趣味の経済学


ストック経済という考え方


バブル崩壊後も利用価値はあるのか?

TANAKA1942bです。「王様は裸だ!」と叫んでみたいです   アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します        If you are not a liberal at age 20, you have no heart. If you are not a conservative at age 40, you have no brain.――Winston Churchill    30歳前に社会主義者でない者は、ハートがない。30歳過ぎても社会主義者である者は、頭がない。――ウィンストン・チャーチル       日曜画家ならぬ日曜エコノミスト TANAKA1942bが経済学の神話に挑戦します     好奇心と遊び心いっぱいのアマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します     アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します

2008年6月9日更新 
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ストック経済という考え方  バブル崩壊後も利用価値はあるのか?
 (1)フローとストックという経済概念 経済学者の説明を聞いてみよう  ( 2008年3月3日 )
 (2)『経済白書』の説明を読む資産価値の上昇を肯定的に捉えている  ( 2008年3月10日 )
 (3)地価上昇による資産増加をみる実体を伴わないバブルだったのか  ( 2008年3月17日 )
 (4)一般人も巻き込んだ株式投機 株に合理的な価格はあるのだろうか  ( 2008年3月24日 )
 (5)『経済白書』のお墨付きで学者が普及 楽観論から懐疑的見方まで  ( 2008年3月31日 )
 (6)株価の大幅上昇はバブルではない 合理的なバブルと呼ぶべき現象  ( 2008年4月7日 )
 (7)バブルを意識した見方が登場する 実物要因なのか、バブルなのか  ( 2008年4月14日 )
 (8)ストックインフレはバブルであった 自己実現的期待がそれを支えた  ( 2008年4月21日 )
 (9)ストック経済という平成バブル これからのバブル後遺症を予測する  ( 2008年4月28日 )
(10)ストック化した不安大国日本 市場経済の果てしなき格差拡大は続く  ( 2008年5月5日 )
(11)経済格差が広まったストック化 日本の所得分配は平等とは言えない  ( 2008年5月12日 )
(12)格差解消を追求した実験国家 夢と理想を追う、平等社会への試みは  ( 2008年5月19日 )
(13)格差拡大はよくないことなのか? 先に豊かになれる者から豊かになる  ( 2008年5月26日 )
(14)安定成長時代のストック経済学 格差を判断する経済指標は何なのか?  ( 2008年6月2日 )
(15)バブル崩壊後にこそストック経済学 経済学の部外者にやさしく説明を  ( 2008年6月9日 )

趣味の経済学 アマチュアエコノミストのすすめ Index
2%インフレ目標政策失敗への途 量的緩和政策はひびの入った骨董品
(2013年5月8日)

FX、お客が損すりゃ業者は儲かる 仕組みの解明と適切な後始末を (2011年11月1日)

(1)フローとストックという経済概念
経済学者の説明を聞いてみよう
<ゆたかな社会になって登場した概念>  今週から「ストック経済」を扱う。あまり耳にしない「ストック経済」とはどのようなことなのか? 「ストック経済」と題された文献から、「ストック経済」とはどういうことか、参考になる文章を引用することにした。 このホーム・ページでTANAKAが扱う「ストック経済」という言葉、必ずしもこれらの文献で言う「ストック経済」とは同じでないかも知れない。 1980年代後半から、1990年にかけて「ストック経済」という言葉が多く使われ、将来も「ストック経済」が日本経済を分析する手法として多用されるかのように言われた。しかし、現在「ストック経済」という言葉は聞かれなくなった。そのような「ストック経済」とはどのような概念なのであろうか? まずは、経済学者の文献から「ストック経済」の意味を理解して頂きましょう。
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宮尾尊弘『「ストック経済」の時代』から   今、日本経済は大きく変わっている。これは私たちのだれもが持つ実感ではないだろうか。実際、1980年代を通じて日本経済が急速な構造転換を遂げたことは否定できない事実である。 特に1980年代中半以降の動向は、これなでにまったく経験したことのない、新しい時代の始まりと言えるほどのものである。
 具体的には、80年代後半から盛り上がった大型景気が、それまで日本経済の最大の課題と言われていた内需拡大の目標を、急速に達成しつつある。 相当の期間を必要とすると思われていた経済の構造転換が、これほど容易に実現に向かうとは、誰が予想しただろうか。
 実は、この新しい動向の背景にあるのが、経済の「ストック化」という現象である。毎期のフローである所得を中心に動いてきた日本経済が、1989年代を通じて、蓄積された資産、たとえば株式、債券、土地、住宅といった素ロックによって、より大きく左右されるようになった。 とりわけ1985年以降、ストックの増価が急ピッチで進み、前代未聞の急増ぶりを示している。事実、日本の国民資産額は1987年末にアメリカを追い抜き、世界1になった。 まさに新しい「ストック経済の次代」が始まったと言えよう。
 しかし、このような日本経済の新しい動向、特に内需の急速な拡大と、その背景にある経済の急激なストック化という動きは、ある程度だれもが実感しているが、まだそれは明確に体系化したかたちで意識されてはいない。 現在起こっていることの意味を十分理解できていないのではないだろうか。
 実際、まだ日本が所得や生産の面では大国であるが、ストックの蓄積は遅れており。内需が不足しているために、輸出に依存する体質が続いているという見方が、依然として国内でも海外でも支配的なようにみえる。 その見方によれば、1985年以降の動向は一時的な現象に過ぎず、基本的には日本経済の構造は以前と変わっていないとされる。 しかも、この立場によると、経済のストック化に伴う株式や土地などの資産価値の上昇は、資産格差を拡大し、内需拡大を阻むため、望ましくないものとされる傾向がある。
 そして、この見方が海外に広まることによって、日本経済が実態よりもはるかに特殊で望ましくない構造を持っており、それが近年さらにゆがみの程度を増してきているという誤解を持たれる恐れが大きい。 日米経済摩擦に関連して最近アメリカの一部で必要以上に対日強硬論が台頭しているのも、そのような誤解がもとになっている可能性がある。
 したがって、今必要なことは、日本経済の新しい動向を正しく理解するパラダイム、つまり思考の枠組み、あるいは物の捉え方を確立することである。 日本がフロー経済の次代からストック経済の次代に入ったことを、だれの目にも明らかになるように、説得的に示すことであろう。 日本に住む私たちが、まずその経済構造の変化を理解し、それを明確に説明できずに、外国の人々にそのことを理解してもらおうとするには、やや無理がある。 そのためには、まず自己の思考方法を転換することから始める必要があるだろう。
 そして、現状を正しく認識した後に、望ましい動向をさらに促進し、望ましくない動向を是正するために、どのような策が取られるべきかが検討されなければならない。 旧来のパラダイムのもとで、現状を誤って理解した場合には、しばしば経済のストック化を押しとどめるための後ろ向きで規制的は政策が必要であるような錯覚のとらわれやすい。 しかし、新しいパラダイムによって正しく現状を認識した場合には、国際的に共通の、前向きでオープンな政策が適切であることがわかるであろう。
 以上のような問題意識で書かれたのが本書である。筆者が最初に新しいパラダイムの必要性を感じたのは、東京を中心とした地価の上昇が一服した1987年の初めごろであった。 マスコミなどによって、地価高騰が諸悪の根源のように言われていたその頃、まさに日本経済の大型景気の口火が切って落とされ、構造転換の第1歩が踏み出されていたのである。 それから2年以上が経過し、ようやく本書が完成する運びとなったが、その間日本経済のストック化の動きは筆者の予想を上回る速度で進んだというのが実感である。
 実際には、本書の第1部は1988年の1月から1年間アメリカに滞在している間に、また第2部は1989年の春と夏の休暇中にやはりアメリカに滞在している間に執筆したものである。 本書の政策提言が、アメリカ経済のあり方からヒントを得て書かれたことは決して偶然ではない。アメリカに生活し、そのストック経済のあり方がいかに合理的で開かれたものであるかを実感するとともに、日本経済も基本的には同じ方向に向かいつつあることを理解できた点は大きな収穫であった。(以下略)     1989年8月 カリフォルニアにて 宮尾尊弘    (『「ストック経済」の時代』から)
新しいパラダイムへの転換  いまや、従来までのフロー経済と違った、新しいストック経済が確立しつつあることは明らかである。 実際に、ストック化の影響はミクロ的な日常生活の分野から、マクロ的な日本経済全体の動きにまで、幅広く及んでいる。 その結果、これまでの常識では考えられない事態や、これまで経験したことのないような状況が、次々に起こってきた。
 たとえば、1980年代中頃から東京で起こり、全国に波及した土地ブームと住宅ブームは、誰の予想をもはるかに超えた激しさと持続性を示した。 その後、これが首都圏を中心とした消費ブームや、その周辺地域での不動産ブームとなって現れ、さらに住宅や消費といった内需要因の急成長によって民間設備投資が刺激され、その投資がまた消費を誘発するという好循環が生み出された。 このような動きは、どれをとっても過去には想像もできなかったほどの力強さで急速に拡大している。かくして、日本経済は内需主導型に大転換を遂げつつあると言えるであろう。
これらの現象を、従来の思考の枠内で十分に理解することは難しい。慣れ親しんだフロー経済の「パラダイム(思考の枠組み、ものんもとらえ方)では、毎期ごとのフローである所得が消費や投資を決めるとともに、消費と投資によって所得が決定される。 そこでは、ストックとしての土地や住宅が入り込む余地は少ない。特に、地価高騰は実質所得を引き下げ、投資を阻害することによって内需と所得の成長を抑制すると言われ、マスコミによってもこの点が強調されている。 このような発想によってでは、現実のストックを中心とした力強いブームが次々と起こったことも、内需主導型の経済が予想以上のスピードで実現しつつあることも、うまく説明することはできない。
 したがって、当然のことながら1980年代を通じて、古いフロー経済の発想は徐々に力を失っていった。それとそもに、新しい思考の枠組みを模索する動きも強まっていったのである。 そしてついに、パラダイムの転換が起こり始めている。それは、新しい「ストック経済」のパラダイムが誕生しつつあることを意味する。
 ストック経済のパラダイムとは、いわば水道の蛇口から出ている水の流れ(フロー)から出発するのではなく、そのもとにある貯水池全体の水の貯水量(ストック)から議論を始める。 所得や投資といったフローにのみ注目するのではなく、土地や住宅、また株式や債券というストックを中心に、現実の経済の動きを見ていこうとする。
 前者のフロー変数は、後者のストックを変化させる限りで、経済に影響を与えるといってよい。このような視点からすれば。土地ブームや住宅ブームが、グローバルなストック経済化の過程で必然的に起こった現象であり、それが爆発的な内需拡大による大型景気の出発点になったことも容易に理解できるのである。
 私たちは現在、まさにパラダイムの転換期にいる。新しい発想は「コロンブスの卵」のようなものである。古い思考様式に従うかぎり、変化のプロセスはよくわからないが、思考を転換すれば、それが当たり前になってしまう。 新しいパラダイムの意味は、まず現実をよりよく説明したり、予測したりすることを可能にするということである。さらに、それだけでなく、現状を冷静に眺め、何が「正常」で、何が「異常」かを正しく理解することを助ける。
 はたして、土地ブームや住宅ブームという現象は正常であったのか、異常であったのか。これに対する答えは、発想の転換を行ったかどうかで正反対なものになるだろう。 個人や企業は、新しいストック経済において成功するために、また政府は、このような経済を正しい方向に導くために、発想の転換を行わなければならない。 そして、新しい発想のもとに、「正常」な状態と「異常」な状態とを正しく識別する力を養っていくべきである。(『「ストック経済」の時代』から)
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野口悠紀夫『ストック経済を考える』から   日本経済の構造変化を特徴づけるキーワードとして、「経済のストック化」とか「ストック経済」ということばが、新聞や雑誌でしばしば使われている。 1989年の『経済白書』も、「高度化」「グローバル化」と並んで、「ストック化」を主要な概念として取り上げ論じた。
 「ストックか」とな、金融資産、土地、住宅、資本設備などの蓄積(ストック)の重要性が増すことである。 これが関心を集めた契機は、1980年代後半の株価や地価の高騰であった。ただ、この現象は、どちらかというと短期的なものであり、投機的なバブルによる部分が大きかったという意味で、あだ花的な性格を多分にもつものであった。 しかし、ストックかのないようとしては、こうした資産価値の一時的上昇だけでなく、長期的な経済構造の変化もある。 本書でとくに強調したいのは、後者である。
長期的な構造変化としてのストック化が進行すると、毎年生産され支出される「フロー」に対して、過去から蓄積してきた「ストック」の相対的重要性が増す。 これは、企業活動や家計にさまざまの変化をもたらすだろう。それらに対応して、経済制度や政策の見直しが必要となる。 さらに、個人、企業、地域社会、国家など、経済のあらゆる段階で、良質のストックを形成し、これを適切に管理、運用することが重要な課題となる。また、世界経済の中でも、「ストック大国」としての積極的な役割が日本に求められる。
 こうした意味では、日本経済は、すでにストック経済になったというよりも、それに向かう過程にある、といったほうが適切だろう。 しかし、この変化は確実なものだから、「ストック経済」という性格づけが未来の日本社会を適切に捉えていることは、疑いない。
 キーワードとして提唱されるものがどれほど有用かは、それらが単なる現象の言い替えとなるかによる。 「ストック化」という概念は、明らかに後者に属する。「フローからストックへ」という観点から経済現象をとらえ、従来の制度や政策を再点検してみると、それまで漠然としか意識されていなかった変化や新しい現象の意味が明確に理解され、 また、制度改革の必要性や方向づけが明らかになるからである。(『ストック経済を考える』から)
ロビンソン・クルーソーはなぜ暦をつけたか  ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』は、最も単純化された状況下での人間の経済行動を描いているので、経済学の書物でよく引用される。 本書で取り上げようとする問題に関しても、いくつかの面白い事例が見られる。
 その一つは、漂着後10日目から暦を作り、記録をつけていることである。孤島での極限状態を考えると、これは一見して、迂遠な行為に思われる。 クルーソーはなぜ暦をつけたのか。
 彼自身は、「安息日を忘れないため」と説明している。確かにそれもあったろう。しかし、彼にはもっと差し迫った理由があった。 それは、船から持ち出した食料や弾薬がどのくらいの速さで消費されてゆくかを把握することである。それらがある時点でどのくらい残っているかは、調べればすぐ分かる。 しかし、一定期間内の消費量は、暦がないと分からない。だから暦をつけたのだ、というのだ、私の解釈である。
 経済学者は、このことを「ストック」と「フロー」という概念で捉える。ある時点での食料や弾薬の存在量は、「ストック量」である。 これに対してそれらの消費量は、「フロー量」である。 クルーソーは後に食料の生産を始めるが、生産量もフロー量である。このように、「ストック量」とは、ある一時点での存在量なり蓄えであり、「フロー量」とは、一定期間における流れなり変化量である。 ストックを定義するには時点を規定する必要があるし、フローを測定するには機関を定める必要がある。
 クルーソーは、ストックとフローの区別をはっきり意識し、これらのバランスをとるために細心の注意を払っている。 これは、穀物の栽培を始めてからの行動にも現れている。彼は、当初、収穫物を一粒も食べないで、次の季節に蒔く種として貯蔵した。 食べ始めるのは3年目からで、それは「大麦と米の貯蔵が1年間の消費量を上回ったことを確認したから」だ。 クルーソーはすでにフロー量を正確に把握しており、それとの関連で最適なストックを維持しようとしたわけである。
 さて、われわれが住む現代の経済をみよう。ここでのフローは、生産量、所得、消費、投資などである。 具体的な例をあげれば、毎年の鉄鋼生産量、国民総生産、国民所得、輸出、輸入、予算額、国債発行額などがある。 これに対して、ストックは、資本や資産などである。具体的な例をあげれば、機械設備存在量、住宅戸数、土地の価値、株式の時価総額、 国債残高、金融機関の貸出残高、鉄鉱石の埋蔵量などがある。(『ストック経済を考える』から)
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岩田規久男『ストック経済の構造』から   読者は、「ストック経済の構造」というタイトルの本書に対してどのようなイメージを描かれるであろうか。 読者のイメージはさまざまであると思われるが、本書の課題は、「豊かで後世な社会」を築くためには、ストックの価値はどのように形成され、土地などのストックはどうように利用されるべきであり、 そのためには何をなすべきか、といった点を明らかにすることにある。
 ところで、「ストック経済」とか「ストック化」という言葉が、人々の口に上るようになったのは、何よりも1980年代の終わりに、地価と株価の未曾有の高騰が起きたからである。 とくに、東京圏の地価の高騰はとうてい信じられないほどのものであった。すなわち、東京都の住宅地の価格は、1986年に51%も上昇したが、その騰勢は87年に入っても止まず、前年を上回る67%もの上昇となった。 東京都区部の一部地域や川崎市、横浜市、市川市などの住宅地では、地価は86年あるいは87年の1年間で80%から100%も上昇した。 つまり、1年間で地価は2倍以上にもはね上がったのである。こうした前代未聞の地価の高騰を反映して、東京圏のマンション価格の平均的勤労者世帯(京浜地区)の収入に対する倍率は、86年には4倍程度であったが、89年には8.9倍にもなった。 かくて、東京圏や大阪圏などの地価の高い大都市に、相続できる土地を持っていない第1次土地取得者にとっては、マイホームの取得は絶望的となった。 1990年代に入って、地価は沈静化ないし低下したが、事情は基本的に変わっていない。1992年3月現在においても、東京圏や大阪圏の住宅地価は、地価高騰が始まる前に比べて約2.2倍の水準である。
 しかし、地価の高騰に対する人々の反応は一様ではない。すなわち、土地を持っていない人々は、土地が安くなって手に入りやすくなることを望んでいる。 それに対して、土地を持っている人々の心境はもとお複雑である。彼らの中には、地価が高騰して自分の資産保有額が増大したことを心ひそかに喜んでいる人もいるであろう。 いくつかのアンケート調査の結果から判断すると、土地を持っている人にとって困るのは、地価の上昇に伴って固定資産税と都市計画税及び相続税の負担が大きくなることであって、地価が上がることそれ自体ではないようである。 したがって、地価が上昇しても固定資産税・年計画税・相続税の課税評価額があまり上がらなければ、彼らにとって、土地問題は深刻な問題ではない。 むしりマイホーム・ローンを抱えている人にとっては、地価が下がってマイホーム・ローンの実質価値が上がることの方が心配の種である。
 たとえば、1992年には、金融引締と不動産融資総量規制の効果が浸透し、不動産不況が始まったが、マンションや持ち家を買い換えようとする人々は、売るに売れないという状況に直面した。 彼らにとっては、地価の低下は必ずしも望ましいことではない。このように、人々が「地価高騰は困る」といっても、土地を持っている人と持っていない人ではその意味が異なり、人々の利害は一致していない。 このような利害対立を正確に認識することが、土地改革の出発点である。土地問題とはもっぱら政府の無策のせいにすればすむ問題ではないのである。
 たとえば、土地税制改革の1つをとってみても次のような利害対立がある。すなわち、固定資産税を上げれば、東京都区部の土地利用は、税負担に耐えるような形で転換され、その際、都市計画をうまく連動させれば、良好な住宅地の供給を増やすことも可能になるであろう。 しかし、固定資産税の増税に対しては、「零細な住宅地の居住者を追い出す増税だ」という反対が強く、世論もその反対を支持する傾向がある。 永年住み慣れた街に、現状のままで住み続けたいと思う人は少なくない。
 しかし、狭い日本で、現状の土地利用の状況を全く変えずに、全ての人々に快適な居住を保障することは不可能である。 言い換えれば希少な土地というストックを有効に利用せずに、全ての人々に豊かな生活を保障することはできない。
 このように主張すると、土地の有効利用は居住環境を破壊するものだという反論が返ってくるのが常である。しかし、本書のいう土地の有効利用とは、高いビルや住宅を建てるという高度利用と同意語ではない。 住宅地のついていえば、快適な居住環境が保障される土地利用が、ここにいう土地の有効利用である。しかし、土地を高度に利用した中高層共同住宅は、常に快適ではなく、環境を破壊するものだと決め付けるのも硬直的にすぎる。 確かに、既存の多くの中高層共同住宅は快適ではないかも知れない。しかし、それは、快適な中高層共同住宅の建設を妨げている要素があるからかも知れない。 その点を明らかにする前に、「中高層共同住宅は快適ではなく、居住環境を破壊するものだ」という図式に固執すべきではないであろう。
 そでに述べたように、国民の間に存在する地価の高騰やその低下に関する利害は一様ではない。土地を持っていない人々にとって望ましい土地改革は、土地を持っている人々にとっては痛みを伴う場合も少なくない。 この痛みを和らげながら、できるだけ多くの国民の豊かさを増進するにはどうしたら良いであろうか。また、短期的には土地を持っている人々にとっては痛みを伴う政策であっても、長い目で見れば彼らにとってもまた望ましい土地政策はあり得ないのであろうか。 もしあるとしたら、それはどのようなものであろうか。
 さらに、私たちの生活の質は、社会資本や自然資本というストックの存在量とその質によっても大きな影響を受ける。 多くの社会資本の建設には土地が必要であり、土地利用のあり方は自然資本の質に大きな影響を及ぼす。望ましい土地政策は当然これらの問題も視野に入れておかなければならない。 これらの諸問題に対して1つの光を当てることが、本阿処の課題の1つである。
 もう1つのストックの価格である株価は、1990年代に入って一転急落し、1992年3月現在も低迷したまま、脱出できずにいる。 いわゆる、この「バブルの崩壊」の過程で、日本の金融・資本市場が抱えているあらゆる問題が露呈された観がある。 しかし、金融・証券問題がスキャンダルという形で表出したため、世論のこの問題に対するアプローチは、どちらかというと感情的に過ぎるように思われる。 たとえば、株式市場はもともとだまし合いの場であるかのようであり、人々の健全な財産形成の場として育てるためにはどうすべきか、といった点に関しては、必ずしも議論が煮詰められていない。 しかし私たちが不確実な世界に生きている限り、株式資本の供給は不可欠の条件である。このような観点に立って、何が金融・証券市場の真の問題であるかえお明らかにし、どのように改革すべきかという問題に対して、熱を加えるだけではなく、光を与えることが本書のもう1つの課題である。 (『ストック経済の構造』から)
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伊藤隆敏・野口悠紀夫編『分析・日本経済のストック化』から  日本経済は、1980年代の後半から90年代にかけて、これまで経験したことのない異常な経済現象を経験した。 それは、資産価格の大変動という現象である。80年代の後半には、株価や地価が異常な上昇を示した。そして現在、日本経済は、じれらの下落過程に直面している。 90年の株価の大幅な下落に続いて、91年には地価の下落が始まった。
 第2次大戦後の日本では、1975年を唯一の例外として、地価は毎年上昇を続けていた。今回の顕著な地価下落は、日本経済が初めて経験するものである。 また、地価も92年になって再び下落し、関係者に大きな混乱とショックを与えている。
 資産価格の下落は、投機的土地の処分の行き詰まり、不動産業者の倒産、金融機関における不良債権の発生や含み資産の減少等々の問題を発生させる。 これから糖分の間、日本経済にとって最大の課題は、こうした問題の克服にあると言えよう。これへの対処は、まだ始まったばかりである。 そして、日本経済が初めて経験する問題だけに、将来に対する不安も大きい。
 ところで、こうした事態に対して、経済学がこれまで適切な分析を、なにがしかしてきたであろうか。それは、大いに疑問であると言わざるを得ない。 それは、従来の経済分析が、フローを中心としたものであり、ストックに対する関心が必ずしも強くなかったからである。 もちろん、貨幣ストックや資本ストックなどは、経済分析の重要な概念である。しかし、経済分析の中心が所得、消費、投資などのフロー量であったことは否定できない。
 このため、経済分析は、上記の過程を必ずしも的確に捉えたとはいえない。特に重要な点として、次の3点をあげることができよう。
 第1は、資産価格の変動に関する分析である。経済理論で説明されるストック価格は、いわゆる「ファンダメンタルズ価格」、すなわち、ストックの収益と利子率によって説明される価格である。 今回の資産価格上昇期にも、こうした立場から地価や株価を説明しようとする考えが強かった。地価について、経済学者の間で一般的だったのは、「東京への一極集中や利子率の低下で地価上昇を説明できる」との見解であった。 つまり、地価上昇は、経済構造の変化や金融緩和というファンダメンタルズの変化によるものと考えられていた。
 実際、1980年代の後半には、金融の国際化や産業の情報化を反映して経済活動の東京への再集中がおこり、東京のビル賃貸料が高騰した。 また、80年代の後半は、未曾有の金融緩和期であった。プラザ合意後の急激な円高の進行を抑制するため、86年1月から公定歩合の引き下げが始まり、87年2月には2.5%という史上最低の水準になった。 このように、ファンダメンタルズの要因が地価を押し上げたことは事実である。また、株価についても、日本経済の将来の成長を先取りした上昇であるとの見方が強かった。
 しかし、問題は、こうした要因だけで実際の資産価格上昇を説明し尽くせるか、ということである。実際には、化買う上昇のかなりの部分は、ファンダメンタルズの変化では説明できない部分、すまわちバブルの膨張によるものだった。
 バブルの存在を多くの人々が認識するのは、それが崩壊し始めてからである。最近では金利が低下する中で資産価格が下落しているため、 資産価格のなかにバブルが含まれていたことが誰の目にも明らかになった(資産価値がファンダメンタルズで決まっているなら、金利低下で上昇するはずである)。
 第2は、資産価値の変動が実体経済に与える影響である。これに関して、経済理論では、次のような可能性が指摘されている。 一つは個人消費に対する資産効果、すなわち、株式や土地などの資産価値が上昇すると、消費性向が高まり、下落すれば低まるという効果である。 今ひとつは、設備投資への影響である。すなわち、株価や地価が高いと株式市場からのエクイティ・ファイナンスや土地担保借入が容易になるが、バブルが崩壊するとそれができなくなる、というものである。
 ところで、これらの効果が実際にどの程度強く働いたかについては、経済学者の間で意見が分かれている。1980年代後半の好況が資産価値上昇によるものだとする立場からすれば、逆に資産価値が下落すると、実体経済に深刻な影響が及ぶよいうことになろう。 こうした観点から、今回の景気後退は単なる循環的なものでなく、より基本的な構造変化を伴うものであり、大恐慌に匹敵するようなものになるという指摘さえ、一部にはある。 これに対して、資産価値変動が実体経済に与える影響について否定的な見方もある。この観点からすると、景気後退は高すぎた山からの調整過程であり、通常の循環的な現象であるとされる。 このように、史観勝ちの影響についての見解は分かれているが、この問題に対して正確な分析を行うことも、経済分析に課された責務であろう。
 第3は、短期的現象と長期的現象の区別である。上に述べたように、1980年代後半の資産価値上昇のかなりの部分は、短期的なバブルによるものだった。 この意味で、「ストックの比重の増大」のかなりの部分は短期的な現象であった。しかし、長期的な経済の構造変化としてフローに対するストックの比重の増大があったことも事実である。
 このような変化は、経済政策に対して、」さまざまな影響を与える。たとえば、再分配政策は、従来はフローの所得の再分配が中心であったが、今後は、住宅資産の保有状況などのストックの保有をも考慮することが必要となろう。 また、税制に関しても、ストックの観点からの考慮が必要となる。したがって、こうした観点からからヶ諫問題を分析し、適切な政策を構想することが必要である。
 本書は以上のような問題意識から編纂されたものである。もちろん、本書に収められた論文が、以上で述べた問題に対して完全で直接的な解答を与えているとは限らない。 しかし、個々の論文は、各々の分野において、日本経済の構造変化に対して経済学の新しい領域を探ろうとしている。この問題に関する今後の議論の1つの出発点になることを期待したい。 (以下略) (『分析・日本経済のストック化』から)
ストック化とは何か 伊藤隆敏・野口悠紀夫  日本経済の長期的な構造変化を表すキーワードの1つとして、「ストック化」ということがしばしば指摘される。 本章においては、「ストック化」をめぐる基礎的な諸点について議論する。
 まず、「ストック」の概念から論じよう。通常、「ストック」といわれる場合に含まれるのは、実物資産と金融資産である。 ところで、当然のことながら、金融資産は他人に対する請求権にすぎず、それ自体が結うような財やサービスを生み出すものではない。 勿論、金融資産を別の財に交換することは容易であるから、金融資産を保有する個別主体の立場から見れば、金融資産と実物的な資産との間に経済な差はない。 しかし、すべての金融資産は誰かの負債になっているから、対外資産を除けば、国全体としては打ち消し合ってしまう。したがって、本来の意味での「ストック」とは、生産的な実物資産だけをとるべきだろう。
 なお、金融資産と類似の性格を持つ資産として、公的年金の受給期待額がある。これは、国民経済計算では資産と見なされていないが、膨大な額にのぼると推計される。 高山(1990)によると、1984年における公的年金資産(年金保険料控除前)は、総額で840兆円、1世帯平均で約3,100万円となっている。
 ところで、日本では、金融資産を除いた有形資産の中で、土地資産の比率が著しく高い。これは、いうまでもなく、都市部を中心として、地価がきわめて高いためである。
 土地は、金融資産と違って、それ自体が勝ちのある資産ではある。しかし、問題は、その評価にある。まず、大部分の土地は、実際には取引されていない。 全体の土地ストックからみるとごく一部分に過ぎない取引で成立した価格で、全体の土地を評価しているに過ぎない。なぜならば、現在の地代・賃貸収入から推測される将来の地代・賃貸料からだけでは、現在の価格はとても説明できないからである。 未来永劫値上がりが続かない限り、現在の地価は課題評価されていると言えよう。これらを考慮すると、本来の意味でのストックを見るには、住宅、建物、機械などの「純固定資産」に注目すべきだろう。
 純固定資産には、私的なものと公的なものがある。前者は、住宅、耐久消費財、工場、機械設備など、個人や企業などの民間セクターが所有するストックである。 これに対して、後者は、人々が共通に仕様する資本であり、「社会的ストック」あるいは、「社会資本」と呼ばれる。
 具体的には、道路・街路、都市公園、港湾、鉄道、下水道など国民や地域住民が共通に使用する生産活動や生活のための資本、国公立学校、国公立病院・保健所、防衛関係施設、官庁施設、および、治山、治水、海岸整備などの国土保全施設を指す。
 日本は、私的ストックの面では豊かになったが、社会的ストック、特に都市における生活環境の面では、まだ不満足な状態にある。 このため、都市生活環境施設を中心とした社会資本の整備が重要な政策課題と考えられている。この面でいかなるストック形成を行えるかが、今後日本の大きな課題と言えるだろう。  (『分析・日本経済のストック化』から)
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<バブルが弾けても「ストック化」と言えるのか?>   ここで取り上げた文献は1992年9月までに出版されたものだ。株価が下落し、不動産価格も下落し、デフレ・スパイラルが始まったと言われ始めたのは、これらの書物が出版されてからしばらくしてからのこと。 詰まり、これらの筆者は不況が深刻で長期化するとは予想していなかった。資産価値の上昇は基本的に構造変化によるもので、これからもフローよりもストックを重視すべきだとの立場にたっている。 けれどもその後「ストック化」はあまり叫ばれていない。むしろ「インフレ・ターゲット」が強く主張されている。「ストック化」については言及されず、「インフレ・ターゲット」が主張され、さらに、最近ではその「インフレ・ターゲット」も叫ばれなくなった。 諸物価の値上げが続き、インフレと言えるかどうかは諸説あろうが、少なくとも「デフレ・スパイラル」から脱出したのは間違いないだろう。 しかし、インフレ・ターゲットを主張したエコノミストは、この諸物価値上げについて言及しない。マイルドなインフレを主張したのだから、「昨今の諸物価値上げはマイルドなインフレで日本の経済に取って大変好ましい現象である」と解説すべき人たちが黙っている。
 ストック化は地価や株価の上昇によるものだから、これだけ地価や株価が下落したのだから、「ストック化」はピント外れの議論とも言えそうだ。 とは言え、これだけ強く主張された理論なので無視するわけにはいかないし、もう少し「ストック経済」について考えて見ようと思う。 とりあえず、今週は「ストック化」について、その言葉を普及させようとした人々の意見を引用してみた。
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<主な参考文献・引用文献>
『「ストック経済」の時代』 豊かさ獲得への処方箋         宮尾尊弘 日本経済新聞社   1989. 9.21
『ストック経済を考える』 豊な社会へのシナリオ         野口悠紀雄 中公新書      1991. 1.25
『ストック経済の構造』                     岩田規久男 岩波書店      1992. 4.28
『分析・日本経済のストック化』           伊藤隆敏・野口悠紀夫他 日本経済新聞社   1992. 9.22
( 2008年3月3日 TANAKA1942b )
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(2)『経済白書』の説明を読む
資産価値の上昇を肯定的に捉えている
<「ストック経済」という言葉を流行らせた『経済白書』の説明を読んでみよう>  バブルが膨らんでいた頃、流行に敏感なエコノミストが「ストック経済」とか「ストック化」という言葉を使った。 「ストック化」という言葉が市民権を得たのは『経済白書』が使ったからだろう。『経済白書』の権威が「ストック化」を普及させた、と言って良いと思う。 そこで今週は『経済白書』からの引用をし、「ストック経済」という言葉の意味と、この言葉が使われた経済情勢を思い出して頂きましょう。 本来は『経済白書』からの引用を第1週に扱うのが本筋であるかも知れないが、そこはアマチュアゆえ、扱う順序の乱れについてはご容赦願いましょう。 以下は、平成元年度『経済白書』からの引用です。
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<平成元年版『経済白書』から> 
平成元年度年次経済報告(経済白書)公表に当たって 
本年度の経済白書は、昭和22年の第1回白書依頼43回目に当たり、同時に平成時代に入って最初の白書ということになります。
 61年秋に始まった今回の景気上昇過程は、今や32か月を超え、高度成長末期の「いざなぎ景気」以来、久々の大型景気となっております。 本年度版では、日本経済が円高への適応という形で構造変化を遂げ、新しい歴史的段階に入ったという基本的認識にたって、主として昭和63年度及び平成元年度初めのわが国経済について分析しております。
 本文では、こうした変化の潮流を、「高度化」、「グローバル化」、「ストック化」という3つの視点から多面的に部bb席するとともに、新段階の日本経済の姿と問題点を明らかにしております。 こうした観点から、副題は「平成経済の門出と日本経済の新しい潮流」と致しました。
 新しい段階としての平成経済が目指すべきものは、対外的には地球的環境問題等を含めた世界経済への積極的貢献であり、また対内的には生産力と豊かさのギャップの解消であります。 わが国の繁栄とともに、世界の平和と経済発展のため、わが国の経済力を最大限に活用していかなければならないと考えます。 そのためには、制度・慣行の徹底した見直しと内需主導型成長の持続が必要です。経済が順調に拡大している今こそ、これらに朝鮮する好機ということができるでしょう。
 このようなわが国経済の課題を解決する上で、本年度の経済白書がいささかでも貢献することができれば幸いであります。
  平成元年8月8日  経済企画庁長官 越智通雄
はじめに 
(昭和経済から平成経済へ)
 昭和の日本経済は、幾多の苦難があったとはいえ、それを乗り越え、総じてみれば、順調な発展をとげた。 昭和の前半においては、世界恐慌などの厳しい国際環境の中で、困難な状況に直面し、結局、第2次世界大戦に突入したが、国民経済に大きな犠牲を残して終戦を迎えた。
 第2次世界大戦後においては、国際環境にも恵まれ、国民の叡智と努力を生かして、復興から高度成長を達成し、石油危機、円高をも克服して、自由世界第2位の経済力を実現した。 今や、豊かな所得・消費水準を享受するとともに、質量両面において、世界最高水準の工業国として世界経済の運営に重要な役割を担うまでに発展をとげた。
 この間の推移を振り返ってみると、終戦から昭和30年までは戦後復興の時期であった。新憲法下で、大戦による経済困難からの脱却を図るため、政府は@「経済安定本部」設置(21年)による傾斜生産方式の実施、 A財閥解体、農地改革といった民主化政策の推進、Bインフレ抑制のための緊縮財政(「ドッジライン」)、C360円レートの設定(23年)等相次ぐ政策を打ち出した。 こうした中でわが国経済は「朝鮮特需」もあり、戦前水準に向かって回復を続け、31年度経済白書では「もはや戦後ではない」と明言するまでに復興した。
 復興をとげた日本経済は、「国際収支の天井」による引き締め、景気後退をはさみながら、神武景気(30年代前半)、岩戸景気(30年代半ば)、いざなぎ景気(40年代前半)と平均10%以上の高度成長をとげた。 「所得倍増計画」の策定(35年)の下で、「投資が投資を呼ぶ」設備投資ブームと3種の神器(洗濯機、テレビ、冷蔵庫)から3C(乗用車、カラーテレビ、クーラー)へという消費ブームがこれを支えた。 この間、「IMF8条国」への移行(39年)など、開放経済体制の整備が行われるとともに、40年代に入ると次第に国際収支黒字が定着していった。
 40年代後半以降、世界経済は国際通貨制度の動揺(46年「ニクソン・ショック」、48年変動相場制への移行)、2度にわたる石油危機(48年、53年)等から揺れ動き、 日本経済もまた「列島改造ブーム」と「第1次石油危機」後の「狂乱物価」、貿易赤字転落、その後のスタグフレーション、構造不況業種の出現、大幅な財政赤字等さまざまな困難に直面した。
 しかし、日本経済は企業・家計の柔軟な対応によって合理化、省エネ化等産業構造の転換を進め、インフレを克服し、国際競争力を強めて持続的成長の基礎を再び築いた。
 50年代後半以降、臨調・行革審の提言を受けた行政改革の下で、民間企業の活力が喚起された。同時にアメリカの貿易赤字拡大、日独の黒字拡大という先進国間の対外不均衡が生じ、これに対して60年以降、国際協調の下で大幅な通貨調整が行われた。 日本経済は大幅な円高に積極的に適応し、当初の「円高不況」を克服し、財政金融政策の支援も受けて、内需主導型成長が実現した。
 平成を迎えた日本経済は、景気回復から3年目に当たり、「いざなぎ景気」以来の力強い景気上昇の中にある。
 
(新段階の日本経済)
 昭和63年度から平成元年度への日本経済をみると、円高への適応が進み、その結果、旺盛な設備投資、個人消費による内需主導型成長の実現、物価安定基調の持続、製品輸入の大幅な増加、 世界最大の債権国への移行など、これまでとは一段異なった姿がみられる。その意味では、平成を迎えた日本経済は新しい段階に入ったともいえよう。 すなわち、第1には産業、生活の両面を通じる一層の「高度化」である。生活面においては多様化、高級化の動きがみられ、産業面においては情報化、ハイテク化、あるいは高付加価値化が進展しており、それが力強い内需拡大の背景でもある。
 第2には、国際化の一段の進展である「グローバル化」である。製品輸入の急増や海外生産の増加などを通じて、企業活動や国民生活における世界経済との相互関連は一層密接になるとともに、わが国が世界経済の発展に果たす役割はさらに大きくなっている。
 第3には、「ストック化」である。金融資産の蓄積、資産価値の上昇などの同行が経済に与える影響が強まっており、金融の自由化がこうした動きを加速している。
 今回の景気上昇期においても、新段階の日本経済の持つこれらの特徴が、景気を引っ張る力となっている。
 反面において、このような発展の中で、依然解決が迫られている問題が残されており、同時に新たな問題も生じている。
 平成元年度の年次経済報告においては、上記のような経済動向を踏まえて、「新段階の日本経済」の姿と問題点を明らかにするとともに、今次景気上昇との関わりを分析することとした。
 第1章では昭和63年度の経済動向を振り返り、第2章では「高度化」、第3章では「グローバル化」、第4章では「ストック化」の姿と問題点を議論している。 第5章では、今回の景気上昇の特徴をその持続力とともに分析するとともに、財政金融政策の課題を取り上げ、最後に「むすび」においては、平成の日本経済が目指すべき基本的方向を明らかにしている。
第4章 日本経済のストック化 
(ストック化の意味するもの)
 経済発展の基礎はいうまでもなく資本蓄積であり、それは貯蓄を供給する家計やそれで実物投資を行う企業の不断の努力の賜物である。 他方、保有資産の残高が増加してくると、それが逆に家計や企業の行動に大きな影響を及ぼすようになる。
 個々の経済主体にとっては、毎期の貯蓄・投資決定といったフローの意志決定だけではなく、ストックレベルでの意志決定、すなわち保有資産の構成や利用方法を見直し、必要に応じて資産の組み替えを行うことが有用となる。 そうすることによって保有資産の収益性を顕著に高めることが期待されるからである。
 一方、公共部門にとっても、経済活動の基礎となる社会資本の着実な整備、蓄積が重要であり、また、保有資産や負債の見直しが必要になる。 社会資本の蓄積が依然として立ち遅れているわが国にあってはその担い手としての公共部門の役割はとりわけ重要である。 なお、公有地の再開発などによる有効利用、国債管理政策の見直しなども公共部門のストック面の課題として捉えることができよう。
 このように、ミクロレベルで各経済主体がそれぞれのストック面をより強く意識して行動するようになった結果、資産市場の動向が経済活動に与える影響は、プラス面でもマイナス面でも格段に大きくなっている。 マイナス面の例としては62年10月の株価暴落、最近の地価高騰やいわゆる「財テク」の行き過ぎなどがあげれよう。 しかし、健全なストック拡大は当然経済社会にプラスの影響をもたらす。現在の大型景気をリードする活発な家計消費や設備投資の背景には、それらを基礎から支える要因として資産効果が寄与していると考えられる。 また、より長期的な側面として、美しい年の建設が進み、住宅や社会資本の蓄積が進めば、仮にフローのGNPが同じでも、国民生活はそれだけよとりのある豊かなものになると期待される。
 こうした資産蓄積の裏側では、資金運用側と調達側をつなぐ金融システムの重要性が一層高まっていると言える。 蓄積された資本やその価値を体化した株式が市場で取引されるようになり、また新たな資本蓄積に必要な資金を外部調達するために各種金融資産が広範に拡大する。 また、資産市場が高度に組織されてくると、家計や企業は資産の組み替えをより効率的に行えるようになる。
 さらに、資産残高が増えてくると、それを誰が保有しているかという問題が重要になってくる。資産非夕の分布状況は、昨今の土地・住宅問題の深刻さをみれば、それ固有の問題としても重要であるが、そればかりではなく、資産からの所得の分布にも大きな影響を与える。 近年、土地や株式からのキャピタルゲインは、未現実のものを含めると時にGNPの大きさを凌ぐほどの規模に達するし、利子、配当などインカムゲイン(財産所得)も相当な規模に増大してきている。
 本章では、以上のように資産残高が増加し、その保有や取引の経済全体に与える影響が高まってゆくことを「ストック化」と呼ぶこととし、そのストック化が日本経済に与える影響やわが国が目指すべき方向、そのための政策対応等について検討する。
第5章 ストック化との品経済の課題 
{資産大国」への課題
 これまで見たように、わが国の資産規模は格段に大きくなり、表面上はストック化が進んでいるようにみえるが、その中身は金融資産の拡大や地価上昇を反映したものであり、必ずしも国民生活の豊かさに直結するような形のストック化になっていまいと考えられる。
 資産は無目的に蓄積するだけでは意味がない。資産を蓄積するのは、それから得られるフローのサービスを消費するためにほかならない。 今後、わが国が国民資産の質的な面で充実を図り、名実ともに「資産大国」と呼ばれるようになるためには、純資産を拡大させ、ストックから生まれる有形、無形のフローが国民生活の物質的、精神的両面の豊かさに結びつくような形のストック化でなければならない。 ここで、このような意味での「資産大国」を実現するための政策課題に関して、重要と思われる視点を整理しておこう。
 第1に資産蓄積の効率性が重要である。わが国の貯蓄率が依然高い水準にあることは既にみたところであるが、その点からすれば、日本人は現在の生活水準よりも将来における生活向上や不安の解消を相対的に重視する国民であると言える。 しかし、現在問われているのは、その貯蓄が効率的に使われ、社会資本や住宅といった資産の形成に役立っているかどうかである。
 まず、国内の貯蓄が設備投資や社会資本整備といった国内資産の充実に向かうだけでなlく、海外に流出して、外貨建金融資産や海外不動産の形で運用されているということである。 外貨建資産はいうまでもなく為替レートの変動リスクに晒されている。わが国の保有する外貨建資産が増大している状況から、為替リスク管理に失敗した場合、莫大な為替差損が生じる可能性がある。 わが国が世界の資本供給国として重要な役割を果たしていることは否定できないが、同時に投資対象や投資方法については、投資先国の利益を損なわないよう十分注意を払う必要がある。
 また、国内に投資された場合でも、それが必ずしも効率的にストック形成に結びつかないという点である。例えば、前述のように、住宅等の資本減耗が速く、純資産の増加に結びつきにくいという問題や、社会資本整備については、公共事業費のうち用地買収に使われる比率が大都市圏では高くなっているなどの問題もある。
 ストックを充実させるために、現在の生活を過度に切り詰めることは愚かなことであるが、現在の貯蓄率のもとでも、貯蓄の仕方を効率的にすることによってさらに蓄積のスピードを高めたり、資産の質を向上させたりすることは十分可能であると思われる。 特に、来るべき高齢化やそれに伴う貯蓄率低下の可能性、財政制約等を勘案すれば、今後いかに効率的にストック整備を進めるべきかという観点は極めて重要であろう。
 第2に、効率性が重要とはいっても、ストックの整備がすべて市場メカニズムに委ねられてよいということを意味するわけではない。化買うメカニズムが働きにくい分野でのストック整備もまた重要である。 これに該当するストックの典型例として社会資本があり、民間部門の資本ストックなどと比較して市場メカニズムのみに委ねると整備が遅れる傾向がある。 そこで、社会資本の整備に当たっては、その効率化に配慮しつつ、中長期的に社会ニーズ、整備状況等を踏まえてこれを着実に行っていく必要がある。
 第3に、資産分配の問題である。第1節でストックの分配がフローの分配よりも不平等になっており、土地を中心に資産格差が拡大傾向にあることをみたが、資産格差、特に土地のそれが深刻な問題であり、資産格差縮小の方法について再検討する必要があるということは大方の認めるところであろう。 また、土地問題にみるように資産分配の問題と資産価値形成の問題は密接に関連しており、地価など資産価格がファンダメンタルズを反映した合理的なものとなるよう、必要であれば関連制度の改善を行う必要がある。
 第4に、国民経済計算に現れないような無形のストックの重要性も強調しておく必要がある。技術や知識といったストックが重要であることは、わが国の戦後の成長過程を見れば歴然としている。 また、学校教育、職業訓練などを通じた人的ストックの蓄積も重要である。今後は世界の公共財になるような基礎研究の蓄積など質的な面での充実が求められている。
 以下では現在のわが国において特に重要と思われる社会資本整備の問題と土地・住宅問題について、これらの視点に即して検討しよう。 (平成元年度『経済白書』から)
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<自信満々の経済企画庁>  当時は日本経済をこのように捉えていた。経済官僚がそうであれば、民間の経済主体も日本経済の豊かな成長を疑わず、資産価値が上昇する不動産や株に投資していた。 金融業界も民間人も、資産大国を疑わず「ストック化」に期待していた。そしてバブルがはじけた現在「ストック経済」という言葉は聞かれなくなった。 「ストック経済」という言葉を普及させたエコノミストはその後、「インフレ・ターゲット」という言葉を流行らせた。しかし、デフレ・スパイラルから抜け出し、諸物価が値上がりし始め、マイルドなインフレ傾向になると「物価が上昇するインフレは良いことだ」とは言わなくなった。
 エコノミストは時代に敏感であるべきで、「ストック経済」という言葉が流行りそうなら、その言葉を積極的に使い、「インフレ・ターゲット」という言葉が世間受けしそうなら、その言葉を先頭に立って普及・布教させる。 けれども、情勢が変わってその言葉が飽きられてくると、態度を一変させ別の言葉を普及させる。こうして「ストック経済」という言葉はどこか人目に付かないところに「ストック」されてしまった。
 へそ曲がりの「アマチュア・エコノミスト」は「ストック化」された「ストック経済」という言葉を見直して、その言葉の利用価値を考えて見ようと思いたった。今週に続き、もう少し「ストック化」という言葉について、追求するつもりです。
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<主な参考文献・引用文献>
『経済白書』平成元年度                     経済企画庁 大蔵省印刷局    1989. 8.30
( 2008年3月10日 TANAKA1942b )
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(3)地価上昇による資産増加をみる
実体を伴わないバブルなのか?
<エコノミストたちを踊らした『経済白書』の内容>  戦後の日本経済を振り返ると『経済白書』の内容がエコノミストに与えた影響は大きいものだったことがわかる。 『経済白書』で使われた言葉がその時代を表現するキーワードになり、『経済白書』の経済に対する見方をエコノミストはさらに増幅してマスコミで紹介・宣伝・布教させた。 それは、先週扱った「はじめに」 を読めば納得いくだろう。『経済白書』で使われエコノミストたちが普及させた言葉が、その時代のキーワードになっている。 今ここで扱っている「ストック化」とか「ストック経済」という言葉も、『経済白書』が使ったことにより、一部のエコノミストが盛んに使うようになった。
 先週は、「ストック化」とか「ストック経済」という言葉について扱ったので、今週からはもう少し具体的な「地価」「株価」という資産について『経済白書』でどのように扱っているのか、 先週同様『経済白書』からポイントとなりそうな部分を引用することにした。まず、今週は「地価」についての部分を引用する。
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<資産価格形成のメカニズム>  資産価格の正常な姿は、一般に将来にわたる収益の流列を適当な割引率で資本還元した価値、すなわち将来収益の割引現在価値として捉えられるが、こうした資本還元価値は将来にわたる収益と割引率に関する人々の予想に決定的に依存している。 人々の予想はうつろいやすく、しばしば実体からかけ離れることがあるから、資産の価格は本来的に変化の激しい性質をもっていると言える。 しかし、資産価値が過度に変動した場合には、実体経済に悪影響を及ぼす場合がある。60年代に入っては、地価高騰と株価の変動がクローズアップされていることから、以下では土地と株式について資産価値の形成、変動のメカニズムを分析するとともに、それらを含めた資産価値の相互関連についても分析する。
地価高騰とその原因 
(今回の地価高騰と過去との比較)
 55年頃に東京都心の商業地から始まった地価上昇は、61年、62年と上昇率を高めたが、都心部では63年以降沈静化した。 しかし、東京周辺の住宅地の中には63年に入っても上昇が続いている地域があり、また、大阪圏、名古屋圏、さらには地方中枢、中核都市へと地価上昇が波及していった。
 今回の地価高騰は、戦後の歴史を振り返っても最も大規模かつ深刻なものの1つとなった。公示価格(全用途平均)の上昇振りをみると、東京圏では61年初と比較して2年後には2倍を超えた。 47年から48年にかけて、今回に匹敵する規模の地価上昇がみられたが、この時には2年間で2倍近くになったものの、49年にはその反動で下落している。 今回の場合も63年以降、東京圏の住宅地、商業地では地価の下落が始まっている地域があり、次第にその範囲が広がってきているが、63年中の下落率はたかだか数%程度で、全体としては高止まり傾向にあると言える。
 今回の地価高騰について、都道府県地価調査でみると、上昇、波及のパターンにも47〜48年のそれと比較して、以下のような特徴がみられる。 第1に、都心の商業地が上昇し、それが住宅地に波及する形で地価が波紋的に上昇したことである。すなわち、東京都心3区(千代田区、中央区、港区)の商業地は58年ころから上昇をはじめ、61年前半をピークに上昇率は徐々に低下し、63年前半以降横ばいないしやや減少に転じた。 また、区部都心部の商業地は同じ頃から上昇を始め、半年遅れの61年後半にピークアウトし、やはり63年前半には沈静化した。 続いて、区部南西部の住宅地が60年頃から徐々に上昇をはじめ、61年後半から62年前半にピークアウトした。区部北東部や多摩地域の住宅地は61年頃から上昇を始め、さらに半年後の62年中にピークアウトした。 さらに周辺の千葉県、埼玉県の住宅地では62年から上昇を始め、同年後半にピークアウトしている。このように、東京圏の地価は中心商業地から周辺住宅地へ1年以上のラグをもって波及していった。 この点、前回の場合は、商業地、住宅地、工業地などほとんどの用途でほぼ同時に地価上昇がみられ、今回と対照的になっている。
 第2に、地域別では、東京圏が先導し、その後他の大都市圏、地方圏へ上昇率が減衰しながら波及している。すなわち、商業地の地価上昇については東京圏のピークが62年前半であるのに対し、大阪圏はそのおよそ半年後と時差がある。 名古屋圏や一部の地方都市ではさらに時差が大きい。このような時差は住宅地についてほぼ同様にみられる。 また、上昇率については、これまでのところ東京圏の商業地がピーク時で年率80%近い上昇だったのに対し、大阪圏ではその半分程度、名古屋圏その他ではそれ以下の上昇率になっている。
(地価高騰の要因、背景)  こうした地価高騰はなぜ生じたのであろうか。近年、わが国経済の国際化の進展に伴い、東京圏に経済機能等の集中が進んでいる。 特に、東京は国債金融センターの1つとして急成長してきており、都心のオフィス受給は逼迫してきていた。これに関連して、東京の土地の生産性(限界価値生産性)やその期待値の上昇があると考えられる。 これに対し、前回は列島改造ブームのあおりで全国的に地域開発熱が高まっていた。これに過剰流動性が重なって、全国ほぼ同時に、かつ同じような規模で地価上昇が生じたものと考えられる。 それでは、次にこうした背景を定量的な分析によって確認しよう。
 土地市場は、地域や用途によって細分化された小市場から成り、それらが相互に影響しあって地価を形成していると考えられる。 ここでは、今回の地価高騰の端緒となった東京圏の商業地とその波及が懸念される全国の住宅地について、それぞれどのような要因が土地の需要・供給や価格形成に影響しているか、またそれがどう変わってきたかを見ることにする。
 まず、東京圏の商業地の地価上昇について、需要要因、予想地価要因および金融の緩和を表す要因に回帰したうえで、要因分解を行った。需要要因としては、東京圏への経済機能の集中を表す指標をとった。 また、資産としての土地取引には、人々の将来地価に関する予想がどのように形成されるかが重要である。ここでは、予想地価は過去の地価の動きをベースに、これに過去のランダム要素の加重平均を加味して形成されると考え、ARIMA(自己回帰和分移動平均)過程に従うと定式化した。
 これにより、前回と今回の地価上昇要因を比較すると、今回の方が需要要素の寄与度が大きいことが注目される。 また、前回、今回とも、寄与度の違いはあるものの、共通の要因として金融緩和と予想地価上昇率があげられる。金融要素では、前回、今回ともマネーサプライ(M2+CD)の伸び率が高く、余剰資金が土地登記に回ったものと考えられる。 また、予想地価要因については、いずれの場合も予想地価の上昇が実際の地価上昇率を押し上げるという形になっており、なんらかのきっかけでこうした自己実現的な予想が支配した場合、地価は一層上昇する可能性があるものと考えられる。
 以上をまとめれば、前回と今回で異なる点は、主として需要要因の相違である。すなわち、前回は列島改造ブームであり、今回は東京への経済機能の集中とそれに伴う事務所需要の増大という実体的な要因があったが、今回の方が、需要要因の寄与度が大きく現れている。 また、共通の要因として金融緩和と地価上昇予想により多かれ少なかれ地価上昇が増幅された点があげられる。
 一方、住宅地の地価については、ストック価格としての地価が新規の宅地に対する需要と供給が一致するように決まるという考え方に立って、需要関数、供給関数を実際に推計し、これに基づき全国の住宅地の地価の動きをいくつかの要因に分解した。 ここでは、単純化のため、供給は農地等から宅地への転用とし、供給側は、税引き後のキャピタルゲインの動向をみながら供給量を決めると仮定した。 また、需要側は、現在の地価、将来の予想地価、土地と代替的な資産の収益率等によって需要量を決めると仮定した。 この需要量にはすぐに宅地転用される分のほか、ディベロッパー等による開発待ちの在庫需要も含まれる。なお、地価の予想形成は、商業地と同じARIMA過程に従うと仮定した。
 その結果をみると、前回と今回の両方とも予想地価の役割が大きく、商業地の地価上昇との共通点が見出せる。新規の宅地の需要関数において、現実の地価上昇は需要を減少させるように働き、逆に予想地価の上昇はそれを増加させる方向に働くのは、新規の宅地の需要者がキャピタルゲインの獲得を狙って土地を購入していることを示していると解釈できる。 金融要因としては、一般には貸出金利の低下が新規の宅地需要を誘発し、地価を上昇させる面があると考えられるが、今回の場合はそれほど大きな押し上げ要因にはなっていない。
 また、宅地供給の主要部分を占める農地から住宅用地への転用は、48年をピークに年々減少しているが、これを新規の宅地供給関数からみれば、農家の金融資産蓄積が進むなど、農地売却のインセンティブが弱くなってきたことも影響していると考えられる。 この分析においては、新規の宅地市場が急速に縮小するとともに、地価の上昇によって新規の宅地の需給が保たれている様子がうかがえる。 このことからも、大都市圏における宅地供給の増加が地価問題の解決にとって重要であると考えられる。 (平成元年度『経済白書』から)
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<結局のところバブルだったのか?>  『経済白書』を読む限り、地価上昇がバブルだったのかどうか?ハッキリしない。 土地価格が上昇した、その過程については詳しく書いてあるが、土地価格の上昇が正常な経済減少だったのか? あるいは実体を伴わないバブルだったのか?この点がハッキリしない。土地価格や株価という生産価値が上昇し、経済のフローの部分に対し、ストックの部分が大きくなった、そこで「これからはストック化」と言っている。 それは、土地価格上昇や株価上昇を良い経済現象だ、と捉えていることになる。しかし、「土地問題」との表現は、「土地価格が上昇するのは良くない社会現象だ」と言っていることになる。 そして、「今回の地価高騰は、戦後の歴史を振り返っても最も大規模かつ深刻なものの1つとなった」 との表現は、「土地価格が上昇するのは良くない経済現象だ」と言っていることになる。
 「ストック化」というからには土地価格や株価の上昇が正常な経済現象であった、との前提に立たなければならない。 もし、これらの資産価値上昇がバブルならば、「ストック化はバブルだ」、ということになってしまう。「ストック化」という表現を使って、「日本経済が今まで以上に健全でたくましく成長する新しい段階に入った」、と言うならば、資産価値の上昇がバブルではなく、正常な経済現象でなければならない。 景気上昇が続き、資産価値が上がり、「日本経済万々歳」と言いながら、その理由付けに説得力がない。けれども、『経済白書』での不安な気持ちを持ちながら、それでも「日本経済万々歳」と言っていたのが、時代の先端を行くエコノミストたちが、「日本経済万々歳」の部分だけを強調してマスコミに登場した。 それを受けて、価値がバブル的に上昇する土地や株式や投資対象となる商品のセールスマンは、自信を持ってバブル商品の売り込みに力を注いだ。 そして、それを日本の金融業界が資金提供でこの動きを支えた。
 このホームページはバブル検証を目的とするものではない。大切なのは、当時政府やエコノミストは「ストック経済」をどのように考えていたか?を検証することにある。 そして、TANAKAは、「ストック経済」という考え方は、バブルがはじけた現代でも意味のある言葉のように思われ、バブル破綻後の現代でこそ、「ストック経済」という見方が必要なのだ、という気がする、 という気持ちでこの「ストック経済という考え方」シリーズを書き進めて行くつもりです。
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<主な参考文献・引用文献>
『経済白書』平成元年度                     経済企画庁 大蔵省印刷局    1989. 8.30
( 2008年3月17日 TANAKA1942b )
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(4)一般人も巻き込んだ株式投機
株に合理的な価格はあるのだろうか
<地価と同様右肩上がりを疑わなかった>  『経済白書』で土地価格の上昇をバブルとは決めつけていない。不安材料は提供しつつも、正常な経済成長だと考えて書いている。 土地価格の上昇と並んで、日本の試算価値上昇のもう1つの現象が株価上昇であった。そこで、先週と同じように『経済白書』から株価上昇に関する部分を引用してみよう。
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<株価変動とその要因> 
(株価の短期変動の分析、評価)
 50年代後半以降の金融緩和の基調のもとで、株式市場は世界的な活況を呈し、わが国においても株価は強い上昇トレンドを持ってきた。 例えば、55年から63年までの東証株価指数の年平均上昇率は21.5%にも達している。
 62年10月の株価暴落、いわゆるブラックマンデー以降の各国株式市場をみると。日本(東京市場)では、落ち込みが比較的小さかったこともあるが、いち早く回復し、1988年4月には暴落前の最高値を回復した。 これに対し、ニューヨーク、ロンドンなどの海外主要市場では日本より回復が遅れ、暴落前の水準を回復したのはニューヨークで1989年1月、ロンドンでは未だ暴落前の水準を取り戻していない。
 ここで、わが国の株価(東証株価指数)を、ファンダメンタルズの代表としての収益要因(営業損益)、金融の価格面を表す金利要因(国債利回り)、金融の量的側面を表す貨幣数量要因(マーシャルのkのトレンドからの乖離)、さらに投資家のキャピタルゲイン獲得の期待を表す予想要因に回帰して、どのような要因で株価が変動しているかをみた。 これによって60年代に入ってからの株価の変動を追ってみると、まず、60年から61年にかけては、金利低下を背景に金利要因が株価の上昇を支える主たる要因であったことがわかる。 これに対し、62年頃からは、金利要因とならんでもう1つの金利要因である貨幣数量要因が株価上昇に対する寄与率を高めている。 また、61年の後半から62年秋の株価暴落までは予想要因の寄与率が高い水準にある。これは、人々が過去の株価上昇の経験をもとに将来の株価上昇の継続を良そうするという、いわば論理的根拠の乏しい自己実現的な予想形成のプロセスを表しており、この過程で一般に「バブル」と呼ばれるものが形成される場合がある。 さらに、暴落後の株価上昇をみると、予想要因は株価上昇を大きく抑制する方向に作用しており、投資家の間で一転弱気な予想が支配的になったことをうかがわせるが、他方、今回の景気上昇を背景に収益要因が大きくプラスにさようしており、加えて63年後半には金利要因が再び株価上昇を支える要因として登場している。
 以上をまとめると、日本市場における株価の回付かが早かったのは、第1に日本経済ファンダメンタルズの強さがあげられ、次いで、金融緩和の継続が貨幣数量面と金利面の両方から株価回復に寄与し、弱気な予想を相殺したと言えよう。
 なお、この分析からも示唆されるとおり、株価にはファンダメンタルズから乖離して変動する可能性がある。 これには、投資家が論理的根拠に乏しい予想をもって投資を行っている場合が考えられるが、一方、ファンダメンタルズから乖離した株価が急落する可能性があることを投資家が知っていても、十分なプレミアムが得られれば、その市場にとどまり、株価は上がり続けることがあり得る。 前者は不合理なバブル、公社は合理的バブルと呼ばれる。わが国の株式市場においても、暴落に至る過程などで、こうした合理的バブルが発生していた可能性は否定できない。
(株価水準の分析、評価)  このように、わが国においては暴落後の株価の上昇は急速であったが、わが国の株価水準はもともと高いとの見方がある。 こうした株価水準の評価にあたって実務家の間でしばしば株価収益率(PER)、すなわち株価の1株あたり利益額に対する比率が使用されてきた。 PERの実際の値をみると、1975年にアメリカで12.4倍であったのに対し、同時期の日本では27.0倍とすでに大きく上回っている。 1988年になるとアメリカが11.1倍であるのに対し、日本では58.4倍と差がさらに拡大している。PERによる株価評価の背景にある理論的説明としては、株価の正常な姿は、毎期のフローの利益の将来にわたる流列の割引現在価値であるというものである。 したがってPERの値は割引率を反映したものとなっているはずである。すなわち、PERは、割引率(リスクプレミアムが一定とすれば市場利子率と考えられる)が低いほど高くなると考えられる。 こうした点を考慮して、日米の金利差を修正してみると格差はかなりの程度縮小するが、依然として格差は残る。
 わが国の株価やPERに影響を与えているもう1つの重要な要因として、企業間の株式の持ち合いがあげられることがある。 株式の持ち合いは、株価をその分だけ高めると考えられる。その理由は、経済全体の利益額や一般投資家がよくする株式数等が変わらないならば、株式の持ち合いはその分だけ経済全体として必要な発行済株式数を増加させると考えられるからである。 また、配当性向が100%でないかぎり、同様の理由によってPERも株式の持ち合いにより上昇すると考えられる。わが国の株価水準やPERの高さの幾分かはこうした構造的な特性を反映したものだと考えられる。 株式の持ち合いがPERに与える影響を取り除いて国際比較するために、わが国で株式の持ち合いがなかったとした場合のPERを試算すると、日本とアメリカのPERの差はさらに縮小する。 このように、わが国のPERが高いのは、かなりの程度、金利差や株式の持ち合いの違いを反映したものであると言える。
 一方、わが国企業が土地や株式の形で膨大な含み資産を保有していることから、株価にもこうした含み資産の価値が反映されているものとの考え方がある。 第1節でみたとおり、わが国の法人企業部門に存在する含み資産は膨大なものであり、かつ60年代に入り、それがますます拡大している。 企業の保有するストックの規模が拡大する時、投資家がこうした企業のストック面を積極的に評価するのは自然であると考えられる。
 ある企業の株価はその企業の資産価値に対する市場の評価であると考えると、これらを経済全体で集計して、わが国企業の株式の時価発行総額はわが国の企業部門の価値に対する市場の評価と考えることができる。
いま、国民経済計算ベースで、株価総額に対する民間企業部門の資産価値の比率(以下、株価・資産評価比率と言う)を計算してみると、50年代に入って一貫して0.5を下回っていたものが、57年を底に急上昇し、62年末にはほぼ1の近傍に達している。 すなわち、株式市場での企業評価を表す株価は、おおむね企業の資産価値を評価した水準になっていると考えられる。
 しかしながら、以上のように推計された株価・資産価値比率をもってわが国の株価の水準が高すぎるとか妥当であるとか「評価する」ことには十分慎重でなければならない。 その理由は分母の資産価値の市場価値の評価がだとうであるかという問題があるからである。特に、前項で述べたように土地の市場価値には地価形成における予想要因が相当反映されていると考えられることから、株価と地価の双方にバブル的要因がさようしている可能性も否定できない。
 前項の地価についての分析から考えると、60年代に入ってからの地価の動向は、地価上昇に関する予想要因などが実際の地価を押し上げている可能性が高い。 もし地価が課題評価されていれば、それを含む企業価値が過大評価されていることになり、その場合には株価が資産価値に見合っていても、株価もまた課題評価されている可能性が高いということになる。 いずれにしても株価、資産価値比率はあくまで1つの尺度にすぎず、これを用いた株価の評価には多くの留保条件がついており、相当の許容範囲をもって評価せざるを得ないと考えられる。 (平成元年度『経済白書』から)
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<土地価格が上昇し⇒企業の持つ資産価値が上昇し⇒株価はもっと上昇すべき、との理論>  「新日本製鐵は木更津の広い土地を保有している。1997年には東京湾アクアラインが開通します。川崎と木更津を結ぶ東京湾横断道路です。当然木更津の土地価格は上がる。 新日本製鐵の保有する資産価値も上がります。株価も上がって当然です。新日鐵の株価上昇は他企業・他業種の各課上昇をも刺激します。今が株式を買っておく最適の時期です」と証券会社のセールスマンは一般投資家に株式投資を勧誘した。 『経済白書』に関しては を参照。
 当時、このような趣旨の論文が賞を受けたこともあって、証券業界のセールスマンは、これを売り文句に営業活動・バブル膨らまし活動に力を注いだ。 ゴルフの会員権業界では「小金井カントリークラブ。ここが解散してゴルフコースの土地を宅地として売り出したらいくらになるでしょうか。それを原資に会員権を償却したら、会員権はもっともっと高くなって良いでしょう」といって会員権が上がることをアピールした。
 土地や株式の価格上昇に目を付け、「ストック化」とか「ストック経済」という言葉を使い始めた『経済白書』。それに気づき、その言葉を普及・布教させ名を売ったエコノミスト。そうした動きをセールス活動に取り入れ販売競争に勝ち抜いた会社・営業マン。 そうした大型景気にあやかろうとして株式投資に夢中になった一般投資家。それを資金面で支えたあげくに不良債権をため込んでしまった金融業界。
 それでも「ストック経済」という言葉、考え方には引きつけるものを感じる。「経済成長という面からだけではなく、国民の保有する資産(ストック)、という面をも注目すべきだ」、との考えでこのシリーズを書き進んでいます。
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<主な参考文献・引用文献>
『経済白書』平成元年度                     経済企画庁 大蔵省印刷局    1989. 8.30
( 2008年3月24日 TANAKA1942b )
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(5)『経済白書』のお墨付きで学者が普及
楽観論から懐疑的見方まで
<『経済白書』よりも楽観的な見方>  『経済白書』で使われたことによって「ストック化」とか「ストック経済」という言葉は市民権を得た。それによって、「ストック化」という言葉に飛びついたエコノミストがいた。大方は「日本経済がその構造から変わろうとしている」との見方で書かれている。時代に敏感で、新しい言葉の普及に努めるエコノミストたちの見方を取り上げることにしよう。その主張には、首を傾げたくなる見方もあるが、当時、このような見方もあった、という意味で読んでみる価値はあると思う。
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<ストック大国・日本の構造と実力>  今日の日本の”豊かさ”は、誰の目にも明らかだろう。デパートに行けば高価な宝飾品のたぐいから海外ブランド衣料までありとあらゆる商品が並び、スーパーに行けばあり余るほどの食品がところ狭しと並んでいる。ひと昔前は、海外旅行など夢のまた夢だったが、いまではハワイなど日本の属州かと思うほど日本人が押しかけている。
 よく新聞などで、欧米に比べ日本の国民は”豊かさ”を実感できないというが、過去を知る者にとっては、「何をバカな」と言いたくなる。住宅環境の問題は無視できないにしても、短期間にこれほどの成功を成し遂げてもなお不満とするなら、いまだ貧困の問題を抱えている国に失礼でないか。
 いま日本はどの国よりも多くの貿易黒字を計上し、どの国よりも多くの資産を抱えている。国民資産の6,000兆円という金額は、アメリカの1.25倍に匹敵するし、対外資産もかの大英帝国の遺産を受け継ぐイギリスを追い越し1兆5,000億ドルを持つにいたっている。対外資産から負債を差し引いた対外純資産にいたっては、5年も前から世界のトップに立ち3,000億ドル近くまで膨らんでいる。これら富の蓄積は、否定しがたい事実なのである。
 これでもなお不満とするなら、それはストック化に伴う持たざる者の妬み、嫉(そね)みのたぐいであり、持てる者の恍惚と不安以外の何ものでもあるまい。そして、そういった不満や不安を放置したまま、ストック大国としての明快な将来プランを打ち出せない政治の怠慢以外のなにものでもないと言えよう。 (『ストック大国・日本の誕生』から)
マイナス面よりプラス面がはるかに大きい「経済のストック化」  たしかに今回のストック化の過程で、持つ者と持たざる者との資産格差が急速に拡大したことは否めない。とくに土地の値上がりは激しく、一方で多くの億万長者を生みながら、他方で家を買うことを諦めた人たちがいる。そして、そのことがお金こそすべてといった拝金主義の風潮を蔓延させたことも間違いない。
 サラリーマンが買える住宅価格は、年収のせいぜい4倍程度とされているが、いまや首都圏で8倍までハネ上がり、都心というだけで猫の額くらいの土地でも億単位で取引されている。この歪みはとても放置できるようなものではなくなっていると言えよう。
 しかし、物事には何ごとにつけ逆の面もあるもので、ストック化が息の長い景気拡大を引っ張ってきたことも事実であり、これが人手不足をもたらし、実質賃金を押し上げ、ひいては労働条件の改善や女性の社会進出を促進したりしている。
 また、一方企業は企業で、昔から持っていた不動産を担保に自己資本の充実に努めた結果、技術力のみならず、資金力の点でも世界でトップ・クラスの競争力を持てるようになった。
 ストック化の恩恵が偏ったかたちで現れていることは否めない。その歪みを急速に正す必要もある。しかし、こうした面も考え合わせれば、むやみにストック化を悪と決めつけることはできないと思うが、どうだろうか。
 私はこれまで事あるごとに視点を高くもつことの必要性を説いてきたが、今回はそのことをあらためて強く感じた次第である。とくに今のような変化の激しいときは、宇宙船から眺めるくらい視点を高くもち、大局を見誤らないことが大切だが、そうした見方をしてみればストック化がいかに日本の将来を考えるうえで意味あるものなのか、思いいたるはずである。
 ストックを持った国にはもった国なりの政策があり、経済の運営の仕方がある。そういう国の経済は経済で、フロー時代とは違ったメカニズムで働くのである。それを知らずにいると、企業も個人もせっかくのチャンスを見過ごすことになりかねないし、ヘタをすれば取り返しのつかない間違いを犯すことになる。そのことをまず自分の頭にしっかりと植えつけておく必要があるだろう。 (『ストック大国・日本の誕生』から)
「志」なくして株式投資する資格はない  80年代後半、日本は低金利、低インフレ、円高というトリプル・メリットを享受し、ストックを急速に積み上げてきた。そのストック化の歪みとして、「財テク」なる妖しげな言葉が登場し、お金の世界には、株は上がるもの、土地は買わなければ損、儲けることは正しいといった、間違った風潮が蔓延したことも事実である。
 しかし、長く続いた低金利も終わり、カネ余りの時代を謳歌してきた株式投資の世界も大きく状況が変わってきた。日本が世界1の債権大国で、世界の金融基地として機能することには変わりはないが、国内でののみ資金が行き来する時代は終わったと考えるべきである。
 代わってジャパン・マネーの行き先や活躍の場は、東欧やソ連などの東側諸国や、アジアなどの発展途上国もこれに続いてくるはずである。つまり、日本のお金が海外へ本格的にリサイクルされる時代へと変わってきたということである。
 1980年代後半のトリプル・メリットの時代であれば、強い円、高い株を求めて世界中から日本へと資金が集まって来たのだが、このところイラクによるクウェート侵攻などによっていささか日本の事情が異なってきた。トリプル・メリットの時代であれば証券市場につながる資金のパイプは、とてつもなく大きなものだったのだが、トリプル安になってくると、以前ほど太くないと考えなければならない。いままでは円が高くなると余剰資金が発生し、それが行き場に困ってあらかた株式市場に流れ込んできたが、そうした状況は考えにくい。当然、投資家の投資スタンスも変わらざるを得ないということになろう。
 これまで株式投資については、ゴルフやテニスをやるのと同じように「株をやる」といった乱暴な考え方でも通用したが、これからはそういう時代ではない。金利が低下していく局面では、確かに株で損をする方が難しいくらいで、「株をやる」という安易な考え方でも通用した。しかし、これからは質が問われる時代である。量で突っ走った時代の発想の仕方を改める必要がある。
 いま投資家に必要なことは、何のために投資するかという問題意識であろう。何の目的もなく、ただ儲かればいい。銘柄は何でもいいから、上がる株がいい株という発想でわれ先に突っ走ったのが「株をやる」式の節操のない投資ゲームだった。つまり「信念」もないし、「志」のない投資である。
 「志」のない投資とは、ババ抜きゲームに大金を懸けて参加しているようなもので、いつ誰かが自分の持っているババを引いてくれるだろうとその不安を互いに押しつけ合っているにすぎず、株式投資とはとても言えない代物である。これからの株式投資は、これらの反省の上に立って、新しい基準で取り組まなければいけない。
 たとえば、これまで日本の株式市場がテーマにしてきたのは、ストック化の結果の部分で、原因の部分を忘れていたということがある。鉄鋼株であれば持っている溶鉱炉がどれだけの鉄を生産するかではなく、溶鉱炉をどけて更地にしたらいくらになるかといった資産価値を目安に買っていた。これは株を買う上では明らかに行き過ぎた方法であって、正されるべきものである。
 株式は本来、利潤証券として見なすべきものであり、企業の収益ベースに評価していくのが株式投資のあるべき姿である。収益はどれくらいなのか、将来どういう価値をもたらしてくれるのか。これからはそうした物差しに従って株は株らしく買われなければならない。
 業績だけでなく、企業の存在価値に注目してみるのもいい。これからの日本に最も求められるのは「志」や「責任」である。企業にしても、社会的な責任が問われているし、文化も求められている。そう考えれば、何のために企業が存在してしてしてかといった問題意識をもった企業、ポリシーをもっている企業が注目されることは間違いない。その企業の趣旨に賛同し、それを応援するつもりで株を買うなら、買ったとたん不安になることはないはずだ。
 80年代の株式投資は、哲学もいらなければ理念も必要でなかった。企業を分析する必要もなかったので、アナリストのような専門家も傍流に置かれていた。しかし、これからはそうはいくまい。本物の価値が問われる時代であると心してかかるべきである。 (『ストック大国・日本の誕生』から)
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<地価高騰による土地資産の膨張>  日本のストックで伸びているのは金融資産ばかりではない。実物資産のうち、特に土地の価値が急激に上昇している。1983年に東京都心のビル用地価格の伸び率が、いきなり2桁台に跳ね上がったのを皮切りに、地価上昇の動きは徐々にその範囲を広げ、85年以降は東京周辺の住宅地や他の大都市圏にも波及した。より最近では、東京周辺の地価が沈静化しているのに対し、地方の大都市やリゾート地などの地価がその上げ足を速めている。
 この日本全土に及ぶ地価高騰によって、土地資産の評価額は増加の一途をたどっており、特に85年以来その上昇率は加速する傾向にある。実際に、「国民経済計算」によれば、87年末における日本の土地総額は1,637兆円となり、前年に比べて評価値上がり分は371兆円で、30%の増加率であった。ちなみに、87年度の名目GNPは約351兆円であったことを考えると、土地の値上がり分がGNP以上であったことになる。地価高騰が地方に波及した88年にも、おそらく土地評価額の上昇分が、GNPの額を上回ったと思われる。
 その結果、日本は世界でそっともとちの総額が高い国となり、特に日本の25倍もの国土面積を持つアメリカの土地総額をはるかに凌ぐようになった。87年末における日本の土地総額をドルに換算すると約12兆ドルになり、同じ時期のアメリカの土地総額3兆4,000億ドルと比べると、約4倍も大きい。
 また、東京だけをみても、83年から88年までの5年間に東京の土地価格は3倍増を記録した。このため、88年1月には東京との住宅地だけで評価総額が491兆円となり、1ドル=130円のレートでは3兆8,000億ドルで、その時点でアメリカ全土の土地総額とほぼ同じ規模になっている。なんと東京の住宅地を手放せばアメリカ全土が買えるほど、日本の土地資産は膨張しているのだ。
 土地に加えて、住宅ブームで値上がりが著しい1戸建て住宅やマンションの価格上昇を考慮に入れるならば、日本の不動産全体の価値は計り知れないほど大きく、価格面に関する限り、世界で群を抜く「不動産大国」となっている。しかも、宅地や住宅の大半は個人によって保有されているために、それらの価格高騰は直接個人や家計に影響を及ぼし、日本のストック化が誰の生活とも無縁でないことを示したと言えよう。 (『「ストック経済」の時代』から)
<数字と実感のギャップ──地価高騰の影響>  前章では金融資産に焦点を当てたが、家計のストック化がより顕著なのは、むしろ実物資産、得に土地資産の面においてである。もともと、日本では家計の資産の半分近くを土地が占めていたが、さらにここ数年の東京を中心とする地価高騰により、家計の資産構成がもっぱら土地に偏る結果となった。少なくとも数字の上では、首都圏で1戸建て住宅に住む家計は、欧米の家計の何倍もの土地資産額を保有するに至ったのである。
 しかしそれにもかかわらず、一般の家計にとっては、資産の蓄積が進んで生活が豊かになったとは感じられない。実際に、自分の土地と家は自分で住むためのものであり、その価格が上がっても何のプラスもなく、むしろ土地評価額の上昇に応じて税負担が重くなるというマイナスが目立つだけである。これは、平均的な世帯が保有する土地資産の価値が実際に増大しているにもかかわらず、そのプラス面ではなく、マイナス面のみが強調させるという一種の「病理現象」にほかならない。
 本章では、日本の土地に関するこのような現象の根本には、フロー経済の時代から維持されてきた不動産に対する古い意識や態度があり、さらに、それが旧態依然たる制度や政策によって助長されてきたことを指摘する。これがストック化の時代において、家計が土地・住宅ストックの価値の上昇からメリットを受けられず、数字と実感のギャップが拡大する最大の原因となっている。 (『「ストック経済」の時代』から)
数字と実感のギャップの理由  日本全体で金融資産の蓄積が膨大になったと言っても、その4分の3は金融機関や企業などが保有しており、家計部門の保有額は全体の4分の1程度にしかすぎない。したがって、年間の増加額もそれに応じて少なく、GNPの約4分の1に等しい。この非家計部門に比較して家計部門の金融資産の少ないことが、マクロな数字と生活実感とのギャップを生み出す第1の理由である。 (『「ストック経済」の時代』から) *                      *                      *
<これらの本が出版された時点では、平成不況はまったく予想されていない>  株価は1989年末に3万8,915円の高値をつけ、1990年から急落した。けれども地価の急落は少し遅れている。したがって、これらの著者はまだ、平成不況を予想していない。その後、株価、地価の急落に従って「ストック化」という言葉は聞かれなくなっていく。「ストック化」を普及させたエコノミストの中には、いかに「ストック化」に代わる「インフレターゲット」という言葉を普及させるか、に変わって行く人たちがいる。「マイルドなインフレは良いことだ」と言っていたリフレ派エコノミストも、このところの物価上には黙っている。本来ならば「マイルドなインフレが始まった。これでインフレターゲット論の正しさが認められるだろう」と胸をはって誇らしげに言うはずなのだが………。
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<主な参考文献・引用文献>
『ストック大国・日本の誕生』膨大なる資産がさらなる繁栄を生む   三原淳雄 PHP研究所    1990.10.26
『「ストック経済」の時代』 豊かさ獲得への処方箋         宮尾尊弘 日本経済新聞社   1989. 9.21
( 2008年3月31日 TANAKA1942b )
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(6)株価の大幅な上昇はバブルではない
合理的なバブルと呼ぶべき現象
<地価上昇・株価高騰の評価が分かれる>  資産価値が上昇したことによってストック化が進んだ、と『経済白書』 は言う。『経済白書』の表現では「資産残高が増加し、その保有や取引の経済全体に与える影響が高まってゆくことを「ストック化」と呼ぶこととする」となる。しかし、その『経済白書』で、「今回の地価高騰は、戦後の歴史を振り返っても最も今回の地価高騰は、戦後の歴史を振り返っても最も大規模かつ深刻なものの1つとなった」とも言っている。一体、地価や株価の高騰は「ストック化を促進する良い現象」なのか?それとも、「大規模かつ深刻な、良くない現象」なのか?
 『経済白書』の論調は、「新しく、逞しい日本経済の誕生」という楽観的な見方をしながら、「大規模かつ深刻な現象」と言って、逃げ道を作ってもいる。では、これを受けて、民間のエコノミストはどのように言っているのか?先週に続いて、学者の意見を聞いてみよう。
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<株式投機のバブルは合理的か>  J.M.ケインズ(1936)は、株式投資を「美人投票」にたとえた。ケインズの「美人投票」とは、自分が美人であると思う人に投票するのではなく、より多くの人が美人と考える人を言い当てる、という「美人投票」である。株式投資がこの型の「美人投票」である場合には、他の投資家たちがファンダメンタルズに基づいて将来の株価を予想しているかどうかよりも、その根拠はともかく、他の投資家たちは将来、株価が高くなると予想しているのか、それとも低下すると予想しているのかを推測することが最も重要になる。このとき、他の投資家たちの予想がファンダメンタルズに基づいているかどうかは、全く関係がない。このような投資家の株式投機の結果、株価がファンダメンタルズを上回って高くなるとしよう。投資家たちは他の投資家たちはそのぁぶかを基準に将来、株価は更に上昇すると期待するようになると推測し、株式に労しするとしてみよう。そうすると、株価はそのファンダメンタルズに基づかない期待を反映して実際に高くなってしまう。このように期待したことがそのまま実現されることを、自己実現型期待と言う。
 それでは、このように期待してバブル的投機を行うことは非合理的であろうか。株式については、ファンダメンタルズ・バリューを超えた株価が次々に実現されていっても、それが実現される限り、誰も損失を被ることはない。したがって、他のほとんどすべての投資家がファンダメンタルズ・バリューを上回る株価を期待して行動する限り、個々の投資家も同じように行動することによって利益を上げることができる。この意味でバブル的投機は個々の投資家にとって合理的であるので、それによって生ずるバブルは合理的バブルと呼ばれている。
 ところで、今までは、投資家は同じ情報を持って同じような期待を形成すると前提して、バブルよは何かを説明してきた。しかし、現実には、投資家の持つ情報は同じではない。そこで、次のように主張されることがある。すなわち、情報を十分に持っていない投資家は、将来の配当流列に関する不十分な情報に基づいて良そうを形成する。そのため、実際の株価が長期的期待に基づいくファンダメンタルズ・場ルーを上回っていても、その株式を購入しようとし、バブルが発生する。
 しかし、不十分な情報に基づいて形成される価格は必ずしもバブルではない。将来のファンダメンタルズがどのようなものになるかは前もってわからない不確実な現象である。したがって、ファンダメンタルズに関する予想が間違っていたかどうかは事後的にしかわからない。もしも、事後的にしかわからないものを正しく良そうできなかった結果生ずる現象をバブルと呼ぶなら、資産市場では常にバブルが発生し、それが助俗していることになり、とりたててバブルと呼ぶこともない。投資家が不十分な情報ながらも、将来のファンダメンタルズを予想してその予想に従って行動する限り、その予想が事後的に間違っていることが判明しても、市場で形成される資産価格はバブルではないのである。この意味で、ファンダメンタルズに関する予想を間違えて行動することはバブル的投機ではないことに注意すべきである。 (『ストック経済の構造』から)
<80年代終わりの株価はバブルか>  日本では1980年代の終わりに株価と地価の高騰が起こった。地価高騰については、第7章で取り上げることにし、ここでは株価高騰とその後の急落・低迷をバブルとの関連で簡単にみておこう。
 新聞を初めとする一般的見方によれば、80年代後半における株価の高騰と90年代に入ってからの急落はバブルとのその崩壊の過程と考えられている。このバブル崩壊の過程で、政治家などによる巨額な株式投資利益の脱税事件や、銀行の不明朗な融資や証券会社による大口顧客への損失補填など、日本経済の病根が明るみに出され、金融界のトップが相次いで辞任に追い込まれた。
 しかし、87年から91年の株価がバブルとその崩壊の一例であったかどうかは経済学的には実証されたとは言えない状況である。
 経済学的には、将来のファンダメンタルズに関する予想が変化したために生じた株価の大幅な上昇はバブルではなく、同じく予想の変化によって生じた株価の大幅な低下はバブルの崩壊ではない。したがって、バブルか否かを実証するためには、株価の変化を将来のファンダメンタルズに関する予想の変化に基づくものと、ファンダメンタルズに無関係な要因に基づくものと分ける必要がある。ところが、世間一般は株価が高騰すればバブルであり、いったん高騰した株価が急落すれば、それはその崩壊であると考えている。
 さて、1987年頃から91年にかけて、市場参加者のファンダメンタルズに関する予想を変化させた要因としては次のようなものが考えられる。
 まず第1に、1985年から始まった金融緩和政策により、利子率(金利)は、国債利回りでみて、88年には80年の役半分の水準になった。こうした利子率の低下は、将来の一層の低下期待を生んだと考えられる。
 株価のファンダメンタルズ・バリューの式を見ればわかるように、将来の利子率の低下期待は株価のファンダメンタルズ・バリューを引き上げる大きな要因である。
 また、企業が実施する投資の収益率に関する投資家たちの期待が高まれば株価のファンダメンタルズ・バリューは上昇することもわかる。
 株価高騰時」においては、企業の投資収益率に関する投資家たちの期待値を高めたと思われる要因が存在していた。すなわち、日本経済は87年には85年半ば以降の円高不況から脱して景気上昇期に入った。こうした企業業績の急回復は投資家たちが予想する企業の投資収益率の期待を高め、株価を上昇させる要因となった。
 株式市場では、利子率(金利)低下期待による株価上昇を金融相場と、企業収益の向上が期待されることによる株価上昇を業績相場と、それぞれ呼んでいる。87年ー89年の株価上昇はこの2つの相場による部分が大きかったと考えられる。したがって、金融緩和期待と企業の収益率の上昇期待といったファンダメンタルズに関する期待の変化に基づく以外の要因で上昇した部分がバブルである。
 それでは、87年ー89年までの株価上昇のうち、ここに述べたようなファンダメンタルズに関する期待の変化では説明がつかないバブルがどれだけあったと考えられるであろうか。当然、日本の株価はファンダメンタルズからみて高すぎるかどうかを検証しようとするいくつかの実証研究が発表された。本書では、これらの実証研究の成果を紹介・検討する余裕はないが、ファンダメンタルズからみて高すぎるとも低すぎるとも、いずれも実証されたとは言い難い状況である。
 90年以降の株価急落も、それ以前の株価上昇がバブルであると実証されない限り、バブルの崩壊とは言えない。しかし、90年以降、ソ連・東欧経済の悪化、利子率の急上昇、企業業績の悪化、イラクによるクウェート侵攻と原油価格の急騰といった将来のファンダメンタルズの悪化を予想させる変化が次々に起こったという点も十分考慮しなければならない。こうしたファンダメンタルズの悪化で説明がつかない低下がなければ、90年以降の株価急落もバブルの崩壊とは言えないのである。 (『ストック経済の構造』から)
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<主な参考文献・引用文献>
『ストック経済の構造』                     岩田規久男 岩波書店      1992. 4.28
( 2008年4月7日 TANAKA1942b )
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(7)バブルを意識した見方が登場する
実物要因なのか、バブルなのか
<実物要因か、バブルなのか?>  90年代に入り、景気上昇が止まり、不景気の様相を呈してきて、さらにデフレの傾向が見え始めると、エコノミストの見方も変わって来る。いままで、「ストック化」と言って資産価値上昇を良いことだとの前提で話を進めていたが、時とともにバブルであるとの見方が強くなっていく。さらにエコノミストの見方を紹介しよう。
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<1980年代のストック・インフレ>  1980年代の後半に、株価と地価の著しい高騰が生じた。これは、しばしば、「ストック・インフレーション」と呼ばれる。これまで「インフレーション」と言えば、フローの財やサービスの価格に関するものであった。株価や地価の高騰は1970年代の初めにもあったが、80年代後半のものは、はるかに激しかった。
 株価の推移を日経平均株価で見ると、1983年の平均で8,800円であったものが、86年の平均では1万6,401円と、ほぼ2倍になった。その後、87年10月には2万6,646円まで上昇した。 10月20日のブラック・マンデーで急落したものの、すぐに上昇に転じ、89年12月末には3万8,915円にまで上昇した。 83年に比べると、実に4倍以上の上昇である。
 地価も1980年代の後半に未曾有の上昇を示した。首都圏では、1986,87年の2年間に、住宅地の公示地価が2倍以上になった。 東京都区部では、3倍近い上昇である。日本の地かは、戦後、継続的に高い伸びを示したが、それに比べても、この期間の暴騰は以上であった。
 3大都市圏における住宅地公示価格の推移 (1983年を100とする指数)
地区\年 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990
東 京 圏 102.2 103.9 107.1 130.1 219.3 220.2 234.7
東 京 都 102.9 105.9 112.7 169.6 283.2 265.3 264.5
 区  部 103.2 107.2 117.9 208.5 300.5 284.9 286.0
大 阪 圏 103.6 106.7 109.5 113.2 134.3 178.2 278.1
名古屋圏 102.4 104.0 105.5 107.2 115.0 133.9 160.9
資料:国土省
(『ストック経済を考える』から)
<株価のバブル>  この時期における株価の上昇について、1,2節で述べた分析を用いて、簡単な評価を行ってみよう。
 株価を上昇させる要因としては、まず、企業収益の向上がある。株価収益率のデータから逆算すると、1983年から89年の間に、東証第1部企業の平均収益は2.2倍増加した。
 いま1つの要因は、金利の低下である。公定歩合の推移を見ると、1983年10月以来5%であったものが、86年1月から数次にわたって引き下げられ、87年2月には2.5%という史上最低の水準にまで低下した。これは85年9月の「プラザ合意」以降の急激な円高に対処するため、国内金融を緩和する必要があったためである。
 もっとも、公定歩合は短期金利だから、ストック価格の計算の際の割引率としては、必ずしも適当なものではない。そこで、長期金利の代表の1つである全国銀行貸出約定金利を見ると、1983年に7.1%だったものが、89年には5.3%にまで低下した。したがって、その逆数は、14.3から19.2へと1.3倍に上昇したことになる。
 以上のことから、株価はこの期間に、2.1X1.3すなわち2.7倍に上昇してもよいことになる。しかし、実際は3.8倍になっている。したがって、残りが、この2つの要因では説明できない部分である。その部分が、1989年の株価のうち約3割を占めていたことになる。
 その内容としては、収益の成長率予測の高まりもあったろう。仮にこれが十分な根拠に基づくものであれば「将来の日本経済の成長を買った」わけであり、これに基づく株価上昇は、必ずしもバブルとは言えない。しかし、実際には「値上がりが値上がり期待を高め、実際の株価を引き上げた」という面があったことも否定できまい。したがって、ここに算出した「3割」のかなりの部分は、バブルであったろうと推測される。
 ここで、次に2点を注意しておこう。第1に、金融要因と成長期待要因やバブル要因とは、一応別個の要因である。したがって、後者が変化しなくとも、金利が上がれば、株価は下がる。事実、1990年の初めには、金利の引き上げによって株価は大幅に下がった。
 第2に、この計算では、「含み資産」を考慮していない。含み資産とは、昔購入した資産がバランスシートでは購入価格で評価されているため、時価との間に生じた差額である。この中核をなすものは、土地である。不動産会社や鉄鋼会社には、きわめて巨額の土地の含み資産があると言われ、これが80年代後半の相場を動かした。
 このような観点からすると、ストック・インフレーションの基本的部分は地価上昇にある、ということになり、地価の評価なしには株価も論じられないことになる。また、それとは別に、住宅・都市問題の観点からみれば、地価そのものが重要な問題である。そこで、以下では、地価の評価を試みることとしよう。
<地価上昇は実物要因によるものか>  1980年代後半の地価上昇は、日本経済の構造変化、とりわけ新しい経済活動が東京に一極集中したことの反映だと言われることがある。これは、実物要因によって地価上昇が生じたとの説明である。確かに、国際都市東京の地位は向上したし、情報化や国際化によってインテリジェント・ビルへの需要は増大した。それによって東京都心部のオフィス用地が不足気味になり、地価高騰の引き金となったことは事実である。
 しかし、仮に、経済の実物面で変化が生じ、生産要素としての土地に対する需要が増大したのだとすれば、まず、オフィス賃貸料などのフロー価格が上昇するはずである。そして、それを追いかける形で地価が上昇するなずである。しかし、実際には、地価は異常な上昇を示したが、賃貸料は経済成長率に見合って上昇したにすぎない。これは、生産要素としての土地の価格が上昇したのではない(つまり、収益要因によってストック価格が上昇したのではない)ことを示している。
 さらに、このことは地価上昇が大阪圏や名古屋圏にも波及したことからも窺える。もし東京への一極集中が主たる要因で東京の土地に対する需要が増大したのであれば、地価上昇が東京圏以外に波及することはなかっただろう。現実には、土地が投機の対象となり、投機的資産が東京圏から他地域に移動したために、こうした現象が生じたのである。
 そこで、1,2節で述べたストック価格分析を追うようして収益還元価格を計算すれば、現実のストック価格のうち、どの程度が「バブル」かを推定することができる。
<地価のバブル━━収益還元価格のアプローチ>  収益還元地価の計算をする場合に問題となるのは、すでに述べたように、「地代」を土地の収益とみなすことができないことである。そこで、オフィスや賃貸マンションのデータから、間接的に収益還元地価を計算する必要がある。具体的には、土地を購入して賃貸建築物を建てる場合を想定し、この収支均衡条件から、収益還元地価を計算する。
<表 現実の地価と理論地価>
オフィス用地
場所\項目 地価(万円/u) 賃貸料(万円/u) 理論地価(万円/u) バブル率(%)
麹町2−3 1,720 7.8 578 66.4
八重洲1−4 1,800 10.9 893 50.4
日本橋室町4−2 1,050 8.3 629 40.1
銀座4−2 2,930 10.4 842 71.3
虎ノ門5−8 1,680 11,9 995 40.8
赤坂2−14 2,060 9.1 710 65.5

住宅用地
場所\項目 地価(万円/u) 賃貸料(万円/u) 理論地価(万円/u) バブル率(%)
荻窪 125.0 3.4 40.9 67.3
八王子 56.0 2.3 24.6 56.1
自由が丘 199.0 4.4 59.1 67.3
青葉台 125 3.4 40.9 70.3
西川口 48.0 2.3 21.0 56.3
保土ヶ谷 46.0 2.0 15.5 66.3
新小岩 75.0 2.6 26.4 64.8
43.0 2.0 15.59 64.0

注1 地価は公示価格(万円/u)、オフィス用地は1987年、住宅用地は1988年、オフィス賃貸料は「日本経済新聞調べ」(1988年7月、年間、万円/u)。住宅賃貸料は『週刊住宅情報』(1988年7月)に掲載の駅から10分程度の賃貸マンションの値(年間、万円/u)
注2 理論地価の計算では、利子率を5%と仮定。
注3 バブル率=(現実地価−理論地価)÷現実地価X100
 東京圏の住宅地やオフィス用地についての計算結果は表に示す通りである。結果は、割引率の値によってかなり変わるが、表には5%を用いた場合の結果を示した。ほtんどの地点で、理論地価は現実の地価の半分でしかない。(なお、5%という値は、リスクを考慮すれば、低めの値である。もっと高い値を用いれば、収益還元地価はより低くなり、現実とのギャップは拡大する)
 このように、現実の地価は、「収益還元地価」に比べて遙かに高い。つまり、地価は、土地を業務用や住宅用に用いるのでは採算がとれないような水準になってしまっているのである。これは、土地が生活や生産活動のためためた資源として「投機的な」観点から価格付けされているのでなく、キャピタルゲイン期待の資産として、「投機的な」観点から価格付けされていることを意味する。 (『ストック経済を考える』から)
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<主な参考文献・引用文献>
『ストック経済を考える』 豊な社会へのシナリオ         野口悠紀雄 中公新書      1991. 1.25
( 2008年4月14日 TANAKA1942b )
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(8)ストックインフレはバブルであった
自己実現的期待がそれを支えた
<ファンダメンタルズ・モデルで説明がつかない>  1992年になると、「ストック・インフレはバブルであった」との主張が聞かれるようになる。「ストック化」との表現で、日本経済の健全性を持ち上げた主張が崩れはじめ、「バブル」という言葉が意識されはじめる。ここでは、そうした面からの主張を取り扱うことにする。
*                      *                      *
<「ストック化」とは何か>  1980年代の日本経済が経験した顕著な構造変化の1つは、フローに比べてストックの相対的な比率が上昇したことである。経済構造のこのような変化を「ストック化」と呼ぶことができよう。
 ストック化は、いくつかの指標によって見ることができる。まず、世帯ベースでみると、勤労者世帯平均の年間収入は、1978年の387万円mから88年の621万円と、1.6倍に増加したのに対し、金融資産の残高は、同時期に372万円から893万円へと、2.4倍に増加した。この結果、金融資産の年間収入に対する比率は、0.96から1.44に上昇した(総務省、「貯蓄動向調査」)。
<表 国民資産の対GDP比の推移>
年\項目 有 形 資 産 在   庫 純固定資産 再生産不可能 金 融 資 産 総 資 産
1955 3.77 0.35 1.59 1.83 2.19 5.96
1960 3.58 0.36 1.17 2.05 2.89 6.47
1965 3.53 0.33 1.17 2.00 3.65 7.17
1970 3.92 0.30 1.31 2.31 3.70 7.62
1975 4.84 0.30 1.89 2.65 4.60 9.44
1980 5.46 0.26 2.15 3.04 5.29 10.75
1985 5.66 0.21 2.14 3.30 6.60 12.25
1986 6.26 0.19 2.13 3.92 7.31 13.55
1987 7.15 0.19 2.16 4.80 8.05 15.20
1988 7.47 0.18 2.18 5.11 8.72 16.19
1989 7.93 0.18 2.24 5.51 9.38 17.31
 資料経済企画庁編[1991]『平成3年版国民経済計算』大蔵省印刷局

 マクロ経済的なストック化は、国民経済計算における総資産の対国内総生産比によって確かめられる。表は、1955年からの推移を示したものである。この比率は、1955年で5.96、70年で7.62、80年で10.75であったが、89年末には17.31になっている。したがって、この指標で見る限り、日本経済のストック化は顕著に進行していると言えよう。
 しかし、ここで、次の点に注意しなければならない。それは、この比率の急速な上昇は、土地と金融資産によるところが大きいということである。前者の対国内総生産比は、1960年の1.7から、89年の5.4に上昇している。また、後者の対国内総生産比は、1960年に2.19であったが、89年には9.38になっている。
 すでに述べたように、金融資産は対外純資産を除けば国内で相殺されてしまうし、土地については評価に問題がある。また、株価や地価を暴騰させた1980年代後半の資産インフレは、どちらかと言えば短期的現象である。「経済のストック化」が注目されるようになった契機は、まさに、こうした現象なのだから、これが真に重要なストック化と言えるかどうかには、疑問があるのである。
 そして、この2つの要因を除いてみると、ストック・フロー比率の上昇テンポがずっと緩やかになる。では、「ストック化」とは、一時的で表面的な現象にすぎないのだろうか。
 決して、そうではない。なぜなら、経済の実物面においても、長期的な構造的変化としてのストック化が確実に進行しているからである。
 それは、まず、表に示した純固定資産の対国内総生産比の推移に表れている。この比率は、1950年代の後半に低下した後、60年代を通じて、ほぼ1.2程度の水準で安定していた。それが、70年代になってから急に上昇し、79年に2を超えた。その後、ほぼ2.2程度の値で推移している。
 「純固定資産」に含まれるのは、住宅、建物、構築物、輸送機械、機械器具といった実物的な資本ストックである。したがった、土地以外の実物ストックについても、高度成長期に比べて対国内総生産比が焼く2倍に上昇しているのである。これは、顕著なストック化と言えるだろう。
 長期的なストック化は、第2に、対外資産の蓄積に表れている。日本の対外資産は、1980年代になってから急速に増加し、85年から引き続いて世界第1位となっている。89年末では、38兆1,180億円であり、国内総生産の9.6%であった。
 フローに対するストックの比重が増大すると、ストックのキャピタルゲインがきわめて大きくなる。高山他[1990]によると、1984年から87年の3年間でのふつう世帯のキャピタルゲインは、土地が252兆円、株しくが14兆円である。これは、84年の可処分所得の2.2倍となっている。
 経済のストック化そ測るいま1つの尺度は、家計が保有するストックのうち、現世帯員の貯蓄によって蓄積されたものと、相続によって親世代から引き継いだものとの比重である。フロー社会では、資産の大部分が労働所得からの蓄積で構成される。少なくとも、相続の重要性は低い。これに対して、経済のストック化が進展すると、相続された資産の比重が高まる。
 コトリコフとサマーズは、アメリカのデータについて分析した結果、驚くべきことに、「アメリカの富のほとんどは、相続によって引き継がれたもの」との結論を得た。彼らによれば、ライフサイクル資産の比率は、最大限の見積もっても、全資産の19%にすぎない。
 こうした推定が正しければ、家計が保有する資産は、世帯員の所得や職業など「現在の」データのみでは説明できず、家系の歴史や相続など、世帯員の「歴史」に関するデータを用いなければ解明できないことになる。
 高度成長期の日本は、ストックに比べてフローの重要性が高い、典型的なフロー社会であった。したがって、相続の重要性も低かったと考えられる。しかし、日本でも、ストック経済化に伴って、状況は変化する。地域間人口移動が生じるからである。とりわけ居住用不動産については、相続は大きな重要性を持つ。その重要性は、最近の地価高騰によって高まった。大都市圏では、相続の有無が居住条件に対して決定的な影響を持つようのなる可能性が強い。
 ストックの比重が高まると、さまざまな経済量に対して、フローにおける需給条件からの影響より、資産市場からの影響が強くなる。このことも、「ストック化」の重要な内容である。1989年の『経済白書』はこの面に注目し、「資産残高が増加し、その保有や取引の経済全体に与える影響が高まってゆくこと」が「ストック化」であると規定している。
 ストックからの影響が強まった典型例として、為替レートの決定があげられる。為替レートは、一定期間内の輸出・輸入という「フロー」の需給に影響されると同時に、どる資産対円資産という「ストック」の需給によっても影響を受ける。かつては、為替レートは、前者によって決まった。しかし、国際間の資本移動が自由になった現在では、後者の面からの影響の方がはるかに強い(為替レート決定理論のアセット・アプローチとして知られる)。
 また、消費における資産効果(「ピグー効果」)も考えられる。これは、消費が、所得というフロー量だけでなく、資産面からも影響されることを指す。たとえば、株価が上昇して個人の保有する株式の価値が増加すると、消費が拡大する可能性がある。
 一般に経済的な決定は、フロー量に関するものが多い。たとえば企業の活動についてみると、雇用や生産の決定などは、フロー量を対象としている。また、投資の決定も、フローに関するものである。家系の決定も、毎月の収入からどれだけを消費にあて、いかなる消費財を購入するかなどは、フローの決定である。
 これらの決定を行う際に、ストックとの関連が考慮されることは多い。投資の決定は、将来のストックを最適な水準にすることを目的として行われる。家計の貯蓄決定においても、将来の最適資産保有が考慮されるだろう。しかし、これらの決定の対象は、あくまでもフロー量である。
 しかし、経済的な決定には、ストック量そのものを対象とするものもある。たとえば、資産をいかなる形態で持つか、という決定がそれである。このような決定は「ポートフォリオ選択」と言われる。また、企業においては、負債構成の調整も、重要なストック面の決定である。さらに未利用地の有効活用などもストックに関する決定と言えよう。国や公共団体のレベルでいえば、国債管理政策や公有地の再開発などがこれにあたる。
 前掲『経済白書』は、この観点からも「ストック化」をとらえ、「個々の経済主体にとって、ストック・レベルの意志決定、、すなわち保有資産の構成や利用方法を見直し、必要に応じて資産の組み替えを行うことが効率的に行えるようになり、またそのことが有用になること」が「ストック化」であるとしている。 (『分析・日本経済のストック化』から)
<資産価格のメカニズム──日本の地価>
 日本の地価についてファンダメンタルズ・モデルの説得力を考察したものに、野口[1989]、経済白書[1988,1990]、西村[1990]、Ito[1990]等があり、株価の場合とはことなり、ほぼコンセンサスのある実証分析結果が蓄積されている。
 野口[1989]は、1987年の首都圏の中央線沿線と東横線沿線の9地区の住宅用地の地代(マンション賃貸料)と地価(公示地価)を比較し、現実の利子率での下では、現実地価はファンダメンタルズ・モデルが予測する理論地価の2倍の水準にあるとした。首都圏」や大阪圏のオフィス用地について行った分析からも、同様の結論が得られている。このことから、野口[1989]は、1987年時点でも現実地価の約半分はバブルであると結論した。
 経済白書[1988]では、東京の商業用地と住宅用地について、現実地価とファンダメンタルズ・モデルから得られる理論地価を、1970年から1987年までの期間について比較した。これによると、1970年時点で現実地価と理論地価が等しいとすると、商業用地と住宅用地ともに、1970年代の後半に現実地価が理論地価をやや下回っている時期があるものの、残りの期間はおおむね現実地価が理論地価を上回っており、特に1986−87年の乖離幅が大きくなっている(ただし、現実地価と理論地価はともに1970年を基準とする指数で測られており、本来両者の絶対水準は比較できない)。
 経済白書[1990]は、こうした比較を東京ばかりではなく名古屋と大阪の商業用地と住宅用地に拡張し、また期間も1989年まで延長している。これによると、1982年時点を基準にすると、名古屋や大阪では1980年代を通じて現実地価が理論地価を下回る傾向があるものの、その分これらの地域では1988−89年の現実地価の上昇率が非常に高いものとなっている。(ここでも地価の絶対水準は直接比較できない)。
 他方、東京での現実地価は1988−89年は横這い状態であり、いぜんとして理論地価を大きく上回っている(理論地価は1989年には下落する傾向が認められる)。したがって、ここでもインプリケーションとしては経済白書[1988]とほぼ同様のものが得られており、東京に比べて時期にはずれがあるものの、1980年代末には名古屋や大阪でも現実地価は理論地価を大きく上回って上昇していることになる。
 全国の市街地地価を考察した西村[1990]の結論も経済[1988,1990]とほぼ同様であり、ファンダメンタルズ・モデルは1980年代の前半期までは比較的良好に現実の地価の変動を追跡できるものの、1980年代後半となると両者の乖離は大きくなるとした。さらに、1980年代後半期のバブルは、自己実現的な期待形成、投資家の不十分な情報、および貨幣錯覚によって説明可能であるとの議論を展開している。
 Ito[1990]による世代重複モデルでは、一般均衡解として、マーケット・ファンダメンタルズの成長の結果地価が上昇する。モデルのインプリケーションをデータで確かめたところ、1970年代央までの地価動向はファンダメンタルズ。モデルで説明可能であるが、それ以降の地価動向はバブルの存在を前提としないと説明できないとした。
 以上のように、日本の地価をめぐる実証研究は、そのおおかたのコンセンサスとして、少なくとも1980年代後半の地価形成についてはマーケット・ファンダメンタルズだけでは説明不可能であり、バブルが存在するとの結論に達している。こうした結論を受けた浅子[1990]では、バブルの存在を前提としたうえで、それが合理的なものであるか否かを、横断性条件に対応する条件式の成否を通して検討した。それのよると、地価上昇がマイルドな時期にはバブルは合理性の条件を満たしている可能性があるものん、地価高騰期には合理性の条件を満たしていない可能性が高い。 (『分析・日本経済のストック化』から)
金融政策とバブル  以上を総合評価するならば、1980年代後半の株価や地価の上昇は、ファンダメンタルズ・モデルで説明可能な水準を超えたものが含まれていることが理解される。すなわち、ストック・インフレはバブルがサポートされた可能性が強い。それが、1990年代に入って崩壊したわけである。
 1990年代を通じてバブルが持続し得た条件は、自己実現的な期待形成による面が大きいと考えられる。それを可能にしたより根本的な原因は、資産間の裁定を可能にした流動性の供給──いわゆる過剰流動性の存在──であろう。資金の貸借が制約を受けるようならば、資産間の裁定条件は必ずしも成立しない。その意味では、1987年2月以降2年3ヶ月にわたって日本銀行操業以来の低水準(すなわち、2.5%)が維持された金融の超緩和政策に責任の一端があるとの日銀の自己指摘(日本銀行[1990])は、的を射たものと言えよう。金融の超緩和期には、ノンバンクを含めた金融機関が猛烈な勢いで株式や土地を担保として融資競争を行っていたのである。
 それでは、なぜこれほどまでに金融緩和政策がとられていたのであろうか。これを考えるとき、まっさきに指摘されるのは円高不況対策や内需拡大政策の追求であろう。1985年9月のプラザ合意によって急激な円高が進行し、そのデフレ効果が懸念された。また、内需拡大政策は経常収支黒字幅の縮小を伴いながら安定的な成長を目指したものであるが、財政再建途中にある財政政策に大きな期待は望めず、その分金融緩和にかかる期待が高かった。いわば、こうした有効需要の管理に金融政策が割り当てられたのである。円高局面において、物価上昇懸念が薄らいだことも、金融緩和政策を持続せしめたと言えよう。また、金融緩和政策を取ることによって、過度の円高の進行を抑えるといった意味合いもあった。
 金融政策が転機を迎えたのは1989年5月であり、このとき公定歩合は2.5%から3.25%へ引き上げられ、続いて同年の10月、12月、90年の3月、8月と5次にわたり引き上げられ、最終的に6%水準に達した。こうした流れの中で、89年末には株式市場で株価が天井を打ったが、この時点では地価の上昇は全国的に波及しつつある段階であった。すなわち、金融政策の転換が直ちに株価や地価の急落をもたらしたものではない。これは金利面での引締政策がとられても、量的な面での引き締めが浸透するには時間がかかるからである。
 もっとも、1990年に入ってから株価は急落した。すなわち、日経平均株価で見て89年末の3万3,000円近くと比べ、90年4月には2万8,000円台まで30%近く急落し、その後3万3000円台まで戻したものの、8月のイラクのクウェート侵攻を受けて再び急落し、10月には一時的ながら2万円を切るまでになった。その後は、91年中は底値から20%ほど戻した水準で持ち合っていたが、92年に入ると株価は再三にわたって急落し、7月には日経平均株価は1万5,000円台を記録した。
 これに対して、地価の下落は進んでいない。すなわち亜991年7月現在の基準地価(国土省調査)で見ると、東京圏(住宅地)の地価水準は83年を100とした指数でみるて247と2.5倍の水準にあり、対前年変動率としては75年の調査開始以来初めて下落に転じたものの、その下落率は0.1%にすぎなかった。同調査によると、前年50%近い上昇を示した大阪圏では急落し15.3%の下落となったものの、全国平均では依然として2.7%の上昇を示した。東京圏でも大阪圏でも住宅地に比べると商Gふょうちの地価の下落率はよりマイルドであり、それぞれ0.3%と8.9%にとどまった。また、全国平均では3.4%の上昇となった。
 とはいえ、地価の沈静化が進みつつあるのは確かである。これには、金利の上昇や1990年の4月に導入された不動産関連融資の送料規制の影響が現れつつあること、地価税など一連の土地税制の改革についてのアナウンスメント効果がもたらされたこと、そしてミクロレベルでは地価監視区域指定の拡大がなされたことがあげられよう。
 このうちの不動産関連融資の送料規制について詳しくみると、過去の経験(特に、1973−74年や、1986−87年の地価高騰局面)から、不動産業向けの貸出残高と地価の間には密接な関係があことが知られており、しかも前者が時間的に先行する傾向がある。したがって、この関係が今回も当てはまるとすれば、総量規制を持続させ貸出残高の伸びを抑えれば地価の上昇がやむ可能性が高い。 (『分析・日本経済のストック化』から)
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<主な参考文献・引用文献>
『分析・日本経済のストック化』           伊藤隆敏・野口悠紀夫他 日本経済新聞社   1992. 9.22
( 2008年4月21日 TANAKA1942b )
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(9)ストック経済という平成バブル
これからのバブル後遺症を予測する
<平成バブルの始まり> 1980年代後半の日本経済をどのように捉えるか?いくつかの見方を引用してきた。 今週は「1980年代後半の日本経済はバブルであった」との立場からの文献を引用することにしよう。西欧諸国の経済と比べて、日本経済が官僚統制経済であった、との俗説は広く流布しているものだ。 この点はTANAKAの見方とは違うが、それでも広く信じられているので、ここで引用することにした。
 TANAKAの見方は、「官に逆らった経営者たち」で次のように書いた。
 言語明瞭、意味不明の言葉がマスコミ界をうろついている。──「日本株式会社」という言葉が──。戦後日本経済が立ち直ったのはこの「日本株式会社」のおかげあるとか、しかしこれからはこの「日本株式会社」が発展のネックになるとか、改革を主張する過激派も,穏健派も、政官業のトライアングルの活躍に期待する族議員圧力団体派も、隠れコミュニストも、党派・立場を越えてこの言葉「日本株式会社」を使う。そこでこの言葉「日本株式会社」の意味するところは何なのか?実際の経済はどのような歩みだったのか?アマチュアエコノミストがプロ(ビジネスで発言する人たち)とは違った、ニッチ産業的(隙間産業的)な視点から検証してみようと思い立った。先ずこの言葉がどのように使われているか?その例を引用することから話を始めることにしよう。

 「いまや世界一の黒字国・債権大国にのし上がった日本。しかし、ここで暮らす私たちにとって、そのような生活感は乏しい。それどころか海外からは閉鎖的で黒字をかせぐ異質の国と映って、叩かれ続けている。
 どうしてこんなことになってしまったのだろうか?───その答えは、「日本株式会社」と呼ばれる、世界にも例を見ない独特な日本型経済システムに内在する。そうした経済構造自体を問い直し、改革することが、もはや国民的合意となっている。
 昭和の時代を通して官民総ぐるみで協調して形成された日本型経済システムが、東西の冷戦終結と五五年体制の崩壊という内外の激動を受けて、その大手術に向けて動きはじめたのである。これは日本経済の根底に関わり、痛みも伴う巨大なリストラ(再構築)を意味する」

 この本の著者は豊かな日本で生活しながら、その豊かさを実感出来ないと言う。豊かな生活用品に囲まれながら、心が満たされていないらしい。そしてそれは「世界にも例を見ない独特な日本型経済システムに内在する」と言う。この源流が「半世紀も前の昭和初期、当時のいわゆる満州国でめばえていたことは、第一の発見であった」と続き、「そしてこのシステムは戦後、単なる統制でなく企業か精神も誘導する独特な官民協調システムとして完成し、ついに欧米キャッチアップの目標を達成した」となる。
 これからの日本経済成長のために、「自由な企業活動を阻害する規制は、一層の撤廃を進めるべきだ」には賛成するのだが、前半の「官民協調システム」には疑問符を投げかける。そうは言っても確かに「日本株式会社」論は日本のマスコミに多く登場する。そこで戦後日本経済は「官民協調システム」だったのか?経済再建に政府の役割が大きかったのか?政府主導の経済再建だったのか?こうした疑問に答えるために、「官に逆らった経営者たち」とのタイトルで TANAKA1942b 独特の論法を展開してみようと思う。「経済学の神話に挑戦」とまでは行かないが、 従来からある安易な「日本株式会社」論に対する異論として展開する価値は十分にあると確信して論を進めることにしよう。 
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<純固定資産では横ばい状態>  「ストック化経済」という言葉が、市民権を得るようになったのは、平成元年度(1988年度)の『経済白書』に登場してからである。この言葉は実態と無関係に独り歩きし、あたかも日本経済が新次元の経済過程に入り、先々の高成長を約束するかのようなイメージで捉えられ、日本経済の楽観論を一段とかきたてる結果となった。「債権大国」という言葉同様に、ここでも日本人の幻想をかきたてていったのである。
 ストック化経済とは、家計や企業の保有資産の残高が増加するに従い、それが逆に家計や企業の行動に大きな影響を及ぼすようになる、というものである。つまり、経済に対し資産効果を及ぼすことになるから、当然に、プラスの場合もあればマイナスの場合もある。多くの人は、資産評価の増大に伴うこのプラス効果だけを念頭に置いたが、資産評価が下落する場合のマイナス効果、つまり逆資産効果も存在することに思いは至らなかった。株価は右肩上がりの上昇を続けるもの、地価は土地神話に支えられて上昇一途をたどると信じていたから、逆資産効果の存在に関心を示さなかったのも致し方なかったかも知れない。こうして「平成バブル」を支える社会的コンセンサスは形成されていった。
 しかし、日本のストック化経済と呼ばれるものの実態は、決してそのような甘い期待をいだかせるものではなかった。89年末の国民総資産残高(『国民経済計算年報』による)は、6,853兆円。これが日本経済のストック規模を最も広範囲に示している。このうち、3,140兆円が実物資産ストックと呼ばれるもので、これには資本ストック、住宅、在庫に土地等を加えている。残り3,718兆円が金融資産ストックであり、預貯金、債券、株式等からなる。89年の1年間に生み出された付加価値である名目の国民総生産は398兆円。これに対する国民総資産残高は17倍強に当たるわけで、この限りで、日本は堂々たる「ストック大国」である。
 ただ、金融資産は外国に対する請求権である対外資産を除くと、国内のだれかの負債に対応しているから、日本全体でみた正味資産(国民純資産)、つまり「国富」としては金融資産を除外して考えなければならない。そうなると、89年末の「国富」は3,141兆円になる。この「国富」が名目GNPに対する比率は7.9倍になる。1970年末では4.1倍であるので、この間、かなりの伸びをした計算になるが、実はその裏には、地価上昇による押し上げ効果が働いていた。
 89年末の土地価格は2,128兆円。「国富」に占める構成比は66.9%である。70年にはこれが55.0%であった。近年、「国富」に占める比率は一段と高まっている。地価上昇が日本の「国富」を水膨れさせていることは、もはや疑いない。名目的な資産価格の増加による「ストック大国」は決して国民生活の豊かさに結びついていない。「国富」から土地等の再生産不可能有形資産を除いたものが純固定資産である。89年末でこの純固定資産残高は888兆円である。このうち、住宅ストックが201兆円であり、残りは工場、事務所、機械設備、公共施設などであり、687兆円である。純固定資産が名目GNPに占める比率は2.2倍である。この比率は70年が1.3倍、80年は2.2倍であるので、89年の2.2倍は80年代に入って全くの横ばいであることを示す。
 「資産大国」日本と言われているけれど、その実態はこの程度のものである。名目GNPに対する国民総資産の比率でみれば17倍でも、純固定資産では2倍強という、これだけの乖離がある。特に、純固定資産比率では80年代が全くの横ばいであることは、日本人が先進国の中で最長の労働時間もいとわずあくせく働いてきたことと重ね合わせると、これまでの成長至上主義に大きな反省を求めずにおくまい。これについては第2部で根源的な問い直しをすることにする。 (『日本経済・バブルの逆襲』から)
「債権大国」の夢に躍った株価急落  国民総資産を水膨れさせた要因の1つである株価の動きを見ておこう。「平成バブル」と対比して、19721−73年の「狂乱物価」時を見ると、こちらの方がはるかに投機の規模が小さかった。 投機の規模を図る尺度として、そのときの名目GNPと比較することが許されるだろう。GNPは1年間に生み出される付加価値額である。 株価形成にはこのGNPの動向が影響するし、投機熱がない正常時ならばGNPの増加額に見合った株価上昇となろう。したがって、名目GNPに対する株価比率は、ある期間をとってみればかなり平均化されて、ある値に収斂していく性向を持つはずである。 この傾向値から外れて乖離している場合、そこになんらかの要因が働いてGNPの増加額を上回って投機化現象が起こっているものと判断することにした。
 「狂乱物価」時の株価比率は71年が0.42倍、72年は0.75倍、73年が0.65倍となっている。これに対して「平成バブル」の始まる前の83年の0.57倍から株価比率は上昇に転じていた。 そして、84年0.68倍と「狂乱物価」時の0.65倍を早くも上回った。そして85年の0.75倍以降、ギャロッピング状態となって行き、 86年には1.1倍、そしてついに89年には2.2倍となり、この4年間の株価暴騰ぶりは、日本経済の21世紀までの成長果実を先取りするほどのすさまじいものであった。
 80年代の株価の動きをPER(1株当たり利益に対する株価倍率)で見ると、81−82年は20倍台であった。 93−85年は30倍台、86年は40倍台、87−88年が50倍台、そして株価がピークをつけた89年が70倍台へと暴騰を演じた。かつて、マッカーサー元帥は退役後、リチャード・ニクソン(元米国大統領)にこう語った。 「ウォール・ストリートの商売人には特色がない。原理原則にのっとらず、勝ち馬にくっついて行くだけだ」と。株式投資の世界が、このようなものであることは古今東西、事実としても、PERを70倍まで買い上げて行くのは、原理原則を最初から忘れた行動であった。 PER70倍とは年間の1株当たり利益を70年先まで買い上げたことにも等しくなる。
 なぜこれほどまで暴走してしまったのか。それが「平成バブル」を具体的に解くことにもなる。最大の要因は金融の超緩和である。史上最低の公定歩合2.5%が2年3ヶ月も続いたことと、マネーサプライの急増である。 特に87年10月20日の「ブラック。マンデー」(ニューヨーク株式市場は10月19日)を乗り切るために、意図的に量的緩和が推進された。 この結果、日本の株価は主要国の中では最も早い立ち直りとなった。88年12月には日経平均株価は3万円台に乗せたが、これが市場参加者を一段と強気にさせていった。 日経平均株価が1万円台に乗せたのは84年1月。2万円台が87年1月とこの間3年を要したが、が、3万円に乗るまでに1年10ヶ月を要しただけであり、上昇スピードが加速していた。
 この背後には次の理由があった。第1は、88年9月に開設された株価指数先物市場との現物裁定取引が株価上昇を加速させた。 第2は、「土地の含み益」を材料とする「リストラクチャリング(事業再構築)」株が買いはやされ、鉄鋼株や、不動産株などがいっせいに値を飛ばしたことも大きな理由である。
 「リストラクチャリング株」なるものは、欧米の投資理論から判断すると、業績の安定性、株価収益率、配当利回りなどからみて、いずれも選別されない業種であった。 それが買い上げられたのは、「土地の含み益」というきわめて日本的特殊要因が働いていた。この「リストラクチャリング株」なる言葉の裏には、今後、日本は債権大国として世界をリードしていくというバラ色の夢を買うものでもあった。 いまだかつて日本が経験したこともない未踏の世界が、いま始まりつつある、と人びとは本気で実感していた。それを裏付けるものとして信じ込んだデータがあちらこちらから出された。 その1つを紹介しておこう。日本経済新聞社から発表されたもので、「日本の対外純資産は2000年に、1兆3,900億ドルに膨れ上がり、85年末の10倍にも達する」 (『日本経済新聞』87年1月13日付)というものである。 (『日本経済・バブルの逆襲』から)
「異質の国」日本の経済政策  戦前・戦後を通じてみたとき、日本の経済政策の特色を欧米と比較すると次の点に要約できよう。
 第1は、政府の政策介入の度合いがきわめて強いことである。その場合の大義名分は、市場機構のみにまかせておいたのでは、効率的な資源配分が難しくなるということであった。 政府が長期的展望をもって、つまり長期的経済計画を立てて、その線にそった資源配分を行うことが効率的であると判断したものである。 この場合、対外的には保護政策を取ることになったが、これは日本だけの特有の現象ではない。かつて、イギリスに追いつくために、ドイツ、アメリカ、フランス、ロシアなどもいちように行ってきた。 ただ、それはあくまでも過渡期の措置であった。しかし、日本においては明治維新以降120年余も続けられてきたことがそもそも異常であった。 この間、政府は直接、間接に経済主体として民間経済活動にコミットしてきた。
 第2は、市場機構に対する正しい認識を欠いたことである。正しい認識とは、欧米で理解されているような内容を指すが、市場機構は市民社会と密接不可分の関係に立つ。 その点、日本では市民社会の歴史も経験もないゆえに、市場機構を単なる手段(技術)と理解したことである。市民社会の経験がないことは、市場機構の持つ哲学的な理解を阻み、その結果、これを軽視したり誤解したりすることになった。 要するに、政府が市場機構を便宜的に解釈したことが、政府の政策介入を許すことになった。
  (T注)TANAKAの見方は 「官に逆らった経営者たち」や、 「戦後復興政策 ヨーロッパ 西も東も社会主義」 に書いたように、「戦後の日本経済は、フランス、イギリス、ドイツなどに比べて比較的政府の介入が少なかった。 これら西欧3カ国は社会主義経済をやっていた」。
  (T注)TANAKAの見方は「民主制度の限界」に書いたように、「デモクラシーとは、熱狂的な崇拝の対象になるような完全無欠な主義などではなく,政治的・経済的な個人の自由を保証するための 功利的な制度なのである」「市場機構とは哲学的な理論ではなく、単なる経済的・功利的な制度である」
 第3は、資源配分を歪めた不均等成長を行ってきたことである。市場機構を軽視した人為的な資源配分を行えば、当然に不均等成長にならざるを得なくなる。 共産圏諸国のような中央管理経済下では、市場機構は働かない。そこでは過大な設備投資行動に走り、民生が圧迫されるのが常であった。 それゆえにこそ、ソ連・東欧諸国は崩壊したのである。日本経済も規模の違いこそあれ、不均等の後進性に悩まされている。製造業の生産性と他産業のそれが著しく乖離しているのも、不均等成長のなせるわざである。 また、公共事業の立ち遅れに伴う住宅問題、交通渋滞など国民生活を取りまく環境は決して良好とは言い難い。不均等成長は一時的には高い経済成長率をもたらすが、それは国民生活の犠牲のうえに成り立つものである。 長期的にみれば、西独のように均等成長による国民生活の充実の方が、短期的には経済成長はは低き手、長期的には遙かに効率的であり、かつ公正の概念の実現にもなるわけである。 (『日本経済・バブルの逆襲』から)
「経済民主化」の裏で統制経済強める  儒教的背景の中で、第2次世界大戦後の日本の経済政策はどのような展開をしてきたかを見ておこう。 これからの記述によって、日本がおよそ資本主義経済らしからぬ政策をとってきたことに気づくであろう。
 戦後の日本経済の再建で作動したシステムの多くは、戦時中の統制経済で用いられた方法をそのまま引き継いだもので、中村隆英氏は次の点を指摘している。
 第1は、戦後になって広く定着した下請制が普及し始めたのものも戦時中のことだった。 これによって中小企業と大企業の結合を決定的にし、戦後長く続いた中小企業と親企業との関係の源流はここに求められる。
 第2は、戦時中に制定された「軍需会社指定金融機関制度」が、戦後の金融系列の形成と結びついていることである。 政府は軍需会社に対して「指定金融機関」を定めて、これを通して必要資金を円滑に供給することした。この関係が戦後の復興にあたって金融系列という形で再現し、固定化した。
 第3は、戦時中の政府の産業界に対する統制の経験が戦後に引き継がれて、「行政指導」となって現れた。 戦時中につくられた全国金融統制会により金融統制が行われたが、その中心は日本銀行であった。これが戦後に引き継がれて日本銀行による「窓口規制(後に窓口指導と改称)のような直接規制に進んでいった。 こうして、戦時中の統制経験を土台に、企業と官庁、銀行と日銀との「指導」の関係が深まっていった。むろん、戦時中から顕著になったことは事実としても、明治維新以降、政府が「経済主体」的役割を演じていたので、これの延長上にあったことに留意しておきたい。
 第4は、戦後の労使関係の源流も戦時中に求めることができる。 戦時中に労働組合は解散させられて企業ごとの産業報国会が組織された。戦後の労働組合の急速な結成は、この産業報国会を母胎としたからである。 日本の労働組合が企業別組合として結成され現在に至っているのは、戦時中の産業報国会が脱皮存続したことが大きな理由である。 年功序列型賃金や終身雇用制度が全国的制度として拡大されたのは、戦時中に賃金統制が行われたからである(『日本経済』1978年3月)。
 戦後経済の政策的な要は、このように戦時中の統制手法を受け継いだものである。したがって戦後日本は「3大経済民主化」、つまり、労働改革、農地改革、財閥解体を行い、表面的には前近代的関係を一掃したのであるが、心臓部に当たるエンジンは官僚機構にかっちりと握られていたことになる。 オイケンらは、真の民主化は完全な市場機構にある、としていたので、日本の「民主化」は形ばかりのものであったと言える。 日本経済の再建は史上機構を中軸としたものでなかったことは明らかであるが、さたに次の例を指摘しておくことが必要である。
 それは第1に、1946年(昭和21年)10月に復興金融金庫をつくり、日本銀行引き受けによる「復金債」を発行したことである。これを原資として民間に有志したが、当時のインフレを一段と加速させる結果になった。第2は、同年12月の傾斜生産方式である。 石炭とてっこうの重点増産が日本の基幹産業の基礎を固めたとして高く評価されているものである。以上の復金債の発行や傾斜生産方式は、いずれも、市場機構を活用したものではなかった。 復金債の増発がインフレを加速化させて市場機構の機能を弱めたこと、傾斜生産方式は「物動計画」であり、これも市場機構の外にあって物資調達されているからである。 このように日本経済の再建が最初から市場機構に依拠しなかったことは特記されなければならない。西独の通貨改革が市場機構を健全化し、この機能によって西独経済を正常化したのとは大きな違いがあった。 (『日本経済・バブルの逆襲』から)
  (T注)TANAKAの見方は「官に逆らった経営者たち」や、 「戦後復興政策 ヨーロッパ 西も東も社会主義」に書いたように、西独は「1990年7月1日に発効された「両ドイツ通貨・経済・社会同盟創設に関する国家条約」は、この条約の基礎を「双方に共通の経済秩序としての社会的市場経済である」と明記している。すなわち、旧西ドイツが建国以来、一貫して標榜してきた「社会的市場経済」(soziale Marktwirtscaft, social marketeconomy)と呼ばれる独特の経済体制だ。 これはアメリカのような自由経済ではなく、かといって仏・英ほどの社会主義でもない、そんな経済体制」。 戦後の日本経済は、フランス、イギリス、ドイツに比べれば比較的政府の介入が少なく、自由な経済システムであった。
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<主な参考文献・引用文献>
『日本経済・バブルの逆襲』                    勝又淳良 自由国民社     1992. 1.20
( 2008年4月28日 TANAKA1942b )
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(10)ストック化した不安大国日本
市場経済の果てしなき格差拡大は続く
<「改革なくして成長なし」なのか?>  平成平元年の『経済白書』では、日本経済を、「高度化」、「グローバル化」、「ストック化」という面から捉えている。これは日本経済が発展し、新しい段階に入ったという楽観的な見方であった。 この見方に従ってエコノミストたちが「経済のストック化」「ストック経済」という言葉を普及し始めた。しかし、バブルがはじけ、デフレスパイラルに陥ると、この言葉は聞かれなくなった。 それに代わって「格差」という言葉が聞かれるようになる。「格差」という言葉を使う人たちは「経済が成長してもそれで豊かになれるわけではない」と主張するようになった。今週はこうした立場からの意見を引用することにした。 「経済学的視点」というよりも、「宗教的視点」に近いものかも知れないが、これによって、日頃の鬱憤を晴らしている人もいるだろうから無視することはできない。 以前に<「縄暖簾の経済学」無責任な社会批判がストレス解消に役立つ> と題して、インターネットの掲示板がストレス解消に役立っている、と書いた。 同じように、こうした主張を読むことによってストレスを解消させる人もいるはずだ。とすれば、それなりにこうした本も存在意義がある。 あまり深く考えずに、「このような見方もあるのだ」ということで読んでいただきましょう。
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<ニッポンって本当に豊かな国?>  これまで私たちは、「経済成長」こそが豊かさの原点と考えてきた。戦後の焼け野原から立ち上がった日本は、高度成長、バブル経済を経て世界でも有数の物理的な豊かさを手に入れた。 だから成長を遂げることが、より豊かになることだと信じ続けてきた。そう考えるのは日本人だけではない。世界中の多くの人がそう考えている。
 でも、本当にそうなのだろうか。
 日本ではバブル崩壊で右肩上がりの成長路線が立ちいかなくなり、それから15年間、何とか成長路線へと戻そうとする試みが続けられてきた。 政府は空前絶後の借金をして総額130兆円にのぼる経済対策を打ち、経済の活力を引き出すという名目で工学所得者の税率を引き下げたり、企業向け減税を進めたりもしてきた。 企業は国際競争力を取り戻そうと、激しいリストラや不良債権処理を進めている。その結果なのか、日本企業の業績は大きく改善し、経済全体も長いトンネルをようやく抜け出したかのように浮上しつつある。
 ただ、この間、社会のひずみを生む現象が目立ってきた。貧富の差は急激に拡大している。東京・六本木の高層オフィスビル「六本木ヒルズ」などに拠点を構えるIT(情報技術)長者が数多く生まれる一方で、生活保護世帯は100万世帯を超えた。 正社員の職につけないフリーターの若者が街にあふれ、学校にも通わず職探しもさいていない「ニート」と呼ばれる若者は85万人にのぼる。 リストラで経済苦に陥った中高年など3万人以上が毎年自殺している。10人に8人が自分も犯罪被害に遭うのではないか、と不安を感じている(朝日新聞の04年1月国民意識調査)。
 05年9月の総選挙では、小泉純一郎首相が率いる自民党が圧勝した。「改革なくして成長なし」と叫び続ける小泉首相。この首相なら日本をいい方向へと変えてくれるのではないか──。 閉塞状況を憂える多くの有権者がそう考え、期待を託したかも知れない。
 ただ、首相が掲げる「改革」とはどんな社会を目指しているのか。それは、私たちが追い求めるべき社会像なのだろうか。首相が提唱する「小さな政府」路線、競争によって活力を求める市場主義路線は、競争からこぼれ落ちる人を増やし、格差社会のひずみをさらに広げていく面もある。 そうした社会的な負のコストを私たちは受け入れていけるか。
 だれもが豊かに、安全に暮らせる「幸せ大国」。そこへの道筋を探すには、まず本当の「豊かさ」の意味をもう一度、考え直す必要がある。 (『不安大国ニッポン』から)

<GDPに代わる経済指標は?>  ピカピカの高層ビルやマンションが次々建ち、家電量販店を覗けば薄型テレビやDVDレコーダー、携帯電話など最新のデジタル家電があふれかえる。 経済成長を追い求めてきた日本は今、かつてないほどの「物質的な豊かさ」を手にしている。一方で人々は疲弊し、さまざまな不安が社会を覆っている。 それが、国内総生産(GDP)500兆円超、経済の「規模」だけでみれば世界第2位という経済大国のもう1つの表情だ。
 日本は本当に「世界で2番目に豊かな国」なのだろうか。
 国連開発計画がGDPや平均寿命、教育水準などをもとに判断する「人間の豊かさ」指数は05年時点で11位だ。 電通総研など、各国研究機関が実施する「世界価値観調査」(00年)では、「自分が幸せと思う人」の比率で29位。GDPが日本よりもはるかに小さいベトナムやフィリピンより下位だった。
 GDPは、国内の経済活動で生み出された、モノやサービスの付加価値の合計だ。経済の規模を示すもっとも代表的な国際指標ではあるが、佐和隆光・京大経済研究所長は「社会全体の幸福度や達成度を測るモノサシにはなり得ない」と言う。
 青森・岩手の県境のある国内最大級の産業廃棄物不法投棄の現場で、約87万立方メートルにのぼる廃棄物の撤去作業が進められている。 費用は約660億円にのぼる見込みだ。住民にとっても、費用を負担する地方自治体などにとっても迷惑な話だが、これもGDPという物差しでみれば、「成長」の貢献材料になってしまう。
 心身を病む人が増えると膨らむ医療費、凶悪化する犯罪から身を守るための防犯コスト──。これらもGDPではプラスに勘定される。
 一方で、長時間の「ただ働き」を強いられたサラリーマンやその家族の負担などは、GDP上では考慮されない。 こうした「負の要素」に伴うコストを差し引けば、GDPの指標はどう変わるのか。中野桂・滋賀大学助教授ら日本の研究者が、GPI(真の進歩指数)と呼ばれる新指標を使って資産したところ、バブル経済前の80年代半ばから00年に1人当たりGDPは約1.5倍になったものの、GPIはほぼ横這いだった、という。
 マイナス要素としては過剰労働による自由な時間の喪失、ストレスの高まりなどが大きかった。中野氏は「経済成長と引き換えに環境や暮らしのゆとりなど失われるものも多い。試算の手法にはまだまだ改善の余地は多いとはいえ、こちらの方が暮らしの実感により近い姿ではないか」と話す。
 欧米など十数カ国でも、NGO(非政府組織)や研究機関が同じような試算をしている。それによると、どの国でも経済が一定の成熟段階に達した70−80年代以降は、GDPの成長とGPIの減速との落差が目立つようになっているようだ。 英国政府は、より精度を高めた「幸福の指数」と呼ばれる新指標を今後5年で作り、政策の基礎データにする計画を進めている。
 高橋伸彰・立命館大教授は「GDPが成長さえすれば豊かさが高まるわけではなく、先進国には時代遅れの統計」とさえ指摘する。 そして、こんな懸念を示す「成長自体が目的となってしまった。それについていけない人間の不安と無力感が蔓延する社会がいま形成されつつあるのではないか」 (『不安大国ニッポン』から)

<消費刺激から環境優先へ>  リクルートは首都圏で発刊された女性向き通販雑誌「eyeco」で、環境と健康に配慮した商品を集めている。 井上葉子編集長は「いまの若者は環境に高い関心をもっているが、あまりに全面に押し出す売り方では禁欲的でダサくて押しつけがましいと感じてしまう。 オシャレでセンスがよく値段も手頃、という消費を刺激する要素があった上で、さらに環境に配慮する商品なら選ばれる」と話す。
 細田衛士・慶応大教授は、「モノ信仰からの脱却」を提唱する。「50年代からの高度経済成長時代に、モノを作っては壊すことが経済成長の原動力だと国民が誤って刷り込まれてしまった」
 同じモノづくり大国でも、ドイツでは乗用車の使用年数は日本より数年長い。少々高くても長く使える商品を作り、修理して使いまわす。 それでも1人当たりの国内総生産(GDP)は日本と同じ水準にある。「日本でも経済社会の体質を切り替えていくことは十分可能だ」というのが細田氏の主張だ。
 経済成長を追い続けてきた日本経済は、いま新しい価値観で生まれ変わる転換期にある。環境税などの改革論議を、単なる浪費抑制策や負担増の是非に矮小化してはいけない。 日本の企業には環境分野での蓄積がある。自転車操業型のモノづくりから、より豊かでゆとりある社会へと日本が進化するうえで、「環境優先」はその有力な武器となる。 (『不安大国ニッポン』から)

<「市場の失敗」と「政府の失敗」>  「改革なくして成長なし」と叫び続けてきた小泉純一郎首相は、郵政民営化の是非を問うと言って、05年9月11日の総選挙に望み、歴史的な大勝を遂げた。 すぐさま郵政民営化法を成立させた首相は今後、改革の名の下に、さらに市場主義的な政策の色を濃くするだろう。 首相の掲げる「構造改革路線」は私たちにとって、あるいは、未来世代にとって「望ましい改革」なのだろうか。 それとも多くの人は「改革幻想」に酔っているだけなのか。
 日本が長らく続けてきた官僚主導の国家運営システムは、90年代初頭のバブル崩壊とその後の経済の長期低迷でにっちもさっちもいかなくなり、見直しを求められた。 冷戦時代を経て社会主義とのシステム間競争に勝利した市場主義が、その競争原理を研ぎ澄まし、世界中に新党し始めた時期とも重なっていた。 だから、「政府の失敗」を見せつけられた日本国民が、米国型の市場原理主義を歓迎したのも当然だったかも知れない。 (『不安大国ニッポン』から)
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<主な参考文献・引用文献>
『不安大国ニッポン』                    朝日新聞経済部 朝日新聞社     2006. 1.30
( 2008年5月5日 TANAKA1942b )
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(11)経済格差が広まったストック化
日本の所得分配は平等とは言えない
<「経済格差」というストックからの見方>  「地価や株価が高騰し、経済のストック化が始まった」、という{ストック化」を肯定的に見る見方がある一方で、「経済格差が広まった」という批判もある。 今週はこうした「格差が広まった」という批判的な立場の意見を紹介しよう。
*                      *                      *

<日本の経済格差=日本の所得分配は平等ではない>  表は先進諸国の所得分配の不平等度を示したものである。不平等を表す指標としてジニ係数を用いる。
表 日本と先進資本主義国の所得分配の不平等度(ジニ係数)
国 名 再分配所得 当初所得
日 本 1980 0.314 0.349
   83 0.343 0.398
   86 0.338 0.405
   89 0.364 0.433
   92 0.365 0.439
アメリカ 1979    0.37
   89    0.40
イギリス 1981 0.28   
   1988 0.35   
フランス 1979 0.364   
   1984 0.372   
オーストラリア 1981 0.31   
   1985 0.32   
ノルウェー 1979 0.346  
   1986 0.330  
フィンランド 1981 028  
   1987 0.21  
カナダ 1981 0.395  
   1988 0.404  
ニュージーランド 1981 0.29  
   1985 0.30  
イタリア 1986 0.310  
スイス 1982 0.323  
スウェーデン 1989 0.220   
アイルランド 1987 0.330   
この表は、家計所得に注目している点と、全国レベルの人が対象なので、かなりの程度比較可能性が高いと言ってよい。 表の数字はジニ係数によって分配の不平等度を示している。この指数は0と1の間の値をとる。0の時が完全平等、1の時が完全不平等を示す。 従って、数字が高ければ不平等度が高い。(ジニ係数の計算方法と意義については注を参照)
(注) (1)ジニ係数は0と1の間をとり、数字が高いほど不平等度が高い。
 (2)日本は当初所得、再分配所得の双方が示されているが、アメリカを除いて他の諸国は再分配所得である。
(出所) 日本は厚生省『所得再分配調査』、日本以外は A.B.Atkinson(1995)。
 この表でわかる点は次の通りである。第1に、わが国の所得分配の不平等度は課税前所得(当初所得ともいう)と課税後所得(再分配所得ともいう)ともに、急激に高まっている。 特に当初所得は、ここ10年あまりの間に、ジニ係数が0.1前後上昇しており、短期間のうちにこれだけ不平等度の高まった国はさほどない。 しかも、ジニ係数が0.4を超えたかなりの程度の不平等度である。
 第2に、1980年代後半や1990年代前半で見ると、わが国は先進国の中でも最高の不平等度である。資本主義国の中で最も貧富の差が大きいイメージでとらえられているアメリカの所得分配不平等度よりも、当初所得で見てわが国のジニ係数の方が高いという事実は、にわかに信じ難いほどの不平等度である。
 第3に、先進資本主義諸国の中で所得分配の平等な国は、福祉国家といわれる北欧諸国と、独自な制度を持つオセアニア諸国である。 北欧諸国のことはよく知られているが、オーストラリアやニュージーランドが平等性の高いことはさほど知られていない。 移民の国であることと、フロンティア精神によって新しい文化を創造したことが理由となっている。ただし移民の国のアメリカとカナダは不平等性が高いので、北米とオセアニアの対比は興味深い。
 わが国が国際比較上これだけ高い不平等度を示していることは驚きである。なぜこのような高い所得分配の不平等になったかについては、統計上の問題も含めて後の章で詳しく論じることにする。 この段階では、わが国の所得分配の平等どは、信じられないほど国際比較上からも高い。 (『日本の経済格差』から)

<ロールズの公正原理>  哲学者ロールズの公正原理は、分配の平等を道徳的・倫理的に支持する有力な考え方なので、ここで取り上げてみよう。 1971年に出版されたロールズの『正義論』は、2つの基本的な原理を提出した。1つは自由の優位性であり、すべての人は広範囲の自由に対して、平等な権利を持つとした。 本書で述べた機会の均等もこの自由の範囲に入る。
 第2の原理は格差原理と呼ばれるものである。世の中には様々な不平等が存在するが、最も不遇な人の利益を最大にすることが政策の目標になると主張した。 社会経済における地位や所得に関して、分配上最も不利な立場にいる人の取り分を最大にするというものである。これは最小(ミニマム)の人を最大(マクシム)にするという考え方なので、マクシミニマム(通称マクシミン)原理と言われる。
 最も高い結果の不平等が存在し、かつそれへの抵抗感が少ないアメリカから、この考え方を主張する哲学者が出現したことはまことに印象的である。 ちなみにアメリカでは1972年に教育学者ジェンクスによって『不平等』も出版されており、ロールズとともに大変な注目を浴びた。不平等の国アメリカへの反省とも言える。 逆に言えば、アメリカは機会の平等は相当保証されているが、機会の平等からはずれた人には、格差原理の適用によって恩恵が与えられなければならない、と主張しているのである。
 ロールズの考え方に対して、様々な批判が提出された。例えば、最も不遇にいる人の厚生を最大にするのであるから、他の人の厚生が必要以上に犠牲になる場合がある。 あるいは、最も不遇な人の取り分をわずか高めることは、他の人の取り分を大きく上げなければならず、かえって格差が拡大する恐れもある。 ハイエクやフリードマンのような経済思想家が主張するように、最も不遇な人を優遇することは、不遇でない人の意欲にとってマイナスになる可能性があり、社会全体としての発展・成長に阻害となりうる。 当然のことながら、ハイエクやフリードマンは、自由主義を最も尊ぶものであり、自由に付随する自己の責任にも言及する。 そして政府の介入を排する考え方をとる。私の立場は、自由主義を尊ぶことは当然であるが、結果として世に大きな不平等が生じれば、政府の介入はあってもよいとする考え方である。 貧困者と極端な大金持ちを社会から排除するのは、別に社会主義だけに与えられた政策目標ではない。自由主義と資本主義の社会にあっても、多くの人にとって「公正」と判断されうる政策目標となりうる。
 私自身はロールズの主張に基本的に共鳴する。従って、公平性を重視した所得配分配政策を用いることに違和感はない。マクシミン基準の適用に際して発生するネガティブな効果を最小にすることこそが、求められる理想的な政策であると考える。 具体的な政策論については後に議論する。 (『日本の経済格差』から)
<景気回復は雇用の格差を解消するか>  本章1で、不況が失業率を高め、結果として所得分配の不平等も増すということを説明しました。 現在、日本経済は、景気の回復過程にあります。景気がよくなれば、所得分配の不平等も縮小するということは、多くの先進国が大なり小なり経験しています。 ならば、日本の場合もこのまま景気がよくなれば、雇用の格差は自然に縮小に向かうのでしょうか。 私は、必ずしもそうならないと考えています。なぜなら、まず景気の回復が見られるのは一部の大企業のみで、地方や中小企業にはそれがまだ普及していない、との声がいたるところで聞かれるからです。
 しかし、たとえ景気が回復しても、非正規労働者を正規労働者へ転換することが、それほど期待できないからです。 すなわち、企業が、そう簡単に正規労働者の数を増やそうとしないだろうと、私は予測しています。このことを具体的に検証します。
 景気の回復が一部に見られることは事実ですが、企業は新しく人を雇う際に、新卒を中心に雇うのが一般的です。 たとえば、景気回復見られた2006年3月に卒業した新卒の人たちの就職状況は好調でした。大卒の就職率が95%、高卒の就職率が92%という数字が報告されています。 しかし、企業はパートタイマーやフリーターを新しく正規労働者に採用するという行動に出るでしょうか。私は、次のような理由から否定的な見方をしています。
 第1に、先述したように企業はここ15年の長期不況の中で、非正規労働者を雇うことのメリットを経験したということが挙げられます。 正規労働者の雇用数を増やせば、労働費用が増えるだろうと企業は考えます。あるいは、労働者の雇用数を簡単に変動させることができるなど、非正規雇用のもっているメリットを失いたくないという意識も働くでしょう。 したがって、新卒を中心に採用の増加を行い、既存の非正規労働者は、そのまま既存の非正規労働者のままでおこうという姿勢が、企業に見られると私は考えています。
 第2に、主にフリーターについてなのですが、企業は一度フリーターになった人を正規労働者として雇おうとしない傾向が顕著に見られます。 フリーターに甘んじている人たちを労働意欲がないと見ている企業も少なくありません。あるいは、仕事における熟練度が不足しているだろうという判断も働きます。 したがって、フリーターを積極的に雇って、正規労働者に転換しようという意志は、企業にはあまり見られないのが現実です。 現に、2006年に経営者団体が行ったアンケート調査によると、フリーターを雇用すると回答した大企業は、わずか2割にすぎませんでした。 そもそも日本社会においては、企業に採用された人の教育や訓練は主に企業が行ってきました。ところが今回の不況によって、企業にはそのための資金的な余裕がなくなっています。したがって、フリーターを教育し、訓練して、正規労働者に変えようとする行動を企業が起こすことも期待できないでしょう。
 このように見てくると、kりき回復が見られても、非正規労働者の数が減少して、それが雇用における格差を解消に向かわせると期待することは難しいでしょう。 (『格差社会』から)
<税の累進制が弱まった>  所得分配システムの変容に関して、ここでは賃金について分析しました。次に税制について検証したいと思います。 どれだけ税金や社会保険料を支払うかが、再分配後所得の程度を決めます。 過去20年間、日本においては、所得税の累進制が低下してきています。累進制というのは、端的に言ってしまえば、高い所得の人からは高い税を徴収し、逆に所得の低い人からは低い税を徴収するということです。
 所得税の最高税率が1986年は70%でした。ちなみにそれ以前には80%の時期もありました。それが今や37%にまで下がっています。 すなわち86年と比べても半分近く税率が低下しており、これは所得税が累進制を低下させたということになります。 単純に言えば、高所得者を優遇し、低所得者に不利な制度を導入させたということになります。所得税とあわせて、相続税にも同様のことが起きています。 すまわち、これまでは高い資産を相続した人から高い税を徴収する方式でしたが、今日、この累進制が緩和されています。 このように所得税と相続税の累進制を緩和したことが、再分配後所得の格差拡大につながったと言えるでしょう。
 所得税や相続税の累進度が緩和されたのは、高額所得者と高額資産保有者からの不満に、政府が応えた結果です。 高い税金を取られると勤労意欲を失う、あるいは高い相続税を取られると、自分の子どもに事業や土地・金融資産などを移転できない。そうした不満に応える形で、累進度を緩和させてきたのです。 (『格差社会』から)
(T注)所得税の累進制が弱まったことについては、 <実際の税率はどうなっているか?> を参照のこと。
<市場原理主義と新自由主義>  このように格差を容認し、助長している構造改革の停留には、どのような思想や原理が働いているのでしょうか。 構造改革は、哲学としては市場原理主義を基盤にしています。この点においては、先に触れたレーガン、サッチャーの経済改革も同様です。 すなわち、極端に言えば、市場にすべてを任せれば経済はうまくいくという論理です。新自由主義という言い方をしてもよいでしょう。 英語ではリバタリアン(自由至上主義)と呼ばれ、自由がすべてに優先するという考え方です。徹底的な規制緩和も、これに通じる考え方です。
 この至上原理主義や新自由主義に対立する概念としては、公共政策の枠割りを重視する考え方があります。 代表的には、ケインズ経済学です。ケインズは混合経済という概念を唱えました。すなわち公=私企業が一体となって経済を運営していくという考え方です。
 しかし、最近の経済学においてケインズ経済学は退潮しています。むしろ市場原理主義や新自由主義の考え方を採用する新古典派経済学が、ケインズ経済学を凌駕するほその勢いで広まっています。 経済学者で言えばフリードマンやハイエクなどの考え方が勢いを増しています。
 市場原理主義や新自由主義に対立する概念には他にも、平等志向、共生あるいは共助を重視する考え方もあります。 英語ではリベラリズムと呼ばれています。20世紀の代表的な哲学者の1人に、ロールズがいます。彼は、社会にとって自由は基本的に大切なことだが、「最も不幸な立場にいる人の厚生を上げることを政策の基本とすべし」とも提唱しています。 これは「ロールズの格差原理」と呼ばれています。
 リベラリズムとリバタリアンという対立する2つの考え方のうち、はたして、日本は今後どちらの考え方を採用するか。 日本の将来を決める上で、とても重要な選択となるでしょう。
 (『格差社会』から) この文章は「民主制度の限界」<ロールズ支持者は何と言ってるか?>でも引用しています。
<職務給制度の導入>  第1に、私が提唱したいのは、同一労働・同一賃金の考え方の導入です。すなわち、正規労働者であろうと、非正規労働者であろうと、同じような仕事であれば、1時間当たりの賃金はできるだけ同じにするという政策です。
 このい考え方は、「職務給制度」と言い換えることもできます。職務給制度とは、各人がどういう仕事に就いているか、どういう職務を行っているかということを明確に認識した上で、同じような仕事をしている人に対しては、1時間あたりの賃金を同一にするというものです。 したがって、フルタイムで働いていようがパートタイムで働いていようが、1時間あたりの賃金は変わりありません。 1時間あたりの賃金が同じなら、総賃金の差は労働時間による差だけになります。そうすれば、賃金の公平性を保つことができ、結果として、非正規労働者の所得を上げる効果も生むことと考えます。 (『格差社会』から)
<新保守主義>  イギリスのマーガレット・サッチャー首相(在任1979〜1990)、アメリカのロナルド・レーガン大統領(在任1981〜1989)、日本の中曽根康弘首相(在任1982〜1987)に象徴される新保守主義の経済思想は、次のようなことを主張する。 第1に、福祉の充実は人を怠惰にするので、勤労意欲にマイナス効果を与える。第2に、福祉国家のような政府の過剰な介入は、自由な経済の原理に反するものである。
 これらを具体的な批判として述べれば、次の4点に要約される。第1に、福祉国家の官僚主義的政策は、市場原理に基づく資源配分による経済効果より劣る。 第2に、福祉国家は費用素単車と受給者にとっても道徳に反する。第3に、福祉国家は市民による消費の自由選択を阻害している。 第4に、政府による大量資源投入にもかからわず、貧困は除去されていないし、機会不平等の阻止に役立っていない。
 第4の批判はデータを用いた厳密な証明を必要とするが、第1から第3の批判は、サッチャー改革によってイギリス経済がその後立ち直ったことを考慮すれば、ある程度妥当で、サッチャー政策もその意味では成功したのである。
 このサッチャー思想は、よく知られているように、新保守主義、自由至上主義の哲学と倫理に裏付けられたものである。 この考え方を経済の世界に適用すれば、国家の介入を排し、民間経済部門の自由な経済取引に任せるのが資本主義と自由市場主義の基本であり、これを保障することが効率的な資源配分や経済運営に役立つ、と主張する。
 サッチャーによるイギリスの改革は一定の成功を収めて、その経済思想は他の資本主義国にも伝播した。福祉国家は経済発展にとってマイナスと信じられ、各国において福祉政策の見直しが進んだ。 福祉国家の典型国である北欧でも一時期、そしてわが国も例外ではなかった。この意見に賛成する人は支配層に多い。 (『企業福祉の終焉』から)
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<TANAKAの考え方>  ジョン・ロールズの『正義論』に関しては、次のテーマで書いているのでそちらを参照のこと。
 「民主制度の限界 (22)『正義論』とはどんな本? 」
 <農業分野の一番弱者を救う「地産地消」=格差原理(the Difference Principle)>
 <ジョン・ロールズの『正義論』と死刑廃止論>
 ジニ係数に関しては「所得分布の国際比較」で書いているので、参照してください。
 また、「所得再分配による所得格差是正効果(ジニ係数)」
 「国の所得格差順リスト」
 「ジニ係数等にみられる所得分配等の状況」 も参考になるでしょう。
最大多数の最大幸福  <ジョン・ロールズの『正義論』と死刑廃止論> で書いた文の一部をここで引用しよう。
『正義論』が批判する現実の社会は「最大多数の最大幸福」を追求する社会と言えそうだ。 一番の弱者を守る制度、ではなくて、多くの人の利益を多くする制度になっている。別の言い方をすると「個人の快楽の総計が社会全体の幸福である」と言うことができる。 ここまで話を進めて来ると多くの人は気づくに違いない。『正義論』が批判する現実の社会制度は「最大多数の最大幸福」を追求する、功利主義の社会であることに気づくに違いない。
 「最大多数の最大幸福」に対する挑戦には「プロレタリア独裁」を主張するマルクス主義があった。「最大多数の最大幸福」という場合の「最大多数」とはブルジョアのことである、との認識がマルクス主義の中心にあった。 このため、数・人数が問題なのではなく階級が問題であった。けれども、マルクス主義を採用した国々は破綻した。このため、「民主制度」や「最大多数の最大幸福」を批判したい人は、そのための教典を捜していた。 そうした時代に『正義論』が登場すれば、新鮮な驚きをもって、迎え入れた人も多かったに違いない。しかし、時が経って『正義論』の限界が見えてくると、かつての新鮮さを感じる人は少なくなっている。 けれども、そうした人のグループに入るには『正義論』を読んでいなければならない。たとえ完全に理解していなくても、使われている言葉位は知っておかないと恥をかくことになるだろう。
 「最大多数の、最大幸福」=資本主義
 「プロレタリアート階級の、最大幸福」=マルクス主義
 「最も弱者である階層の、最大幸福」=ジョン・ロールズの『正義論』
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<主な参考文献・引用文献>
『日本の経済格差』                        橘木俊詔 岩波書店     1998.11.20
『格差社会』何が問題なのか                    橘木俊詔 岩波新書     2006. 9.20
『企業福祉の終焉』格差の時代にどう対応すべきか          橘木俊詔 中公新書     2005. 4.25
『正義論』                 ジョン・ロールズ 矢島鈞次監訳 紀伊國屋書店   1979. 8.31
( 2008年5月12日 TANAKA1942b )
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(12)格差解消を追求した実験国家
夢と理想を追う、平等社会への試みは
<なぜ「最大多数の、最大幸福」が良いのか?>  ウィンストン・チャ−チルはこう言っている「デモクラシーとはひどい政治制度である.しかし,今まで存在したいかなる政治制度よりもましな制度である」 。多数決原理、三権分立、言論・結社の自由、代議員制などの要件を満たしたデモクラシー(民主制度)は多くの欠点を抱えながらも、現在これに勝る制度は考えられない。
 「デモクラシーとは熱狂的な崇拝の対象になるような完全無欠な主義などではなく,政治的・経済的な個人の自由を保証するための 功利的な制度なのである」と言う、フリードリッヒ・A・ハイエクの言葉も核心をついた表現だと思う。現実の社会を考える場合、こうした「完全無欠ではないがこれに勝るものが考えられない。とりあえずこれで行こう」という功利主義で考えないと、結局は抽象的な議論に終わってしまう。
 「これ以上の制度が考えられないので、とりあえずこれで行こう」という制度には、市場経済、死刑制度などがある。 そして、「最大多数の、最大幸福」という社会制度も決して完璧な制度ではないが、これに勝る制度は考えられない。 「プロレタリアート階級の、最大幸福」を追求するマルクス主義も、「最も弱者である階層の、最大幸福」を理想とするジョン・ロールズの『正義論』も「夢物語」としては支持者も得られるだろうが、現実の社会に当てはめるとコストがかかって実現不能となる。 それでも、人々の理想を実現するかのように訴えて実際に社会制度を変えてみた例がある。「プロレタリアート階級の、最大幸福」というマルクス主義による社会主義国家の例は多くあり、 マルクス主義とはちょっと違っても、「最も弱者である階層の、最大幸福」を追求したり、「格差をなくす」社会を実現しようとした例も多い。過去を振り返ってみよう。
<イギリス病の原因となった「ゆりかごから墓場まで」の福祉政策>  イギリスでは第2次大戦後、「ゆりかごから墓場まで」の福祉政策を採用した。この政策を実現するために企業の国営化を進めた。 これに関しては「戦後復興政策 ヨーロッパ 西も東も社会主義」 で書いたので一部引用しよう。
<福祉国家への道> 終戦後の労働党アトリー内閣は、完全雇用の達成と福祉国家を目指した。戦後の福祉国家を目標とするベヴァリッジ・プラン(Beveridge Plan)「1942年社会保障報告」(Report on Social and Allied Services,1942)として具体化され、広範な社会政策を示した。それは被保険者、雇用主、国家の三者協力によって、退職年金、疾病、事故、失業、寡婦、その他の手当を供給する社会保障の包括的システムであった。その場合、完全雇用、家族手当、保険サービスの導入が前提とされ、とくに失業の望ましくない水準を防ぐことが第一義的に必要であると強調された。
 政府はこの提案の大部分を受け入れて、1945年から48年ににかけて一連の法律として具体化された。1944年には国民保健省(Ministry of National Insurance)が設置され、全計画は1948年に開始された。1944年白書で提案された国民保険サービス(National Health Service)もまた1948年に計画が開始され、これには全人口が含まれ、保健省(Ministry of Health)が病院の運営と計画の大部分の管理に責任を負うものとして設置された。
 戦後イギリス政府の経済政策で最も成功したのが「完全雇用達成のための政策」であった。1920年代、30年代の失業状況は年間100万人以上、最悪期には250万人以上に達していた。ベヴァリッジ・プランの目標は、完全失業率3%以下であった。この目標は、両大戦間の平均失業率が14%であったことを考えれば、夢のような目標であった。その夢のような目標は、戦争直後の圧力により、3%以の水準を実現させた。同じ頃アメリカの失業率は平均5%であったことを考えれば、その数字の重みがわかる。 イギリスの失業率は1960年代に1〜2%台を維持し、73年時点でもまだ2.2%の低水準であった。イギリスの社会主義的福祉政策もこの点に関しては大成功であった。
<経済不振と為替危機> 「福祉政策を進めるには企業の国営化が必要」、として鉄鋼業をはじめ多くの企業が国有化された。ソ連の共産党の一党独裁とは違ったが、経済政策は社会主義であった。 当初失業率は低く、格差は少なかったが、産業は低迷し、通貨ポンドに対する不安も高まった。
 1966年7月の為替危機は労働党政府の経済政策を転換させるものとなった。もはや完全雇用と国際収支の均衡を両立させることは困難であり、ポンドを切り下げるか、あるいは厳しいデフレ処置により完全雇用を断念するかの選択が不可避になった。 5月のデフレ予算に加えて、7月には最も厳しい需要抑制処置がとられ、公共部門投資も削減された。とくに賃金、配当、価格の凍結処置が導入されたことはかつてない危機的処置であったが、当然、社会のあらゆる部門に不人気な政策であり、労働組合の反発を招くことになった。 こうした厳しいデフレ処置と在庫調整により1967年下半期には国際収支はやや改善されたので、67年予算は「変化のない予算」(No chage budget)によって、ややリフルに転じた。 しかし、世界貿易の鈍化により輸出は低調で、輸入コストは増加したため貿易収支は再び悪化し、リフル処置に」よる公共部門不足の拡大に加えて、秋には港湾ストライキがかさなり、遂に11月にはポンド切り下げ(対ドル2.8ドルから2.4ドルへ、14.3%の切り下げ)に踏み切ることになった。
 しかし、労働党も保守党も景気回復になんら実用的な手立てを打たなかったために、継続的な不況に陥り、企業の倒産やストが相次いだ。20世紀初頭から沈滞を続けたイギリス経済は深刻に行き詰まり、英国病とまで呼ばれた。 1979年に登場したサッチャー政権下で国営企業の民営化や各種規制の緩和が進められ、
 1980年代後半には海外からの直接投資や証券投資が拡大した。この過程で製造業や鉱業部門の労働者が大量解雇され、深刻な失業問題が発生。基幹産業の一つである 自動車産業の殆どが外国企業の傘下に下ったが、外国からの投資の拡大を、しだいに自国の産業の活性化や雇用の増大に繋げて行き、その後の経済復調のきっかけにして行った。 外国からの投資によって経済が回復したので、なかなかイギリス選手が勝てないテニスの大会になぞられて「ウィンブルドン現象」という言葉が使われた。
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<ペロン大統領のアルゼンチン>  フアン・ドミンゴ・ペロン(Juan Domingo Peron、1895年10月8日 - 1974年7月1日)は、アルゼンチンの政治家で、 1946年に大統領に当選、1952年に再選された。大統領就任後は、労働組合の保護や労働者の賃上げを受け入れ、イギリス系、アメリカ系などの外資系企業の国営化、貿易の国家統制などの政策を推し進め、 労働者層から圧倒的な支持を受け独裁政権を敷いた。
 第二次世界大戦での輸出によって富裕国でありそれで得た外貨によってこれらの政策をおこなったがすぐに 使い果たし1949年頃からはアメリカやカナダの増産により食糧輸出は不振となってインフレが起こった。
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<ニカラグアのサンディニスタ政権>  ニカラグアで1936年から1979年まで、43年間米国に協力的なソモサ親子2代3人の独裁政権(一般にソモサ王朝と呼ばれる)が続いた。 これに対して、1979年6月にサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が大規模な軍事攻勢を開始し、同年7月にはニカラグア革命を成功させる。
 ソモサ政権の打倒後、FSLNは宗教勢力、ブルジョワジーなどからなる国家再建暫定政府、国家再建暫定議会を樹立し、ダニエル・オルテガが国家再建暫定議会議長に就任した。 サンディニスタ政権は新憲法を制定し、ソモサ政権時代の国民の利益を無視した国家の私物化を廃止し、 民主化と共に、富・付加価値の社会への再分配と、福祉・社会保障・保健・医療・教育制度の整備による貧困の解消、機会の平等をめざし、農地改革で地主・小作制度を廃止して、地主が保有していた土地を小作人に 分割し、ソモサ一族の財産を完全没収して国有化した。外交政策ではソモサ政権時代の実質的なアメリカの傀儡状態から、アメリカも含めて全世界の諸国との平等・対等な外交関係をめざした。 この革命はイギリスのパンク・ロックバンド、ザ・クラッシュが新しいアルバムにサンディニスタ! (Sandinista!)と名づけたように、当初アメリカを含む全世界から祝福され、こうしてニカラグアは新しい国家として再スタートを踏み出すことになった。サンディニスタ政権には様々な困難が直面しており、 それまで国家の全てを私物化していたソモサ王朝の43年間の独裁支配と、第一次ニカラグア内戦の結果により、 国の産業・経済は疲弊・困窮し、国の財産はソモサ一族に収奪されて資産も預貯金も全く無く、4万人の死者の遺族、負傷者、亡命者、そしてソモサの残した莫大な対外的な累積債務だけが残っている 状態だった。 こうした状況を考慮して、国家再建のためにサンディニスタは当初非同盟外交、複数政党制、混合経済と現実的な目標を掲げ、この時点ではソ連やキューバのような全体主義国家になるつもりは毛頭なく、 カーター合衆国大統領もそのつもりで最終的にソモサと手を切ったのだが、しかしアメリカでロナルド・レーガンが合衆国大統領になると状況が変わってきた。サンディニスタ政権はレーガンに よってそれまで国家再建のために受けていたアメリカからの経済援助を止められ、逆に政権経済制裁を受けた ことと、当時の冷戦末期国際環境を考慮し、ソ連、キューバ、東ヨーロッパ諸国の支援を受けて革命政権の政策目標を追求しようとした。しかし、このことはレーガンに反共のための戦いという口実を与えることになった。
 こうした急進的な政策に反対する穏健派革命勢力(サンディニスタの一部を含む)は下野し、更にその一部はソモサ派残党と手を結んで「コントラ」と呼ばれる反革命勢力に加わった。 1980年代に入るとアメリカが経済援助を停止して経済封鎖を続け、またコントラを支援した。1984年の総選挙で、これまで民族再建会議議長であったダニエル・オルテガが大統領に就任し、非同盟と混合経済を謳う新憲法が発布された。1988年にコスタリカ大統領のアリアスの和平提案が旧中米連邦5カ国の大統領によって調印されたが、完全な実行には至らなかった。 長引く戦闘の重圧と経済疲弊の中で行われた1990年の総選挙で反サンディニスタ側が勝利、ペドロの妻ビオレタ・チャモロが新大統領となり、サンディニスタ革命は終焉した。
 いったん失敗したかのように見えたサンディニスタ革命、しかし、2006年11月5日に行われた大統領選挙では政策を穏健化させたダニエル・オルテガが大統領に当選・復帰し、 2007年1月10日に就任した。また同時に行われた国会選挙でも全92議席中38議席を獲得し、第1党に復帰した。
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<福祉ばらまきの美濃部都政>  東京都では、1967年から1979年の12年間(3期)に渡り美濃部亮吉(みのべ りょうきち、1904年2月5日 - 1984年12月24日)が知事を務めた。日本社会党を支持基盤とする革新都知事としてそれまでの都政とは違った政策を実行した。 老人医療費無料化、高齢住民の都営交通無料化、公害対策で企業に厳しい条件を課すなど、福祉、環境政策において様々な施策を次々打ち出し、東都政の時代とは違った都政で、その後の地方自治体で「革新自治体」を誕生させる先駆けとなった。
 しかしこうした福祉ばらまき政策は、都政の財政難を招き、東京都を前代未聞の財政難に転落させたことで、後年「戦後都政の暗黒時代」と批判されることもなった。 その要因の一つとしては、社会党を支持基盤としていたため、労働組合との関係から、都営バス運転手などを含む都職員の人件費が聖域化し全く手をつけることができず、年を追う毎に人件費が膨らんでいったことが指摘されている。
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<民主制度での試行錯誤>  多数決による議決を基本としているデモクラシー(民主制度)では、「民主制度の限界」 で書いたように、<それでも投票権平等が原則>だ 。 先に書いた2つの例は「多数決は総意を表現するか?」という問いを発している。民主制度では、皆で十分討議し、最終的には多数決で結論を出す、というシステムになっている。ところがその多数決での結論が必ずしも公平でない場合もあるように思えてくる。  「六本木あたりのクラブで朝まで踊っていて、社会のことなんかまるで考えていないお姉ちゃんと、日本のこと真剣に考えているオレと同じ一票なのか?」との不満があっても、「稼ぎが悪くて、最低の税金しか払っていない人と、オレのように人の何倍もの税金を払って、日本社会に貢献している人間と同じ一票なのか?」と言っても、選挙では同じ一票。これが民主制度の基本。
 そこで、「デモクラシー(民主制度)とは、デモクラシーとは熱狂的な崇拝の対象になるような完全無欠な主義などではなく,政治的・経済的な個人の自由を保証するための、試行錯誤を重ねる 功利的な制度なのである」=フリードリッヒ・A・ハイエク。となる。
 上に書いた3つの例、民主制度での1つの実験であった。貴重な実験ではあったが、夢と理想を追求する人々がいる限り、これからも試行錯誤は続き、失敗を繰り返すことになるのだろう。 それでも、「デモクラシー(民主制度)とはひどい政治制度である。しかし、今まで存在したいかなる政治制度よりもましな制度である」=ウィンストン・チャ−チル。
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<主な参考文献・引用文献>
( 2008年5月19日 TANAKA1942b )
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(13)格差拡大はよくないことなのか?
先に豊かになれる者から豊かになる
<極端な金持ちを社会から排除すべきなのか?> 「貧困者がいない社会がいい」と言えば誰も反対しないかも知れないが、「極端な金持ちを社会から排除すべきだ」と言われると「ちょっと待て」と言いたくなる。1891年に100万ドルの資金でニューヨークにカーネギーホールを設立した鉄鋼王アンドリュー・カーネギー(1835-1919)、1913年にロックフェラー財団(Rockfeller Foudation)を設立したジョン・ロックフェラー(1839-1937)、こうした高額所得者の存在を許したことは正義に反することだったのだろうか?現代ではビル・ゲイツ(1955-)が金持ちであることは正義に反するのか? 日本では1930年に大原美術館を設立し、その他大原社会問題研究所、倉敷労働科学研究所、大原農業研究所、孤児院などを設立した大原孫三郎(1880-1943)、松方正義の三男で川崎造船所社長だった頃、1916年から1923年にかけてパリを中心に数千点の絵画、彫刻、工芸品を集め、現在では松方コレクションとして知られている、その松方幸次郎(1865-1950)、こうした金持ちがいたことは正義に反するのだろうか? 現代ではPHP研究所を設立した松下幸之助(1894-1989)の存在は正義に反するのだろうか?こうした「極端な金持ちを社会から排除すべき」というような主張を聞くと、TANAKAは言いたくなる、「嫉妬心はしばしば正義という名の仮面を被りたがる」と。
金持ちのムダ使いが経済を成長させる <有閑階級の恋愛と贅沢と資本主義 正義と嫉妬と不平等の経済学> で書いたように「資本主義経済では経済成長のために所得格差が生じることはある」と何人かの先人達も言っている。 バーナード・マンデビル(1670-1733)の「蜂の寓話」、ヴェルナー・ゾンバルト(1863-1941)の「恋愛と贅沢と資本主義」、ソースティン・ヴェブレン(1670-1733)「有閑階級の論理」などを読むと、納得するだろう。 先に豊かになれた者から豊かになって、その金持ちたちのムダ使いが消費活動を刺激し、景気が良くなる。有閑階級(the Leisure Class )の恋愛や贅沢へのムダ使い、つまり顕示的消費( Conspicuous Consumption )が資本主義を進化させるのであって、それはプロテスタントかどうかは関係ない。むしろ非プロテスタント的な悪徳、それが社会の各部分に満ちているときこそ、全部そろえばまさに天国になる。
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<嫉妬は平等を求める>今、3人の人間 A B C からなる社会を考えてみよう。3人が獲得する所得(又は富)は、それぞれ 3 2 1 であったとする。これが変化して、4 2 1 となったとすれば、これは状態が「改善」されたことになるのか?それとも悪くなったと言うべきだろうか?
 この変化を簡単に、@( 3 2 1 )⇒( 4 2 1 )で表すことにしよう。
この社会の外にいる「公平な観察者」(アダム・スミスのいう impartial spectator )なら、これをある種の改善と見るであろう。なぜかと言えば、 B C の状態が現状のままである時、少なくとも1人、この場合は A の状態だけは改善されているのだから、この社会の状態は第三者から見て明らかによくなっている。社会全体の所得(富)も以前より増えている。
 これに対して、平等を何よりも重視する立場を観察者なら、もっとも恵まれない C に同情し、A や B ではなく、まず C の状態が改善されることに関心を示す。この場合は C の状態は改善されず、もっとも恵まれていた A の状態がさらに改善されて、この社会の所得な格差、あるいは「不平等」は一段と拡大されたことになる。そたがって、このような変化は、この社会の改善ではなく改悪である、というふうに主張するであろう。また、C は(おそらく B も)このような意見に同調して、格差の拡大を非難するであろう。当事者のこの非難には、嫉妬の情が含まれている。金持ちの A がますます金持ちになることは我慢できない、というわけだ。「他人の不幸は自分の幸福」という嫉妬の原理からすれば、 A( 3 2 1 )⇒( 2 2 1 )のような変化こそ「改善」になる。B も C も、A が貧しくなったことを愉快とし、満足を覚え、したがって社会は「穏やかな気分」に満たされることであろう。社会の」全所得は 6 から 5 に減ったけれども、格差は縮まり、より平等化したのであるから、この方がよい、というわけなのだ。孔子の「寡(すく)なきを患えず、均しからざるを患う」という言葉も、このような「貧しくても平等な方がよい」という立場を表明したものと言える。
 しかし誰の肩ももたない「第三者的な」観察者は、このようなAのような変化を「改善」だと見るだろうか?嫉妬で足を引っ張り合う愚かな人々の「自己満足」を嗤うのではないだろうか。
 それでは、( 3 2 1 )という状態を、政府が強制的に修正して、B( 3 2 1 )⇒( 2 2 2 )と完全に平等化したとしよう。もとの状態が、能力、努力、運によって決まった「ゲーム」の成績であったとすると、政府が「再分配政策」によって結果を平等化したことになる。C はこのような平等化を歓迎する。A はもちろん不満を唱える。再分配は「ゼロサム・ゲーム」であるから、ある人が追加分をもらって喜ぶ反面、他の人は自分の取り分を削られて怒るという結果になる。現状のままに放置される B は、ここでは「優遇される」C を嫉妬するに違いない。このような平等化を「公平な観察者」はどう評価するだろうか?ややシニカルに、「それがあなたがたの総意なら、やむを得ないでしょう」と言うかもしれない。そしてさらに、 「それにしても、ゲームの結果をあとから政府の手で平等化するのでは、そもそもゲームをした意味はありませんね」という感想を付け加えるかもしれない。
 ところで、この社会の総意という点について、次のようなことが言える。
 今、社会が( 4 1 1 )のような状態になっているとしよう。この社会で「多数決による総意」を決めることにすれば、B と C が平等化に賛成し、A は反対して、結局「恵まれない多数」の言い分が通ることになる。つまり多数の貧者は少数の富者から奪うことによって、自らの状態を改善することができるのだからだ。
 このように、「多数決原理」を採用した再分配が何をもたらすかは、考えてみるとかなり恐ろしいことだ。それは論理的には「多数の貧者による少数の富者の収奪」という帰結をもたらすしかない。これを「民主主義の恐ろしさ」と見るか、それとも「民主主義こそ平等化をもたらす、民主主義万歳!」と自賛するか、これは立場と価値観の違いによって決まる。「公平な観察者」は多分、「このような平等化を追求する民主主義は、社会主義に行き着くほかない」というコメントを残すであろう。
 むしろ不思議なのは、現実の民主主義がこの平等化をそれほど徹底して追求するわけでもなく、「金持ちの収奪」を経て社会主義の道を歩むわけでもない、という事実の方だ。実はここに「民主主義の知恵」がある、と言うべきではないだろうか。 民主主義は平等だけを追求して社会主義に至るとは限らず、人々が競争しながら自立して自由をできるだけ保障しようとしている。そして代表者を投票で選ぶ方式の民主主義そのものが、きわめて競争的なシステムと言える。民主主義は、結果をどこまでも平等化すべきだという思想だけに引き回されているわけではない。このように「差別原理」と呼ばれる考え方は必ずしも多くの国民に支持されているわけではない、ということだ。
(「経済倫理学のすすめ」から)
 中国では、@( 3 2 1 )⇒( 4 2 1 )の政策をとっている。地上の楽園では( 3 2 1 )⇒( 2 1 1 )の政策、ポル・ポト支配のカンボジアでは( 3 2 1 )⇒( 1 1 1 )の政策。 どちらも「寡なきを憂えず、均しからざるを憂う」という感情を尊重した政策でジニ係数は低下する。「貧しくとも、周りの皆も同じように貧しいなら、それは平等、ということでとても良いことだ」ということでこの政策を支持する人もいるようだ。
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<実際の税率はどうなっているか?> 日本では、相続税も所得税も累進性が弱くなっている。「金持ちからは所得税も相続税もいっぱい取ろう」との姿勢から、「なるべく税率はフラットにしよう」と変わっている。それは次の表を見るとハッキリする。 つまり、日本の有権者はこうした税制改正に抵抗しないということは、「所得格差が大きすぎる。金持ちからはいっぱい税金を取るべきだ」とは考えていない、ということだ。「日本では所得格差が広がっている」と批判する人は少数者だと言える。 民主制度を支持すると言うことは、有権者の意見をこのように理解することになる。
平成15年度から相続税の税率が改正された。その改正前の税率表
各法廷相続人の取得金額 税率 控除額
〜800万円 10% 0万円
〜1,600万円 15% 40万円
〜3,000万円 20% 120万円
〜5,000万円 25% 270万円
〜1億万円 30% 520万円
〜2億万円 40% 1,520万円
〜20億万円 60% 7,520万円
20億万円超 70% 27,520万円
平成15年度から相続税の税率が改正された。その改正後の税率表
各法廷相続人の取得金額 税率 控除額
〜1,000万円 10% 0万円
〜3,000万円 15% 50万円
〜5,000万円 20% 200万円
〜1億万円 30% 700万円
〜3億万円 40% 1,700万円
3億万円超 50% 4,700万円
所得税の税率構造の推移
所得税の税率構造の推移
  49年 59年 62年 63年 元 年 7 年 11年
税  率 %  万円 %  万円 %  万円
10 10.5 10.5 10 10(〜 300) 10(〜 330) 10(〜 330)
12 12 12 20 20(〜 600) 20(〜 900) 20(〜 900)
14 14 16 30 30(〜1,000) 30(〜1,800) 30(〜1,800)
16 17 20 40 40(〜2,000) 40(〜3,000) 37(1,800〜)
18 21 25 50 50(2,000〜) 50(3,000〜)  
21 25 30 60      
24 30 35        
27 35 40        
30 40 45        
34 45 50        
38 50 55        
42 55 60        
46 60          
50 65          
55 70          
60            
65            
70            
75            
住民税の最高税率 18 18 18 16 15 15 13
住民税と合わせた
最高税率
93
(注1)
88
(注1)
78 76 65 65 50
税率の刻み数
(住民税の税率の刻み数)
19
(13)
15
(14)
12
(14)
6
(7)
5
(3)
5
(3)
4
(3)
(注)49年及び59年については賦課制限がある。 財務省のホームページから
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<「格差」は多様な生き方か『港区ではベンツがカローラの6倍売れている』>  2008年5月11日、朝日新聞朝刊14面、読書欄の興味を引く本の紹介があった。清水草一著『港区ではベンツがカローラの6倍売れている』 (扶桑社新書・756円)。朝日新聞の紹介欄から引用しよう。
*                      *                      *
 「ワーキングプア」を扱ったTVドキュメンタリーに衝撃を受けた著者。日本の格差問題を「なんとかしなくちゃ!」と奮い立ち、車、住宅地、クレジットカードなど、テーマごとに現地取材とデータ分析を試み、 上流と下流の格差をあぶりだそうとする。その成果の1つが第1章「ベンツ格差」。東京都港区では乗用車保有台数の半分が(価格や維持費の高い)輸入車、そしてその半分がベンツだという検証結果を得る。
 それへの対比として登場するのが、軽自動車保有率ナンバーワンの高知県。ところが高知では軽に対して「経済的」「最近のはかわいい」と肯定的な意見ばかりで、格差感はみじんもない。 結局、そこにあるのは「究極の合理性」で、逆に「クルマがまだステータスシンボルという意識において『後進的』」な港区があぶりだされる。
 「芦屋市六麓荘町Vs.尼崎市」や「5億円OKのカードホルダーVs.自己破産者」「生活保護率日本一の大阪市西成区Vs.同最低の富山県」など、格差の現場を求めて取材を続けた著者が最終的に発見したのは、悲惨さというよりは様々な生き方ができるようになった日本の姿。 「好きなように生きていいので、頑張る人はあらゆる方法で頑張っていい。頑張れない人は頑張らなくてもいい。だから格差が拡大しているんじゃないだろうか」。 深刻な顔で語らないところに、かえってリアリティーがある。(清野由美=ジャーナリスト)
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
『蜂の寓話ー私悪すなわち公益』         バーナード・マンデルビル 泉谷治訳 法政大学出版会 1985. 6.24
『経済学の巨人たち』                           竹内靖雄 新潮選書    1997. 2.25
『恋愛と贅沢と資本主義』            ヴェルナー・ゾンバルト 金森誠也訳 講談社学術文庫 2000. 8.10
『有閑階級の理論』              ソースティン・ヴェブレン 小原敬士訳 岩波文庫    1961. 5.25
『有閑階級の理論』              ソースティン・ヴェブレン  高哲男訳 ちくま学芸文庫 1998. 3.10
『入門経済思想史』世俗の思想家たち   ロバート・L・ハイルブローナー 八木甫他訳 ちくま学芸文庫 2001.12.10
『経済倫理学のすすめ』                          竹内靖雄 中公新書    1989.12.20
( 2008年5月26日 TANAKA194b )
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(14)安定成長時代のストック経済学
格差を判断する経済指標は何なのか?
<経済が成長すると、格差は拡大する>  ケ小平は「先に豊かになれるものから豊かになる」と中国経済のあり方を表現した。これを「先富論」と言う。中国が「乏しきを憂えず、等しからざるを嘆き悲しむ」社会主義から離れるきっかけになった言葉だ。自生的秩序の働く普通の資本主義社会ならば、経済が成長すれば格差は拡大する。経済が成長する場合、すべての人が同じように豊かになれるわけではない。一部の「先に豊かになれる人」が豊かになり、その他の人たちが少し遅れて豊かになる。
 この場合、格差の拡大は社会問題にはならない。嫉妬心の強い人が、先に豊かになった人をうらやましがって非難する場合もあるかも知れないが、多くの人は少し遅れてではあるが豊かになる希望がある。そして、経済が成長していれば、財政が豊かになるので、格差を所得再分配のよって縮めることもも可能だ。1988年から1989年にかけて竹下内閣は「ふるさと創生1億円」として、全国の市町村に1億円を交付した。これは、経済が成長していたからできたことだ。経済成長に依って格差が拡大して社会問題になれば、こうした対処の仕方もできる。成長がストップすると不可能だ。
 バブル時代のように経済が成長していれば格差拡大が言われても豊かな財政で対処することができる。成長が止まったときにこそ、格差が問題になる。そこで、フローの面だけでなく、ストックの面から経済を見る目が必要になる。最近「格差」が問題になるのは、そういうことなのだと思う。
<格差を表現する指標はジニ係数以外にないのか>  「(11)経済格差が広まったストック化」で取り扱っているのはジニ係数だ。格差を表現するのに、ジニ係数以外の数字はないのだろうか。「格差が広がっている」と主張しながらも、その裏付けとなる統計・資料がジニ係数だけでは説得力が弱い。経済学ではよく次のような表現を使う。「もし、他の条件が一定ならば、これを変えることによって経済は次のように変わる」と。格差についてこのような表現を使えば、「他の条件が同じならば、ジニ係数が大きいところが格差が大きく、不平等度が大きい」と。けれども、世界各国、ジニ係数以外の経済統計が同じわけではない。ジニ係数が大きくても、国のGDPが大きければ、社会制度を変える必要がない場合もあるだろう。経済に関する統計資料、フローに関するものは多く活用されているがストックに関しては少ない。
 「税制調査会第9 回基礎問題小委員会の概要」《テーマ:分配 平成16 年3 月30 日》 に「(1) ジニ係数等にみられる所得分配等の状況」と題された表があり、その表「所得分配状況の国際比較」によると「国際的にみると、日本は、高い経済水準の下で、相対的に格差の小さい構造となっている」となっている。その表を下に引用しよう。
所得分配状況の国際比較
1 社会全体に占める最下位・最上位の所得分位グループの所得の割合(%) 最下位10%人口の所得シェア
2 社会全体に占める最下位・最上位の所得分位グループの所得の割合(%) 最下位20%人口の所得シェア
3 社会全体に占める最下位・最上位の所得分位グループの所得の割合(%) 最上位20%人口の所得シェア 
4 社会全体に占める最下位・最上位の所得分位グループの所得の割合(%) 最上位10%人口の所得シェア
5 最上位10%人口・20%人口の所得割合の最下位10%人口・20%人口の所得割合に対する倍率 最上位10%対最下位10%
6 最上位10%人口・20%人口の所得割合の最下位10%人口・20%人口の所得割合に対する倍率 最上位20%対最下位20% 
7 ジニ係数(等価可処分所得)
8 一人あたり国民所得(米国ドル)
 最下位10%  最下位20%  最上位20%  最上位10%  最上位10%  最上位20%  ジニ係数%  国民所得
日本 4.8 日本 10.6 メキシコ57.6 メキシコ41.6 日本 4.5 日本 3.4 デンマーク21.7 ノルウェー35,630
フィンランド 4.1 フィンランド 10.1 トルコ46.7 トルコ30.7 ハンガリー5.0 フィンランド 3.5 フィンランド 22.8 日本 35,610
ノルウェー4.1 ハンガリー10.0 アメリカ46.4 アメリカ30.5 フィンランド5.1 ハンガリー3.5 スウェーデン 23.0 アメリカ34,280
ハンガリー4.1 ノルウェー9.7 ドイツ44.7 ギリシャ28.5 ノルウェー5.3 ノルウェー3.7 オーストリア 23.8 デンマーク30,500
スウェーデン 3.4 スウェーデン 9.1 ギリシャ43.6 ドイツ28.0 スウェーデン 5.9 スウェーデン 3.8 オランダ25.5 スウェーデン 25,400
ベルギー2.9 ベルギー8.3 イギリス43.2 イギリス27.5 ベルギー7.8 デンマーク4.3 ノルウェー25.6 イギリス25,120
ギリシャ2.9 デンマーク8.3 アイルランド42.9 イタリア27.4 デンマーク8.1 ベルギー4.5 日本 26.5 オランダ24,330
フランス2.8 オランダ7.3 イタリア42.6 アイルランド27.4 オランダ9.0 カナダ5.4 ベルギー27.2 オーストリア 23,940
オランダ2.8 カナダ7.3 オーストラリア 41.3 オーストラリア 25.4 カナダ9.0 オランダ5.5 フランス27.8 ベルギー23,850
カナダ2.7 フランス7.2 フランス40.2 フランス25.1 フランス9.1 オーストリア 5.5 ドイツ28.2 フィンランド 23,780
デンマーク2.6 ギリシャ7.1 オランダ40.1 オランダ25,1 オーストリア 9.8 フランス5.6 ハンガリー28.3 ドイツ23,560
アイルランド 2.5 オーストリア 7.0 カナダ39.3 カナダ23.9 ギリシャ10.0 ギリシャ6.2 カナダ28.5 アイルランド 22,850
オーストリア 2.3 アイルランド 6.7 オーストリア 37.9 ベルギー22.6 アイルランド 11.0 アイルランド 6.4 オーストラリア 30.5 フランス22,730
トルコ2.3 イギリス6.1 ベルギー37.3 オーストリア 22.4 オーストラリア 12.5 オーストラリア 7.0 イギリス31.2 カナダ21,930
イギリス2.1 トルコ6.1 デンマーク35.8 ノルウェー21.8 トルコ13.3 イギリス7.1 アイルランド 32.4 オーストラリア 19,900
ドイツ2.0 イタリア6.0 ノルウェー35.8 日本21.7 イギリス13.4 イタリア7.1 ギリシャ33.6 イタリア19,390
オーストラリア 2.0 オーストラリア 5.9 日本35.7 デンマーク21.3 ドイツ14.2 トルコ7.7 アメリカ34.4 ギリシャ11,430
イタリア1.9 ドイツ5.7 フィンランド 35.0 フィンランド 20.9 イタリア14.5 ドイツ7.9 イタリア34.5 メキシコ 5,530
アメリカ1.8 アメリカ5.2 スウェーデン 34.5 ハンガリー20.5 アメリカ16.6 アメリカ9.0 トルコ49.1 ハンガリー 4,830
メキシコ1.2 メキシコ3.4 ハンガリー34.4 スウェーデン 20.1 メキシコ34.6 メキシコ17.0 メキシコ52.6 トルコ 2,530

<この表の読み方>  上記表をどのように読むのか?どのような趣旨で表を作成したのか?何を言いたいのか?『格差社会』の著者とはどのように違うのか?
1 社会全体に占める最下位・最上位の所得分位グループの所得の割合(%) 最下位10%人口の所得シェア
2 社会全体に占める最下位・最上位の所得分位グループの所得の割合(%) 最下位20%人口の所得シェア
 これに関しては、「所得の低い人たちの所得を合計すると、全体のどの位のパーセントになるのか?」「パーセントが低いということは、所得に低い人が本当に所得が低い」「あまり低くない、ということは、けっこう豊かだ、ということ」。つまり、数字が高いということは、あまり悲惨ではない、ということだ。日本の低所得者層は他国に比べ結構豊かだ、と言える。
3 社会全体に占める最下位・最上位の所得分位グループの所得の割合(%) 最上位20%人口の所得シェア 
4 社会全体に占める最下位・最上位の所得分位グループの所得の割合(%) 最上位10%人口の所得シェア
 これは、「最下位」に比べその逆。金持ち層であっても、他の層に比べそれほどずば抜けて多い訳ではない、ということを表している。
 所得格差に関しては「日本の所得格差」も参考になるでしょう。
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
( 2008年6月2日 TANAKA1942b )
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(15)バブル崩壊後にこそストック経済学
経済学の部外者にやさしく説明を
<経済のストック面に注目>  『平成元年度年次経済報告(経済白書)』で使い、何人かの経済学者がその言葉を流行させた「経済のストック化」とか「ストック経済」という言葉、十分流行させたと思ったら、バブルがはじけたらもうこの言葉を使わなくなってしまった。それならば、「ストック化と言ったけれど、あれは間違っていた。バブルであって、日本経済の構造が変わったわけではない」とは言っていない。というよりも、何も言わなくなってしまった。「経済のフロー面だけでなく、ストック面も見るべきだ」は間違っていたのか?今更「私は間違っていました」とは言いたくないのか?「新しいパラダイムへの転換」とは何だったのか?
 このシリーズでは「ストック経済という考え方 バブル崩壊後も利用価値はあるのか?」と題して話を進めてきた。その意図は、「バブル崩壊後にこそストック経済学」を活用すべきだろう、と考えたからだ。経済が成長すれば、所得格差は広がる。しかし、経済が成長しているときに「格差」は問題にされず、成長が止まったときに「格差」が話題になる。そして、よく聞いてみると、格差を問題にする人は「ジニ係数」だけを根拠にして「格差」を論じている。違った統計を見ると、それほど格差が広がったとは思えないこともある。経済が成長しているときは、高所得者がさらに豊かになるにしても、自分も少しづつであっても豊かになっていくので、それほど嫉妬心を燃やす訳ではない。それが、経済が成長を止めると、自分の所得が増えないので、高所得者へのやっかみが高まることになる。このように、「格差」が広がっている成長期に「格差」は話題にさせず、「格差」に変化がない低成長期に「格差」が問題にされる。そうして、「格差」はフローではなくストックが問題になる。そこで、低成長期にこそ「ストック経済」を問題にしなければならない。
 ではストック経済学ではどのような統計が利用されるのだろうか?「格差」では「ジニ係数」だけを根拠にして「格差」を論じていた。ネットではそれ以外の数字を引用していた。これからストック経済に活用できる統計・数字を見つけ出す必要がある。
<「格差」を経済学の面から考える必要>  バブルが膨らんでいる時代、経済学者の中に「これからは経済がストック化した。見方を変えなくていけない」「ストック経済の時代だ」と言う人が出た。けれどもバブルがはじけると黙ってしまった。代わりに「格差」という言葉がよく使われるようになった。この「格差」という言葉、経済学者はあまり使わない。社会学者やジャーナリストが多く使う。そうであるから、その「格差」の論理は経済学的にみて、説得力がない。統計資料は「ジニ係数」しか使わない。そうであるから、「格差」の対策は曖昧だ。「格差が広がっている」と主張するが、では「どうしたら格差が縮まるか」は言わない。「格差」は経済現象であるから、その対策も経済学の視点で主張しなければ説得力がない。問題提起に終わっている。
<格差解消の切り札は、格差を拡大させる「経済成長」なのか?>  「格差」を問題にする人たちが使う統計資料は「ジニ係数」だけ。経済学の立場で考えれば、たとえ格差が広がったとしても、経済が成長すれば、日本の場合はこれほどまでに「格差」が問題視されることはないだろう。しかし、「経済が成長すれば、たとえ経済的格差が広がっても、不満は起きない」とは主張し難い。「格差」を問題にする人たちの主張は必ずしも、経済学の立場から見ると、冷静・客観的とは言えない。そうした立場の違いで、論争するにはかなり勇気がいる。同じ経済学者の中で論争するのは、それなりの節度や暗黙の了解などがあって、論争するのにストレスが溜まることは少ない。しかし、違う業界の人と議論すると、論争のルールの違いなどからストレスが溜まる。日本の社会で、同じ業界同士で議論することは多くても、他の業界の人間と議論することは少ない。「土の臭いのしない者の意見は聞かない」というのが一般的のようだからだ。
 もしも本気で「格差」を縮めようと言うのなら、所得税の累進制を改め、高額所得者の課税率を高くするのが良い。しかし、そのような主張は聞かれないし、累進制はフラットになっていく。その所得税率なフラットになっていくということは、国民はそれを支持していると考えるべきだ。ということは、日本の国民は「格差」をあまり感じていない、あるいは「本気で格差を是正すべきだ、とは考えていない」ということになる。
 それでも、非経済学的な見方であっても、「格差」がマスコミで話題になるのなら、それなりの説明も必要になる。それが経済学者の意地・プライドだろう。そう考えると、経済学の立場から「格差」を考える必要が生じる。そのとき「フロー」から「ストック」への見方を変えることが必要になる。
 バブルが膨らんでいるとき、多くのストック経済の資料が検討された。その努力を、バブルがはじけた現代に生かして、「格差」問題に取り組む必要があると思う。経済学者が、専門家以外に向かって、経済学の立場から「格差」を説明するには、ストック経済が有効であろう。
 経済学者が「経済学の臭いのしない人々」に向かって「格差」の現状と、その対策をやさしく説明してこそ、社会的責任を果たした、と言えるのだと思う。
<言った以上、事後説明も必要だ>  「これからはストック経済の時代だ」と言った以上、現代の状況を説明する必要がある。似たようなことで、「インフレ・ターゲット」論がある。「マイルドなインフレが好ましい」と言った以上、物価の上昇に何らかのコメントをすべきだ。「日銀の金融政策はあまり効果はなかったが、マイルドなインフレが始まっている。良いことだ」と現在の諸物価の値上げについて説明する必要・義務がある。
 同じように「ストック経済」を宣伝した人は、そのストック経済学を応用して、「格差」を説明する必要・義務があると思う。
 土地価格や株価の他に、いくつかの資料・統計を使って「格差」をやさしく説明できると思う。「市場原理主義」とか「経済成長万能主義」と言う人に、「経済成長が格差による不満を少なくすることができること」「結果平等主義にならずに、格差に対する不満を少なくすること」を説明刷る必要があると思う。そのとき「ストック経済」の統計・資料が役に立つはずだ。バブルが膨らんでいた時代と状況は随分違うが、「バブル崩壊後にこそ、ストック経済の利用価値が高まった」と言って良いのだと思う。
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
『「ストック経済」の時代』 豊かさ獲得への処方箋         宮尾尊弘 日本経済新聞社   1989. 9.21
『ストック経済を考える』 豊な社会へのシナリオ         野口悠紀雄 中公新書      1991. 1.25
『ストック経済の構造』                     岩田規久男 岩波書店      1992. 4.28
『分析・日本経済のストック化』           伊藤隆敏・野口悠紀夫他 日本経済新聞社   1992. 9.22
『経済白書』平成元年度                     経済企画庁 大蔵省印刷局    1989. 8.30
『ストック大国・日本の誕生』膨大なる資産がさらなる繁栄を生む   三原淳雄 PHP研究所    1990.10.26
『不安大国ニッポン』                    朝日新聞経済部 朝日新聞社     2006. 1.30
『日本経済・バブルの逆襲』                    勝又淳良 自由国民社     1992. 1.20
『日本の経済格差』                        橘木俊詔 岩波書店      1998.11.20
『格差社会』何が問題なのか                    橘木俊詔 岩波新書      2006. 9.20
『企業福祉の終焉』格差の時代にどう対応すべきか          橘木俊詔 中公新書      2005. 4.25
『正義論』                 ジョン・ロールズ 矢島鈞次監訳 紀伊國屋書店    1979. 8.31
『蜂の寓話ー私悪すなわち公益』     バーナード・マンデルビル 泉谷治訳 法政大学出版会   1985. 6.24
『経済学の巨人たち』                       竹内靖雄 新潮選書      1997. 2.25
『恋愛と贅沢と資本主義』        ヴェルナー・ゾンバルト 金森誠也訳 講談社学術文庫   2000. 8.10
『有閑階級の理論』          ソースティン・ヴェブレン 小原敬士訳 岩波文庫      1961. 5.25
『有閑階級の理論』          ソースティン・ヴェブレン  高哲男訳 ちくま学芸文庫   1998. 3.10
『入門経済思想史』世俗の思想家たち ロバート・ハイルブローナー 八木甫他訳 ちくま学芸文庫   2001.12.10
『経済倫理学のすすめ』                      竹内靖雄 中公新書      1989.12.20
『不平等社会日本』さようなら総中流                佐藤俊樹 中公新書      2000. 6.15
『論争 格差社会』                    文春新書編集部編 文春新書      2006. 8.20
『しのびよるネオ階級社会』”イギリス化”する日本の格差       林信吾 平凡社新書     2005. 4.11
『団塊の肖像』われらの戦後精神史                 橋本克彦 NHKブックス   2007. 8.30
『階級社会』現代日本の格差を問う                 橋本健二 講談社       2006. 9.10
『分裂にっぽん』中流層はどこへ       朝日新聞「分裂にっぽん」取材班 朝日新聞社     2007. 9.30
『団塊格差』                            三浦展 文春新書      2007. 3.20
『難民世代』団塊ジュニア下流化白書                 三浦展 日本放送出版協会  2006. 1.10
( 2008年6月9日 TANAKA1942b )
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