たかぼんと赤井虎吉との@nifty地域ガイドでの激闘


行足寺編




自称正信会による不法占拠の続く行足寺

ブックマークをした人 たかぼん

行足寺は日蓮正宗宗門の寺院であり正信会のものではありません。
1日も早く宗門に返還されることが望まれています。

@ たかぼん 2008年11月18日

清涼山行足寺は1978年(昭和53年)9月5日に第66世法主日達上人を開基として日蓮正宗の末寺として建立されました。
同日に清田区の宏智山大慈院も建立されています。
行足寺は現在も日蓮正宗宗門に包括される末寺となっており登記簿上の代表役員=住職は厚別区の直唱寺の住職が兼務しております。

A たかぼん 2008年12月4日

行足寺と同時期に建てられた札幌市内の日蓮正宗の宗門の寺院宏智山大慈院(清田区)、真光山聞佛寺(手稲区)は30年間で大いに寺運が興隆し、寺域の拡張と堂宇の荘厳に努められていますが、
正信会に占拠された行足寺は建立された30年前そのままの姿です。
ちなみに大慈院聞佛寺いずれも平成20年現在で初代住職です。
同じ条件でのスタートだったのです。
行足寺は初代住職が亡くなるか退去すると日蓮正宗宗門に返還されます。
返還されるということは正信会のものでないことがハッキリしているのです。
時とともにいずれ行足寺においても日蓮正宗宗門の手で復帰報告法要が営まれる日が来ます。
1日も早い行足寺の返還をお祈りいたします。

B 赤井虎吉 2008年12月15日

寺運のあるなしは、建物で決まるものではありません。正しい信心と宗開両祖への赤誠で決まるものです。いくら建物が立派でも、日達猊下の元で謗法の塊のような人間に内通し、自分が猊座を簒奪するやいなや、日達猊下が追い詰めて失脚させた人間を、再び総講頭に復権させた事を反省できない輩が法主を務める宗門に付く寺院にこそ、寺運はありません。

C 赤井虎吉 2008年12月15日

川田ご住職が亡くなれば、行足寺を宗門に返還することなど100も承知の話です。だからこそ清涼院を建立しました。
私たちは正信覚醒運動に邁進していますが、日達猊下のご遷化と共に消滅した、富士の法灯が再び灯ったときには、清涼院を宗門に寄進しようというのが、行足寺僧俗の一致した考えですよ。

D たかぼん 2008年12月17日

清涼山行足寺の寺号山号の由来
『玄義』の文である智目行足到清涼池より取られたものであります。
例えば、この地よりどこかに行こうとしたときに、必ずまず目を開き、行きたい所の道筋を見て、足を踏み出さないと自分の思う所には行けない。いかに目を開いてみても足を踏み出さなければ望む所に行くことができない。
全くそのように、信心の目をあけて、自己の色心の全体が妙法蓮華経であると解了してから修行の足を踏み出さないと寂光の都に至ることができない。
つまり、信心は目の如くであり、唱題は足の如くで、目と足が具足して初めて寂光に赴くのであります。
だから修行が肝心であることを「智目行足到清涼池」というのであります。
日蓮大聖人は
「信なくして此の経を行ぜんは手なくして宝山に入り、足なくして千里の道を企つるが如し」(日蓮大聖人御書『法蓮抄』平成新編814頁)
と仰せです。
つまりかりに他流の輩が口に南無妙法蓮華経と唱えても、ただこれは宝山の空手、千里の道の空足にすぎない。それは本門の本尊を信じないからであるということであります。
日蓮大聖人の後継者たる御法主上人猊下を否定して破門に処され戒壇の大御本尊を拝むことを許されない正信会のためにあるような金言・仏教用語から取られた
「清涼山行足寺」なのであります。

E 赤井虎吉 2008年12月17日

果たして「法主絶対」論は富士門流の伝燈として正しいあり方なのでしょうか?それを導く『血脈信仰』基本的な誤りはないのか、正信覚醒運動はこの事を幾度となく問題提起してきました。
少なくとも富士門の上代には、法主だから誤りがないとか絶対だとか言う文言は見当りません。むしろ、誤りがあれば捨てよ、用いてはならない、と言う事が富士門徒への戒めとして伝えられています。その代表的なものが日興上人(大石寺ご開山上人)の「遺戒置文二十六箇条」です。その末文に「右の条目は大略此の如し、万年救護の為に二十六箇条をを置く。後代の学侶敢えて疑惑生ずること勿れ。此のうち一箇条に於いても犯す者は日興が末流にあるべからず」と定め置かれている通り、富士門流の僧侶であるならば、一箇条たりとも疎かにできない遺戒であると思います。その中の「時の貫首と雖も仏法に相違して己義を構えば之を用うべからざる事」の条目は法主(大石寺貫首)にも仏法上の誤りを犯す場合があり、その時、大石寺の僧俗はその法主を用いてはならないという後代への厳格な戒めです。またその後には「衆義たりと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧きべき事」の条目もあります。決して、これも蔑ろにされるべきでない、二箇条ともに第一条の富士の立義を万年にわたって護るためには、当然の事と言えます。
 しかし、この二箇条を一足飛びにこえて、法主に仏法上の誤りはない、絶対の存在だというのは日興上人の遺戒への反逆であり『法主絶対』が富士の立義であるかのように喧伝することはすでに自己矛盾を孕んでいるとしか言い様がありません。法主の命令が大聖人の命令であるとする阿部氏が本当に富士の立義に則った法主であるか、大いに疑問です。
 日達猊下と池田大作氏が交わした「創価学会の運営にタッチしない」「院政は敷かない」「会合には顔を出さないという」約束を踏み破り、池田大作氏を復権させたことは「仏法に相違して己義を構え」たことであり、日興上人の遺戒二十六箇条に反逆し、法主絶対論を喧伝する阿部氏・早瀬氏に法主を名乗る資格はありませんし、彼らは一刻も早く「摧べき」対象でしか有りません。

F たかぼん 2008年12月24日

さて行足寺檀徒は恵まれております。
余市の旧長遠寺は寺院を建てられませんでした。
生前より旧長遠寺の元住職は行足寺との合同の行事に力をいれておりました。
稚内の実明寺・天塩の能忍寺・長万部の説道寺・北見の修覚寺・名寄の覚知寺も寺院を建てられない状況です。
元住職の死去で退去を迫られたとき遠く旭川や札幌等の正信会寺院に行かざるを得なくなります。
ヤドカリのごとく所属寺院を変え、しかも遠隔地の寺院に通わなければならなくなり早晩信仰は行き詰ることとなります。
自前の寺院を建てられたのは幸せなことと当方は考えます。

たかぼん注:北見修覚寺元住職高橋秀正氏は新寺蓮正院を平成23年5月に建立

G たかぼん 2008年12月24日

まず行足寺元住職が建設したところの「清涼院」について総本山大石寺側では日蓮正宗の僧侶でもない者が、日蓮正宗の信徒ではない者たちから供養を集めて、日蓮正宗宗門の末寺たる行足寺の御本尊様に御供養された供養を勝手に使って建設した建物である。
そして本来行足寺にあるべき行足寺の常住御本尊もしくは本来は住職や寺族が庫裡で拝むために下付された常住御本尊を持ち出して「清涼院」なる場所に勝手に安置しているという考え方を持っております。
大謗法と判断しております。
また顕正会においても自分達が建設した顕正寺なる寺院を総本山との和解がなったら御供養すると言っておりました。
たとえ日顕上人や日如上人が遷化(死去)して別の法主が立ったとしても正信会や創価学会、顕正会の破門が解かれることはありません。
従いまして赤井さんが仰るような総本山大石寺側で正信会に謝るとか、清涼院なる寺院を供養するなどということは起こりません。
断言させていただきます。

H 赤井虎吉 2008年12月31日

日達猊下は正信覚醒運動を支持されておりました。昭和54年1月28日、大石寺大講堂で開かれた第2回檀徒大会で以下のように発言されております。
「本日は檀徒の方々の第2回の総登山に当たりまして、かくのごとく大勢の方々がご参詣あり、誠に有り難く存ずるのであります。折からの寒さにもめげず、まことに皆様の信心の力のいかに強いかということを、明らかに示しておるので有ります。また、ここにいる若い僧侶たちが三百有余名にまで及ぶ、これらの人々は、その元の出は学会の信者の中の人であり、あるいは僧侶の出もあります。また法華講の出もあるが、大多数は一応学会の信者の中から出た僧侶たちであります。その僧侶たちが学会に対して、その誤りを指摘して、そしてここに結束して皆様と共に檀徒を作って、日蓮正宗を護ろうとしているその誠意は、まことに日蓮正宗の根本の精神を広宣流布するためであるという、深い赤誠であることを認めてもらいたいとおもうのであります。
 まだまだある僧侶は、いかに今迄間違った教義を宣伝されておっても、未だ平気な顔をしている僧侶もあります。しかし、一応これらの僧侶も日蓮正宗としておる以上、私はただ大きな心においてそれらの身を守り、また正宗の、一つの団体の僧侶として守っておるのでございます。その点を皆様のご了承を願い、こんごできるだけ間違った教義だけをどこまでも追及して、正宗の七百年来の大聖人のご真意である広宣流布を、正しい道において護ってもらいたいと思うのでございます。それでこそ、ここにいる若い僧侶たちと皆様との僧俗一致の姿である事を忘れないでいただきたいと思いますー
ー真実の大聖人のご法門少しでも間違うということは、大変なことになるのであります。今から、それに少しでも気付かれたところあなた方が、さらにまた一歩も踏みはずさず、大聖人の仏法を間違えず、今ここにいる若い僧侶たちと共に手を握って、広宣流布へと真実の仏法を流布せられる事をお願いいたします」(正信覚醒運動の歴史ー上巻287ページ〜288ページ丸岡文乗著)日達猊下のこのご指南には、今日の正信覚醒運動を励ますと共に、「例え学会を切ってでも、日蓮正宗を護る」という日達猊下の正信覚醒のご決意が伝わってきます。

I たかぼん 2009年1月8日

宗教法人清涼院の登記簿
法人成立の年月日 平成16年6月30日
目的 この法人は、宗祖日蓮大聖人所願十界互具の大曼荼羅を本尊とし、法華経及び宗祖遺文を所依の経典として、三大秘法の教義をひろめ(以下略)
とあります。
これは代表役員で元住職氏の考え方なのでしょうが、結局「大聖人直結信仰」を宣言したものに他ならないかと思います。
戒壇の大御本尊様を元住職氏は否定はしておりませんが、御安置されている場所が大石寺であり、現在の法主が日如上人であり、日如上人も正信会は否定しております。
従って仏宝は日蓮大聖人でも法宝である戒壇の大御本尊様を拝む権利もなく、僧宝たる日顕御隠尊猊下、日如上人猊下を否定している以上、三宝は成立せず、元住職の「我見」による信仰であり、とうてい日蓮正宗の信心とは言えません。
三宝一体となってはじめて日蓮正宗の信心が成立いたします。
これでは日蓮大聖人様の魂のようなものが信仰の対象ということになってしまうと当方は考えます。
また寺院安置の本尊は平成16年には既に御遷化されている日達上人書写の御本尊とのことですので日蓮正宗の化儀に照らしましてももうめちゃくちゃと言えます。
日達上人遷化後の昭和55年12月20日建立の手稲の聞仏寺には日達上人御書写の御本尊様はありません。
平成の時代になって突如現れた単立寺院で日蓮正宗とは関係のない清涼院に日達上人書写の本尊が存在するのか、おかしいとしかいいようがありません。
行足寺の常住御本尊であるとしたらこれは窃盗と同じです。
また元住職氏が庫裡で拝むために日達上人から下された本尊ならこれは目的外の安置であり日蓮正宗の化儀に基づく安置とはいえません。
それよりも1宗派を旗揚げした元住職氏が他宗派である日蓮正宗寺院行足寺を不法占拠し続ける意味は全くありません。
嫌がらせ目的の不法占拠をやめ直ちに日蓮正宗寺院行足寺を明け渡し出て行くべきです。
正信会元議長久保川法章氏は不法占拠していた蓮華寺を明け渡して1宗派を立ち上げております。
まだ日蓮正宗に未練があるから不法占拠を続けているのです。

J 赤井虎吉 2009年1月9日

あと数ヶ寺の判決を残すだけとなった私達の裁判に関してのお話をします。当初敗訴続きの裁判でしたが、仏天のご加護、弁護団の先生のご尽力、さらに係争途中で逝去された住職のご遺族とその所属信徒のご協力とご理解を頂戴したおかげで、最高裁判所は私たちの代表役員の地位を認めはしませんでしたが、宗門側の求めていた寺の明け渡しも認めませんでした。いわゆる「双方却下」の判決が確定しました。」(第19回日蓮正宗全国法華講大会 現況報告   正信会副議長近藤済道師より)
たかぼん氏は教学に長けていても、法律には疎いようですね。宗門側が求めていた寺明け渡しは最高裁で却下されたですよ。何度も言うようですが日本の裁判制度は一事不再理。一度確定した判決で有る以上法律と同じ。たかぼん氏がいくら「不法占拠だ」と叫んだところで、「判例を読め」と言われれば、それで終わり。「不法占拠だ!」といくら叫んだところでそれは所詮負け犬の遠吠えにしかなりませんよ。
それよりも、阿部氏は昭和53年4月15日のいつ、どこで日達猊下から血脈相承 を受けられたのか、客観的に証明していただきたい。

K たかぼん 2009年1月10日

赤井氏他正信会では「裁判は勝った」と嘯いていましたが、なぜ余市の正信会寺院だった長遠寺は平成19年6月27日に日蓮正宗に復帰してきたのでしょうか?
正信会員は教えられていません!
今でも行足寺の代表役員(住職)は、日蓮正宗の御僧侶である直唱寺の住職がなっています。破門された者は、日蓮正宗の行足寺を不法に占拠している輩なのです。
時と共に、やがて行足寺も復帰奉告法要が営まれる日が来ます。
裁判によって正信会は勝ったのではなく、将来における敗北が確定したのです。
ですから元住職の死亡により行足寺は明け渡されることになります。

そしてその時点で檀徒たちは日蓮正宗とは無関係の清涼院なる単立寺院の檀徒となり日蓮正宗へのつながりが完全に断たれることとなります。

L たかぼん 2009年1月10日

ある正信会行足寺所属檀徒を紹介いたします。
ある札幌近郊の寺院の方の折伏体験発表を掲載いたします。
脳腫瘍によりその行足寺所属檀徒が職場を休んでいましたが、復帰を断られたそうであります。
その企業はその町では優良企業で直営店舗を昨年も1ヶ所、今年も1ヶ所開店予定です。
その町の人に聞いたら「ああ、あの企業ね」というくらいの地元では有名な会社です。
なぜ彼は脳腫瘍となり、職場の当時の上長も彼の籍だけ残すように会社に嘆願してOKがでたので彼は安心して入院しましたが帰ってきたら籍がなかったのです。
彼は別の会社に転職はできましたが以前と比べ収入は減り、労働時間は伸び大変な状況ですがそれでも正信会だと言っているそうであります。
赤井様がどのようにお考えになるのも自由ですが
日蓮大聖人は、「日蓮仏法をこヽろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(日蓮大聖人御書三三蔵祈雨事 新編874頁)と仰せられ、三証の中でも特に現証の大切さを説かれています。
日蓮大聖人は、「法に験の有る様なりとも、終には其の身も檀那も安穏なるべからず」(諌暁八幡抄 新編1531頁)と仰せられ、邪宗教の現罰の相を教えられています。
行足寺檀徒として信心をしていてどれほどの歓喜が涌いているのか赤井様自身どうなのかここにカキコミされれば当方の間違いが証明されるかと思います。

M 赤井虎吉 2009年1月10日

誰が「裁判に勝った」と言いましたか?小生が近藤ご尊師の講演で引用した文言は「寺院明け渡し」と言う宗門側の要求も「現代表役員の地位保全」という双方の要求が却下されたと言うことですよ。
 それから自分が行足寺の信徒となって一番良かった事は「人の温かみ、同志を大切にする事の大切さ」を川田ご住職にも総代さんにも講頭さんにも他の信徒の方々にも教えられました。正信会は宗門にも学会にも弾圧され続け、日興門流として富士の法灯を再びともすために、苦労されてこられた方々がたくさんいます。ボクシングトレーナーのエディ・タウンゼントは教え子に「苦しい時に本当の友達がわかりますよ」と言いました。小生が今で言うリストラに逢いかかった時、大慈院の総代さんも他の檀家さんも「ご祈念しなさい」の一言で終わりでした。でも正信会・行足寺のみなさんは、小生の悔しさ・やりきれなさを全部受け止めてくれました。歓喜はなくとも、正信会・行足寺の講中は信仰上の生涯なくしてはならない仲間だと思っています。
ところでたかぼん様
昭和53年4月15日、日達猊下から阿部氏が相承を受けたと言う事を客観的に証明できる文献があればご紹介ください。近くの宗門側寺院に行って入手し、ぜひ読みたいと思います。

たかぼん注:大日蓮出版妙教・平成27年(2015年)12月号27-28頁 札幌市清田区大慈院支部
講頭神谷氏:大慈院支部は昭和54年(1979年)12月6日、法華講支部組織の許可をいただき、同年12月9日に40世帯をもって発足したが、
結成した当時は正信会問題の最中であり、残念ながら40世帯中、20世帯が退転してしまった。

N たかぼん 2009年1月10日

これが行足寺の将来です。

宗務広報 ○号 ○年○月○日
行足寺(北海道札幌市白石区)、宗門へ返還

○年○月○日、これまでいわゆる正信会の者に不法占拠されていた北海道札幌市白石区の清涼山行足寺が○年ぶりに宗門に返還されました。
 これは、同寺元住職川田乗善が○月○日に死去したことによるもので、これを機にこのたび宗門に返還されたものであります。
 なお、同寺は、今後○○師が業務住職として職務を執行し、占有管理をしてまいります。
以上


先輩の寺院の返還記事

正信会OBで昨年春逝去された元倶知安知法寺住職等を歴任された故清水法瑞師の昭和57年8月大日蓮での発表。
正信会に在籍していた当時、私は御法主日顕上人猊下の血脈相承を疑っておりました。
その理由は、正信会から御法主日顕上人に対して血脈に関する質問状を提出したけれども、回答が無かったことが挙げられます。
今、頭を冷やして考えますと、時の御法主が、“あなたは本当に血脈を承けられたのですか。
我々は承けてはいないと思っているのですが、それは真実ですか。真実であるならば、それを証明できるような証拠がありますか”というような無礼な質問に対して、お答えくださるはずがないのであります。
むしろ、その質問状を提出することに何の抵抗も感じなくなっていた我々の信心が、既に白衣小僧よりも劣っていたということです。
ところが我々は、回答が無いことを理由として、世俗の司法機関に対し、日蓮正宗の、また世法の上にあるべき仏法の最大事である血脈法水の事柄について、その裁断を乞うたのであります。
世間法・出世間法の序列からしても、当然、出世間法のなかで解決しなければならない問題を世間法の範疇で論じ合うという手段に出たことは、本末顛倒の愚挙といわなければなりません。
しかも、本宗の根本命脈である血脈法水を、正しい信仰を知らない世俗の裁判官にその裁定を委ねたことは、仏祖三宝尊の御照覧を恐れない暴挙であり、ひいては永遠の未来にわたる本宗宗史の大汚点として、末代まで語られることは必至であると思うのであります。
赤井様にあっては御自分や当方のホームページにて血脈の問題取り上げるのは結構ですが法を下げることを己の寺院のホームページですべきではありません。

O たかぼん 2009年1月10日

日蓮正宗宗門側の主張については、
平成15年6月7日発行の日蓮正宗青年僧侶邪義破折班発行の
「自称正信会の『虚言集』を粉砕す」という本がございます。
先入観を持たずに読み比べてみればと存じます。
ただ非売品ですので見せるだけとなるかもしれません。
行かれるお寺は直唱寺がよろしいかと思います。
なぜなら直唱寺住職は行足寺住職を兼務していますので常日頃行足寺の前までは行っております。
正信会についても他の寺院よりは勉強していると思います。
直唱寺についてもこの地域ガイドでページを作成しておりますので調べて行かれるとよいでしょう。

P 赤井虎吉 2009年1月15日

たかぼん様がから紹介いただいた、文献を日正寺仏見寺直唱寺大慈院に聞いて見ましたが、仏見寺にサンプルが1冊あるだけで他に在庫はないとのことでした。仕方がないので仏見寺へ行って閲覧させてもらおうと思います。


清涼院編


 

行足寺元住職が建立した清涼院

ブックマークをした人 たかぼん

昭和57年4月5日に第67世法主日顕上人の血脈を否定して日蓮正宗から破門された正信会に属する僧侶が建立した単立寺院。

@ たかぼん 2008年12月17日

清涼院に安置されている御本尊は誰の御本尊様なのでしょう。
行足寺初代住職が破門前に日達上人から授与された常住御本尊様は宗教法人行足寺の重宝御本尊様で宗教法人行足寺を包括している宗教法人日蓮正宗の御法主上人の許可なしに持ち出すことはできません。
初代住職個人のものではなくあくまで日蓮正宗行足寺の重宝なのです。授与書きには初代住職の阿闍梨号・名前・日号は記されていますが個人の所有物であるということにはなりません。
転任・退任の場合は行足寺に置いていく規則になっております。
宗教法人行足寺は日蓮正宗の末寺です。
仮に宗教法人清涼院があったとして正信会は包括法人をまだ作っていないようですので法的には単立寺院です。
宗教法人行足寺と清涼院との間に法的な関連性はみられません。
また清涼院なる場所に日達上人書写の御本尊様を安置しているのは本来おかしいのです。
なぜなら日達上人御在世中に「清涼院」は存在しておらず、御法主上人たる日顕上人又は日如上人の許可を得て移動しなければならないものであります。
しかし法主としての地位を正信会は否定しているので、結局清涼院における御本尊様の正当性も主張できないのです。

A 赤井虎吉 2009年1月4日

それからたかぼん氏に改めて質問したいことがあります。
昭和53年1月13日、宗務院阿部教学部長は『富士学報』昭和52年12月号(大石寺・富士学林刊)をもって学会本部に釈明に行っています。阿部氏がもって行った『富士学報』には後に正信会結成に参画される菅野憲道ご尊師がが書きしたためた、創価学会の広宣流布観や師弟観、選挙運動を批判する内容の論文が掲載されており、日達猊下はこの論文を優秀論文として評価していました。阿部氏がどんな魂胆で菅野論文が掲載された『富士学報』誌を持って行ったか容易に想像が付くところですが、ただ池田氏は直後の「広布会」(末寺の学会選出の総代を集めた会)で「広宣流布のやり方が間違っていると、今度はそう言う論文を書いているのです。『富士学報』と言う本があるんです。(中略)そういう秘密の本があるんです。秘密だから見せないのです。だけどねえ、中にえらく心配してね、坊さんの中でも大変心配し、これでいいのかかと。学会はいいように影で弓を引かれていますよと、お気の毒ですからと教えてくれるのです」と発言しました。阿部氏のタレコミは、日蓮正宗に宣戦布告(昭和52年路線のこと)したばかりの創価学会にとって格好の攻撃材料にになり、菅野ご尊師をはじめ次から次へと9名のご僧侶が学会のつるし上げにあわされました。
つまり、阿部氏と池田氏の蜜月関係は総講頭再任に始まった事ではないのです。日達猊下ご存命の時には、戦時中の特高警察よろしく、謗法戒厳戒厳の立場で信徒の指導に臨まれた、日達猊下に差し向けられた学会のスパイ行為を行なっていたという事です。この文証は北海道正信連合会発行の「宗門よ、富士の伝燈に立ち帰れ」の7ページ〜8ページに書かれています。

B 赤井虎吉 2009年1月4日

阿部氏は昭和57年6月28日、富士学林研究科開講式で次のような発言をしております。「私が日達上人より、過去、数度に渡って相伝の甚深の法門を承り、それらの総括として昭和53年4月15日、大奥において、付嘱の義をもって深意を拝承したことは、仏祖三宝のご照覧において、事実であります」 ところで問題の昭和53年4月15日、日達猊下の日程はどうなっていたでしょうか?(この日は日達猊下のお誕生日でした)
午前0時 丑寅勤行
午前6時30分 起床
午前7時 日目上人御講(御影堂)
午前8時 塔中住職より誕生祝を受ける
午前9時30分 妙蓮寺塔中住職と面談(対面所)
午前10時 遠信寺住職と面談(対面所)
午前11時 大石寺東京事務所へ出発
よりによって、このような多忙であわただしい日に、日達猊下が相承されるとはとても考えられないと思うのは私だけでしょうか?この日のどこに、相承するような時間が取れるのか、阿部氏にはぜひ正確にご説明願いたいものですね

C 赤井虎吉 2009年1月8日

正信会は宗制宗規に照らし、阿部師に、御先師日達上人より相承があったのかどうか、その事実を明らかにしてほしいと要望しているのであり、血脈を否定するものでは断じてない。
 しかし阿部師は、相承の事実をいまだに証明することなく、立会人を変えたり、『ある形式に執らわれるものでない』と言ったり、護法会僧侶に事実もないのに、『厳然たる事実』と決議文に捺印を強要したり、弁解すればするほど法主を詐称した疑いが深まるばかり。
 したがって、阿部師の″相承″に疑義を呈している者を、″血脈相承を否定した″として擯斥する阿部師の論法は、さん奪した権威・権力にものをいわせたスリ替えであり、阿部師こそ、大聖人・日興上人以来の本宗の血脈を土足で汚している異端者である」 (継命57・10・15)

D たかぼん 2009年1月9日

宗教法人清涼院の登記簿
法人成立の年月日 平成16年6月30日
目的 この法人は、宗祖日蓮大聖人所願十界互具の大曼荼羅を本尊とし、法華経及び宗祖遺文を所依の経典として、三大秘法の教義をひろめ(以下略)
とあります。
これは代表役員である行足寺元住職の考え方なのでしょうが、結局「大聖人直結信仰」を宣言したものに他ならないかと思います。
なるほど戒壇の大御本尊様を行足寺元住職は否定はしておりませんが、御安置されている場所が大石寺であり、現在の法主が日如上人であり、日如上人も正信会は否定しております。
従って仏宝は日蓮大聖人でも法宝である戒壇の大御本尊様を拝む権利もなく、僧宝たる日顕御隠尊猊下、日如上人猊下を否定している以上、三宝は成立せず、行足寺元住職の「我見」による信仰であり、とうてい日蓮正宗の信心とは言えません。
三宝一体となってはじめて日蓮正宗の信心が成立いたします。
これでは日蓮大聖人様の魂のようなものが信仰の対象ということになってしまうと当方は考えます。
また寺院安置の本尊は平成16年には既に御遷化されている日達上人(昭和54年遷化)書写の御本尊とのことですので本来の日蓮正宗の化儀に照らしてもうめちゃくちゃと言えます。
日達上人遷化後の昭和55年12月20日建立の手稲の聞仏寺には日達上人御書写の御本尊様はありません。
平成の時代になって突如現れた単立寺院で法的には日蓮正宗とは関係のない清涼院に日達上人書写の本尊が存在するのか、おかしいとしかいいようがありません。
行足寺の常住御本尊であるとしたらこれは窃盗と同じです。
また行足寺元住職が庫裡で拝むために日達上人から下された本尊ならこれは目的外の安置であり日蓮正宗の化儀に基づく安置とはいえません。

E たかぼん 2009年1月9日

単立寺院である宗教法人清涼院という1宗派を旗揚げした行足寺元住職が他宗派である日蓮正宗寺院行足寺を不法占拠し続ける意味は全くありません。
清涼院にて正信会活動をする分には何の問題もありません。
活動すべき場所ができたのですから直ちに日蓮正宗寺院清涼山行足寺を明け渡し出て行くべきです。
正信会元議長久保川法章氏は1宗派を立ち上げ、不法占拠していた蓮華寺を明け渡しております。
なぜ行足寺元住職が明け渡さないかというと正当な日蓮正宗ではない清涼院への移籍を拒む檀徒も多くいるからです。
平成20年6月16日付慧妙によると佐賀市の日蓮正宗寺院世尊寺を不法占拠していた正信会僧は、平成14年、佐賀市内に光明寺という寺院を新築してそこに移り、世尊寺は現在は無住になっている。正信会信徒でも光明寺についていかなかった者も少なからずいる。
その中の1人が佐賀市内の日蓮正宗寺院である蓮栄院を訪れ、主管に「なんとか総本山に頼んで住職を世尊寺に派遣してくれ。墓参りに行っても寺には誰もいない。墓地の水も止められている。法事も頼めない。自分は光明寺には行きたくない。何とかしてくれ」と頼み込んできたという。主管御尊師はその人に正信会の誤りや、大御本尊と血脈に対する信心について話をし、正信会をやめるよう説得したが、聞く耳を持たず、自分の主張だけ並べて帰って行った。とあります。

F 赤井虎吉 2009年1月9日

「あと数ヶ寺の判決を残すだけとなった私達の裁判に関してのお話をします。当初敗訴続きの裁判でしたが、仏天のご加護、弁護団の先生のご尽力、さらに係争途中で逝去された住職のご遺族とその所属信徒のご協力とご理解を頂戴したおかげで、最高裁判所は私たちの代表役員の地位を認めはしませんでしたが、宗門側の求めていた寺の明け渡しも認めませんでした。いわゆる「双方却下」の判決が確定しました。」(第19回日蓮正宗全国法華講大会 現況報告   正信会副議長近藤済道師より)
たかぼん氏は教学に長けていても、法律には疎いようですね。宗門側が求めていた寺明け渡しは最高裁で却下されたですよ。何度も言うようですが日本の裁判制度は一事不再理。一度確定した判決で有る以上法律と同じ。たかぼん氏がいくら「不法占拠だ」と叫んだところで、「判例を読め」と言われれば、それで終わり。「不法占拠だ!」といくら叫んだところでそれは所詮負け犬の遠吠えにしかなりませんよ。
それよりも、阿部氏は昭和53年4月15日のいつ、どこで日達猊下から血脈相承 を受けられたのか、客観的に証明していただきたい。

G たかぼん 2009年3月22日

正信会はついに宗教法人正信会を立ち上げました。
清涼院所属信徒の皆さんは知らされていますか?
平成21年2月10日付で東京都千代田区西神田のビルの一角を本拠に会に所属する寺院を完全なる支配下に置く包括宗教法人として活動を開始したのである。
代表役員は正信会議長の丸岡文乗である。

宗教法人正信会の登記簿
目的 この法人は、宗祖日蓮大成人所顕互具の大曼荼羅を本尊とし、法華経及び宗祖遺文を所依の教典として、三大秘法の教義をひろめ、儀式行事を行い、信徒を教化育成することを目的とし、寺院を包括するほか、この法人の目的を達成するための業務を行う。
この法人は日蓮正宗が富士門流の正法に復した暁には、合一をめざすものとする」とある。
「境内建物、境内地、宝物の処分等に関する定め」には「責任委員会の議決を経なければならない。」とある。
正信会各寺院に隷属を強い、その生殺与奪権つまり住職の任免権や各寺院の行為に対する最終的な許諾権を正信会が一手に握るという執行部の考え方が見事に現われている。
また見逃してはいけないのは「この法人は日蓮正宗が富士門流の正法に復した暁には、合一をめざすものとする」の一文である。
一見、将来的には日蓮正宗に帰伏さることを目指しているようではあるが、これはむしろそんなことは絶対にないと宣言するのに等しい文言である。

H たかぼん 2009年3月22日

日蓮正宗宗門の僧俗が仰ぎ奉る三宝とは
仏宝=日蓮大聖人 法宝=本門戒壇の大御本尊 僧宝=第2祖日興上人を随一とする血脈付法の御歴代上人である。
これに対して正信会では
仏宝=目に見えない大聖人の魂魄 鎌倉時代に生まれた人間日蓮は本仏ではない。人間日蓮を本仏と立てるから弘安5年に本仏がお隠れになって、現在は本仏がおられないことになる。本来の当家法門では、生身の大聖人ではなく、目には見えない大聖人の常住不滅の魂魄をもって本仏とする。
法宝=目には見えない御本仏の心法 ダイナマイト1本で吹っ飛ぶような物が、大聖人の究極の本尊であるわけがない。それは唯物の次元に堕した本尊観である。我々は、色法の御本尊の奥に目には見えない御本仏の心法を拝するのである。その仏の心法こそが常住不滅の真実の大御本尊である。
僧宝=正信会僧侶 法主から法主へと伝えられる血脈相承は形式的なもので真実の血脈は信の一字により、大聖人から正信の僧俗大衆に与えれているものであり、今日においては正信会にのみ血脈が受け継がれているということになろう。
このように日蓮正宗と正信会とでは、その教義と信仰の根本が水と油ほどに違うのであり、その水と油ほどに違うものが合一などできるはずがない。
所詮「合一をめざす」などという文言はいまだに「日蓮正宗への帰伏が叶うだろうという一縷の望みを抱いている信徒を引き留めておくための言い訳であることは火を見るより明らかである。
さて、清涼院はその宗教法人正信会に加わるのか?
清涼院を被包括法人として「宗教法人正信会」の下に統合し、清涼院の生殺与奪権つまり住職の任免権や清涼院の行為に対する最終的な許諾権を正信会が一手に握るという事である。
つまり正信会と包括関係を結んだ清涼院は正信会の意に反する動きが一切できなくなるのだ。
宗教法人正信会に加わるという選択を清涼院の代表役員たる川田乗善氏がするとも思えません。
いずれは息子に継がせたいと思って建てた寺院をなぜ丸岡たち執行部に取られるような選択をしなければならないのか?
今のままでいいのにというのがホンネでしょう。