡智と努力を生かして、復興から高度成長を達成し、石油危機、円高をも克服して、自由世界第2位の経済力を実現した。
今や、豊かな所得・消費水準を享受するとともに、質量両面において、世界最高水準の工業国として世界経済の運営に重要な役割を担うまでに発展をとげた。
この間の推移を振り返ってみると、終戦から昭和30年までは戦後復興の時期であった。新憲法下で、大戦による経済困難からの脱却を図るため、政府は@「経済安定本部」設置(21年)による傾斜生産方式の実施、
A財閥解体、農地改革といった民主化政策の推進、Bインフレ抑制のための緊縮財政(「ドッジライン」)、C360円レートの設定(23年)等相次ぐ政策を打ち出した。
こうした中でわが国経済は「朝鮮特需」もあり、戦前水準に向かって回復を続け、31年度経済白書では「もはや戦後ではない」と明言するまでに復興した。
復興をとげた日本経済は、「国際収支の天井」による引き締め、景気後退をはさみながら、神武景気(30年代前半)、岩戸景気(30年代半ば)、いざなぎ景気(40年代前半)と平均10%以上の高度成長をとげた。
「所得倍増計画」の策定(35年)の下で、「投資が投資を呼ぶ」設備投資ブームと3種の神器(洗濯機、テレビ、冷蔵庫)から3C(乗用車、カラーテレビ、クーラー)へという消費ブームがこれを支えた。
この間、「IMF8条国」への移行(39年)など、開放経済体制の整備が行われるとともに、40年代に入ると次第に国際収支黒字が定着していった。
40年代後半以降、世界経済は国際通貨制度の動揺(46年「ニクソン・ショック」、48年変動相場制への移行)、2度にわたる石油危機(48年、53年)等から揺れ動き、
日本経済もまた「列島改造ブーム」と「第1次石油危機」後の「狂乱物価」、貿易赤字転落、その後のスタグフレーション、構造不況業種の出現、大幅な財政赤字等さまざまな困難に直面した。
しかし、日本経済は企業・家計の柔軟な対応によって合理化、省エネ化等産業構造の転換を進め、インフレを克服し、国際競争力を強めて持続的成長の基礎を再び築いた。
50年代後半以降、臨調・行革審の提言を受けた行政改革の下で、民間企業の活力が喚起された。同時にアメリカの貿易赤字拡大、日独の黒字拡大という先進国間の対外不均衡が生じ、これに対して60年以降、国際協調の下で大幅な通貨調整が行われた。
日本経済は大幅な円高に積極的に適応し、当初の「円高不況」を克服し、財政金融政策の支援も受けて、内需主導型成長が実現した。
平成を迎えた日本経済は、景気回復から3年目に当たり、「いざなぎ景気」以来の力強い景気上昇の中にある。
(新段階の日本経済)
昭和63年度から平成元年度への日本経済をみると、円高への適応が進み、その結果、旺盛な設備投資、個人消費による内需主導型成長の実現、物価安定基調の持続、製品輸入の大幅な増加、
世界最大の債権国への移行など、これまでとは一段異なった姿がみられる。その意味では、平成を迎えた日本経済は新しい段階に入ったともいえよう。
すなわち、第1には産業、生活の両面を通じる一層の「高度化」である。生活面においては多様化、高級化の動きがみられ、産業面においては情報化、ハイテク化、あるいは高付加価値化が進展しており、それが力強い内需拡大の背景でもある。
第2には、国際化の一段の進展である「グローバル化」である。製品輸入の急増や海外生産の増加などを通じて、企業活動や国民生活における世界経済との相互関連は一層密接になるとともに、わが国が世界経済の発展に果たす役割はさらに大きくなっている。
第3には、「ストック化」である。金融資産の蓄積、資産価値の上昇などの同行が経済に与える影響が強まっており、金融の自由化がこうした動きを加速している。
今回の景気上昇期においても、新段階の日本経済の持つこれらの特徴が、景気を引っ張る力となっている。
反面において、このような発展の中で、依然解決が迫られている問題が残されており、同時に新たな問題も生じている。
平成元年度の年次経済報告においては、上記のような経済動向を踏まえて、「新段階の日本経済」の姿と問題点を明らかにするとともに、今次景気上昇との関わりを分析することとした。
第1章では昭和63年度の経済動向を振り返り、第2章では「高度化」、第3章では「グローバル化」、第4章では「ストック化」の姿と問題点を議論している。
第5章では、今回の景気上昇の特徴をその持続力とともに分析するとともに、財政金融政策の課題を取り上げ、最後に「むすび」においては、平成の日本経済が目指すべき基本的方向を明らかにしている。
第4章 日本経済のストック化
(ストック化の意味するもの)
経済発展の基礎はいうまでもなく資本蓄積であり、それは貯蓄を供給する家計やそれで実物投資を行う企業の不断の努力の賜物である。
他方、保有資産の残高が増加してくると、それが逆に家計や企業の行動に大きな影響を及ぼすようになる。
個々の経済主体にとっては、毎期の貯蓄・投資決定といったフローの意志決定だけではなく、ストックレベルでの意志決定、すなわち保有資産の構成や利用方法を見直し、必要に応じて資産の組み替えを行うことが有用となる。
そうすることによって保有資産の収益性を顕著に高めることが期待されるからである。
一方、公共部門にとっても、経済活動の基礎となる社会資本の着実な整備、蓄積が重要であり、また、保有資産や負債の見直しが必要になる。
社会資本の蓄積が依然として立ち遅れているわが国にあってはその担い手としての公共部門の役割はとりわけ重要である。
なお、公有地の再開発などによる有効利用、国債管理政策の見直しなども公共部門のストック面の課題として捉えることができよう。
このように、ミクロレベルで各経済主体がそれぞれのストック面をより強く意識して行動するようになった結果、資産市場の動向が経済活動に与える影響は、プラス面でもマイナス面でも格段に大きくなっている。
マイナス面の例としては62年10月の株価暴落、最近の地価高騰やいわゆる「財テク」の行き過ぎなどがあげれよう。
しかし、健全なストック拡大は当然経済社会にプラスの影響をもたらす。現在の大型景気をリードする活発な家計消費や設備投資の背景には、それらを基礎から支える要因として資産効果が寄与していると考えられる。
また、より長期的な側面として、美しい年の建設が進み、住宅や社会資本の蓄積が進めば、仮にフローのGNPが同じでも、国民生活はそれだけよとりのある豊かなものになると期待される。
こうした資産蓄積の裏側では、資金運用側と調達側をつなぐ金融システムの重要性が一層高まっていると言える。
蓄積された資本やその価値を体化した株式が市場で取引されるようになり、また新たな資本蓄積に必要な資金を外部調達するために各種金融資産が広範に拡大する。
また、資産市場が高度に組織されてくると、家計や企業は資産の組み替えをより効率的に行えるようになる。
さらに、資産残高が増えてくると、それを誰が保有しているかという問題が重要になってくる。資産非夕の分布状況は、昨今の土地・住宅問題の深刻さをみれば、それ固有の問題としても重要であるが、そればかりではなく、資産からの所得の分布にも大きな影響を与える。
近年、土地や株式からのキャピタルゲインは、未現実のものを含めると時にGNPの大きさを凌ぐほどの規模に達するし、利子、配当などインカムゲイン(財産所得)も相当な規模に増大してきている。
本章では、以上のように資産残高が増加し、その保有や取引の経済全体に与える影響が高まってゆくことを「ストック化」と呼ぶこととし、そのストック化が日本経済に与える影響やわが国が目指すべき方向、そのための政策対応等について検討する。
第5章 ストック化との品経済の課題
{資産大国」への課題
これまで見たように、わが国の資産規模は格段に大きくなり、表面上はストック化が進んでいるようにみえるが、その中身は金融資産の拡大や地価上昇を反映したものであり、必ずしも国民生活の豊かさに直結するような形のストック化になっていまいと考えられる。
資産は無目的に蓄積するだけでは意味がない。資産を蓄積するのは、それから得られるフローのサービスを消費するためにほかならない。
今後、わが国が国民資産の質的な面で充実を図り、名実ともに「資産大国」と呼ばれるようになるためには、純資産を拡大させ、ストックから生まれる有形、無形のフローが国民生活の物質的、精神的両面の豊かさに結びつくような形のストック化でなければならない。
ここで、このような意味での「資産大国」を実現するための政策課題に関して、重要と思われる視点を整理しておこう。
第1に資産蓄積の効率性が重要である。わが国の貯蓄率が依然高い水準にあることは既にみたところであるが、その点からすれば、日本人は現在の生活水準よりも将来における生活向上や不安の解消を相対的に重視する国民であると言える。
しかし、現在問われているのは、その貯蓄が効率的に使われ、社会資本や住宅といった資産の形成に役立っているかどうかである。
まず、国内の貯蓄が設備投資や社会資本整備といった国内資産の充実に向かうだけでなlく、海外に流出して、外貨建金融資産や海外不動産の形で運用されているということである。
外貨建資産はいうまでもなく為替レートの変動リスクに晒されている。わが国の保有する外貨建資産が増大している状況から、為替リスク管理に失敗した場合、莫大な為替差損が生じる可能性がある。
わが国が世界の資本供給国として重要な役割を果たしていることは否定できないが、同時に投資対象や投資方法については、投資先国の利益を損なわないよう十分注意を払う必要がある。
また、国内に投資された場合でも、それが必ずしも効率的にストック形成に結びつかないという点である。例えば、前述のように、住宅等の資本減耗が速く、純資産の増加に結びつきにくいという問題や、社会資本整備については、公共事業費のうち用地買収に使われる比率が大都市圏では高くなっているなどの問題もある。
ストックを充実させるために、現在の生活を過度に切り詰めることは愚かなことであるが、現在の貯蓄率のもとでも、貯蓄の仕方を効率的にすることによってさらに蓄積のスピードを高めたり、資産の質を向上させたりすることは十分可能であると思われる。
特に、来るべき高齢化やそれに伴う貯蓄率低下の可能性、財政制約等を勘案すれば、今後いかに効率的にストック整備を進めるべきかという観点は極めて重要であろう。
第2に、効率性が重要とはいっても、ストックの整備がすべて市場メカニズムに委ねられてよいということを意味するわけではない。化買うメカニズムが働きにくい分野でのストック整備もまた重要である。
これに該当するストックの典型例として社会資本があり、民間部門の資本ストックなどと比較して市場メカニズムのみに委ねると整備が遅れる傾向がある。
そこで、社会資本の整備に当たっては、その効率化に配慮しつつ、中長期的に社会ニーズ、整備状況等を踏まえてこれを着実に行っていく必要がある。
第3に、資産分配の問題である。第1節でストックの分配がフローの分配よりも不平等になっており、土地を中心に資産格差が拡大傾向にあることをみたが、資産格差、特に土地のそれが深刻な問題であり、資産格差縮小の方法について再検討する必要があるということは大方の認めるところであろう。
また、土地問題にみるように資産分配の問題と資産価値形成の問題は密接に関連しており、地価など資産価格がファンダメンタルズを反映した合理的なものとなるよう、必要であれば関連制度の改善を行う必要がある。
第4に、国民経済計算に現れないような無形のストックの重要性も強調しておく必要がある。技術や知識といったストックが重要であることは、わが国の戦後の成長過程を見れば歴然としている。
また、学校教育、職業訓練などを通じた人的ストックの蓄積も重要である。今後は世界の公共財になるような基礎研究の蓄積など質的な面での充実が求められている。
以下では現在のわが国において特に重要と思われる社会資本整備の問題と土地・住宅問題について、これらの視点に即して検討しよう。
(平成元年度『経済白書』から)
* * *
<自信満々の経済企画庁>
当時は日本経済をこのように捉えていた。経済官僚がそうであれば、民間の経済主体も日本経済の豊かな成長を疑わず、資産価値が上昇する不動産や株に投資していた。
金融業界も民間人も、資産大国を疑わず「ストック化」に期待していた。そしてバブルがはじけた現在「ストック経済」という言葉は聞かれなくなった。
「ストック経済」という言葉を普及させたエコノミストはその後、「インフレ・ターゲット」という言葉を流行らせた。しかし、デフレ・スパイラルから抜け出し、諸物価が値上がりし始め、マイルドなインフレ傾向になると「物価が上昇するインフレは良いことだ」とは言わなくなった。
エコノミストは時代に敏感であるべきで、「ストック経済」という言葉が流行りそうなら、その言葉を積極的に使い、「インフレ・ターゲット」という言葉が世間受けしそうなら、その言葉を先頭に立って普及・布教させる。
けれども、情勢が変わってその言葉が飽きられてくると、態度を一変させ別の言葉を普及させる。こうして「ストック経済」という言葉はどこか人目に付かないところに「ストック」されてしまった。
へそ曲がりの「アマチュア・エコノミスト」は「ストック化」された「ストック経済」という言葉を見直して、その言葉の利用価値を考えて見ようと思いたった。今週に続き、もう少し「ストック化」という言葉について、追求するつもりです。
(^o^) (^o^) (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
『経済白書』平成元年度 経済企画庁 大蔵省印刷局 1989. 8.30
( 2008年3月10日 TANAKA1942b )
▲top
(3)地価上昇による資産増加をみる
実体を伴わないバブルなのか?
<エコノミストたちを踊らした『経済白書』の内容>
戦後の日本経済を振り返ると『経済白書』の内容がエコノミストに与えた影響は大きいものだったことがわかる。
『経済白書』で使われた言葉がその時代を表現するキーワードになり、『経済白書』の経済に対する見方をエコノミストはさらに増幅してマスコミで紹介・宣伝・布教させた。
それは、先週扱った「はじめに」
▲
を読めば納得いくだろう。『経済白書』で使われエコノミストたちが普及させた言葉が、その時代のキーワードになっている。
今ここで扱っている「ストック化」とか「ストック経済」という言葉も、『経済白書』が使ったことにより、一部のエコノミストが盛んに使うようになった。
先週は、「ストック化」とか「ストック経済」という言葉について扱ったので、今週からはもう少し具体的な「地価」「株価」という資産について『経済白書』でどのように扱っているのか、
先週同様『経済白書』からポイントとなりそうな部分を引用することにした。まず、今週は「地価」についての部分を引用する。
* * *
<資産価格形成のメカニズム>
資産価格の正常な姿は、一般に将来にわたる収益の流列を適当な割引率で資本還元した価値、すなわち将来収益の割引現在価値として捉えられるが、こうした資本還元価値は将来にわたる収益と割引率に関する人々の予想に決定的に依存している。
人々の予想はうつろいやすく、しばしば実体からかけ離れることがあるから、資産の価格は本来的に変化の激しい性質をもっていると言える。
しかし、資産価値が過度に変動した場合には、実体経済に悪影響を及ぼす場合がある。60年代に入っては、地価高騰と株価の変動がクローズアップされていることから、以下では土地と株式について資産価値の形成、変動のメカニズムを分析するとともに、それらを含めた資産価値の相互関連についても分析する。
地価高騰とその原因
(今回の地価高騰と過去との比較)
55年頃に東京都心の商業地から始まった地価上昇は、61年、62年と上昇率を高めたが、都心部では63年以降沈静化した。
しかし、東京周辺の住宅地の中には63年に入っても上昇が続いている地域があり、また、大阪圏、名古屋圏、さらには地方中枢、中核都市へと地価上昇が波及していった。
今回の地価高騰は、戦後の歴史を振り返っても最も大規模かつ深刻なものの1つとなった。公示価格(全用途平均)の上昇振りをみると、東京圏では61年初と比較して2年後には2倍を超えた。
47年から48年にかけて、今回に匹敵する規模の地価上昇がみられたが、この時には2年間で2倍近くになったものの、49年にはその反動で下落している。
今回の場合も63年以降、東京圏の住宅地、商業地では地価の下落が始まっている地域があり、次第にその範囲が広がってきているが、63年中の下落率はたかだか数%程度で、全体としては高止まり傾向にあると言える。
今回の地価高騰について、都道府県地価調査でみると、上昇、波及のパターンにも47〜48年のそれと比較して、以下のような特徴がみられる。
第1に、都心の商業地が上昇し、それが住宅地に波及する形で地価が波紋的に上昇したことである。すなわち、東京都心3区(千代田区、中央区、港区)の商業地は58年ころから上昇をはじめ、61年前半をピークに上昇率は徐々に低下し、63年前半以降横ばいないしやや減少に転じた。
また、区部都心部の商業地は同じ頃から上昇を始め、半年遅れの61年後半にピークアウトし、やはり63年前半には沈静化した。
続いて、区部南西部の住宅地が60年頃から徐々に上昇をはじめ、61年後半から62年前半にピークアウトした。区部北東部や多摩地域の住宅地は61年頃から上昇を始め、さらに半年後の62年中にピークアウトした。
さらに周辺の千葉県、埼玉県の住宅地では62年から上昇を始め、同年後半にピークアウトしている。このように、東京圏の地価は中心商業地から周辺住宅地へ1年以上のラグをもって波及していった。
この点、前回の場合は、商業地、住宅地、工業地などほとんどの用途でほぼ同時に地価上昇がみられ、今回と対照的になっている。
第2に、地域別では、東京圏が先導し、その後他の大都市圏、地方圏へ上昇率が減衰しながら波及している。すなわち、商業地の地価上昇については東京圏のピークが62年前半であるのに対し、大阪圏はそのおよそ半年後と時差がある。
名古屋圏や一部の地方都市ではさらに時差が大きい。このような時差は住宅地についてほぼ同様にみられる。
また、上昇率については、これまでのところ東京圏の商業地がピーク時で年率80%近い上昇だったのに対し、大阪圏ではその半分程度、名古屋圏その他ではそれ以下の上昇率になっている。
(地価高騰の要因、背景)
こうした地価高騰はなぜ生じたのであろうか。近年、わが国経済の国際化の進展に伴い、東京圏に経済機能等の集中が進んでいる。
特に、東京は国債金融センターの1つとして急成長してきており、都心のオフィス受給は逼迫してきていた。これに関連して、東京の土地の生産性(限界価値生産性)やその期待値の上昇があると考えられる。
これに対し、前回は列島改造ブームのあおりで全国的に地域開発熱が高まっていた。これに過剰流動性が重なって、全国ほぼ同時に、かつ同じような規模で地価上昇が生じたものと考えられる。
それでは、次にこうした背景を定量的な分析によって確認しよう。
土地市場は、地域や用途によって細分化された小市場から成り、それらが相互に影響しあって地価を形成していると考えられる。
ここでは、今回の地価高騰の端緒となった東京圏の商業地とその波及が懸念される全国の住宅地について、それぞれどのような要因が土地の需要・供給や価格形成に影響しているか、またそれがどう変わってきたかを見ることにする。
まず、東京圏の商業地の地価上昇について、需要要因、予想地価要因および金融の緩和を表す要因に回帰したうえで、要因分解を行った。需要要因としては、東京圏への経済機能の集中を表す指標をとった。
また、資産としての土地取引には、人々の将来地価に関する予想がどのように形成されるかが重要である。ここでは、予想地価は過去の地価の動きをベースに、これに過去のランダム要素の加重平均を加味して形成されると考え、ARIMA(自己回帰和分移動平均)過程に従うと定式化した。
これにより、前回と今回の地価上昇要因を比較すると、今回の方が需要要素の寄与度が大きいことが注目される。
また、前回、今回とも、寄与度の違いはあるものの、共通の要因として金融緩和と予想地価上昇率があげられる。金融要素では、前回、今回ともマネーサプライ(M2+CD)の伸び率が高く、余剰資金が土地登記に回ったものと考えられる。
また、予想地価要因については、いずれの場合も予想地価の上昇が実際の地価上昇率を押し上げるという形になっており、なんらかのきっかけでこうした自己実現的な予想が支配した場合、地価は一層上昇する可能性があるものと考えられる。
以上をまとめれば、前回と今回で異なる点は、主として需要要因の相違である。すなわち、前回は列島改造ブームであり、今回は東京への経済機能の集中とそれに伴う事務所需要の増大という実体的な要因があったが、今回の方が、需要要因の寄与度が大きく現れている。
また、共通の要因として金融緩和と地価上昇予想により多かれ少なかれ地価上昇が増幅された点があげられる。
一方、住宅地の地価については、ストック価格としての地価が新規の宅地に対する需要と供給が一致するように決まるという考え方に立って、需要関数、供給関数を実際に推計し、これに基づき全国の住宅地の地価の動きをいくつかの要因に分解した。
ここでは、単純化のため、供給は農地等から宅地への転用とし、供給側は、税引き後のキャピタルゲインの動向をみながら供給量を決めると仮定した。
また、需要側は、現在の地価、将来の予想地価、土地と代替的な資産の収益率等によって需要量を決めると仮定した。
この需要量にはすぐに宅地転用される分のほか、ディベロッパー等による開発待ちの在庫需要も含まれる。なお、地価の予想形成は、商業地と同じARIMA過程に従うと仮定した。
その結果をみると、前回と今回の両方とも予想地価の役割が大きく、商業地の地価上昇との共通点が見出せる。新規の宅地の需要関数において、現実の地価上昇は需要を減少させるように働き、逆に予想地価の上昇はそれを増加させる方向に働くのは、新規の宅地の需要者がキャピタルゲインの獲得を狙って土地を購入していることを示していると解釈できる。
金融要因としては、一般には貸出金利の低下が新規の宅地需要を誘発し、地価を上昇させる面があると考えられるが、今回の場合はそれほど大きな押し上げ要因にはなっていない。
また、宅地供給の主要部分を占める農地から住宅用地への転用は、48年をピークに年々減少しているが、これを新規の宅地供給関数からみれば、農家の金融資産蓄積が進むなど、農地売却のインセンティブが弱くなってきたことも影響していると考えられる。
この分析においては、新規の宅地市場が急速に縮小するとともに、地価の上昇によって新規の宅地の需給が保たれている様子がうかがえる。
このことからも、大都市圏における宅地供給の増加が地価問題の解決にとって重要であると考えられる。
(平成元年度『経済白書』から)
* * *
<結局のところバブルだったのか?>
『経済白書』を読む限り、地価上昇がバブルだったのかどうか?ハッキリしない。
土地価格が上昇した、その過程については詳しく書いてあるが、土地価格の上昇が正常な経済減少だったのか?
あるいは実体を伴わないバブルだったのか?この点がハッキリしない。土地価格や株価という生産価値が上昇し、経済のフローの部分に対し、ストックの部分が大きくなった、そこで「これからはストック化」と言っている。
それは、土地価格上昇や株価上昇を良い経済現象だ、と捉えていることになる。しかし、「土地問題」との表現は、「土地価格が上昇するのは良くない社会現象だ」と言っていることになる。
そして、「今回の地価高騰は、戦後の歴史を振り返っても最も大規模かつ深刻なものの1つとなった」
▲
との表現は、「土地価格が上昇するのは良くない経済現象だ」と言っていることになる。
「ストック化」というからには土地価格や株価の上昇が正常な経済現象であった、との前提に立たなければならない。
もし、これらの資産価値上昇がバブルならば、「ストック化はバブルだ」、ということになってしまう。「ストック化」という表現を使って、「日本経済が今まで以上に健全でたくましく成長する新しい段階に入った」、と言うならば、資産価値の上昇がバブルではなく、正常な経済現象でなければならない。
景気上昇が続き、資産価値が上がり、「日本経済万々歳」と言いながら、その理由付けに説得力がない。けれども、『経済白書』での不安な気持ちを持ちながら、それでも「日本経済万々歳」と言っていたのが、時代の先端を行くエコノミストたちが、「日本経済万々歳」の部分だけを強調してマスコミに登場した。
それを受けて、価値がバブル的に上昇する土地や株式や投資対象となる商品のセールスマンは、自信を持ってバブル商品の売り込みに力を注いだ。
そして、それを日本の金融業界が資金提供でこの動きを支えた。
このホームページはバブル検証を目的とするものではない。大切なのは、当時政府やエコノミストは「ストック経済」をどのように考えていたか?を検証することにある。
そして、TANAKAは、「ストック経済」という考え方は、バブルがはじけた現代でも意味のある言葉のように思われ、バブル破綻後の現代でこそ、「ストック経済」という見方が必要なのだ、という気がする、
という気持ちでこの「ストック経済という考え方」シリーズを書き進めて行くつもりです。
(^o^) (^o^) (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
『経済白書』平成元年度 経済企画庁 大蔵省印刷局 1989. 8.30
( 2008年3月17日 TANAKA1942b )
▲top
(4)一般人も巻き込んだ株式投機
株に合理的な価格はあるのだろうか
<地価と同様右肩上がりを疑わなかった>
『経済白書』で土地価格の上昇をバブルとは決めつけていない。不安材料は提供しつつも、正常な経済成長だと考えて書いている。
土地価格の上昇と並んで、日本の試算価値上昇のもう1つの現象が株価上昇であった。そこで、先週と同じように『経済白書』から株価上昇に関する部分を引用してみよう。
* * *
<株価変動とその要因>
(株価の短期変動の分析、評価)
50年代後半以降の金融緩和の基調のもとで、株式市場は世界的な活況を呈し、わが国においても株価は強い上昇トレンドを持ってきた。
例えば、55年から63年までの東証株価指数の年平均上昇率は21.5%にも達している。
62年10月の株価暴落、いわゆるブラックマンデー以降の各国株式市場をみると。日本(東京市場)では、落ち込みが比較的小さかったこともあるが、いち早く回復し、1988年4月には暴落前の最高値を回復した。
これに対し、ニューヨーク、ロンドンなどの海外主要市場では日本より回復が遅れ、暴落前の水準を回復したのはニューヨークで1989年1月、ロンドンでは未だ暴落前の水準を取り戻していない。
ここで、わが国の株価(東証株価指数)を、ファンダメンタルズの代表としての収益要因(営業損益)、金融の価格面を表す金利要因(国債利回り)、金融の量的側面を表す貨幣数量要因(マーシャルのkのトレンドからの乖離)、さらに投資家のキャピタルゲイン獲得の期待を表す予想要因に回帰して、どのような要因で株価が変動しているかをみた。
これによって60年代に入ってからの株価の変動を追ってみると、まず、60年から61年にかけては、金利低下を背景に金利要因が株価の上昇を支える主たる要因であったことがわかる。
これに対し、62年頃からは、金利要因とならんでもう1つの金利要因である貨幣数量要因が株価上昇に対する寄与率を高めている。
また、61年の後半から62年秋の株価暴落までは予想要因の寄与率が高い水準にある。これは、人々が過去の株価上昇の経験をもとに将来の株価上昇の継続を良そうするという、いわば論理的根拠の乏しい自己実現的な予想形成のプロセスを表しており、この過程で一般に「バブル」と呼ばれるものが形成される場合がある。
さらに、暴落後の株価上昇をみると、予想要因は株価上昇を大きく抑制する方向に作用しており、投資家の間で一転弱気な予想が支配的になったことをうかがわせるが、他方、今回の景気上昇を背景に収益要因が大きくプラスにさようしており、加えて63年後半には金利要因が再び株価上昇を支える要因として登場している。
以上をまとめると、日本市場における株価の回付かが早かったのは、第1に日本経済ファンダメンタルズの強さがあげられ、次いで、金融緩和の継続が貨幣数量面と金利面の両方から株価回復に寄与し、弱気な予想を相殺したと言えよう。
なお、この分析からも示唆されるとおり、株価にはファンダメンタルズから乖離して変動する可能性がある。
これには、投資家が論理的根拠に乏しい予想をもって投資を行っている場合が考えられるが、一方、ファンダメンタルズから乖離した株価が急落する可能性があることを投資家が知っていても、十分なプレミアムが得られれば、その市場にとどまり、株価は上がり続けることがあり得る。
前者は不合理なバブル、公社は合理的バブルと呼ばれる。わが国の株式市場においても、暴落に至る過程などで、こうした合理的バブルが発生していた可能性は否定できない。
(株価水準の分析、評価)
このように、わが国においては暴落後の株価の上昇は急速であったが、わが国の株価水準はもともと高いとの見方がある。
こうした株価水準の評価にあたって実務家の間でしばしば株価収益率(PER)、すなわち株価の1株あたり利益額に対する比率が使用されてきた。
PERの実際の値をみると、1975年にアメリカで12.4倍であったのに対し、同時期の日本では27.0倍とすでに大きく上回っている。
1988年になるとアメリカが11.1倍であるのに対し、日本では58.4倍と差がさらに拡大している。PERによる株価評価の背景にある理論的説明としては、株価の正常な姿は、毎期のフローの利益の将来にわたる流列の割引現在価値であるというものである。
したがってPERの値は割引率を反映したものとなっているはずである。すなわち、PERは、割引率(リスクプレミアムが一定とすれば市場利子率と考えられる)が低いほど高くなると考えられる。
こうした点を考慮して、日米の金利差を修正してみると格差はかなりの程度縮小するが、依然として格差は残る。
わが国の株価やPERに影響を与えているもう1つの重要な要因として、企業間の株式の持ち合いがあげられることがある。
株式の持ち合いは、株価をその分だけ高めると考えられる。その理由は、経済全体の利益額や一般投資家がよくする株式数等が変わらないならば、株式の持ち合いはその分だけ経済全体として必要な発行済株式数を増加させると考えられるからである。
また、配当性向が100%でないかぎり、同様の理由によってPERも株式の持ち合いにより上昇すると考えられる。わが国の株価水準やPERの高さの幾分かはこうした構造的な特性を反映したものだと考えられる。
株式の持ち合いがPERに与える影響を取り除いて国際比較するために、わが国で株式の持ち合いがなかったとした場合のPERを試算すると、日本とアメリカのPERの差はさらに縮小する。
このように、わが国のPERが高いのは、かなりの程度、金利差や株式の持ち合いの違いを反映したものであると言える。
一方、わが国企業が土地や株式の形で膨大な含み資産を保有していることから、株価にもこうした含み資産の価値が反映されているものとの考え方がある。
第1節でみたとおり、わが国の法人企業部門に存在する含み資産は膨大なものであり、かつ60年代に入り、それがますます拡大している。
企業の保有するストックの規模が拡大する時、投資家がこうした企業のストック面を積極的に評価するのは自然であると考えられる。
ある企業の株価はその企業の資産価値に対する市場の評価であると考えると、これらを経済全体で集計して、わが国企業の株式の時価発行総額はわが国の企業部門の価値に対する市場の評価と考えることができる。
いま、国民経済計算ベースで、株価総額に対する民間企業部門の資産価値の比率(以下、株価・資産評価比率と言う)を計算してみると、50年代に入って一貫して0.5を下回っていたものが、57年を底に急上昇し、62年末にはほぼ1の近傍に達している。
すなわち、株式市場での企業評価を表す株価は、おおむね企業の資産価値を評価した水準になっていると考えられる。
しかしながら、以上のように推計された株価・資産価値比率をもってわが国の株価の水準が高すぎるとか妥当であるとか「評価する」ことには十分慎重でなければならない。
その理由は分母の資産価値の市場価値の評価がだとうであるかという問題があるからである。特に、前項で述べたように土地の市場価値には地価形成における予想要因が相当反映されていると考えられることから、株価と地価の双方にバブル的要因がさようしている可能性も否定できない。
前項の地価についての分析から考えると、60年代に入ってからの地価の動向は、地価上昇に関する予想要因などが実際の地価を押し上げている可能性が高い。
もし地価が課題評価されていれば、それを含む企業価値が過大評価されていることになり、その場合には株価が資産価値に見合っていても、株価もまた課題評価されている可能性が高いということになる。
いずれにしても株価、資産価値比率はあくまで1つの尺度にすぎず、これを用いた株価の評価には多くの留保条件がついており、相当の許容範囲をもって評価せざるを得ないと考えられる。
(平成元年度『経済白書』から)
* * *
<土地価格が上昇し⇒企業の持つ資産価値が上昇し⇒株価はもっと上昇すべき、との理論>
「新日本製鐵は木更津の広い土地を保有している。1997年には東京湾アクアラインが開通します。川崎と木更津を結ぶ東京湾横断道路です。当然木更津の土地価格は上がる。
新日本製鐵の保有する資産価値も上がります。株価も上がって当然です。新日鐵の株価上昇は他企業・他業種の各課上昇をも刺激します。今が株式を買っておく最適の時期です」と証券会社のセールスマンは一般投資家に株式投資を勧誘した。
『経済白書』に関しては▲
を参照。
当時、このような趣旨の論文が賞を受けたこともあって、証券業界のセールスマンは、これを売り文句に営業活動・バブル膨らまし活動に力を注いだ。
ゴルフの会員権業界では「小金井カントリークラブ。ここが解散してゴルフコースの土地を宅地として売り出したらいくらになるでしょうか。それを原資に会員権を償却したら、会員権はもっともっと高くなって良いでしょう」といって会員権が上がることをアピールした。
土地や株式の価格上昇に目を付け、「ストック化」とか「ストック経済」という言葉を使い始めた『経済白書』。それに気づき、その言葉を普及・布教させ名を売ったエコノミスト。そうした動きをセールス活動に取り入れ販売競争に勝ち抜いた会社・営業マン。
そうした大型景気にあやかろうとして株式投資に夢中になった一般投資家。それを資金面で支えたあげくに不良債権をため込んでしまった金融業界。
それでも「ストック経済」という言葉、考え方には引きつけるものを感じる。「経済成長という面からだけではなく、国民の保有する資産(ストック)、という面をも注目すべきだ」、との考えでこのシリーズを書き進んでいます。
(^o^) (^o^) (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
『経済白書』平成元年度 経済企画庁 大蔵省印刷局 1989. 8.30
( 2008年3月24日 TANAKA1942b )