根岸菓子店があるから根岸
交差点。写真右方向が所沢
駅前を通って田無方向(江戸
道)へ。 左方向は飛行機新
道で航空公園へ。この近くに
埼玉南西部と東京多摩地区
チエーン店である「山田うど
ん」の発祥店があった(かか
しラーメンも同じ)。写真左正
面直進が志木街道。川越藩
が江戸との物資輸送の便宜
を図るため人口的に作った
新河岸川が開通するとその
途中までこの路で荷車で運
んだ。 |
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所沢は宿場町。鎌倉街道一
本だけだったのが江戸の繁
栄とともに江戸道ができ、そ
の街道筋が栄える。農産物
や炭、織物を江戸の市場に
運んだ。江戸方向の田無から
所沢駅前を通り所沢に入る。
根岸交差点から、左に曲がり
ながら坂を下り、元町交差点
で右に曲がるまでの数メートル
が栄えた。この坂稲荷は根岸
交差点の坂にある。昔の町の
入り口と出口には左右のカ
ーブや坂があり、神社があっ
てその町の安泰と旅人の安全
を祈願した。この坂稲荷もその
名残であろう。 対面の路地が
参道で賑わったという。 |
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当時ではモダンな建築の織
物事務所や料亭「婦多佳美」
があった 所沢は綿・絣(かす
り)の織物の産地で、鎌倉時
代まで遡るという江戸時代末
期の西洋文化の移入で、粋な
柄の織物がはやり出すと、
益々盛んになる。近隣の農家
の婦人が織った織物が市場
(3と8の日.に開かれたので
サンパチの市)で取引され、
所沢は集散地だったのであ
る。その後昭和20年代まで
肌着やタオルの綿織物が盛
んで織物事務所はランドマ
ークタワーであった婦多佳美
(写真の高層マンションの地)
は木造3階建てで昭和10年
の建設。明治44年に誕生し
た所沢飛行場と共に栄え10
0畳敷きのたたみの大広間
があった。飛行学校の関係者
の憩いの場所であり戦後は
進駐軍の将校達がダンスパ
ーティを開いたという |