takeshiの街道を歩く カメラのイラスト

 ぶらり歩き  
 2.境川を歩く (12)                              平成14年8月10日
 境川に戻り、上瀬谷橋を過ぎた川面に鷺(さぎ)が飛翔している。
 中島橋の手前には最近はやりの親水を意図した階段状の法面と川に突き出してテラスが設けられており、親子連れが涼をとっている。
 境川を離れて相鉄線のガードを潜り、深見神社に向かうが、その途中にある仏導寺(写真32)に立ち寄る。この寺は天文年間(1532年〜1555年)に浄土宗の僧称念上人が開山したといわれ、境内には次のような4つの大和市指定重要文化財が保存されている。
坂本家の墓(深見村を所有していた旗本)
梵鐘(元禄8年(1698年)に、江戸の鋳物師・木村将監、木村三郎による製作)
慶長年間の墓(1598年の銘がある。この地区では1600年以前で石製墓は珍しいという)
徳本念仏塔(写真33。1818年建立。深見、瀬谷、鶴間の200名の人々の名が刻まれている)
 境川を歩いて来て、両国橋と山根橋の間龍像寺につづいて3体目の徳本名号塔であるが、今まで見た中で、もっとも「南無阿弥陀仏」の六文字の彫りが深く、すっきりしている。また、「徳本」の文字も鮮明に確認できる。

 仏導寺と隣り合わせに建っている深見神社(写真34)は「延喜式神名帳」(927年)に記載された大和市で唯一の神社である。深見という地名は、昔この辺りまで駿河湾が入り込んでいて、「深海」、「深水」という字を当てていたことに由来するそうで深見城址もそうであるが、深見神社も地名からきているといえる。しかし、「新編相模国風土記稿」では鹿島社と記され、これは江戸時代前期に深見藩の領主であった坂本氏が常陸国一之宮の鹿島神宮の祭神「武甕槌命祭神(たけみかづちのみこと)」を勧請したことに由来すると思われる。
 境内には寛政3年(1791年)に建立された、大和市指定重要文化財に指定されている「深見神社社号標」と、大和市の天然記念物でかながわ名木100選にも選ばれている樹齢400年といわれるハルニレがある。この木はご神木でもあるが、当初名前がわからないため、なんじゃもんじゃの木と呼ばれていたという。
 
 
 
写真32(仏導寺)
 
写真33(仏導寺 徳本名号塔)
 
写真34(深見神社)

トップへ 次へ 戻る

(C)2024 HIRAI. All Rights Reserved.