発表会
平成20年3月9日(日) 所沢市伝統芸能発表会が所沢航空記念公
園にある所沢市民文化センター ミューズ マーキーホールで 開催さ
れた。主催は重松流祭囃子保存会・岩崎獅子舞保存会・所沢市教
育委員会である。2年に一回の催しで、市内に保存会支部が15あ
るので8年に一度の発表チャンスである。当日はこの日のために練
習を重ねてきた,西所沢・宮本町・日東(日吉町と東町)・星の宮の
各町内の支部の囃子連が競い合った。神様が山からて下りてきて
世の天下太平・五穀豊穣を願い祝う物語を踊りと囃子で演じるので
ある。

重松流祭囃子
重松流の元祖である吉田重松(よしだしげまつ)は、天保元年3月
17日所沢村に生まれる。兄とこんにゃく屋を営んでいたが縁あって
古谷家の養子となる。古谷家は味噌麹の製造と染料の藍玉の販売
を手広く商っていた。当時の藍は糸や織物を染める最高のものであ
る。妻の「みき」は気丈で商売がうまく働き者。重松は家にいるより
も外にいたほうが好きな性格で、家業はみきに任せて行商と藍の仕
入れに打ち込んだ。所沢周辺の武蔵野は藍が多く栽培され、所沢
は集散地だった。古谷家は藍の葉を集荷し、藍玉に加工して藍師に
売る商売が繁盛し、重松は集荷と販売で近郊を行商しながら笛を持
ち歩き、休んでは吹いて楽しんでいた。器用な重松は足でばちを持
ち太鼓を叩きながら笛を吹くことができた。勿論その演奏は抜群で、
人だかりができ興味を持つ若者たちが教授を乞うようになる。知り合いの家に泊まりながら今でいう"笛・太鼓教室”を開きながら広めたのである。その範囲は埼玉では所沢は勿論、入間・狭山・飯能、東京の村山・立川・青梅・五日市あたりであ
ったという。


お囃子の演目
1 屋台囃子 乗り物で神霊を送り迎えする演目で踊りは獅子舞と白
  狐。 神霊が近づいたことを知らせる。

2 三番叟(さんばそう) 
イントロで最初に演じる。前方で三番叟
  が鶴の舞を演じ、後ろに5人囃子が並ぶ。
3 宮昇殿(みやしょうでん)  神様が山から里に下りてきたのを知
  らせる。屋台囃子とは違い笛は緩やかなテンポで、子守唄を思わ
  せる。
4 四方殿(しほうでん)  神霊が宮にはいることを知らせる調べ。
5 かまくら 大太鼓が主役で世の安泰を祈り祝う演目。
6 師調目(しちょうめ ) 全ての行事がが終わわり神霊が浮かれ
  ながら山に帰る調べ。 
7 にんべ  最も一般的な曲目。おかめ・ひょっとこ・かまくら等を演し
  てお化粧なおしをする。

8 その他  
ねんねこ、地ばやし、しみず等
松流祭囃子の楽器
トンビ 笛のこと。その音が鳶の声に似ているから。
大太鼓 
小太鼓×2  向かって左側が付(つ)け太鼓でメイン(地
   ぢという)。右側が絡み(からみ).。つまり地の気分を
   乗せながら絡むのでからみ。
四助 上記四つの楽器を助ける役目を持つから四助。
  当初四つの楽器だけだったが、演奏してるときに、
  近くをあめ屋がかねを鳴らしながら通りかかっ
た。その調子が演奏にピッタリ合い調子がよかった
ので鉦(かね 打楽器)を入れるようになった。


お面のお話
おかめ 女性の優しさ・優雅さを表し、色白で微
笑み、福与かなほほと髪の毛で、踊りも動作が
緩やか。
ひょっとこ 朝、起きてかまどに火を付ける男
の顔。動きもユーモラス。

外道 今では踊れる人が少なくなっている
きつね 
神様のお使いオスとメスがある。.
獅子 日本にいないはずの獅子がなぜ?

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小・中学生も立派な演技
  狐は神様のお使い 雄と雌がある
岩崎獅子舞保存会
毎年10月第2土曜日に岩崎
の瑞巌寺境内で開催される
踊り子
祭囃子に使われるお面 重松流始祖古谷重松のお墓は
市内御幸町(みゆきちょう)の
薬王寺 川端霊園
将棋の名人福泉藤吉も
同じお墓墓
毎年10月第2日曜日には旧町で所沢祭があり山車の曳き回しがある
所沢ペアート
重松流祭囃子保存会
6代目会長 内堀 金造氏