赤きナイトと青きポーン・10
真宵の言うみそラーメンの店は確かに事務所までの途中に有った。
真宵と共に無難な所で注文をした御剣は、待ち時間を利用して病院に連絡を取った。
担当医に繋いでもらうように頼むとすぐに電話が切り替わる。
どうやら検査は終わったらしい。
容体を聞けばけして良いとは言い難いもののようだった。
「とにかく、安静、と言った所ですね。念の為に胃の検査もしておきましたから」
「解りました。詳しい事は後で本人と一緒に伺います。……それで、面会は? 可能でしょうか」
「もう少ししたら薬も切れるので大丈夫だと思いますよ……ただし」
電話の向こうの医者の声が淡々と響く。
「事情聴取は手短に願いますね」
「はい」
「それと……少しばかりお話ししたいことが有りますから、後でお時間を下さい」
「了解しました」
手短な用件だけの電話はすぐに終わり、御剣は真宵の待つカウンターへと戻った。
見計らったかのようにラーメンが二人の前に出される。
「ヘイ、お待ち」
「待ってました!」
目の前に置かれた並よりはるかに大きなどんぶりを前に、真宵が嬉々とした声を上げる。
「いただきます!」
「うム、戴きます」
物凄い勢いでラーメンをすする真宵に、御剣は驚きを隠せずについ凝視してしまう。
「相変わらず良い食べっぷりだね、嬢ちゃん」
ピークを少し過ぎたのか、手が空いた主人が厳つい顔を綻ばせている。
「うん! だって美味しいんだもん!」
元気に返事をしながら、真宵の手は休まない。
昨日の消沈ぶりを考えれば、見事なほどの変わり身の早さ……
しかしそれはけっして悪い事ではない。
それを見ながら、御剣もまたラーメンに口を付けた。
しばらくは二人とも時折成歩堂の容体などを話しながらラーメンを啜る。
食事の後に病院に面会に行くことで話は決まった。
真宵が替え玉を注文し、御剣は最後のスープを啜ろうとした。
しかし次の主人の言葉に危うく吹き出しそうになる。
「今日はこの前の兄ちゃんと違うねえ……彼氏かい」
ニヤッと笑ってしれっと爆弾を落とす主人に、
「違いますよ~」
笑いながら真宵は平然と否定する。
「嬢ちゃんもやるねえ」
何が「やる」と言うのだろうか……
吹き出しかけたスープをしきりに飲み込もうとする御剣に、真宵は「大丈夫ですかあ~?」
と、さほど心配でも無さそうな声で言いながら笑う。
「か、彼氏……」
水を貰ってやっと落ち着いた御剣がそう呟くと、
「御剣検事はまだいいですよ。なるほどくんなんか『お兄ちゃん』でしたから」
ある意味そちらの方こそましではないか……?
そう言いかけて御剣は言葉を飲み込む。
だが、確かに成歩堂とであれば、その誤解も無理はさそうだ……
そこまで思って、御剣はふと気付く。
「そう言えば、この前と言うのは……?」
「え……と、そう言えば丁度あの日もここで夕御飯に……」
そう言って真宵は初めて箸を止めた。
「なるほどくん、先に食べてて、って言ってどこかに……」
「それはあの後、だろうか」
「そうですよ。ここから星影先生の所に……」
「成歩堂がどこに向かったか分かるかね?」
「成歩堂……? あの兄ちゃんの事かい」
二人の会話を聞いていた主人が口を挟む。
「お分かりか? ご主人」
「あのツンツン頭の兄ちゃんだろ? ……って、お宅、一体……」
「私は検事です……」
そう言って御剣は支障のない程度に事情を説明した。
納得したのか、主人は「若いのに立派なもんだねえ……」などと呟きながら、窓の外を顎でしゃくって見せた。
「あの兄ちゃんなら、ホラ、あそこの店に入って行ったよ」
見れば通りの向こうに雑貨屋がある。
「あの店に……? 買い物だろうか……?」
「さてねえ」
言いながら主人は調理場を片付け始める。
「他に何かあっただろうか」
「そういや、綺麗なねーちゃんが……」
「……女性?」
「あの兄ちゃんが店に入るのを見てたような……」
「それは確かだろうか?」
「う~ん、兄ちゃんが出てきた後、うちに入ったのを見てたからなあ」
だが、その後すぐに別の客が入ってきて、それ以降は何も見ていない。
「まあ、お宅も良い男だけどさ、あの兄ちゃんも目立つしよ。
追っ掛けかなんかかと思ってたんだけどよ」
そう言いながらカウンターを拭く手を止め、感慨深げに唸る。
「いやあ……今時の若い者は……」
などと呟いている。
その呟きを耳の端に聞きながら、御剣は思考を巡らせる。
今の話は偶然だろうか……?
一応、情報として記憶に留めておくことにしよう……
その時、御剣の携帯が着信を告げた。
「ム、糸鋸刑事か……すまない、少し失礼する」
そう言って通話を押し、電話に出ながら御剣はもう一度店の外へ出た。
「あの例の女性の所在ッスけど一応確認は取れたッス」
「そうか。ご苦労。私が直接話を聞きに行く。連絡先を教えてくれたまえ」
糸鋸から職場と住所を聞き出しメモを取る。
まだ今は単なる参考人に過ぎない人間に話を聞くだけであるなら、
本来は刑事に任せておくべきなのだろうが……
珍しくどこかで熱くなってしまっている自分を自覚しながら、御剣は微かに苦笑した。
全てがまだ仮定であり、確証に至れる材料など殆ど無い。
しかし、御剣は真相を完全に暴くまで、諦めるつもりは毛頭なかった。
「私はこれから成歩堂の所に行く。そちらは引き続き実行犯の方の捜査を続行するように……」
指示を出しながらふと本能的な予感を覚え、御剣は更なる指示を出す。
「例の女性の方にも、念の為一人付けるように。何かあったら私に連絡を……
それと写真の入手も頼む。以上だ」
「了解ッス!」
電話を切ると、すぐに店に戻る。
丁度真宵が最後のスープを飲み終えたところだった。
「あ、お帰りなさい! ミツルギ検事!」
「う……うム、ただいま」
真宵の何気ない一声に思わずドギマギとして、御剣はぎくしゃくしながらそう返した。
実際、あまり言われ慣れていない言葉にドキリとする。
しかしそれを、唇を引き結ぶことで何とか誤魔化し、御剣は店主の方へ顔を向けた。
「店主、会計をお願いする」
「あいよ」
御剣の言葉に店主が頷きレジへ向かおうとしたその時、
「待った!!」
唐突に上がった真宵の「待った」に一瞬二人は固まってしまった。
見ると真宵は御剣に向かってビシィ、ッと成歩堂の如く人差し指を突きつけていた。
「ミツルギ検事! 大事なことを忘れてますよ!!」
やはり成歩堂張りに強い視線を向けて言い放つ。
「な、何だろうか?」
思わず法廷張りに表情を引き締め、御剣が姿勢を正す。
その御剣に向かって、真宵はズバリと言い切った。
「食べたらちゃんとゴチソウサマって言わなきゃ!」
…………………………………
は?
きょとんとする大人二人にお構いなしに真宵は両手を合わせると、店主に向かって、
「ゴチソウサマでした!」
その大声に御剣も慌てて両手を合わせ、
「御馳走様でした」
と、店主に謝意を表した。
「はい、よくできました!」
良い子を褒めるように真宵がニッコリと笑う。
その無邪気な笑みに毒気を抜かれ、御剣は苦笑するしかなかった。
「はいよ、お粗末様でした」
店主も厳つい顔を綻ばせてそう返し、会計の計算に入った。
会計を済ませると、真宵は今度は御剣に向かって両手を合わせる。
「ミツルギ検事! ごちそうさまでした!」
「いや、このくらい何の事は無い」
素直に感謝され、御剣も苦笑ではない笑みを零す。
その二人の様子を見ていた主人が、おもむろにカウンターに置かれていたゆで卵を二つ手に取った。
「ホラよ」
それを一つずつ二人に手渡す。
「持ってきな。サービスだ」
「ワーッ、ありがとうございます!」
真宵が嬉々としてそれを受け取る。
「良いのだろうか?」
御剣は躊躇うように微かに眉根を寄せる。
「良いってことよ。俺が気に入ったんだからよ」
笑顔のまま卵を更に突き出され、御剣は困り顔を苦笑に変えてそれを受け取った。
「では、ありがたく頂きます」
「今時、こんな立派な若い衆は見てないからなぁ。これから昨日の兄ちゃんの所に行くのかい?」
「ええ、そのつもりです」
頷く二人に店主はもう一個卵を手に取った。
「あの兄ちゃんに持ってきな」
「え、良いんですか?」
真宵は目を丸くしながらもしっかりと卵を受け取る。
店主はニヤッと笑うと大きく頷く。
「あの兄ちゃんも礼儀正しかったしよ。ほんとは今度来てくれたならサービスしようかと思ってたんだ……
だからこいつは見舞いだな」
「ありがとうございます! ミツルギ検事! なるほどくんにお土産できたね!」
「そうだな……」
胃の検査を受けた成歩堂が食べられるかどうかは別として……
しかしそれは言葉にせず、成歩堂の代わりに頭を下げる。
「ありがとうございます」
「いやいや、大したもんじゃないし……兄ちゃんによろしくな」
「伝えておきます」
そしてふと検事の顔に戻り、付け加える。
「もしかしたら、また何かお尋ねすることもあるかもしれませんが……」
「ああ、いつでもきなよ」
「よろしくお願いします」
御剣は三度頭を下げると、真宵の方に向かって小さく頷いた。
「では行こうか」
「はい! じゃあね、おじさん!」
そうして、二人は店を後にした。
「毎度!」
そして大きな声が二人を送り出すように辺りに響き渡った。