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 ぶらり歩き  
 3.境川を歩く (14)                              平成14年8月31日
 前回立ち寄った仏導寺の案内板に、徳本の名号塔があると記載されていた薬王院(写真38)に足を向けたが、体調は普通なのであるが疲れが感じられ、どうやら陽射しが強く、暑さにやられたようである。

 薬王院の境内は提灯用の電線が張り巡らされ、お盆に行う盆踊りの準備のようである。本殿の脇では雨漏りでもするのか梯子を屋根にかけ、氏子の代表と思われる老人と職人が善後策を相談しているところであった。期待していた徳本の名号塔は境内のどこにも認められなかった。この日の最大の楽しみにしていたので、拍子抜けを食らったようで、疲れが一段と感じられる。
 
 薬王院では双盤(そうばん)念仏が毎年行われており、張り出してある写真で見ると、鉦と太鼓のリズムで念仏を唱えるようである。法華宗で団扇太鼓を打ち鳴らしながら、南妙法蓮華経のお題目を唱えるのと同じようなものと想像される。この念仏を9月8日の薬王院縁日に唱えれば、無病息災・家運隆昌のご利益が授けられるとされている。
 薬王院には薬師如来が安置されており、この仏像は奈良時代に仏教を全国に布教して歩いた行基作といわれており、当村の地頭であった和田小太郎義盛が眼病を患い、祈願したところこれが平癒したため、この堂を建立したと伝えられている。因みに、和田義盛は横山党と姻戚関係にあり、鎌倉幕府初期の有力な御家人であるが、鎌倉幕府の実権を握った2代執権北条義時の挑発に乗せられ、滅亡してしまう武将である。
 
 次に、下和田の佐馬神社に歩を進め上り坂を行くが、途中の道は田舎の農家を縫うような昔ながらの道となっており、民間の屋敷内に下和田のケヤキ(写真39)と呼ばれるかながわ名木100選に選ばれた銘木がある。このケヤキは高さ25m、樹周4.2m、樹齢約500年の大木で、大和市の天然記念物にも指定されている。

 下和田の佐馬神社(写真40)は上和田の左馬神社と同じように、鐘楼と神楽殿を持っているが、拝殿が神楽殿の奥に配置されている。左馬神社は古くは鯖神社と表記することが多かったようで、「左馬」と称するようになったのは源頼朝の父義朝を慕う土地柄が関係し、義朝の官職が佐馬頭であったことから「左馬」に変更したといわれている。また、元々の「鯖」の文字を用いていた由来は確定していないようであるが、水の神としての沢、「サワ」、東南アジアの言語で水田のことを「サワ」、「サバ」と呼ぶことから田の神が関連しているとの説もあるようだ。
 
 
 
写真38(薬王院)
 
写真39(下和田のケヤキ)
 
写真40(下和田 左馬神社)

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