自分で勝手に建立した寺院に「日蓮正宗」を僭称する正信会僧侶たち


@ ayapanayapan1810さん

正信会が独自に建てた寺院が日蓮正宗○○寺と名乗るのはおかしくありませんかね。
正信会○○寺なら分かるのですが

たかぼんより

おかしいですね。
彼らはすでに日蓮正宗第67世法主日顕上人の法主としての地位を否定して日蓮正宗から破門された輩です。
正信会で建立した各拠点は、日蓮正宗とは全く無縁のものであります。
このことは、それぞれの拠点の名称が、日蓮正宗とは無関係に、各建立主らによって勝手に命名されている事実からも明らかであります。
かつて日達上人は、「日蓮正宗の教義が、一閻浮提に布衍していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります」(大日蓮・昭和四九年八月号二〇頁)
と明確に御指南されています。
いくら拠点を建てようと、日蓮正宗から離れた自称正信会の活動は、広宣流布とは全く無縁であり、むしろ謗法の害毒をまき散らしているに過ぎません。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1429545759


A ayapanayapan1810さん

三原市 日蓮正宗とYahoo!で検索すると日蓮正宗妙香院と出てきますがウィキペディアの日蓮正宗寺院一覧には名前がありません。
何か理由があるのでしょうか?

たかぼんより

三原市にある正当な日蓮正宗寺院は三原市宗郷1丁目2番33号にある真蓮山開妙寺のみでございます。
妙香院なる寺院は日蓮正宗の末寺ではありません。
妙香院は辛嶋温道なる僧侶が 昭和56年5月24日に「三原布教所」として開所したもので、辛嶋温道は在勤していた寺院を飛び出して正信会としての独自の行動として布教所を起こしました。従ってこの「三原布教所」は富士年表には載っていません。
主に善照寺の信徒の内、正信会に付いた者どもが所属したようです。

辛嶋温道はその後昭和57年9月27日に日蓮正宗第67世法主日顕上人の法主としての地位を否定したために日蓮正宗の宗制宗規に違背したため破門に処された人物であり日蓮正宗の僧侶ではありません。
http://skybiue.gooside.com/gappo/shinjithu-2/syousinkai/jikeiretu/570927-in-766.htm

そして昭和60年に現在地に移転して妙香院と改称されましたが命名も日蓮正宗とは無縁のものです。
従って妙香院は日蓮正宗とは何の関係もない寺院であり日蓮正宗を僭称するなどとんでもないことです。
編集日時:2009/8/20 11:10:19回答日時:2009/8/20 11:09:31

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1129639931


知恵ノート:正信会の建立したニセ日蓮正宗寺院に負けるな!


@ 広島県三原市開妙寺


三原市 日蓮正宗で検索したらどんな結果になるか確認して下さい。

エセ日蓮正宗寺院である、妙香院なる寺院がトップにランクされ、開妙寺など全然ヒットいたしません。

エセ日蓮正宗寺院妙香院の登記簿
http://www7b.biglobe.ne.jp/~takabon8160/nise-nitirenshoushuujiinitiran-myoukouin.html

@ 妙香院はあくまで「単立寺院」であり、日蓮正宗寺院ではないということです。
A 妙香院は包括法人宗教法人正信会が発足してもその傘下には入っておらず単立寺院のままです。(平成23年11月25日現在)

三原市にある正当な日蓮正宗寺院は三原市宗郷1丁目2番33号にある真蓮山開妙寺のみです。

妙香院なる寺院は日蓮正宗の末寺ではありません。

妙香院は辛嶋温道なる僧侶が 昭和56年5月24日に「三原布教所」として開所したもので、辛嶋温道は在勤していた善照寺を飛び出して正信会としての独自の行動として布教所を起こしました。従ってこの「三原布教所」は富士年表には載っていません。
主に善照寺の信徒の内、正信会に付いた者どもが所属したようです。

辛嶋温道はその後昭和57年9月27日に日蓮正宗第67世法主日顕上人の法主としての地位を否定したために日蓮正宗の宗制宗規に違背したため破門に処された人物であり日蓮正宗の僧侶ではありません。
そして昭和60年に現在地に移転して妙香院と改称されましたが命名も日蓮正宗とは無縁のものです。

従って妙香院は日蓮正宗とは何の関係もない寺院であり、日蓮正宗を僭称するなどとんでもないことです。

開妙寺の御住職様に直撃したところ、「これはまずいな」というお言葉を賜りました。
開妙寺法華講の皆さん、頑張ってまいりましょう。

正信会を折伏しぬき、撲滅される日まで。


開妙寺初代住職末房宰道師にあらせられましては、平成30年(2018年)11月7日に御逝去されました。
末房師の御冥福を心よりお祈り申し上げます。


B ayapanayapan1810さん

福山市には日蓮正宗三寶院というお寺があるのですがウィキペディアには載っていません。
正信会なのでしょうがどういう経緯でできたか教えて下さい。

たかぼんより

福山市にある日蓮正宗寺院は福山市北吉津町3丁目2番28号にある蓮光山正教寺だけです。
三寶院なる寺院は日蓮正宗の末寺ではありません。
三寶院は廣田頼道なる正教寺の在勤僧侶が昭和56年9月1日に飛び出して「福山布教所」として開設したもので、廣田頼道が正信会としての独自の行動として布教所を起こしました。従ってこの「福山布教所」は富士年表には載っていません。
主に正教寺の信徒の内、正信会に付いた者どもが所属したようです。
廣田頼道はその後昭和57年9月27日に日蓮正宗第67世法主日顕上人の法主としての地位を否定したために日蓮正宗の宗制宗規に違背したため破門に処された人物であり日蓮正宗の僧侶ではありません。
http://skybiue.gooside.com/gappo/shinjithu-2/syousinkai/jikeiretu/570927-in-766.htm

福山布教所はその後三寶院と改称されましたが命名も日蓮正宗とは無縁のものです。
従って三寶院は日蓮正宗とは何の関係もない寺院であり日蓮正宗を僭称するなどとんでもないことです。
回答日時:2009/8/22 07:05:36
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1129703656


C ayapanayapan1810さん

福山市の正信会寺院三寶院のホームページです
http://1st.geocities.jp/kjsy4a/(邪宗にはリンクはいたしません)
住職の廣田師は寺の周りに日蓮正宗のスローガンを並べるなど過激なところはありますが日蓮正宗の僧侶と違いはないように思うのですがどこが違うというのでしょう?

法華講員fs2784さん

この住職さんは「世雄偈」を読誦したいようですね。
日蓮正宗の中で、は現在、聞くことはありませんし、
正信会の中でも、他にはあまりいないんじゃあないでしょうか?

日蓮正宗の信仰の中では
どこかで「戒壇の大御本尊への参詣」の大事が説かれていると思いますし、
正信会活動を始めたあと、自分たちが処分されるまで、は、
この住職さんも「戒壇の大御本尊への参詣」の大事を説いていたんだと思うんですけど、
正信会を始め、創価学会や顕正会でも、それを見ることはできません。

「阿部日顕氏を否定し」始めたのも、日顕上人が御当座されて数年経って、
処分されたあと、でしたよね。

回答日時:2009/8/30 05:33:34

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1429991709


A 広島県福山市 正教寺


福山市 日蓮正宗で検索した場合

ニセ日蓮正宗寺院である三寶院なる寺院の方が本物の日蓮正宗寺院正教寺よりも、多くヒットしているのが実情です。

ニセ日蓮正宗寺院三寶院の登記簿
http://www7b.biglobe.ne.jp/~takabon8160/nise-nitirenshoushuujiinitiran-sanpouin.html

@ 三寶院はあくまで「単立寺院」であり、日蓮正宗寺院ではないということです。
A 三寶院は包括法人宗教法人正信会が発足してもその傘下には入っておらず単立寺院のままです。(平成23年11月25日現在)

福山市にある日蓮正宗寺院は福山市北吉津町3丁目2番28号にある蓮光山正教寺だけです。

三寶院なる寺院は日蓮正宗の末寺ではありません。

三寶院は廣田頼道なる正教寺の在勤僧侶が昭和56年9月1日に正教寺を飛び出して「福山布教所」として開設したもので、廣田頼道が正信会としての独自の行動として布教所を起こしました。従ってこの「福山布教所」は富士年表には載っていません。
主に正教寺の信徒の内、正信会に付いた者どもが所属したようです。

廣田頼道はその後昭和57年9月27日に日蓮正宗第67世法主日顕上人の法主としての地位を否定したために、日蓮正宗の宗制宗規に違背したため破門に処された人物であり、日蓮正宗の僧侶ではありません。
福山布教所はその後三寶院と改称されましたが命名も日蓮正宗とは無縁のものです。
従って三寶院は日蓮正宗とは何の関係もない寺院であり日蓮正宗を僭称するなどとんでもないことです。


 廣田頼道さんは知恵袋で活躍中


http://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/u6r80uk9


 法華講員fs2784さんより


この住職さんは「世雄偈」を読誦したいようですね。
日蓮正宗の中で、は現在、聞くことはありませんし、
正信会の中でも、他にはあまりいないんじゃあないでしょうか?
日蓮正宗の信仰の中ではどこかで「戒壇の大御本尊への参詣」の大事が説かれていると思いますし、
正信会活動を始めたあと、自分たちが処分されるまではこの住職さんも「戒壇の大御本尊への参詣」の大事を説いていたんだと思うんですけど、
正信会を始め、創価学会や顕正会でも、それを見ることはできません。
「阿部日顕氏を否定し」始めたのも、日顕上人が御当座されて数年経って、処分されたあと、でしたよね。
回答日時:2009/8/30 05:33:34
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1429991709

D ayapanayapan1810さん

韓国の正信会寺院に「大韓寺」ってありますけれど
韓国人の正信会の坊さんもいるということなのでしょうか?
それにしてもこういう寺院のネーミングは日蓮正宗では付けないと思うのですが、
これは日蓮正宗ではなく正信会独自で建てたのですね。

たかぼんより
この寺院は正信会が勝手に建てた寺院であり日蓮正宗とは何の関係もありません。
日達上人なら「大韓山」と山号を付けることは考えられますがさすがに寺号は仏法用語から名付けています。
住職の岡本領道こと韓国名姜好美氏は昭和58年8月12日に第67世法主日顕上人の法主としての地位を否定して日蓮正宗の宗制宗規に違背したため破門された人物です。

http://skybiue.gooside.com/gappo/shinjithu-2/syousinkai/jikeiretu/5809-922.html

かつて姜好美氏の師匠である日達上人は、「日蓮正宗の教義が、一閻浮提に布衍していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります」
と明確に御指南されています。
いくら拠点を建てようと、日蓮正宗から離れた自称正信会の活動は、広宣流布とは全く無縁であり、むしろ謗法の害毒をまき散らしているに過ぎません。
それはそれぞれの拠点の名称が、日蓮正宗とは無関係に、各建立主らによって勝手に命名されている事実からも明らかであります。
韓国においては韓国人の御僧侶である曹雄理御尊師のおられるソウル布教所が正統な日蓮正宗寺院です。
編集日時:2009/7/19 16:46:22 回答日時:2009/7/19 16:43:36

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1128453821


E  ayapanayapan1810さん

旭川 日蓮正宗と検索すると日蓮正宗正信会妙道院がトップでヒットしますが旭川の日蓮正宗寺院大法寺は元気がないのでしょうか?

たかぼんより
旭川市における唯一の正統な日蓮正宗寺院である大法寺は大日蓮出版・妙教平成21年11月号(本文は22年3月とあるが誤り)で杉広哲御尊師の下、500世帯を超える寺院として紹介されています。
さて妙道院なる寺院は日蓮正宗の末寺ではありません。
妙道院は日蓮正宗を昭和57年9月27日に第67世日顕上人の法主としての地位を否定して破門に処された永山有道なる僧侶が 昭和58年8月2日に「旭川布教所」として開所したもので、破門された者が開設した布教所なのですから当然「旭川布教所」は富士年表には載っていません。
主に大法寺の元所属信徒の内、正信会に付いた者どもが所属したようです。
その後妙道院と改称されましたが命名も日蓮正宗とは無縁のものです。
従って妙道院は日蓮正宗とは何の関係もない寺院であり日蓮正宗を僭称するなどとんでもないことです。
回答日時:2010/5/22 08:27:04

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1241101782


B 北海道旭川市 大法寺


旭川市 日蓮正宗で検索した場合

ニセ日蓮正宗寺院である妙道院なる寺院の方が本物の日蓮正宗寺院大法寺よりも、多くヒットしているのが実情です。

ニセ日蓮正宗寺院妙道院の登記簿
http://www7b.biglobe.ne.jp/~takabon8160/nise-nitirenshoushuujiinitiran-myoudouin.html

@ 妙道院はあくまで「単立寺院」であり、日蓮正宗寺院ではないということです。
A 妙道院は包括法人宗教法人正信会が発足してもその傘下には入っておらず単立寺院のままです。(平成23年11月24日現在)

旭川市における唯一の正統な日蓮正宗寺院である大法寺です。

妙道院なる寺院は日蓮正宗の末寺ではありません。


妙道院は永山有道なる僧侶が、 昭和58年(1983年)8月2日に「旭川布教所」として開所したものです。
永山有道は釧路市の興徳寺に在勤していましたが、昭和57年(1982年)9月27日に第67世日顕上人の法主としての地位を否定して日蓮正宗より破門に処されました。
破門された者が開設した布教所なのですから、当然「旭川布教所」は富士年表には載っていません。
主に大法寺の信徒の内、正信会に付いた者どもが所属したようです。
その後妙道院と改称されましたが命名も日蓮正宗とは無縁のものです。

従って妙道院は日蓮正宗とは何の関係もない寺院であり日蓮正宗を僭称するなどとんでもないことです。


C 岡山県倉敷市 法龍寺 宝清寺


倉敷市 日蓮正宗で検索した場合

ニセ日蓮正宗寺院である法眼寺なる寺院の方が本物の日蓮正宗寺院法龍寺 宝清寺よりも、多くヒットしているのが実情です。

ニセ日蓮正宗寺院法眼寺の登記簿
http://www7b.biglobe.ne.jp/~takabon8160/nise-nitirenshoushuujiinitiran-hougenji.html

@ 法眼寺はあくまで「単立寺院」であり、日蓮正宗寺院ではないということです。
A 毛利正顕の住所は現在同人が不法占拠・居住している仏道寺の所在地です。
B 法眼寺は包括法人宗教法人正信会が発足してもその傘下には入っておらず単立寺院のままです。(平成23年11月25日現在)

倉敷市における唯一の正統な日蓮正宗寺院である法龍寺 宝清寺です。

法眼寺なる寺院は日蓮正宗の末寺ではありません。

しかも毛利正顕は第66世日達上人の死後に、第67世日顕上人の辞令により、ブラジルの日蓮正宗寺院一乗寺から仏道寺に転任
となったものであります。
毛利正顕も正信会の多くの僧侶とともに日顕上人の法主としての地位を否定しているが、否定している法主の辞令で赴任した仏道寺を占有し、居住する根拠が乏しいといえます。

更に仏道寺は本堂安置御本尊様も他の重宝も、更には寺院建物も土地もすべて日蓮正宗仏道寺の財産であります。
仏道寺の住職は倉敷市内の法龍寺の住職が兼務しております。宗教法人仏道寺の謄本では代表役員(住職)は法龍寺住職となっております。
その日蓮正宗仏道寺を不法占拠し、日蓮正宗仏道寺の御本尊様に御供養をされた、御供養をもって、「法眼寺」なる建物を造って、そこに日蓮正宗の化儀に反する御本尊を安置して、御供養を受け付けているという、常識的に考えて、正信会は異常行為をしていることになります。
正信会は自分達が正しいと言いながら、行っている行為は非常識なのです。
日蓮正宗仏道寺を1日も早く返還し、自分達の造った「法眼寺」なる場所で正信会活動を行うべきです。 勿論、日蓮正宗仏道寺の重宝御本尊様を返還することは当然のことです。
裁判上、毛利正顕は居住権によって居座っているのに過ぎないのですから、自分の居住する「法眼寺」ができたのですから出て行くべきです。
余市の元正信会寺院長遠寺は、そこに居住していた者が死去したために返還されたのですから、その事実からしても毛利正顕が死去すれば仏道寺は日蓮正宗に返還されます。
返還されるということは毛利正顕や正信会のものではないことがハッキリしているのです


D 鹿児島市 西大宣寺


鹿児島市 日蓮正宗で検索した場合

ニセ日蓮正宗寺院である上行院なる寺院の方が本物の日蓮正宗寺院西大宣寺よりも、多くヒットしているのが実情です。

ニセ日蓮正宗寺院鹿児島県鹿児島市・上行院の登記簿
http://www7b.biglobe.ne.jp/~takabon8160/nise-nitirenshoushuujiinitiran-jougyouin.html

@ 上行院はあくまで「単立寺院」であり、日蓮正宗寺院ではないということです。
A 上行院は包括法人宗教法人正信会が発足してもその傘下には入っておらず単立寺院のままです。(平成23年11月30日現在)
B 上行院の法人の成立が昭和10年(1935年)3月25日とあり、この時期に正信会は存在いたしません。

鹿児島市にある日蓮正宗寺院は鹿児島市天保山町22-6にある本久山西大宣寺だけです。
上行院なる寺院は日蓮正宗の末寺ではありません。
これは鹿児島市西大宣寺の信徒の内、正信会に付いた者どもが、西大宣寺を離壇した後に宮崎県都城市覚妙寺の当時の住職川村調道(故人)に参詣指導を受けた後、
昭和56年(1981年)6月に鹿児島市内のアパートにおいて、宮崎県久住寺出張所として開設され、同年12月東京都葛飾区常光寺に在勤していた井上豊道なる僧侶を指導教師として迎え上行院としたものです。
しかし、これは井上豊道の正信会としての独自の行動であって、日蓮正宗では上行院なる寺院を日蓮正宗の末寺として承認しておらず、従って井上豊道の住職就任も承認していません。
その後、井上豊道は昭和57年(1982年)9月27日に第67世日顕上人の法主としての地位を否定して日蓮正宗から破門に処されています。
上行院開設に関わった久住寺の元住職児玉放光は同年4月5日に、覚妙寺の元住職川村調道は同年8月21日に破門に処されています。
その後、昭和62年(1987年)9月27日に現在地に寺院を建立したものです。
破門された者が、破門後に建立した寺院なのですから、日蓮正宗宗門はその建立については一切関知しておらず、当然上行院の名前は富士年表には載っていません。
従って上行院は日蓮正宗とは何の関係もない寺院であり日蓮正宗を僭称するなどとんでもないことです。

更に、平成17年1月23日に井上豊道は、鹿児島県曽於市末吉町二之方2968-1に「玄調院」なる寺院を建立していますが、この寺院も、破門された者が、破門後に建立した寺院なのですから、日蓮正宗宗門はその建立については一切関知しておりません。
玄調院についても、日蓮正宗とは何の関係もない寺院であり、日蓮正宗を僭称するなどとんでもないことです。


正信会の独自の寺院建設に資金を出したら「功徳」となるのでしょうか?


日蓮正宗の寺院は、日蓮正宗の宗制宗規に従って建立され、日蓮正宗総本山大石寺の末寺となります。これらの手続きを踏んでいない以上、正信会の僧侶が建てる寺院はたとえ外形的に日蓮正宗寺院に似ていたとしても日蓮正宗とは無関係であり、日蓮正宗の施設ではありません。
総本山第31世日因上人は
「教主釈尊の一大事の秘法を日蓮が肉団の胸中に秘して隠し受持して伝はる所の正法は、日蓮・日興・日目乃至日因と師資相承して当山に在り」とお示しです。
すなわち日蓮大聖人の仏法の奥底は、本門戒壇の大御本尊とともに総本山に伝わるのであり、その総本山に連ならない施設には、日蓮大聖人の仏法の意義は全く存在しません。
従って誠に残念ですが、正信会が新寺を建立するに際して、信徒が相当額の金員を出資したとしても、それは御本尊への正しい御供養とはなりません。
結論は正信会で建立した寺院は日蓮大聖人の仏法とも、本門戒壇の大御本尊とも無縁の建物であり、現状のままで日蓮正宗の寺院として認められることはありません。


参考資料:大白法728号 - 平成19年11月1日号


御本尊はどうしてるの?何を拝んでいるの? - 正信会 -


自称正信会の徒労



本年九月十五日号、十月一日号、同月十五日号の各継命紙のそれぞれ一面に、自称正信会の新たな拠点が開設されたことが報道されている。
もとより、これら各拠点は、日蓮正宗とは全く無縁のものである。このことは、それぞれの拠点の名称が、日蓮正宗とは無関係に、各建立主らによって勝手に命名されている事実からも明らかである。
かつて日達上人は、
「日蓮正宗の教義が、一閻浮提に布衍していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります」(大日蓮昭和四九年八月号二〇頁)
と明確に御指南されている。
この御指南は、昭和五十二年路線における創価学会の謗法を指されたものであるが、そのまま自称正信会にも当てはまる。
いくら拠点を建てようと、日蓮正宗から離れた自称正信会の活動は、広宣流布とは全く無縁であり、むしろ謗法の害毒をまき散らしているに過ぎない。
文字どおり、「徒労」以外の何物でもないのである。


文証に逆らう妄執


また、自称正信会では、
「『戒壇の大御本尊』は秘蔵されることによって、御物体としての本尊の奥に厳然と在す、目に見えぬ日蓮大聖人の御内証・魂魄そのものたることが、化儀として示されてきた」(本年九月一日付継命)などと、わけのわからぬ抽象論を振りかざす。
要は、実在の戒壇の大御本尊ではなく、その超越したところに、日蓮大聖人の御内証があると言いたいようだ。
御戒壇様にお目通りのかなわぬ身と落ちぶれた以上、そんな脆弁を弄さなければならないのだろうが、全く大聖人の御化導を拝せぬ愚か者である。
そもそも大聖人は、
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」(御書 六八五頁)
と御教示ではないか。この「たましひ」こそ、御本仏としての御内証であり、しかも「すみにそめながして」御顕発あそばされたことも明確である。
すなわち、御本尊にこそ、大聖人の御内証がましますことは御書から明白である。
なかんずく本門戒壇の大御本尊は、大聖人御自ら「本懐」と示された一期御化導の肝要であり、故に日達上人は、
「大聖人様は御自身の当体を戒壇の御本尊として、我等末法の衆生の依止の本尊と顕わされておるのでございます」(大日蓮 昭和四八年九月号 二〇頁)
と明確に御教示である。さらに、
「大聖人の建立遊ばされた戒壇の御本尊を中心として、三大秘法の中心の御本尊として、我々は、この一大秘法の御本尊を拝み、宗旨の三種として、三大秘法を説くのであります(中略)それが、たま たま違ったことが入るならば、それは、日蓮正宗でもない」(大日蓮 昭和四九年八月号二〇頁)
とも御指南である。
これだけ明らかな文証に反し、「目に見えぬ…御内証」と言い張るとは、もはや妄執である。


何を拝んでいるの?


ところで、そんな邪教正信会は、新設した拠点にいったい何を安置しているのだろうか。そういえば、彼らが創価学会の『ニセ本尊』を破折する姿を見たことは無いように思うが…。
まさか…。正信会よ、おまえもか! 創価学会は謗法だと言いながら、その創価学会と全く同じ謗法に手を染めたのか? 所詮、日蓮正宗でもなく、また大聖人の御化導の中心肝要に迷走する彼らにとって、今さら御本尊など、どうでもよいのかも知れない。
こんな正信会に振り回され、福徳が積めると大きな勘違いをして、せっせと寺院建立資金を貢ぐ檀徒こそ哀れでならない。