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第一話「邂逅」 TAKE 3

結局、開館中は何事も無く、閉館してからもしばらくは何事も無かった。

まあ……罪門検事の言った通り、勝負はこれからなんだろうけど……
それは、時が経つごとに鋭くなっていく狩魔検事の目つきを見ても明らかだ。

僕はと言えば、今朝からの緊張の連続で若干疲弊気味だった。

「う~~~っ、暑いな」

閉店からエアコンが止められ、中が少し蒸し暑い。
それでも誰も文句ひとつ言わずに任務に従事している様は流石、と言うべきだろう。

「段取りはちゃんと覚えてるわね? 成歩堂龍一」

この中で汗一つ掻かず、氷のような面差しを保ったまま狩魔検事が近付いてきた。

「はい」

たぶん……

なんて自信の無い事言ったら、きっと鞭のフルコースを喰らってしまうので、敢えて言わない。
その代りに報告するだけに留める。

「言われた手筈は整えてあります」
「よろしい」

さっき狩魔検事と交代で休憩に入った時に、僕はもう一度前日に進めておいた準備を確認して回っておいた。
不備は無かったように思う(……と言っても、新米の僕にそもそも不備なんて判らないけど)。

罪門検事は警備主任と裸婦像の前で打ち合わせをしている。
昼間とは違って、こちらも真剣そのもの。
裸婦像の周りにはそれこそうようよと警備員やら警官やらが蠢いている。

裏を掻かれ続けている警察としては、今度こそ、と言う思いが強いのだろう。

罪門検事がちらりとこちらに眼を向けた。
鋭い目が一瞬微かに笑みの形に細められる。

テンガロンハットのつばをちょっとだけ引き下げ、ニヤリと笑う。
僕はそれに向かって小さく頭を下げてから、もう一度辺りを見回した。

心臓がバクバクと鳴っている。
心の中ではターゲットが当たって欲しいのが半分、外れて欲しいのが半分だ。

どうも狩魔検事と罪門検事、二人ともこの女神像の方が怪しいと踏んでいるみたいだけど、
だったら僕みたいな新米一人付けとくってのは……少し手薄過ぎないか?

そりゃあ、主任をはじめ、大半はあっちだと思い込んでるけど……

しかし考えていても仕方ないから、僕はもう一度作戦を頭の中で反芻し、
強張りそうになる脚を振ってほぐした。

と、その時……

ガタン!

大きな音と共に裸婦像がケースの中にありながら大きく傾ぎ、次いで

バリーン!!

純金の重さと倒れる衝撃に耐えかねたケースが粉々に砕けた。
と同時に警報が……

バッ

鳴り響く前に全ての照明が落ちた!

「やっぱりこっちだったんだ! 全員周りに付け!」

誰の声か分からない大声が響き渡り、一斉に警備員たちが動き出す気配がした。
あちこちで懐中電灯の光が点灯を始める。
僕も持っていた電灯のスイッチを押した。

しかし、いつの間にか煙幕でも張られていたのだろうか……
周囲が煙って何も見えない。

「成歩堂龍一!」

暗闇の中、狩魔検事の号令に僕は女神像のケースに張り付いた。

「慌てるな! 早く電源を!」

遠くで罪門検事の声が聞こえる。
しかし混乱している人間たちのどのくらいに彼の声が届いているだろうか……

ふ、とケースの向こう側に微かな赤い光が見えた様な気がして、
僕は張り付いていたのとは逆の方に回り込もうとした。

しかし、赤い光はすぐに消え、僕は後を追う事を止めた。
その代り手にしていた懐中電灯を女神像に向けて……

驚愕に眼を見開いた。

ケースの中の女神像が消えてしまっていたのだ!

裸婦像を倒したのはフェイク――――やはり狙いはこっちだった!

「きゃあ!」

一瞬固まりそうになってしまった僕のすぐ傍で悲鳴が起こり、何かが倒れる音がした。

「狩魔検事!」

暗闇の中、どうやら何かに引き倒されたらしい。
振り向こうとする僕に彼女は気丈に言い放つ。

「私の事は良い! 像を!」
「はい! …………!」

その時、殊更強い光が僕の眼を直撃した。

「ククク……」

同時に耳元で起こる低い笑い声……

「どうやら今回は、少しは頭のまわる者がいたようだな……」

囁きと共にふっ、と風が流れ……

「つっ!!」

僕の手から懐中電灯が叩き落された。
しかし僕はそれに構わず、気配の方に手を突き出す。

「この!」

僕の突き出した手は相手の腕の一部に確かに触れた。
しかしそれはすぐに暗闇の中で弾かれる。

「待て!」

僕は精一杯の大声と同時に、落ちた懐中電灯を拾い上げた。

「狩魔検事!」
「行きなさい! 成歩堂龍一!」
「……はい!」

足でも挫いたのか下の方から起こった声に、
しかし僕は一瞬の躊躇いも無く廊下に向かって飛び出していった……

 
ピッピッピッピッ……
耳に嵌めたイヤホンから規則正しい電子音が響いてくる。
僕は腕に嵌めていた小さな装置に眼を落とした。

小さな光点が左の方に進んでいる。
どうやら上手く発信機を取り付ける事には成功したらしい。

僕は廊下を左に曲がり、後を追った。

「……! やっぱり!」

光点は警備員と監視カメラを避け、非常口に向かっている。
このルートの辿り着く先は一つしかない。
しかしこのまま、まともに後を追っても追いつくことは不可能だ。

「……くっ!」

一か八か……

僕は方向を変え、予め下見しておいた別のルートを走った。
それだけが僕達が想定していた一番の近道だった。

廊下もやはり暗かったが、僕は迷うことなく全速力で走り抜けた。

途中、監視カメラに僕の姿は映ったかもしれないが、人影は無かった。

一刻の時間も無駄に出来ない今の僕にとって、それはかえってありがたい。
一々呼び止められたりしたら、賊を逃がしてしまうかもしれない……

心臓が早鐘を打つ。
しかし足を止める訳には行かない。
目的の場所まであと少し……

ピーピピピピピピピピ――――

ふいに規則正しかったビーコン音がけたたましく鳴り始めた。
僕は屋上に出る非常階段の昇り口に立ち上を見上げた。

と、すぐ先に屋上へ向かう人影……

追いついた!

「待て!」

僕は声を張り上げ、残った体力を総動員して階段を駆け上がった。

そして屋上の扉の前で、僕はついに賊に追いついた。

「そこまでだ! 怪盗×M!」

僕の制止の声に、賊が扉の前でピタリと立ち止まる。
僕は荒くなってしまった息を整える様にゆっくりと言った。

「残念だけど、そこは完全に封鎖されてるよ。もう逃げ場は無い」

僕の言葉に、目の前の賊がゆっくりと振り返った。
と同時にやっと電力が回復し、非常灯の明かりが灯った。

その頼りない照明の中、薄い唇が微かに笑みの形に吊り上る。
僕と同じくらい走っていたはずなのにその表情は涼しいまま……
息一つ上がってない。

「逃げ場がない……それは、どうかな?」

言いざま背にしていた扉に体重を掛ける。
扉は掛けられた体重に呆気なく負け、外に向かって倒れてしまった。

「ば、バカな!?」
「クククククッ……」

笑い声をあげ、身を翻し怪盗×Mは外に飛び出した。
僕も慌ててその後を追う。

月の光が、煌煌と辺りを青く照らし出していた。

そこで僕は初めて怪盗×Mの姿をまともに見た。

月明かりの中浮かび上がったのは、恐らくは黒いタキシードにシルクハットの
気障な出で立ちのすらりとした男だった。

白い顏は細面で、シルクハットから覗く髪は月光を弾いてキラキラと銀色に輝いている。
しかし、大時代的なマスカレードのような仮面をしているせいで、肝心の素顔が判らなかった。

怪盗×Mは余裕を失わない笑みを浮かべ、僕を見ていた。

しかしここはビルの最上階。
普通であれば逃げ場なんか無い。

何か企んでいるのか……
僕は警戒をしたまま、ゆっくりと一歩を踏み出した。

「フフフ……」

心底楽しそうな笑い声に思わず僕の足が止まる。

「何が可笑しい?」
「いや……どうやら今回はまともな者がいたようだ。
楽しませてもらったよ」
「楽しんでいただけたなら何より……
で、可愛い女神様を返して欲しいんだけど?」

僕は跳ね上がったまま一向に収まらない鼓動を押し隠しながら、無理矢理唇の端を釣り上げる。
精一杯強がって見せてるのはバレバレだろうけど……

(後少し……)

あと少しだけ、時間を稼ぐんだ……
狩魔検事と応援が到着するまで……

怪盗×Mは懐にしまっていた小さな女神像を取り出す。
それに眼を落とし、笑みを浮かべたまま再び僕に視線を戻す。

「一つ訊こう……何故私のターゲットがこれだと判った?」
「異国の地にて哀しみに沈む……」

僕は予告状に書かれた一節を口に上らせた。
怪盗の口元が一瞬引き結ばれる。

「あれは謎掛けじゃない……
そのままだと思えば思い付くのってそれしかなかった……」

僕の答えに何を感じたのだろうか……

怪盗の口元に再び笑みが灯った。

「フッ……なるほどな。嬉しい限りだよ。理解してくれる者が現れてくれて……」

言ったその目線がスッと動いた。
と、同時に僕の背後から声が上がる。

「それは光栄ね」

来た! 狩魔検事だ!

「ククク……本当に今宵は楽しい夜だ」
「そしてこれが貴方の最後の夜よ。観念なさい」

まったく物怖じしない声でそう言いながら、狩魔検事が回り込むように怪盗×Mに近付いていく。
しかし、男は身を引こうともせずゆったりと立ち続けていた。

「最後の夜……か。せっかくだがそれは御免こうむる。
やっと君たちのようなまともな者に出会えたのだからな」

含み笑いをしながら言う怪盗×Mの手の中で、女神像の眼が赤く煌めいた。

「なあ、その娘を返してくれないか?」

僕はその眼に引き寄せられるように自然に一歩前へ踏み出していた。

「なんで、その娘を……美術品を狙ったりするんだよ」
「無駄よ! 犯罪者の心理なんて……!」

「…………私が盗むのは」

静かな声が狩魔検事の声を遮る。

「真の価値を持つもののみ……それが私のルールだ」

「まことのかち……」
「これは君に進呈しよう……」

ふっ……と……
怪盗×Mが動いた。

「危ない!」
「えっ!?」

狩魔検事の叫びに反応する間もなく、

「うわっ!!」

僕の目の前に怪盗の姿が有った。
何かの花のような香りが僕の鼻腔をくすぐる。

「君の事が気に入った……」
「えっ!? えっ!?」

完全どアップの位置に怪盗×Mの顔が近付き……

何かが唇を掠めて行った。
同時にパーカーのポケットに何かが落とされる感触がする。

「大事にしてやってくれたまえ……」

吐息が掛かる位置で囁かれ……

「くっ!……この!」

狩魔検事が怪盗×M目掛けて鞭をふるった。
だがそれはむなしくコンクリートの地面を叩く。

信じられないほどの身のこなしで後ろに跳び退った怪盗は既に屋上の端の方に立っていた。

「ま、待った!」

一瞬止まってしまった頭がようやく現実に追いつき、僕は慌てて手を伸ばす。

その足元に何かが飛んできて、僕は思わずたたらを踏んだ。
そこに刺さっていたのは薄い一枚のカードだった。

「それはお返ししておこう。なかなかの趣向だったよ」

笑いを含んだ声が僕達をからかう。
思わず拾い上げたそのカードには、先日見せて貰ったマークがエンブレムのようにプリントされていた。

真ん中にあるのは剣、だろうか……
逆さになった剣の背に翼がある。
その翼の両端から2本の鎖が下がっていた。


裏を返すと真っ白なカードの隅に小さな機械が張り付いていた。
そう、それは、僕が付けた発信機だったのだ。

「今宵は君に免じて私が引こう。これを君の手柄にするがいい……
御嬢さん、君が証人だ」
「この狩魔から逃げられると思ってるの?」
「さて……ね」

狩魔検事の挑発に怪盗×Mが肩を竦めたその瞬間、

バララララララララララ!!

物凄い豪音と共に眩しいほどのサーチライトが怪盗×Mを背後から照らし出した。

いつの間にか近付き降下してきていたヘリから場にそぐわないほどに明るい声が聞こえてきた。

「はあ~~い、冥ちゃん、おまたせ~」
「その声は……罪門検事!!」
「ここまでね!! 怪盗×M!!」

狩魔検事の声が轟音を貫き響き渡る。
それはさながら勝利の女神の宣告のようだった。

「ククククク…………はーっはっははははは!」

しかし、怪盗×Mは怖気づくどころかますます愉快そうに哄笑した。

「見事だ! 諸君! だがいささか詰めが甘かったようだな!」

そう言いながら爆風の中ひらりと手摺に飛び乗る。
そして強い風をものともせずにすっくと立ち上がり、僕を見据える。

「ショータイムは終わりだ。また会おう、トンガリくん」

トンガリくんの響きに僕は思わず反応して声を張り上げた。

「僕は成歩堂だ!」
「ばっ! バカ!! 自分から名乗るなんて!」

狩魔検事の慌てた声が聞こえる。

「だ、だって!」
「成歩堂……覚えておこう……」

あっ……し、しまった!!
覚えられちゃったよ!!

言われて気付いた自分の迂闊さに固まる僕に、狩魔検事の声が追い打ちをかける。

「あーーーっ、もう! バカバカバカ!!!」
「そのカードは君に進呈しよう」

狩魔検事の声を無視して、怪盗×Mはそう言うとその右手を高々と差し上げた。

「いずれ至高の黒水晶の瞳を頂きに参上する……
それまで大事にしておくことだ」
「えっ!? 黒…………なに!?」

意味が解らず聞き返そうとした瞬間―――――

掲げられていた右手から閃光が迸り、僕と狩魔検事は一瞬視覚を奪われた。
その光にヘリコプターが墜落を避けるために離脱してしまう。

僕達がその姿を見失った一瞬の隙に――――

怪盗×Mの姿は完全に消え失せてしまっていた……

後に残ったのは空虚な街の光景と……
僕の手から落ちたカードだけだった……

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