『生誕の日・純愛編』



小狼は一瞬だけポカンとした表情を見せた。
が、すぐにいつもの無表情に戻ると懐から宝玉を取り出した。

「玉帝有勅神剣四方・・・」

小狼が呪を唱えると宝玉が一瞬にして剣に変わる。
水晶のように蒼く透き通った宝剣。
それがどれほどの切れ味を秘めているのかは何度も見ている。
照明を反射して冷たく光る刀身を見ながらさくらは最後の覚悟を決めた。

(わたし、あれで斬られちゃうんだ・・・。あはは・・・そうだよね。小狼様がわたしなんかを抱くわけないよね。きっと悪魔とかの生贄にされちゃうんだ・・・はは・・・)

たとえ、性欲を満たすだけのオモチャとしてでも小狼様に抱いてもらえる・・・そんな儚い希望も潰えた。
所詮、自分は小狼にとってその程度の存在だったのだ。
それが少しだけ悲しい。
それでもさくらは小狼から目を逸らさなかった。
心の臓を一突きにされるのか、なますのように切り刻まれるのか・・・どちらになるにしても最期まで小狼を見ていたかった。
命を失う恐怖よりも、愛しい者の手にかかる悦びに満たされて剣を突き立てられる瞬間を待つ。

しかし、さくらの予想に反して小狼は剣を振り下ろさなかった。
ほんの少し揺するように動かしただけだ。
それだけで、さくらを縛っていた縄はバラバラになった。

「あ、あれ?」

何が起きたのかわからず、キョトンとするさくらの前で小狼はさらに謎の行動をとった。
反対側の壁に手を当てると、精神集中するかのように目を閉じる。
そして

「破ッ!」

気合一閃。
その途端、

「きゃっ!」「あ痛っ!」

壁の向こうから何かが倒れるような音と女性の悲鳴があがった。

「今のは?」
「姉上たちだ。まったく。よくもまあ、次から次へとロクでもないことばかり考えつくもんだ」

どうやら、芙蝶たちは小狼とさくらの閨をのぞき見するつもりだったようだ。
それを小狼は一瞬で見抜いてしまったらしい。
ひょっとしたら、これまでも同じような悪戯をされた経験があったのかもしれない。
あわてて小狼の方に目を向けると、その顔には心底、呆れ果てたといった感じの苦笑が浮んでいた。

「さくら。お前も災難だったな。どうせ、兄貴のことで脅かされたんだろう」
「は、はい。でも! わたし・・・それだけじゃないです」
「それだけじゃない? 兄貴の他にも脅かされるネタがあるのか」
「違います! あの・・・わたし、小狼様に喜んでいただきたくて・・・それで、その・・・」

さくらは必死で言葉を紡ぎだす。
予想外の展開ではあったが、逆に言えばチャンスだ。
この異常な状況下ならば、普段は口にできないことでも言える。
今なら、自分がどれほど本気で小狼のことを想っているか伝えることができる。
ここを逃したらおそらく、二度と告白できる機会は巡ってこない。
途切れ途切れの言葉で小狼への想いを語ろうとする。
だが、そんなさくらの焦りは小狼には届いていないらしい。

「もういい。やめろ」

一言であっさりと遮られてしまった。

「本当なんです! わたし、小狼様に・・・!」
「俺になんだ。お前は俺がこんな趣向を喜ぶとでも思ったのか」
「いえ・・・」

それ以上、抗弁せずにさくらは口をつぐんだ。
小狼の声に明らかな苛立ちが感じとれたからだ。
考えてみれば当然のことかもしれない。
プライドの高い小狼が、こんな悪戯をされて喜ぶはずがない。
下手なことを言うと、芙蝶たちとグルになって小狼をからかうつもりだったのかと誤解されかねない。
今の状況では何を言っても無駄だ。

「ちょっと待ってろ。誰かにお前の服を持ってこさせる」

そう言って、立ち去ろうとする小狼を黙って見送るしかない。

結局、何も起きなかった。何もできなかった。
何も変わらなかった。
純潔を失っても、命を失ってもいいとすら思っていたのに、実際には指1本も触れてもらえなかった。
自分の秘めたる想いも、悲壮な覚悟も、”李家の当主様”にはなんの関係もない。
慰み者にされるだの、生贄にされるだのは、悲劇のヒロインぶった滑稽な自己陶酔で。
現実の自分は小狼の視界にすら入っていない。
それを思い知らされただけだった。

もう泣いてしまいたい。
だけど、泣いてもなんにもならない。
ここで泣いてみても小狼は同情などしてくれない。
それもわかっている。

ならば、せめて一言だけ・・・最後に一言だけ小狼に伝えたい。
芙蝶に言いつけられた言葉ではなく、自分の言葉で小狼に想いを伝えたい。
それだけを思って、遠ざかる小狼の背に声をかけた。

「小狼様!」
「なんだ」
「お誕生日、おめでとうございます」
「・・・あぁ。ありがとう」

例によって小狼の返事はそっけない。
けれど、さくらの目には振り返った小狼が一瞬だけ笑ってくれたように見えた。
あるいはそれは、さくらの願望がそう見せただけの幻だったかもしれない。
それでも、さくらはほんの少しだけ胸の奥が暖かくなるのを感じた。


――――――――――――――――――――――――――――――


翌朝。

「お、おはようございます」
「おはよう」

いつもの部屋でいつも通りに顔を合わせる二人。
だが、さすがにさくらは少し恥ずかしそうだ。
昨夜は、素っ裸で赤面ものの告白をしてしまったのだから無理もない。

(はぅぅ〜〜。昨日は小狼様に裸見られちゃったし・・・恥ずかしいよ〜〜)

そんなさくらに対して、小狼のほうは常と変わらぬ無表情だ。
さくらに向ける目にも何の変化は見られない。
昨日のことなど忘れてしまったかのようだ。

(小狼様・・・わたしの裸見てもなんとも思わなかったのかな〜〜。やっぱり胸が小さいと男の人は見てくれないのかな〜〜。トホホホ・・・)

男の人に裸を見られてもなんとも思われなかったのは、お年頃の女の子としてはちょっぴりショックだったらしい。
恥ずかしがったり、ガッカリしたりと忙しいことだ。
まあ、昨夜あれほど落ち込んだのにもう、ここまで回復しているのはさくらならではのバイタリティか。

そんな感じに、さくらが一人で百面相をしているとふいに、

「さくら」

と、小狼から呼びかけられた。

「お前に言っておくことがある」
「はい、なんでしょうか」
「お前はおれの専属だ。姉上たちのわがままにつきあう義務はない。この先、無理を言われたら遠慮なく断れ」
「はい」
「それとお前の兄貴への援助はおれが決めたことだ。おれの許可なく打ち切ることなどさせない。その点も心配しなくていい」
「はい! ありがとうございます」

昨日のことはやはり、小狼も気にかけていたみたいだ。
そんな小狼の気づかいに嬉しくはなるものの、

(小狼様はやっぱり優しいなぁ〜〜。・・・でも、これってひょっとして子供扱い? 小狼様ってわたしの保護者?? ひょっとして小狼様の中のわたしって・・・手のかかるお子様???)

やっぱり、女性とは見られていない? ような気になってしゅ〜んとなってしまう。
そんなさくらにおかまいなく、小狼の話は続く。

「それと・・・」
「はい」
「昨日の『プレゼント』だけどな。やっぱり少しだけ貰っておくことにするよ。わざわざ用意してもらったことだしな」
「あ、はい。ありがとうございます。ですが・・・『少しだけ』とはどのようにすれば・・・?」
「ちょっと目をつぶってくれ」
「? これでよろしいですか」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・

チュッ

「ッッ!?」
「さくらからの誕生日プレゼント、たしかにもらったぞ」
「しゃ、小狼様!? 今なにを!?」
「おっと。もうこんな時間か。そろそろ出かけるぞ。準備はできてるのか」
「え? あ、小狼様待ってください! 小狼様〜〜!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いつもよりちょっとだけ紅い頬をした小狼。
あわててそれを追いかけるさくら。

こうしてまた、二人の新しい1日が始まる。

END


生誕の日・まじめ編。
鬼畜展開を期待された方(あまりいないと思いますが)は申し訳ありません。
このシリーズの小狼は真面目な当主様なので非道なことはしない予定です。
多分ですが・・・。

おまけ編につづく

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