(25)功利主義的な死刑制度 
とりあえず、これに代わりうる制度は考えられない
<死刑に代わる極刑を提案せよ>  死刑廃止論者が死刑に代わる極刑として提唱しているのが、「仮釈放なしの終身刑」だ。ただし基本的には「代替案を提唱する必要はない」と言う。 そしてこの他には、懲役刑を加算する方式、懲役50年とか100年とか200年になるという制度を提唱する人もいるがほんの少し。 つまり「本当は代替案は必要ないが、何か言っておいた方が良さそうだから、仮釈放なしの終身刑とでも言っておこう」という態度のようだ。 TANAKAはどうせなら、遊び心十分な代替案があってもいいだろうと思い、ここに代替案を幾つか考えてみた。 それは、法曹界の人が持ち合わせていない「遊び心」を大切にした考え方だ。代替案は提案しないで、「とにかく反対」だけを叫ぶのは、かつての学生運動、過激派などのだだっ子と同じだと思える。 「憲法9条を守れ」と叫び、「戦力はこれを保持しない」という条文に反する自衛隊をどうするのか提案しないのと同じ無責任な態度と言うべきだ。 ということで、好奇心と遊び心いっぱいのアマチュアエコノミストTANAKAが死刑廃止論者に代わって、死刑に代わる極刑を提案しよう。
仮釈放なしの終身刑  これは、刑務所で人を殺しても刑が加算されるわけでもないし、逆に真面目に務めていても刑が軽くなるわけでもない。 したがって、刑務所で真面目に務めようとのインセンティブが働かない。「刑務所で真面目に務めても、悪いことしても何も変わらない」「もう、どうでもいいから好き勝手にしてやろう」 との気持ちになる。極端に言えば、刑務所で人を殺しても、何も変わらない。刑務所の雰囲気が荒れる。この制度を採用してはいけない。
懲役年数を加算する制度  犯罪の残虐性などを考慮して、懲役年数を加算していく制度。例えば、人1人を殺すと懲役20年とすると、5人殺すと懲役100年、10人殺すと懲役200年となる。 これが2年や3年加算するなら意味もあるが、20年50年100年となると意味がなくなる。懲役100年と200年とどれほどの違いがあるのだろうか。人間はそれほど長くは生きられない。 懲役1万年などとなったら、法律問題としてはピント外れのナンセンスな問題となる。 「死んでも極楽には行けず、必ず地獄へ行くことになる」と言っても、刑法の感覚とはまるで違った、宗教の分野の話しになってしまう。 もっとも死刑反対論者のなかには宗教家が多く、法曹界の人間もその臭いがする。
収容所送り  ソ連時代のラーゲリをロシアで復活させ、世界各国から収容所送りの囚人を受け入れる。死刑が廃止され各国でそれに代わる刑が検討されるが名案はない。 そこでラーゲリの復活となるのだが、運営のノウハウはロシアにしかない。そこで各国はロシアに依頼して囚人を管理して貰うことになる。ロシアとしてもせっかくのノウハウを生かさない手はない。そこで当時の関係者がラーゲリを復活させる。ロシアの外貨稼ぎの主要な産業になる。 各国は、金さえ払えば体裁の悪い制度はロシアに任せられるので、積極的に利用する。このイメージはこういうことだ。「わが国は平和を愛し、戦争をしないために軍隊を持たない。従って、世界のどこかで紛争があっても、わが国は軍隊=自国を守る自衛隊は送らない。その代わり資金を提供する。 汗を流さず、金ですべてを解決するのがわが国の姿勢だ」との考えをイメージすると分かりやすい。
 死刑廃止論者のなかには「死刑廃止論者としての私見としては、基本的には死刑廃止論者が代替刑を主張することに論理的に矛盾のあることを承知している」 とか「死刑廃止側から代替刑を提案する必要はない」との意見もある。それならば「収容所送り」にも反対はしないだろう。
 この代替案は実現の可能性が高い。ロシアで成功したとなると、他の国でも採用しようとする。収容所の立地条件は脱走できない所だ。シベリアのような寒い地方で、近くに人の住むところのないところ、となると他にも考えられる。 砂漠の中も候補地になる。あるいは中南米のジャングル地帯も候補地に上がる。1973年製作、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画「プレデター」の舞台となった土地だ。
 あるいはアフリカも候補地に上がる。これは1995年製作、ダスティン・ホフマン主演の映画「アウトブレイク」で登場したアフリカのジャングルの奥地。 密林というだけでなく、未だよく知られていない病原体による病気に感染する恐れのある地域だ。脱走しても、治療不可能な病気になる恐れがある。
 もっとも1973年、アメリカとフランスで製作された、スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマン出演の映画「パピヨン」はフランスで終身刑の判決を受け、 祖国フランスを追放される上に南米ギアナで過酷な強制労働が科せられた主人公が脱走することに成功する。この映画は実際にあったこと、アンリ・シャリエールの伝記小説を映画化したものであった。 ということで、立地条件だけでは決められないのではあるが、生産工場を整備するよりはリスクは少ないだろう。
 強制労働が強制される収容所送りに関しては、イワン・デニーソヴィチ(Иван Денисович) に相談してみよう。  
島流し=流罪  「現代の先進民主主義国において流罪は絶対的不定期刑に該当するとして、罪刑法定主義と言う近代刑法原則の派生原理から禁止されている」と言う事です。その理由とは、「刑務所内で囚人たちに自給自足の生活をさせ、餓死者が出ても放置する」に等しいことですから、現代の人権感覚では容認できることではありません。  しかし、何らかの方法により餓死者が出ないようにすれば、これも死刑制度の代案と考えることもできるでしょう。
 全身総入れ墨をして島流し。入れ墨を見たら「刺青者と思え」との言葉が広まるでしょう。
仇討ち受け入れ人間として、仮釈放  国家は、判決が出たら「仇討ち受け入れ人間」として仮釈放する。被害者およびその関係者が申請したら、仇討ちを許可する。 被告は自己責任において仇討ちから逃れるために逃走する。国家は行き先を把握しているが、仇討ち者には教えない。国家がこの判決に対してのコストは非常に少ないものとなる。 財政再建政策として効果的なので、税収の少ない国家で採用が検討される。
 この場合被告がこの判決を不服としたら、その場合は「仮釈放なしの終身刑」を選ぶことができる。
 この制度を施行してくと「仇討ちしたいが、私はもう年を取っているのでできない。他の人が代わって仇討ちしてくれるといいのだが」と年老いた被害者の母親が希望してくる。 その希望を叶えるとなると、仇討ち代行業もできてくることになる。こうしたケースが多くなると業界への参加企業も増えてくる。業界団体が結成されれば圧力団体としてレントシーキング活動を活発に行うようになる。 「新しいベンチャー企業が育ってきた」と評価する経済評論家も登場するだろう。
国家秘密工作員に任命  警察官を殺害し、本来ならば死刑になる不良少女、ニキータが政府に雇われ暗殺者として生き延びる、映画「ニキータ」。 これは1990年のフランス映画で、1993年にはブリジット・フォンダ主演・『ア・サ・シ・ン』 (Point of No Return) というタイトルでリメイクされている。
 こうした国家秘密工作員組織は冷戦時代ほど仕事量は多くいない。旧ソ連のチェーカー、ゲーペーウー (GPU) 、ソ連国家保安委員会 (KGB)、アルバニアのシグリミや、 旧東ドイツのシュタージ(国家保安省)、ルーマニアのセクリタテア、韓国の韓国中央情報部(KCIA)、こうした組織に活気があった頃に比べれば就職難と言えるかも知れない。 それでもテロ組織による人質事件が多く起きている現状では、それなりの需要があるに違いない。
 もしも国家秘密工作員を辞めたいと申し出たらどうするか?それは、かつて日本でも放映された連続テレビドラマ「プリズナーbU」を参考にすれば良い。 1969年3月から連続17話で放映された「プリズナーbU」(主演「秘密諜報員ジョン・ドレイク」のパトリック・マクグーハン。NHKテレビ、日曜日21:30から)、あらすじは、国家秘密工作員を辞めたいと申し出た主人公が誘拐され、「村」に閉じこめられる。コンピュータで制御された監視システムによりそこから逃げられない。 最後は、主人公がコンピュータに勝って脱出に成功する、という物語だ。
 情報工学の専門家であった先生が言った「あのテレビはおもしろかった。主人公がコンピュータに勝つ、その方法が、コンピュータの弱点をよく描いていた」と。 あの頃の知識でさえコンピュータで制御すれば暴力を使わずに刑務所を運営できることを示唆している。その考え方は、今後民間運営の刑務所にも応用されることであろう。 ただし、施設の名前は「社会復帰促進センター」ではなく「○○刑務所」となるに違いない。
国連外人部隊に採用  国家秘密工作員になるにはそれなりの才能とセンスが必要になる。フランスの外人部隊のようなものならばもう少し採用基準は甘くなる。 そこで、国連が採用し、国際紛争地帯に派遣する。パレスチナとかイラクとか、引く手数多となるだろう。
 この国連外人部隊である程度の成績を上げると民間警備会社からのお声がかかる。「ハート・セキュリティー」という警備会社の名前は日本でも知られている。 かつて斎藤昭彦さんがイラクの武装勢力「アンサル・アルスンナ軍」を名乗る組織に拘束されたことで知られる。 斎藤さんが所属していた「ハート・セキュリティー」社の場合、日当は日本円にして6万〜6万7,000円。高収入とはいえ、そのリスクは余りにも高い、と言うのは一般人の感覚、死刑囚にしてみれば見方は変わる。
むち打ち刑  例えば「むち打ち刑15年」、となったら、1日10回のむち打ちを15年続けることになる。 むち打ちは残酷だけれども、15年で釈放されるとなれば、死刑に比べて残酷な刑ではないし、「仮釈放なしの終身刑よりも残酷ではない」と言える。
 世界経済が成長し社会の倫理観も変わってきた。かつて死刑と言えば、石を投げて死刑囚を殺すことも行われていたが、現代ではそうした刑罰は行われない。 けれども、現代にあって、進みすぎた近代化を批判する人は多い。「古き良き制度を大切にしよう」との呼びかけは一定の支持者を集めることができる。 西洋近代社会に対する反発と相まって、「むち打ち刑」を現代に復活させようとの運動が起こることは十分考えられる。「自給自足」だとか「 地産地消」が受け入れられるのだから「むち打ち刑復活運動」が市民運動として、金と暇を持て余した有閑市民階級に支持されるとしても不思議はない。
宗教家の協力  複数の宗教団体の協力を得て、死んでから天国には行けずに、必ず地獄に落ちるように呪いをかけてもらう。
代替え案を専門家に検討してもらう   「死刑制度は廃止すべき。その後の制度には責任を持たない。後は法律の専門家に任せます。私は専門家ではありません」と弁護士・法学部の教授がそのように言う。専門家が「わかりました。よく検討します。そして検討した結果死刑制度は存続させることに決めました」と言ったら納得していただきましょう。
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<死刑制度は必ずしも理想的な制度とは言えない>  チャーチルはこんなようなことを言っている「デモクラシー(民主制度)とはひどい政治制度である.しかし,今まで存在したいかなる政治制度よりもましな制度である」と。これより良い制度は考えられないのだから、とりあえずこれで行こう、という功利主義。 これは、原理主義者や宗教家にはなかなか理解されない。何か1つを大切に、それにしがみつき、他を粗末に扱う、これが原理主義だ。
  もう1つ、ハイエクはこう言っている「デモクラシー(民主制度)とは熱狂的な崇拝の対象になるような完全無欠な主義などではなく,政治的・経済的な個人の自由を保証するための功利的な制度なのである」と。
  デモクラシーを「民主主義」と訳さず、「民主制度」と訳すのは、こうした考えからだ。そしてデモクラシー(民主制度)も資本主義・市場経済も、とりあえずこれで行くしかない。 そうして、こうしたことを理解し、納得すると「死刑制度も取り敢えず、これに勝る制度が考えられない以上、これ(死刑制度)を存続させるしかない」となる。
  善良な個人であっても、極悪人であっても、警察権力であっても、そして対象がヒットラーであっても、とにかく人を殺すのは良くない、そして、状況も関係ない、銀行強盗事件であっても、大和Vs赤井の会話であっても、 とにかく「人を殺すのは良くない」とだけ主張するのは新興宗教か原理主義と言うべきだろう。国の制度を議論する姿勢にはない。
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<現実に簡易死刑執行(summary execution)が行われている以上、死刑制度は維持すべきだ> このシリーズの最初に書いたように、銀行強盗事件@ABのように、「人を殺さなくても実質的な死刑」「国家は人を殺さねばならぬ場合もある」となると、死刑制度は維持しなければ法体系に矛盾が生じる、というのがTANAKAの考えだ。 「気配り半径」とか「視野狭窄」という言葉を使って、刑法以外の経済学とか生物学・進化論、ゲームの理論などを引用したのは、直接的には「死刑制度維持論」にはならないが、幅広い視野で考える必要から取り上げてみた。
 けれども死刑廃止論者の論法は、哲学的であったり、感情的であったり、法律家の発言とは思えないものが多い。法体系としての矛盾に気付かずに主張していると言わざるを得ない。
 そして、こうした非論理的な主張を、死刑存続論者は批判しない。身内をかばい、非難をしない業界に思える。
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<もう一度「銀行強盗事件」を考えてください 「人を殺さなくても実質的な死刑⇔人を殺してもシャバの畳の上で大往生」>  TANAKAの主張は「死刑制度が廃止されると、法体系に矛盾が生じる」ということだ。ここで、もう一度、銀行強盗事件を掲載します。 いろんな見方がありますが、銀行強盗事件のような法体系に矛盾が生じるようでは、死刑制度は廃止できない、という趣旨を理解してください。
 そして死刑廃止論者は代替案を示すべきだと考えます。例えば、島流し、収容所送り、懲役200年、仇討ち許可書、毎日鞭打ち200回、特には代替案はなし、など。そうでなければ、「死刑廃止を主張する。後は専門家に任せる」ということなのか?

<銀行強盗事件@>
 某年某月某日15時00分、窓口業務が終了する直前、M銀行S支店に拳銃を持った強盗が入った。強盗は行員と客を人質に取り、3億円を要求した。 S支店ではなるべく時間稼ぎをしようと、ゆっくり準備する。強盗は苛立ち「グズグズせずに早く出せ!」と怒鳴る。それでもゆっくり準備をしていると「早くしろ、分からないのか!」と怒鳴り、「資金課長、お願いします」と呼ばれた行員に、拳銃を向け引き金を引いた。 行員たちは慌てて準備する。3億円の現金はすべて本物の札束で用意された。かつて、似たような銀行強盗があった時、札束の外側は本物で中身は偽物を用意していた銀行もあったがM銀行ではそのようなことはしない。 犯人が偽物だと知ったとき、凶暴になる怖れがある、金で解決できるなら、3億円は高くない。人1人の命に比べれば3億円は安いと判断する。
 さて、15時なって銀行の窓口営業は終了し、ATMコーナーと窓口との間を仕切るシャッターは下りている。行員が机の下の非常ボタンを押したため、事件は警察に通報され、さらに非常ベルが鳴り、事件を知った群集が支店の回りに群がり、警察官が群集を支店から遠ざけ、犯人の説得にあたる。 犯人は3億円を受け取ると今度は逃亡用のワゴン車を要求した。行員男女1人ずつを人質にワゴン車で逃亡する言う。ワゴン車で移動するとなると、どこへ向かうか分からない。警察としてはこの支店で事件を解決したい。 そのため返事をせずに時間稼ぎをする。犯人はイライラし、拳銃を乱射する。弾は沢山もっているようだ。犯人の拳銃がパトカーに命中した。警察官は冷静さを失った。パトカーを管理する警察官は自分に責任がなくても、パトカーが傷つけられれば、それだけで将来の昇進が絶望的になる。
 支店の周りには狙撃手が到着し機会をうかがうがチャンスがない。支店内では犯人がますます凶暴になり、このままではさらに人質に犠牲者が出ると思われた。特にこの日は「もの日」でもあり、15時過ぎてもロビーには客が溢れていた。「女、子どもは解放して欲しい」行員がこう言うと、「うるさい、黙れ!」と叫んで、 その行員を射殺した。このままでは何人も殺されるかもしれない。スキをみて若い行員が犯人に飛びかかった。他の行員や客も数人が犯人の上に重なり合った。 こうして犯人は銀行員=民間人に逮捕された。しかし、この格闘の間に、初めに飛びかかった若い行員が射殺された。このように行員3名が犠牲になっていた。
 さて、この銀行強盗の犯人は行員3名を射殺したのだが、死刑制度が廃止されたために無期懲役の判決が出た。世間では次のように噂した。「刑務所で15年も過ごせば、仮釈放になり、最後は畳の上での大往生になるだろう」と。
<銀行強盗事件A>  前記銀行強盗事件があってから1年後のこと、同じ様な銀行強盗事件があった。犯人の要求する逃亡用のワゴン車を用意せず、時間稼ぎをしていた警察。 イライラし凶暴になった犯人。「3億円、早く用意しろ!」と天井めがけて威嚇射撃をする。そして支店には狙撃手が到着したが、チャンスがない。犯人はますます凶暴になる。 「女、子どもは解放して欲しい」行員がこう言うと、「うるさい、黙れ!」と叫んで、 天井の蛍光灯を威嚇射撃する。「きゃー!きゃー!」という若い女性の叫び声が支店の外まで聞こえてくる。 警察官の間では1年前の事件のことが頭に浮かぶ。行員が射殺されたのに、死刑制度が廃止されたので、裁判での判決は無期懲役であった。 狙撃手が躊躇せずに撃っていたら犠牲者は出なかったかもしれない、と警察関係者は後悔の念にさいなまれていた。
 「このままでは昨年のように、犠牲者が出る怖れがある。スキをみて犯人を射殺するように」との指令が出た。皆、息を呑んで狙撃手の動きを見守る。凶暴になり、冷静さを失った犯人が窓際に来て外の様子を窺った。その時射撃手が日頃の訓練の成果を披露した。1発で犯人は倒れた。
 人質は無事解放され、犯人は救急車で運ばれた病院で死亡が確認された。犯人は実質的な死刑になった。
<銀行強盗事件B>  銀行強盗事件@が起きてから15年後のこと、同じ様な銀行強盗事件が起きた。今度は犯人が3人であった。主犯格Aが拳銃で脅し、3億円を要求し、「資金課長、お願いします」と呼ばれた行員に、拳銃を向け引き金を引いた。 また、「女、子どもは解放して欲しい」行員がこう言うと、「うるさい、黙れ!」と叫んで、その行員を射殺した。
 共犯者Bは日本刀を振り回し、カウンターの中を歩き回っている。若いテラーたちが「きゃー、きゃー」叫ぶと嬉しそうな顔をする。共犯者Cは拳銃を持ち、天井の蛍光灯を撃ったり、外のパトカーを狙ったりして、西部劇の主人公を気取っているようだ。
 逃走用の車の用意が出来ていないか、主犯Aはさかんに気にしている。「警察はワゴン車を用意していないか?ちょっと外を見てみろ」。そう言われて共犯者Cが窓から外を見た。 その瞬間狙撃手の人差し指が動いた。共犯者Cは一発で倒れた。それを合図のように、行員が犯人AとBに向かっていった。主犯格Aには若い行員をはじめ数人が重なり合った。 主犯格Aはこうして逮捕されたが、その際に若い行員が射殺された。共犯者Bはというと、ベテラン行員がシャッターの後ろに隠してあった木刀を取り出し、共犯者Bに向かっていった。 しばらく日本刀と木刀の試合になったが、別の行員が近くにあった消化器を取って、共犯者Bに投げつけた。消化器は共犯者Bの後頭部に当たり、そこに倒れた。 このようにして犯人ABCは警察に引き渡されることになった。
 拳銃をもてあそんでいた共犯者Cは狙撃手に1発で射殺され、実質的な死刑になった。
 日本刀の共犯者Bは消化器が後頭部に当たり倒れたが、その後、後遺症が残り、半身不随で言葉が正常には話せなくなった。このため公判維持は不可能と認められ、不起訴になったが、結局住み慣れた土地を離れ、近所つき合いもなく、一生半身不随で車椅子の生活をおくることになった、と言われている。
 主犯格Aは行員3人を殺したが死刑にはならず無期懲役になった。この主犯格Aは実は、銀行強盗事件@の犯人であった。あの事件後、15年の刑務所生活をおくり、仮釈放になった。 前回は1人で失敗したので、今回は仲間を募って3人で実行したのだった。結局今回も前回と同じ様に3人を殺したが逮捕され、失敗に終わった。そして裁判では無期懲役となり、前回より長い刑務所生活を送ってから仮釈放になり、最後は畳の上での大往生であったと言われる (この時代では、個人情報保護が徹底され、犯人のその後の生活は取材も報道もされなくなっていた)。
 主犯格Aに関しては別の噂も流れていた。それは、「6人も殺しておいて最後が畳の上で大往生とは許せない」と、刑務所の中で、囚人たちが集団リンチを起こし、亡くなった。囚人たちはたとえ事件が知られても死刑になることはないと安心してリンチに加わり、看守たちはそれを知っていながら、臭い物には蓋と、単なる事故として処理をして外部には漏れていない、とまるで見てきたような噂も流れていた。 法務省は「個人情報に関しては発表しません。問題になるようなことはありません」としか発表しなかった。 死刑制度が廃止されてから、重大な事件でも判決は死刑ではなく、無期懲役に決まっているので、マスコミは大きく報道しなくなった。このため、殺人事件が起きても大きな社会問題にはならなくなっていた。 そうして、殺人事件が起きても大きな社会問題にはならなくなり、このため「最近、凶悪事件が減ったようだ」と言う人が増えた。
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<場合によっては「国家は人を殺さねばならぬ」> 上記<銀行強盗事件@AB>と同じことを少し状況の設定を変えて説明した文章があるのでここで引用することにしよう。
大和 国家成立のための形式的条件は、通常、領土があること・人民がいること・主権があることと言われているが、さらに実質的条件を加えれば、「力の独占」と「領土内人間の保護」の2つが国家の基本としてあげられる。 「力の独占」とは国家権力による力の独占であり、国民当事者同士での「私刑(リンチ)」を許さず、国家がそれに代わるというものだ。早い話が、昔のような仇討ち、すなわち個人的懲罰は許さず、被害者の代わりに国家が公的懲罰を加害者に行うというものだ。また、「領土内人間の保護」とは犯罪等から国民を守ることであり、いわゆる警察機構を考えればよい。 この2つがもし欠けておれば、たとえ領土や国民や主権が存していたとしても、国家とは言い難い。
赤井 うむ、自立した法治国家であるためには、その2点確かに必要だ。
大和 よし、ではこの2点について話をすすめよう。話を分かりやすくするために次のような状況を想定してみよう。2階建てのビルの屋上で1人の男が妊婦を人質にしてたてこもっている。妊婦は椅子に縛られ、隣には日本刀を手にしたその男が立っている。ビルの周りは警官によって取り囲まれているが、屋上であるため強行突入ができない。 と、突然、犯人は持っていた刃で妊婦の足を刺し始めた。血を流し絶叫する妊婦。そして刃が次に妊婦の大きな腹に向かおうとしたその時・・・。この時、国家すなわち警察は何をしなければならないのか?言うまでもない、犯人を狙撃しなければならない。
赤井 ・・・。
大和 反論があれば、言ってもらってもかまわぬぞ。
赤井 いや、残念ながら、それ以外妊婦の助かる道はなさそうだな。
大和 そうだ、このような場合国家は国民を犯罪から守るため、人殺しも敢えてせねばならぬのだ。つまり、「国家は人を殺してもよいのか」ではなく、場合によっては「国家は人を殺さなければならぬ」のであり、これは国家に課せられた義務なのだ。
赤井 なるほど、その点は認めるとしよう。だが、このように妊婦を救うためなら緊急避難という点から仕方がないにしても、死刑は、すでに身柄を拘束され抵抗することのできない者に対する一方的な殺人ではないのか。
大和 うむ。この反論に答えるため、再び同様の例を用いてみよう。
 先の犯人Aが警察によって射殺され、妊婦が無事救出された次の日、また妊婦を人質にするという同様の事件が起きた。ところが、この犯人Bは先日の事件をニュースで知っていたため、狙撃防止用のバリケードを築き、さらに防弾チョッキを身にまとっていた。こうして自分の身の安全をはかった上で、先日同様妊婦の足を刺し始めた。妊婦は血を流しながら絶叫する。 警察は犯人狙撃が不可能なため強硬突入を試みるが、屋上であったためにどうしても時間がかかり、屋上に着いた時には妊婦は腹を断ち割られ胎児とともに刺し殺されていた。犯人Bは下手に抵抗すれば射殺される可能性もあると素早く計算し、刀を捨て素直に逮捕された。そして、裁判にかけられたが「死刑制度が廃止されていたため」死刑にならずにすんだ、と仮定しよう。
 犯人Aの罪状は「殺人未遂」であり、国家が与えた罰は「死」である。妊婦は無事生きている。他方、より狡猾で残忍な犯行を現に行った犯人Bの罪状は、無論「殺人」である。当然、妊婦・胎児ともに死亡した。にもかかわらず、死刑制度が廃止されておれば、犯人Bは国家から「死」を与えられることはない。罪状の重い犯人Bが、犯人Aより軽い罰ですむというこのような不均衡が、法の下で平等を唱える法治国家で許されて良いのか、 と問われれば、廃止論者であるお前は何と答えるつもりだ。
赤井 ・・・。
(『平等主義は正義にあらず』から)
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<主な参考文献・引用文献>
『刑法という法律』改訂版                             古田佑紀 国立印刷局   2005. 4. 1
『平等主義は正義にあらず』                            山口意友 葦書房     1998. 3.10 
『死刑廃止論』第4版                               団藤重光 有斐閣     1995. 1.30 
『死刑廃止論』第5版                               団藤重光 有斐閣     1997. 6.30 
『死刑廃止に向けて』代替刑の提唱                         菊田幸一 明石書店    2005. 3.30
『女たちの死刑廃止「論」』                       死刑をなくす女の会 三一書房    1984.11.15
『死刑廃止とキリスト教』                    死刑廃止キリスト者連絡会編 新教出版社   1994. 1.25
『知ってますか?死刑と人権』一問一答       アムネスティ・インターナショナル日本支部 解放出版社   1999.12.10
『年報・死刑廃止「オウムに死刑を」にどう応えるか』       年報・死刑廃止編集委員会編 インパクト出版会1996. 5.10
『死刑執行停止を求める』                        日本弁護士連合会編 日本評論社   2005.12.25
『死刑廃止を求める』                  佐伯千仭+団藤重光+平場安治・編著 日本評論社   1994.12.20
『第二次世界大戦はこうして始まった』      ドナルド・キャメロン・ワット著 鈴木主税訳 河出書房新社  1995. 6.23
『20世紀のヨーロッパ経済』         D・H・オリドクロフト 玉木俊明・塩谷昌史訳 晃洋書房    2002.11.30
『ヒットラーでも死刑にしないの?』                        中山千夏 築地書館    1996.11.27
『「おろかもの」の正義』                             小林和之 ちくま新書   2000.12.10
『柔らかなカント哲学』増補改訂版                         平田俊博 晃陽洋書房   2001. 6.20
『刑法という法律』改訂版                             古田佑紀 国立印刷局   2005. 4. 1
『刑法がわかった』                                船山泰範 法学書院    2000. 9.30
『刑法の基本思考』                                 中村勉 北樹出版    2000. 3.25
『刑事法を考える』                        石塚伸一・大山弘・渡辺修 法律文化社   2002. 7.20
『いちばんやさしい刑事法入門』                 佐久間修・高橋則夫・宇藤崇 有斐閣アルマ  2003. 4.30
『刑事法を考える』                        石塚伸一・大山弘・渡辺修 法律文化社   2002. 7.20
『経済倫理学のすすめ』「感情」から「勘定」へ                   竹内靖雄 中公新書    1989.12.20
『迷信の見えざる手』                               竹内靖雄 講談社     1993. 9.30
『法と正義の経済学』                               竹内靖雄 新潮選書    2002. 5.15
『現代日本の市場主義と設計主義』                          小谷清 日本評論社   2004. 5.20
『イヴァーン・デニーソヴィッチの一日』        アー・ソルジェニーツィン 稲田定雄訳 角川文庫    1966.12.20
『イワン・デニーソヴィッチの一日』              ソルジェニーツイン 木村浩訳 新潮文庫    2005.11.25
『収容所群島』                        ソルジェニーツイン 木村浩訳 新潮社     1974.12.20
『ラーゲリ(強制収容所)註解事典』 ジャック・ロッシ 染谷茂・内村剛介・梶浦智吉・麻田恭一訳 恵雅堂出版   1996.10. 1
『柔らかなカント哲学』増補改訂版                         平田俊博 晃陽洋書房   2001. 6.20
『ベッカリーアとイタリア啓蒙』                          堀田誠三 名古屋大学出版会1996.11.20
『公共経済の諸要素』                 チェーザレ・ベッカリーア 三上禮次訳 九州大学出版会 1997. 2.28
『正義論』                         ジョン・ロールズ 矢島鈞次監訳 紀伊國屋書店  1979. 8.31
『自由・公正・市場』                               大野忠男 創文社     1994.10.15
『経済学の知恵』現代を生きる経済思想                       山崎好裕 ナカニシヤ出版 1999. 4.20
『経済の倫理学』現代社会の倫理を考えるー第8巻                  山脇直司 丸善      2002. 9.25
『アナーキー・国家・ユートピア』国家の正当性とその限界   ロバート・ノージック 嶋津格訳 木鐸社     2006. 8.25
『アナーキー・国家・ユートピア』上 国家の正当性とその限界 ロバート・ノージック 嶋津格訳 木鐸社     1985. 3.15
『アナーキー・国家・ユートピア』下 国家の正当性とその限界 ロバート・ノージック 嶋津格訳 木鐸社     1989. 4.15
『ノージック』所有・正義・最小国家        ジョナサン・ウルフ 森村進・森村たまき訳 勁草書房    1994. 7. 8
『ロールズ』     チャンドラン・クカサス/フィリップ・ペティット 山田八千子・嶋津格訳 勁草書房    1996.10.14
『公正としての正義再説』 ジョン・ロールズ エリン・ケリー編 田中成明・亀本洋・平井亮輔訳 岩波書店    2004. 8.26
『ロールズ正義論再説』その問題と変遷の各論的考察                渡辺 幹雄 春秋社     2001.12.25 
『自由論』                      アイザィア・バーリン 小川晃一ほか訳 みすず書房   1971. 1. 2
『自由の正当性』                      ノーマン・バリー 足立幸男監訳 木鐸社     1990. 5.15
『自由論』                      アイザィア・バーリン 小川晃一ほか訳 みすず書房   1971. 1. 2
『自由の正当性』                      ノーマン・バリー 足立幸男監訳 木鐸社     1990. 5.15
『自生的秩序』                                   嶋津格 木鐸社     1985.11.30
『経済思想の巨人たち』                              竹内靖雄 新潮社     1997. 2.25
『利己的な遺伝子』     リチャード・ドーキンス 日高敏隆・岸由二・羽田節子・垂水雄二訳 紀伊国屋書店  2006. 5. 5
『サバイバル・ストラテジー』               ガレット・ハーディン 竹内靖雄訳 思索社     1983. 4.20
『マン・チャイルド』           ダビッド・ジョナス+ドリス・クライン 竹内靖雄訳 竹内書店新社  1984. 7.10
『遺伝子の川』                     リチャード・ドーキンス 垂水雄二訳 草思社     1997. 8. 1
『利己的遺伝子とは何か』DNAはエゴイスト                中原英臣・佐川峻 講談社     1991.10.20
『盲目の時計職人』自然淘汰は偶然か?         リチャード・ドーキンス 日高敏隆監修 早川書房    2004. 3.31
『ゲーム理論の愉しみ方』             デイヴィッド・P・バラシュ 桃井緑美子訳 河出書房新社  2005.12.30
『つきあい方の科学』                    R・アクセルロッド 松田祐之訳 ミネルヴァ書房 1998. 5.20 
『日常生活を経済学する』                    D.フリードマン 上原一男訳 日本経済新聞社 1999.11.17
『ゲームの理論と経済行動』 J.V.ノイマン/O.モルゲンシュタイン 銀林浩.橋本和美.宮本敏雄訳 東京図書    1972.10.25
『ユートピア』                          トマス・モア 沢田昭夫訳 中公文庫    1978.11.10
『ベッカリーアとイタリア啓蒙』                          堀田誠三 名古屋大学出版会1996.11.20
『そして殺人者は野に放たれる』                           日垣隆 新潮社     2003.12.20
『ジェフリー・アーチャー日本を糺す』           ジェフリー・アーチャー 永井惇訳 講談社     1993. 1.25
『死刑廃止宣言』                        死刑廃止をすすめるつどい編 三一書房    1980.11.30
『サルの正義』                                   呉智英 双葉社     1996. 7.15
『ドーキンスvs.グールド』                 キム・ステルレルニー 狩野秀之訳 ちくま学芸文庫 2004.10.10
『知ってますか?死刑と人権』     一問一答  アムネスティ・インターナショナル日本支部 解放出版社   1999.12.10
『ダーウィン・ウォーズ』            アンドリュー・ブラウン 長野敬+赤松真紀訳 青土社     2001. 5.15
『年報・死刑廃止「オウムに死刑を」にどう応えるか』       年報・死刑廃止編集委員会編 インパクト出版会1996. 5.10
『年報・死刑廃止 犯罪被害者と死刑制度』            年報・死刑廃止編集委員会編 インパクト出版会1998. 8.25
『生き物の進化ゲーム』                     酒井聡樹・高田壮則・近雅博 共立出版    1999. 9.25
『時空を旅する遺伝子』最新分子生物学の不思議ワールド                西田徹 日経BP社   2005. 7. 4
『犯罪心理学入門』                                 福島章 中公新書    1982.10.25
『囚人のジレンマ』                ウィリアム・バウンドストーン 松浦俊輔訳 青土社     1995. 3.20
『DNA』            ジェームス・D・ワトソン アンドリュー・ベリー 青木薫訳 講談社     2005. 3.20
『心を生み出す遺伝子』                   ゲアリー・マーカス 大隅典子訳 岩波書店    2005. 3.24
『生命と風土』生物進化の秩序をさぐる                        中村運 化学同人    1999. 9.30
『ゲーム理論を読みとく』戦略的理性の批判                     竹田茂夫 ちくま新書   2004.11.10
『生物学の変遷』 新しい進化生物学入門         松本忠夫・西田治文・二河成男 放送大学教育振興会  2006. 3.20
『遺伝子組換え作物の研究』                          日本農学会編 養賢堂     2006. 4. 3
『江戸のお白州』                                 山本博文 文芸春秋    2000. 9.20 
『日本の刑務所』                                 菊田幸一 岩波新書    2002. 7.19
『刑法入門講義』 新しい刑法の世界                        前田雅英 成文堂     2000.12. 1
『ドキュメント裁判官』 人が人をどう裁くのか                読売新聞社会部 中公新書    2002.12.20
『現代に死刑は必要か』                              三原憲三 第三文明社   1980.12.25
『刑法の基本思考』                                 中村勉 北樹出版    2000. 3.25
『修復的司法とは何か』           ハワード・ゼア 西村春夫・細井洋子・高橋則夫訳 新泉社     2003. 6.30
『死刑執行停止を求める』                        日本弁護士連合会編 日本評論社   2005.12.25
『死刑廃止の研究』                                三原憲三 成文堂     2006. 9. 1
『史料 日本の死刑廃止論』                            辻本義男 成文堂     1983. 4.20
『刑務所の正体』                                 坂本敏夫 日本文芸社   2003.11.25
『死刑論の研究』                                  後義輝 三一書房    1993. 9.15 
『死刑の日本史』                                 佐藤友之 三一書房    1994. 8.15
『死刑論』               辻本義男 中央学院大学アクティブセンター出版編集部 丸善      1994. 3.27
『日本獄制史の研究』                               重松一義 芳川弘文館   2005.11. 1
『徳の起源』 他人をおもいやる遺伝子            マット・リドレー 古川奈々子訳 翔泳社     2000. 6.14
『明治黎明期の犯罪と刑罰』                           小泉輝三郎 批評社     2000.10.10
『死刑の「昭和」史』                               池田浩士 インパクト出版会1992. 3.25 
『死刑囚からあなたへ』 U                     日本死刑囚会議・麦の会 インパクト出版会1990.12. 1
『そして、死刑は廃止された』             ロベール・パダンテール 藤田真利子訳 作品社     2002. 4.30
( 2007年9月10日 TANAKA1942b )

日本弁護士連合会  死刑廃止と終身刑の導入
 朝日新聞報道によると(2019.10.26)、日本弁護士連合会は2019年10月25日、死刑廃止と終身刑の導入を同時に求めていく基本方針を決めた。今後、国会や政府に死刑廃止法案の成立を働きかけていく。現行の無期懲役刑は仮釈放の可能性があるが、終身刑にはない。被告の人権を守る弁護士会として重い刑の創設を求めることには強い反対もあったが、死刑廃止の実現に近道と判断した。  基本方針は、各地の弁護士会長らで構成する理事会が15日に議決し、25日に執行部も承認した。2016年に宣言した「20年までの死刑廃止」のための道筋を具体的に示したもので、刑法から死刑を定めた条文を削る代わりに終身刑を導入するとした。  会員の間には死刑廃止に消極的な意見もあり、日弁連は多くの会員が合意できる案を検討。無期懲役で仮釈放できるまでの期間を、現行の10年から引き上げる案も検討されたが「世間の支持は得られない」との意見が強かった。 最終的に一生刑務所から出られない終身刑を設けた上で死刑廃止を求めていく方針でまとまった。  内閣府が15年に公表した世論調査では、死刑廃止について「やむを得ない」という答えが8割を占めたが、終身刑の導入を前提にすると「廃止したほうがよい」が約38%にのぼった。日弁連死刑廃止実現本部の小川優之(ゆうじ)・事務局長は「終身刑を受け入れる基本方針は死刑廃止に道筋をつける大きな一歩だ」と話す。(阿部竣介)
 終身刑とは==刑務所で、模範囚であっても、人を殺しても、終身刑であることには変わりない。仮釈放になるかも知れない、だから模範囚になろう、とのインセンティブは働かない。看守や他の囚人を殺しても、死刑にはならない。囚人は住む所が確保され、生活費を稼ぐ必要はなく、病気になっても保険料を払ってなくても治療費を心配することはない。一部の貧乏人からすればうらやましいだろう。そんな生活を一般人が税金で保障している制度が終身刑。それが最高の極刑。それでいいのかな?何か不自然に感じませんか?
 人の命は地球よりも思い、その重い命を奪っても死刑にはならない。弁護士は人殺しに対する刑を軽くしようとしている。本当は、人殺しはそれほど悪ではないと考えているのではないのかな?と勘ぐってしまう。
 こういう制度はどうかな==犯した罪が同じ程度でも、改心して、罪を償いたい、という態度が感じられるなら、模範囚で奉仕活動などを積極的に行えば仮釈放のチャンスがある無期懲役。但し、刑務所での態度が良くなければ仮釈放はなし、結果的に仮釈放なしの終身刑と変わらず。
 もしも犯行当時と変わらず凶暴な性格は変わらないとみなされるなら死刑。
 そのような制度なら多くの人の支持が得られるのではないでしょうか?基本的に死刑制度は必要だと考えます。
( 2019年11月 TANAKA1942b )
仮釈放なしの終身刑と言うのは、判決後反省し、真面目に生活し、立ち直ろうとしても、あるいは反省せず出鱈目な生活をしても、どちらも何も変わらない。人間は個性があって同じ判決でも人様々、仮釈放なしの終身刑は、囚人を動物園の動物のように、飼い殺しにする制度に思える。人権とか人間性と言う言葉を使うと、判決後の生活態度の違いが反映しても良いと思う。

エコノミストが10人集まると、11の経済政策が提案される、と言う。それぞれ自分固有の主張を持っている弁護士が集まって、意見を一つにまとめるのが可笑しい。原告と被告の正反対の主張を作成する弁護士が、意見を一つにする必要はない。そうではなくて、いろんな意見があって、お互いに違いを認め合う事の方が民主的だ。反対意見の人はなぜ黙っているのだ。基本構想は「ワンチーム」ではなくちがいを ちからに 変える社会。日本
 民主制度を守る仕事をしている弁護士の組織が、民主的でない運営をしているようにみえる。この人たちに民主制度を守る仕事を任せていても良いのだろうか?不安になる。

速報 相模原障害者施設殺傷事件
  2016年(平成28年)7月26日未明に神奈川県相模原市緑区千木良476番地にあった神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」にて発生した大量殺人事件。元施設職員の男A(犯行当時26歳)が施設に侵入して所持していた刃物で入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた。殺人等の罪で逮捕・起訴された犯人の男(植松某)には、2020年(令和2年)3月16日に、横浜地裁の裁判員裁判で、死刑判決 が言い渡された。
速報 京都アニメ、放火殺人事件
 36人が亡くなった京都アニメーション第1スタジオ(京都市伏見区)の放火殺人事件で、京都府警は27日、さいたま市見沼区の無職、青葉真司容疑者(42)を殺人や殺人未遂、現住建造物等放火などの疑いで逮捕し、発表した。発生直後に現場近くで取り押さえられ、やけどの入院治療が続いていたが、府警は取り調べに耐えられるまでに回復したと判断した。青葉容疑者は「ガソリンを使えば、多くの人を殺害できると思った」と容疑を認めているという。
 事件は昨年(2019年)7月18日に発生。伏見区桃山町因幡の第1スタジオ内には当時、京アニの役員・社員景70人が取り残されて遺体で見つかり、37人が脱出したが、うち3人が搬送後に亡くなった。33人が重軽傷を負い、今も1人が入院中という。(朝日新聞 2020年5月27日夕刊)
速報 池田小事件
 大阪府池田市の大阪教育大学付属池田小学校で2001年、児童8人が殺害された事件は6月8日、発生から19年を迎えた。(中略)
 付属池田小での事件は01年6月8日に発生。包丁を持って校内に侵入した宅間守元死刑囚(04年に死刑執行)が教室にいた児童らを襲い、2年生の女児7人と1年生の男児1人が亡くなったり、児童と教諭15人が重軽傷を負った。(朝日新聞 2020年6月8日夕刊)
速報 座間9人殺害 死刑判決
 「殺害の承諾なかった」東京地裁支部
 神奈川県座間市のアパートで2017年、15〜26歳の男女9人の遺体が見つかった事件で、東京地裁立川支部(矢野直邦裁判長)は15日、強盗・殺人性交殺人などの罪に問われた白石隆浩被告(30)に対し、求刑通り死刑の判決を言い渡した。被害者全員について殺害の承諾はなかったと認め、量刑理由について「9人もの若くと尊い命が奪われた結果は極めて重大。犯罪史上まれに見る悪質な犯行だ」と述べた。(朝日新聞 2020年12月16日朝刊)
速報 京都アニメ、放火殺人事件
 京アニ放火36人死亡 容疑者きょう起訴
 36人が亡くなった昨年7月の京都アニメーション放火殺人事件で、青葉真司容疑者(42)=無職、さいたま市見沼区=が殺人などの疑いで京都府警に逮捕されてから半年余り。京都地検は、事件当時の精神状況を調べる鑑定留置の結果、刑事責任能力が認められると判断し、留置期限の16日、同容疑者を殺人罪などで起訴する。事件は今後、裁判員裁判で審議される。(朝日新聞 2020年12月16日夕刊)
速報 座間事件被告、控訴取り下げ
 神奈川県座間市のアパートで2017年15〜26歳の男女9人を殺害したとして強盗・強制性交殺人などの罪に問われ、東京地裁立川支部で死刑判決を受けた白石隆弘被告(30)が、弁護人が申し立てた控訴を取り下げた。21日付。判決は年末年始を挟んで来年1月5日午前0時に確定する。
 白石被告は死刑判決を受け、弁護人が18日に東京高裁に控訴した。刑事訴訟法は弁護人による控訴について、「被告の明示した意思に反してはできない」と規定。白石被告は裁判で「親族や被害者遺族にできるだけ迷惑をかけたくない。速やかな刑の執行により、償いたい」と述べており、収容先から控訴の取り下げ書を提出した。
 裁判で白石被告は起訴内容を認めたが、弁護人は被疑者は殺害に同意していたとして、法定刑の軽い承諾殺人罪の適用を主張した。判決は9人全員について承諾はなかったと認定した。(朝日新聞 2020年12月23日夕刊)
Webニュース  川崎児童殺傷事件から2年、事件現場で多くの人が献花
 川崎市多摩区でスクールバスを待っていた私立カリタス小学校の児童らが殺傷された事件は28日、発生から2年を迎えた。 事件現場では近隣住民など、多くの人が献花に訪れた。現場を訪れた制服姿の女子生徒は、両膝を地面に付け目をつむり、約1分間にわたって手を合わせた。小学校を運営する学校法人カリタス学園は、追悼ミサを行い、犠牲者に祈りをささげた。 川崎児童殺傷事件から2年、事件現場で多くの人が献花
 事件は19年、両手に包丁を持った男がスクールバスを待っていた児童らを次々と襲い、保護者で外務省職員の小山(おやま)智史さん(当時39)とカリタス小6年の栗林華子さん(当時11)を殺害。児童ら18人に重軽傷を負わせた。 川崎児童殺傷事件から2年、事件現場で多くの人が献花
 男は岩崎隆一容疑者(当時51)で、現場で自ら首を刺して自殺。容疑者死亡のまま殺人容疑などで書類送検され、不起訴処分となった。 川崎児童殺傷事件から2年、事件現場で多くの人が献花 (2021 5/28(金) 18:24配信 日刊スポーツ)
Webニュース  児童8人殺害 附属池田小学校事件 きょうで20年
 大阪 池田市の大阪教育大学附属池田小学校で8人の児童が殺害された事件から8日で20年となり、学校で追悼の集いが開かれました。
平成13年の6月8日、大阪教育大学附属池田小学校に宅間守元死刑囚が侵入し、児童8人が殺害され、児童13人と教員2人がけがをしました。
事件から20年となる8日、遺族と児童、教職員の合わせておよそ650人が出席して追悼の集いが開かれ、はじめに亡くなった8人の名前が刻まれた塔の鐘が鳴らされて全員で黙とうをささげました。(2021.06.08 下略)
Webニュース  今日は何の日:6月8日 秋葉原無差別殺傷事件が発生
 2008(平成20)年 東京・秋葉原で、トラックで突入し通行人をナイフで刺す「秋葉原無差別殺傷事件」が発生した。この日は日曜日。買い物客でにぎわう大通りに元派遣工の加藤智大(25)が2トントラックで突っ込み、通行人をはねた。加藤は車を降り、殺傷力の強い両刃のダガーナイフで次々と人を刺した。7人が死亡し10人が重軽傷を負う大惨事を起こした。加藤は逮捕され「人を殺すため秋葉原に来た。誰でもよかった」などと供述。東京地裁で死刑判決、加藤は控訴、上告したが東京高裁、最高裁で棄却され死刑が確定。(2021.06.08 下略)

仮釈放なしの終身刑と言うのは、判決後反省し、真面目に生活し、立ち直ろうとしても、あるいは反省せず出鱈目な生活をしても、どちらも何も変わらない。人間は個性があって同じ判決でも人様々、仮釈放なしの終身刑は、囚人を動物園の動物のように、飼い殺しにする制度に思える。人権とか人間性と言う言葉を使うと、判決後の生活態度の違いが反映しても良いと思う。


●最高刑==死刑・無期懲役 懲役刑の最長を20年とする 
裁判で一番厳しい刑を死刑または無期懲役。懲役刑の最長を20年とする。犯行後裁判までに、反省・立ち直りが感じられたら無期懲役。ダメなら死刑。
無期懲役の囚人が判決後20年経過したら、仮釈放の申請ができる。仮釈放が認められたら、判決後30年で刑の執行停止を申請できる。この制度で、死刑、無期懲役、30年経過して刑の執行停止、20年経過して仮釈放、など同じような犯行でもその後の態度によって量刑が変わる。死刑を廃止して代わりに仮釈放なしの終身刑というのは、人皆同じ、犯行後の態度は関係なし、との考え方だ。
人権派弁護士と自称する人にこそ、死刑存続は支持されると思う。
人間の尊厳を汚す人は死刑。命令する人も死刑。
死刑にしたい独裁者がいる

 最後まで読んで頂きありがとうございました。これからもよろしくお付き合いのほどお願い致します。 TANAKA1942b


死刑廃止でどうなる
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