シャル・ウィ・ダンス?(後編)

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成歩堂は用を済ませると会場に戻ってきた。

「ほんと、広いよな……このホテル」

おかげで手洗いを探すのにかなり手間取ってしまった。

「フゥ……」

少し熱さを感じて襟元に指を入れる。
緩めてしまいたい所だが、こんな人目の多い所で不躾なまねはさすがに出来ない。

御剣が選んでくれたスーツはさすがに品が良く、着心地も悪くは無いのだが……

「ううう……」

着崩さない様に注意を払うのに一苦労する。

しかし立ち止まってばかりいても挙動不審に思われてしまうのが落ちだ。
成歩堂は取り敢えず料理の並べられたテーブルに向かった。

御剣たちの位置を確認し、指し示しておいた椅子を確認する。
椅子は、テーブルにほど近い所にあった。

少し空腹を覚えるが、折角だから料理は御剣と一緒に食べたい。
御剣が来るのを待つことにして、成歩堂は壁際の椅子に腰かけた。

つらつらと目の前を行き過ぎる人々に眼をやる。
煌びやかな衣装は、成歩堂にある種の感慨を呼び起こさせる。

(舞台でもそのまま使えそうなの多いな……)

パーティーの経験が全く無かったわけではない。
学生時代に幾度かそう言った経験そのものはしていた。
ただ、ここまで格式を感じさせるものはさすがにない…………

(…………そういや、一度だけ有ったっけ)

役者を目指していた頃に、一度だけ……

それはとある舞台監督の誕生日の記念パーティーだった。

当時まだ学生だった成歩堂が端役で出演した舞台……
その時の成歩堂の演技に眼を止めた別の演出家についでに、と面通しを兼ねて連れて行かれた所も、
こんな感じだったように思う。

しかしその時の事はもうほとんど覚えていない。

そんなことをつらつらと考えている内に教授と御剣は別れの挨拶を交わしていた。

「もう、終わったのかな……」

呼びかけようかと手を挙げそうになって……

「…………!!」

成歩堂は固まってしまい、その手を降ろしてしまった。

紳士とは別の、日本人の男が御剣に近付いてきたのだ。
その後ろに別の年かさの男と美しいドレスを身に纏った若い女性を伴っている。

声を掛けられたのだろう。
御剣はハッと振り向き、男に会釈にも見えない会釈をしていた。

「………………」

二、三言交わし、男が後ろの二人を身振りで指し示す。
そのジェスチャーから二人を御剣に紹介しているのがはっきりと見て取れた。

上司からの命令……
では、あの真ん中に立っているのが上司か……?

「………………………」

成歩堂はそっと視線を外し、俯いた。

あれは明らかに面通しだ。
恐らくはその後ろに控えている娘を引き合わせる魂胆だったのだろう。

御剣は強力な後ろ盾こそないが、実力は充分あるし、将来が期待されている。
こういう事が有ったとして何の不思議も無い。

解っているつもりだったが、いざ目の前で見せつけられるとさすがに堪えた。

(……もう、帰ろうかな)

方向音痴ではないから、帰り道くらいは判る。
走り出したい衝動を堪え、おもむろに立ち上がろうとしたその時、

「失礼……ミスター」

ふいに頭上から声が掛かり、成歩堂は思わず顔を上げた。

背の高い、金髪の青年が成歩堂を見下ろしている。
その視線が何かを確かめる様に成歩堂に注がれていた。

(あれ……どこかで見たような……?)

「もしかして……リュー? リューイチ・ナルホドウ?」
「…………まさか、クリフ……クリフなのか?」
「! ……やっぱり! リューなんだね!?」

クリフと呼ばれた青年がパッと目を輝かせた。
立ち上がった成歩堂を力一杯抱きしめる。

「クリフ!? ほんとに!? 久しぶりだな!」

成歩堂も歓喜の声を上げ、クリフの背中を短く抱き返した。

抱擁を解くと、お互いに肩を叩き合う。

「本当に久しぶり……会いたかったよ、リュー。何年ぶり?」
「クリフが大学に留学して、帰った時以来だから、もう、5年にはなると思うよ。
元気にしてたか? 今も役者を?」
「ああ、僕は元気だよ。今はブロードウェーで現代劇をね。君は? やっぱりどこかの劇団に?」
「いや……」

成歩堂は少し申し訳なさそうに眉を顰め、頭を振った。

「僕は今、弁護士をやってるんだ」
「ベンゴシ……lawyer?」

怪訝そうに眉を顰めるクリフに頷いて見せる。

「……やっぱり、本当だったんだ」

小さく呟く声は周囲の音に紛れて聞き取り辛かったが、その表情からクリフの落胆がありありと伝わってきた。
しかしクリフは取り敢えずそれ以上は何も言わずに、手に持っていたシャンパンを成歩堂に手渡した。

「取り敢えず、乾杯しよう」
「あ、ああ……」

手に持ったグラスを軽く触れ合わせ、クリフはシャンパンを半分ほど呷った。

「もしかして、知っていたのか?」

自分はグラスに口を付けることをせず、注意深い目を向けながら成歩堂は問うた。

「まあ……ね」

グラスに眼を落としながら小さく頷き、クリフは独り言のように呟いた。

「何でも、やりたいことが出来たって言って、カレッジに行きながら別の勉強を始めたって……
だから留学も辞退したんだよな」
「うん……」
「なんで、なんてもう聞かないよ」

そう言ってクリフは顔を上げた。
澄んだ海のような瞳が真っ直ぐ成歩堂に向けられる。

「君の舞台での姿がもう見られないのは本当に残念だけど……君が自分で選んだ道ならば……」
「どうしても、会いたい人がいた……その人に会うためには、僕は弁護士になるしかなかったんだ」

自分に向けられる真摯な眼差しをしっかりと受け止め、見つめ返しながら、成歩堂は言葉を紡いだ。
クリフはその言葉に一つ頷く。

「……そう。その人には会えた?」
「ああ、会えたよ」

言いながら無意識に成歩堂は視線を御剣の方に向けていた。

御剣と娘がさっきより近付いている。
それは知らない人間が見たら恋人同士に見えるかもしれない。

御剣の視線が成歩堂に投げられ、成歩堂はすっと視線を逸らせた。
その唇が小さく噛み締められる。

その様子を見ていたクリフが、おもむろに成歩堂の肩に手を置いた。

「クリフ……?」
「顔色が悪いね。あっちの窓際の方で少し休まないか?」
「……いや、僕は」
「……君の会えた人って今は恋人?」
「えっ?」

驚いて立ち竦む成歩堂にクリフは口元だけで笑って見せる。

「あそこの若い御嬢さん? それとも……赤い服の?」
「…………」

答えることが出来ず押し黙る成歩堂の腕を、今度は少し強い力で掴みながら、

「少し休もう。おいでよ、リュー」

そう言って、クリフは成歩堂の腕を引いた。

 
半ば引きずられるように見知らぬ男に成歩堂が連れて行かれるのを、御剣はしっかりと目撃していた。
話をしていた様子から、男が成歩堂にとってまったくの見ず知らずではない事は想像はついたが……

(成歩堂……)

先ほど視線が合った時に、その眼を逸らされてしまった。
間違いなく、成歩堂はこちらの状況に察しがついている。

ちらり……

成歩堂の腕を引く男の視線が御剣に向かって投げつけられた。
その眼の冷たさに御剣の中で警鐘が鳴り響く。

(あの男と一緒に行かせてはいけない!)

思わず一歩を踏み出しかけて……

「どうしたのだね、御剣君」

呼び止められ、御剣はギリリと唇を噛みしめた。

 
「どう? 少しは楽になった?」

テラスにしつらえられた椅子に成歩堂を腰掛けさせ、クリフはシャンパンでは無く水を成歩堂に手渡した。

「うん、ありがとう」

水を受け取りながら、成歩堂は小さく微笑む。
グラスに注がれた水を一気に飲み干して、成歩堂は大きく息を吐いた。

「聞くのは野暮かもしれないけど……」

隣に腰を下ろし、クリフは横から成歩堂の顔を覗き込む。

「もしかして君が逢いたかった人って、あの赤いスーツの……?」
「…………どうして?」

否定も肯定もせずに問い返す成歩堂に、クリフは肩を竦めてみせる。

「見てたら判るよ。リューは昔っから嘘がつけないから。それにあっちもずっとリューの事見てたしね……」
「…………」
「恋人……なのかい?」
「…………そう呼べるのかな」

呟き、成歩堂はぽつぽつと胸の内を口に上らせた。

自分とは違い、天才で将来を嘱望される検事……
見た目も良く、エリートならば、まさしく引く手も数多だろう……
誰が見たって、自分は全く釣り合わない……

「彼が僕を選んで良い事なんて、本当は無いのかも知れない」
「……リューが男だから?」
「それもあるね……いや、それが全てかな」

言って小さく苦く笑う成歩堂の肩を、クリフは引き寄せた。

「リュー、やっぱり戻ってきなよ。君は本当は舞台の上でこそ輝ける……」

肩に置いていた手を頭にずらし、自分の肩に置かせる。

「そんな苦しい恋なら、相手役を僕に変えてよ。僕は君にこんな思いはさせない……」
「ク、クリフ……?」

驚いて顔を上げる成歩堂に、クリフはしっかりと視線を合わせる。
その眼には一切のからかいなどの色は無かった。

「リュー……僕はずっと君が好きだった……」
「! ……そんな!」
「ジョークじゃないよ……試してみる?」

頭に置かれていた手が頬を伝う。
その時、ホールの方から音楽が聞こえてきた。

「もし君がyesならば、僕と踊ってくれないか?」

真剣な青い瞳を見つめ続けることが出来ず、成歩堂は俯くことしかできなかった。
震える唇が何かの言葉を紡ごうとした時、

「成歩堂!!」

必死な響きを孕んだ御剣の声が二人の耳を貫いた。

「御剣!」

飛び上がるように立ち上がった成歩堂を、それより先に立ち上がったクリフの手がことのほか強く引き戻す。

「うわっ!」

バランスを崩し、腕の中に倒れ込んだ成歩堂を背後に押しやり、クリフが二人の間に割って入る。

「……君は、誰だ」

涼やかに見つめてくる青い瞳を睨み返しながら御剣が詰問する。
その表情や声には余裕など微塵も無い。

その顔を冷ややかに見下ろしながら、クリフは逆に余裕の笑みを浮かべる。

「僕はクリフ、君こそリューの何だい?」

ズバリと切り込んできた質問に、成歩堂は飛び上がる。
そんなの、初対面の人間に答えられるわけが……

「私は彼の恋人だ!」

しかし御剣は臆することなく堂々と宣言した。

「ば、バカ! 御剣! そんな事こんな所で言ったら……!」

ここにはきっと、まだ、上司も見合い相手もいるはず……
慌てて遮ろうと飛び出した成歩堂を、今度は御剣が強く抱きしめた。

「御剣! バカ……こんなところでそんな事大声で言ったら、お前の……」
「もう、何も言うな、成歩堂……」

囁き、少しだけ身体を離す。

「お前、あの人たちは……」
「もう良い。私が必要とするのは君だけだ……」

微笑み、御剣はそれだけを成歩堂に告げた。

 
引き留めようとした上司に隠しもしない盛大な一睨みをきかせた御剣は、
激怒した上司に向かって冷たい声で言い放った。

「言った筈です。私は一人エスコートしてくる、と……貴方はそれを了承したはず……
この行為は私のみならずこの御嬢さんにも極めて失礼な事だ。
もし、どうしてもとおっしゃるなら、前もって私に一言あってしかるべきだった……
これは明らかに貴方の落ち度です」

静かな、有無を言わせぬ迫力に、上司が完全に鼻白む。

「……お行きになってくださいませ、御剣様」

高いが、凛とした響きを持つ声が御剣の背中を押す。

「お嬢様!」

慌てた上司に、娘は冷ややかな一瞥をくれる。

「わたくし、騙し討ちは好みではありません。私は自分の伴侶は自分で決めます。余計な手出しは無用……」

その時、御剣は娘の左手の薬指に嵌った小さな指輪を目にした。
その御剣に娘は鮮やかに微笑んだ。

「どうぞ、私どもの事はお気になさらず……ごきげんよう」

そして声に出さずに唇だけで紡がれた言葉……
 
お幸せに……

 
「すまなかった、成歩堂……余計な心配をさせてしまって」

その手が優しく成歩堂の髪を梳く。

「本当に良かったのか、御剣……お前の立場が……」
「あれしきの事で潰されるような私ではない。それに私には、それよりも大事なものがある……
君を失うくらいなら、私は……」
「はい、カーット!」

二人の間に今度はクリフが割って入り、御剣の言葉を遮った。

「クリフ! 僕は……」
「もういいよ、リュー」

本当はさっきの答えも、僕には聞こえていたんだから……
ごめん……って声が……

「まったく……本当に好きならば、その手を離すなよ」

成歩堂に対してとはまるで正反対の低温の瞳を御剣に向ける。

「ああ、今回は私の油断だった」

先ほどまでと違い余裕を取り戻した御剣が、素直に非を認める。

しばらくその顔を見つめ……

クリフはフッと笑った。

「これで僕の初恋は The end か……」

少しだけ寂しそうに呟く。
成歩堂は何かを言いかけ、飲み込み、そして微笑んだ。

「ごめん、クリフ……ありがとう……」
「いいんだよ、リュー……」

優しく微笑み返し、クリフはホールに向かって歩き出した。
そして、ホールに入る手前で立ち止まり、頭だけで振り返る。

「ミツルギ……と言ったね……もう二度とリューを泣かせるな」
「ああ、勿論。もう二度と泣かせはしない」

御剣の宣言に、クリフは口元を引き上げると、

「もし次が有ったら、今度こそリューを僕のものにするよ。容赦はしない」
「心得ておこう」
「…………じゃあね、リュー。幸せに……」
「クリフ……またな」

成歩堂の言葉に優しく目を細めると、クリフは今度こそホールの人ごみに消えた。

「成歩堂……すまなかった」

二人残されたテラスで、御剣はもう一度成歩堂の肩を抱き寄せた。

「もう、いいんだよ、御剣……」

成歩堂は深い溜息を吐くと、御剣の肩に頭を凭せ掛けた。

「でも、良かったのか……見合いの話だったんだろう」
「良いのだよ。相手の方にも恋人がいるのだから」
「え、どう言う事……?」

驚いたように成歩堂が顔を上げ、目を丸くする。
その表情に愛しさを募らせながら、御剣はクスリと笑い、種明かしをして見せた。

「左手の薬指に指輪を嵌めていた……恐らくは恋人から贈られたものか何かを嵌めてきていたのだろう」
「それじゃあ、初めから……?」
「そう、見合いなど成り立たなかったのだよ……政略結婚などもう時代遅れだ」

御剣の言葉が浸透して行くにつれ、成歩堂の表情に安堵の色が浮かび上がってきた。

ホールから再び音楽が聞こえてくる。
中では数組の男女が踊っていた。

「御剣……僕と踊ってくれる?」
「踊れるのか? 成歩堂」
「うん、一応ね。ワルツくらいなら」

成歩堂の真意が読めず、御剣は首を傾げる。
成歩堂は滅多に見る事の出来ない御剣の面喰った顔に笑い声を上げた。

「あはは! 冗談だよ! 僕とお前じゃどっちも男性ステップになっちゃうし!」

そう言って笑い続ける成歩堂をさらにしばし見つめ……

御剣は唐突ににやりと笑うと成歩堂の腰をぐっとホールドした。

「うわわっ」

倒れ込んできた身体をさらに抱きしめ、耳元で囁く。

「良かろう……君とならば喜んで踊ろう……」

ベッドの上でも……な

更に小さく囁かれた言葉に、成歩堂の顔が真っ赤に染まった。
慌てて成歩堂が大声を上げる。

「バッ!! み、御剣!」
「さあ、戻るとしようか、成歩堂」

喚きそうになる成歩堂を笑顔で促し、御剣もまた、ホールへ向けて歩き出す。
その背を見つめている内に、成歩堂は怒っている事が急に馬鹿馬鹿しくなってきた。

「待てよ!」

取り残されない様にその背を追う。

「僕、お腹が空いたよ。もうペコペコ」
「ならば何か適当に抓むとしよう。
教授が君とも話したがっていたし、先ほど君の好きそうなものも見えたからな」
「本当? じゃあ、行こう!」

そうして二人は肩を並べ、ホールの中へと足を踏み入れた……


 
いっしょに踊ろう
いつでも君とならば踊っていられる
 
もう二度と悲しいソロは踊らせないから
 
だから
 
いっしょに踊ろう
いつまでも一緒に

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