『香港物語・生誕の日』



「いいこと。大人しくしているのよ」
「逃げようなんて思わないことね」

冷酷な命令にさくらはただ黙って頷くしかなかった。
それ以外の選択肢は彼女には許されていなかった。

李芙蝶(フーティエ)、雪花(シェファ)、黄蓮(ファンレン)、緋梅(フェイメイ)。
通称『シスターズ』。
李一族の重鎮として政治、経済界にも大きな発言力を持つ女傑。
そんな怪物達に一介のメイドであるさくらが逆らうことなど不可能だった。

30分ほど前、さくらは芙蝶に呼び出された。
芙蝶が小狼専属のメイドであるさくらを呼ぶことなど滅多にない。
なんの用だろうとかといぶかしみながら、芙蝶の部屋に足を運んださくらを待ち受けていたのは四姉妹による淫靡な宴だった。

「よく来てくれたわね、さくら。さあ、こちらにいらっしゃい」
「はい、芙蝶様」
「ふふっ、そう固くならなくてもいいわよ」
「は、はい!」
「さくら。今日あなたを呼んだのはね。あなたに聞きたいことがあったからなのよ」
「はい。なんでしょうか」
「小狼はもう、あなたに手をつけたのかしら?」
「え? あの〜〜どういう意味でしょうか」
「あら。聞こえなかったのかしら? 小狼に抱かれたのかって聞いてるのよ」
「そんな! わたしと小狼様はそんな仲じゃ・・・きゃぁっ?」
「その反応じゃあまだみたいね」
「雪花様!?」
「ほんとにあの子って奥手ね〜〜」
「黄蓮様、緋梅様まで!?」
「ま、そこがあの子のカワイイところよね」
「でも、こんなんじゃあいつまでたってもラチがあかないわよね〜〜。やっぱりここは私達でお膳立てしてあげないとダメかしら」
「芙蝶様!? なにをなさるのですか! おやめください! そんなところを・・・あ・・・いやぁぁぁっっ!!」

――――――――――――――――――――――――――――――

それはさくらが想像したこともない淫らでいやらしい世界だった。
衣服を剥ぎ取られ、四肢の自由を奪われて体のあちこちを弄られる。
これまで他人の目に晒したことのない部位を鑑賞され、卑猥な言葉で品評される。

「やめてください・・・お願いですからそんな恥ずかしいところを見ないでください・・・」

さくらの哀願など姉妹は気にもかけない。
むしろ、さくらのすすり泣く声が姉妹の興奮を促進させるスパイスになっているかのようだ。
やがて、さくらの秘所を丹念に調べ上げて、そこがまだ純潔を保っていることが判明した時に姉妹の興奮は頂点に達した。

「あははは。やっぱり、この子まだよ!」
「予想通りだわ。これで今年のプレゼントは決まったわね」
「うふふっ。小狼もきっと喜んでくれるわ」
「プレゼント? 小狼様? いったい、なんのことですか?」
「鈍い娘ね。それともカマトトぶってるのかしら?」
「今年の小狼の誕生日プレゼントはあなたってことよ」
「正確にはあなたの『初めて』がプレゼントね」
「ひっ・・・!?」

そちらの方面には疎いさくらも、ここまで言われれば姉妹が何を考えているかはわかる。
自分の純潔を小狼の誕生日プレゼントとして捧げさせるつもりなのだ。

さすがに恐怖にかられて抵抗しかけたさくらだったが、桃矢への援助を打ち切られてもいいのかと脅されては大人しくするしかなかった。

「そうそう。そうやって大人しくしていればいいのよ」
「もうすぐ小狼が来るわ。あの子が来たら言われたとおりにするのよ。わかった?」
「はい・・・」

さくらの答えに抵抗の意思がないのを確認できたからか、姉妹は満足そうな笑みを浮かべて部屋を出て行った。
広いベッドの上にさくら一人が取り残された。

――――――――――――――――――――――――――――――

(やっぱりね・・・。これがわたしの運命だったんだ・・・)

さくらは思う。自分の運命を。
逃れようの無い蜘蛛の巣に囚われてしまった自分の末路を。

本当のことを言えば、こうなるのではないかという予感はあった。
李家に仕える際に提示された給金は、単なるメイドの仕事には不釣合いなほどに高額なものだった。
普通では考えられない金額だ。
そもそも李家のような名家が身寄りの無い少女を雇うというのもおかしい。
裏に何かあると思わざるをえない。

しかし、さくらには重病に伏せる兄・桃矢がいる。
普通の仕事では到底、桃矢の治療費を稼ぐことはできない。
桃矢を助けるためには李家の申し出を受けるしかなかった。

その結果がこれだ。
自由を封じられて純潔を奪われる。
愛の行為ではなく、単なる娯楽として。
少女にとってこれ以上はない残酷な運命。

いや、あるいはそれ以上におぞましい運命が自分を待っているかもしれない。
李一族にまつわる妖しい噂話はさくらの耳にも入っている。

曰く、魔道の一族。
曰く、妖魔の末裔。
曰く、人の血をすする魔性。

そして、さくらの相手はその一族の当主だ。
純潔を失うだけで済めばいい方かもしれない。
邪悪な儀式の生贄にされて無惨な最期を迎える・・・そんな可能性すらある。
昔から言うではないか。
悪魔への生贄は乙女の生き血にかぎる、と。
言いようのない恐怖に体が震える。

だが、さくらの中にはもう一つ、恐怖とは異なる感情もある。

(小狼様・・・。小狼様にだったらわたし・・・たとえ・・・どんな目にあわされても・・・)

李小狼。
さくらの仕えるご主人様。
今宵、さくらが全てを捧げる男。
そして・・・さくらが心の内で密かに想う相手。

さくらは思う。
小狼のことをこんなにも想うようになったのはいつからだろうかと。

――――――――――――――――――――――――――――――

さくらにとって、小狼の第一印象はとても冷たい人、というものだった。
人らしい感情をまったく見せない、冷徹な御主人様。
この人には暖かい血は通っていないのではないか。そんな風に考えていた時期すらあった。

さくらがそう思ったのも無理はない。
小狼の生活は異様だ。
1日の大半を専属の家庭教師と共に自室で過ごし、滅多に外に出ることがない。
拳法の修行の為に庭に出る以外、ほとんどの時間を部屋の中で過ごしている。
学校にも通っていない。
近くに居るはずの姉達や夜蘭がここを訪れることも稀だ。
まるで他人との接触を避けているように、いや、禁じられているように見える。
他者と交わることなく、寸分の狂いもなく繰り返される規則正しい生活。
これが李一族のしきたりとは聞いていたが、まともな人間の生活とは思えない。
普通の少年だったら1月も耐えることはできまい。
なのに、小狼は文句一つ言わず黙々と従っている。

名家の跡取りとはこういうものなのだろうか。
「李一族の当主」という役割を淡々とこなすだけの機械。
その顔には喜びも、怒りも、苦しみも何も写らない。ただ美しいだけの仮面を被った人形。
こんな人と一緒にやっていけるのかと不安に思ったこともあった。

それが、いつの頃からだろう。
時折、本当に時折だが笑顔を見せるようになった。

たまたま美味しく紅茶を淹れられた時。
珍しいお菓子を出した時。
盛大な失敗をやらかした時。

そんな時、

「今日の紅茶は美味しいな」
「ありがとう」
「さくらはおっちょこちょいだな。もう少し気をつけろ」

そう言いながら笑ってくれるようになった。
いつもの冷たい小狼とは別人のように優しい顔。
あの笑顔を見るとさくらも嬉しくなる。
それまで遠い存在だった小狼に近づけたように感じる。
もっと、小狼様の笑った顔が見たい。もっと小狼様と近づきたい。
いつしか、それがさくらの行動原理になっていた。

(だって、小狼様の笑ったお顔・・・すごく優しいんだもの・・・)

それが「恋」であることには、親友の知世に指摘されるまで気づけなかった。

「ふふっ、さくらちゃんは本当に李さんのことがお好きなんですのね」
「え? わたしが小狼様のことを好き? ち、違うよ! そんなんじゃないよ!」
「あら? そうでしたの? でも、さくらちゃん。李さんのことをお話してる時はいつもすごく嬉しそうにしてますわ」
「わたしが嬉しそうにしてる?」
「はい。ですので、李さんのことがお好きなのかな、と思ったのですが。違いますの?」
「わたしが・・・小狼様を・・・?」

あの時に感じた驚きと落胆は、今でもハッキリおぼえている。
小狼がいつの間にか、自分の『一番の人』になっていたという驚き。
そして、その『一番の人』に自分の想いが届くことは絶対にないという落胆。

片や香港一の大財閥の御曹司。
片や何の身よりもない一介の使用人。

あまりにも身分に差がありすぎる。
自分には小狼に想いを告げることすら許されていない。
自分に許されているのは、ただ黙って小狼を見つめることだけ。
そのはずだった。

しかし、今は状況が変わった。
いかにうぶなさくらでも、この先、自分と小狼が何をするのかは理解している。
決して手が届かないと思っていた人と肌を重ねることができるのだ。
たとえ、小狼の行為が愛のない性欲の発散にすぎないにしても、自分は小狼の体を感じることができる。
閨の中の睦言でならば、愛を告げることも許されるかもしれない。
自分の身体が小狼の好みに合えば、この先も寵愛してもらえるかもしれない。

そうなれば・・・
あの監獄のような邸も・・・
自分と小狼だけの愛の巣に変わる・・・
誰にも邪魔されない、わたしと・・・小狼様だけの世界に・・・

――――――――――――――――――――――――――――――

ふいにさくらはフッと自嘲の笑みを漏らした。
さっきから自分に都合のいい夢想をしていることに気づいてしまったのだ。
冷静に考えてみれば自分と小狼の蜜月など有り得ない。
それは今の自分の格好を見れば一目瞭然だ。

衣服は全て奪われ、身につけているのはペット用の首輪とそこから伸びる鉄の鎖のみ。
両手は背中で縛り上げられて、剥きだしの胸を隠すこともできない。
どう見ても人として愛されるための準備ではない。
愛玩動物、もしくはそれ以下の扱いだ。

(わたしったら・・・バカみたい。小狼様に寵愛していただけるなんて・・・なに都合のいいこと考えてるのよ・・・)

自分は小狼にとってただの使用人、あるいはそれ以下の存在。
用が無くなれば捨てられてしまう、使い捨てのオモチャ。
そして、小狼が求めているのは自分そのものではなく自分の純潔だ。
純潔を失えば、もう不要の存在。容赦なく捨てられる。
その程度のものなのだから。

だったら・・・
オモチャはオモチャらしく、御主人様を楽しませることだけを考えていればいい・・・
そこまで考えたところで

「姉上。何の御用ですか」

小狼の声が聞こえてきた。
来た。
ついにこの時が来た。

「姉上? いらっしゃらないのですか?」

芙蝶に何も聞かされていないのか、怪訝そうな声をあげながら寝室の方へ・・・さくらが置かれた部屋へと近づいてくる。

一歩、また一歩と近づいてくる小狼の足音を聞きながら、さくらは芙蝶に言い渡された台詞を反芻していた。
ほんの数語の簡単な台詞だ。
人の尊厳を放棄することを意味する、ミジメで屈辱的な台詞だ。
それでもかまわない。
それで兄を助けることができるのであれば。
なによりも、相手が小狼なのだから。

「姉上。こちらでしたか」

ついに小狼はベッドの前までやってきた。
もう、自分と小狼を隔てているのは薄いカーテンだけだ。
あれが開かれた時、自分の運命が決まる。
あれが開いた時・・・

そして、さくらの見守る中、カーテンは開かれた。

「姉・・・!? さくら?」
「小狼様。お誕生日おめでとうございます。わたしからのささやかなプレゼントです。どうぞ、この卑しいさくらの肉を存分にお楽しみください・・・」

NEXT・・・

あなたの考える小狼様はどんな人?
冷徹な李家の当主様
ヘタレの御曹司


続きます。
一応、書いておきますが、李芙蝶、雪花、黄蓮、緋梅の4人は劇場版第一作に登場した小狼の姉達です。
オリジナルキャラではないので念のため。

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