二十歳の原点ノート(昭和37年)
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西那須野で1962年
中学2年生の時の作品
高野悦子は「二十歳の原点ノート」にある1963年から日記を書き残しているが、それ以前の文章等はこれまで知られることはなかった。
ここでは1962年、高野悦子が西那須野町立西那須野中学校2年生当時に学級新聞「二・三タイムズ」(西那須野中学校2年3組、1962年)に掲載された作品を紹介する。学級新聞は謄写版(いわゆるガリ版)で印刷されている。原紙を切ったのは別の生徒で、作品の筆跡は高野悦子本人のものではない。いずれの作品も紙面上では各コーナーの最初に割り付けられている。
○ 詩
花
ごみばこの上に質素なかびん
その中に初夏の花
ポンポンダリア あやめ
茶色のあきびん
だいだい 白 赤 むらさきの花
どこからともなくふく風に
ゆらゆらゆれている
(「二・三タイムズ第1号」(1962年7月))
○ 読書感想文
「高瀬舟」を読んで
私は高瀬舟を読んで考えたことは、高瀬舟縁起に作者が書いてあるように、「財産というものの観念について」です。そして、あとひとつは、「今、死にかかっている人が死なれないでいるのを死なせたが、人殺しなのか」ということです。
まず始めに、「財産というものの観念について」です。
この男、喜助は、一般に思われている罪をおかして牢にはいったことと、島に二百文を持って流されることを喜んでいる。なぜかというと、喜助は今まで住んでいた京都の町の生活─働いてもすぐなくなるお金、そして借金、財産というものは何もないこんな生活と、時間がくれば働かなくても食事ができる牢の生活─島流しになる時にもらった二百文(私は二百文というお金の値を知らないが、話のようすからでは少額のよう)、喜助は「このような大金は、持ったことがない」と言っている。こんな喜助の生活を二通りで比較すればだれでも喜助と同じ気持ちになると思います。
しかし、そのころの大きな店のある人がその牢にはいり、二百文のお金をもらって島流しになったとしたらどうでしょう。きっとイヤでイヤでイヤだと思います。しかし、喜助の京都での生活を考えると、まだまだ良い方だと思うでしょう。
つまり自分の位置を考え、上の方ばかりみないで下の方もみることが大切だと思います。つまり、よくばらないで今の自分で満足するということです。
次に「死にかかっていて死なれない人がいてその人を死なせては人殺しなのか」ということです。
ズバリいうと私は人殺しではないと思います。カミソリの刃をさしたまま、血みどろになっている人がいる。その人は苦しくてしようがない。「その刃を取ってくれ。殺してくれ」、わめき叫ぶ。私がその場面にいたとしたら「かわいそうだ」と思う。そしてそのかわいそうだと思う心が、早く苦しみから救ってやろう、死なせてやろう、というふうに思うだろう。しかし私はおそろしくて、カミソリの刃でできない。しかし喜助はその苦しみから救ったのです。私からみれば「偉いなあ」と思います。
高瀬舟縁起に、「道徳は苦しませておけと命じているが医学社会には、これを非とする」と書いてあるが、私は、喜助の場合は、「医学社会にはこれを非とする」を指示する。しかし、後のいろいろな場合はわからない。
私はこれらのことをよみ、読書というものはおもしろい。そしてためになる。これからもたくさんの読書をしていきたいと思いました。
(「二・三タイムズ第2号」(1962年11月))
※若干の表記の手直しを行った。
森鴎外『高瀬舟』荒正人編「森鴎外名作集─少年少女日本文学選集2」
(あかね書房、1955年)。「高瀬舟」(たかせぶね)は森鴎外
(1862-1922)の短編小説。財産の有無と欲望、安楽死を主題としている。「高瀬舟縁起」は「高瀬舟」と同時に発表した自作解説である。
○ 俳句
鈴虫の 音きけば思う 水およぎ
(「二・三タイムズ第2号」(1962年11月))
町立西那須野中学校☞西那須野で1963年①
1962年度の西那須野中学校2年生の主な行事は12月末まで以下の通り
(『昭和37年度行事』「桑の実16号」(西那須野中学校生徒会、1963年)参考)。
・ 4月 9日(月) 始業式
・ 5月 1日(火)
2年生遠足(日光)
遠足は5月1日(火)朝、2年生6クラスが各クラスずつバス計6台に分乗して出発。ガイドの説明を聞きながら、いろは坂(現・第一いろは坂)、華厳の滝、中禅寺・立木観音、明智平・日光ケーブルカー、日光東照宮・陽明門などを見学した。
第二いろは坂は1965年開通で当時まだなく、一方で日光ケーブルカーは1970年に廃止されている。
・ 5月17日(木) 校内陸上競技会
・ 5月28日(月) ~一斉テスト
・ 7月 5日(木) ~一斉テスト
・ 7月20日(金) 終業式
・ 7月31日(火) 2年生召集日
・ 8月10日(金)
全校召集日(大営火)
大営火は夏休み中の8月10日(金)夜に全校生徒が集まり、西那須野中学校の校庭で約2時間にわたって行われた。キャンプファイヤーが赤々と燃えて夜空に火の粉が飛び散って消えていく周囲で、歌や寸劇、踊りなどが繰り広げられた。全校生徒参加による「佐渡おけさ」が行われ、最後に校長が夏休みの過ごし方を話したあと、1分間の黙とうをささげた(『大営火』「西中生徒新聞昭和37年9月20日」(西那須野中学校生徒会、1962年)参考)。
・ 9月 1日(土) 始業式
・ 9月12日(水) 校内水泳大会
・ 9月16日(日) 校内陸上競技会
・10月 4日(木) 秋季大運動会
・10月 6日(土) 校内英語暗誦大会
・10月20日(土) ~一斉テスト
・12月25日(火) 大掃除
・12月26日(水) 終業式
高野悦子は年間を通して、2年3組の学級会副会長(いわゆる学級副委員長)を務めている。
☞
“初恋の人”中学校同級生・杉本君①「今でも覚えているあの場面」