太陽が追ってくる。
かたわらに座るナルトの横顔を盗み見て、吹き抜ける柔らかな風になびく金色の髪と、まぶしい朝の光が重なった。
目がくらみ、うつむけば、瞳の奥に赤い残像が広がる。
「どうした?」
「ナルトくんのコト、見ただけ。そうしたら……」
下を向いたまま、目を細めて笑い、
「一瞬、気が遠くなっちゃった」
と、ヒナタが付け加えると、
「えっ? ええっ?!」
とあからさまに、隣で彼はうろたえた。
「冗談だよ。前の私だったら、ソレも有り得たけど、今はもう、そんなコトないよ」
さらっと打ち消し、箸を動かすと、膝の上に乗った弁当の中身を口へ運ぶ。
ナルトの部屋の真上にあたる屋上で、ひなたぼっこをするように隣り合って座り、二人は朝食をとっていた。
おとといの夜から丸一日以上寝続けていた彼が、空腹に堪えかね、ヒナタが風呂を借りている間に、早朝からやっている弁当屋へ走り、買って来た弁当は、四個もある。
何が好きか分からないからと、それでも、女性が好みそうなものを見繕ってきたようで、ナルトは屋上へ彼女を誘い、晴れ渡った空の下、その中から食べたい弁当を選ばせてくれた。
鶏肉と卵のそぼろが見た目にも色鮮やかな、その弁当を食べながら、落ち着かない心を押し隠し、平静を装っているが、それはきっと、彼も同じだ。
それにしても、あまりに長い沈黙をいぶかしく思い、
「……ナルトくん?」
と横を見ると、口をへの字に曲げ、気難しい顔をするナルトがいた。
「ご、ごめんなさい。決して、からかうつもりじゃなくて……」
あたふたしながら謝ると、
「違うってばよ」
と、彼はハッとしたように、ヒナタへ振り向いた。
「なんで気付かなかったのかと、思ってさ」
足を広げ、くつろぐように座るナルトの後ろには、空となった弁当の容器がすでに三つ、重ねられていた。
「……気付かなかった? 何に?」
そう聞き返し、ヒナタも懸命に食事を終えようとしたが、叶わなかった。
「ホラ、ヒナタってば、よく気ぃ失ってただろ? オレに会うとさ」
何でもないように、
「そんぐらい、好きだったんだよなァ、オレのコト……」
といい、ぎこちなく笑う彼を見て、箸を置く。
「ペインと戦ってた最中、大好きといわれても、ピンと来なかった。だってさ、そんなのいわれたコトねーし、それまで、里の連中には、嫌われてばっかだったし……」
オレを好きだなんて、と繰り返すようにつぶやき、体の後ろで両手を突くと、ナルトは空を仰いだ。
「あん時のオレってば、大切な仲間としか、ヒナタを見てなかった。次に、ヒナタの命が危なくなった時、真っ先に駆けつけて助けるのはオレだと、心に留めとくのが精一杯だった」
あっという間に高くなる太陽の光が、徐々にヒナタの視界を、黒く塗り替えていく。
「だから……あんな風にしか、答えらんなかった。けど、対等な立場に立って、一緒に戦おうと……誰がなんといおうと、オレは認めてんだと、ヒナタには、分かって欲しかったんだ」
陽光をまともに受け続け、眩んだ瞳には、何も映らなかった。
「って、ヒナタ?! オマエ、泣いてんのかっ?」
「……違うよ」
まぶたを閉じて、目頭を指先で押さえながら、ヒナタは首を左右に振った。
「ナルトくんの後ろに太陽があるから……」
まぶしくて、と身じろぎした途端、手から離れた弁当が、膝の上を伝い、滑り落ちる。
とっさに彼女は身を乗り出し、伸ばした腕を、ナルトに強く、つかまれた。
「ヒナタ、オレの目を見ろ」
からんと箸の転がる音を聞きながら、薄くまぶたを開けると、鼻の先が触れそうなほど、すぐ近くに彼の顔があった。
「オマエはもう、オレにとって、タダの同期の仲間じゃねェ」
目の前はちらつき、焦点も合わないままだ。
けれども、まるで頭上の空のように青く、澄んだ瞳に、思わず引き込まれる。
(そう……あれが、ナルトくんの答えだった)
――目を見りゃ、わかる。
変化して味方になりすます、敵の攻撃を受けた戦場で、間一髪のところ、ナルトの影分身に救われたが、それを恥じたヒナタへ、彼はいったのだった。
――いちいち落ち込むな! オマエは強えーんだから!!
彼の励ましが、いつだって暗い心に光を届け、進むべき道を指し示す。
太陽がナルトを追ってくるのではなく、彼自身が太陽そのものなのだ。
――アイツにとっては、自分を心から認めてくれる人こそ、一番大事な、守るべき存在なんだ。
イルカの言葉が脳裏に蘇る中、青い瞳に映る自分を、まじまじと見返した。
(そうだとして、私は……)
長い髪は、夜の漆黒に似て、重苦しく、白眼を宿した目は、ぼんやりと浮かぶ月のように淡く、弱々しい。
(……アナタを映す、鏡にはなれない)
ナルトを通して向かい合う自分の顔が、ぼんやりと歪み、滲んだ。
「私は……ナルトくんを守れない」
「え?」
意表を突かれたのか、ナルトは手首を握る、指の力を緩めた。
守れないの、と繰り返し、
「そんな力、私には無い……」
と小声で告げるヒナタから離れ、二人の間に散らばる、食べ終えることのなかった、弁当の残りへと、視線を落とす。
そして突然、右手を突き出した。
「……力って、こーゆーのか?」
バラバラと散らかっていた飯粒やおかずが宙へ浮くのに合わせ、ナルトは空の容器を拾い上げると、顔の前へ掲げてみせる。
すると、空中を漂うゴミは、流れるように移動を始め、彼が持つ容器の中へ、あっという間に収まってしまった。
「コレは忍術なんかじゃねェ」
空の弁当箱を手早くまとめて、脇へ押しやり、ナルトは片膝を立てた。
「導かれるコトのなかった力だ」
「……ひょっとして、尾獣のこと?」
おずおずと切り出すヒナタへ、彼は深くうなずいてみせると、目を伏せ、下唇を噛む。
「導かれることのなかった力って……どういう意味なの?」
「……」
ナルトの無言をよそに、遠くで人の声がした。
風が通り抜け、街の様々な匂いを運んでくる。
ごく当たり前の日常が、あちこちで何でもないように、始まっていた。
あと少ししたら、ヒナタも彼を連れて、火影の屋敷へ行かねばならない。
しかし、彼女は身動きひとつしないまま、答えを待ち続けた。
「……怖かった」
やがて、ぽつりとナルトの口から、声が漏れた。
「一人になんのが、たまらなく怖かったんだ」
「ナルトくん……」
「大蛇丸も、カブトも、マダラも、暁のヤツらも……そして、自分を誰でもいいなんていったアイツだって、自分を認めてくんねー世界に力尽くで挑もうとして、道を誤っちまった。みんな、オレよりも年上で、経験もイッパイある、立派な忍だったハズなのに……」
温暖な木ノ葉の里らしい朝の中にいて、まるで寒さから逃れるように、ナルトは白いTシャツの袖からのぞく腕を、手の平でさする。
「きっと孤独が……人は支えを失うと、力を欲しがるんだ。そうして、力にすがるあまり、アイツ等を傷付ける」
そのまま自らの体を抱え、立てた右膝に顔を伏せた彼が、
「そうでなくても長い間、オレ達、忍は……」
と、声を震わせ、ヒナタは膝の上にある両手を、ギュッと握り締めた。
「六道仙人から名前をもらって、正しく導かれんのを、ずっと待ってたアイツ等を、ただの力としか見てこなかった。アイツ等の意志を無視して、従えようとしたばかりか、アイツ等の心を憎しみや怒りでイッパイにしちまったんだ……」
「……ナルトくんと、似ているね」
ふと上目遣いにヒナタをうかがう彼の表情が、険しくなる。
とっさに彼女はうつむき、
「ち、違うの。ただ、ナルトくんのいう”アイツ等“って、尾獣のことなんだな、と思って……」
と、しどろもどろにいい足した。
「ナルトくんも、九尾の妖狐を内に持っているというだけで、里の人達からひどい差別を受けたから、尾獣達の気持ちが、痛いほどわかるんだと思うの……」
だとしたら、とナルトと目を合わせられないまま、それでも勇気を振り絞り、打ち明けた。
「怖いのは、尾獣である彼らを、ただの力としか思えなくなって、恐ろしく感じてしまう心にあるんじゃないのかな」
「ヒナタ……」
彼に名を呼ばれ、思わず両目を閉じる。
「もちろん、仮面の男やうちはマダラと、ナルトくんはまったく違う。怒りや憎しみを乗り越えて、きちんと、彼らと分かり合えたんだもの」
向けられるナルトの視線が、たまらなく痛かった。
「でも、ナルトくんは誰よりも優しいから、耐えられないんだと思う。世界を圧倒できる、大きな力を独り占めできる一方、どうすれば、彼らを導けるのか……」
そんな彼を前にして、怖じ気付く自分が、恥ずかしくなる。
「一人になるのが怖いのは、当たり前だよ。自分が進むべき、正しい道を選ぶことさえ難しいのに、自分以外の誰かを導いて、救い出そうとするなんて…」
ナルトくんは六道仙人じゃないもの、と告げて、深呼吸をし、両目を開けた。
「人間なんだから、迷っていいよ。そして、道を誤ったら、戻ればいい。戻ってまた、やり直せばいい」
顔を上げ、食い入るように自分を見つめる彼から目を逸らすことなく、笑ってみせる。
「ナルトくんなら、大丈夫。きっと、答えを見つけられる」
束の間、幸せな夢に、ヒナタは思いを馳せた。
(そう。たとえ間違いであっても、かまわない)
窓の外側に広がっていた、薄紫色に染まる空。
朝日を通して白みがかる、窓際に並べられた観葉植物の、美しい緑。
光を反射する床板と、そこにくっきりと重なり、伸びる、二つの黒い影。
(初めての相手が、アナタで良かった。だって、私は……)
彼に抱えられ、運ばれた、薄暗い寝室。
横たえられたシーツの、ひんやりとした感触を打ち消す、熱い肌。
体を貫く鋭い痛みと、とろけるような心地良さ。
(ずっと、ずっと……小さな頃から、きっと、この世を去る、その時まで……)
そっと前髪の下に指を滑り込ませ、ヒナタは額に刻まれた、印を触った。
普段はおしろいを塗り込め、隠しているが、ナルトに触れられ、その後、風呂に入ったのちは、露わとなっている。
「残酷な現実だってあるけど……」
と、自らへいい聞かすように、額から手を離し、声を強めた。
「きっと前へ、進めるよ」