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 ぶらり歩き  
 2.境川を歩く (11)                               平成14年8月10日
 再び、川岸を進むと、鶴間一号橋の日陰となっている橋桁には数十羽の鳩の群れが羽を休めていた。朝食を終えての一休みといった様子である。
 歩き始めて約3時間で、門前に武相卯歳観音札所 第一番と刻まれた石碑が建つ観音寺(写真29)に着く。武相卯歳観音霊場というのは、武蔵国の南多摩地区と相模国の相模原地区で卯年に観音を開帳するお寺で構成された観音札所のことで、この寺の御本尊は十一面観音である。現代に比べて娯楽の少なかった江戸時代の人びとにとって、札所巡りは格好の行楽となり、農閑期を利用したまたとない楽しみであったと想像される。また、大和市指定重要文化財の観音寺厨子(1544年製作)と木造地蔵菩薩半跏像(室町時代末期から江戸時代初期の作)が保存されているという。
 
 ここまで川の周辺には住宅が多く見られたが、川を下るに従い、工場群、倉庫などの生産施設が目に付くようになつてきた。高度経済成長期に京浜工業地帯から地価の安いこの辺りに工場疎開したものではないかと思われ、バブル崩壊から十数年が経過した現在に至り、周りの風景に溶け込んだ姿となっているように見受けられる。目黒橋を渡ると、右側から目黒川が境川に合流してくる。

 大和市に残る中世に築かれたといわれる深見城跡付近にやってくるが、それらしいものが見当たらず民家の間の細道に確信もなく、入ってみる。昔ながらの切通しの道(写真30)に迷い込むが、どうもこれが境川の右岸を通り鎌倉に抜ける古鎌倉道ではないかと思われる。この道を登り切ると視界が一気に開け、畑と雑木林の土地に出る。この辺りが深見城跡と想像されるが、手掛かりとなるものがないたため、たまたま畑仕事をしている老人に城跡の場所を尋ねてみると、目の前の雑木林(写真31)がそれだと教えてくれた。林の中に入ってみると、現在は大和市が管理している市民の森となっており、深見城跡の案内板を見つけられなかったが、古鎌倉道に直行する坂道に天竺坂(てんじくさか)と刻まれた石碑があり、この道は深見城築城のときに作られた空掘に当たる道と刻まれている。現在は人が住む建物はまったくなく、解説がないと鎌倉道、城があったことなど想像することができない雑木林や畑地に変遷しており、歴史という時空間の面白さ、はかなさを感させる場所である。
 
 
 
写真29(観音寺)
 
写真30(切通し道)
 
写真31(深見城跡)

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