赤きナイトと青きポーン・2

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「異議あり!」

鋭い声が法廷に響きわたる。
鬼気迫るような声と瞳が証人に嘘を許さない。

「異議あり!」

凛とした声がその言葉を切り返す。
冷静な声はほんの少しの綻びも許さない。

網の目のように周到に張り巡らされた言葉の罠を、
2つの声が時にはその目を掻い潜り、
時には切り裂きながらその奥に隠された真実を暴いていく。

「証人は事件当日、昼過ぎに現場に到着して逃走する被告人を目撃したのでしたね」
「ええ、ずっとそう言ってるじゃありませんか。ぼくは事件が起こった後にあの場所に行ったんだって」
「その時刻が12時23分だった……間違いありませんか」
「間違いなど僕がするはずがないでしょう。ちゃんと携帯で確認したんですから」
「そうですか。ではそれ以前は“一度も”あの場所には行ったことが無かった……」
「ありませんよ。呼び出されたから行っただけで……」

御剣の予想していた通り、法廷は荒れた。
証人として召喚された男は弁護側の追撃をのらりくらりと躱していたが、所詮は嘘だらけの証言……
成歩堂に次々に突っ込みを入れられ、いつの間にかその表情から余裕の色が消えていた。

御剣も、そもそも証人をフォローするつもりは殆ど無かったが、
あまりにお粗末なウソに半ば呆れを通り越して憤りすら感じながら状況を見守っていくしかなかった。

証人は証言した時間より明らかに早くから現場に居た。
昨日の捜査で裏付けは出来ていた。

しかしそれも証人の親によって証拠を隠蔽されてしまった。

裁きは誰の上にも平等でなければならないのに……

(成歩堂……君も気付いているのだな)

自分の向かいに立つ男は一時たりとも証人から目を離さない。
その大きな漆黒の瞳は闇に葬られようとする真実を拾い上げようとしているかのようだ。

だとすれば御剣の為すべきことはただ一つ……

「フッ……甘いな、弁護人。君の今の論証には矛盾がある……」

反論の形を借りたロジックの穴埋め作業……
どうしても現れてしまう矛盾を、御剣の側から埋めていく。

二転三転と証言が変化を見せ、とうとう最大の矛盾が姿を見せた。

「……っ、異議あり!!」

一際力強い声が法廷を貫いた。成歩堂の猛攻撃が始まる。

「……?」

怒涛の勢いで証人を追い詰めていく成歩堂の姿に、しかし御剣はふと違和感を覚えた。

何かがいつもと違う……

「…………!」
不意にその正体に思い当たり、思わず成歩堂を凝視した。

成歩堂は論証を展開しながら忙しなく書類を手の甲で弾いている。
しかし一度も机を叩いていない。

いつもであればもう何度も両手を勢いよく机に叩きつけているはずなのに……

それに度々息を飲むような音が聞こえる。

(まさか……)

さっき異議を唱える瞬間、一瞬感じた”間”は気のせいではなかったのだ。
明らかに成歩堂の様子がおかしい。

しかし今ここで御剣に出来る事など何も無い。

ただ、見守るしか……

「くらえ!!」

成歩堂が突き付けた証拠品に、証人の顔が一気に青褪めた。

こちらが余計な口出しさえしなければ、もうこの審理も終わる。


口出しをする隙がもともと全く存在しなかった事が、唯一の救いだった……




(なぜ気付かなかった!?)

歯噛みする思いで御剣は裁判所の廊下を駆けていた。

向かう先は被告人控室……
大急ぎで最低限の指示を飛ばし、自分自身はスーツケースを引っ掴むとそのまま控室を飛び出したのだ。

もしかすると……

御剣の頭の中にある予測が立っていた。

一刻も早くそれを確認しなければ……!

「なるほどくん! ダメだって!」

目的の部屋に到着しようかという時、悲鳴に近い声が廊下に響いた。
間違いなく真宵の声だ。

御剣は躊躇い無くノックも無しにドアを押し開けると、警備員の制止も聞かず部屋に飛び込んだ。

「成歩堂!!」
「あ、ミツルギ検事!」
「み、みつるぎ……?」

真宵が涙目になって御剣に縋り付いてきた。
必死の形相で御剣の腕を掴むと、

「お願いです! なるほどくんを止めて!」

見れば、件の成歩堂は控室の長椅子に半ば横たわるように身体を預けている。

懸命に右腕を支えにして起き上がろうとするのを職員が押し留めようとしている。

「まだ、横になっていた方が……」
「いえ、大丈夫ですから……心配は要りませんよ」

「どうしたというのだ? これは一体……」
「なるほどくん、審理が終わってここに来た途端倒れちゃったんです」
「倒れた?」
「はい、立ち眩み起こしたみたいに……それで警備の人が椅子まで運んでくれたんですけど……」
「けど……?」
「なるほどくん、すごく具合悪そうで……だから医務室に行こうって言ったんです。でもどうしてもこのまま帰るって」
「言ってきかないのだな」

真宵から話を聞き終え、御剣は深く溜息を吐くと成歩堂を睨むように見据えた。

その視線を受け、成歩堂の表情が苦い笑いに変化する。
しかし目を逸らすことはしない。

「…………」

御剣は黙ったまま成歩堂に近づくと、

「……ぐっ!」

やおら腹部を押さえていた成歩堂の左手を掴み捩じ上げた。
堪らず成歩堂が苦悶の声を上げる。

「み、御剣……!?」

成歩堂が非難めいた抗議の声を上げる。
しかしそれには一切構わず、御剣は左手で抑えられていた場所に手を当てた。

「……!!!」

少しも力を加えていないにも係わらず、成歩堂の身体がびくりと跳ね上がる。

「やはり……か」

御剣は小さく一言呟くとすぐ傍で様子を見ていた係官に素早く指示を飛ばした。

「至急、救急車の手配を!」
「はっ!」

係官の一人がすぐさま手配を開始する。

「君は救急車が到着し次第、隊員の誘導を頼む」
「了解しました!」
「成歩堂弁護士は私が見ておく……行きたまえ!」

二人の係官は敬礼もそこそこに控室を飛び出していった。
おろおろしながらも真宵はそれを見送る。

「大丈夫だって言ってるだろ!」

大音声に振り向くと、成歩堂が御剣の手を振りほどき、刺々しい眼差しで睨みつけているところだった。

「……なぜ黙っていた?」

しかし御剣はそれには応えず、静かすぎるほどの声で問う。
その瞳は法廷でもほとんど見た事の無いような冷たい怒りを湛えていた。

「問われなかったから言わなかった、などとは言うまいな?」
「何の話だよ」

成歩堂も負けずに冷たい声音で言い放つ。
普段の彼からすれば極めて稀な事だ。

「このところ公判のせいで忙しかっただけだよ」
「……」

御剣はますます深い皺を眉間に寄せ、真宵の方に振り返った。
胸ポケットからハンカチを取出し真宵に手渡す。

「真宵君、外の冷水器でこれを冷やしてきてくれないか?」
「はい!」

真宵は素直にそれを受け取ると、急いで控室を出て行った。

「……さて、と」

真宵の足音が遠ざかっていくのを確認して成歩堂の方に向き直る。

「話してもらおうか……誰にやられた?」
「!」

唐突に切り出され、成歩堂の顔に動揺が走る。
その一瞬の隙に、御剣は再び成歩堂の身体を押さえつけた。

「誤魔化そうとしても無駄だ。君が頑なに病院を拒む理由……暴行の痕を見せたくないのだろう?」
「っ!!」
「大方真宵君たちに心配掛けまいとしたのだろうが……」

ふと、口調が緩まる。

「もう少し自分自身の事も考えたまえ」
「み、みつる、ぎ……?」

遠くで誰かの戻ってくる足音が聞こえる。

御剣は微かに微笑むと、

「残念だが……タイムアップだ、成歩堂……」

言うが早いか、成歩堂の首筋に手刀を叩き込んだ。

「うっ!?」

一瞬信じられない、と言った眼を向け……

成歩堂はそのまま意識を失いソファに頽れた。

「許せよ……君も真宵君の前では醜態を晒したくはあるまい」

優しく抱き留め、御剣はそのまま成歩堂の上体を支えた。
今のままでは横になるのは却って苦痛かもしれない。

とうとう成歩堂は認めなかったが、恐らく腹部に向けて集中的に暴行を加えられている。
肋骨に損傷があった場合、横になるのは痛み止めでも処方されていない限り、呼吸がし辛くなることは目に見えていた。

「君が目を覚ましたら、その時には総て話してもらう……」

ぐったりと身体を預ける成歩堂に囁いたとき、控室のドアが再び開き、真宵と救急隊員たちがほぼ同時に入ってきた。

「! なるほどくん!?」

御剣の腕の中の成歩堂を見咎めて真宵が悲鳴を上げる。

「心配は要らない……気を失っているだけだ」

近づいてきた救急隊員に成歩堂の身柄を預けながら、御剣は安心させるように真宵に頷いて見せた。
真宵はそのままストレッチャーに乗せられる成歩堂に心配そうな目を向ける。

その顔色はますます悪くなり、額には大量の汗が滲んでいた。

「あ、これ……」

ぎゅっと握りしめた手に、湿らせてきたハンカチの事を思い出し真宵は慌てて御剣にそれを差し出した。

「君が持っていていい……成歩堂に付いて一緒に行ってくれたまえ」

御剣は隊員に病院の指定をすると、もう一度真宵に頷いて見せる。

「私もすぐ後を追う……成歩堂の事をよろしく頼む」
「! ……はい!」


ともすれば零れ落ちそうになる涙を堪え、真宵は大きく頷いた。

 

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