赤きナイトと青きポーン・5
成歩堂の処置が終わり病室に移された時には既に午後5時を回っていた。
真宵は眠ったままの成歩堂に付き添い病室へ向かった。
一方、御剣は諸々の状況を聞くために、担当医と共に診察室へと入って行った。
「成歩堂……氏の容体は如何でしょうか?」
部屋に入るなり、御剣は彼にしては珍しく性急に口火を切った。
「……まあ、お座りください」
対照的にゆっくりとした口調で医者は御剣に椅子を勧める。
そして自分もデスクに付くと、パソコンに向かって操作を始めた。
「……珍しいですね。検事局きっての天才検事殿が冷静さを欠くなんて」
からかうでもなく、淡々とした口調で医者が言う。
「いや、私は……」
否定しかけ、御剣は無駄だと悟り、フッと苦笑に近い息を漏らした。
「貴方にはそう見えますか」
「付き合いは短くありませんからね……」
「隠し事が出来ないな……」
「しないでくださいね……時間の無駄ですから」
データの呼び出しが終わり、御剣の方に向き直る。
その口元に薄く笑みが浮かんでいた。
「まあ、貴方のライバルさんにもそう言っておいてください」
「……成歩堂氏の事をご存じなのですか?」
「知ってるも何も……」
若干呆れたような顔つきで医者はその笑みを苦笑に変える。
「情報源は貴方自身でしょう? 『恐怖のツッコミ弁護士』……まあ、そう言っている貴方の顔はいつも高揚してますけどね」
「……なるほど」
「それにあれだけ特徴的で有名ならばすぐに判ります……」
青いスーツを身に纏った逆転弁護士……
成歩堂龍一の名前はトレードマークのとんがり頭と共に有名でもある。
検死官を兼任している彼もまた、その名くらいは耳にしていた。
尤も、実際お目に掛かったのは今日が初めてだったが……
「でも、かなり強情そうな人ですねぇ」
自分を見つめていた意志の強そうな瞳を思い出し、嘆息するように呟く。
「彼は言っても聞かないでしょう。そう言う男です」
御剣は半ば諦めに近い表情で、同調するように肩を竦めた。
「そのようですねぇ」
惚けている、とも取れる口調で医者はマウスを操作する。
画面に映し出されていたのはたくさんのMRI画像だった。
「こんなになってたのに……」
呟く声に誘われるように御剣もパソコンのディスプレイを覗き込む。
羅列された画像の一つをポインターで指し示しながら、医者は淡々と続けた。
「これ、判りますか? 内出血が起こってます……」
言いながら更に数か所ポイントしていく。
「打撲傷12、全て腹部と背中に掛けて集中してます。
そのうちの3か所にひどい内出血、打撲痕から3回ほどが拳、あとは爪先などですね。
あと、肋骨も二本、折れ掛かってました」
「と、言う事は……成歩堂氏の怪我はやはり……」
「暴行の痕……ですね」
さらりと極めて重大な事を、医者は言ってのけた。
そしてそれは御剣が今最も欲している情報だった。
「診断書を作成してはいただけませんか?」
瞳を鋭くして御剣が問う。
その表情は完全にいつも通りの検事のものになっていた。
「構いませんよ」
医者は一つ頷くとパソコンを再び操作し始める。
エンターキーを押すと、プリンターが作動し始めた。
それを確認してから御剣の方に向き直ると、ゆっくりと座りなおし、そしておもむろに口を開いた。
「手口と打撲痕の様子からみて、恐らくは実行犯は複数、しかもプロと見てほぼ間違いないでしょう」
淡々と事実を説明する口調に御剣は唇を引き結んで頷く。
それは御剣もすぐに見て取っていた。
「成歩堂の顔や手などの見えるところには傷は無かった……」
独り言のような呟きに医者は同意を示すように頷く。
「一応後頭部などもチェックしましたがね……激しい打撲の痕は見られませんでした」
「殺意は?」
「あったかどうか判りませんが、脅しの方が強いでしょうね」
プリントアウトされた書類を手渡しながら、医者は蟀谷を掻いた。
「とにかく、まあ、あとは警察の領分ですからね……
成歩堂さんはしばらく入院してもらいますので、どなたか承諾書を頂かないと……あるいは本人か……
連絡先はご存知ですか?」
「……いや、今ここでは……」
「誰か判る人は?」
「恐らくいないでしょう」
先ほどの話しぶりから察するに、恐らく真宵にも何も教えていない可能性は高い。
調べればすぐに判るだろうが、それも明日に持ち越されるだろう。
それに、どちらにせよ成歩堂自身に同意させなければならない。
そうしなければあの幼馴染はこれからも同じことを繰り返しそうだ。
御剣は何かを決意したように小さく顎を引いた。
「成歩堂氏本人に、承諾書に署名させます。承諾書は?」
「本人にであれば直ぐに届けさせます。書いてくれれば、ですけどね」
皮肉な笑みを浮かべる医者に、御剣もまた不敵な笑みを浮かべて応える。
「させますよ。異議は認めない」
そう言いながら立ち上がる。
「もう一枚、診断書を作成しておいていただけますか? 費用は私が持ちますので」
「構いませんが……」
怪訝そうに医者が眼を眇める。
意味が今一つ解らない、と言った様子だ。
しかし御剣は構わず続けた。
「もうしばらくしたら、刑事が一人ここに来ます。その者に渡しておいてください」
「その書類は?」
「これは本人への保険に使います。複数あったとしても無駄にならないでしょう」
「……保険……障害か何かの?」
「それもありますが……」
ニヤリと口元だけに笑みを浮かべ、御剣は肩を竦めた。
「それよりまず、本人を黙らせなければならないのでね……そのための保険に」
「動かぬ証拠、と言うわけですか……ご苦労な事ですね」
呆れた顔を隠さずに医者は言うと、深々と溜息を吐いた。
「ではついでに補足しておいてください。絶対安静です……ってね。動けば命の保証はできませんから……
内出血は内臓に至っていないものの、肋骨の方はいつ折れてもおかしくないのでね」
動けば間違いなく折れるでしょう……
再びプリンターを作動させながら医者は呟いた。
淡々とした言葉に、御剣の背に冷たいものが流れ落ちる。
しかし、見えていないと判っていながらも努めて冷静な表情を保ち、
「……心得ました。良く言い聞かせておきます」
そう言って軽く頭を下げ、御剣は書類を片手に部屋を出て行った。
ふつふつと湧き上がる正体不明の怒りを胸に秘めて……