高野悦子「二十歳の原点」案内 › 1969年5月 ›
1969年 5月12日(月)①
昨日は国際ホテル労組のストライキでした。
京都国際ホテル労働組合はこの年の春闘が長期におよび、計8回のストライキを行っている。
☞1969年4月18日
職場反戦の小山田君とサテンで「闘い」について話しました。洛西の地区反戦のこと、組合活動のことなど。
職場反戦☞1969年5月3日「京都国際ホテルに職場反戦があるのを告げた」
小山田君は、京都国際ホテルの従業員(機械担当)。後に京都国際ホテル労働組合で書記長も務めた。
☞1969年5月26日「小山田さんと飲みにゆく」
サテンはとくに学生の俗語で喫茶店のことを略していう。
小山田君と「闘い」について話した喫茶店は、プレインである。
プレイン
プレインは、京都市上京区釜座通丸太町上ルの都文化ビルディング2階にあった喫茶店。
建物は現存せず、新しいビルになっている。喫茶店を営業していた女性は「かつて若い姉妹でやっていた店を1978年に店名をそのままで引き継いだ」と話している。
地区反戦(または地域反戦)は、反戦青年委員会のうち、各地域による組織である。
そのあと下宿に帰る気がしないので恒心館に行きました。
プレインを出てから、小山田君と近くでラーメンを食べて別れた後、恒心館に行った。
清心館封鎖をめぐっての主に畠山さんと前川さんのやりとりをききました。
畠山さんと前川さんは文学部学生で文闘委にいたとみられる。
清心館☞1969年5月19日
十時ごろ下宿に帰り朝食をとってから病院にいきました。
丸太町病院
行った可能性がある病院として、京都市中京区七本松通丸太町下ルの丸太町病院(現・洛和会丸太町病院)が挙げられる。
当時は開院して間もない時期で、白いビルが周辺から目立っていた。
「無人列島」という映画をみました。
無人列島
「無人列島」(1969年)は、金井勝(1936-)監督の日本映画。いわゆる前衛映画にあたる。
独立系プロダクションのかない・ぷろだくしょん(現・かない勝丸プロダクション)製作・配給で、1969年4月25日東京封切りの劇場公開と自主上映が行われた。
京都では1969年5月9日から立体ギャラリー射手座で公開された。
☞
映画「無人列島」金井勝監督が語る
立体ギャラリー射手座
高野悦子が映画「無人列島」を見た立体ギャラリー射手座は、京都市中京区三条通木屋町東入ルのフジタビル地下にあった前衛芸術のギャラリーである。
1969年に開廊、前衛映画の上映や前衛的なライブパフォーマンスなどを行っていた。2011年に閉廊した。
「ろくよう」でトーストを食べ、吉郎君の詩をペラペラ読んで、
「ろくよう」は、日記の記述は「六曜社」。上図通り、立体ギャラリー射手座から近くである。
ろくよう(六曜社)☞1969年4月15日
吉郎君の詩は、「石原吉郎詩集」のことである。
☞1969年5月7日「定価一〇〇〇円也の彼の詩集を)」
バイトの時間になったので自転車でホテルへ行きました。
〝寂しかったから口づけしたの〟じゅんちゃんはうたう
なかにし礼作詞・三木たかし作曲で、
黛ジュンの歌「不思議な太陽」の歌詞からの引用である。
同曲シングルは、東芝音楽工業(現・EMIミュージック・ジャパン)で1969年2月21日発売され、売上18.4万枚、オリコン最高12位。
黛ジュン(1948-)は、ミニスカート姿と力強い歌声で特に1960年代後半に人気を集めた女性歌手。代表曲は「天使の誘惑」、兄は作曲家の故・三木たかし。