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第二話「接触」 TAKE 4

作戦本部になっている雑居ビルのある表通りから裏に入りこんでいくと、そこはもう何もない真っ暗な場所だった。
周辺は元々が倉庫街みたいになっていて、オフィスビルの立ち並ぶ表通りや、飲み屋が軒を連ねる裏通りとも少し離れている。

距離にすれば500メートルもないのに、その場所は驚くほど静かだった。

昼間であれば多少は車や人も通るのかも知れないけれど……

(それも分かったものじゃないよな……)

昼間下見の為にこの辺りを歩き回ってみた時も、殆ど車ともすれ違わなかった。
運送業者みたいなトラックが一台通りかかっただけだ。

「……こちらGポイント、今の所異常は有りません」

僕は小声で襟元に付けたマイクに向かってそう呟く。

「了解、引き続き頼むよ、成歩堂くん」

耳に嵌めた小型イヤホンから直人検事の声が響いてきた。

「……了解です。通信、以上」

一時間おきの定時連絡も手短に終わり、僕は再び支給されたスマホの画面に眼をやる。
入り口に向けて仕掛けられた高性能の隠しカメラが、件のビルをしっかりと監視していた。

正直、ビルの周辺には身を隠せる場所など無い。
入り口に面している道は完全に路地裏と言って良いほどの狭さで、車一台通れるくらいの幅しかない。
もしこんな所をうろつこうものなら、ばっちり怪しまれてしまう。

だから入り口の付近に目立たないように小型のカメラを設置して、
僕は少し離れたところからその映像を見ていた。
と言っても走れば十秒かかるかと言った所だけど……

カメラを設置したのに僕が同時にここにいるのは、つまり『不測の事態』を想定しての事だ。

『アンタ、腕っぷしには自信があるかい?』

恭介刑事が僕に備品を渡した時にそう訊いてきたことを思い出す。

実は僕自身実戦の経験が皆無と言って良いほどなかった。
一応警察学校では、格闘術と射撃は習ってはきたけれど……

(正直、あんまり得意じゃなかったんだよな……)

教官に相当扱かれ、何とか一通りは身に付けてはいるけど、それも実戦で役立つか分からない。
そんな僕の弱点を看破した狩魔検事が、
かなり手厳しい特訓プログラムを組んでくれたのももう昔の事のように感じる。

僕は見栄を張っても仕方がないので、正直に首を振った。

……冷や汗をダラダラ流しながら。

『じゃあ、こいつを持って行きな』

そう言ってもう一つ手渡されたのが、特殊警棒だった。
金属製で15センチくらいの短い棒なんだけど……

『こいつの使い方は解るな?』

問われて僕は頷いた。
革ひもを手首に巻き付け柄を握って一振りする。

ジャキン!!

収納されていた部分がそんな音と共に飛び出し、固定した。
軽く二三回振って具合を確かめると、僕は棒を仕舞い込んだ。

『一応、やる事はやってきてるみたいだな……』

ニヤリと笑う恭介刑事に、

『一応……ですけどね』

僕は引き攣りそうな笑いを漏らしながらそう答えた。

その警棒は今、僕の腰に付けたホルダーに納まっている。
素手よりも得物が有った方が幾分かはましだけど……

(使わないに越した事、無いんだよな……)

張り込みを始めて今日で三日目……
今の所は出入りする者も無く、それどころか人一人とも会っていない。
僕の持ち時間は午前一時まで……
その後は交代で誰かが来る。

時計を見れば10時まだ10分過ぎ……
こういった時には時間が経つのがやたらと遅い。

初日にはさすがに緊張が先に立っていたけれど、三日目ともなれば油断して気が抜けそうになる。

(ダメだダメだ!! しっかりしろ!!)

気が抜けたところを狩魔検事にでも見つかったら、それこそ鞭のフルコースだ。

まあ、狩魔検事は担当じゃないから、見つかりっこないんだけど……

『相手が相手だからね……用心しないといけないから』

そう言っていたのは直人検事……

『情報がどこから洩れるか分からないから、しばらくこの事は他言無用にね』

相変わらずの明るい調子でそう言ってたけど……

(それって内通者がいるかもってことだよな……)

笑っていなかった眼がそれを物語っていたように見えて、僕はただ『了解しました』と言う他は無かった。

他にすることが殆ど無いせいか、散り散りに思考が飛びそうになっている。

流石にこのままじゃまずいと思った僕は、固まってしまった身体をほぐそうと伸びをしようとして――――

ヴヴヴ……ン

唐突に起こった車の気配に緊張して画面に目を走らせた。

やや上の方に設置されたカメラが捉えたのは一台の車……
黒のワンボックス……大きさは普通車サイズ……
それが件の入り口の近くに横付けされている。

僕は小型イヤホンに手を当てると、出来うる限りの小声で本部を呼び出した。

「こちらGポイント……今、車が一台付きました。二人降りた模様……レコード頼みます」

言いながらさんざん練習した手順でスマホを操作する。
外部接続のマークが浮かび上がると同時に、直人検事が応答する。

「映像確認、レコード開始。他に何か確認できるか?」
「はい、こちらからも確認しま……あっ」

手に持っていた小さな画面から、直接現場を覗き込んで――――

僕は思わず小さく声を上げた。

車から降りてきた二つの人影とは明らかに異なるモノが後部座席から降ろされようとしている。

それは明らかに人の影だった。

「後部座席に何か積んでる……人のようです」

気を失っているのか、ぐったりとしているそれは二つあるようだった。
入り口が開き、更に三つの影がそれを手伝おうとしている。

「早く運べ!」

小声で指示する声が隠しマイクを通じて耳に響いた。
このままだと連れ込まれてしまう……!!

「…………!」

指示を仰ごうと口を開こうとしたその時、ぐったりとしていた人影が不意に動いた――

「きゃあああああああ!!」

目を覚ましたのか、静寂を切り裂くような悲鳴が上がった。
その声に、僕の身体がカッとなった。

「――――! 検事! 後を頼みます!!」

僕はそう言い捨てると、着ていたパーカーをスマホごと脱ぎ捨て走り出した。

「応援を寄越す! 持ち堪えろ!」
「了解!」

短い指示が飛び短く答えると、僕は大声を張り上げた。

「待った!!」

突然割り込んできた声に、一瞬人影の動きが止まる。

「!! 放してよ!!」

その隙をついて小柄な影が捕まえていた男の腕に思いっきり噛み付いた。

「ギャッ!」

余程思いっきりやられたのか、男が一瞬怯む。
小柄な影――よく見ると少女だ――はその腕から飛び降りると僕の方へ向かって走った。
僕も同時に少女に向かってダッシュした。

「この……っ!」

捕まえようと伸びてきた手を間一髪のところで食い止める。
僕は少女の腕を引くと僕の後ろに隠すようにして間に自分の身体を割り込ませた。

「何だ、てめえ……!!」

陳腐なセリフをがなり立てながら男が殴りかかってくる――――

僕は既に手首に巻き付けていた警棒を腰から引き抜き一閃させると、その手首を打ち据える。

「ギャッッ!!」

先ほどよりもはるかに重い悲鳴を上げ、男はうずくまった。
その光景に他の者が一瞬たたらを踏む。

「……早く逃げるんだ!」

僕は目だけを走らせて少女を見ると早口でそう囁いた。

「表通りまで走れ!! そこに警察がいる!」
「でも、お姉ちゃんが!!」
「……僕が何とかする!! 早く行くんだ!!」

四の五の言ってる暇は無い!

「う……うん!!」

少女は気圧されたかのように頷くと、表通りに向けて走り出した。

それを追おうと突っ込んできた男が僕の右横をすり抜けようとする。
僕はそれを警棒で阻止すると男を反対側の方へと蹴り込んだ。
蹴り込まれた男は後方から突っ込んできていた一人とぶつかり転倒する。

「この……!」

衝突を免れた男が手に大型のナイフを持って切りかかってきた。

「――――――!」

僕はその肘目掛けて警棒を振り下ろす。
それはクリーンヒットし、鈍い音を立てた。

「ぐお……ォ…」

凶器が手から滑り落ち、男がうずくまる。

「…………そこまでだよ、オニイサン」

静かな、蛇のような恫喝を秘めた声が突如響いた。
申し訳程度の街灯の下にある光景に僕は動きを止める。

恐らくもう一人の被害者なのだろう女性の喉元に大ぶりのナイフを突きつけて、男が薄ら笑いを浮かべていた。
元々は端正なのだろう顔には、左の額から頬に掛けて三本の鉤裂きのような傷が走っている。

「随分強いじゃないの、オニイサン?」
「……」

僕はギュッと警棒の柄を握りしめる。
その手に汗が滲むのが自分でも判った。

男の持つナイフは女性の頸動脈にピタリと当てられ、すぐにでも掻き切れる位置にある。

(クソッ! ……距離がまだ……ッ!!)

このまま踏み込んでも、相手がナイフを引く手の方が圧倒的に早い――
応援が到着するのにはまだ間がある……

「得物離してこっちに来てよ」

有利を確信した笑みで男が顎をしゃくる。

「…………くっ」

今は時間を稼ぐしかない……

僕はゆっくりと腕を降ろした。
右の手から警棒が滑り落ちる。

考えろ、考えろ、かんがえろ!!

「そのままゆっくりこっちに来るんだ」
「…………」

命令に従い歩を進める。
後少し間合いに遠い所で、

「はい、ストップ」

言われて僕は足を止めた。
男の腕の中の女性はまだ意識を回復していない。

(頼むからまだ目を覚まさないでくれ……!)

祈るような気持ちで僕は手を握りしめた。
もし意識を回復してこの状況にパニックにでもなったら、女性の命が危ない。

「オニイサン、ただモノじゃないみたいだね」

声の調子やうっすらと浮かび上がる姿から、まだそんなに齢は行っていないようだ……
僕と同じくらいか、下手をすると下のようにも感じる。
しかし人質の取り方や指示の飛ばし方は、明らかにそこらのチンピラとは一線を画しているようだ。

下手に動けばどちらも生きて帰れない……

僕はまだいいが、どうにかしてこの女性だけでも……

少女が『お姉ちゃん』と言っていた……
細身の黒いスーツ姿のまだ若い女性……

「……その人を、離してくれないか」

無駄を承知で一応頼んでみる。

しかし相手は意外にもあっさりと首を縦に振り、いい笑顔を見せた。

「ああ、いいよ……ただし……」

その眼が瞬時に獰猛なそれに変わる。

「オニイサンの動きを止めてからね……」
「――――!」

背後に不意に感じた気配に僕は振り返ろうとして――――

バチバチバチ……――――ッ!!

「うぁあああああああああっ!!」

ス、スタンガン!!?

いつの間にか背後に寄ってきていた男が、僕の背中にスタンガンを押し当ててきた。
身体中に文字通り電流が流れ、僕の身体はあっという間に痺れてしまう。

「…………ッ」

一瞬意識が遠のき、僕はその場に崩れ落ちた。

「この野郎、さっきはよくもやりやがったな!」

さっきまでやられていたチンピラどもがここぞとばかりに僕に襲いかかる。

「……ッ!! グッ……」

腹に、背中に、胸に、次々に蹴りが入れられていく。
抵抗できない僕はそのまま暴行を受け続けるしかなかった。

「…………」

僕は必死に眼を開け、未だ女性を抱えたままの男の方に眼を向けた。

男の手のナイフは、もう下に降ろされている。

どうやら最悪な事態ではなくなったものの、まだ好転したとは言い難い。

(何とか……あいつから女の人を離さないと……!)

しかし、身体が痺れ、暴行を受けている今の状態ではそれもままならない……

その時、僕の視線が男の冷たい視線とぶつかった。
男はニイッ、と凶悪な笑みを浮かべると、

「……そこまでにしておけ」

チンピラたちにそう命じた。

「しかし……!!」
「オレの命令、聞けないっての?」
「……ヒッ!!」

静かな恫喝に震えあがって、チンピラどもが僕から飛び離れた。
代わりに別の男に引き上げられ、僕は顔を無理矢理あげさせられる。

「オニイサン、イイ眼をしてるじゃない……」

ぼくを上から見下ろしながら、男がほくそ笑む。

「よく見りゃ綺麗な顔してるしさ……オタク、刑事さん?」
「…………」

僕は一切答える事はせず、相手を睨み続ける。
実際まだまともに動かない身体ではそれが精一杯だった。

「ま、どっちでもいいんだけどね……」

ナイフを持ったまま前髪を掻き上げると、そのナイフをしまう。

「このまま殺しちゃってもいいんだけど……足が付くしさ」

その懐から取り出されたのは小さなケース……

「…………?」
「丁度いいから、オニイサンにイイ物やるよ」

女性を他の男に預け、ケースから何かを取り出す。

「…………!!?」

その手に握られたのは小さな注射器だった。
細い針が街灯の明かりにしらしらと浮かび上がる。

「ま……まや、く……?」
「ただのクスリじゃないよ……」

いっそ見事なほどに無邪気な笑みを浮かべ、僕の前に屈み込む。
そして本当に気の毒そうに眉をしかめた。

「かわいそうに……痛いでしょ? 直ぐ楽にしてあげるからね?」
「…………! やめろ!!」

僕は僅かばかり戻った力を振り絞って暴れる。
しかしそれもすぐに押さえつけられてしまう。

「ダイジョウブ、死にはしないから」

男の手に握られた針が僕に向かって伸びてきた――――その時!

ヒュッ!

小さな風切音がしたと同時に、

「グッ……!!」

カシャン!!

何かが男の手を弾き、注射器が地面に落ちて割れた。

「……そこまでにして貰おうか」

やや低い落ち着き払った声と、もう一度風切り音……

「げえっ!!」

それは人質の身体を抱きかかえていたチンピラの額に当たり、女性の身体が地面に投げ出された。

「だ、誰だ!?」

男が余裕を捨てて叫ぶ。
次の刹那――――

ガッ!!

鈍い音がしたかと思うと、今度は僕が地面に投げ出された。
思わず振り返った僕の視線の先に、僕を押さえつけていた男が呆然と突っ立っていた。

その身体がぐらりと傾ぐ。

その背後に、新たな人影が有った。

街灯の下でも判る銀糸の髪に怜悧な瞳……長身の男……

「……名乗る名など、無いな」

男は冷笑を浮かべ、無造作に掴んでいた自分より大きな身体を横に放り投げた。
既に落とされていたのだろう、大きな音を立ててその身体が倒れ込む。

どこにそんな力があるのか……

僕はぼんやりとした頭で場違いな事を思っていた。

「――――チッ!」

さっきまで余裕を見せていた男がケースを投げ捨て、懐から再びナイフを取り出す。

「オオオオオッ!!」

気合と共に切りかかってきた男の腕を軽々と受け止め、銀髪の男が小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
その眼が何故か僕の方へと落とされる。

「さて、一つ訊こう……この場合に於いて正当防衛は是となるか、否となるか……」

先に襲ってきたのは向こうだ。
自身や他者の命が明らかに脅かされる恐れがある場合……

「せ、正当……防衛です……」
「……よろしい、君が証人だ」

銀髪の男は満足げに笑うといとも簡単に相手の腕を捩じりあげた。

「ゲッ!」

男の手からナイフが滑り落ち、男の身体が放り出される。
その時、建物の中から騒ぎを聞きつけたのか、さらに数人が飛び出してきた。
そのまま銀髪の男を包囲する。
チンピラとは明らかに格が違う雰囲気の男たちに囲まれて尚、銀髪の男は余裕の笑みを崩さない。

「フッ……これはこれは」
「やってしまえっ!」

傷の男が叫ぶ声に更に冷笑を深める。

「何とも陳腐なセリフだな……もう少しオリジナリティーを身に付け給え……」

言いながら背後から突っ込んできた輩の顔面に裏拳を打ち込む。
その一撃で相手は昏倒した。

(つ…………強い!)

仕立ての良さそうなスーツもこの男の動きを制限することが無いのか、
男は滑らかな動きで身体を反転させると身近に迫ってきていた輩の腕を取りその身体を地面に叩きつける。

ボキッ……

ぞっとするような鈍い音と、苦悶に満ちた悲鳴が同時に上がった。

その悲鳴に人質を取っていたチンピラが息を吹き返した。
慌てて放り投げていた人質を確保しようとする。

「――――!」

僕はとっさに飛び起き、渾身の力でチンピラに向かってダッシュした。
そのまま飛び込むようにその身体にタックルする。

まだ上手く力が入らない身体を叱咤し僕は全体重を掛けてそれを抑え込んだ。

「……うう」

小さな呻き声が聴こえ視線を送ると、倒れていた女性の身体が微かに動いた。

「……! 気が付きましたか!?」

僕は大声で呼びかけ覚醒を促した。
その呼びかけが通じたのか、女性はハッと目を開ける。

「……! !? こ、ここは……?」
「早くここから離れて!」

説明している時間は無い!

「……! ま、マヨイは……!?」

妹の名前か……!?

「先に逃げました! あなたも早く!」
「…………!」

女性が頷くのを確認する間もなく、

ドスッ!

組み敷いていたチンピラの蹴りが僕の腹に入り、一瞬息が詰まった。
その隙に体勢が入れ替わってしまう。

「……このっ!!」

僕は無我夢中で相手の腹に目一杯膝蹴りを入れると、

「でやぁっ!!」

渾身の力でその足を跳ね上げた。

「ぎゃあっ!!」

男の身体が宙を舞い、背中から地面に落ちる。
そのまま今度こそそいつの身体は動かなくなった。

「はあっ……はあっ……」

僕はやっと身を起こし、肩で荒い息を吐く。

やっとのことで眼を向けると、最後の一人が地面に倒れる所だった。

そして、遠くから聞こえてくるサイレンの音……
もう、パトカーが到着する……

「大丈夫ですか……?」

心配げに僕に駆け寄ってきた女性の声を聞きながら……

(無事だったんだ……)

僕はそのまま仰向けに倒れ込んだ。

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