天使のかばん

奈良時代、紙は先端技術がもたらす最新素材であった。いつの世にも先端技術が生み出す産物は、珍しく貴重品として尊ばれる。人が自然を畏れ敬うことに多大な労力を費やしたその時代、紙はおのずから神々とのコミュニケーションを果たす媒体としての地位を得た。和紙は、木の精を幾度も清水に晒しあげてつくられる。その清純で潔白な風情は神聖な雰囲気にふさわしいものとして尊ばれた。神棚や神社を飾るしめ縄はもとより、供えものの包みにまで、さまざまな姿で紙が使われてきた。神々との交信が、紙を媒体としてもたらされた安泰と恵みに感謝をささげ再び同じ慈悲を取りつけようとすることにあったからである。

神聖化した紙はそこにけがれや魔性がつくことを防ぐ。祝いの饅頭をのしのついた紙で包み水引きをかけるのは、悪霊を水引きにつまづかせ跳ね返すためである。また一方で包み込まれた祝いの心が飛び立つのを防ごうという願いが込められている。包みは潔白の封印であり尊敬の証しである。「包むこと」にはさまざまな象徴的意味が込められている。

江戸時代、町民の文化が花開き紙は大量生産と消費の時を迎えた。紙はさまざまに暮らしの中へ浸透していく。富山の薬売りは、紙袋にいれられた薬の供給システムを考えた。そして紙袋は身近な暮らしのなかに定着した。また、懐紙の使用が広まり、おひねりという包み方の作法も生まれた。芝居小屋では、興奮した観衆の御祝儀のおひねりが飛びかった。おひねりは単純な形ながらはばたいた蝶のように美しい。紙でお金を包む作法は世界でも珍しい。正月のおとし玉から心付けにいたるまで、懐紙や半紙に包む風習が今でも生きている。関西ではポチ袋と呼ばれる小袋や大入袋が使われたりするが、そんな風習を目にすると一瞬心なごむ思いがする。
のし袋には重ね合せ方や水引きの向きに気持ちを伝える約束事がとりこまれ、作法として生き続けている。今日でも礼を失しないための常識を求められ慌てふためくことがある。

紙にはさまざまな技術が応用された。手彫りの版木で美しい模様をつけた千代紙、油やロウを引いた水に強い紙など、使い方の幅はますます広がり暮らしにとけ込んできた。紙はかくして、神々へのシンボルの時代を超え、文字を連ねた情報を運び、包みとしてものを運ぶという特性を発展させてきた。

元来わが国では食品の包装に自然素材の木や葉が多用されていた。ちまきには調理と保存の知恵が盛り込まれ、いかにもアジア的な風土を反映した包装の姿を今日に伝えている。包む工夫はとどまるところを知らない。

近年、過剰包装が議論される。過剰包装のひとつに上げ底式の過大包装がある。包みは大きい方が見てくれが良いとするのは大衆的な美意識のあらわれだ。これには一理あって、中味に対して風格を与えようとする気持ち、すなわち、中味に対する尊敬の念のあらわれともとれる。もっとも葛籠のみやげの大小を比較して小の価値を訴えようとする舌切り雀の民話のように、対極の美意識を説く思想にもこと欠かない。

ともあれ、こんなに幾重にも包み込まれる様はいったい何を意味するのであろうか。海外旅行者が急激に増え諸外国の包装を目にする機会も多いが、その簡素な包装を見て大枚をはたいた商品にしては粗雑な包みだとか、いやこれが合理というものだなどと論議もかまびすしい。いったい日本人はどうしてこんなに執拗にものを包もうとするのか。それは、ものを愛する心で慈しむ気持ちと、贈る心も包み込みたいということに他ならない。日本語の”慎しみ深い”は包み込んでゆかしい風情を想起させる。”奥ゆかしい”が賛辞となるのは、手前はともかく奥はゆかしいという様を愛でる気持ちがうかがえるからである。そのいずれもが好ましい姿としてとらえられ、包みの作法に通じている。

ニューヨークの街角で”ペーパーバッグレディ”と呼ばれる婦人を見かけたことがある。紙袋をいくつも持って往き来する婦人ということには違いないが、それだけではない。定宿がなく持ちものだけが全財産という人たちのことを言うらしい。彼女らの持つ複数の紙袋には彼女達の生活のすべてが包み込まれている。これは不幸な例ではあるが、そこには「紙袋は生活と生命をも包み込むほどの多大な役割を果たせる」ということが示されている。

大国主命は大きな布製の巾着の中に弁当をはじめ旅のあいだ生命を支えるものを包み込み背中に背負っていた。これはさながら現代の宇宙空間で使われるライフバッグに匹敵する。



重さは限りなくゼロに近く、厚さも限りなくゼロに近い。しかしひとたび中身を入れるといろいろな形や大きさのものが包まれてゆく。自在性を備えるパッケージ、紙袋とはそんなイメージだ。天使が自由に使いこなすような重さも厚みもないカバンを想起させる。

街なかを行き交う紙袋、その中には買物をすませた後の心の満足、そしてその夢をかなえてくれるあこがれの品物が包み込まれている。すなわち紙袋には現実の生活と同時に、将来への夢の小宇宙が包み込まれているのである。
紙袋とは、まさに現代の夢の器(パッケージ)、天使のカバンなのである。



スーパーバッグ株式会社/S.P.C.NEWS vol.3 1986 包装の歴史に寄稿

パッケージ。それは、夢の小宇宙を包む現代の夢の器・天使のかばん。



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