ニセ日蓮正宗寺院鹿児島県鹿児島市・上行院の登記簿


注意点
@ 上行院はあくまで「単立寺院」であり、日蓮正宗寺院ではないということです。
A 上行院は包括法人宗教法人正信会が発足してもその傘下には入っておらず単立寺院のままです。(平成23年11月30日現在)
B 上行院の法人の成立が昭和10年(1935年)3月25日とあり、この時期に正信会は存在いたしません。


鹿児島市にある日蓮正宗寺院は鹿児島市天保山町22-6にある本久山西大宣寺だけです。

上行院なる寺院は日蓮正宗の末寺ではありません。
これは鹿児島市西大宣寺の信徒の内、正信会に付いた者どもが、西大宣寺を離壇した後に宮崎県都城市覚妙寺の当時の住職川村調道(故人)に参詣指導を受けた後、
昭和56年(1981年)6月に鹿児島市内のアパートにおいて、宮崎県久住寺出張所として開設され、同年12月東京都葛飾区常光寺に在勤していた井上豊道なる僧侶を指導教師として迎え上行院としたものです。
しかし、これは井上豊道の正信会としての独自の行動であって、日蓮正宗では上行院なる寺院を日蓮正宗の末寺として承認しておらず、従って井上豊道の住職就任も承認していません。
その後、井上豊道は昭和57年(1982年)9月27日に第67世日顕上人の法主としての地位を否定して日蓮正宗から破門に処されています。
上行院開設に関わった久住寺の元住職児玉放光は同年4月5日に、覚妙寺の元住職川村調道は同年8月21日に破門に処されています。
その後、昭和62年(1987年)9月27日に現在地に寺院を建立したものです。
破門された者が、破門後に建立した寺院なのですから、日蓮正宗宗門はその建立については一切関知しておらず、当然上行院の名前は富士年表には載っていません。
従って上行院は日蓮正宗とは何の関係もない寺院であり日蓮正宗を僭称するなどとんでもないことです。


更に、平成17年1月23日に井上豊道は、鹿児島県曽於市末吉町二之方2968-1に「玄調院」なる寺院を建立していますが、この寺院も、破門された者が、破門後に建立した寺院なのですから、日蓮正宗宗門はその建立については一切関知しておりません。
玄調院についても、日蓮正宗とは何の関係もない寺院であり、日蓮正宗を僭称するなどとんでもないことです。