シアンクレールは、京都市上京区河原町通荒神口角にあったジャズ喫茶「しあんくれーる」(写真上)のことである。写真上は1984年撮影で建物は現存しない。
※正確な店名表記はひらがなで「あ」が小さい「しぁんくれーる」だが、本ホームページでは便宜上、日記の記述および当時の店のネオンサイン(写真右下)と同じカタカナで統一する。
店名の由来について、オーナーの星野玲子は「「しぁんくれーる」とはフランス語で「明るい田舎」という意味で、その頃の河原町荒神口はひなびた感じで、喫茶店をやるような感じの所ではなかったんですよ。今でこそ周辺部も随分と開けましたけど…。それと、「思案に暮れる」というのが偶然に…。別に思案にくれるという意味で付けたわけではないんですよ」(星野玲子『「しぁんくれーる」…私の人生そのもの』「jazz1975年8月号」(ジャズピープル社、1975年))と説明している。
星野玲子は、マイルス・デイヴィス、ソニー・ロリンズ、アート・ブレイキー、ルイ・アームストロング、セロニアス・モンクといったアメリカの大物ジャズ・ミュージシャンと親交があり、来日して関西に来た際のアテンドをしていた。また彼らも来たら店に立ち寄っていた。とりわけマイルス・デイヴィス、ソニー・ロリンズと親しかった。
星野玲子は自分について「私の生活信条はね、ころんだっていいんですよ。長い人生、この人生険しいんですから。でも、その時は泣けるし、痛いですよね。でも、ゴールまで全力で走る。小意気な生き方は出来ないんです。いらぬスキャンダル、噂を立てられたり…。
恰好いい生き方は私には出来ないんです。まあ、私も女ですから、男性関係の失敗もよくあったし、仕事の上でももうイヤだと思った時も幾度もありました。泣きながらでも立ち上がって生き続けるべきだと…。だから器用に傷つかないで生きて行こうと思ったことはないんです」(星野玲子『「しぁんくれーる」…私の人生そのもの』「jazz1975年8月号」(ジャズピープル社、1975年))と話している。
シアンクレールは、1956年4月オープンの京都で草分けのジャズ喫茶であり、1階ではBGMとしてクラシック、2階では本格的にモダンジャズをレコードで演奏した。
とくに毎月第3日曜日正午から開く久保田高司解説によるレコードコンサートが知られた。
高野悦子は、1階では荒神口通に面した窓側(写真上の右下)に座ることが多かった。
☞立命館大学探検部OB「私が会った高野悦子」
2階について「店はあまり広くはないが、なかなかインテリアにもこったやや古めかしいサルーン。ちょっと珍しいランプのほややガラス器や、六角時計や蓄音器などのアンティックが所せましと、しかしよく考えて置かれ、若い男女や教師やサラリーマンや客多勢。本を読んだり、居ねむりしたり、コーヒーをのんだり様々」(西条和尚『ジャズ喫茶行脚─京都「シャンクレール」』「スイングジャーナル1974年4月号」(スイングジャーナル社、1974年))。
本ホームページ編集人は1984年、当時営業中の2階に入ったことがある。そこは窓が完全に目張りされた簡素な造作でライトが照らされ、建物の外からはイメージできない音響が大型スピーカーから流れた。
ただ、その時の率直な印象は「思ったより狭いな。こんな所で何時間も粘れるのかな」ということだった。編集人は、クラシックが流れる小さな名曲喫茶でよく長時間粘った経験があったが、そこでももっと広かったからである。
今回改めてシアンクレールの跡を見て、やはりその狭さを実感した次第である。
モダンジャズは当時まさに現在進行形だったため、ジャズ喫茶は海外の新譜を紹介することに注力し、リクエストが新譜に集中する傾向があった。
シアンクレールは、店が独自のルートを持ち、直輸入の新譜をいち早く手に入れたため人気があった。
地元の人の話によると、高野悦子より前の時期になるが、歌手の沢田研二(1948-)も、近くにある京都府立鴨沂高等学校の生徒時代に、シアンクレールによく顔を出したという。
シアンクレールで1969年春にリクエストが多かったアルバムは、いずれもサキソフォン奏者のスティーヴ・マーカス(米、1939-2005)“Count's Rock Band”(1969年、ボルテックス・レコード)とジョン・コルトレーン(米、1926-1967)「マイ・フェイヴァリット・シングス」(My Favorite Things)(1961年、アトランティック・レコード)だった(『有名ジャズ喫茶リクエスト・トップ2』「スイングジャーナル1969年5月号」(スイングジャーナル社、1969年)参考)。
☞1969年6月21日「ステーヴ・マーカスの何とかいうのをリクエストしたのだが」」
また、シアンクレールが当時、新譜としていち早く紹介したアルバムとして、アメリカのオーネット・コールマン(米、1930-)“New York Is Now”(1968年、BlueNote)とソニー・クリス(米、1927-1977)“Up, Up and Away”(1967年、Prestige)(『ご自慢LP表』「スイングジャーナル1969年3月号」(スイングジャーナル社、1969年))。西ドイツ(現・ドイツ)のウォルフガング・ダウナー(西ドイツ、1935-)“Free Action”(1967年、MPS)と、グンター・ハンペル(西ドイツ、1937-)“Heartplants”(1964年、MPS)(『ジャズ喫茶告知板』「スイングジャーナル1969年6月号」(スイングジャーナル社、1969年))などを挙げている(なお本項全体について「ジュズ批評13号」(ジャズ批評社、1972年)参考)。
高野悦子の日記中で訪れた他のジャズ喫茶は以下の通り。
ダウンビート三条店☞1969年5月26日①
リザ☞1969年6月21日