 
二十歳の原点(昭和44年)
高野悦子「二十歳の原点」案内 › 1969年6月 › 
  1969年 6月12日(木)
   雨
   久しぶりの雨。
   京都:大雨・最高23.0℃最低15.3℃。朝から深夜まで雨が続いた。
  
  
 集会とデモにやじ馬的に参加し、
  ☞1969年6月9日「アスパック粉砕京都統一行動」
  
  
 近頃バリケード(京大)にも行く回数が少なくなり 
   京都大学教養部(京大Cバリ)☞1969年5月24日②
  
  
 立命闘争の総括
   安保闘争(六〇年)の概括
  ☞1969年6月14日「立命館闘争勝利報告集会」
  ☞1969年6月15日「一九六〇・六・一五」
  
  
 今日お風呂に入っていたときのこと。
  八千代湯
   お風呂(銭湯)は、京都市中京区七本松通丸太町下ル二筋目西入ルにあった公衆浴場、八千代湯である。
  

   建物は現存せず、現在は住宅になっている。
  

  ☞1969年4月15日「彼ののせた手の感覚はお風呂に入るまでつづいた」
  
  
 四・二八闘争のとき、私は何よりも自由を大切にする人間として、現在の政治を動かしている支配階級への反逆としてたたかった。(沖縄県の人民と連帯として)
   四・二八 御堂筋デモ☞1969年4月29日
  
  
6・12メモ
   汝 若き革命の戦士たらんと欲するもの
  
   アナーキズム マルクシズム
   
   広い意味でアナーキズムを捉えれば、マルクシズムもアナーキズムである。
   アナーキズムとは人間の自由と平等を何よりもその信条とするものであると思う。
   現代に生きるものとしていかに生きるべきかを考えたとき、今まずやらねばならないことは、〝現代社会〟それをとりまく状況がどのようなものであり、主体としての自己の現在の闘争の方向がどこにあるのかということである。
  
   (学習の方向をアナーキズムに見出すかマルキシズムに見出すかについて考えているうちに、だんだんいろんなことがでてきた)
  
   1969年6月12日付メモの記述である。
   「アナキズムはふつう、社会主義の一分派として、社会民主主義やマルクス・レーニン主義、キリスト教社会主義などとならんで分類されていることが多い。しかし、これは正しい分類の仕方ではない。なぜなら、アナキズムは社会主義という概念に内包されるものでなく、社会主義と密接に結びついているが、そこからはみでる部分もまた、アナキズムのなかには見出されるからである」
   「ぼくは、ここでアナキズムをもっとも広い意味に理解しておきたい。それはいわばヒューマニズムとかデモクラシーのように、はっきりとした理論体系をもってはいないが、それらの理論の目指す方向とそれらの理論を組立てる方法とを提供する、理論の母体のようなものと理解されよう」
(大沢正道『アナキズムとはなにか』「アナキズム思想史─自由と反抗の歩み」増補改訂版(現代思潮社、1966年))。
   「多くの人はアナキズムをマルクス主義の対立概念として割り切って考えているようだが、実はマルクス主義は、本来近代的な自由主義、個人主義の発展なのであって、アナキズムから多くの栄養分を吸収しつつ生まれ、そしてそのヴィジョンにおいては、国家を否定し徹底した自由を追求するアナキズムの一変種なのである」
(白井厚『訳者序言』ジョージ・ウドコック著白井厚訳「アナキズムⅠ(思想編)」(紀伊国屋書店、1968年))。
  ☞1969年3月15日「「アナーキズムⅠ」を買ってきた」
  ☞1969年6月21日「その何とかいうやつに「アナーキズム思想史」をおくるのに」