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 ぶらり歩き    
 4.境川を歩く (20)                              平成14年9月7日  
  遊行寺境内には、延文元年(1356年)に鋳造され、神奈川県の重要文化財に指定されている銅鐘(総高167cm、口径92cm)(写真54)がある。冶工は、中世の関東地方で活躍した鋳物師の物部氏の一人、光連といわれ、物部姓の鋳造師は、建長4年(1252年)に始まる鎌倉の大仏鋳造のために執権北条氏によって招かれた河内国の鋳造師集団であると考えられている。銅鐘の銘文は、藤沢市伝来の梵鐘の中で最古のものであり、中世の時宗の姿や遊行寺を有する当時の藤沢の様子を伝える貴重な資料であるという。この銅鐘は、永正10年(1513年)に後北条氏によって小田原に持ち去られ、陣鐘として使用された。さらに足柄下郡の寿昌寺に移転されたが、江戸時代初めの寛永3年(1626年)、遊行寺の檀徒の手により取り戻され、再びここに設置されたという。
 また、境内には時宗を開いた一遍上人(1239年〜1289年)の銅像(写真55)が立っている。一遍上人に関する逸話は全国にいろいろと残っているが、16年間にわたり日本全国を遊行して、賦算(ふさん、南無阿弥陀仏決定往生六十万人と刷り込まれたお札を配ること)したということから、頷ける。

 相模原市に建つ時宗の無量光寺は本来であれば、時宗の総本山の地位にあってしかるべきであるが、宗派内の勢力争いでここ遊行寺が時宗の本流となったようである。 

 遊行寺を後にして藤沢駅に向かって歩き出すが、藤沢橋大正橋を過ぎて自動車の往来の多い町中の道を選んで進むと、途中の三叉路の植え込みの中に、江ノ島弁財天道標(写真56)が立っている。藤沢が東海道の宿場であり、大山詣りをした江戸っ子がその帰りに精進落と称して立ち寄った江ノ島との分岐点になっていたことがわかる。
  
 
写真54(遊行寺 銅鐘)

 写真55(遊行寺 一遍上人銅像)
 
写真56(江ノ島弁財天道標)

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