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第二話「接触」 TAKE 3

目的のビルは古い雑居ビル……
その三階の居住スペースの一室が指定された待ち合わせ場所だった。
部屋番を確認して僕は一瞬ためらう。

表札が出ていないのだ。
しかし、電気メーターに眼をやれば間違いなく機能している。

たぶんここで間違いは無いのだろう、と思い切って三回のノックを二度繰り返した。

単純だけど、それが指定された合図の方法だった。

殆ど間を空けずにドアが開かれる。中から顔を覗かせたのは罪門検事だった。

「早かったね、成歩堂君!」

相変わらずニッコリと笑い、僕を部屋の中へと通す。

「お邪魔します」

僕は多少どぎまぎしながら、ぺこりと頭を下げて中に入る。

小さな玄関にはもう一組の靴が置いてあった。
男物の大きなスウェードの革のブーツ……

(ちょっと珍しいかも)

カジュアルにしてはやや重たい感じもするけど……
一つだけわかる事は、僕には似合わないと言ったことだ。

「早く上がって」

まるで自分の家にでも招いたように、罪門検事が軽く手招きをする。
今から仕事の話をするような緊張感はあまり見受けられない。

「あ、はい……」

僕は取り敢えず端の方で靴を脱ぐと部屋に上がり込んだ。

玄関からは見通せない奥の部屋に入って行くと、そこにはたくさんの機材が置かれてあった。
ざっと見まわしてみて、それが無線機とモニターであることはすぐに見て取れる。

その前に無造作に置かれたパイプ椅子に腰掛け、
一人の男がテーブルに肘をつきながら片耳にヘッドホンを当てていた。

テンガロンハットに長い黒髪と無精ひげ……

(この人も刑事……なのか?)

罪門検事といい、外で会ったらとてもそうは見えない。

「…………了解。引き続き……」

聞き取れる単語からやはり刑事だと判断する。
連絡を取り合っているのだろう。
僕は邪魔しないように罪門検事が手招きをする方へとそっと歩いて行った。

「よく来てくれたね、成歩堂君」

オープンキッチン兼リビングの隣の部屋に入るなり、罪門検事が右手を差し出してきた。

「あ……えと、はい」

僕は慌てて自分の手を服の裾で拭いて、その手を握り返した。

「ま、座ってよ」

その手をがっちりと思いの外強い力で握ったまま、罪門検事は僕を椅子の一つに座らせた。

折り畳み式の長テーブルにパイプ椅子……
その向かい側に罪門検事が腰かけると、まるで今から面接でも受ける気分になってくる。

(いや……尋問かも)

トップクラスの検事を目の前に内心馬鹿なことを考えながら、僕は緊張で両手をぎゅっと組み合わせた。

「……そんなに固くならないでよ。寂しいじゃないか」

僕の様子に苦笑しながら、罪門検事は女の子をも口説き落とせそうな優しい声音で言う。

って言うか、いやいやいや、寂しいって言われても……

「あ、あの……応援って、僕は何をすれば……」

何を言っていいか分からない僕は、取り敢えず仕事の話を口に出した。

「ん? もう少ししたら兄貴……主任が来るからその時にね」
「主任……?」

もしかしてリビングに居たあの人だろうか……

「……成歩堂君、この前と随分雰囲気違うねえ」

ポットに作り置いているコーヒーを使い捨てカップに注ぎながら、
相も変わらず軽い口調で罪門検事が呟くようにそう言う。

「……あ、あの時は仕事中でしたから」

前回の事件の事を思い出し、僕は真っ赤になって俯く。

後になって思い返してみると、随分と軽口を叩いていたような気がする。

タメ口こそ叩いてはいなかったけど……

考えてみれば罪門検事達がアタリを付けた物と全く別のものを僕たちは見張っていたのだ。
ある意味これって失礼だったんじゃないか……?
その上実際ターゲットがあの女神像だったとなったら……

僕は言葉を失い、ますます俯いてしまった。

その僕の様子に、罪門検事は何を感じ取ったのか、クスッと笑うと僕の前にコーヒーを置いた。

「仕事中で余計な事を考えてる暇無かった? 
……それとも僕からお株を奪ったことでも気にしてるのかな?」
「えっ!?」

思わず顔を上げ、そして僕は更に慌てて顔を下げてしまった。

バカバカバカ!!
こんな反応しちゃったら、はい、そうです、って言ってるようなもんじゃないか!!

案の定、罪門検事は僕の反応を正確に読み取って、肩を竦めて苦笑した。

「気にしなくていいよ。そんなの織り込み済みだったんだから」
「……は?」

意外な言葉に僕はきょとんとなって間抜けな声を上げる。
罪門検事は何事も無かったかのようにコーヒーを啜っていた。

「織り込み済み……って?」
「あれ? 冥ちゃんから何も聞いてないの?」

仕方無いなあ……

小さく呟きながら罪門検事は軽く頬杖をついた。

「あれね、始めっから失敗の確率が高かったんだよ
……あのまま行けば、ね」

そう言う口元は笑みを湛えたまま、眼だけが笑っていない。

その表情に僕はふと何かが心に引っかかったように感じた。
それが形を成す前に僕の口から勝手に転がり出る。

「もしかして罪門検事もあれが怪しいって……?」
「うん? 確証は無かったけど、充分可能性は高いとは思ってたよ」
「じゃあ何故それを……」
「うん、言ったんだけどねえ……ただ主任も相当だったからね」

何が相当だったのだろうか……

僕達を小馬鹿にしたように見ていた当の主任の顔を思い出しながら僕は考える。

中でも狩魔検事に対する態度は、はたから見ていても疎ましがっているのははっきりと見えていた。
僕達が間際になって介入してきたからだと思ってたんだけど……
ひょっとしたら罪門検事にも似た態度を取っていたのか……?

「一般論として極めて可能性が低いと言われたよ。価値としても雲泥の差だから……
それにあのご婦人を守り通せ、って上からのお達しもあったらしいし……」

だから見切りをつけて、全体の警備強化に乗り出した。
しかしそれも突破された時のために、もう一つ保険を掛けることにしたらしい。

「その時に丁度、冥ちゃんから話が有ったんだよ」

国際警察からの要請を受けて捜査をしていた狩魔検事が、
似たものが秘宝展に有ることを突き止めて罪門検事にコンタクトしてきた。

そしてこの前の応援となったと言う事らしい。

「つまり、元から罪門検事と狩魔検事は裏で協定を結んでたんですね……
あ、でも、それじゃどうして狩魔検事は僕に……」

初めからあの女神像を警備するのが目的だったのならば、そう言えば済む話だったはずだ。
なのに狩魔検事はわざわざ僕にターゲットを探させるような真似をした。

もしかして……

「……僕を……試した?」

思わずつぶやいた声は小さかったが、しっかりと罪門検事の耳に入っていた。

「……悪いとは思ったけどね」

返ってきた肯定の言葉に、僕は顔を上げる。

「冥ちゃんが選んだ人間なら大丈夫とは思ったけど、万が一もあるからね……でも……」

目元にフッと優しい笑みが浮かぶ。

「正直驚いたよ。まさかあんなに早く僕達と同じ結論を導き出すなんてね」
「でもあれは……」

僕は小首を傾げて蟀谷を掻く。
褒められてるようで照れるけど、今一つ喜べない。

正直、判らない方がどうかしてる気がする……
あの予告状は遊んではいるものの、それほど難しい謎掛けをしているわけでは無かった。
それはこれまでの事件を照らし合わせてみても明白な事だ。

「あのくらいは誰でも……」

言いかけて僕は口を噤む。

「『そのくらい』が判らない人間は要らなかったから……」

罪門検事の口から滑り出た冷ややかな言葉に、僕は背筋に冷たいモノが走るのを覚える。

「もし冥ちゃんが連れてきたやつが無能だったならば、その時は更に助っ人を頼もうとも思ってたんだよ」

絶句する僕に淡々と罪門検事は告げた。

(この人は……容赦しない人なんだ……)

狩魔検事もある意味一切の容赦がない人だけど……
この人はまた別の意味で格が違う……

目の前の男に気を呑まれそうになったその時――――

「そのボーヤかい……オレの仕事を減らしてくれた、直人のお気に入りってのは」

からかう様な低い声に振り向くと、隣の部屋にいたあの男が立っていた。

「彼が主任……罪門恭介刑事だよ」
「よろしくな、ボーヤ」

紹介された刑事はテンガロンハットを軽く引き下げると、ニヤリと笑った。

僕は立ち上がり敬礼すると、

「捜査一課の成歩堂龍一です」
「おっと、いけないねえ」

帽子に指を添えたまま、罪門刑事……紛らわしいな……はクツクツと喉の奥で笑う。

何がいけないって言うんだろう…………

意味が解らずきょとんとしてしまう僕に一瞥をくれて、

「荒くれ者の集う荒野に毛並みのいい子は怪我するだけだぜ?」

言いながら、いつの間にか現れたスキットルボトルから何かをがぶ飲みする。

僕は一瞬ぎょっとなったけど、鼻先に漂ってきた香りに酒では無い事はすぐに気が付いた。

って言うか、やっぱり言ってる意味が今一つ解り辛い……

「…………え、と、つまり……?」
「兄貴、一応日本語しゃべってくれないか? 成歩堂君が困ってるしさ」

クスクス笑いを押し隠そうともせずに、直人検事は横から割り込んでくる。

「荒くれ者に法を説くのかい? お前も出世したもんだぜ」

いやいやいや! 法を説くより以前に!!

「貴方だって刑事でしょ!!??」

…………しまった!!

勢いのあまりつい突っ込んでしまった!!

どう贔屓目に見たってイトノコ先輩よりもはるかにキャリアのありそうな人に向かって……!

しかし恭介刑事は一向に気を悪くした様子も無く、

「んなもの無法者相手に毛ほどの役にも立たないさ。
知ってるかい? テキサスで唯一頼みに出来るもの……それはこれだけさ」

言いながらポンチョの下の腕をぐっと折り曲げる。

つまり腕っぷしって訳……だよな??

何となく脱力を覚えていると、直人検事が再び間に入る。

「さ、仕事の話しなきゃね。罪門刑事、説明をよろしく」

それが切り替えの合図となった。

「了解。じゃあまずはこれを見てくれ」

さっきまでと大して表情は変わらないのに、雰囲気ががらりと変わってしまう。
恭介刑事はテンガロンハットのつばをピンと弾くと、机の上に大きな地図を広げた。

「これが何かわかるかい?」
「え……と、この周辺の地図……ですね?」
「ご名答……現在地は、ここだ」

余程この地図をにらみ続けていたのだろう。
恭介刑事は躊躇い無く一点を指差した。

今回僕が応援することになった案件は、どうやら矢張の読み通りだったらしい。

大掛りな地下組織が近頃派手に動いているとのことで、その摘発に直人検事が乗り出した。
その組織と言うのが、存在は判っていたのだけれどなかなか尻尾を掴ませてくれなかった。

「でも、どうやら代替わりでも起こったらしくてね……」
「一部の荒くれ者が暴走を始めた、と言うわけだ」
「どうしてそれが……?」
「手を出しちゃいけねえ汚れた金山に手を出しちまったのさ」
「汚れた金山……?」
「つまりは人身売買……と言う事だよ」
「えっ!?」

人身売買って……とんでもない重罪じゃないか!

「でもこの国でそんな……!」
「今は輸入側だけどね……その殆どが臓器密売目的……」
「そんな……」

確かに僕だって新人とはいえ警察に身を置いているのだから、
世の中綺麗事だけじゃないのは知っているけれど……

「ショックかい? ボーヤ」

僕の表情が硬くなったのを読み取ったのだろう……
恭介刑事が意外なほど淡々とした声で僕に問い掛けてきた。

ハッとして顔を上げると、皮肉な笑みを完全に消して、恭介刑事が僕を見ていた。

その眼つきは歴戦の勇士を思わせる。

直人検事もまた同じような表情で僕に視線を注いでいた。

「怖いならここで降りてもいい……誰も咎めはしないさ」

ああ……だからか……

僕は唐突に思いつく。

だから「毛並みのいい子」は要らないんだ……

でもここまで話を聞いて、今更引き下がれはしない。
綺麗事かも知れないけど、こんな非人道的な事がまかり通っていいはずがない。

恐くないと言えば嘘になる。
実際今だって、本当は油断すると歯の根がかみ合わなくなりそうだ。

でも、そんなことを言っていたって何も始まらないのも事実だった。
僕は腹を決め、奥歯をぐっと噛み締めた。

「僕は、何をすればいいんですか……?」

どちらにせよ、ここまで聞いて逃げ出したなら、明日からの眼覚めも悪い。

僕に出来る事なんてそんなにないかもしれないけど……

尚も僕の覚悟を見定めるように鋭い瞳で見つめ続け……

ニヤリ……

唐突に笑みを浮かべると恭介刑事はテンガロンハットのつばを引き下げた。

「OK、成歩堂刑事……アンタに頼みたいのはここだ」

恭介刑事はそう言い、地図上の一点を指した。
そこは今居る場所からそんなに離れていない裏通りに面した一角だった。

「ここは……?」

見てみればそこには殆ど店が無い。
あるとしてもビルに挟まれた小さな建物一つだけだ。

その建物も、使用目的もビルの名前すらも記されていなかった。
ただ、赤い点がマーキングされてるだけだ。

そして恭介刑事が指差しているのが、その点だった。

「随分小さな建物みたいですね……」
「そう、一見すると何もねえ、入り口が一つあるだけの場所だ」
「ただ、この建物に人が出入りするのが確認されているんだよ」

二人は淡々と状況説明を続ける。
僕は頷くと地図をざっと見渡し、他に印が無いか確認した。
全部で7か所マーキングがされている。
一見するとそれらは無造作に散らばっていた。

「うーーーーん……」

僕はそれぞれにマーキングされた個所を見比べながら考え込んだ。
それぞれのマークには怪しい店の名前や補足的なメモが記入されている。

「何か気になるの? 成歩堂君?」
「え…………あ」

直人検事に呼びかけられ、僕はハッと我に返る。

「あ、あの、いえ、その……」

別に大したことじゃあ……
そう続けようとして、直人検事に遮られてしまう。

「顎を指で触るの……何か考えてる時の君の癖だよね?」

そう言いながら自分の顎を指で触る。
その眼が面白そうに笑っていた。

「へ……? あっ!」

指摘されて初めて僕は無意識に自分の顎を触っていたことに気付いた。

「何か疑問があるなら、何でも聞いてよ」

促されて、僕は自分の頬をポリポリと掻いた。

「とても小さな事なんですけど……」

そこでいったん言葉を切り、覚悟を決めて口に出す。

「この建物、地下でもあるのかな……って思って……」
「ほう……また、どうしてだい?」

特別バカにするでもからかうでもなく、恭介刑事が尋ねてくる。

「いえ、大したことじゃないんですけど……
他のマークにはB1とかB2とかあるのが殆どだけど、ここにはなにもないな……って思って」

それにここだけ他のポイントとは面している通りも場所も少し離れている。

「まるで裏口みたいだ……」

脈絡も無く出てきた言葉だったのに……

フッ……

直人検事が笑った。

「なるほど……直人が言ってたのはこう言う事か……」
「まあ、ね」

意味が今一つ解らない会話を二人で交わす。
訳が分からずきょとんとする僕に、直人検事は頷いて見せた。

「これを見てくれる?」

そう言ってもう一枚の透明なフィルムをその上に被せる。

「……! これは?」

地図の上に現れたのは、かなりの数の赤い線だった。
太い物や細い物、それらがかなり複雑に入り組んでいる。
それが無秩序に見えていた点を繋いでいた。

「こいつは昔々の夢の跡……さ」
「つまりは地下壕……って訳だね」
「地下壕……って、つまり……戦時中に掘られたって言う……?」
「その通り。この辺りには硬い岩盤が有ってね、その下に軍事用シェルターが掘られていたんだよ」
「軍事用シェルター……? でもこの辺りはもう殆ど建物が建ってますよね……」

そんなものが地下に有ったら地震が起こったら崩れはしないだろうか……

「だから機密になってるんだよ。今や調査もろくに出来ないからそのまま放置されてるってわけ」
「まあ、当時のお偉い方の避難所も兼ねてたろうから、造りは頑丈だろうさ」

半ば投げやりにそう言い放ち、恭介刑事はニヤッと笑う。

「ここらあたりに大きな空洞があるだろう? こいつは会議室も兼ねてたらしい」
「………………」

僕は何も言えず、ただ唸ってしまう。

確かに恭介刑事の指差すところにやや大きく開けたところが有った。
その地下壕の所々に有る四角い印は換気口らしい。
そのうちのいくつかが地図上の印と重なっている。

「もしかして、この換気口を使って移動している……とか?」

恐る恐る尋ねてみると、直人検事がすっとぼけた表情で肩を竦めた。

「恐らくね。ただ、確証が掴めてないんだよ。
分っている事は、所在の確認が取れていたはずの犯罪者が忽然と姿を消してる事だけ……」

その姿が消えたところがこのマークされた所と言うわけだろうな……

「だから証拠を掴みたいのさ。アンタにはこの場所の人の出入りをチェックして欲しい」

つまりはこの場所を見張って、入る人間と出る人間をチェックする、と言う事か……

僕は頷くと、地図から眼を上げた。

「了解しました。それで、僕はどうすれば……?」

恭介刑事は唇の端を釣り上げると、足元にあった袋をおもむろに取り上げた。

「OK、じゃあ、こいつを渡しておく……」

手渡されたそれはずっしりとしていた。
中を確認すれば、それは何かしらの装備一式のようだった。

「頼んだよ、成歩堂君」

装備を受け取った僕の肩を、直人検事の手が力強くぐっと握った。

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