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 ぶらり歩き  
 3.境川を歩く (15)                              平成14年8月31日
 再び境川に戻るが、新緑橋を境界として境川の管理区分が変り、ここより上流は相模原土木事務所、下流は藤沢土木事務所となる。
 境川は町田市と相模原市、大和市、横浜市、藤沢市を流れ、江ノ島で太平洋に流れ込んでいるが、河川管理は前述の2つの土木事務所に任されている。行政改革が叫ばれているが、河川管理も第三機関に委託した方が効率化が図られるような気もする。

  幾つか目の境川橋を過ぎたところにある諏訪神社(写真41)に立ち寄る。この神社も鐘楼と神楽殿があり、秀忠か家光の頃に七ツ木村から分村した千束村の平和と豊作を願い、村人の手で寛永2年(1625年)に創建されたといわれている。境内にある石燈籠(写真42)は安政の頃(1854年頃)に奉納されたものである。

  大山道を歩いて以来、いろいろな鳥居を見てきたが、七ツ木神社の鳥居(写真43)は木で出来ており、木製鳥居は初めて目にした。当然、初期の鳥居は木製であったはずで、日本の風土を考えると、豊かな森林に恵まれた国土、高温多湿の気候の特徴から、木が最も材料としては適していることが実感できる。七ツ木神社という名は明治以降の呼び名であり、それ以前は七ツ木郷鯖神社と呼ばれ、源義朝を御祭神としているというから、境川沿いに散在する鯖(佐馬)神社の一つといえる。今日は3つの佐馬神社巡りを目的としているが、4つ目の佐馬神社に巡り合うたことになる。
帰り際に、鳥居の脇に草に隠れるように、蠶(かいこ)神社と刻まれた石碑が置かれているのを見つけ、養蚕がこの藤沢の高倉地域でも盛んであったことが窺える。
 
 
写真41(諏訪神社)
 
写真42(諏訪神社 石燈籠)
 
写真43(七ツ木神社鳥居)

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