シャル・ウィ・ダンス?(中編)

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「ふええ……」
「……何という珍妙な声を出しているのだね、君は」

パーティー会場に到着した途端、奇妙な声をあげて三度固まってしまった成歩堂に、御剣は呆れたような様子で苦笑を漏らした。

「だってさ、これって……」

日本のパーティーとは明らかに違う雰囲気に、形容する言葉が見つからない。

「まるで、昔に見た映画のダンスパーティーみたいだ」
「うム、当たらずとも遠からず、と言った所だな。いわゆる立食パーティーと言うやつだ」
「これって、親睦会みたいなものだって言ってなかったっけ?」
「そうだが?」

冷や汗でも掻きそうな成歩堂とは対照的に、御剣は至って普段通りだ。

(うわあ……完全に馴染んでるし)

普段見慣れた赤いスーツも、この場所ではそんなに浮いて見えない。
いつもはその存在を大きく主張してやまないクラバットも、今日は大人しくさえ見える。

それもこの会場の豪奢な雰囲気のせいだろう。

パーティーの趣旨を主張する看板や、これ見よがしの装飾などは殆ど無い。
適度に邪魔にならない所に置かれたテーブルには、品のいい料理がふんだんに用意されている。
しかし、付随する椅子は置かれていない。

天井にはシャンデリアが下がっていて元の内装は豪華だが、それ以外は意外にシンプルだ。

そこに華を添えているのは人間だった。
色とりどりに盛装した男女が、思い思いに談笑している。
その彼らの衣装と御剣のそれには少なからず共通点があるように成歩堂には思えた。

しばし思考が飛んでしまっていたのかも知れない。

「……Oh! Reiji!」

張りのある男の声に、成歩堂ははた、と現実に戻った。
顔を上げると、初老の紳士がにこやかな笑みを浮かべて二人の前に立っていた。

「お久しぶりです、プロフェッサー」

御剣が紳士に向かって会釈を返し、握手を交わす。
それから少し、英語で会話をしていた。

周りがざわめいていることもあって、成歩堂には会話の端々しか聞き取れなかったが、どうやら大学時代の恩師、と言う事らしい。
狩魔冥の名前もちらほら聞き取れるところから、どうやら冥の方にも関係のある人物らしい。

聞き取れたのはそのくらいだったが、もともと深入りを好まない成歩堂にとって、それだけ判れば十分だった。

「……それで、そちらは?」

急に、紳士が成歩堂の方に視線を向け、意外なほどに流暢な日本語を使って会話を切り替えてきた。

「彼は私の友人の成歩堂龍一氏です」

御剣もまた日本語に切り替え答える。

「Mr. Naruhodou……」

聞き覚えがあるのか、しばし紳士は成歩堂の顔を見つめていたが、やがて合点がいったのか顔をパッと輝かせた。

「アア! ミスター・ナルホドー! では貴方が……」

ここでいったん言葉を切り、紳士は感慨深げな瞳で成歩堂を見つめた。

「貴方が、レイジの恩人……」
「……え?」

呟かれた言葉に、成歩堂は聞き間違いかと耳を疑う。
不思議そうに小首を傾げる成歩堂に紳士は破顔した。

「貴方の噂は聞いてます。あのゴウ・カルマから無罪をもぎ取った天才弁護士……
レイジ……ミスター御剣を救い、闇に葬られようとしていた事件の真相を暴いた奇跡の……」
「ま、待っ……てください!」

思わず法廷の時の癖で「待った!」と叫びそうになりながら、成歩堂は紳士の言葉を押し留めた。
恥ずかしさから耳まで真っ赤に染まっている。

言われ慣れているであろう御剣とは違い、「天才」などとまともに言われた事の無い、
ましてや面と向かっての賞賛の言葉も貰う事の殆ど無かった成歩堂にとって、紳士の言葉はとてつもなく恥ずかしかった。

「僕は天才なんかじゃありません。僕はただ……その……あの時はとにかく必死だったから……」

語尾がだんだんと口の中に消えて行く。

「それに、あれは僕一人の力じゃなかったんです」

そして顔を上げ、成歩堂は真っ直ぐに紳士を見つめた。その顔にはもう恥ずかしそうな表情は無い。

「僕は、ただ、当たり前の弁護をしただけなんです……」

だから、天才なんかじゃありません……

そう締め括り、ニッコリと笑って見せた。

裏も、駆け引きも全く無い、眩しいほどの笑顔……
その一点の曇りも無い瞳をしばし見つめ……
老紳士は笑った。

「なるほど、ワカリマシタ。でも、貴方がレイジを救ったことは事実だ……
それは誇りに思っていい。私はそう思いますよ」

そう言って片手を成歩堂に差し出す。

「とにかく、ミスター・成歩堂。お会いできて光栄です」

差し出された手を、少しばかり戸惑いのある瞳で見つめ、成歩堂は一瞬ちらりと御剣に眼をやった。
その視線を受け、御剣は軽く頷いて見せる。
成歩堂は頷き返すと、紳士に向きなおってその手を握った。

「こちらこそ、ありがとうございます」

少しばかり脈絡が可笑しいかもしれなかったが、それは成歩堂の素直な心だった。

自分が褒められたことに対してではない。
光栄だと言ってくれた紳士に対する、
そして何より、この紳士が御剣の事をずっと気に掛けてくれていたという事実に対して感謝の思いが湧き上がる。

短くもしっかりと交わされた握手を解き、紳士は成歩堂の肩に手を置いた。

「さあ、どうぞ寛いでいってください」

言いながら傍を通りかかった給仕を呼び止め、シャンパンのグラスを成歩堂と御剣に渡して自分の分も手に取った。

そのグラスを軽く上げ、乾杯を促す。
御剣がそれに倣い優雅にグラスを持ち上げた。
遅れて成歩堂もグラスを掲げる。

触れ合わせることなく三人はシャンパンに口を付けた。

「御剣、積もる話もあるだろ? 僕の事は構わないから話してても良いよ」

成歩堂の申し出に御剣が難色を示す。成歩堂が気を使ってくれるのは嬉しいが……

「しかし君が一人に……」

右も左もわからない所に、誘った本人が放って置くことなどできない。
ましてや……

(こんな成歩堂を一人っきりにしてしまえば……)

悪い虫が寄って来かねない……

そんな御剣の不安を感知する事の無い成歩堂は少し苦笑めいた笑みを零して頭を振った。

「僕の事はほんとに良いから……ちょっと用もたしたいし……その後は少しあそこで休んでるよ」

そう言って壁際の休憩用に用意された椅子を指し示す。

「ム、大丈夫なのか? もしかして具合でも悪かったのか?」
「違うよ。ちょっと着慣れない服に肩は凝ってるけどね」

少しばかり悪戯っぽくニヤリと笑って成歩堂は御剣の肩を叩いた。
その手を降ろし、紳士に向かって会釈する。

「では、ぼ……私は少し外します。少しばかり用を足したいので……」
「用……ああ、そうですか」

紳士は『用』の意味を理解すると、ニッコリと笑った。

「ではまた後で」
「はい、失礼します」
「成歩堂……」
「後でな、御剣」
「ああ、すまないな」

眉宇を曇らせ謝罪する御剣に、成歩堂は軽く手を振って見せてその場を後にした。

その後姿を見ながら、紳士は少しばかり残念そうに溜息を吐いた。

「出来れば彼と君の話をもっと聞きたいのだが……」
「申し訳ありません。彼はこういった場所には慣れていないようで」
「君が一人エスコートすると聞いて楽しみにしていたが、まさか検事の君が弁護士を連れてくるとはね」

てっきり恋人でも連れてくると思っていた

からかう様な笑みを口元に浮かべる紳士に、御剣は否定も肯定もせずにただ微笑を浮かべてみせる。

「今日、元々彼と会う約束が有ったので」
「ならば無理はしないで良かったのだよ」
「まあ、少しばかり仕事が絡んでいたものですから……」

隠しもせずに御剣は裏を暴露し、溜息を吐く。
その様に紳士は何かを感じ取ったのか、ふと微笑を浮かべると、もう一杯シャンパンを勧めた。

「君は、変わったな……表情が柔らかくなった」
「そうでしょうか……そうかもしれませんね」

その瞳の色と同じくらいに心が冷たく凍えきっていた……

その心理をまともに見抜き、心を砕いてくれたのが、法廷心理学者である彼……『教授』だった。

「昔から貴方には隠し事が出来ませんでしたね」

懐かしさを込めて御剣が呟く。
紳士は何も言わずにただ微笑み、ジャンパンを空けた。

「彼は、良い眼をしているな」

空のグラスに眼を落としながら紳士はくるくるとそれを弄ぶ。

「曇りのない、美しい瞳だ……」
「……彼は否定しましたが……」

御剣は恩師の言葉にしなかった部分を口に上らせた。

「私は間違いなく彼に救われました……
身も、そして心も……
彼があの時、私の弁護を引き受けてくれなかったならば、今、私はここには居ない……」
「あれは間違いなく彼自身の実力だ」

紳士は顔を上げて成歩堂が去った方に眼をやった。

「どんな小さな矛盾も決して見落とす事の無い眼……
洞察力、そして推理力……
まだまだ荒削りかもしれないが、その将来に私は畏れすら感じたよ」
「やはり御存じだったのですね」
「記録は全て見させてもらったよ。特にあれはこちらでも有名になった事件だからね」
「成歩堂はただの噂話だと思ったようですが……」
「彼は自分がどれだけの事をしたのか、はっきりとは解っていないようだね」
「ええ、まったく」
「……当たり前の弁護、か」

言いながら紳士は苦笑する。

「本気で言っているとしたならば……彼はまさしく……」
「ええ、彼は……本物の『天才』です」
「将来が楽しみだな」

紳士は弄んでいたグラスを給仕に渡すと、晴れ晴れとした表情で御剣の肩に手を置いた。

「今度は二人で遊びに来なさい」
「教授……」
「さあ、大事な人を待たせてはいけないよ」

どういう意味なのか……
問おうとしたが御剣はそれを止めた。
替わりに笑みを浮かべると一つ頷く。

「今度、是非伺います……彼と共に」
「まだしばらく日本に滞在するから、連絡をくれたまえ」

その時、紳士を呼ぶ声が聞こえた。
紳士はそれに応え、もう一度ちらりと御剣に眼をやる。

「楽しみにしているよ」

そう言って紳士は軽く手を振ってその場を後にした。

「はい……必ず」

その後ろ姿に向かって呟き、御剣もまた恋人の姿を求めてその場から立ち去った。

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